ここ数日、「議論すること」の大切さを突きつけるような話題が相次いでいます。本日は前半で私自身の認識不足についての検証を、後半で昨日の『杉田水脈議員の「LGBTは子供を作らない」発言の不見識』へのコメントのフォロー・アップを行ってみたいと思います。
目次
町田市議会議員のツイート検証
町田市議会議員の東友美氏のツイート批判
先週土曜日、私は『有権者よ野党議員の「バカッター」を読もう、そして考えよう』という記事の中で、立憲民主党所属の町田市議会議員である東友美(ひがし・ともみ)氏が発した、次のツイートを紹介しました。
【義捐金について】 倉敷市役所の開庁時間に間に合ったため、お預かりしておりました義捐金16506円は予定を変更し倉敷市役所へ直接寄付しました。 市役所へ伺ったところ、なんと倉敷市保険福祉局の局長さんが対応して下さいました。 確かに16506円をお渡ししました。 ご協力ありがとうございました。(2018年7月26日 21:25付 ツイッターより)
そのうえで、私は次のように執筆しました。
「この議員は、西日本豪雨の被災地の1つである岡山県倉敷市に、義捐金を届けに行ったのだそうです。関連するツイートを読んでいくと、どうやら彼女らは「立憲民主党」の幟を立てて、町田駅や小田急玉川学園前駅などで募金活動をしたらしく、今回届けた義捐金は、その募金だそうです。
あくまでも一般論ですが、災害時には被災地にとって、一番ありがたいのは現金支援です。ただ、せっかくのご努力に水を差すようですが、16506円とはいささか少額であり、気持ちとしては嬉しいにしても、受け取る方としては少し微妙な気持ちになりませんかね?
いや、もっといえば、わざわざ町田から岡山県まで新幹線を使って往復するのに、片道16506円以上の運賃が掛かりそうなものです(ちなみに乗換案内サイトの『ジョルダン』で調べると、片道で17540円だそうです)。
さらに、被災地で災害対応に当たらなければならない市役所の職員の手を煩わせること自体、ナンセンスです。しかも、他の自治体とはいえ、相手は市議会議員ですから、それなりの立場の人が対応する必要があるのでしょう。
今回は倉敷市の「保険福祉局」(※原文ママ、「保健福祉局」の誤植か?)の局長さんが直々に対応してくれたそうですが、いずれにせよ、彼女のツイートが事実ならば、16506円を届けるために片道17540円を使って倉敷市に行き、「保険福祉局」の局長さんに対応してもらった、ということです。」
訂正箇所が2点ほどあります
ただし、この下りについては、2点ほど認識の相違がありましたので訂正いたします。
1点目は、この文章については「募金という形で集めた義捐金16506円を届けるためだけに、わざわざ倉敷市まで出掛けた可能性がある」と読めてしまいますが、この点については東氏は1日だけとはいえ、きちんとボランティア活動をしていました。それを指摘して下さったのが、次のツイートです。
お二人ともこのツイートだけを見て、義捐金を渡す場面の写真を撮るだけの為に倉敷まで行ったと勘違いされたんですね。東議員は同日ボランティア参加のために現地へ赴き、そして義捐金も届けたようですよ。(2018年7月30日 17:38付 ツイッターより)
この方のご指摘によれば、東友美氏は何も16506円を届けるためだけに、「片道17540円」とされる交通費を負担して倉敷に行ったわけではない、ということです。
また、この方のご指摘にはありませんが、東友美氏は、バスタ新宿を21:30に出発し、朝8:15に倉敷駅に着く高速バス「ルミナス号」を使って新宿から倉敷市まで移動されています。ウェブサイトで調べると運賃は10200円であり、町田から新宿までの電車賃(片道370円)とあわせても10570円です。
これを総合すると、彼女は7月25日の夜行バスで新宿から倉敷に向かい、7月26日の朝、倉敷に到着。そこからボランティアセンターに行き、おそらくはそこで紹介された個人宅に向かい、「断熱材のかき出しや土のうの運搬、浸水した床材の剥がし作業」などを行っています。
