新聞の部数がつるべ落としのように減っているとする話題は、当ウェブサイトでもかなり以前からしばしば取り上げてきました。ただ、これらのデータを冷静に眺めてみると、新聞の夕刊は、朝刊よりもかなり早い段階から、部数が激減し始めていることに気付きます。その理由について、確たることはよくわからないのですが、それと同時に夕刊の部数や休刊の動向などに関しては、朝刊の「先行指数」、あるいは「炭鉱のカナリヤ」として使えるのではないでしょうか。
目次
新聞部数と新聞社経営
ダブルパンチの新聞社経営
先週末から、新聞社の決算に関する情報がいくつか出ており、それらの一部については当ウェブサイトにおいても取り上げています。
一般社団法人日本新聞協会が発表する新聞部数に関する統計データに加え、断片的に出て来る新聞社の決算に関するデータなどを眺めていて気づくのは、新聞の部数については右肩下がりで減少し続けていること、したがって新聞社の売上高についても同じく右肩下がりで減少し続けていることですが、それだけではありません。
ここ1年前後に関していえば、おそらくは新聞紙などの原料代が高騰しているためか、コスト上昇が新聞社の経営を圧迫し始めているようなのです。
たとえば、金曜日の『「沖縄タイムスが経常赤字に転落」=琉球新報が報じる』では、株式会社沖縄タイムス社が2023年3月決算において減収・減益となり、経常損益は3億8480万円という赤字に陥ったことを「琉球新報が報じた」、という話題を取り上げました
琉球新報の報道によると、沖縄タイムスが経常赤字に転落しました。無料版記事だけだと詳細な情報はよくわかりませんが、想像するに、用紙代などのコスト上昇が同社の経営を圧迫した可能性が濃厚です。これから新聞社の決算に関する話題が相次ぐと想定されるなか、新聞業界がどうなってしまうのか、心配で心配で夜ゴハンもろくにのどを通らず、夜もほとんど眠れない可能性がありそうです。またしても、なかなかに評価が難しい記事を発見してしまいました。琉球新報によると、沖縄タイムス社が23日の取締役会で承認した2023年3月期決算... 「沖縄タイムスが経常赤字に転落」=琉球新報が報じる - 新宿会計士の政治経済評論 |
その株式会社琉球新報社の決算に関する記事が見当たらないというのも興味深いところですが、それだけではありません。
また、日曜日の『朝日新聞社が「減収減益」で2年ぶりの営業赤字に転落』では、最大手の一角を占める株式会社朝日新聞社が2023年3月期決算で、売上高が減少する一方で売上原価や販管費が増え、2年ぶりの営業赤字に陥った、とする話題を取り上げています。
株式会社朝日新聞社の2023年3月期決算は減収・減益となり、しかも2021年3月期に続いて、再び営業損失に転落してしまいました。売上高が減少しているなか、売上原価、販管費といったコストの上昇を賄い切れなかった格好です。最大手の朝日新聞ですら、こういう状況にあります。今後の焦点のひとつは、朝日新聞などの値上げにより、新聞部数の減少ペースがさらに速くなるのかどうか、といった点にありそうです。株式会社朝日新聞社の短信公表今年も、この時期がやってきました。株式会社朝日新聞社の決算(連結、単体)の概要が判明し... 朝日新聞社が「減収減益」で2年ぶりの営業赤字に転落 - 新宿会計士の政治経済評論 |
すなわち、趨勢としての売上高の減少に加え、物価上昇などによる売上原価・販管費の上昇が、新聞社の経営にとっては「ダブルパンチ」となっている、というわけです。
株式会社朝日新聞社の単体売上高
このうち株式会社朝日新聞社の決算に関して、少しだけ補足をしておきたいと思います。
昨日も触れたとおり、株式会社朝日新聞社の売上高を過去12年分並べてみると、とくに2015年3月期以降、連結、単体ともに右肩下がりで推移していることが確認できます(図表1)。
図表1 株式会社朝日新聞社・売上高の推移(連結・単体)
(【出所】株式会社朝日新聞社・過年度有報および決算短信を参考に著者作成)
ここで、連結と単体の違いはどうなっているのでしょうか。
