交換法則を無視する小学校「掛け算の順序教育」の弊害
金融評論的に取り上げておきたい話題のひとつが、基礎的な算数における「交換法則」です。X(旧ツイッター)によると、小学校では一部の教師が「掛け算には順序がある」と教えているようなのです。「掛け算の式を言葉通りに合わせて書くことが求められているのだから、それができないならば不正解」、などとする主張も提起されているようです。
算数の掛け算の順序問題
金融評論を標榜している関係上、当ウェブサイトでいちど取り上げておきたいと思っていた話題のひとつが、「交換法則を無視した算数教育の弊害」です。
少し前から、X(旧ツイッター)上で話題となっているのが、「算数の掛け算の順序」です。
たとえば、こんな問題があったとします。
「花子さんはお店で1本5円の鉛筆を6本買いました。合計でいくらですか?」
消費税などについてはおそらく考慮しないのだと思いますが、多くの人はこれについて、次のA、Bいずれかの答えを出すと思います。
- 「5×6=30、なので30円です」。
- 「6×5=30、なので30円です」。
AもBも、掛け算として、数学的にはまったく同じです。
ところが、現在の日本の(一部の)小学校では、Aが正解、Bが不正解、として取り扱われているのだそうです。当ウェブサイトもサイトの性質上、数学が得意だという方が読者に多いと思いますが、数学が得意な皆さまはこれについてどうお考えでしょうか?
交換法則からすれば、AもBも正解
そもそも論として、数学的には「5【円/本】×6【本】=30【円】」、と計算しても、「6【本】×5【円/本】=30【円】」と計算しても、同じ答えが出てきます。足し算や掛け算には一般に「交換法則」、すなわち今回の事例については次の計算式が成り立つからです。
- 5+6=6+5
- 5×6=6×5
もちろん、計算式によっては、こうした交換法則が成り立たないケースも出てきます(たとえば引き算や割り算、あるいは行列式の乗算の場合だと、掛ける順番によって結果が変わってくる可能性があります)。
- 5-6≠6-5
- 5÷6≠6÷5
著者自身は計算式について、「なぜその計算式を使うのか」が正しく理解できていれば良いと考えている人間のひとりであり、冒頭の設問についても、「合計金額を求めるためには掛け算を使う」という観点からは、「5×6」であろうが、「6×5」であろうが、正解で良いのではないか、などと考えています。
というよりも、「掛け算に順序がある」という考え方を押し付けることは、むしろ子供たちにとって有害ではないでしょうか。中学生以降に習うであろう因数分解、方程式などを解く際には、必ずしも乗算、除算の順序は問われないからです(というか、そんなことを言い出していたらキリがありません)。
やっぱり理解に苦しむ「掛け算の順序」
ただ、Xなどで見かける、「掛け算の順序を正しく教えるべきだ」とする主張をよく読んでみると、数学にない考え方を勝手に持ち出しているようなのです。たとえば、「掛け算の順序はおかしな算数の代表例だ」とするポストに対しては、あれこれ理屈をつけて「掛け算の順序が大事だ」、などとするリプライもついているようです。
掛け算の順序問題は小学校で教えられているおかしな算数の代表例です。
掛け算すらちゃんと教えられない教師では困ります。正しい解答を誤答扱いする教育は百害あって一利なしです。
早急に改善しなくてはなりません。 https://t.co/BjrICYd7po— あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 (@kikumaco) April 2, 2024
「掛け算の順序問題は小学校で教えられているおかしな算数の代表例だ」。
思わず同意せざるを得ない指摘なのですが、この指摘に対し、「順番論者」(?)の方から複数のリプライがあるようです。これらのリプライのすべてを取り上げることは控えますが、その代表例が、こんな考え方でしょう。
「掛け算の式を言葉通りに合わせて書くことが求められているのだから、それができないならば不正解」。
著者自身、いちおうこれを何度か読み返したのですが、やはり理解することができません。
むしろこの論者の方は、交換法則を無視し、「日本語表現の問題」と「数学の問題」を、(意図的かどうかは知りませんが)混同しているのではないか、とすら思えてなりません。
そもそも「掛け算には順序が決まっている」とする主張自体、数学の交換法則に背いているわけですから、数学的には純粋な間違いではないでしょうか。
