ネット出現で情報はフローから「ストック」に変わった
官僚も、オールドメディアも、一部の政治家も、情報をそろそろアップデートしてください。インターネットが出現したことで、オールドメディアが情報を独占していた時代は終わりを告げ、なにより情報が「フロー」から「ストック」の時代に変わったのです。オールドメディアが「首相にふさわしい」とやたらともてはやす人物を巡っても、ネット空間にはデジタルタトゥーがやたらと残っていたりもします。そして私たち国民はネットの助けも得つつ、選挙のたびに質の低い政治家を落としていくべきなのです。
目次
質の低いメディア報道
ウェブサイト運営上の留意点
先般から申し上げている通り、当ウェブサイトは2016年7月に運営を開始し、今年で9年目を迎えました。
もし来年7月まで当ウェブサイトが残っていれば、10年目を迎えることになりそうです。
個人が運営しているウェブサイトがこれほども長く継続するというのも何だか意外です。
ですが、著者自身としては、当ウェブサイトを運営するにあたり、可能な限り、次のような点に留意してきたこともまた事実です。
- 主観的意見と客観的事実は明確に分けること
- 客観的事実かどうかわからない事項にはできるだけ「事実かどうかはまだわからない」という注記を打つこと
- 主観的意見に及ぶ部分には可能な限り論拠を述べること
- 外部情報を引用する場合には(訴訟リスク等がない限りは)可能な限り正確な引用元を明記すること
- 法律や政令、省令を引用する場合には、可能な限りその正式名称を明記すること
…。
諸般の事情もあり、これらのなかには必ずしも十分に実践できていると言い難い項目もありますが、それでも可能な限り頑張ってこれらのことを実践しようと努めている次第です(※ただし、情報源を当ウェブサイトで明示しないこともありますが、それは意図的なものです)。
オールドメディアの報道の不正確さ
さて、それはともかくとして、自分自身がウェブ評論活動を行うようになって、改めて強く意識することがあるとしたら、新聞、テレビなど昔から存在するメディア(マスメディア、レガシーメディア、あるいはオールドメディア)の報道の不十分さです。
いや、オールドメディアの報道は「不十分」というよりも、たいていの場合、「不正確」です。
- 主観的意見と客観的事実を混同すること
- 客観的事実かどうかわからない事項も確定事実であるかのように報じること
- 記事執筆者の主観的意見に及ぶ部分には論拠がないことが多いこと
- 外部情報を引用する場合も「ネット番組」「ネットメディア」などボカしていること
- 法律や政令、省令を引用する場合、その正式名称が書かれていないこと
…。
たとえば、オールドメディアの報道を眺めていると、しばしば出てくるのが記事執筆者の勝手な見解を付け加えたような記事です。わかりやすいものとして、次のような文章があります。
「石破茂首相は辞任する意向を表明した。自民党内外からの圧力に耐えられなかった格好だ」。
この記述、客観的事実と主観的意見が混じっていることがご確認いただけると思います。
「石破首相が辞めると言った」、は、外部情報ソースでも確認可能な、疑いのない客観的事実です(たとえば当ウェブサイトでも『石破首相が辞任意向か=一部速報』や『石破政権の「最大の功績」とは?』などで取り上げています)。
しかし、石破首相が辞めると表明するに至った背景については、さまざまな要因が考えられます。
一時は衆院解散をしてでも居座ろうとした石破首相がなぜ、9月7日になって突然辞めると言い出したのかを巡っては、「各都道府県連や国会議員らの過半数が臨時総裁選を求めることが確実になったからだ」、「いや、菅義偉総理らの説得がうまく行ったからだ」、など、論者によりさまざまな説があり得るところです。
