当ウェブサイトでは「コメント自由」を貫徹しているのですが、そのおかげでしょうか、私自身、あるいはほかの読者の皆様が読んでも考えさせられるような鋭いコメントが、日々、多数寄せられます。また、インターネットを見渡せば、ツイッターなど、自由に議論できるプラットフォームが整いつつあります。こうしたプラットフォームを活用しない手はないでしょう。
目次
読者コメントに教えて頂く時代
本日も『独立系ビジネス評論サイト 新宿会計士の政治経済評論』をご訪問下さり、大変ありがとうございます。
どうしてわざわざ改まって「当ウェブサイトをご訪問ありがとうございます」などと申し上げるのかといえば、読者コメントに感謝しなければならないことがあるからです。それは、「民主主義」について議論した際に頂いたいくつかのコメントを読んで、自分自身、民主主義に対する理解が深まったからです。
といっても、これらのコメントは必ずしも当ウェブサイトの主張に賛同するものではなく、むしろ批判的なものも含まれています。それは、『「ステンレス条鋼WTO提訴」は日韓関係を根底から変える?』についたコメントと、それに対する反論コメントのやり取りです。
このなかで、私は次のように主張しました。
「くどいようですが、日本は民主主義国家であり、あなたは日本国の主権者、つまり主人の1人です。民主主義国家とは、「国家の主人は国民である」という仕組みのことであり、その国の政府は国の主人である国民のために尽くす存在でなければなりません。/主人が「こうすべきだ!」という意思を持っていれば、日本政府としても主人である日本国民の意思に背くことはできません。あなたが意識を変革し、「日本政府は日本の国益のために動くべきだ」と強く念じなければ、日本が良い方向に変わっていくことはないのです。」
この下りに対し、まず「とゆら」様から次のようなコメントを頂きました。
感覚的な感想で申し訳ないです。/上記のことはおっしゃる通りでわたしも賛成ですが/先日の韓国のロウソクデモで韓国民が国の主人は俺らだみたいなフレーズで/当時の韓国政府、司法に対し我儘好き放題振舞っていたのを拝見して/「主人」という言葉に抵抗感が生じました。/私の感覚ではそのまま、主権者、主人公というほうが私は好きです。/「主人」はあまりに強い言葉で抵抗感があります。
続いて「とらじろう」様からも、次のようなコメントを頂きました。
「ご意見には基本的に賛同しますが、自分は今の日本の民主主義に正直懐疑的です。/国政選挙に有権者の半分が投票しない国が民主主義国家を標榜するのは冗談にしか思えません。/投票日が悪天候なのは致し方ないとしても遊びに行くや仕事がある程度の理由で選挙を棄権する人間に選挙権なんて宝の持ち腐れです。/かつての大日本帝国憲法において選挙権は当初、高額な直接税を納めた男子に限られていました。/高額な税金を払うほど日々の糧を心配しない金持ちに政治参加させる、という考えが合理的だったと今更ながら思います。/仕事(=日々の糧)の方が大切な人間は政治の事など興味ないのですよ。/そういえば投票率の低さを批判すると「政治に興味を持たせろ」と言っていたお笑い芸人がいましたがこういう傲慢な考えが独裁者を産むのだと思いました。」
常々申し上げているとおり、私は別に、当ウェブサイトにコメントを下さる方が、当ウェブサイトの主張に100%完全に賛同して頂く必要はないと考えています。なぜなら、民主主義国家においては議論が何よりも大事だからです。
この観点からは、健全な反対意見については歓迎していますし、今回のご両名のご意見も、言論の範囲における健全な反論の範疇にあると見て良いでしょう。このため、当ウェブサイトとしては、これらのコメントについては諸手を挙げて歓迎したいと考えています。
久々に「論破」を見た!