本日のボランティア、無事に終了しました。真備町の個人宅に伺い、断熱材のかき出しや土のうの運搬、浸水した床材の剥がし作業などを行いました。作業後は災害ゴミの仮置き場となっている真備中学校、爆発が起きたアルミのリサイクル工場などを視察しました。関係者の方々ありがとうございました。(2018年7月26日 20:25付 ツイッターより)
その意味で、先日の記事につきましては、東氏のほかのツイートをきちんと確かめずに、やや書き過ぎたという部分もありました。また、私は、政治家がボランティア活動を行うこと自体、素晴らしいことだと思います。東氏がボランティア活動に従事したという点そのものについては、評価に値します。
違う問題が出てくる
ただ、以上を訂正し、改めて考察してみると、まったく違った側面が出てきます。
ツイートした内容などから判断すれば、彼女が倉敷市に到着した時間は午前8時半であり、そこからすぐにボランティアセンターに行ったとしても、実際にボランティア活動を開始するまでに1~2時間のタイムラグがあるはずでうs。
また、ボランティア活動後に少なくとも真備中学校とアルミ工場という2ヵ所の視察を行い、さらに倉敷市役所を訪問しています。これらの情報から逆算して考えるならば、ボランティアに従事した時間は、丸1日ではありません。せいぜい半日、下手すると数時間程度です。
ということは、彼女が倉敷市を訪問したメインの目的は、現場視察と、倉敷市役所への16506円の手渡しのためにあったと見て間違いないでしょう。つまり、ボランティア活動については、「アリバイ作りのために一応行った」ということです。
こうなって来ると、やはり東氏の行ったことは、私が以前から批判している、「災害直後の被災地に対する、政治家の視察名目による訪問」という問題行動そのものです。
また、倉敷市までの交通費が片道17540円なのか、10570円なのかは問題ではありません。往復運賃で考えれば、その往復運賃以下の義捐金を手渡すために、倉敷市役所の幹部職員が彼女の対応に忙殺されたという事実についてはまったく変わりません。
やはり彼女の倉敷訪問の本質は「立憲民主党所属の地方議員によるパフォーマンス」であり、「被災地の業務を妨害する活動」です。その意味で、私が先日執筆した記事には、確かに調査不足の箇所はありましたが、本質的に取り消す必要はないどころか、むしろ
「立憲民主党の政治家による被災地の実情を無視したパフォーマンス活動である」
という側面があるという点に関していえば、先日の記事に何ら事実誤認はなかった、ということです。
枝野氏の発言に賛同するのか?
杉田水脈氏に対する批判記事
さて、議論ついでに、自民党の衆議院議員の杉田水脈氏が『新潮45』8月号に寄稿した、「LGBTは生産性がない」とする論考への批判記事についても、もう1度取り上げましょう。
私は日曜日に『杉田水脈議員の「LGBTは子供を作らない」発言の不見識』という記事を執筆し、このなかで、「杉田氏の発言は不見識であり、サヨク勢力に揚げ足を取られかねないものである」と批判しました。
ただし、これを執筆した時点では杉田氏の論考の原文を読んでいなかったため、『新潮45』を買い求めたうえで、月曜日には改めて『原文を読んだうえで、それでも杉田水脈氏の不見識を批判する』という記事を執筆しています。
この2つの記事では、私は一貫して、杉田氏の議論を強く批判しています。
その理由は、杉田氏がわざわざ使わなくても良い稚拙な表現を用いて、ともすればLGBT差別と受け取られかねない記事を執筆したからであり、また、これを機に、保守政治家や保守論客に対する批判が発生する危険性もあるからです。
もちろん、私自身にも不用意なところがありました。というのも、日曜日の記事では、杉田氏を批判する報道をベースに、「これらの報道が正しければ」という前提条件付ではあるものの、原文を読まずに杉田氏を批判したからです。
しかし、原文を自分自身で読み込み、その結果、やっぱり杉田氏の見解は不見識だと思ったからこそ、月曜日の記事でも「杉田氏を批判する」という姿勢を堅持したのですが、これは結果オーライであり、ウェブ評論家としての私自身の稚拙さを痛感する結果となりました。