それを客観的事実と混ぜて書くことで、あたかも記事執筆者の見解が「客観的事実」であるかのように見えてしまうのです。これが日本のメディアの大変大きな問題点でしょう。
情報源を書け、リンクを張れ、正式名称を書け
オールドメディア報道でほかにも気になる点があるとしたら、情報源が明示されていないことが多い、というものでしょう。
最近だとネット番組もずいぶんと増えてきて、有力政治家などがネット番組に呼ばれることも多いのですが、こうしたネット番組で政治家が発言した内容を、オールドメディアがこう伝えたりします。
「A衆議院議員は昨夜配信されたネット番組で、『XXX』と発言した」。
これは、本当に困ります。
この「A衆議院議員」が有力議員だったとして、本当にそう発言したのか、正確な発言はどうだったのかを確認しようと思っても、「昨日配信されたネット番組で」としか書かれていないため、まずは「A衆議院議員が出演した昨日配信されたネット番組」とやらを探さなければなりません。
同じように、「政府が提出した法案によると…」、「詳細は政令に盛り込む予定だ」、「関係省庁によると…」、といった具合に、「法案の正式名称が書かれていない」、「政令の正式名称が書かれていない」、「関係省庁がどこなのかの情報がない」、といった不備は、日常茶飯事です。
その文脈でいえば、オールドメディアの報道の不正確さは、とりわけ専門的な分野において顕著ではないでしょうか。
著者自身も仕事柄、官庁や国際機関(国際決済銀行や国際通貨基金など)、基準設定主体(企業会計基準委員会や国際会計基準審議会など)のウェブサイトをよく訪れるのですが、メディア報道で「寝耳に水」の情報に接し、慌ててこれらのウェブサイトをチェックする、といったことも頻繁にあります。
ただ、たいていの場合、これらのオールドメディアによる報道は内容自体が不正確で、専門サイトでチェックしたら誤りが判明する、といったケースが多々あります。とりわけ金融、経済、会計などに関していえば、オールドメディア報道に全幅の信頼を置くことは難しいのが実情です。
メディア記者の専門性が低いからなのか、記者クラブでの「答え合わせ」に慣れ切って役所などの発表をそのまま記事にすることが多いからなのかは知りません。いずれにせよ正直、オールドメディア記事を読むよりも、官庁、国際機関、基準設定主体などの発表をそのまま読んだ方が、結果的には速くて正確・確実です。
結局は「情報の透明性が低い」ということ
こうしたオールドメディアの報道、言い換えれば、「情報の透明性が低い」ということでもあります。
つまり、多くの場合はその記事を検証するためのカギとなる情報(たとえば法令の正式名称、外部ウェブサイトの正確な名称や外部リンクURLなど)が記載されておらず、したがって、その話題について調べようと思えば、別途、読者や視聴者が自分自身でキーワードを入力して検索しなければならないのです。
いずれにせよ、当ウェブサイトのスタンスは、オールドメディアの報道では不十分な「情報の透明性」を確保しようとする試みでもあり、その意味では、オールドメディア報道に対する一種のアンチテーゼだったりもするのです。
そして、近年ではオールドメディアが視聴者数の減少・読者の減少・部数の減少に直面しているとする話題はよく目にしますが、著者に言わせれば、これもオールドメディアが自分で招いた事態ではないかと考えています。
オールドメディアは最近、しきりに「テレビ離れ」「新聞離れ」を嘆きますが、そもそもなぜ読者・視聴者が離れているのかといえば、報道自体が不正確でクオリティが低いからです。
ネット以前とネット以降
テレビは1台、新聞は1紙の時代
ではなぜ報道の質が低いことが最近になって注目されるようになったのでしょうか?
