コロナ禍で発生した路上飲酒は「日本の文化」なのか?
路上飲みが大々的に日本に発生し始めたのはコロナ禍で種類の提供や飲み屋の営業時間が制限されていたのがきっかけと考えられます。こうしたなか、渋谷区が迷惑路上飲酒ゼロ宣言を行ったところ、テレビ番組に出演した「社会学者」の方が、「路上飲みは日本の文化みたいなもの」、「それを全部、排除というのはちょっと違う気がする」と述べたのだそうです。「路上飲みは日本の文化だ」――。正直、初めて聞きました。
目次
日本に路上飲酒を禁止する法律はない
当ウェブサイトは極力、「自分自身の体験・経験を出発点とする話」や「~という気がする」、「~という印象がある」、といった「主観論」を中心とする話はできるだけやらないように努めているつもりですが、たまにはこの原則から少し外れた話をさせていただきたいと思います。
それが、「路上飲み」と「酔っ払い」です。
このうち「路上飲み」とは、読んで字のごとく、路上(道端)や公園など、「本来、酒を飲むことが想定されていない場所」で飲酒(や喫煙)などに及ぶ行為を指します。また、「酔っ払い」は、しこたま酒を飲んだためか、公道や通勤電車内などでフラフラになっている人のことを指します。
この「路上飲み」と「酔っ払い」、じつは似て非なる論点ではないか、というのが本稿の仮説です。議論の出発点は、ジャーナリストで翻訳家の猪瀬聖氏が約2年前に執筆した、こんな記事です。
「路上飲み」は日本固有の文化?
―――2021/05/01 17:58付 Yahoo!ニュースより
猪瀬氏は開口一番、こう指摘します。
「新型コロナウイルス感染拡大防止のため飲食店での酒類の提供が制限されるなか、路上にたむろして酒を飲む『路上飲み』が問題になっている」。
2年前の5月頃といえば、まだコロナ禍の最中でしたが、記事を読めば当時を思い出すという方も多いでしょう。たしかに、当時は「路上飲み」が問題となっていました。
ただ、猪瀬氏は記事で、こうも指摘しています。
「実は世界に目をやると、路上を含めた公共の場での飲酒を法律で禁止している国は多い。路上飲みをめぐって論争が起きるのは、海外からしばしば『酔っ払いに寛容すぎる』と指摘される日本ならではの現象とも言えそうだ」。
なかなかに、鋭い指摘です。
猪瀬氏によると、「海外から日本を訪れた観光客やビジネスマンが驚くことのひとつ」が、「路上や公園、駅、電車内などの公共の場で缶ビールや日本酒を飲んでいる人を見かけること」としつつ、日本で路上での飲酒が合法であることが外国メディアにも取り上げられたことがあると指摘します。
酔っ払いと路上飲みは似ているが別物
ただ、この2年前の記事を読んで改めて考えるに、日本国内ではたしかに、「酔っ払い」は見かけますが、公共の場で飲酒をしている人は、特殊な事例を除けば、あまり見かけませんでした(※過去形にしているのには理由がありますが、これについては後述します)。
このうち酔っ払いについては、著者自身の経験に照らせば(あるいは多くの人の報告例によれば)、夜の繁華街を少し歩けば、あるいは都会の電車に深夜に乗れば、発見することができるでしょう。酔っ払ってフラフラ歩いている人や大声で叫んでいる人、さらには公共の場でだらしなく寝ている人なども、昔からよく見かけます。
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— 𝕤𝕙𝕚𝕓𝕦𝕪𝕒𝕞𝕖𝕝𝕥𝕕𝕠𝕨𝕟 (@SH1BUYAMELTDOWN) September 3, 2023
これなど、外国人から見れば、「日本は飲酒に寛容な国だ」、と映るようです。
しかし、それと同時にただ、(あくまでも想像ベースですが)これらの人たちは、すでにどこかの居酒屋などでしこたま飲んで帰る途中だったり、あるいは帰れなくなってしまったり、といったパターンではないかと思われるのですが、不思議なことに、彼らが路上でさらに酒を飲んでいるシーンは、あまり見かけません。