株式会社朝日新聞社の有報等の子会社、関連会社や事業セグメントの記載などから判断して、基本的には単体決算では新聞事業(とくに新聞の販売)が売上高の最も大きい項目を占めているものと考えられる一方、連結決算には新聞事業の広告収入が合算されているのではないでしょうか。
実際、単体売上高をその年度の朝刊部数で割ってみると、毎月の売上高は3,400円前後となります。
ちなみに朝日新聞の購読料は、2021年6月までは月額で朝夕刊セットが4,037円、統合版が3,093円でしたので、だいたい「単体売上高≒新聞の販売収入」、と考えておいてよさそうです(※ただし、21年7月にはそれぞれ4,400円、3,500円に値上げされています)。
つまり、単体売上高は純粋に新聞の販売のみが計上され、連結売上高には新聞の広告売上に加え、出版子会社が営む雑誌販売、そして好調な不動産事業の売上高なども含まれていると考えるのが自然ではないかと思います。
ということは、株式会社朝日新聞社の場合、単体決算をじっくりと眺めれば、純粋に新聞販売にともなう収益構造(とくに販売数量、販売単価、変動費、固定費など)を把握することができる、ということでもあります。
今年6月下旬に有価証券報告書が公表されたあかつきには、このあたりの数値についてもじっくり検討する価値がありそうです。
新聞は朝刊よりも夕刊の方が早く消滅する
さて、補足はこのくらいにしておいて、ここで、新聞業界に関して重要な事実関係をいくつか振り返っておきましょう。
まず、『新聞朝刊の寿命は13.98年?』などで取り上げたとおり、一般社団法人日本新聞協会のデータによれば、紙媒体としての新聞朝刊は、2022年10月1日までの5年間で1086万部減少しました。1年あたりに換算すると217万部で、このペースで減少が進めば、13.98年後には部数がゼロになります。
「紙媒体の新聞朝刊は2022年10月から数えて13.98年以内に消滅する」。こんな話を、当ウェブサイトでは最近、しばしば提示します。この「13.98年」についてはときどき、一部の読者の方から「なぜこの年数なのか」と尋ねられますので、本稿ではその計算ロジックと関連する数字を深掘りしたうえで、新聞社を待つ「3つのシナリオ」について考えていきましょう。新聞部数データ「朝刊の寿命は13.98年」の計算根拠以前から当ウェブサイトで「13.98年」という数値をよく登場させています。これは、一般社団法人日本新聞協会が公表している新... 新聞朝刊の寿命は13.98年? - 新宿会計士の政治経済評論 |
続いて『新聞夕刊は7.68年以内に消滅』でも取り上げたとおり、夕刊についても同じロジックで計算すると、2022年10月1日までの5年間での減少部数は419万部で、年換算で84万部です。このペースで減少が進めば、7.68年で部数がゼロになります。
「新聞の夕刊は2022年10月1日から起算して、遅くとも7.68年以内に消滅する可能性が高い」。これは、新聞発行部数のデータから逆算し、現時点において当ウェブサイトで暫定的に結論付けている内容です。ただ、このタイムスケジュールが早まるかもしれません。『FACTA』という雑誌によれば、新聞の用紙代が今春、大幅に値上げされるのを契機として、夕刊の廃刊に踏み切る新聞社が増えてきたのだそうです。もっとも、遅かれ早かれ、夕刊は早ければ数年のうちにも「絶滅」する運命にあります。用紙代の値上げはその単なるきっかけに... 新聞夕刊は7.68年以内消滅か - 新宿会計士の政治経済評論 |
部数がゼロになるまでの年数は、22年10月1日から起算して、朝刊が13.98年、夕刊が7.68年ですので、夕刊は朝刊よりも6年ほど早く寿命を迎える計算です。
といっても、新聞各紙の部数の減少速度は一定ではないでしょうし、なかには某新聞社のように、「不動産事業などでかなり儲かっており、新聞事業が多少赤字であったとしてもまったく問題ない」、という事例もあるかもしれません。