知的ゲームとして興味深いコメント
ところで、杉田氏を批判した昨日の記事に対して、匿名のコメント主様から、こんなご質問を頂きました。
「素朴な疑問。/立憲民主・枝野幸男も杉田さんを非難されているようですが、「この件に関してだけ枝野さんにエール」を送ります?/それとも、「あいつは悪いジャイアン、僕はきれいなジャイアン」?」
「悪いジャイアン」だの「きれいなジャイアン」だの、よくわからない表現が用いられているうえに、匿名のコメント主さんによる「立憲民主・枝野幸男(氏)が杉田氏を批判している」という点については、枝野氏のいつ、どの発言のことを指しているのかわかりません。このため、私の回答は、
「質問が意味不明過ぎて答えられません。」
です(笑)。当ウェブサイトはどなたでもコメントして頂けるという特徴があり、したがってコメントを下さるのも有難いのですが、「枝野氏のこういう発言については支持しますか?」といった形で、最低限、論理的かつ明快に書く癖を付けられることを、強くお勧めしたいと思います。
ただし、この質問をあえて、
「もし立憲民主党の議員が杉田氏を批判していたら、新宿会計士としてはこの件に関して立憲民主党を支持するのか?」
と読み替えて考えると、これはこれで興味深いご質問です。
これに対する答えは、「それがどういう批判であるかによる」、というものです。
そもそも言論の世界においては、その主張にどれだけ説得力があるかが大きなポイントです。そして、私が杉田氏を批判したポイントも、
- 現実に存在しているLGBTに関する問題を無視していること
- LGBT差別と受け止られかねない問題表現があること
- わざわざ誤解を招きかねない稚拙な表現が多々混じっていること
といったところですが、彼女の論考を批判するならば、あくまでもその論考に対して批判を加えるべきであり、彼女の人格、これまでのさまざまな活動などのすべての面に渡って批判を加えるのは、明らかに行き過ぎです。
立憲民主党の枝野氏が杉田氏をどう批判しているのかは存じ上げませんが、もし、彼女の論考を理論的かつ具体的にに批判していたとすれば、その内容次第では当然、枝野氏の発言を支持することはあり得ますし、支持しない可能性もあります。
「同性婚の法案」という珍説
では、立憲民主党が提出の準備をしているとされる、「同性婚の法案」については、どう考えるべきでしょうか?
立民、同性婚の法整備検討 LGBT差別解消へ (2018/7/30 19:00付 日本経済新聞電子版より)
この記事、立憲民主党のこれまでの行動に照らすと、「杉田氏の発言を自民党攻撃に利用できる」と思って、パフォーマンスのためにやっているだけではないかとの疑念を払拭することはできません。つまり、本気でLGBT差別を解消しようというのではなく、これも「自民党攻撃」の一環だ、という仮説です。
先日の記事でも申し上げましたが、実際に同性愛者のカップルは、パートナーと法的な家族になることは困難です。養子縁組などをすれば良いという話もありますが、この場合、どちらかが「養子」、どちらかが「養親」とならねばならず、相続などが発生したときなどにも法的な扱いに差異が出てきます。
このため、「パートナーに夫婦に準じたステータスを付与する」という形であっても良いと思いますし、なにも「結婚」という形にこだわる必要はありません。
もちろん、立憲民主党がどこまでLGBTに配慮しようとしているのかについては、実際に法案の中身を見てみないことには、まったくわかりません。しかし、「同性婚を認めて、日本の民法(家族法)に大きな風穴を開けようとしている」ということであれば、私はこうした法案に反対したいと思います。
兄弟婚、親子婚、児童性愛は「絶対に」認められない
ついでに、昨日のコメントには、こんなものもありました。
「極論で申し訳ないのですが、性的嗜好を援助する、認めるとすれば小児性愛は認められませんか?近親婚はどうでしょう。教師と教え子は、上司と部下はどうですか。世間一般に害がなく、本人の自由意志ですよ。少数だから何でもOKではないですよね。」
実は、この点について、すでに昨日の記事で私は次のように主張しています。