先ほども指摘したとおり、「酔っ払い」と「路上飲み」、一見すると「公共の場で酒に酔う」という意味ではよく似ているのですが、「酔っ払い」は日本全国で広範囲に観測される現象である一方、「路上飲み」については、あまり一般的ではなかったのではないでしょうか。
コロナ禍で一般化した路上飲み
祭りなどの際に、山車や神輿などを引きながら大人が飲酒をするシーンなどは、現代社会でもよく見られる風景でしょうが、この場合はそもそも自動車の通行を規制しているケースが多く、また、路上での飲酒が行われる時期も祭りの期間に限られることが一般的でしょう。
また、前世紀あたりだと、「東京六大学」の学生は東京六大学野球の期間、夜間に特定の公園などに集って飲んだりして周囲に迷惑をかけた経験を持つかもしれませんが(※こんな低レベルな行動、さすがに現在はなされていないと信じたいところです)、これもその「六大学野球」の時期に限定されたものです。
さらに、路上に立ち飲み店のようなものが立ち並ぶごく一部の繁華街では、屋外の立ち飲み店で瓶入りのビールなどを買い求め、そのままフラフラと歩きながら飲むという人たちがいるかもしれないこともまた間違いありません。
もちろん、公園や路上、電車などで安酒っぽいものを飲んでいる人はいますが、そういう行動をとる人たちは(まことに失礼ながら)社会の一部の属性に集中しており、ごく普通のサラリーマンが仕事帰りに歩きながら酒を飲む、というケースは一般的ではないように思えます。
(※ただし、『レタスクラブ』というウェブサイトにコロナ禍前の2019年3月5日付で掲載された『「気持ちは分かる!」 仕事の帰り道にお酒を飲んでいる人の意外な理由』によると、「帰宅ラッシュの時間になるとコンビニや路上、電車内でアルコール類を飲んでいるサラリーマンは少なくない」と記載されていますが…)。
ただ、こうした「例外」を別とすれば、想像するに、路上で飲酒をするという習慣は、日本ではあまり一般的でなかったのではないかと思います。つまり、「路上で酒を飲む」という行動と、「酒を飲んで公共の場でフラフラになる」という行動は、似てはいるものの、別のものではないか、という気がしてなりません。
こうしたなかで、渋谷区が先月30日、「迷惑路上飲酒ゼロ宣言」を行ったことが話題となっています。
渋谷路上飲酒ゼロへ 区宣言 区長「文化つくる」
―――2023/08/31 05:00付 読売新聞オンラインより
読売新聞の報道によると、今回の宣言は「深夜の騒音被害やゴミの散乱など悪質な路上飲酒をなくす」という取り組みだそうです。
記事によると、渋谷区の説明では路上飲酒が行われるようになったのはコロナ禍で飲食店の営業時間や酒類提供に制限がかかったことがきっかけであるとされていて、現在でも渋谷センター街などの路上で飲酒する人が日常的に見られるようになり、とりわけ「5類移行」後はその増加が激しいのだとか。
外国人も路上で酒を飲む:「本国では禁止されている」
渋谷区では条例で、ハロウィンや年末の時期などに、渋谷駅周辺での路上飲酒を禁止しているのだそうですが、読売新聞によると今回の取り組みは「地域住民からの苦情なども受け、平時から路上飲酒をなくす街を目指すことにした」ものであるとしています。
個人的には、今回の渋谷区の試みは高く評価できるにせよ、路上飲酒も路上喫煙と同じで、これも本来、地方自治体がではなく国が取り組むべき課題ではないかとも思います。そもそも日本では路上飲みがを禁じる法律がないからです。
ちなみにこれに関連し、こんな記事もあります。
渋谷で急増 外国人観光客らの“路上飲み” スラムダンク“聖地”鎌倉でも通報が急増 「オーバーツーリズム」への対応は?
