現実社会は鉄道工事のようなもの
私たちが暮らすこの社会をより良くするためには、大都市圏の鉄道改良事業のように、少しずつ変えていくしかありません。そのためには、私たち有権者が普段から多様な言論に接し、客観的事実と主観的意見をきちんと分ける癖をつけることが有益ではないでしょうか。このように考えると、山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士がウェブ言論空間の隅っこで壊れたレコードのごとく「知的好奇心」などと唱え続けていることにも、ごくわずかながらも社会的な意義があるのかもしれません。
目次
知的好奇心の刺激
社会がインターネット化して最も良かった点は、言論空間の多様化ではないかと思います。
当ウェブサイトは山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士が、主に公開されている情報(つまり誰でも簡単に入手できる情報)を使い、「読んでくださる方々の知的好奇心を刺激する議論」を掲載しようという趣旨で運営しているものです。
ウェブサイト自体がスタートしたのは2016年7月のことであり、今年で8年が経過します。グーグルの検索アルゴリズムが変化する以前であれば、瞬間風速的に、最大で1ヵ月400万件のページビュー(PV)をいただいたこともあります。
なお、2020年5月頃にグーグルの検索アルゴリズムが変化して以降、PV数自体は一貫して減り続けていますが(※この点は想定通りです)、そのかわり、X(旧ツイッター)を中心とするSNSでの情報発信に力を入れるなどした結果、一部の政治家の方々などからもフォローしていただけるようになりました。
現実に当ウェブサイトが「読んでくださった方々の知的好奇心を刺激する」ほどにクオリティの高い記事を掲載しているといえるかどうかに関しては、個々の読者の皆さまに、評価をお任せしたいと思います。
原点は「事実と意見の峻別」
客観的事実と主観的意見は分けるべき
ただ、当ウェブサイトの個々の記事がハイ・クオリティかどうかは別として、基本思想については、さほどおかしなことは述べていないはずです。
改めて当ウェブサイトの「原点」を簡単に振り返っておくと、それは「客観的事実」と「主観的意見」の峻別(しゅんべつ)にあります。
「客観的事実」とは、誰がどう報じても同じ内容になる情報のことで、これには学問的に証明されている命題や統計データなどが含まれることもあります(統計データ自体が捏造だった場合はこの限りではありませんが…)。
たとえば、こんな具合です。
(A)「2024年4月23日をもって、岸田文雄首相の在任日数は933日となり、橋本龍太郎元首相の932日を抜いて歴代17番目となった」。
岸田文雄首相が就任したのは2021年10月4日のことですので、「両端入れ」で計算すれば、2024年4月23日をもって在任日数は933日となり、これは橋本龍太郎元首相(任1996年1月11~1998年7月30日)の932日を抜き、歴代首相として17位です。
また、明治期、第二次伊藤博文内閣を挟んで2回、内閣総理大臣を務めた松方正義氏の通算在任日数は「両端入れ」で943日でしたので、もし岸田首相が5月4日まで在任した場合は歴代16位に浮上する計算です。
さらに2ヵ月在任すれば歴代15位の東條英機内閣(1009日)と並び、その次は歴代14位の近衛文麿内閣(1035日)、歴代13位の大隈重信内閣(1040日)などが視野に入ってくるわけですが、いずれにせよ、こうした「在任日数」は、わかりやすい事実関係のひとつです。
「事実」はだれが述べてもあまり変わらないが…「意見」は?