「兄弟婚、親子婚は児童性愛と同じく倫理上の問題があり、少なくとも日本社会では絶対に容認されませんし、ペットや機械にはそもそも法人格がありません。どう考えても、LGBTの議論と同列で論じるものではありません。」
少し言葉が弱かったのですが、私が主張したい内容は、「そもそも成人同士が自発的意思に基づいてパートナーとなることを選ぶ」という行為と、「人倫に反する行為」を一緒にするな、ということです。
ポイントは「①意思能力を持った成人同士」が「②お互い同意している」かどうかであり、これはLGBTの議論とはまったく関係ありません。
「教師と教え子」「児童性愛」は、性愛の対象が成人ではない時点で、たとえ「本人の意思」が存在していたとしても、人権の観点からは絶対に認められません。また、近親婚の場合も、おもに生物学的な理由によりNGです。その意味で、これらは「人倫に反する行為」であり、犯罪です。
一方で、「上司と部下」の場合は、本人同士が成人していて、同意しているなら、別に何ら問題はありませんし、同様に、同性愛者同士のカップルも、それが成人同士でお互いの同意があれば問題ありませんが、「片方が嫌がっているのにもう片方が強引に迫っている」ならどちらもセクハラです。
議論することが大切だ!
以上、当ウェブサイトにしては異例ですが、「LGBT」の話題でずいぶんとたくさんの記事を執筆してしまいました。言い換えれば、この話題は多くの人々が関心を持っている論点であり、また、議論したいと思っている、という証拠なのかもしれません。
そして、私自身は「保守評論家」と思われているようですが、そんな私が杉田氏を手厳しく批判したことで「意外感」を持っている方も多いかもしれません。
ただ、言論の世界では、主張の説得力で勝負する必要があります。
普段は変な主張をしている人であっても、ごく稀にまともな主張をするのであれば、その主張については賛同しても構わないと思います。また、普段から賛同できる主張をしている人であっても、おかしなことを主張していれば、勇気を持って批判しなければならないと思います。
私が非常に気になっているのは、「LGBTの話も彼女の論考の文脈を読めば問題がないはずだ」、といった主張が、おもに保守系、あるいはネトウヨ系のウェブサイトで多数、見られることです。こうした考え方の背景にあるのは、おそらく、
「杉田氏は慰安婦問題を追及してきた愛国者だ」
→「だから彼女の発言はすべて正しいはずだ」
→「だから彼女の今回の論考も文脈を読めば問題ないはずだ」
といった思い込みではないかと思うのです。これだと「思考停止」という意味ではサヨク(あるいは「パヨク」)とまったく一緒であり、サヨク・パヨクのことを批判できませんよ?
当然、「思い込みで議論してしまうことがある」という点は、私自身にも当てはまるかもしれません。だからこそ、ウェブ評論をやる以上は、自分自身に対する批判を100%、甘んじて受け入れなければならないのだと考えています。
いずれにせよ、当ウェブサイトはコメント自由です。また、コメント欄を通じた反論、批判、叱咤激励は大歓迎です。
どうかお気軽にコメントを賜りますよう、心よりお願い申し上げたいと思います。
View Comments (13)
< 更新ありがとうございます。
< 町田市議の東氏の行動は、16500円程度の義捐金を渡すのが、メインで、あとは「陽動作戦」ですね。
< 一応帰りの便を調べました。
夜間高速バスなら倉敷発19:50→新宿翌日6:35着
飛行機ならANA岡山20:05→羽田21:25
新幹線なら新倉敷19:37→新大阪21:14→21:23→のぞみ64号品川23:39(いずれも最終便)。
< この中で岡山空港は、アクセスが悪いです。で、却下。
< いずれを使おうと、19時ごろには乗り場に居なければならいです。朝9時前に現地入りしても2か所のリサイクルセンター見学やらが入って、義捐金を渡したりしてたら、ボランティアなど移動を除けば5時間程度でしょう、長くて。
< クソ忙しい局長さんを呼びつけ、手渡すなど非常識です。郵便や振替で十分です。
< 顔を売る、売名パフォーマンス!
