「お客様は神様」論と相性が良い無責任な有権者の行動
「お客様は、神様」。これは、「カネを払う側が偉い」という歪んだ発想のようなものですが、もしかして私たち日本国民は、政治家に対してもこの「お客様は神様」的な発想を持っていたりしないでしょうか?政治家の歳費は税金から支払われますが、「安い報酬で働け」、「議員は多すぎる」、といった発想は、形を変えた「お客様は神様」論です。選挙に行かないという甘ったれた考え方も、同様です。しかし、勘違いしないでください。国民は「お客様」ではなく「主権者」です。
目次
「お客様は、神様」
「お客様は、神様」。
これは、当ウェブサイトでも定期的に取り上げる話題のひとつです。
当ウェブサイトでこの概念に注目したきっかけのひとつが、「高速バスの運転手が休憩時間を使ってサービスエリアでカレーを食べていたとして、乗客から会社に苦情が寄せられた」とする件です。
当たり前の話ですが、乗務中、たとえば高速道路でバスを運転中に、何か危険な行為をしたとかいうのならば話は別ですが、途中の休憩中に運転手がカレーを食べようが、コーヒーを飲もうが、(定められた場所で)タバコを吸おうが、それはその運転手の自由です(ただしアルコールの摂取は論外ですが)。
また、コンビニエンスストアの事例では、若いアルバイトの高校生に向かって、高齢の客がタバコの銘柄を「マイセン(くれ)」などと(自分勝手な)略称で伝え、店員が「マイセンって何ですか?」と尋ねたところ、その客がキレ散らかした、という事例を取り上げています。
そもそも一般的な高校生がタバコの銘柄に詳しいはずもありませんし、万が一、ある程度タバコの銘柄を知っていたとしても、「マイセン」が「メビウス」を意味するとすぐにわかるものでもないでしょう。
(※ちなみにこの「マイセン」、もともとは「マイルドセブン」の略称だそうですが、その「マイルドセブン」という名称に含まれる「マイルド」という単語が問題視され、「メビウス」に変更された、という経緯があるのだとか。)
三波春夫はそういう意味で「お客様は神様」と言ったのではない
いずれにせよ、この「お客様は神様」論は、適正な報酬を負担しているわけでもないくせに、過剰サービスを要求することを正当化する用語として悪用されているフシがあるのですが、これはもともとは三波春夫が1961年、舞台で口にしたものが、いつのまにか「客はどんな理不尽に振る舞っても良い」、に曲解されたものです。
実際、株式会社三波クリエイツ代表取締役の三波美夕紀さんは『三波春夫オフィシャルサイト』の『「お客様は神様です」について』というページで、この三波春夫の「お客様は神様」というフレーズに対する誤解が「商店、飲食店、乗り物のお客さん、営業先のクライアント」による横柄な態度につながっていると指摘。
そのうえで、このフレーズについての三波春夫の考えが次のようなものであると注意喚起しているのです。
「(『お客様は神様』とは)雑念を払って澄み切った心で歌うという心構えを示したものであって、決して『カネを払う立場の人間が店員などに対し横柄な態度を取って良い』という意味で述べたものではありません」。
口を開けば「お客様は神様」と称し、店員さんやバスの運転手さん、駅員さんなどに横柄で偉そうな態度を取る者は、この三波美夕紀さんの文章を、10,000,000,000,000回くらい熟読すべきでしょう。
デフレ時代と相性が良い「お客様は神様」論
ただ、どうしてこんな「お客様は神様」的な発想がここまで蔓延したのかについては、ちょっと真面目に検討しておく必要もありそうです。
この「お客様は神様」論とは、突き詰めていえば「カネを払う側が偉い」という歪んだ発想であり、「買い物客」「乗客」はもちろん、「雇用者」、「納税者」がカネを受け取る側(店員さん、運転手さん、労働者、政治家など)に偉そうな態度を取って良いという考えにも通じるものです。
実際、この「お客様は神様」論はデフレ時代と大変に相性が良く、とくに「雇う側」は「雇われる側」に、非常に高圧的に出ているのも、こうした「カネを払う側が偉い」とする発想が根底にあるように思えます。
そもそも論として、リーマン・ショック時から民主党政権時にかけてのデフレ期は、基本的に労働者は「雇ってもらう」という立場でした。有効求人倍率も1倍を割り込み、新卒採用率も下がるなど、人々は職探しに奔走していたからです。
だからこそ「ブラック企業」、「ブラック業界」が蔓延しやすい状況だったのではないでしょうか。
しかし、アベノミクスにより、基本的に雇用市場は大いに改善しました。現在だと、主要都道府県で有効求人倍率は依然として1倍を超えており、失業率も過去最低水準にあるからです。
実際、『「人手不足倒産」の正体とは「労働条件の改善」では?』などでも紹介しましたが、相変わらず、「雇う側」は民主党政権時代の「買い手市場」のマインドから抜けきっていないケースも散見されます。たとえば少し前、ネット上でこんなポスターが話題となりました。
「助けてください/働く人が見つかりません/時給1500円※休み希望なしが条件<中略>交通費、まかない、残業代、寸志あり」。
ちなみにこのポスターをSNSに投稿したのは東北地方の飲食店のものだそうですが、これにこんな内容が付記されています。
「『自分の休みは店に委ねます』という強者を求めます!/これに反した場合、該当月の前後2ヶ月を含む3ヶ月間は、交通費込み時給900円となります。勤務開始前後で話が変わる人が多いための措置です。/試用期間中の時給は898円で、日数は本人の努力次第です。宜しくお願いします」
「労働者側の希望で休みを取ることができない」、「勝手に休んだら給与水準が下げられる」、というのは、限りなく違法性が強いの疑いが強いものです(ちなみに時給898円はこの県における最低時給です)。
正直、ここまで社会を舐めた求人を出すという時点で、この雇用主さんは現在の雇用市場というものを理解していない可能性は濃厚です。民主党政権時代あたりならこの条件でも応募する労働者はいたかもしれませんが、昨今の人手不足の折に、こうした条件で働く人がどれほどいるのかはわかりません。
しかし、こうした人材募集を見るにつれ、デフレ期に蔓延していた「働けるだけありがたい」、「給料を払う側が偉い」、「カネを払う側が偉い」といった価値観のおかしさが見えてきます。
国民はお客様、ではない!