日本語でも言い換えは可能なのだが…
というよりも、冒頭に挙げた「花子さんはお店で1本5円の鉛筆を6本買いました。合計でいくらですか?」も、日本語でこう言いかえることができます。
「花子さんはお店で6本の鉛筆を1本5円で買いました。合計でいくらですか?」
日本語表現としては若干不自然ですが、これでも意味は通ります。
このとき、「順序論者」の方からすれば、「Aが不正解でBが正解」、とでもいうのでしょうか。
- 「5×6=30、なので30円です」。
- 「6×5=30、なので30円です」。
謎と言わざるを得ません。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ちなみに実務家の世界で、「計算の順序」などとやっていたら、実務は廻りません。
実務の世界でも「金融商品や不動産の割引現在価値を計算する」、「一定の設備利用率の仮定の下である発電設備の年間発電量を計算する」、といった具合に、足し算や掛け算などが多用されます。
その際、計算の都合上、交換法則や分配法則をフル活用し、最も負荷が少ない方法で計算することが通常だからです。
いずれにせよ、正解を導き出しているのに式の順序が違うという理由で不正解とされれば、数学嫌いの子供を増やす結果につながりはしないか、懸念されるところだと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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変わった流派の解き方ですね。今の時代、学校ではそうで無いかもしれませんが会社でやるとパワハラ案件になるかと思います。
私は数学が専門ではありませんが、大学時代に習った数学をもとにちょっと書かせていただきます。
「Aが正解」説にも一定の正当性はあります。
整数の世界の基本的な演算は足し算で、そこから掛け算が定義されます。
つまり、A✕Bは、「AをB回足したもの」と定義されます。
同様に、掛け算から冪乗が定義され、A^B(またはAのあとに上付き文字のB)は「AをB回掛けたもの」と定義されます。
足し算、掛け算には交換法則が成り立ちますが、冪乗には交換法則が成り立ちません。
実は整数以外の分野では、掛け算にも交換法則が成り立たない世界も存在します(四元数など)。
ここまで考えるのであれば、「Bは不正解」という主張もありえます。
しかし、例えばこの問題を、「6本の鉛筆があり、1本につき1円ずつ5回に分けて支払わなければならない。全部で何円支払わなければならないか」という問題と捉えた場合、正解は
(1✕6)✕5
ちょっと略して
6✕5
も正解となります。問題をこのように再定義することができるのは、掛け算に交換法則がなりたつからに他なりません。
数学的には、AもBも対照律(ab = ba)に則って
いるので正解です。
Bを誤りとすること自体が大間違いなのです。
「最終的な答えがあっていれば良い」と主張しているのではなく数学の証明はアルキメデスの原理(整数が無限に存在すること)と反射律、推移律、対照律の4つのみを自明として行うことになっているので、これを否定するのは神おも恐れぬ暴挙だからです。
>>「花子さんはお店で6本の鉛筆を1本5円で買いました。合計でいくらですか?」
【小学校】のだけですよ、このような文章題は。
中学校にいけば数式だけの数学になる。
算数なんだから
5×6ても6×5でもどっちでも良い。
5×6はすぐ答が出るが、6×5は苦手な場合がある。
>著者自身は計算式について、「なぜその計算式を使うのか」が正しく理解できていれば良いと考えている人間のひとりであり
全くの正論です。会計士さんの言われることは、掛算計算の考え方と、式は、別ものだと言うことですね。
例えば、リンゴが5個入った袋を6袋用意する時、リンゴは全部で幾つ必要か?という問題。
日本語では、語順通りの考え方で、5×6=30、書け、と。
英語では、
Prepare 6packs within 5peices of apple.
であれば、6×5=30、という世界観ではないのかな?
式の書き方、単に、日本語の世界観から出たもので、世界で通用するのかな?
実際、アメリカでは、そんなこと教えられないとか。
こんなことに拘るから、算数苦手な子が出来るのでは?
Prepare 6 packs of 5 apples.