なにやら小難しいコメントが…
ただ、このご両名のコメントの直後に、匿名のコメント主様(便宜上、「匿名Aさん」とでもしましょう)から、次のようなコメントが付きました。
「なんか民主主義否定するコメント沸いてんなw無責任過ぎwwwそーゆー知ったかぶりが民主主義をダメにしてんだろって話だ。結局国民が主役って発想を否定する奴は民主主義も政治も語る資格なしww」
誠に失礼ながら、私の目から見て、ご両名のコメントは民主主義の在り方に関する建議ではあるものの、「民主主義を否定する無責任なコメント」だとは思いません。コメントを頂いたこと自体、匿名Aさんには感謝したいとは思うものの、反論はもうすこし丁寧に行った方が良いな、と感じたのも事実です。
しかし、問題は、そのあとの議論です。この匿名のコメントに対し、さらに(おそらく別の)匿名のコメント主様(同じく「匿名Bさん」とでも表現したいと思います)が、次のようなコメントを残されました。
「いわゆる「戦後民主主義」はGHQが戦後の日本に移植したもので、高々70年の歴史しかないわけです。それまでは、奈良平安の御代から鎌倉江戸明治大正昭和20年に至るまで。日本の政治は「祭りごと」で、やんごとなき「お上」に「下々」がこれ従うものでした。/古代ギリシアからローマ、中世、フランス革命、アメリカ独立戦争を経てと、2000年以上の試行錯誤の民主主義の歴史を持つ欧米と日本とでは、この点において格段の差があります。/例えば、プラトンは民主主義は衆愚政治に陥ると考えた。マキャベリやヒトラーは、大衆は愚かであると考えた。ロック、モンテスキュー、ジェファーソンなどは自由主義の観点から多数派による専制を警戒し、権力分立が必要と主張した。/この辺からして、もう日本のお仕着せ民主主義とは「次元」も「経験値」も全く違うのですよ。小学生が学校で教師から教わる「善いもの」前提、完成形のそれは制度ではなく、彼らにとっては(それは我々にとっても)未だに選択肢のひとつ、変化するだろう政治制度の一プロセスでしかない。/民主主義は構成員(人民、民衆、国民)による意思決定で、構成員全体の意思(世論、輿論、民意、人民の意思)が反映されるべきですが、それが「正しいか」または「適切であるか」、更には世論とは存在し提示可能なものか、などの議論もあります。まだまだ問題は多々あり、そんなに単純なものではないと思いますよ。」
なるほど。
プラトン、マキャベリ、ヒトラー、ロック、モンテスキュー、ジェファーソン。相当に学のある方のコメントなのでしょう。そうそうたる人名を見て、普通の読者の方だと、「政治学とかよくわかんないし、反論できないよ…」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、それと同時に、「戦後民主主義はGHQが持って来たもので、それ以前の日本には民主主義の考え方はなかった」、「民主主義とはそんなに単純なものではない」といった主張は、いずれも戦後の左翼論壇でよく聞かれた言説であり、思わず政治学を学んでいた大学時代を懐かしく感じてしまいました。
こういうのを「論破」というのでしょうか?