以上。
毎日の更新ありがとうございます。
本日の記事とは関係無く誠に恐縮ですが、本日下記ニュースがありましたのでコメントさせていただきます。
日曜朝の名物政治番組「時事放談」が44年歴史に幕
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180731-00285089-nksports-ent
元々は、日曜朝の保守層の名物番組だったのが、今は、倒閣工作員の確認番組になりさがっていましたが、
とうとう終了ですね。 コメント欄見ても、元々の保守視聴者からはとうに愛想つかされているようです。
この現象は最近の文芸春秋にも表れていると思います。 文芸春秋社の社員の方で読者がおられましたら、聞いてください。 私は、30年以上毎月購入愛読しておりました。しかしながら、社長(有田工作員のお友達)が変わって、編集方針が変わってから、違和感を感じて、金を払って不愉快な思いはしたくないので、半年前から、購読をやめてしまいました。 図書館でたまに、読みかけの歴史小説の続きだけ読みます。私と同じく、心の離れた愛読者の方もいっぱいいると思います。発行数が大幅減で偏った読者しかいない雑誌からは広告主も離れます。 日経新聞の定期購読中止はまだ検討中です。読んでいて不愉快になることはないですし、スクープは期待してませんが、日経リーク記事で、企業動向も探れるんで、今しばらく継続予定です。 、
毎日拝読させて頂いております。一点疑問があり、コメントさせて頂きます。
近親婚が生物学的にNGなのは理解できます。子供の遺伝異常のリスクが上昇するためですよね?
では同性婚も子供を作れないという点に関して生物学的にNGなのではないでしょうか?
これはOKであれば近親婚も子供を作らなければよいだけではないでしょうか?(もちろん結婚して子供作るなっていうのは難しいとは思いますが論説的な疑問です。)
ちなみに私は近親婚も同性婚も心情的に同意はできません。
本文を読み返してみたけど、別にブログ主は同性婚に賛成している訳じゃないと思うよ。単に「法的に同性カップルの権利を保証する仕組みを作ったら」って言ってるだけで「同性は結婚してもいい」って言っているようには読めない(俺っちの間違いならごめん)。
要はホモレズがカップルを作ってもホモの米青子を授受したらレズに子供ができるわけだし、別に2人だけで完結する必要はないんじゃないかな?実際ホモの2人とレズの2人が法的な夫婦になって子供を作っていて、それでもカップルは男同士、女同士で、っていう事例なら聞いたことがある。
>これはOKであれば近親婚も子供を作らなければよいだけではないでしょうか?