ではないかな。
確かに。
目的の解決より作法や礼儀を重視する日本人の民族病。いまだ残る儒教的文化。
「こどもの考える力を伸ばす教育」と看板を掲げているが
実際に(公立小学校で)やるのは教員のコピペ解答以外排除する思考停止奴隷教育
私が昔所属していた業界では、
数量 @ 単価 = 合計金額
という表記が時々ありました。
この場合、数量と単価を入れ替えてしまうと、
別の意味になってしまうので、入れ替えは不可能です。
花子さんの例なら、
6 @ 5円 = 30円
です。
余談ですが、「@」はピッチ(スパン)の意味でも使用してました。
6 @ 1,000 = 6,000 ← 1,000mm間隔で6スパン
業界ネタですみません。
それ発注実務の話や、数学と関係ない
かけ算の考え方をどのように教えているのかが、肝。
算数の問題で、問題文読解力を問われるのか。と思ってネットをあさってみた。
https://flute23432.blogspot.com/2018/11/blog-post.html によれば、
日本の算数教育では、かけ算は、明治以来、同数累加の簡略算として教えられ、
1980年代以降は、どの教科書もかけ算は、現在にいたるまで、一つ分×いくつ分、で教えられている。
とあるが難しい。デジタル信号処理の乗算では、臨機応変に一つ分(被乗数)、いくつ分(乗数)の入替が頻繁に行われる。又、2つの信号の相関係数を求める際、被乗数と乗数とをどのように定義するのか難しい、等々。実態は処理の容易さ優先。
まあ、こんな教育をしていると、算数のはずが国語問題となり、算数嫌いが増える。
紹介されてたXをみると、掛け算の順序にこだわるのはは、「1あたりの量」×「いくつ分」というのを理解させるためなんだってのがありました。
なんとなくわかる気がするけど、だったら問題文に、
「全体の量の計算式は、1あたりの量×いくつ分の順に書くこと」って注意書きすれば良いと思うのです♪
だだ、あたしとしては、掛け算の順序にこだわるよりも、単位を書くってことをしっかりやった方が良い気がするのです♪
× 5本×6円=30円
○ 5本×6円/本=30円
左辺と右辺の次元を揃えることを意識すると、いろいろと理解が進んだ記憶があるのです♪
高校のころ物理の先生が「単位を意識すれば物理の理解が早まるよ」て言ってたのを思い出しました。うん十年たってたった今ごろになって、ようやくしっくりしてます。
当時は「ふ~ん?」ってな感じでした。
単位の確認は、検算で使います。
これは、授業でも教えられ、参考書にも書いてあることですね。
個人的な見解ですが、最終的な答えがあっていれば良いという点に同意できる部分もあるのですが、「答案は解答者と採点者のコミュニケーションだ」という視点も必要だと思います
数式の順序は「採点者の意図を私は理解している」という意思表示になり、後に入れ替えることで「私は交換方法も理解している」という意思表示になります。最初から入れ替えて記載した場合、採点者は回答者が理解の上でやっているのかあてずっぽうなのか分からないのです
簡単な計算問題では煩わしいだけ、というのはそうなのですが、一度の暗算では回答にたどり着かなかったり、複数の式を経由して解答に、至るような難しめの問題であれば計算のプロセスを明示することは解くうえでも有効ですし、採点者が部分点を設定している場合、満点といかなくても得点を得られます。
実際(講師経験がある身としては)、一回で暗算できない問題に直面すると回答を放棄してしまう子供は多くいます。「一つ一つの計算はできているから書いてさえくれれば解けるのに」と歯がゆい思いをしたことも多いです。でもそういう子どもたちは、「解答を作るプロセスを書く」発想がないのです。ここは訓練で克服するしかありません。考えたことを言葉にさせて数式に書き下すことを習慣化してもらうしかないのです
この考えに基づくと、かけ算の順序問題は教師が生徒に獲得して欲しい能力が現れた結果ということがわかります。
こんなものは「受験を想定して難問に取り組む子」にしか必要ないと思う方もいるでしょう。本当にそうでしょうか? 私は、実は生きていくうえで基本的な能力だと思います。なので私は掛け算の順序での減点を理不尽とは思いません。必要悪だと思っています。
長駄文、失礼をいたしました
私も左遷元開発者さんの意見に賛成です。プログラミング教育を小中学校で履修する時代になったため、交換法則などの加法定理に注意を払う必要性が発生したと思われます。
ご存知でしょうが、代数学でお馴染みの行列には、積の交換法則が成り立ちません。交換可能性が成り立つ行列は特別な場合のみです。
ベイズ統計でも交換可能性は重要です。勿論、群論もそうです。