もっとも、私自身も(あまり知られていませんが)、「公認会計士」と名乗っているものの、一応は政治学(厳密には西欧政治思想史)が専門分野の1つでもあります。
この匿名Bさんのコメントには、議論としてはかなり雑な部分もあり、正面から反論しようと思えばできるのですが、今回は私があえて取り上げて反論する必要はありません。なぜなら、(おそらくは先ほどの匿名Aさん、匿名Bさんとはさらに別の)匿名のコメント主様(ここでは「匿名Cさん」と呼びます)が残したこのコメントで、ほぼ論破されてしまったからです。
「大日本帝国憲法による憲政下で民主主義が行われて来たという歴史的事実を無視して戦後民主主義ってあなたの方こそ認識が歪んでいるようですね。」
まるで柔道の技のように、非常に鋭い指摘だと思います。匿名Bさんがせっかく長文に及ぶコメントを寄せて下さったにも関わらず、匿名Cさんのたった1行のコメントで、その議論の前提そのものがガラガラと崩れているからです。
匿名Bさんのコメントの冒頭で「戦後民主主義にはたかだか70年の歴史しかない」といったコメントから、「奈良平安の時代から昭和20年まで」、まるで日本に民主主義は存在しなかったかのように主張しているのですが、それ自体が事実誤認だという点を、端的に指摘したものです。
もちろん、ここで匿名Bさんがおっしゃる「戦後民主主義」とやらが何を指すのかは、よく分かりません。
しかし、明治天皇が「五箇条の御誓文」の第一条で「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」(広く会議を興し、すべてを公論で決めるべし)と明らかにされたとおり、明治維新とはそもそもが「日本が民主主義国家を目指す」という宣言にほかなりません。
そして、「とらじろう」様が指摘されたとおり、当初、帝国議会議員の選挙権が与えられていたのは高額納税者に限定されていたものの、男子普通選挙は大正年間には実現してしまうのです。
論点ずらしを許さない
この匿名Cさんのコメントに対し、匿名のコメント主様(おそらく同じ匿名Bさんでしょうか?)が、苦し紛れに、唐突に次のような反論を試みます。
「婦人参政権が成立したのはいつですか?戦後だとしたらそれはどうしてですか?」
おそらく、これは匿名Bさん(?)側が、「男女平等に参政権が得られるという仕組みを導入したのはGHQであり、だからこそ戦後民主主義はGHQがもたらしたのだ」、という当初の自説を補強するための反論だったのかもしれません。
もちろん、女性にも参政権が付与されたのはGHQ占領下であるという点については事実です。ただ、このコメントに対し、再び匿名のコメント主様(おそらく同じ匿名Cさんだと思います)が、次のような再反論を行います。
「主要先進国で女性参政権が成立した時期について調べてみたらいかがですか?別に日本が遅いわけじゃないって判りますよ?ついでに男子普通選挙が実現したのって戦後でしたっけ?」
こういう反論を、おそらく「論破」と呼ぶのだと思います。
整理すると、もともと匿名Bさんが主張していたのは、「日本の『戦後民主主義』の歴史はせいぜい70年に過ぎない」「昭和20年まで日本の政治はお上に下々が従うものだった」という内容だったはずです。しかし、これに匿名Cさんがたった1行で、匿名Bさんの事実誤認を指摘。
匿名Bさん(?)が苦し紛れに「女性参政権」を出して論点を逸らそうとしたところ、匿名Cさんが「女性参政権が成立した時期は日本が特段に遅いわけではない」という事実を指摘し、匿名Bさんは完膚なきまでに論破されてしまったようなのです。
いちおう、私の方で事実関係を簡単に述べておきましょう。日本は戦前、大日本帝国憲法のもとで、1918年には原敬という「平民宰相」が出現しており、1925年には普通選挙法で男子普通選挙が実現するなど、当時の世界基準で見ても立派な民主主義・法治主義国家でした。
また、わが国では女性参政権は敗戦後にやっと実現しましたが、これも欧米諸国と比べてとくに遅いとはいえません。たとえば、スイスでは1971年になって初めて連邦レベルで女性の参政権が認められたそうであり、また、戦後、ソ連の衛星国となった東欧諸国では、民主主義自体が停止されていました。