ただ、それはあくまでも幸運な事例であり、たいていの場合、新聞社には経営にそこまでの余裕はありません。よって、「本業」である新聞事業であまりにも多額の赤字を計上し続ければ、下手をすると倒産も現実のリスクとして浮上します。
このため、通常の企業であれば、赤字に転落するよりも前のタイミングで、その事業を停止するという判断を下します。ましてや部数が急減しており、回復の見込みもないような場合だと、なおさらです(とくに操業停止の決断は、早ければ早いほど傷が浅くて済むはずなのですが…)。
炭鉱のカナリヤとしての夕刊
日本の夕刊の位置づけ
それはさておき、本稿で焦点を当てておきたいのは、「夕刊」です。
夕刊の部数は、新聞社が「操業停止」に追い込まれるまでのプロセスを読むうえで、非常に重要な役割を果たしているかもしれないからです。あるいは夕刊は朝刊の「先行指数」、もっといえば業界の暗い未来を予測する「炭鉱のカナリヤ」として、新聞業界の未来を予見する存在かもしれないからです。
そもそも、インターネットもテレビもなかった時代、毎日のように刊行される新聞は、私たち一般人がニューズをいち早く知るための、最も有力な手段だったことは間違いありません。
そして、日本では多くの場合、新聞社が朝刊を主軸に据えつつ、それを補足するメディアとして夕刊を刊行してきました。要するに、「朝刊が主、夕刊が従」、という関係だったのです。
この点、朝・夕刊のいずれが主軸であっても構わないと思いますし、現実に諸外国だと「朝刊紙」、「夕刊紙」という違いがあることが多く、また、国によっては朝刊と夕刊で主従関係が存在しないというケースもあるようですが、少なくとも日本の場合、朝刊が主軸とされることが多いです。
このように考えていくと、日本の場合、夕刊の役割は、朝刊では追いかけきれない話題を伝えることが中心とならざるを得ません。具体的には、朝刊を刷ったあとに発生した事件・事故、出来事、その日の午前中までの株価、その日の夕方以降のテレビ・ラジオ番組、夕刊用のマンガなどが掲載されるようです。
また、折込チラシは朝刊のみというケースが多く、夕刊にチラシが折り込まれるというケースはほとんどありません。実際、「学生時代に新聞配達をしていた」と称する、山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士の場合だと、3年間の新聞奨学生経験で、夕刊にチラシを折り込んだのは、わずか2回でした。
こうした点を踏まえると、多くの新聞にとっての「主軸」はあくまでも朝刊であって、夕刊はその「補足」として、速報性などに重点が置かれていることがわかります。
夕刊部数の激減は、すでに2000年代後半から始まっていた
そして、日本新聞協会のデータ上、朝刊に先駆けて、夕刊がすでに2000年代後半から10年代前半にかけての時期に、減少速度が速まっていたことがわかります。これを示したものが、図表2と図表3です。
図表2 朝刊部数と減少速度
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』を参考に著者作成。ただし、「朝刊部数」は「セット部数+朝刊単独部数」を意味する)
図表3 夕刊部数と減少速度
(【出所】一般社団法人日本新聞協会『新聞の発行部数と世帯数の推移』を参考に著者作成。ただし、「夕刊部数」は「セット部数+夕刊単独部数」を意味する)
図表2で見ると、朝刊部数が年間200万部を超えるほどに急激なペースで減り始めたのは、ここ5年のことですが、夕刊に関してはそれよりも早く、すでに2007年から12年にかけて、5年間で390万部(年換算で78万部)ほど減っていたのです。
すなわち、日本においてスマートフォンが爆発的に普及し始めるのは2010年代以降のことですが、夕刊はそれ以前から減り始めていたことがわかります。
もちろん、2000年代後半といえば、業務上、PCを使いこなせるようなレベルの社会人などの間では、インターネットはかなり普及していましたが、まだスマートフォンはさほど普及しておらず、現代のような「猫も杓子もインターネット」という時代ではありませんでした。