ナブラのような微分演算子では順序を間違えたら大変です。外積は正負が逆転します。
対数変換すれば積は和になります。つまり四則演算は変換によって互いの関係を連結出来ます。
私は学生時代から、式は省略せずに全て書き、数値は一番最後に代入することを習慣化しております。数値を代入し、整理する過程で数値を交換するのは許されるかもしれませんが、交換法則自体は決して自明なことではなく、成り立つことの方が稀だと感じております。
管理人のお考えなら、漢字が正しければ、書き順はどうでもいいという話になってしまいます。
掛け算が未知のものである児童に概念を理解させるには、文章から計算式へと転用するにあたり順番の遵守というのは、有効な教え方だとは思います。現在の学校現場での教育では、個別指導がしにくく(指導要領だけでなく教員不足などの他問題も関わってくるか)一律の成果を求められるでしょうから、出来ない子にある程度合わせるでしょうし。指導方法の”基準”としてはアリかな。
ただ、不正解にするとなるとやはりおかしいなと思います。掛け算は順序を変えても計算結果に変化が無いことを理解している、または順序を変えても問題なく計算を完遂させられた、ということですから、むしろ加点にしたら良いんじゃないかと。
上で触れられていますが、書き順も同様に感じます。書き順を無視した方が美しく規則的に素早く書ける、というのであれば問題は無い。ただ、こちらはおそらく無理です。筆と墨で書く場合は更に仕上がりの差が顕著なので、重要度が違ってきますし。
二度書き禁止なんかもそうですが、全く違和感なく二度書きを遂行できたなら、文化財修復などに才があるやもしれません。
成功したら加点、失敗したら大減点とかできないものか(ゲーマー脳)。
漢字の書き順は行書、草書だと流派によって違う場合があるそうです。あと楷書でも日本と中国で書き順が異なる時もあるそうですから、合理性や美しさはあまり関係なく、それで慣れているからきれいに書けるのではないかと。
なお、「右」と「左」では上の部分の形が似ていても「右」は「払い」から、「左」は「横棒」からと書き順が違いますが、これは甲骨文字の時代からの成り立ちによるものだそうなので、書きやすいとかきれいとかの理由ではないのが面白いと思っています。
2024/04/03 21:03 21:03を書いたものですが、最後書き漏れてしまいましたので追記します。
最終形が同じになるとしても、途中の経路が「お作法」として(漢字の書き順のように)決められている場合があり、このかけ算の話も暗黙的な「お作法」と捉えれば良いのではないかと思います。
書き順と交換法則は別だろ
なるほど参考になります。
初等教育と高等数学の違い、字を覚える段階のお習字と芸術としての書道と、それぞれの差が明確にされないと、論点が定まらない議論っぽいですね。
事例が小学校なので、理解の導入として”お作法”が優先され得るとも思いますが、散見される元の議論の一番の問題点は、ただ不正解にされた、という点でしょうか。なぜそうなのかを一緒に考えたり、点はあげられないが解説を入れて褒めてみせる、というような現場であってほしいと感じます。
……あ。
小2?くらいで[場]の漢字を習った際、「この字はどんな使い方があるかな?」と問われ、同級生が「場ショ」「ミズ場」といったような例を上げたあとに私は「太陽」と答えてしまいました。得意気に答えたのに不正解なので泣き出したところ、「惜しい、似ているけど違うの。でもまだ太陽は習ってないのにすごいね。」と言ってもらえたのを思い出しました。印象に残るもので。
今となっては新聞社説に「賽の河原やんけ」とかツッコむ(次記事)、いやな人間になってしまいました。すみません先生……
太陽のような優しい大らかな先生に教えられたのに、とこでどう間違った?
きっと、朝日のせい?
>漢字が正しければ、書き順はどうでもいい
と
思うようになりました、東大王の秀才天才さん達の書き順の滅茶苦茶さを見るにつけ。
それに書き順は、時代により変化しています。
65年前小学校で教わった書き順と今の書き順は違う…そういう文字があります。
掛算の順序問題を始め知った。半世紀前にはそんな話は無かったが、時代が変わるとこんな問題が出てくるのか。驚きである。
ちなみに私は、九九の順番が早い方を使っていた。これなら九九を半分覚えるだけで済む。
そうですね。私が小学生の時はそんな問題全く無かった記憶があります。
何時からそんな順番に拘るなんて訳の分からん倍屁理屈になったのやら。
ず~っと、昔から教えていますよ、日本の義務教育では。
掛け算の答えの単位と同じ単位の数字を×の左側に書く、
というのが算数教育の常識でしょう。