わが国の民主主義は、まずは高額納税者に対する限定的な選挙権の付与、次いで納税額のハードルの引き下げ、さらには男子普通選挙の実施、女性参政権の付与という形に、段階を踏んで広まって行ったのですが、これが西洋諸国と比べてとくに遅れているという事実はありません。
つまり、日本は戦前から民主主義、自由主義、法治主義に基づき、立派に国家を運営してきたのであり、「昭和20年に敗戦してGHQに占領されて以降、たかだか70年の歴史しかない」という匿名Bさんのコメントはほぼパーフェクトな事実誤認なのです。
議論する上での教訓
この匿名Cさんの鮮やかな反論には脱帽するしかありません。そして、私がこの一連の書き込みを見て思ったことは、どんなに長い文章で、どんなに難しいことを主張したつもりになっていても、ちょっとした事実誤認によってガラガラと議論が崩れることがある、ということでしょう。
この匿名Bさんは、プラトン、マキャベリ、ヒトラー、ロック、モンテスキュー、ジェファーソン、といった人名が出て来て、何やら小難しい議論を吹っかけたうえで
「この辺からして、もう日本のお仕着せ民主主義とは「次元」も「経験値」も全く違うのですよ。」
と畳み掛けたつもりだったのかもしれませんが、初歩的な事実誤認のために、匿名Cさんのたった1行の指摘で、こうした議論の前提が、すべて音を立てて崩れてしまうというのも面白いです。
ただ、私は匿名Bさんの議論の仕方を見て、別に嘲笑するつもりはありません。私だって偉そうに高説を垂れておきながら、基本的な事実認定を誤っていたがために、その論考がすべてガラガラと崩れ去ってしまったという経験など、たくさんあるからです。
昨日も『自民党総裁選でもマスコミ偏向報道が影響しているのは確実』の冒頭で申し上げましたが、私が「ブログ」という形での情報発信を始めたのは2010年7月のことであり、かれこれ8年間、「新宿会計士」のペンネームを使って不特定多数の方々に自説を開陳する、という作業を続けています。
毎日1~2本の記事を配信し続けていれば、8年間ですでに3000~4000本の記事を執筆したことになるはずですが、中には自分自身で後から読み返して赤面するような稚拙な論考もたくさんありました。
やはり、議論するうえで大切なことの1つは、「客観的な事実」と「主観的な意見」をきちんと分けることであり、かつ、「客観的な事実」の部分で事実誤認をしでかさないことだと思います。
仮に匿名Bさんが、最初から「日本で戦前に行われていた民主主義は不完全であり、GHQが押し付けた『戦後民主主義』こそが真の民主主義だ」などと主張していたとすれば、他の読者も「日本の民主主義は幼い」という匿名Bさんの主張を、「1つの意見」として読み取ることができたはずです。
(※といっても、仮に匿名Bさんがそのように主張していたとしたら、「事実認定の誤り」は消えますが、その場合、私は「その主張自体がかなり歪んでいる」と考えるでしょう。ただし、これらの点については、本日は敢えて議論しないことにしたいと思います。)
議論する空間が広がるのは良いこと
小池晃氏のツイート
さて、「議論」という意味で興味深い事例がもう1つあります。
日本共産党の小池晃書記局長が、一昨日、次のようなツイートを発しています。
今日の鹿児島の演説会で、自民党総裁選討論会について。「安倍氏は森友加計は『昨年の総選挙で国民の審判を仰いだ』というが、ちょっと待って。財務省の文書改ざんが明らかになったのは今年3月。加計学園についての愛媛県文書が明らかになったのは今年5月。いずれも総選挙後です。審判受けてませんよ(2018/09/15 20:46付 ツイッターより)
これは、「もりかけ」問題を巡り、昨年10月の衆議院議員総選挙で自民党が圧勝したために「国民の審判を仰いだ」といえるという安倍総理の主張に対し、財務省の公文書偽造事件や愛媛県による怪文書事件などが発生したのはその後だから、「国民の審判を仰いだ」とはいえない、という反論です。
共産主義者ふぜいが、ややこしいことをゴチャゴチャ言うのなら、もう一度、安倍総理が衆議院の解散総選挙をなされば良いと思うのですが(笑)、おそらく、組織票が堅い共産党はともかく、立憲民主党は議席を減らすでしょうし、国民民主党あたりは跡形もなく吹き飛ぶかもしれません(笑)
という脇道の議論はともかくとして、いちおう、私自身が小池氏に、次のようなコメントを寄せておいたのですが、果たして小池氏に伝わっているのでしょうかね?