その最も大きな要因としては、やはりSNSを含めたネットの社会的影響力が高まっていることを挙げざるを得ません。
インターネットが出現する以前の社会は、情報のヨコ比較が難しかったのです。たいていの場合、一家に1台テレビがあって、自宅には1紙、新聞が配られていたのではないかと思いますが、テレビを複数持っていたり、複数の新聞を購読したりしている家庭は少数派だったと考えられるからです。
もちろん、テレビが2台、3台と設置されている家庭もあったかもしれませんし(たとえばリビングに大きなテレビ、子ども部屋に小さなテレビ、など)、また、新聞を2紙以上購読している家庭もあったかもしれません。
たとえば一般紙(朝日や読売など)と日経を取っている、一般紙とスポーツ紙を取っている、全国紙と地方紙を一紙ずつ取っている、といった家庭は、それなりに存在していましたし、ジャーナリストや証券会社のアナリストなどの場合は主要紙をすべて購読しているというケースもあったかもしれません。
ただ、テレビを複数設置している家庭というのはかなり少なかったでしょうし、主要紙をすべて購読しているというケースも同様にかなり限られていたはずです。多くの家庭は経済的事情から、テレビは1台、新聞は1紙で、必然的に情報チャネルが限られていたのです。
複数の情報を得ることができない&時系列検索ができない
同じ事件・事故の報道でも、報じる新聞によってずいぶんと内容が異なるのだとしても、1紙しか購読していなければ他紙との報道ぶりの違いに気づくことは滅多にありませんし、同様に、テレビが1台しかなければ、同じ時間の報道番組を並べて視聴することも難しかったはずです。
さらには、新聞にしろテレビにしろ、情報は「フロー」でした。時系列比較ができなかったのです。
新聞は大きく嵩張るため、たいていの家庭は1ヵ月分しか新聞を残しておらず、一定の頻度で廃品回収などに出していたでしょうし、テレビも(1980年代ごろからビデオデッキが一般家庭に普及し始めたとはいえ)報道番組をビデオカセットに撮り溜めるという人はそんなに多くなかったのではないでしょうか。
つまり、インターネットが出現する以前であれば、情報を「タテ軸」と「ヨコ軸」で横断的に眺めることが難しかったのです。ここで「ヨコ軸」とは「同じ事件を同じ時点で他社がどう報じたか」、「タテ軸」とは「過去にどんな事件がどう報じられてきたか」、です。
情報はフローからストックへ:デジタルタトゥーもバッチリ残る
しかし、インターネットが出現したことで、この構図が壊れました。情報が「ストック」に変わったのです。
同じ話題でも、ニューズ・ポータルサイトを見れば、各社のヘッドラインをヨコ串で比較することができますし、ネット上に残る情報を時系列で整理すれば、誰でも簡単に、ある政治家の過去の言動を「掘る」ことができてしまいます(俗にこれを「デジタルタトゥー」ともいいます)。
こうしたなかで、改めて今になって眺めてみると、じつに味わい深い動画があります。
今日はお昼を食べながら、備蓄米のスムーズな受渡しのため協力して下さっている国の受託企業の方々にお礼と引き続きのご協力のお願いの電話をしました。備蓄米を国民のもとに届けるため、多くの方々のサポートをいただいています。ありがとうございます! pic.twitter.com/HYHSyxiAgc
— 小泉進次郎 (@shinjirokoiz) June 13, 2025
この人物を題材に選んだことに、とくに悪意はありません(笑)
ただ、後ろの壁掛け時計で確認するに、12時10分頃から20分頃、要するにお昼ごはんの時間帯に電話を掛けている様子を喜々としてショート動画にしてXに流している様子が、じつに印象的です。しかも目の前には食べかけの食事を放置して。
これを見た人がどう思うか想像できなかったのか
通常の社会人であれば、よっぽど緊急の用事でもない限りは、相手に電話するのは朝9時から12時、午後1時から夕方5時頃でしょう(※ただし、業種などによって多少、電話する時間帯は前後します。たとえば証券会社は朝が早く終業も早いですし、監査法人は朝が遅めで終業も遅めです)。
もちろん、昼食をとっているときに相手から電話がかかってくるというのならば、食べかけの食事を放置して昼時に電話するというのも理解できなくはありません。
しかし、この人物は明らかに、食べかけの昼食をほったらかしにして、自分から電話をかけまくっているようにしか見えません。電話を取った相手も、大臣から掛かってきた電話に出ないわけにはいかないでしょうし、あくまでも一般社会常識からすれば、「なんとも迷惑な話ではないか」と思えてなりません。
なにより疑問なのは、「これを見た人がどう思うか」という点が、果たしてこの人物には想像できなかったのだろうか、という点です。
テレビや新聞が情報を独占していた時代ならば、「昼食を食べる時間も惜しんで電話をかける大臣」、などと好意的に報じてくれたかもしれませんが、SNSなどを通じて「ありのままの姿」が国民に伝わるようになると、こうしたおオールドメディアの偏光板が役に立たなくなるのです。
ネット情報ストックを有権者は活用しよう!