―――2023.09.01 20:33付 よみうりテレビより
『日テレNEWS』などの報道によると、渋谷などの路上飲みは外国人なども積極的に行っているようであり、記事では渋谷区の今年6月の渋谷センター街における調査で、「外国人とみられる人の路上飲酒は日本人の約2倍にのぼる」、などと指摘されています。
まさに、オーバーツーリズムの弊害であり、観光公害そのものでしょう。
社会学者「路上飲みは日本の文化」
ただ、それよりも驚いたのは、この渋谷区の取り組みに対する、テレビのこんな反応です。
古市憲寿氏 渋谷区“迷惑路上飲酒ゼロ宣言”に「路上飲みは日本の文化…それを全部、排除というのは違う」
―――2023/09/04 12:04付 Yahoo!ニュースより【スポニチアネックス配信】
スポニチアネックスの記事によると、フジテレビの情報番組『めざまし8(エイト)』で4日、「社会学者」の方が「路上飲みは日本の文化みたいなもの」としたうえで、渋谷区の「迷惑路上飲酒ゼロ宣言」を「それを全部排除というのはちょっと違う気がします」と述べたのだそうです。
「路上飲みが日本の文化」、初めて聞きました。
先ほども指摘したとおり、特殊な事例では路上飲みをするという人がいることは間違いなく、また、それが白眼視されているフシもあるのですが、それを「日本の文化だ」などといわれても、ちょっと驚いてしまいますし、正直、こんな発言を放送するからテレビが廃れるのではないか、という気がしてなりません。
報道記事によれば、繁華街を抱える渋谷区で路上飲酒が問題になっている理由は、ゴミの問題点や深夜の騒音などであるとされますが、当然のことながら、歩行者が酔っ払って車道に飛び出す危険性も上昇しますし、酔っ払い同士のケンカの可能性だってあります。治安も悪化します。
この出演者の方が「社会学者」と名乗っておられるのだとしておも、いったい何を研究なさっているのか、よくわかりません。
いずれにせよ、路上飲酒や路上喫煙などの行動は、それ自体がたんに迷惑というだけでなく、危険でもあります。路上飲酒は騒音やごみの散乱に加え、治安の悪化や交通事故の増大などのリスクが、路上喫煙には副流煙の問題に加えて通行人が火傷を負うリスクなどが、それぞれ高まるのです。
いずれにせよ、たった2~3年で発生した路上飲酒という習慣(しかも本国で禁止されている外国人などがもたらした者)が「日本の文化」だとも思えませんし、百歩譲って仮にそれが「日本の文化」になろうとしているのだとしても、そんな文化は根絶した方が良いではないでしょうか?
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
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お花見で酒を飲んで騒ぐのは日本の文化ですかね
日本はアルコールにゆるすぎる
アルコールは毒物です
古市は,研究活動をしていないので,社会学者ではなく電波芸者と名乗ってほしい。
古市に限らず日本の社会学者のほぼ全員が学術的と認められるレベルの研究なんてしていませんよ.
何しろ日本の社会学界隈では学術論文は書かないのが常識だとされていますから.
率直に言って日本において,社会学者と自称している連中に科研費どころか大学のポストなんて与える必要は皆無です.その分を理系(つまり理工医歯薬農学部系)で地道に研究しているポスドクたちが安心して研究に専念出来るようにするための安定したポストを増やし,科研費もそちらに与えれば宜しい.
中学の理科レベルの基本知識さえ知らずにテレビや雑誌・新聞・与太本で好き勝手なデタラメを述べ捨て社会に害悪を垂れ流して風評被害などを引き起こしている宮台や古市ら自称社会学者は,電波芸者でも雑誌や新聞などへの売文業でもやって好き勝手に暮らせば良いのであって,こいつらに税金から給料(国公立大の教員は言うまでもなく私大の教員も私学助成金から大半が出ている)や研究費を与える必要はゼロです.
日本の政治は、様々な思惑で、与党も野党もこぞって外国人を我が国に定着させようと躍起になっています。
我が国の文化、伝統を尊重する人だけが来るのであればいいのですが、川口のように自分らのルールを持ち込むような者が、日本と自国の都合の良い部分だけを利用するようになれば、日本人だから成り立っていたものなどあっという間に破壊されてしまうことでしょう。
日本が屋外での飲酒に寛容なのは、日本人が民度が高く、禁止しなくても問題を起こさないというのもあるでしょうが、そもそも日本人がアルコールに弱く、酩酊するほど飲める人が少ないので、問題が発生し辛いのも要因でしょう。
そうした日本人の特性で成り立っていた状態は、外国人を受け入れることによって維持できなくなっていくのではないでしょうか。
路上飲みはいいんだが、かつてはオレも運転免許を所持していた。残念ながら脳出血で倒れてからは、運転が許されていない。酒を飲むと酩酊状態になり、要らぬ交通事故を引き起こす。どんな状況でも運転手には前方不注意や側方不注意、後方不注意が課せられてしまう。オレの住む小田原では、バスの運転手が定年前でバスの死角から横切った歩行者が曳かれてしまった。歩道橋も横断歩道もない普通なら飛び出しはないだろう場所での事故で逮捕されたのだ。当時話題にはなったな。会社が補償したのか、状況酌量されたかはわからないが、気の毒な事故だったなぁ。退職金だって貰えたかどうか?今運転はできないけど、人様を死なせたり、傷つけないリスクがないとあきらめてはいる。
私自身はアルコールを一切飲まないので、コメントし辛いですが……
なんでわざわざ外で飲むのか?がとても疑問です。
家に帰るまで待てないのだろうか?家に帰りたくない事情がある?