ではもう一度「審判」を受けてみますか?ところでオタクの委員長も民主主義の「審判」を受けずに20年近く居座ってますよね?そんな日本共産党さんに「民主主義」を騙る資格はおありかな?(2018/09/16 7:40付 ツイッターより)
※「語る」と「騙る」が誤植ではないかとお思いかもしれませんが、日本共産党の幹部に対して利用する用語という観点からは、こちらの「騙る」でだいたいあっていると思います(笑)
「もりかけ問題」巡る共産党支持者の支離滅裂
ただ、この小池晃氏のツイートに付いた返信を見ていると、「もりかけ問題」を主張している人たちの程度が知れるようなコメントがたくさん湧いていて、思わず苦笑してしまいました。たとえば、次のような具合です。
出ましたね、ネトウヨロジック(^_^)愛媛県や今治市の公文書が証拠。公文書を証拠と認めないって自分らが改竄しているから他もやっているだろうと勘ぐっているだけ。(2018年9月16日 7:30付 ツイッターより)
加計学園は安倍首相の背任です。利益供与ね。関与なんかどうでもいいなんて言える問題ではない。本来なら地検特捜部が動くのだが機能してない。安倍政権は汚職し放題になってる。独裁の始まりです。
日本はすでにヤバいんです。(2018/09/15 21:58付 ツイッターより)
これらのツイートに対し、私はためしに、次のような「ジャブ」を放ってみました。
結果的には、ツイート主さんは2人とも、昨日の夜10時時点までに、私のツイートに対し返信を下さいませんでした。ちなみに、私のツイートにはオリジナルのツイート主さんを上回る「いいね!」が付いているようですが、オリジナルのツイート主さんは、このことについて、じっくりと考えて見られることをお勧めします。
議論を拒否するパヨクさん
ところで、極左、あるいはサヨク的な主張をする人の中には、最近、「とにかく安倍(晋三総理大臣)のことが大嫌い」という人が増えているようです。中には、「アベノセイダーズ」、つまり「何でもかんでも安倍(氏)のせいだ」、と決めつける人もいるようです。
そして、左派的な主張が行き過ぎると、主張だけでなく行動そのものが常軌を逸してしまい、「歌と踊りで支離滅裂な主張を繰り返す連中」が出来上がってしまいます。このような連中は、最近、インターネット上で「パヨク」と揶揄されています。
そして、私の以前からの持論によれば、この「パヨク」の皆さんは、議論を極端に嫌います。
たとえば、東京で休日に新宿や渋谷などの繁華街を歩いていると、ラップ調で「アベは~ヤメロ~」などと叫んでいるデモ隊の連中に遭遇することがあります。しかし、彼らはたいていの場合、自分の主張を一方的にスローガンとして繰り返すだけで、「安倍(氏)の何が悪いのか」については、絶対に説明しません。
そういえば、「もりかけ問題」も、朝日新聞や日本共産党、立憲民主党などが安倍政権の倒閣のために利用している問題の1つですが、これも、今ひとつ定義がよくわかりません。
いちおう、私なりに「もりかけ問題」を定義するならば、
「安倍晋三(氏)が内閣総理大臣の地位を悪用して、個人的な友人が経営する学校法人に違法な便宜を図った疑い」
のことですが、そもそも安倍総理自身が、いつ、何という法律の第何条に違反していたのかという「事実認定」すらなされていません。
先ほどのツイート主さんへの疑問についても、結局、ご本人たちからは答えが得られないままになってしまっていますが、多分、この点について「もりかけ問題で安倍(氏)は怪しい!」と頭から信じ込んでいる人たちには、絶対に説明できないでしょう。
なぜ「パヨク」は議論を拒絶するのか?
では、なぜ「パヨク」と揶揄されるような人々は、議論を拒絶するのでしょうか?