その点については同意。ブログ主の理屈が正しければ、近親婚でも絶対子供作らないって覚悟があったら認めてやっても良いと思う。(ちなみに俺っちも近親婚と同性婚とロリペドには同情しないけどね。)
毎度楽しく拝見しております。
普段は概ね会計士様の言説に同意なのですが、今回は大筋で賛同できないご意見があり、コメントします。
私は、本質的に、同性婚も近親婚も児童性愛も、両者の合意の上であれば、認められてよいものだと考えています。
近親婚については他の方が言及されているので、児童性愛に触れますと、会計士様は、
>「本人の意思」が存在していたとしても、人権の観点からは絶対に認められません
と仰っていますが、具体的に何がどう人権の問題になるのか、よくわかりません。
これについては、自己責任能力の問題がよく挙げられますが、これを年齢で一様に区切るというのはいささか乱暴であると言わざるを得ません。現状、他に責任能力を図る術がないからしかたなく年齢で区切っている、というのならまだわかりますが、理想論的には、個々を鑑みるべきものだと思います。
児童売春などの性的搾取のリスクを挙げる方もいらっしゃるでしょう。しかし、それは搾取そのものが問題なのであって、その回避のために(自由意思による)成人・未成年間の性愛を禁じるのは、交通事故が多いから車をなくせ、とか、ゲーム脳の論理と同様の論理の飛躍ではないでしょうか。
(なお、誤解を恐れず申し上げるなら、成人・未成年問わず売春行為も、当人の納得の上なら、提供するサービスの品目が異なるだけで、一般のサービス業と本質的には同じだと考えています)
ペドが禁止なのは、少年兵が禁止されるべきなのと同じですな。
未成年者で性的な志向性が決まってない子を好きになるっていう、それを認めろっていう方が乱暴だと思うけどね。
>児童売春などの性的搾取のリスクを挙げる方もいらっしゃるでしょう。しかし、それは搾取そのものが問題なのであって、その回避のために(自由意思による)成人・未成年間の性愛を禁じるのは、交通事故が多いから車をなくせ、とか、ゲーム脳の論理と同様の論理の飛躍ではないでしょうか。
うん。論理が飛躍しているのはあなたの方だと思う。搾取だけが問題なんじゃなくて子供の健全な発達が阻害されることが問題なのだよ。未成年は自由意思があっても酒飲んじゃだめだし、タバコ吸っていいって理屈はない。
今回のロリショタ禁止に関してはブログ主を全面支持だな。
>搾取だけが問題なんじゃなくて子供の健全な発達が阻害されることが問題なのだよ。
>未成年は自由意思があっても酒飲んじゃだめだし、タバコ吸っていいって理屈はない。
ちょっと違うんですよね。「自由意志」って気軽に使われていますが、哲学的には古くて新しい概念で、
こちらなど入門にいいかと思います。
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https://www.genpaku.org/skepticj/freewill.html
聖アウグスチヌスや聖トマス・ アクイナスといった初期のキリスト教哲学者でさえ、乳児や幼児や精神遅滞障害者には調節と理解の能力が欠けていると考えており、自由意志にもとづく行動に必要な形而上学的存在が欠けているとは考えていなかったのだ。乳児や幼児や精神障害者に自由意志が存在とするというのは、明らかにばかげた考えである。伝統的な自由論者は、子供は``動機年齢(the age of reason)'' に達してはじめて自由意志が導入されるのだというだろう。大人としての合理的指向を獲得することのなかった者には、自由意志は導入されないのである。
私たちが抱く概念は、すべて毀誉と褒貶をともに免れることはできない。 人間の責任についてどういう信念を持つかによって、褒めるかけなすかが決まってくるのである。脳の発達が未熟だったり、脳に障害を持っている人、 あるいは神経化学的な疾患を抱えている人は、調節や理解が妨げられている状況では、その思考や行動に責任を持つことはない。人が自身の行動を調節できるというだけでは、人が責任を備えるべき十分条件とは いえない。精神疾患や障害を抱えた人、あるいは子供の場合は、自身の行動そのものを理解できない場合があるのだ。
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ちなみに上記の文章には惜しいことに誤りがあり、
>自由意志にもとづく行動に必要な形而上学的存在が欠けているとは考えていなかったのだ。
は、
>自由意志にもとづ く行動に必要な形而上学的存在が存在するとは考えていなかったのだ。
でないと意味が繋がりません。
哲学的には端的に言えば「自由意志」を未だ持ちえない「人間」未満のものを「子供」というのです。
もちろん、このことは二分法ではなく、過渡期に「自由意志を持とう」という苦闘を行うのが青年であり、「人間未満」な若者って甘酸っぱいですよね(脱線しすぎ)。
コメントありがとうございます。
>未成年者で性的な志向性が決まってない子を好きになるっていう、それを認めろっていう方が乱暴だと思うけどね。
志向性が決まっていないからこそ、子供に対しても選択の機会を増やす方がよいのではないでしょうか。また、大人─子供の関係に限定される理屈も不明瞭です。性的志向性が決まっていないことが問題なら、子供同士であっても(むしろその方が)ダメなのではないでしょうか。