掛け算の後の割り算の教育で、答えの単位と同じものを÷の左側に書く
というのと統一を取るためです。
計算する際に、入れ替えても結果が同じだから入れ替えてから計算する、は良いのですが、最初に立式する際に上のルールに従うのは基本です。
私は数学科の出ですが、その立場から言うと、
「交換法則は自明ではない」
です。小学校では乗法に関して交換法則が成立する場合をやりますが、大学に行ったら交換法則が成立しない乗法も出てきますし、その一歩前、高校生で習う行列の計算でも交換法則は成立しません。
ですから、基礎の算数の段階でも、まず掛ける数と掛けられる数のしっかりやって、その上で順序を交換しても結果が変わらない「交換法則」というのがある。ということを順序だって学んでほしいです。
ですから、交換法則を当たり前のように使ってしまった解答を減点するのはアリだと思います。但し、問題文に「掛けられる数と掛ける数の順序を正しく書いて計算すること」の指示をいちいちつけた場合に限りですが(そういう注意をいちいちすることは教育的にも重要です。書いてある指示を理解できなかったから減点、って根拠が必要)
新宿会計士さまと違う意見になりますが、数学科卒として許容出来ない論点でしたので。
❌ まず掛ける数と掛けられる数のしっかりやって
⭕️ まず掛ける数と掛けられる数の関係についてしっかりやって
>私は数学科の出ですが
ふーん。
数学科卒で数学の専門家ですってか。
算数(数学)に国語の問題を混ぜ込む輩がいるから話がややこしくんじゃないかな。
小学低学年時代に九九を覚えるのに「さんく」がわからなければ「くさん」でもいいのよ、というのもダメってことで、そこまで教えれば完璧なんですが。
左遷元開発者さん、管理人のファンさん、Gよりさんのおっしゃることもわかりますが、私は、Bを不正解とすることには反対です。
主な理由は、「AをB回足したもの」をA✕Bと書くのは単なる表記法の問題であり、他のみなさんもおっしゃるように、言語によってはこれをB✕Aと書いたほうがしっくりくる場合もあるからです。
例えば、xをfという関数で操作したものとf(x)と書きます(おそらく西欧語の語感からこのように書くものと思います)が、これに習えば、「AにこれをB個合算するという操作を加えたもの」は「(✕B)(A)」とでも表記したほうが論理的であるという考えもあります。たまたま歴史的に定着した「A✕B」という表記のルールに合わせることを求めるのは、初等教育としては行き過ぎではないかと思います。
まあ私としては、もっとよい解決法は、このように異論の余地のある採点に一喜一憂せず、例えば入試のようにその問題の正誤が重要な意味を持つときのみ争う、ということではないかと思いますが。
まず掛け算の順番がどちらでも正解なのは多くの方のおっしゃる通りです。このような議論の場合、AがB個あるときの総数をA×Bと表記するのが前提にあります。AがB個ある状態を、見方を変えればBがA個あるようにも解釈できるのでB×Aと表記しても良いというのが結論かと思います。
それと全然違う観点の話をします。上の議論では、背景的にAという「基の数」に対して×Bという「演算」をすると考えられています。しかし数学の授業を思い出してみてください。演算は基の数の左からかける習慣があります。関数f(x)はxの左にfを書きます。微分dy/dxは(d/dx) yという書き方もします。ベクトルの一次変換は行列をベクトルの左に掛けます。掛け算もB倍するという演算ですので、数学的にはB×を基の数Aの左からかけるのが自然です。もちろん基の数Aに右から×Bという演算をかけるという考え方も数学的に不自然ですが間違いではありません。小学校の順番論者の先生は後者です。
私はこういう問題を見た時「5×6=30」とも「6×5=30」とも書かず
「30」と答えだけ書いて不正解にされ、先生に文句を言った思い出があります。
「こんなの暗算できるんですよ!答えは合っているでしょう!」と抗議したのですが、
「答えだけ書かれたらカンニングされている恐れが増す」と言われ、
「教師側のリスク管理か、それなら仕方ないな」と納得しました。
つまり横着人間の私にとっては感情的には「順序で不正解?面倒くさぁあああ!!」と
思ってしまうのですが、「ちゃんと理屈があるんだよ」と言うのも頷けます。
黙って不正解は良くないと思います。
何故なら、6×5が30でないとすればいくらになるのか?と悩むからです。
仮にその先生に6×5 ≠ 5×6 なのですか?と聞いたら なんと答えるのでしょう?
〓と答えるのなら、30と30は同じか違うのか?
同じならこの30は丸であの30は✖なのは何が違うのか?