非常に分かりやすくいえば、頭が悪いからです。
いや、もう少し正確にいえば、基礎学力、基礎知識が不足していて、基本的な議論にすら、ついていくことができないからです。
勉強しない、調べない、自分の頭で考えない。ただひたすら、誰かが主張した「アベ政治を許さない」、「アベはヤメロ!」などのスローガンをオウム返しにしているだけ――。
こういうことを繰り返していれば、人間として劣化していくのは当たり前の話です。
逆に、普段から自分の頭で考える癖を付けていれば、「もりかけ問題」にしたって、新聞、テレビから少し離れ、冷静に「はて、何が問題なんだっけ?」と自問自答し、別に安倍総理が賄賂をもらったわけでもない以上、自然に考えてこれが国政を揺るがす問題であるはずなどない、と気付きそうなものです。
いや、酷い人間になると、「賄賂を授受したかどうかは問題じゃない」だの、「違法性があったかどうかは問題じゃない」だの、「本当の問題は安倍(総理)が怪しい振る舞いをして国民に疑念を持たれたことだ」だのと言い出す場合もあります。ここまでくると、もはや病気でしょう。
ただ、先ほどの日本共産党信者の皆さんは論外として、「もりかけ問題は怪しい」と信じている人たちは、情報弱者層を中心に、意外とまだたくさんいるのではないかという気もします。
自分の頭で考えよう!
以上、長々論じて来ましたが、私が言いたいことは、シンプルです。
それは、「自分の頭で考えることが大切だ」、です。
日本は民主主義社会であり、私たち国民が日本国の「主人」です。私たちの進路を決めるのは、官僚でもなければマスコミでもなく、ましてや野党の国会議員でもありません。紛れもなく、私たち日本国民一人ひとりが、自分の頭で考えて判断し、賢く投票しなければならないのです。
1億人を超える私たち日本国民が直接、国を動かしていくわけにもいかないので、だからこそ間接民主主義によらざるを得ないのは仕方がない話です。しかし、私たちはこの日本という国の主人である以上、選挙権を放棄するのは日本という国の現在と未来に対する背任でもあります。
もちろん、当ウェブサイトの愛読者の皆様にも、民主主義への懐疑論があることは重々承知していますし、「投票率が低いから民主主義が機能していない」、という主張があることも、同様に承知しています。
しかし、それでも、「日本の針路に最終的な責任を負っているのは、日本国の主人である、私たち日本国民一人ひとりである」という主張を撤回するつもりは毛頭ございません。
もし、異論や反論などがございましたら、今後ともどうかお気軽に、当ウェブサイトのコメント欄に書き込んで下さい。あるいは、当ウェブサイトで議論するのが嫌であれば、ご自身のブログなり、匿名掲示板なりに転載したうえで批判して頂いても構いません。
民主主義国においては、とにかく「議論をすること」が大切なのです。
View Comments (12)
いつも知的好奇心を刺激する記事の配信ありがとうございます。
さて、「パーヨク」を自称する愚か者からのお笑いコメントです。
>では、なぜ「パヨク」と揶揄されるような人々は、議論を拒絶するのでしょうか?
>非常に分かりやすくいえば、頭が悪いからです。
他の方々はいざ知らず、「当方に関してはその通り」と思います。
おそらく、宗教政党たる日本共産党の誰よりもマルクス主義者であろう(自嘲)当方の貧弱な認識で考えると、現代社会とは
教育を通じて「自己改善能力を持つ人間」が多数派を占める多種多様の機能集団※が他から相互に影響を受けながら
「人間の集合知が個の考えより優位だろうという前提」の下、機能集団自身がPDCAサイクルやOODAループを行い変質・競争・淘汰が常に行われていく社会であり、
また、人間という単独要素だけでなく「経済」という人間と不可分の要素を伴って構成される「特殊な条件の下で成立している社会である」と思います。
このような条件が日々変わっていく状況で当方が限られた情報で考える思考など、「最初から間違っている」か「状況が変わると間違いになってしまう」かのどちらかに決まっています。
思考といえ、PDCAサイクルやOODAループが十分でないと現実から乖離した部分を正しい形に修正できないからです。
だからこそ・・・管理人様が書かれた通り、
「自分の頭で考え、人の意見を十分に聞く。」