「社会がネット化したから夕刊が廃れた」、だと、説明としては非常にわかりやすいのですが、現実の数値は、そうなっていないのです。社会がネット化する少し前から夕刊が廃れ始めているからです。
夕刊部数の減りが速い理由はよくわからないが…
そもそもなぜ、夕刊の方が朝刊と比べ、減りが速いのでしょうか。
これについては正直、さまざまな説明があり得ますし、著者自身も確たる理由を突き止めているわけではないのですが、それでも考え得る最も合理的な説明のひとつは、「夕刊そのものに社会的なバリューがなくなった」、ということではないでしょうか。
まず、夕刊の部数急減の要因として、真っ先に挙げておくべきは、いくつかの新聞社が夕刊の発行を取りやめたことの影響です。
有名どころでいえば、たとえば産経新聞は2002年4月以降、首都圏における夕刊を廃刊としていますし、調べてみると地方紙・地域紙を中心に、2000年代後半から10年代前半にかけて、廃刊が相次いでいるようです。
ただ、やはりそれだけでは、「年間78万部」という夕刊部数の消失の要因をすべて説明できません。
このように考えていくと、どうしても行き着かざるを得ないのが、「炭鉱のカナリヤ」仮説です。
つまり、夕刊は炭鉱のカナリヤのごとく、朝刊に5年から10年ほど先駆けて、新聞業界全体の未来を予想する存在となっているのではないでしょうか。いわば、朝刊に先立つ一種の「先行指数」のように機能しているのではないか、という仮説です。
現実にスマートフォンの爆発的普及という社会全体の変革が生じる直前に、夕刊の部数の激減が始まっていたという事実は、人々のライフスタイルの変化などに、夕刊が大変敏感に反応するという証拠に思えてならないのです。
「速報」と称するわりには速報性も乏しく、中身も薄い――。
そんな夕刊が朝刊に先立って廃れるのは、ある意味では当然のことだったのではないでしょうか。
このように考えると、夕刊の動きは、将来の朝刊の動きを予想するうえで、大変に重要です。現在の夕刊の動きが、そのまま5年後の朝刊の動きとなるかもしれないからです。
東海地区で相次ぐ夕刊の休刊
この考え方が正しければ、遅くともこれから数年以内には夕刊の休・廃刊ラッシュが訪れ、これに続いてあと5年から10年以内に、ついに朝刊そのものの廃刊に見踏み切らざるを得ない社が、大手新聞のなかでも出現する可能性が高いでしょう。
では、実際にその兆候は出ているのでしょうか。
これについては『いよいよ東海地区から始まった「夕刊廃止ドミノ倒し」』などでも取り上げた、東海地区で夕刊を「休刊」する新聞社が続出している、という事例が参考になるかもしれません。全国紙である毎日新聞と朝日新聞が、それぞれ東海3県での夕刊の発行を取りやめたのです。
毎日新聞に続き、朝日新聞も東海地区での夕刊発行を休止するようです。「新聞の夕刊自体、もう存在価値を失っているのではないか」――。古今東西、新たなテクノロジーが登場すれば、古い製品は廃れていきます。そろばんが電卓に、オルゴールが蓄音機に、LP盤がCDに、それぞれ取って代わられたように、新聞の夕刊という存在も、朝刊に先駆けて消えていくのかもしれません。「速報性」という観点からは、ネットにまったく太刀打ちできないからです。技術革新で消える製品某怪しい自称会計士の個人ブログのご高説某個人ブログに今から1... いよいよ東海地区から始まった「夕刊廃止ドミノ倒し」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
東海・中京地区の場合、伝統的に有力ブロック紙である中日新聞が強いという事情もあるのですが、逆にいえば、「今までは中日新聞が強い地盤である東海3県でも夕刊の発行ができていた」、ということでもあります。
当然、こうした動きは、今後、ほかの地区・ほかの新聞にも広がる可能性が十分にあります。
なにせ、本稿冒頭の前提が正しければ、夕刊は7.68年後にゼロになる計算だからです。
メディア激動研究所の水野代表の論考が面白い