なお、先ほどの文章Aを、こう言い換えても、意味合いとしてはほぼ同じです。
(B)「令和6年4月23日をもって、岸田文雄総理大臣の在任日数は933日となり、橋本龍太郎元首相の932日を抜いて歴代17番目となった」。
つまり、文章Bでは「2024年」を「令和6年」に、「岸田文雄首相」を「岸田文雄総理大臣」に、それぞれ置き換えているわけですが、年月日の表記方法は西暦と元号の2種類がありますし、俗に「首相」と呼ぶ場合と「総理」と呼ぶ場合がありますが、これも意味合いは変わりません。
よって、文章Aのようなものこそが、「客観的事実」と呼べるのです。誰がどう表現しても、(西暦や和暦の違いなどはあるかもしれませんが)だいたい同じような文章が出て来るからです。
(厳密にいえば、憲法上は「首相」ではなく「内閣総理大臣」が正確な官職名なのですが、だからといって「首相」が用語として誤っている、というものでもないでしょう。「首相」もこの社会において、慣用句としてほぼ定着しているからです。)
ところが、先ほどから挙げている文章Aを、次のように置き換えたならば、どうでしょうか。
(C)「岸田首相は歴代最高の優れた首相だ。この933日間で、本当に素晴らしい成果の数々を残したからだ」。
この文章Cは、「事実」ではありません。実際問題、岸田首相が歴代最高の首相だと述べる人もいるかもしれない一方で、岸田首相を「歴代最低の首相だ」、などとする評価を下す人だっているかもしれないからです。たとえば、こんな具合です。
(D)「岸田首相は歴代最悪のどうしようもない首相だ。この933日間で、何ひとつ、成果をあげていないからだ」。
この文章Dも先ほどと同じ理由で、本来であれば、「事実」とはいえません。
意見において重要なのは「なぜならば」以降の記述
そこで、当ウェブサイトとしては、CやDのような文章を、「主観的意見」、「主観的分析」などと位置付けているのです。そして、こうした「主観的意見」にこそ、評論の楽しみ、あるいは知的好奇心の営みがあるのではないか、というのが、当ウェブサイトの問題意識なのです。
なぜなら、文章CやDには、たいていの場合、「なぜならば…」、という記述が続くからです。
もっといえば、文章CやDを混ぜて、こんな文章にしてみると、さらに興味深くなるかもしれません。
(E)「岸田首相は歴代最低の首相だといわれているが、これは表面だけを見ればそのとおりだが、違う角度から見たら正しくない。なぜならば…」。
そして、多様な言論空間であれば、(C)のような文章も、あるいは(D)のような文章も、さらには(E)のような文章も、自由闊達に議論されてしかるべきです。
ところが、既存の新聞、テレビといったマスメディアの報道では、こんな趣旨の文章に出くわすことがあります。
(F)「岸田文雄首相の在任日数が、2024年4月22日をもって932日となり、橋本龍太郎元首相に並んだ。低支持率だが比較的長い政権になりつつある」。
この「低支持率だが」、の部分は、明らかに余分です。なぜなら、「低支持率だが」、の部分に、記事執筆者の主観が含まれているからです。支持率調査は私的組織である新聞社、テレビ局などが実施しているものであり、また、何をもって「高支持率」、「低支持率」と定義するかは定まっていません。
このFのような文章はまだマシなほうですが、なかには客観的な記述にさり気なく記者の主観を大きく織り込んだ記述も出てくることもあります。『「出力制御が再エネ普及妨げ」にSNSでツッコミ殺到』でも取り上げた「再エネの特性を無視した新聞記事」などは、その典型例でしょう。
「りせっとぼたん」?ありません!
新聞社、テレビ局の数が少なすぎる!
当ウェブサイトを立ち上げた大きな理由も、結局のところ、「客観的事実」と「主観的意見」をまぜこぜにするメディアに対するアンチテーゼ、という意味があります。
そして、日本独特の問題点がもうひとつあるとしたら、新聞社、テレビ局の数が少なすぎる、という点です。
新聞社の場合は(数え方にもよりますが)全国紙が5つ、いわゆるブロック紙が4つ、主要地方紙のほかは、地域紙などがいくつかある、といった数え方が一般的でしょう。
また、テレビ局の場合は、地上波はNHKが2チャンネルに加え、新聞社と同一の資本による全国ネットが大きく5系列あり(民放は在京キー局と在阪準キー局が5つずつ、など)、これら以外に各地方に独立系のローカル局がいくつかある、といった構造です。
さらには地方紙や地方局などに記事を配信する、時事通信、共同通信という通信社があるわけですが、これらを含めたとしても、日本の大手メディアと呼ばれるものは、せいぜい十数社に過ぎない、という計算です。
これらのごく少数のメディアが結託し、一般の人々に流す情報を制限したら、いったい何が発生するか――。
その典型例が、2009年の偏向報道事件だと思います。
『「報道しない自由」にも立ち向かっている「暇空茜」氏』などを含め、これまでに当ウェブサイトでは何度も何度も指摘してきたとおり、この衆議院議員総選挙では、新聞、テレビを中心とするマスメディア各社がスクラムを組み、自民党を敗北させ、民主党に地滑り的な勝利をもたらしました。
当時の衆院の定数は480議席でしたが、民主党は単独で3分の2近い308議席を獲得し、自民党の議席数を大きく凌駕して政権を獲得したのです。
各種調査では、新聞やテレビ、雑誌などを信じて投票した層では、民主党に票を投じたと答えた割合が多かったことがわかっていますが、その新聞、テレビが麻生太郎総理大臣(当時の自民党総裁)と民主党の鳩山由紀夫代表(のちに首相)の党首討論をほとんど報じなかったことからも、メディアの偏向ぶりは明らかでしょう。
情報の多様化こそが大きなメリット
その意味において、社会のインターネット化が進んだことの大きなメリットは、まさに情報(意見)の多様化にあります。