そういった事が大事なのではないでしょうか。
以上です。駄文失礼しました。
(参考)
※ここで当方がいう機能集団とは小は近所のおばちゃん2人の井戸端会議から大は
企業・主権国家・国連のような国家間安全保障機構まで「公私、規模の大小、存在期間の長さを問わない2人以上の集団全て」です。
用語についての参考
PDCAサイクル:
https://ja.wikipedia.org/wiki/PDCA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB
OODAループ:
https://ja.wikipedia.org/wiki/OODA%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
マルクス主義がなにかは置いといて、マルクス経済学は当時としても現代から見ても資本主義の問題を克明に分析したものすごく素晴らしい学問であるのに、なんで共産主義までいくとあんなに夢見がちな非現実論になってしまうんでしょうね。
資本主義への分析が素晴らしすぎて未来への展望も正しいものと思い込んでしまったのでしょうか。
修正資本主義と、本来の共産主義からかけ離れた中国や北朝鮮のどっちがロジカルかバカでもわかりますよね。
りょうちん様
当方の駄文へのコメントありがとうございました。
>なんで共産主義までいくとあんなに夢見がちな非現実論になってしまうんでしょうね。
以下は当方の拙い知識と理解ですが・・。
18世紀から19世紀にかけての人々は今より理性・知性に信頼(というか幻想)を持っていました。
理性・知性による計画での社会改善は人間を素晴らしい世界に導くはずでしたが、
結局は人間の欲望に基づく試行錯誤・創意工夫と競争による淘汰に勝てなかったということではないでしょうか。
もう一つ。ヨーロッパの一神教における開闢から終末まですべては決まっているとする「豫定説」とマルクスが提示した社会革命モデルが相似しているため、社会的に受け入れられる一定の余地があったのでしょう。(最後の審判経由神の国行きの社会版というやつです)
こちらの負の影響として俗に言われる共産主義国家では指導者と異なる意見に対する「粛清」が多発し試行錯誤・創意工夫の芽が摘まれることになります。
とはいえ、社会を機能集団の相互作用を踏まえて科学的に分析しモデル化していく中で、社会を「ブラックボックス」でなく
「人間が改善できる対象」として初めて捉えたマルクスはもうちょっと評価してあげてもいいと思います。
経営の要素であるヒト・モノ・カネ・情報といった「人とその他を等価で見る」経営論も人間を特別扱いしない唯物論が嚆矢と思いますしね。
今や社会を科学的に見て改善に役立てようとする行動は自由主義・民主主義国家側が本流です。
社会分析を十分に行わず、それを理解していない日本共産党等はもはや宗教政党なのです(笑)。
人間は理想を語ると失敗するみたい。マルクスもそうでないかな。たぶん、人間は不完全であって、理想を目指すととんでもない失敗方向に行ってしまうのではと思う。
モリカケ問題は1年以上もやって来て(まだヤル気みたいですが)、私には一向に論点が判りません。
どうやら「忖度が悪い」「忖度された者に責任がある」ということなのでしょうか?
立民以下野党各党の方々が本気でそんなことを考えているのだとしたら、いっそ「忖度禁止法」を提案されてはいかがでしょう?
その法案説明の中で、忖度の何が悪いのか、忖度された者にどういう席にがあるのか、等々明確に説明して頂きたいものです。
ああなるほどと国民が納得すれるような趣旨説明がなされれば、アベさんも潔く辞任されるものと思いますが・・・
>モリカケ問題は1年以上もやって来て(まだヤル気みたいですが)、私には一向に論点が判りません。
かつてロッキード事件でアメリカは田中角栄の影響力を排除しようとしました。
トップのスキャンダルとはそのトップが排除されることで最も得する国の「プロパガンダ」
若しくは持ち込まれた事実であることがあるということです。
まあ、真実はずっと後でわかることですが。
さて、日本外交を見ると今の安倍外交は親米・反中です。
安倍晋三首相が排除されると、一体どの国が利益を得るのでしょうね?