これに関連してウェブ評論サイト『プレジデント・オンライン』が1週間前に配信した、興味深い記事がありました。
この20年で6割減、1168万部の夕刊が消滅…「昨日のニュース」しか載っていない新聞はいつ完全消滅するのか
―――2023/05/21 13:17付 Yahoo!ニュースより【PRESIDENT Online配信】
執筆したのはメディア激動研究所代表の水野泰志氏です。
東海地区における毎日、朝日の夕刊休止に関連し、水野氏は開口一番、「日本人の新聞離れが止まらない」として、「夕刊がなくなる日」が現実味を帯びてきたと指摘します。
「朝刊と夕刊をセットで購読する読者が激減しているところに、新聞用紙代の大幅値上げが引き金になったようで、コスト削減のため、やむにやまれず夕刊を廃止することになったとみられる」。
「全国紙が三大都市圏の一角で夕刊を休刊せざるをえなくなった窮状は、あらためて新聞の衰退を痛感させられる。夕刊廃止の大波は、遠からず東京エリアや大阪エリアにも波及し、全国から夕刊が消えてなくなる日が来ることは避けられそうにない」。
なかなかに、容赦のない指摘です。
記事では毎日新聞が夕刊を休刊する象徴的な意味合いも指摘されているのですが(この点については記事原文でご確認ください)、それ以上に水野氏に同意せざるを得ないのが、こんなくだりです。
「休刊の理由が振るっている。『東海3県では朝刊だけを希望される方が増えており、朝刊のみをお届けすることにしました』という。休刊の原因を読者に転嫁しているようにもみえていただけない<中略>いずれにせよ、朝日新聞らしからぬ稚拙な表現と言わざるを得ない」。
しかし、それと同時にこの理由付けは、東海3県だけでなく、首都圏や近畿圏などにおいても、同様の理由で休刊するときにも応用が利きます。
しかも、水野氏によると日経新聞が8月にも休刊するとの「話が伝わってくる」ほか、読売新聞ももともと朝刊しか発行していないため、「東海エリアでは全国紙の夕刊がまったくよめなくなりそう」だというのです。
用紙代は「3割値上げ」も!?
ほかにも、水野氏の指摘には興味深いものが多数あります。
巷間指摘されるとおり、今回の東海地区での夕刊休止の引き金となったのは、新聞用紙代の大幅な値上げでしょう(この点については当ウェブサイトの昨日の株式会社朝日新聞社に関する経営分析の話題とも整合しています)。
これについて水野氏は、具体的に、こう指摘するのです。
「ウクライナ戦争をきっかけにした資源価格の高騰などを理由に、22年秋に続いて、23年度納入分についても、値上げを『通告』。合わせて3割程度というかつてない規模の値上げを、新聞各社に迫っている」。
これが事実なら、大変なことです。
以前の『今度は毎日が値上げ…新聞業界のカギ握るのは日経新聞』でも引用したとおり、株式会社朝日新聞社の2022年3月期決算における売上原価明細を眺めてみると、材料費が単体売上高の11%にも達しているからです(図表4)。
図表4 株式会社朝日新聞社の単体売上高と売上原価明細(2022年3月期決算)
項目 | 金額 | 売上高に対する割合 |
売上高 | 1881億98百万円 | 100% |
材料費(※) | 209億77百万円 | 11.15% |
労務費(※) | 367億28百万円 | 19.52% |
編集費 | 105億48百万円 | 5.60% |
製作費 | 28億86百万円 | 1.53% |
印刷費(※) | 243億96百万円 | 12.96% |
広告費 | 38億52百万円 | 2.05% |
その他 | 364億12百万円 | 19.35% |
売上原価合計 | 1358億02百万円 | 72.16% |
売上総利益 | 523億96百万円 | 27.84% |
(※合計) | 821億01百万円 | 43.62% |
(【出所】株式会社朝日新聞社・有報P83~84を参考に著者作成)