私たちはインターネット上で、C~Eのような文章を読み比べることができるようになったのです。
実際、SNSなどを眺めていると、「保守層」と呼ばれる人たちの間でも、政府や岸田首相を批判する意見が見られますし、それとは逆に、岸田首相の「功績」を列挙する人がいます。
先ほど挙げたC~Eなどの文章は、いずれも「客観的事実」ではなく、それを述べている人たちの主観的意見に過ぎませんが、これらの意見を述べる人たちは、自分の意見が妥当だということを世間にわからせるために、そう考える理由を証拠付きで提示しようとするのです。
たとえば岸田首相が優れた政治家だと考える人は、その証拠として、「あんな功績もあった」、「こんな功績もあった」、という具合に、さまざまな事例を列挙しようとします。
これに対し、岸田首相が優れた政治家とはいえないと考える人は、「あの政策はここが悪い」、「この政策はこれが問題だ」、といった具合に、やはり証拠を出そうと努力するはずです。
すなわち、社会のネット化の良いところは、(犯罪予告等などでない限りは)どんな主張を出すのも自由であることと、それらの主張を個々人が読み、自分なりに咀嚼(そしゃく)することで、どの主張が正しいかを自分自身で決定することができるという点にあります。
新聞、テレビなどのマスメディアが決めた結論を鵜呑みに信じる必要などないのです。
(※ちなみに当ウェブサイトなどは、岸田首相のことを「歴代最高の首相」とも、「歴代最悪の首相」とも断定することはしていないつもりですし、今後もそうするつもりはありません。政治家に対する評価は是々非々で行うべきだと考えているからです。)
その意味で、社会のネット化は、「第四の権力」を自称して来た新聞・テレビを中心とするマスメディアという「悪しき独裁者」からの解放を意味するのであり、新聞、テレビの社会的影響力が低下すること自体は、素直に歓迎すべきことだと思っています。
自民党を全否定したら問題は解決するのか
ただし、私たちが暮らすこの現実社会は、「新聞やテレビの社会的影響力を排除したら、それで問題がすべて解決する」というほどに単純なものではありません。
やはり、日本は民主主義国家ですので、社会をより良い方向に変えていくためには、最終的にはひとりでも多くの有権者が投票に参加するしか方法がありません。この世の中には便利な「りせっとぼたん」は存在しないからです。
最近、一部の過激な人たちを中心に、「自民党はアカン」、「自民党を下野させるべき」、などと主張する人がいるのが目に付きますが、不思議なことに、自民党政権の「全否定派」は、政治的な左右を問わず、各所に存在しているようです。
しかし、現実の政治の世界では、社会をより良い方向に変えていくためには、多大な努力が必要です。
政治家が高邁(こうまい)な理想や国家観などを持つのはもちろん重要ですが、それと並んで、あるいはそれ以上に重要なのは、現実を変えていくための「実務能力」ではないかと思います。
ここでいう「実務能力」には、たとえば、現実の法制度の不備を知るという観点からの法律の知識であったり、経済問題を知るうえでのマクロ経済学やミクロ経済学の知識であったり、あるいは税法、会計、金融、ITなどの知識も含まれますが、それだけではありません。
外国の政策当局者と直接議論できるだけの高度な語学力、あるいは官僚、企業経営者、労組関係者など社会の様々な人たちとの交渉力、人脈、実務経験なども必要でしょう。
「この世には不満がある」、と述べるのは結構ですし、政治家が私たち庶民の感覚を代弁してくれることももちろん重要ですが、政治家であるならば、その不満を解消するためには何が必要なのか、どうコンセンサスを作っていくべきなのかを含め、成果を形に出すことが求められるのです。
残念ながら、一部の極端な政党の人たちの主張を眺めていても、こうした具体論が出てくることはほとんどありません。
そして、私たち有権者が賢くならねばならないのも、「いきなり社会を変える『りせっとぼたん』など存在しない」という点をちゃんと理解したうえで、少しでもマシな社会を実現するための候補者を見極める――ということに尽きるのだと思います。
鉄道工事理論と政治家の実務能力
この世の中は、多忙な都会の鉄道路線を改良する「鉄道工事」に似ています。
首都圏や近畿圏などに暮らし、電車で通勤・通学をした経験を持つ方ならわかるかもしれませんが、鉄道の混雑を緩和したり、踏切をなくしたり、スピードアップを図ったりするためには、鉄道路線の改良工事(高架化・地下化や複々線化など)が必要となることも多いです。
こうした改良工事には大変な月日とコストがかかります。
首都圏にある小田急電鉄の場合、本線の複々線化と連続立体化に、計画から50年、着工から30年という途方もない時間を費やしながら、何とかこれをやり遂げたわけですが、この事業の凄いところは、大混雑路線であるにも関わらず、工事中、電車の運行をほとんど止めなかったところでしょう。
現実の政治も、法制度を連続的に運用し、様々な利害関係者に配慮しつつ、少しずつ「改良」を重ねるしかありません。それができる人こそが優秀な政治家であり、口でいくら立派なことを唱えていても、それを実現する実務能力がない人が、優秀な政治家になれることはありません。
このように考えていくと、山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士がウェブ言論空間の隅っこで壊れたレコードのごとく「知的好奇心」などと唱え続けていることにも、ごくわずかながらも社会的な意義があるのかもしれない、などと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
>新聞、テレビなどのマスメディアが決めた結論を鵜呑みに信じる必要などないのです。
コロナ怖い、ワクチン打て打て!