>子供の健全な発達が阻害される
無学で申し訳ないのですが、これは何か統計的または科学的な根拠があるのでしょうか。
また、何を以って“健全”と定義するのでしょう。
アルコールやタバコは確かに薬理学的にある程度実証されていることだとは思いますが。
そもそも私自身は、アルコールやタバコについても、法で規制・禁止するという手段によるべきではないと思ってもいます。勿論、野放図でよい、という話ではなく、健康リスクがあることは周知し、後は親が子供をどう育てるか(厳格に禁止するのか、ある程度は許容するのか、率先して子供に与えるのか)に任せるべきという意見です。
>>子供の健全な発達が阻害される
>無学で申し訳ないのですが、これは何か統計的または科学的な根拠があるのでしょうか。
>また、何を以って“健全”と定義するのでしょう。
>アルコールやタバコは確かに薬理学的にある程度実証されていることだとは思いますが。
http://www.who.int/tobacco/research/youth/health_effects/en/
https://pubs.niaaa.nih.gov/publications/AA67/AA67.htm
https://www.niaaa.nih.gov/news-events/news-releases/early-drinking-linked-higher-lifetime-alcoholism-risk
http://www.pref.toyama.jp/branches/1268/03-seikatsu/alcohol.html
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/14010.pdf
臨床医学研究は、前もって条件を定めて比較する前向きコホート研究というのと、もともといる集団(コホート)を条件で分けて研究する後ろ向きコホート研究という種別に分かれます。
常識的に有害だとわかっている事柄に関しては倫理的に前向きコホート研究はできませんが、引用したサイトの引用文献を見れば、後ろ向きコホート研究で、未成年の酒・タバコの有害さを証明した論文が山ほど出てきます。
健全は健康とほぼ同義ですが、健康はWHOで以下の様に定義されています。
>健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。
病気でない・虚弱でないというのは、概ね正規分布の95パーセンタイルに入ることと考えられています。
タバコや飲酒を習慣化している未成年者が、そうした虚弱さや寿命の短縮などの数字が「有害」であるという文献は山ほど有るので興味があれば、NCBIというサイト
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/?term=alcoholic+young+adult
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/?term=smoking+young+adult
でひっかかる無料の文献を一つ二つ読んでみるのもよいでしょう。
横レスで失礼します。
燃え尽きた医者
2018/08/01 at 01:00
さまの、
>無学で申し訳ないのですが、これは何か統計的または科学的な根拠があるのでしょうか。
>また、何を以って“健全”と定義するのでしょう。
>アルコールやタバコは確かに薬理学的にある程度実証されていることだとは思いますが。
世界中でアルコールやタバコは確かに薬理学的にある程度害がある?
と実証なんてされているのでしょうか?
アルコールについては薬理学的な害は知りませんが、
少なくとも交通事故やケンカなどによる犯罪や被害者は確かにいると思います。
しかしタバコについては、少なくとも私がいくつかの論文を読んだ限りにおいては???です。
理論的に良くまとまっていると思われる、
「タバコの害についての反論」は以下のHPが参考になると思います。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/takemoto/hirayama.html
これを読んで理解するに足る知能をお持ちなら、
なぜ今の”世界中の社会”で、これほど煙草に対する険悪感が持たれるようになったのか・・・
誰がどんな恣意的なマーケティングを数十年に渡って行ってきたのか・・・
政治がそれをどう利用してポピュリズムに走ってきたのか・・・
なんてなことにお気づきになり、世の趨勢にちょっとした疑問を持たれるかと思いますよ。
(まあ、お脳次第ですがね。w)
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さて、本筋における「LGBTは子供を作らない」に対する私の見解はこうです。
「LGBTに限らず、子供を作らない人間」を政治的に救う必要はない。
これの一言で全て解決かと考えています。
スミマセン。
私めは生物学出身なせいか、生命として価値のない人間を価値のある人間がコストを支払って救うなんてナンセンスと思っています。。。
無価値なものにコストを支払うという発想そのものに違和感を感じます。
ダメは放っておけば「神の見えざる手によって自然淘汰される」のではないでしょうか?