これで確認すると、「材料費」(11.15%)、「労務費」(19.52%)、「印刷費」(12.96%)など、明らかに印刷や運搬などにかかっていると思われるコストだけで821億01百万円。売上高に対して4割以上を占めているのですが、仮に「材料費」が3割上昇すれば、売上原価はさらに膨張します。
しかも、水野氏はこうも指摘します。
「製紙会社にとって、新聞用紙は特殊な用途であるため汎用性がなく、かねてから採算性が問題視されてきた。それでも、生産を続けてきたのは、新聞発行を支える社会的使命感によるところが大きいといわれる。だが、もはや背に腹は代えられなくなったのが実情のようだ」。
新聞用紙には汎用性がないというのは、これも興味深い指摘です。
日本の夕刊の特殊性
ちなみに先ほども指摘したとおり、夕刊は朝刊と比べ、部数の落ち込みが大きく、水野氏の論考ではこのあたりの具体的な部数の推移も記載されているのですが、これについては当ウェブサイトにおける集計方法が異なるため、具体的な数値は異なっています(※どちらが間違い、というわけではありません)。
これに関しても水野氏は、「新聞社が1日に2度ニュースや情報を発信するスタイルは、日本特有」、「海外では、朝刊紙と夕刊紙が明確に分かれ、発行主体も異なっているケースが多い」などとしたうえで、この「日本特有」の夕刊事情について、バッサバッサと斬っていきます。
- それ<※夕刊の部数減>は、読者の「夕刊不要論」を反映したものと受け止めざるを得ない
- 夕刊に載っているニュースはほとんど既報
- 夕刊の記事の大半は、娯楽や教養、エンターテインメントなどで占められ、ニュースは海外発がわずかに掲載される程度だ
- 果たして、ニュースを読めない新聞が、新聞と言えるかどうか
じつに容赦ない指摘です。
そもそも新聞はレベルが低い
ただし、水野氏は新聞業界出身者であるためでしょうか、「ネットでは新聞発の情報が求められている」として、こう述べています。
「ネット上でフェイクニュースや誹謗中傷があふれる中、正確で安心できるニュースや情報を提供する新聞社への期待が大きいことがよくわかる」
…。
残念ながら、このくだりにたいしては、賛同できる部分は皆無です。フェイクニューズや誹謗中傷は、新聞社ないし通信社の内部から出て来ることもあるからです。新聞社(や通信社、テレビ局)が提供する情報が「正確で安心できるもの」であるかどうかは、まったくの別問題でしょう。
いずれにせよ、新聞業界は、これから縮むことはあっても伸びることはないでしょう。
考えてみればわかりますが、このインターネット時代、情報はネット回線や電波を通じて配信可能であるのに、莫大なコストをかけて物理的に紙を印刷し、地球温暖化ガスなどを撒き散らしながら、最終的には人力で各事業所・各家庭に重い新聞紙の束を届けるというビジネスモデルは、すでに破綻しています。
しかも、日本の新聞社の場合、そこに印刷された情報に、情報としてのバリューがほとんどありません(『広島サミットでバレた「日本マスコミのレベルの低さ」』等参照)。
「広島サミット自体は大成功であったが、それを報じた日本のマスコミの劣化についても同時に世界中に見せてしまった」。こんな趣旨の記事が、ウェブ評論サイト『アゴラ』に22日付で掲載されました。記事を執筆したのはアゴラ編集部ですが、マスコミに対する批判の舌鋒が少々鋭すぎて、読んでいて思わずひやひやします。ただ、このアゴラの記事に対してすら、批判があるようです。「マスコミが劣化したのではなく、もともとレベルが低いのがバレただけだ」、というのです。人気うどんチェーン店でカエルが混入最初に、少し本題とははず... 広島サミットでバレた「日本マスコミのレベルの低さ」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
結局、新聞社や通信社、テレビ局は、記者クラブという排他的な利権組織を利用して情報を得ているわけですが、これらの記者クラブ制度がなくなれば、フリーランスの記者、外国人記者らが自由に活動できるようになり、オール踊メディア各社はネット空間からも廃れていくかもしれません。