さて、改めて指摘しておきますが、官庁・官僚、新聞社やテレビ局、あるいは一部の政治家が気付いていない最も大きな変化は、情報がフローからストックに変わったことです。
ネット上には一種のデジタルタトゥーとして、とくに政治家の言動などについては半永久的に残り続けますし、当然、首相などを目指すならば、こうしたネットの特性をよく理解しておかなければなりません。ネットのデジタルタトゥーを消すためには、それこそネット規制を導入するくらいしか方法はないでしょう。
(※余談ですが、「ネット規制」などと抜かす政治家や官庁に対しては、著者自身はもちろん全力で批判するつもりです。)
いずれにせよ、政治家にしても官僚にしても役所にしても、あるいはオールドメディア産業関係者にしても、現代が「情報ストックの時代」になったということを正しく理解し、国民・有権者・読者・視聴者の期待に応えるよう役割を果たすことが求められます。
たとえばオールドメディアの場合は読者・視聴者が求める情報―――具体的には、たとえば「記事執筆者の不正確な主観が混じっていない正確な情報」や「専門的で的を射た解説」など―――を提供すべきでしょう。
また、政治家や官僚は国民が支払った税金に見合う仕事をすべきで、それができないなら税金を国民に返す(=減税する)べきです。
オールドメディアが正確な情報を流さず、官僚や政治家がゴミのような制度を作りまくって税金を浪費するようであれば、次回以降の選挙で有権者の鉄槌が下され、ゴミのような政治家が排除され、あわせてメディアも順次、倒産していくだけの話です。
この点、官僚は選挙などで直接排除することはできませんが、官僚の上位に立つ政治家を選挙で選ぶことができるわけですから、私たち国民は選挙のたびに選挙権を行使し、質の悪い政治家を落とし、より質の高い政治家と入れ替えていくオペレーションを実施すべきです。
「情報ストック」と化したネット空間は、私たち国民の正しい判断を、きっと助けてくれるでしょう。
本文は以上です。
金融評論家。フォロー自由。雑誌等の執筆依頼も受けています。 X(旧ツイッター) にて日々情報を発信中。 Amazon アソシエイトとして適格販売により収入を得ています。 著書①数字でみる「強い」日本経済 著書②韓国がなくても日本経済は問題ない日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
| 自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
![]() | 日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |




小泉氏がこのような動画を投稿する意思と判断については、
「韓国大統領 電話」での画像検索結果と何か共通性があるのでしょうか?
「石破 電話」ではほとんど出てきません。
新ストーリー、自民党リブート
「係長 島耕作」
島耕作は今売り出し中の敏腕社員である。ゆくゆくは取締役の座を射止め社長になるであろうとの内外がウワサする彼、島耕作。
あの永遠のメガストーリーに、新作が登場した。令和に生まれる立身出世連作物語、係長島耕作をお楽しみに。
同時公開、「庶務二(ショムニ)…令和リターンズ」自民党豪華女性新人議員たちによる、悲喜こもごも、笑いと笑いの、議員活動記録である。
嫡男すんずろー(44歳)は優れた剣術使いとして城下にも藩外にもかねてより評判が高かった。彼の剣先のスルドサは、刃を交わす同業議員、官僚たちの間で事あることに話題になっていた。話題に乏しいオールドメディアが一挙一動を持てはやすのは珍しくなかった
将来藩主就任間違いなしすんずろーであったが、あるとき良くない風評が立った。ご乱心のうわさである。出所不明の言説が SNS の複数のアカウントから断片的に流れているのを、市井の民たちは敏感に察知していた。
若殿ご乱心。これほどまでに活劇業界が好むストーリー展開がありましょうか。
うわさは本当だったらしい。これが江戸に知れたら? 廃絶お取り潰しもあり得る。藩学付属道場の師範代があるときついにこう言い放った。
「何事もお家のためだ。使いが来た。知れてしまったらしい。若殿、お覚悟を」
(つづく)
[活劇番外編]
この時、城内の大通りでは…
「テーヘンダ!テーヘンダ!
若殿ご乱心!ご乱心シーン!詳しくは、この瓦版に…」
「ちょっと、ちょっと!