それとも酔った状態でブラブラしたい?
う~ん、酒飲みじゃないとわからないのかな、この気持ちは。
深夜電車にのると、ビールだか発砲酒のカンが捨てられてて、電車の動きにあわせて、カラカラとあちこちに転げ回ってたりしてました♪
お酒を飲む人の大半は節度を持って楽しんでると思うけど、ポイ捨てとか、大声で騒いでたり、関係ない人に絡んでたりするのをみると、酔って公共の場に出ること自体を禁止して欲しいと思うこともあるのです♪
社会学者…
思いつきで仕事になり金になる気楽な商売
嘘まるけ
東大以外では歯牙にもかからない教養学士を他大学の学士にする時に往々にして用いられる社会学士
クイズ学士や大喜利学士と大差無し
進路としてマナー講師や文化人になる者多数
>路上飲酒は日本の文化
勝手に記憶を書き替えないでほしい。花見やBBQで飲むことはあったが、路上は普通しない。
マスクはコロナ以前からのエチケットとか言ってた奴もいたような。
例えば、どこぞの銃社会国家では所持者が泥酔した際は即危険物に早変わりですし、屋外が極寒でウォッカを飲んで凍死するような国もありますし、そもそも飲酒が禁忌な国も。日本ではそれらのリスクや障壁が少ないというのはあるでしょう。その違いを持って日本では路上飲酒が比較的容易とは言えるかもしれませんが……
「社会学者って名乗る輩がロクなこと言わない」のは日本文化かもしれませんね。
あ、そういえば地元の酒蔵らでは「飲み歩き」イベントをやっていました。徒歩圏の近隣の酒蔵数件や飲み屋で提携し、手軽な料金でそれぞれの飲み比べや一品料理を楽しめるというもの。
……つまりこういったイベントは「根付いた文化ではなく非日常的で特別な提案」として開催されたわけです。性質上危険が予想されるので、安全面に様々な対処をしながら。
「日本の文化」ですかねぇこれ……
「路上呑みは日本の文化」とは初めて聞きました。お花見シーズンには路上にまでゴザ(今時はブルーシート)を広げて呑めや歌えの宴会をやる方々は見かけますが、普段の日常生活において路上で酒を呑むのはあまり見たことがありません。自称社会学者さんはハレの日の宴会か何かと混同しているのではないでしょうか。
まあ、路上飲みが文化かと聞かれれば、違うと答えますね。
サラリーマン時代(コロナ前)は東京と神奈川を結ぶ鉄道で通勤していて、グリーン車以外では酒飲んでるのは見ませんでした。いや、平日夕刻以降のグリーン車では乗客の1割弱くらいは飲んでましたよ。(笑)
自分では確認したわけではないですが「常磐線は普通車がすごい」と、その線の通勤者の話を聞いたことはあります。
ところで、社会学者つながり。
最近また自称社会学者の宮台真司氏が「トリチウムの生物濃縮」で話題ですが、在野の有識者と思われる人に優しく指摘されるツイートを見かけましたので紹介します。連ツイです。
落ち武者狩りで手練れに出会ってしまった?
ツイッター(死語)ってのは彼らにとっては、今までと違って使いづらいツールなんでしょうね。
常磐線は、今でもそうなんですか。
昔、筑波にある大学の修士にいってたころの話です。
上野発の終電にのると宴会状態だと先生から聞きました。酒をすすめられたそうです。一度、終電にのったところ、本当でした。
今は、大丈夫だと思いますが、車内が酒臭いというかお摘みのにおいが、昼間でも気になったほどです。
70年代末の昔話でした。
今はどうかはわかりませんが、私が聞いたのは2010年代ですね。
宴会状態ってほどではなかったようですが、帰りの電車で飲んでる人は結構いるってのは聞きました。
「常磐線はねぇ、」という言い回しでした。
風評加害?(笑)
そもそも、日本社会では食べ歩きは “はしたない” “行儀悪い” 行為と叱られ、躾けられてきました。それがいつの間か当たり前の光景になっています。(一説によると、食べ歩きは “マクド“ の進出が縁起となったとか?)