さて、本稿では読者の皆さまに、ちょっと厳しいことを申し上げておきます。
選挙は、私たち有権者が政治家を選ぶ手続ですが、これについて勘違いしている人が多すぎるからです。
当ウェブサイトで「選挙で必ず投票しましょう」と呼び掛けると、ごく稀に、こんな趣旨の反応が返ってきます。
「私の選挙区ではろくな候補者が出馬していない。今回の選挙では白票を投じてやろうと思っている」。
…。
これ、いったい何様のつもりなのでしょうか?
それともあれでしょうか?「俺たちは納税者だ」、「政治家の歳費は俺たち納税者が払ってやっているんだ」、「政治家どもを選んでやる立場だ」、「今回は俺の気に入る政治家がいないから誰にも表を入れてやらない」、とでもいいたいのでしょうか?
くどいようですが、私たち有権者は「お客様」ではありません。
「政治家に投票してやるから、俺たちが投票してやった政治家は俺たち有権者のために馬車馬のごとく働け」、「政治とカネは汚いから、政治家は無給で働け」、「国会議員の数は多すぎるからもっと減らせ」、といった主張にも通じるのですが、私たち有権者は政治家に要求するだけの「お客様」だと勘違いしているのです。
当たり前の話ですが、あなたが選挙に行かなかった結果、この社会が今より悪くなったときに、その被害を受けるのは、あなたです。いや、あなただけではありません。「棄権する」、「白票を投じる」といったあなたの無責任な行動で社会が悪くなると、それにより周りにも被害をもたらすのです。
それに、選挙というものは、よりどりみどりの素晴らしい候補者群から、自分にとっての本当に理想的な人物を選び出すプロセスだと考えてもらっても困ります。わかりやすいたとえでいえば、傷みかけた食材のなかから、まだ食べられる部分を選り分けて調理するようなものだからです。
もっといえば、選挙は「政治家となる者を選ぶ手続」であると同時に、「政治家になってはならない者を排除する手続」でもあります。あなたが選挙にいかなければ、それだけ組織票を持つ政党や候補者にとって有利に働き、結果的に「無党派(?)」にとっては望ましくない社会が到来しやすくなります。
我々は主権者である:責任ある行動を!
著者自身、2016年以降約8年あまり、ウェブ評論を続けていますが、当ウェブサイトにもかつて、「選挙に行かないこと」を「不可抗力」だと言い張ったコメント主もいましたし、さらに「棄権・白票」を「なにかすばらしい高潔な行為」であるかのごとく自慢してくるケースすらありました。
自信を持って断言します。
そうした考えは、無責任であり、無益です。
繰り返しになりますが、私たち有権者は「主権者」なのであって、この国の「お客様」ではありません。
この社会を私たちが作っていくためには、だれに票を投じるべきなのか(あるいは「だれに票を投じないべきなのか」)を私たちひとりひとりが責任ある主権者として、きちんと考え、行動していくことが求められているのです。
それを、ここに改めて強調しておきたいと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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主権者という言葉は、なかなかに意味をつかみにくいものです。
米国の南北戦争のゲチスバーグの戦いの後のリンカーン大統領の演説の中の有名な「人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させない(government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.)」の「人民の政治(government of the people)」の意味するところが、主権者を意味していると、小生は理解しています。つまり、政治を所有する者は人民、つまり、政治から人民は逃げることが出来ない、政治が悪くなった場合に責任を負うこと、痛みを負うことから逃げることが出来ないということです。
会計士さんが度々説明してくださる「選挙」の意味も、選挙の結果から逃げることができないのなら、どう考えて投票するのが賢明かと、小生は理解しています。
人が難病にかかったとき、どういう治療法があって、それらの成功見通しや治療にともなうリスクを考えて、治療法を選択することに似ているのではないでしょうか?
ほぼ100%賛同致します。(他に試みられたあらゆる形態を除けば)最悪の政治形態とされるデモクラシーですが、そもそも普通選挙が実現するまでには大変な歴史がある訳であって、私たち一人ひとりが有している選挙権(この場合は投票権)は大変重いものと云わざるを得ません。
ただし例外的なケースが存在しうることを完全には否定できないのも事実と云って良いかと思います。例えば比例制が無いと仮定した上で、自分の選挙区では立民(例えばDS陰謀論に深くハマっていると思わしき人物)、共産(誰であろうと共産キンタロー飴)、自民(石破派。例えば最近総務大臣とやらになった御仁など)しか立候補者がいないと云う極めてゴールデンな状況を想定すると、三者三様に腐り果てていて全く食用に適さない(どれを食しても人体には極めて有害)という判断も十分あり得ることであって、このような場合には涙を呑んで棄権というの否めない選択になりうると思います。チウゴクなどいわゆる共産圏における選挙などはこういう感じなのかと想像します(ただしうっかり棄権などしたら「総括」されかねず、これはまた別のストーリーですね)尤も現実には比例区もあるので、この想定に則れば選挙区は白票、比例区は特定の政党という形での投票になろうかと思います。
こういう極端な場合には、棄権・白票も許していただけますでしょうか?