瓦版屋さん、アタシに一枚おくれ!」
「オイラにも、一枚!」
一方、大店の奥座敷では…
「たわし屋、軍資金の方は大丈夫だな?」
「ハイ、それはもう抜かりなく…城の金庫番とも話がついております。で、例のお約束、お忘れなきよう。」
「わかっておる。海の彼方からも、いろいろ来てるでな。」
「若殿を使うかとは…めがねの長老さまもワルですねぇ…うふふ、ファファファ」
「本性をあらわしたな、前首相
それほどまでに内閣総理大臣の跡目が欲しいか」
「黙れ、もはや最高顧問が如何に処断いたすにかかっておるのだ」
「問答無用」
(活劇は後半戦へ)
自分のくだらなすぎる投稿に対してあの(そう。あのなんですよ)
「はにわファクトリー」様や「美術好きのおばさん」
が、まさか食いついてこんな高尚でレベルが高すぎるコメントを添えて
反応してくださるなんて・・・
いやはや長生きはしてみるものです。
電話がらみで以下の動画を紹介します。
「https://www.youtube.com/watch?v=MTlSjRMx5Ic&list=RDMTlSjRMx5Ic&start_radio=1」
上記の投稿はhiro です。これ以外にしられていないんですけど。
検索エンジンが要約力・作文能力を備えた。
SNS が照会能力・人生相談能力を備えるになった。
なぜ新聞記事はおカネを払ってもらえないのか。コストのかかった高級な文体高級なブウ省を商材にしてして来たつもりでいる新聞編集部に、もう立つ瀬はありませんわなあ。
コストが掛かっていても対価を要求しないものはこの世にたくさんあって、それはタダ。みなさんコストのかかったタダを日々享受しているではありまえんか。なぜ報道文章だけが対価を要求できるか。若い世代は不思議でならない。と推測します。
正>高級な文章
最近は日本語入力も安く、日本語を理解しない中国人ばかり使うから文字変換がどんどん馬鹿になっていってますね。日本人使えやと思います。
「情報をストックしておいて、過去のことを拡散する」というオールドメディアの特権が、オールドメディアだけの特権ではなくなった、とも言えます。また、オールドメディアの過去の不都合が、掘り起されるとも言えます。
オールドメディアが○○(好きな言葉をいれて下さい)を報道しないことを、ネットで問題視され、オールドメディアに不信感を抱く、ということもあるのでは。
オールドさんの報道が不正確な理由を二つ挙げてみる。
・社会的使命感の喪失
そもそも中立で正確な情報を伝えるという使命感が無い。
・組織のオールド化に伴う能力の衰え
名前に「時代遅れ」と付けるぐらいなので自身も日々衰えを実感しているところ。その経験からすれば明確な意思をもって行動しないととにかく手を抜きたくてたまらなくなる。新しいことをするには気力を使うし、確認しなくても大丈夫だろうと曖昧な記憶で処理しようとする。ほんとダメですね。
まあ正直言えば新陳代謝の激しいネット世界にはついていけない。というのがオールドさんの本音かもしれない。
(オールドメディアと書かなかったのはメディアに限らずオールドさんが散見されるため)
新しい何かが生まれた時、それが新しいとみなされる理由があります。
なぜ流行るのか、なぜ受け容れられるのか、以前からあったものと対比し何がどう新しいのか、刮目して分析し理解咀嚼しないといけない。
ですが、新しいものが現れると、わが目で確かめ、わが頭で考えることをせずに、あれはあんなもん、と快く思わない内心を裏打ちする言説に、我が意を得たりと飛びつく輩がどうしても生まれてしまう。それが『オールド』あるいは『ものの捉え方、考え方の周回遅れ』の正体です。
組織の場合、上層部がだいたいオールドで組織全体をオールド化してしまう傾向があるのが困ったもの。
ずいぶん昔の話なのですが、大学医学部所属のお医者の先生が当方にこんなことを言って、そんな風な考え方もあるのかと、率直に言って勉強になりました。
「このごろ話題のインターネットってさ、あれはのぞき見でしょう」
細部はこの通りですが、たぶんこんな表現でした。
いや、それはセンセイがのぞき見に加担しているから、そう見えるだけで(ぐにょぐにょぐにょ)なんて、内なる思いは口にせずに相槌もしないで聞き流しました、とさ、
インターネット、それはあなたの内面を映す鏡……
私が使い始めた頃は、そのころFDとかCD-ROMとかで提供されていたドライバソフト関係がダウンロードできるようになってすごく便利になったなぁ、と捉えてた。