いずれにせよ、新聞社の苦境は、まだ始まったばかり、というわけです。
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少子化の年次進行により新社会人に選んでもらえない職場が増加する。座る人のなくなった机が増えて行くのです。そこでこんな軽薄文体見出し付けを想起しました。
「限界企業
育たぬ若者」
昔から、夕刊は全く必要性が無かったですが、夕刊を止めても、殆ど購読料が変わらなかったから、仕方なく取っていました。殆ど見ることも無かった。何故、夕刊を発行しているのかが、全く持って理解できませんでした。
何故、夕刊を出すのかは余り深くも考えず、設備稼働率の問題かな、とも考えていました。
つまり、夕刊購読料が、プラス500円とすれば、昔は殆どの人が朝夕刊セットで取っていたと思われるので、部数500万部x500円x12か月=300億円/年、と夕刊部分だけで300億円も年商があることになります。印刷機等の機械設備の減価償却費、記者を含めた従業員の固定的人件費、固定資産税、建物償却費、など、つまり、新聞発行に係る機構=システム(設備・人員・償却)の原価の負担を夕刊発行で幾分か賄える、その上、夕刊でも広告費も幾分か稼げます。
ここから見て来ると、夕刊発行の取り止めは、この夕刊部分の損益分岐点を見ているのでしょう。
夕刊の発行を止めると、朝刊だけで固定費の回収・償却を行わなければなりません。
新聞用紙や電気代等の原材料費の高騰は、原価の上昇になります。
つまり、売上総利益(粗利)は、発行部数の減少に伴う収入の減少と、材料原価等の上昇の、上と下の両側から圧迫されるので、急速に減少します。
更に、売上(収入)は減少しても販管費は変わらないので、この減少した利益から、それを賄わなければならないのですから、いとも簡単に、営業利益は赤字になります。
つまり、粗利で販管費を賄えなくなるので、赤字になります。
新聞社というのは、巨大な装置産業と同じです。つまり、取材システム・印刷システム・それらを管理するシステム、は一つの緊密に固定された装置(固定費の塊)とも言えます。
このような装置産業にとって一番怖いことが、売り上げの減少です。
売上が減少すれば、いとも簡単に損益分岐点を下回るからです。
この企業財務とも言えない初歩の初歩が分かっていれば、明日にでも、廃業した方がいいでしょうね。従業員に割増退職金を払える内に。
追記します。
このような装置産業は、売上(購読数)が漸減するからと言って、企業の利益も漸減するわけではありません。ある日、突然に赤字になることもあります。
>>>「材料費」(11.15%)、「労務費」(19.52%)、「印刷費」(12.96%)
材料費を、用紙代とインク代と電気代として、労務費は印刷工場の人件費、印刷費は印刷機等の減価償却費とすれば、材料費は変動費で、労務費と印刷費は固定費になります。固定比率は、32.48%、約1/3です。
実は印刷費は何を指しているかは分かりませんが、ここでは、このように仮定します。
もし、違っていても、以下に述べる考え方に沿って組み替えて貰えればいいですので。
ここに、販管費という固定費を足すと幾らになるのか?
販管費率は、大企業が17%、中小企業が21%、というデータもあります。ただ、出版・印刷・同関連産業は、販管費率が高い傾向にあるようです。
ここで、新聞社の販管費を17%とします。
すると、32.4+17≒50%が、固定費となります。
この固定費を売上金額と変動費の差額で回収していかなければなりません。
よって、新聞1部の変動費(率)、逆に言えば、限界利益(率)が分かれば、発行部数が幾ら以下になれば、赤字になるかが計算できます。
時代の流れで発行部数が今後増えることは考えられないので、その損益分岐「部数」になる前に新聞「紙」の発行はやめた方がいいです。
資産の蓄積がある内に、割増退職金を払っての従業員のリストラと電子版を強化する為の投資を行うことが必要ではないか、と。
或いは、廃業してしまうか?