「ワーワー」
ロシア悪い、ウクライナガンガレ!
「ワーワー」
いい加減、恥ずかしいと思わないのですか?
>政治家が高邁(こうまい)な理想や国家観などを持つのはもちろん重要ですが、それと並んで、あるいはそれ以上に重要なのは、現実を変えていくための「実務能力」ではないかと思います。
そんなものが日本にあるのですか?
「お花畑」から出て「現実」を見てはいかがですか?
与太話を鵜呑みにするのは反ワク、反ワク、反ウクライナの方が圧倒的に多い気がしますが。
そんなものが今あるのかどうかと、本来必要で希求することには、関連がなく全く矛盾しません。
「100が理想である」に対して「今なんて0ではないか」では、建設的なことが何一つ無く居酒屋で管を巻く”逆お花畑”です。「10でも1にでもなることは何か」を探すのが現実を見るということです。
そしてそれを毎日精力的に行っているのがインフルエンサーであり、さほど行っていないのが私程度のコメント主です。
>いい加減、恥ずかしいと思わないのですか?
早朝からご苦労様です。
先日の「マスコミは国民の代表」コメント並みに、主張の主旨を読み取りづらかったのですが恐らく、ブログ主さんがマスコミを批判しながらも、マスコミと同じ主張をしていることに対して「恥ずかしくないのか」とおっしゃりたいのでしょう。
ブログ主さんが論理的に出された結論が、たまたまマスコミと同じであったというだけだと思います。
マスコミ批判するならマスコミと逆の結論であるべきだ、なんてことはないですよね。それでは単なる「逆張り」になってしまい、陰謀論者と大して変わらなくなっちゃいます。(笑)
ワクチンに関わるところで思い返せば、左巻きマスコミはむしろ統計的な事実も無視してワクチンによる副作用を臭わす記事を書いていたように記憶しています。
ウクライナに関してもNHKはじめ、日本のメディアはロシア侵略行為の正当性を説く人への単独インタビュー番組を一方的に流したり、かなりのもんです。
「誰が言っていた」というより「何を言っていた」にフォーカスした方がいいと思います。このブログでのマスコミ批判も、かつてマスコミ自身が報道していたことを取り上げ「何を言っていたか」を根拠に批判しています。
>いい加減、恥ずかしいと思わないのですか?
質問です。これは誰に対する呼びかけなのでしょうか?
マスコミの言う事を妄信する人達に対してでしょうか?
それとも新宿会計士氏に向けているのでしょうか?
>そんなものが日本にあるのですか?
>「お花畑」から出て「現実」を見てはいかがですか?
日本は完璧には程遠いですが、いくつか希望の種はありますよ。
民主政権を成立させる為にオールドメディアが信頼度を湯水の様に使ってしまい、
もはや世論操作力が以前とは比べ物にならない程落ちている事。
宗教によって論理的思考が妨げられておらず、ポリコレの影響からも
比較的フリーである事などね。
本稿の新宿会計士さまのご主張には同意します。
「客観的事実と主観的意見は分けるべき」→その通りかと思います。某国のように、他の全ての軍事評論家が認める「レーダー照射事件」を、都合が悪いからと認めないのは論外だと考えます。(それを放任する岸田政権も同罪!)