この社会学者さんはこのような光景から、「路上飲酒は日本文化」と勘違いされたのかもしれません。親の躾が想像される若者(青二才とも言う)の知ったかぶり発言と思います。
それにしても、飲み物片手の人や食べ歩きの人には、衣服を汚れないかハラハラします。屋台があるお祭りの場と一般人が行き交う場の区別が曖昧になっているようです。ハレの場と日常の区別があるところこそ、日本文化と言えるのではないでしょうか。
本稿で感心したことは、サイト主様が、「酔っ払い」と「路上のみ」を識別して、論考されていることです。ここは、流石と思いました。
まあ、こういう所をきちんと精緻に分けて考察されるから、あるレベル以上の読者にも読み応えのあるサイトになっていると思うのですが。
尚、こんな内容のコメントを書くと、サイト主の親衛隊だ、などという空想の存在の「言葉」を持ち出して来て揶揄する方々がおられるようなので、オチオチ肯定的な感想も素直に書けないのか?と心が休まりません。
それはさておき、先ず、飲食とは何か?を自分に問いかけてみれば、やはり、飲食という行為に必要なものは、食べるものと飲むもの、だけではないことは、誰でも直ぐに気が付くことだと思います。
つまり、何を飲食するか、と共に飲食するシチュエーション・環境が重要な要素ですね。
どこで食べるのか?いろんな場所がありますね。家・公園(一般的に飲食が許されている所)・居酒屋・食堂・レストラン(ピンからキリまで)等々。
誰と食べるのか?一人で食べるのか?これも、いろんなシチュエーションがありますね。
一人で食べるのでさえ、いろいろなシチュエーションがあります。
どういう目的で食べるのか?毎日の食事なのか?仲間との気軽な歓談なのか?何かのお祝いなのか?
こうやって見て来ると、飲食とは、単に命を維持する為に、とにかく空腹や喉の渇きを満たす、ということだけが目的ではありません。
つまり、飲食をする、食べ物や飲み物と共に、そのシチュエーションと環境を含めたものが、「食事の文化」です。
さてここで、飲食する時に、路上で飲食するという文化が、古来より、普通の生活の中にあったでしょうか?
先ず、あり得ないですね。どういう記憶を辿っても、そんな文化は無いですし、路上で飲食するという殆どあり得ない状況を頭の中で探しまくってみても、無頼の徒が辺りを気にかけることも無く路上で騒いでいる図、を思い浮かべる位のものですが、こんな図も、先ず日常では、見掛けることの無いシチュエーションですから、まあ、時代劇映画の中で、そんな場面を描く監督がいたのかもしれません。
ですから、少しまともに頭の中を探ってみれば、路上飲みが文化などというシチュエーションは、日本の食事文化の中にはありません。また、世界のどの国を探してみても、そんな文化のある国は無いでしょう。
この社会学者と名乗る御仁は、こんな簡単なことも思い浮かべられなかったのでしょうか?