✖にするなら、最後まで説明することこそ教育であり、✖にして説明なしに放っておく事さえすればありかなと。
個人的にはどちらも丸でええと思います。
なぜ小学校で教えるのは「算数」で、中学校以上だと「数学」というのかという理由と、重なる話かも知れません。
小学校の「算数」で、低学年のうちにかけ算の九九を習えば、五六三十、六五三十。いちいち教わらなくとも、その時点で交換法則に気付きますが、「交換法則」という術語そのものを教わるのは、中学校(高校だったか?)で「数学」を習い始めてから。
「算数」では、乗算はあくまで加算の延長であって、簡便法。
一本5円のエンピツを6本買えば、
5円+5円+5円+5円+5円+5円=30円。
6本+6本+6本+6本+6本=30本では、題意に沿いませんし、
6×5を、5(円)を6回足す意味に取れというのは、若干無理があるような気がします。
教員免許も、小学校教諭と、中高校教諭は、別物。多分教員養成課程で指導される、「算数」教育と「数学」教育で、件の文章題への解答を、是とするか否とするかの違いが、出てくるように思えます。
ただ×にするだけでなく、教師が理由をそこまで納得いくように教えているかどうかが問題ですね。
交換法則を説明するためにテンソルの話を持ち出す必要はなかったかもしれませんが、例えば、数値に1を掛ける、もしくは数値にゼロを足すという行為に数学的な意味があるかという問いかけと類似しているように思いました。いくら計算結果が同じになっても、1や0を省略すると意味が変わってしまいますから、数学的には間違いなのです。
交換法則の適応を小学校段階から厳密化する理由として、私はプログラミング教育の開始が間違いなく影響していると考えます。例えばFORTRAN言語のDo ループ文では、等号記号が数学の場合と異なる意味を持ちます。小学校だからこそ、定義を厳格に指導する必要があるのでしょう。
数式に厳密であることは、計算ミスの未然回避するのに有効です。安易な式の省略は、計算ミスが発生した場合の確認作業を難しくさせます。
エクセルの表計算データは、セルの数値データを成分とする行列そのものです。列、あるいは行をベクトルとする多次元空間に対応します。最近流行りのデータマイニングは次元縮減に偏微分を活用しながら最適化しますが、全微分とは違いますから、交換法則には厳格でなくてはなりません。子供のときから、数学的厳密さを指導することは、大いに好ましいと考えます。
Aが正解です
数学は国語であり、言語の概念の学問なのです
もう一度言います
数学=国語です
随分と個性的な考え方ですね(褒めてない)
個性的ではないですよ。
数学は国語ではなく、言語です。
数学は、数式を使う、人類の共通の言語です。
交換法則を学習してから書き込みな
残念ながら算数が国語であるというのは厳然たる事実です。
計算には国語の要求が然程ありませんが、算数は国語が必要です。
ここのブログで偉そうにコメントしてる連中はツイッターのこれらのツイートを参考にしたら?
匿名コメント主様
貴重なポストを紹介して下さりありがとうございます。各ポストは正論だと思いますので、早速リポストさせていただきました。
ただし、
>偉そうにコメントしてる連中
のような暴言はお控え下さい。
どうでも良いが昔、某証券会社が
1株を61万円で
と入れるべきところ
61万株を1円で
と単価と株数を逆に入れて数百億の損害を出した事件があった。これって掛ける順番が大切な話だけど、ブログ主が提示している小学校の算数ってそういう掛け順の必要性がない教師の自己満足の世界のやつ。実務を知らないからね、小学校教師は。
>「花子さんはお店で1本5円の鉛筆を6本買いました。合計でいくらですか?」(配点10点)
毎日の宿題のドリルでは、(ドリルは、授業の延長で学んだことの確認のためのものとすれば)
A: 5×6=30 〇で10点
B: 6×5=30 △で5点
すると、児童は、何故△で半分の点数なのかな?と4考えて、式も正しく書かなければいけないのだな、と分かり、式の書き方の意味を理解するのではないか?
そうすれば、問題は答えが正しいだけではなく、その答えを導き出すための考え方も確り学ばなければならないと分かるのでは?