古今東西、コンピューターや通信技術の進歩により諸々の業種で仕事の仕方が変わりました。人間と相棒であるこれらとの付き合い方次第で幾つかのパターンがありました。自業界では「アタマが良く繰り返し作業も厭わない」相棒として随分と生産性を上げる事ができました。
数年前、AIの進歩によりどの業種がAIに取って代わられるか?と評論家筋が大いに盛り上がってました。
単純作業系がダメで自分たちの様な業種は大丈夫みたいな結論を述べていたように思います。
現実は現在利用可能なAIを試行すればよく判るのですが、こちらが良き指示を与えれば、そして(上手く言えないのですが)理想と現実の乖離をきちんと理解できれば知的作業に於いても聡明な相棒としてよく応えてくれることが体験できます。
この辺の基本的付き合い方が大事なのは昔ながらのCAEシステムなどと変わらないなぁと思いました。(CAE:Computer Aided Engineering)
あの頃驕った態度をとっていた評論家筋の方々。その様な方々におんぶに抱っこのマスコミ・メディアの方々。きっと常日頃、周囲に対して不遜な態度をとっているから、自分周囲の人間だけでなくツールとの付き合い方にも問題があるのかもしれない、と思ってしまいます。
新しい道具が流行って社会に需要されたとき、面白いことが起きるんですね。
新しい道具を使いこなす能力がある種の共通言語になる。全世界で広く使われている道具が知識や技巧の蓄積となり、同じ道具を使っているコミュニティーを通じて、道具が知恵や技巧の流通手段に変容してしまうのです。
なんたってクリエィティブなクリエーターたちが日々まいにち、同じ道具を使っている同業者たちにアピールし印象付け合っている、そんなクリエイティブなクラウドに、安くないサブスク料金を月額で支払い続けている。おカネもうけはこうやってやるものです。
何だか、御用聞きの方に見えて来ました。
石破路線を継承するって。
防災庁とか作る前に、スーパー堤防の予算付けします。
とかの方がまだ、ましではないかと。
どう考えても石破総理に近づいて得をするとは思えませんので、石破路線を標榜している方々は、マスコミお墨付き石破印の「弾除け」として「路線継承デスヨー」ってとりあえず言っているだけなのかなぁと推測しています。あれだけゴリ押しした石破印、マスコミは批判しづらいでしょうから。(林氏らはともかく小泉氏はまぁわかんないか……)
路線から逸れたら「これじゃ石破路線継承じゃない!」ってネガキャンは出来るでしょうけど、現実には別に石破路線なんてほとんど望まれていないのは彼らこそよくわかっているでしょうから、無意味どころか応援ですしね。
「石破は国民的人気!自民がダメでも石破は総理に相応しい!!」っていうフロー押し流しのつもりだったけど、実際には呪いのようなストックなので、これでマスコミが「石破路線ではダメだ!」とか言い出したら、いよいよオワリじゃないでしょうか。
ちょっと前は加藤氏に秋波送って保守路線継承と言われたし、石破路線というのも自分で押し進めた米価対策をそのままにするのと防災庁ぐらいのようだし、支持を集めようとうまくやってるつもりで上滑りしてるだけと思う。
>食べかけの昼食をほったらかしにして、自分から電話をかけまくっているようにしか見えません
2つの作業を同時並行でやると分割損が出る。トータルでの所要時間は増える。
別の作業の割り込みで中断した作業の再開には、中断した時間と同じだけのリードタイムを要する。
外部要因による緊急対応は仕方なしとしても、自ら行う作業は再開時間を要しない切れ目を自ら設定し、シングルタスクの連続で複数の業務をこなす。
なんてことを、新入社員の頃に研修で教わったのを思い出しました。
そこでは、一つ一つの作業を完遂しないまま、緊急の割り込み案件がある度に時間を全振りし続け、挙げ句にバックオーダー山積で仕事が回らなくなるダメ社員の寸劇映像を見せられました。
その人は終わりの来ない多忙状態で鬱になってましたが、本記事で紹介されてる人はその心配はなさそうで安心です。
そんなオモシロイ研修やっていたのですか!
ウチでもやればいいのにと思いました。
実に、身につまされます….
私自身がそれをできていたかどうかについては割愛します。(笑)
情報がフローからストックになったということは、オールドメディアにしても、それを前提に動かざるを得なくなった、ということです。
本日の朝日新聞の一面は「安保法案10年。(当時の)想定に現実味」でした。これは(当時の)想定が現実になった時のための準備、と考えるのは考えすぎでしょうか。