社会学者とは、思いつくまま何を言っても良いと、自分で決めつけている人種のようですね。
さより様は、お祭りの縁日、出店を楽しまれたことが無いのでしょうか?。
お祭りとは、豊作を祝う、信仰する道祖神に感謝するなど、世界各国で行われる「文化」であり、踊る、歌う、飲む、食べるなどが行われます。飲酒も神に近づくための飲物として神殿で酒を飲む「文化」も世界中では珍しいありません。路上呑みも、お祭りという御祝い事の一環、非日常の特例として行われている「文化」と思います。
(国が違ってもアルコールを摂取する文化が共通なのは、人類の遺伝子の記憶かもしれません。)
当の社会学者様は、お祭り文化は日本中で行われ、数多く行われることから「路上呑みは日本固有の文化である」と誤解なさったと考えます。
社会学者を名乗るなら、お祭り文化に深い知見をお持ちのはずなのに。あまりにも知見が有りすぎて、今回のような誤解をなさったのか?。
祭りというシチュエーションで見られるかも知れない風景・風物詩の一つですね。文化と言えるものではありません。
食事文化は、シチュエーションの中にあると書きました。
そして、様々な食事文化のシチュエーションに考えを巡らせてみても、渋谷区で現出しているような、祭りでも無い時の一般道路(祭りが行われている神社の近辺の路地では無い)で行うようなものは、日本の食事文化の中には無かったな、と。
時代劇映画の設定であったかも知れない無頼の徒が騒ぐような絵は、やはり、無頼の徒がやるもので、一般の常識人はやることはありませんでしたね、と。
つまり、祭りでも無い時にしかも神社の近辺でも無い所での路上飲食の文化はありません。
敢えて、映画の絵を持ち出して、文化だと強弁するならば、それは、日本人が無頼の徒だと言うに等しいことになりますね。
あの社会学者なる人物は、とんでも無い事を言っているのです。
文章分かりづらいかも知れませんが、文意読み取って頂ければ幸いです。
土地家屋調査士さんは
ハレ(非日常)とケ(日常)のことをいっている
さより 様
返信の旨、承知いたしました。
さより様と議論しても言い負かされることしか想像できませんので。
土地家屋調査士様
土地家屋調査士様の視点や考察の縦掘り・横掘りの深さ・広さ・自在さには、議論の前に、言葉が出て参りません。ただただ、感心して拝読させて頂いている事が多いです。
飲みに限ってみると、お祭のときは「路上飲み」というより「屋外飲み」って感じでしょうか。
屋外に路上も含まれるでしょうが、敢えて路上を選んで飲むわけではないですし。
「屋外飲み」という言葉ですね!
これで、花見なんかは、説明出来ますね。
やはり、「路上飲み」は、今までの日本には無い事ですね。
パンを咥えた少女「わー遅刻遅刻~」
曲がり角でドーン
男子転校生「気をつけろよ!」
少女「何よアイツ!でもちょっと顔はカッコよかったかな」
教室
担任「えー今日からクラスの仲間が増えます、少女ちゃんの隣の席に」
男子転校生「よろしくお願いします」
少女+転校生「あ……お前!!」
っていうテンプレがあるくらいには文化かなと思い直しました。ちなみに私は遭遇したことはありませんし大人ver.で酒になっているパターンも存じません。
おはようございます。
会計士様は、路上喫煙に対しては、普段の鋭い舌鋒の十割増しで路上喫煙者に対する「ごく軽い処分」として、死刑や無期懲役が相当、と論じられていたと記憶しておりましたけど、路上飲酒に関しては「根絶すべき」とずいぶんトーンダウンされるのは、会計士様の嗜好のせいでしょうか?。
「飲酒は根絶すべき」という持論を持った当方の意見なら、路上飲酒は即逮捕、非飲酒者への名誉を損ねる発言は傷害罪、暴行は殺人未遂罪が相当と考えます。
また、飲酒が原因の公共の場所での嘔吐などは刑法違反であり即逮捕。吐瀉物の清掃費用として十万円程度を罰金とするのは当然かと。
タクシー乗務員は、暴言や暴行の怖れがあるので、飲酒を理由に乗車拒否をしても、それは当然の権利であり、一切の不利益を受けない。
泥酔状態になり、警察官に保護された場合は一週間は保護施設で反省して頂き、一泊十万円は徴収すべきかと。
(これは、警察ドキュメンタリーを視聴する度に、実際はどうなるのか?、非常に興味があります。)
路上飲酒を誘発しかねない、飲酒状態、状況を表示するCMの放映、掲示は全て禁止。
暴論を述べてきましたが、個人の趣味、嗜好、体質等々で路上喫煙、飲酒に対する印象は変わります。
どちらも批判され、誉められる行動ではありませんので、喫煙も飲酒も社会に迷惑をかけないように楽しむのが、成人としてのマナーと考えます。
ほぼ同意見
タバコはダメでアルコールはOKって w
わんわん 様
返信ありがとうございます。
同士が居るとは心強いです。