そういう教え方の過程を経て、正式なテストでは、Bを×0点とするのなら、良いかも。
狂気を感じる
>その際、計算の都合上、交換法則
>や分配法則をフル活用し、最も
>負荷が少ない方法で計算すること
>が通常だからです。
管理人さんのことだから、きっと膨大なビッグデータを扱っていらっしゃるのかもしれませんが、計算負荷を考慮しなければならないくらいの解析は、その後基礎式自体がとても複雑で難解な場合がほとんどですから、そういう時こそ、基礎式はシンプルにプログラミング化されるべきだと考えます。例えば、10日かかる計算が5日で済むような高速処理には意味がありますが、10秒で済む計算を5秒に短縮させてもあまり意味がないのと同じです。私は通常、計算負荷よりもプログラムコードの解りやすさにこだわる場合がほとんどです。
重複順列やフィッシャーの直接確率の計算のように、階乗項が分数の分母と分子の両方に沢山出てくる場合も稀にありますが、大抵の計算では、あまり負荷は気にしなくても良い場合がほとんどのように思えます。
問題の設定(モデリング)と算法の二つの階層がありそうです。上智大の那須教授の授業法の著作で、担当教員が自分の考えと異なった回答した子には、どのように考えたのかを聞く必要があるとの指摘で、支払い方の問題が例に上がっていた気がします。算法レベルだったら、両方正解一択。
問題の設定レベルでも、どんな考え方が潜んでいるか知れず、両方正解が無難と考えます。考え方を聞いて、クラスで共有することが大切では。
簡単なようでなかなか難しい問題です
※「A」のみを正確とするのを「厳格派」
「A」「B」ともに正確とするのを「寛容派」
と呼ぶことにします
コメントを読んだ限り「厳格派」が優位にみえます
どちらも一理あるのですが
「厳格派」は(将来を見据えた)上限の上乗せ(算数→初歩数学→高等数学)
問題としてはサイト主も言及している底辺の切り捨て(ついていけなくて算数嫌い・苦手意識が増える可能性が高いと思われます)
私は中庸(見方によっては風見鶏)を旨とするので
どちらかと言えば「寛容派」寄りです
「寛容派」は底辺の底上げ
対象は小2(低学年)と思われます
まずは算数嫌い・苦手意識を低く抑えて中学年・高学年でレベルアップする方がよろしいかと思います
※正直 大学生が分数の計算ができない(人がいる)など情けない話はききたくありません
>正直 大学生が分数の計算ができない
正直、これは、重大な問題です。
小学校で、式の書き方の順序に拘った教え方をするから、算数嫌いになるんじゃないか?
自分が正しいと思って結果も合っているのに、順序が違うと一刀両断に、「不寛容」に✖︎を付けられたら、やる気がなくなるんじゃないかな?
文部科学省の「小学校学習指導要領解説 算数編」で「1つ分の数×幾つ分」の順で式を立てるよう指導することが基本だからでしょ。
現状は現場(先生)に任せているようで、厳格な先生はAしか正解にしないというだけでは。
小学校は「算数」で、中学校以降な「数学」ですし、不正解の意味内容をきちんと説明しているなら良いんではないですかね?
基礎的な考え方を知覚させる段階なんとちゃいます?
知らんけど
小学校算数では「つるかめ算」で解かないと『答え合ってるけどバツ』ってされる出題あったりしましたし
代数の存在覚えて方程式使い出したら「つるかめ算」なんてやらんでしょ?
「花子さんはお店で1本5円の鉛筆を6本買いました。合計でいくらですか?」
5×6=30
「花子さんはお店で6本の鉛筆を買いました。1本5円と言われました。合計でいくらですか?」
6×5=30
単価×数量=売上(代金)、が基本。
ただし、取引の現実では、弁当が100個必要、1個1000円だから、予算(代金)は100000円だな、と、100×1000=100000、という計算式で計算していますね。つまり、掛算の交換法則を、無意識に自然に使っていますね。頭の中や、電卓を打つ時に、わざわざ、単価×数量の順番にして計算はしないですね。
ただ、小学校では、掛算は「倍する」ものということを教えるのが目的ですから、数式の書き方は、キチンと教えるべきなのか?
小学校低学年の算数は社会生活実用上のツールとしての算術を学ぶ面があって然るべきと思いますんで、かけ算逆順を一概に×にするのは違和感がありますね。
数学的な正しさは、それが必要になってから教えても遅くはないと思います。
好きな子はほっといても勝手に学ぶでしょう。
その通り!