まあ、こんな人生観の人は今の日本ではマイノリティでしょうけどね。。。w
引用された「反論のHP」に関しては副流煙に対する一本の論文に対する反論だけですね。
私個人の意見で言えば、副流煙の害自体を証明するのは苦しいと思います。
無さそうだからと言うより、それを証明する研究デザインが難しそうだからという点でですが。
ただ臭いや毒ガス感は非喫煙者の生理的嫌悪を呼ぶことは間違いないでしょう。
非喫煙者が多数になった以上、政治的にマイノリティが迫害されるのは力学的な事柄です。
難しくもなんともない現象ですね。
肺がんの発がん性に関しても、最近の増加はタバコと関係の無い腺がんの増加によるものというのは、事実です。これは肺がんに限らず、現代人・特に日本人の死因としてがんが増えているのは、それ以外の脳疾患・心大血管疾患の予防や治療が格段に進歩し、平均寿命が伸長したために遺伝子の異常によりがんが発生する割合が増えたためと考えられています。
しかし、直接禁煙者の腺がんの罹患率の性差を、喫煙率の差以外に求めるのは苦しいということには、そのHPは口を拭っていますね。
また、これは私が呼吸器関連の専門に近いことでバイアスが掛かっていますが、肺がんで死ぬのは別にいいです。せいぜい二、三年の命です。延命治療を拒否できればさっさと死ねます。
しかしCOPDという病気は、呼吸が苦しくなる病気ではなかなか死ねません。真綿で首を絞められるという表現がまさにぴったり。人によっては20年以上も苦しんで、最終的には常時家でも酸素を吸わないと生きていけない状態になって、苦しみ抜いて死にます。避けられた苦しみなのに。
近藤誠氏を始めとして、「医学の常識」に反旗を翻す芸風の文筆家がよくいますが、彼らの逆張り芸人振りは、統計のチェリーピッキングで成されることがほとんどです。
もちろんそういう人が出てくれば真面目な医学者は反論するのですが、真面目な医学者は世間知らずなので、学会や査読のある学術誌で反論しようとしたりします。いくらそんなところで反論したところで、世間の人の目には触れないのに。
もともとの未成年の喫年やアルコールに関しての論文では、成人にも当てはまる有害性以外に、発達への悪影響、予備能の不足による有害事象の発生率の格段の増大、依存性の発生率が高い、被曝期間の増加による最終的な有害事象発生の確率増加など、別に難しい統計を理解しないでも直感的に正しいであろうということしか言っていませんよ。
言い訳できない状況に追い詰めらているきょうパパです。
炎上って本人の意思と無関係に起きてしまうものだと知り反省しきりです。申し訳ない。
本当は桜井よし子氏の
https://yoshiko-sakurai.jp/2011/02/10/2414
また
長谷川良氏の
http://agora-web.jp/archives/2033994-2.html
あたりが自身の意見に近く、議論の方向としたかった点なのですが···。
立憲民主党は単にアベヤメロの口実として利用しているだけなのは明らかなので聞く耳持たずです。LGBTと左派は分けて考えないと、LGBTの方も不幸にならざるをえません。
左派に利用されず、穏便に確実に進めていく方法を話し合えれば良いなと考えます。それには保守的な考えである伝統、風習を重んじることも理解してもらう。が、時代にそぐわない点は話し合って改める。お互いに認めるところは認め合うという姿勢ではないでしょうか。