飲酒で一番、理不尽と感じるのが飲み会です。
会費払って、飲酒した方の御説教や御高説を拝聴するのは苦痛でしかありません。
しまいには、ハンドルキーパーまで無償でさせられるのって。
新型コロナでの自粛の頃はありがたかったですが、最近、お誘いが復活しつつあります。
「万が一でも感染すると困りますので。」
と断っておりますが。
日本国のコミュニケーション手段が飲み会って、そろそろ考え方を改める時期では?、と思います。
普段ほとんど酒を飲まない喫煙者です。そして、酒を飲まない最大の理由は、酔っ払いが大嫌いであり、自分が酔っ払いになることも許せないからですね。
正直なところ、酒の味が決して嫌いというわけでもないですし、宴席などでは最初の一杯くらいは飲みますが、酔っぱらう二歩半くらい手前で止めてしまいます、おかげで、元々たいして強くないのがますます弱くなり、おそらく今では二合も飲んだら潰れちゃうでしょう。
ま、それはともかく、かねてから非常に不満があったのが、日本ではなにかにつけ「酒の上でのことだから」と大目に見る傾向があったことです。最近の事情は知りませんが、少なくとも昔は、刑事事件の裁判でも、酩酊状態を理由に減刑するなんてことが珍しくなかったと記憶しています。つまり、「被告は酩酊状態にあり、正常な判断力が失われていたので、完全な刑事責任は問えない」というやつです。
そんなバカな、と昔も今も思います。無理やり飲まされたということでもなければ、要するに自分の意思で酒を飲み、自ら判断力(と理性)を投げ捨てたような輩に、情状酌量の余地なんてあってたまるもんか、と強く思います。むしろ酩酊状態での犯罪は、刑を二倍にすべきだとすら思います。
もとい、路上飲酒のお話でしたね。
そもそも路上飲酒が法的に規制されてないという時点で、路上飲酒が日本文化には存在しないことがわかります。もしも路上飲酒が日本の文化なり社会規範の一部であったとするならば、禁止はともかくなんらかの規制は行われていたでしょう。何しろ、立小便ですら軽犯罪法によって禁止されているのですから。
古市氏も「路上飲酒は日本文化の一つだ」と主張するのであれば、せめて実例を示すべきでしょう。全く説明もなく突拍子もないことを言っても、バ〇扱いされるだけです。
龍 様
返信ありがとうございます。
全く、御意見の通りと思います。
当方も喫煙者ですので、非喫煙者の方のバッシングでも謹んでお受けするべきと考えております。
大体、週に1箱ですので、周りからは「直ぐに禁煙できるでしょう?。」と言われますが、仕事納めの一服は、疲れた脳みそを労わる最高の一服なのです。
とはいえ、タバコの価格も喫煙を始めた頃の3倍近くとなり、禁煙を考えておりますが、禁煙補助剤は体質に合いません。
来年度以降、防衛費増額に伴い、タバコ税の増税が決まりそうですので、それまでには禁煙したい所存です。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/269756
自分は十数年前に禁煙しました。
当時、トモーズ雅さんの帯が着いた「禁煙セラピー」と言う本を読んでやめました。
読んだ人のほとんどが辞められるようです。
自分もやめましたが、心づもりとしては、人生の内タバコを吸っていない時間を吸っている時間より長くして死のうと考えてます。死ぬ前には一服するかもしれませんが、今は吸わないと考えてます。
必要なときは試しても良いと思います。
三門建介 様
返信ありがとうございます。
禁煙に行き詰まったら、是非、頼りにさせて頂きます。
御教示に感謝します。
私は防衛費増額を支持します。そして、その財源に充てるべく増税を行うという点についても、致し方ないと考えます。ただ、釈然としないのは、またぞろタバコ税がターゲットにされたことです。
国防はすべての国民に資するものなので、その費用については、すべての国民が負担するというのが筋というものでしょう。嗜好品に対する税率を上げるにしても、ことさらタバコだけをやり玉に挙げるのは、課税の公平という観点からしても、著しく不公平であると思います。嗜好品に対する課税強化というのであれば、タバコ税同様に酒税も引き上げるべきでしょう。
そうでなくとも、すでにタバコ税の一部は旧国鉄の借金返済に使われています。今後はその上さらに戦車代か戦闘機代の一部も負担することになるわけです。いかに「税金は取りやすいところから取る」とは言え、日本国も、そして日本国民も喫煙者に甘え過ぎなのではないでしょうか。
(以下、読まれていろいろ感想があると思いますが、あくまで、私的な見方であることを初めにお断りしておきます。)