ということで、まったく根拠・証拠のないことですが・・
モリカケ問題を終わらすであろう正しい方法があります。
・中国の為に日本及びアメリカとの軍事機密や最新技術をすべて渡します。
・中国の正規空母やステルス戦闘機といった軍事装備を日本の最新技術で実用に耐えるものにしてあげます。
・要は中国の世界征・・違った「地球上すべての土地」を習皇帝という「正規の所有者」に「解放」差し上げるために全身全霊をもって邁進すればよいのです。
・中国の正規の土地奪還のために皇帝からの命令の前に日本人義勇軍を派遣するのもよいでしょう。
モンゴル帝国時代に中国が正規に所有したロシア全土とか。
ボストン茶会事件時に中国の領土の証として、朝貢による中国産のお茶があったアメリカ東部13州とか。
事実と違う?いえ。事実とは力で作るものです。
そうすればマスゴミどもは「報道しない自由を行使してモリカケを終了」してくれるでしょう。
その代わり、別の方面からの「何か」で安倍内閣と多分、皇室を含めた日本国民全員が「跡形もなく」吹き飛ぶことになります(笑)
一度思考実験でお試しあれ。
冗談は以上です。
普通の会社で社長の意思を忖度しない幹部社員はいないだろう。普通の社会で行われていることを公務員に限って禁止するのはそれなりの理由が必要だと思う。また総理の考えていることを忖度することを禁止するということは総理の意思とは関係なく行政を進めることになる。それは行政の実務を司る官僚の考えを推し進めることになる。総理は間接的ではあるが主権者たる日本国民が選任して国民の意思を行政に反映するもので、まさしく民主主義であると思う。選挙で選ばれてもいない官僚の意思で行政が進められるのは民主主義に反するように思うのだが、これは専門家からみたらどうなのかな?
パヨクに頭が悪い人がいる事は否定できませんが、議論を拒絶するのは頭が悪いからではないのではないかと思います。彼らはままならない現実を否定したいのです。『自分の』理想を、正義を実現したいのです。気持ちの良い理想に浸っていたいのであって、頭の良し悪しは関係ないと思っています。
そして彼らにとって議論するというのは気分の悪い現実を突きつけられ、理想を揺るがせるという事です。ついでに影響力を確保するという点でも議論は無意味どころか『悪』であると思います。
彼らのターゲットは『そこまで考えていない多数派』で、分かりやすい敵と単純明快なスローガンがあればそれで十分なのです。反対派は雰囲気を壊す敵であり、説得すべき相手ではないのです。
故に新宿会計士様がおっしゃるように『自分の頭で考える』事が大事であり、そういう人を増やす事が間違いなく重要だと思います。
同時に絶対に存在する『そこまで考えていない人』をうまく取り込む努力や議論の面白さに気付いてもらう事が必要だと私は思うのです。
逆に、そこまで難しく考える必要性は無いと思いますよ。
政治思想に関わるような連中は押しなべて、自分の意見を通すために視野狭窄になっています。
それに右も左も無いように思います。
そもそも今現在、右翼左翼という分け方自体が形骸化の上で全く違う意味になってしまっているんですよ。これをウヨだパヨだと言い出したのは実はネットの影響ではある(右翼左翼をしつこく言っていたのはメディアではある)んです。
まぁとどのつまり、もうだいぶ前から相手が右か左かなんて分け方は意味をなしていないし時代錯誤もいいところなんだよね。
左はソ連崩壊で錦の赤御旗が焼け落ちて以後は、
既存の伝統秩序になら何でもかみつき破壊を企む単なるアナキストに、
一方右は経済力をつけた中韓が日本と仲良くなるどころかむしろ敵対的になり
反米する際の味方として中韓を頼むつもりだった大アジア主義が消滅と。
うっかり成金になったことで奴らがずっと隠していた本性である粗暴さや蛮族ぶりを
見せつけられてしまってはねぇ
大アジア主義はむしろアナキストの側に引き取られた感じだね。
アナキストの親中韓は、もちろん中韓よ日本とともに共に米帝と戦おうという意味じゃなく
日本よ中韓に呑まれて消えろという意味でだけど
その上で中韓の社会秩序も攻撃し破壊するとまで振り切れたアナキストならむしろ尊敬するけど
奴らは中韓の圧制には文句ひとつ言わないからな
興味を持ったリンク先を辿って此方に来ました。
いわゆるパヨク、反安倍派の「頭の悪さ」は相変わらずですね。