「自民党を全否定したら問題は解決するのか」→これもその通りかと思います。ただ今回の裏金事件(人によっては単なる政治資金法違反事件と呼ぶ人がいるが、意見が異なる)につき、自民党の自浄能力があまりにも低く(この問題が発生した経緯、その要因すら明らかでない)、このままでは将来的な再発は、必至かな、と思える状況です。とすれば、主権者たる国民は何をなすべきか。
短期的には、自民党にパニッシュメントを与えること、党内の政権交代を起こさせること(これが一番現実的)、中長期的には健全な保守第二党を育成することかな、なんて考えています。
その意味で、今回の三補選の結果、9月に自民党総裁選には、大いに興味を持っています(岸田政権には早く退陣して貰いたい-原発再稼働と訪米は評価するけれど)。
レスするほどのコメントではないが。
>意見において重要なのは「なぜならば」以降の記述
>>コロナ怖い、ワクチン打て打て!ロシア悪い、ウクライナガンガレ!
この部分が、意見で、
>>「ワーワー」
の部分が、「なぜならば」になるのだが、このコメ主は、意見の部分が自分の意見と異なるものだから、「なぜならば」と理由が書いてある部分が、「ワーワー」にしか、見えないのだろう。
敢えて、見えないのだろう、と書いたのは、「なぜならば」の部分に書いてあることを、ハナから読む気がないから、文意が読めないだろう、と見えてしまう、ということ。
自分の意見と違うからと、こんな読み方をするのであれば、「視野」が広まることはないだろう。
>>お花畑
原理原則論と、お花畑な文言、の区別識別が出来ないのだな、と直ぐに見破られてしまいます。
このサイト主が書いているのは、原理原則論。
日本の現実がそうでないと、コメ主が感じるのであれば、それは、余りに原理原則論を知らない人が増えたからかもしれない。とすれば、原理原則論を何度も、反芻しなければならない。
このサイト主が、言いたいのは、こういうこと。
このサイトを長年読んでいて、何でこんなことも分からないのかな?
このコメントは、一番上の方への、レスです。間違った場所になってしまいました。
一部の過激な意見をいう人は、自分と意見のあう仲間内で、自民党の悪口を言い合っていれば楽しいからではないでしょうか。
理想を言うだけの人は直ぐに見つかるが、高い実務能力を持った人は、なかなか見つからない、ということでしょうか。
>自民党を全否定したら問題は解決するのか
これについては、対象は自民党に限らないと思います。
問題がある〇〇省や〇〇庁を解体したら、景気は良くなる。あるいは外交が上手くいく。
〇〇という組織や人物を潰すなり、辞めさせたら問題が解決する? そんなわけ無いのです。
その方向で案を出そうとすること自体は否定しませんが、その案がどこからどういうリソースを持ってきて、どんな計画を立て、予測見積もりしているのかと踏み込んだ説明をしている人をとんと見掛けた覚えがありません。
そして「〇〇を潰す」という方針が、さも具体的な方法であるかのように勘違いしている人達が多いように思います。
方針と方法の区別が付いていない主張については、ここでも別のブログでも、自分はそういう記事やコメントを見掛けても評価出来ませんね。
それから、例えば「誰それによる〇〇という発言は誰がどう見ても後退だ」という主張があったとします。
これは、意見です。何故なら、誰それがなにがしかを発言したというのは事実でも、「誰がどう見ても」や「後退」といった評価はあくまでもその人個人の主観が判断基準になっているからです。
事実と意見を区別するのは勿論大切なのですが、こういう事を言う人って「誰がどう見ても」や「後退」の部分が、主観による判断だと気付いていないです。
それどころか「誰がどう見ても」なのだから、事実なのだと誤認していしまっています。
こうやって、主観による「誰がどう見ても」を積み重ねても、それは事実の積み重ねではなく、意見の積み重ねでしかありません。そして、意見を積み重ねたところで、主張の骨格はぐらぐらにしかなりません。
個別に実例を挙げると、面倒なことにしかならないので割愛しますが。
どこの記事やコメントだろうと、あるいはコメントするときも「誰がどう見ても~」なんて、個人の主観と事実の区別がついていないものを根拠にした主張をしていないか気を付けた方がいいと思います。
特に、批判対象憎しで凝り固まっている場合は、視野が狭くなりこういう認知バイアスに陥る危険性が高いので。
何処とは言いませんが、一部の批判対象はマジで潰れてくれた方が日本のためになりますね。
今、揺れている衆院議員の調査をほぼ完了しました。
自民党の良い点と悪い点が浮き彫りになってきました。
良い点は、数の論理というか法案を実現させていくのに絶対賛成数を確保できていた。その結果として人材が集まりやすい。故に官僚を信頼させていたということです。
悪い点は、不祥事か多すぎるということです。
自民党の構成で
縁故継承の議員は 99(258)38%
統一教会がらみは 126(258)48%
不祥事・政治資金は 65(153)42%
不祥事・政治献金は153(258)の途中経過ですが4割の衆院議員が統一教会や政治資金法にかかわっています。
次の衆院選挙までには、この調査を完了したいと思っています。
調査ご苦労様です。
ただ、折角調査されるのならば、深掘りして頂きたいことがあります。
>良い点は、数の論理というか法案を実現させていくのに絶対賛成数を確保できていた。その結果として人材が集まりやすい。
1.人材が集まるから、絶対多数になるのではないか?と思われるのですが、絶対多数だから、人材が集まるのですか?