30数年前に、5年間程吸っていたのをきっぱり止めました。それ以来、タバコの煙大嫌いになりました。何故、止められたかはここには書きません。周りで止めたいけれど止められないという人から、どうして止められたの?と聞かれた時に、その方法を懸命に話しても決して実行しないので、話すのを止めました。懸命に教えるだけ無駄だと思ったからです。何故なら、本気で止める気が無いのに、聞いて来るだけだからです。
要は、自分自身の気持ちの中では止める気が無いので、方法だけを聞いてもやる気が起こらないようだからです。
ここからは(特に私見)です。ーこういう人達は、タバコの吸い方も中途半端なのです。真剣にタバコを吸っていないのです。何気な~く、惰性でタバコを吸っているだけなのです。だから、止めるのにも真剣になれないのですー(特に私見)終わり。
周りでもタバコを吸わない人で、以前タバコを吸っていたと聞いてびっくりする人達がいます。とてもタバコを吸っていたと全く思えない人達ですから。
そういう人が止めたきっかけは、昇進したからというものでした。課長になったから、社長になったから、という人達です。
ここには、覚悟があります。そういう人達に、タバコ止めるのは大変だってでしょう?と聞くと、いや別にそんなことは無かったよ、と言います。
何故なら、こういう人達は、止めると決めた時には、もう止めたと同じになっているのです。止めると決める=止めたと同じ、という覚悟があるからです。
これは、役職者の仕事と同じです。役職者の仕事は決定するということです。決定するには、いつも覚悟が背景にあります。役職者の仕事である決定という行為は、タバコ止める決定=覚悟、と心理的には同じことだからです。
周りでも、タバコを吸っている人かどうかは初対面の人でも大方、雰囲気で分かります。
どういう雰囲気か?それは、今まで書いてきたことの中に既に答えがあります。
西洋の諺には愚かな国民の上には苛(から)い政府があると諭吉さんが言っていました。
地方議会は国民を縛るつまらない条例をつくる暇があるなら物見遊山の海外出張を禁止する条例を制定する方が先ではないかと思いました。
「日本は飲酒に寛容な国だ」という言い方の中に飲酒=悪徳、害という考え方が潜んでいる。
江戸時代にそのような考え方はなく人々は昼間でも酒を飲んでいたというのを読んだことがある。そもそも酒なんかいつ飲もうが、どこで飲もうが人の勝手だ。
そういえば「ひるべろ~」という本を本屋で見かけた。「ひるべろ」とは「昼間からべろべろ」の略。そのような店を特集している。もうひとつ「せんべろ~」という本も続編で出ている。
こちらは「1000円あればべろべろになるまで飲める」の略。どんな酒出してんのかね?
>こちらは「1000円あればべろべろになるまで飲める」の略。どんな酒出してんのかね?
メチルアルコールとかじゃね?
かつて路上観察学会(?)なる集団(?)組織(?)がありましたが、あちらの方がよほど真面目に路上なるものを観察していたような気がします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%AF%E4%B8%8A%E8%A6%B3%E5%AF%9F%E5%AD%A6%E4%BC%9A
少なくとも、M台やF市のような、ボクのおつむの中で捏ねくりかえした社会やら、ボクだけが知ってるその場の思いつきで考えた文化やらを、したり顔でTV電波に垂れ流すようなことせず、フィールドワークをベースにした「学会」でしたからね。
スマホからの書き込みなので、ダラダラ書きます。
猪瀬さんの日本の文化との話は、東京ではバブル以降ほぼ無くなった屋台文化を言ってませんか?
蕎麦の屋台は江戸時代から太平洋戦争前までは、あったようです。お酒の販売は専売でしたが飲食店での提供の場合問題ないので酒の提供もあったと見て良いと思います。
また、昭和の昔のドラマなどでありますが、おでんの屋台で枡にガラスのコップをおいてガラスのコップからこぼれて枡いっぱいに提供する。といったシーンがあります。屋台だけでは場所がなく、周りにテーブルと椅子を並べて提供したようです。
「今は無いじゃないか」との声がありそうですが、博多などではまだまだ現役で、観光資源でもあります。
地方によっては日本酒の量り売りをしていて店の中だけでなく、持ち帰っている時に飲んでしまう場合もあるようです。(我慢してほしいですね)
都内でも一部で歩行者天国などで路上にテーブルと椅子を並べて飲食のスペースにしている場合も出てませんか?かつての歩行者天国で行われていたものが復活しているだけだと思います。
昔から路上や公共のスペースでの飲酒はあったと言えますね。博多などでは文化ですね。
規制をするにしても難しいと思いますよ。
お粗末様でした。
最近問題になっているのは路上で飲むこと自体ではなく群れることではないかと思いますね。気が大きくなって暴れる集団、これは排除されるべき。