代数の考え方は、そもそも、現象を抽象化して数でモデル化することで(だから「数で代える=代数」)、
現実世界の現象とは切り離して、数学的に成立する手続き処理により、
手続きを知っていさえすれば誰でも(それこそ機械でも)効率よく解を数で出すことができ、
最後に出た数を現実世界に戻すことで、現実に対する解を考えることができます、という考え方です。
「花子さんはお店で1本5円の鉛筆を6本買いました。合計でいくらですか?」
を5✕6 とやっている時点で、もう、花子さんとか、鉛筆とか何本かとか、円という単位とか、そういう現実的な事象は削ぎ落とされていて、抽象的な数のモデルになっているわけです。
「太郎さんが一皿に5個入った団子を6皿食べました。全部で何個食べましたか?」
という、別の現実に対しても、同じ5✕6という式が立つわけで、その計算手続きは全く同じです。
最後の30を「30円の代金」ではなく「30個の団子」と現実に戻してくるところだけが、
異なる現実との接点です。
現実の抽象化(等価な抽象化モデルはいくつもあって当然)、そこから解を導く手続き、最後の具象化、そういう一連の作業が数学の本質的な部分であり、つまりは数学のテストで測られるべき能力なのでしょうから、掛け算の順序にこだわるのは、数学(算数ですけど)のテストとしても無意味と思います。
むしろ、5✕6と6✕5と等価だとみなして、(例えば自らが6の段が得意だとして)現実世界から素直に読み解いた5✕6ではなく、数学的に等価な6✕5で式を立てることができる人の方こそ、あるいはこれらの間の違いを脳内で意識しないその認識こそ、数学的な素養であると評価されてもよいくらいです。
計算が間違ってるんじゃなくて式の立て方が間違ってる。式を最初に書いた後にひっくり返して計算しても別に問題はない。
正しく式を立てられないということはきちんと問題を読めていないということ。
減点されても仕方ない。
どなたかも書いてますが、これは算数の形をした国語の授業なのでしょうね。
往々にして数学は文学的(哲学的)表現が多いので、そういう力を身に着ける必要はあるのかもしれません。
交換の法則などは、また別の授業でやるんじゃないでしょうか。
少し目を離している間に、こんなに面白い論争(ではないか?)が行われていることに感激しています。伊江田さんの論考に匹敵する(とまでは言えませんか)知的な論争だと思いました。ただ自分の孫がどうか、と問われたら、教師はもし×にするならその理由を分かるようにしっかり教えてくれればいいと思いますが、何も説明せずに×をつけたら一言文句を言いたくはなりますね。
少し話はちがいますが、「算数=国語」とい話もありましたので思い出しましたが、昔理科の授業で「雪が解けたら何になりますか」という問いに「春になる」というのを×とした教師がやり玉に挙がっていたような気がします。私はこれこそ、理科の授業のなんであるかを解さない子供へのおもねりと思いましたが、今回の場合は5(個)とか6(人)とか単位を付記させれば国語的な間違いもなくなるのでは、と思いました。
教育学部小学校教員養成課程は「文系」と認識している受験生が大半です。
おかげで,理科と数学が苦手な小学校教員が大量生産されるので,
Bを不正解とする教員が結構いて,子供が迷惑するわけです。
問題文を日本語で解釈して書き下すとA, 英語等で解釈して書き下すとBになるので,
欧米ではBの書き方が一般的になります。
その他,小学校では「正三角形は二等辺三角形でない」とか,
数学的なデタラメがまかり通ります。
もっとも,中学や高校の数学の先生も,いろいろウソを教える人が多いです。
特に,証明がからむ部分。
でも,社会(倫社政経)になると,教科書自体に結構ウソが書いてありましたね。
更新ありがとうございます。
個人的にはどちらでも良いと思いますが、所謂「単位あたり量」という概念を重視する考え方として、特に低学年を指導する場合、「最初はAでなければならない」という先生もおられます。
受験指導寄りの自分としては、そんな暇があれば、 二桁 ✕ 一桁 の百マス計算プリントを何枚もこなしてもらった方が、のちのち楽になると思ってしまいますが。
実際の受験指導で使うのは、144マスを2分でどれだけ正答できるか、などでした。計算が速い小学生は、一年ぐらい続けると、2枚目までできるようになってきます。遅い人でも、練習を続けていれば、半分ぐらいは正答できるようになります。
まあこれは中学入試の場合ですので、学校教育とは乖離しています。
とはいえ、前述の単位あたり量は、扱い方を一つ間違うと、苦手概念になってしまうので、最初は丁寧にという考え方もわからなくはありません。
ただ、丁寧にやり過ぎて、苦手意識を持つ生徒を量産しなければとは思います。
プログラミングに言及している方がおられましたが、私もプログラミングで使用する式ではおかしなことになりかねないなと思いました。
プログラミングが絡んでくると、交換法則を使って式の書き方を変えたりすると余計におかしくなったりする可能性が出てきます。
定数を固定式で書いて、変数に代入するような使い方ですと、プログラムを読む時に分かりやすくするのにやったりするわけですが、それを交換法則を使って書き方を変えてしまうと、分かりにくくなったり、意味不明になりかねないですね(コンパイラだと処理速度にさほど影響もないですが、インタプリタだと昔は遅くなったな)。
余計な話になりましたが。
プログラミングですと、数式の書き方は数学的な書き方のみならず、逆ポーランド記法(今回の例だと5 6 ×と書く)とかも扱ったりしますので(あまりないと思うけど)、式の記述順序は値の意味を考えると、下手に交換法則を使わない方がいいかな。
こんな話は算数の領域ではないですが。
個人的な感想としては、算数と数学の違いと考えると、分かりやすい気がします。