どちらが、原因であり結果であるのか?この辺りの分析が、為されていないようです。
2.人材が集まるのに、何故、不祥事などの不適切なことが多発するのですか?
一般的に、人材という言い方には、清廉で有能な人というイメージがあります。
自民党に集まるのは、人材なのですか?人材であれば、有能な仕事が出来る人ということですね。
であれば、不祥事の部分だけだは無く、「実績」の部分も調査して統計にしなくては、このコメントの意図が、単に、マスゴミと同じ、与党の粗探しということになりませんか?
そして、
3.自民党だけの数字を出してみても、何の意味付けも出来ないのではないか?と思われます。
自民党以外の、全国会議員のデータがあって初めて、自民党のデータがどういうものかが分かります。
野党の方の不祥事の比率が多ければ、自民党の方が寧ろ、比較的白い、ということになりませんか?
尤も、このサイトでも度々取り上げられているように、自民党以外の不祥事は報道されることが少ないので、野党のデータがとれるかどうか分かりませんが。
尤も、野党のデータが自民党を上回れば、国会議員全体が、黒い、ということになるかもしれません。
それならば、不祥事というマイナスのデータではなく、「実績」というプラスのデータを集めて、考査した方が、意味のある調査ということになりませんか?
以上の観点から、このコメントは、いわゆるマスゴミさんのものの見方に汚染されているように見えます。
その「見え方」を避けたいのであれば、上記のような比較対象できる客観的なデータを揃えて頂きたいですね。
嘘つき新聞が無くなることはいいのですがNHKだけが残るというのも問題が大きい
どうしたらいいのやら
団塊世代の退場とともに、消滅するでしょう。今、TV新聞の主たる利用者はこの世代なのだから。碌に読まない新聞を取り、つまらない番組を眺めるだけに、TVを点け放しにしているのはこの世代なのだから。
その時は、日本のエネルギー需要も10%以上減るでしょうから、太陽光発電は要らないですね。
いずれにせよ、日本の社会を掻き回して来た団塊世代の退場は、大きな社会的な変化を齎すはずだが、この点から統計的発信をする評論家がいない。
鉄道工事理論で、10年後、30年後、50年後を見据えるならば、第一歩として、もっとも喫緊で必要なのが「真っ当な野党」だと思う。とりあえず、政権を担う能力がなくても良いから、真っ当な野党が欲しいところ。とにかく、多くの人に選挙に行って欲しいと願います。
分断から協調へ時に不平不満や感情的な意見(ネット反抗期、ネット厨二病を経て)もアウフーヘーベンしていけたら良いと思います。
鉄道工事理論は農耕民族らしい日本人に合致している忍耐強さを感じますが、当の法律を作る公務員が我々は牛の世話や製造業、鉄道の保全や複線化してる現業の満鉄底辺公務員ちがうぞと変わったエリート意識を持つと危ういですね。
しかしそんな公務員少数だとワタシは確信しております。
すべての政党が人材難になってしまったため,内閣や自民党より財務省の力のほうがずっと大きくなってしまった。大臣でも財務省に逆らうと秘密をリークされて大変なことになる。鉄道工事もお金を出す人の発言権が強いでしょう。実務能力も,政治家よりは財務省のほうが高いかな。もっと実務能力のある人は官僚なんかになりませんけど。
私なぞは詳しく調べようと検索したら疑問解決のとっかかりがここの記事や読者投稿だったりすることがちょくちょくありまして居ついた次第。意義はあります、ありがたいことです。