その方がスッキリしますね、一般読者としては。
更に、追記します。
変動費についてです。
変動費項目を、紙代、インク代、で考えてみます。
(その他の変動費については、今思い浮かびません。)
これらの、変動材は、ボリュームディスカウントがあるはずです。
つまり、購入数量に応じて、価格が上下するのではないかと思われます。
すると、発行部数の減少と反比例して、1部当たりの変動費単価が上がる可能性があります。つまり、変動費の単価は、常に上昇方向へ変動して行くということです。
つまり、新聞社の経理部長は、部数の減少による比例関係的な収入の減少と、
部数の減少による、単価原価の二次関数的な上昇に注意していなければならないということになります。
これを、刻々と注視していなければ、ある日突然死に見舞われることになるかもしれません。
これは、1年毎の決算諸表を見ているレベルでは追いつかないはずです。
一次関数的な収入の減少に対して、二次関数的な単価原価の上昇です。
(尚、二次関数的かどうかは分かりませんが、変動費「率」は上昇するだろうということです。)
[新聞社がフェイクニュースや誹謗中傷をあふれさせる中、正確で安心できるニュースや情報を提供する事もあるネットへの期待が大きいことがよくわかる。]……かな?現実は。
まぁ新聞等は期待されていたと言うか、「当然に公正であろう」と思い込ませていた。それを裏切ってきたの(がバレるようになったの)だから、大丈夫だと思うほうがおかしい。
ネットは、沢山の情報を比較検証できることがメリットです。
が、それに乗じてワンサカ、フェイクを流す所もありますし、これから、そういうことが増えて来るでしょう。
悪いニュースが出たら、良いニュースをワンサカ流すことを請け負う商売が出てくるかもしれません。
現実世界でも良くある、「でもねぇ、あの人にもいい所があるのよ」という感じです。
そして、悪い所の印象を減殺するのです。
勿論、そのいい所というのは、フェイクなんですが。
おはようございます。出典:朝日新聞の5月12日付社説「タリバンと女性 権利抑圧で未来築けぬ」に対する、イスラム研究者・飯山陽さんの5月28日付け産経掲載論説「新聞に喝」より、最後の一文のみをご紹介させてください。理系の論文も文系の論説も、最後の一文を見れば、全文を見る価値があるかどうか分かると思っています。
>>>どこまでいっても「話せばわかる」「みんな同じ人間じゃないか」から抜け出せない、朝日新聞の隘路(あいろ)を象徴するような社説である。>>個人的には、最後が、「朝日新聞のクズ」で終わってないところに知性を感じます。
理系初老様
ご紹介の産経記事。興味を惹かれて「ネットで」読んでみましたが、「理知的」という表現がぴったりする内容ですね。それに比べると、批判されている側の朝日社説に漂う「理想主義」ないし「コスモポリタニズム」の何と薄っぺらなこと。
社説を書くほどの人物ですから、朝日の社内では有能な書き手と評価されている方なんでしょうが、もし飯山氏の批判がグサッと胸に刺さるほどの感性をお持ちでないとすれば、まあこの新聞社の未来は暗いでしょうね。
朝日のニュース記事だろうが、ルポ記事だろうが、社説だろうが、論説だろうが、理想主義的、世界主義的、連帯主義的でないものはないですね。これは、多少でも、この新聞やこの新聞の関連する発行物を読んだことがあれば、ほぼ直ぐに感じる事です。幽体離脱とまでは言わないが、自分の身体が浮遊して足が地に着かない感じになります。
朝日を読み続ける人は、この感覚に毒されてしまったのでしょうか?
天声人語なんかは、理想主義人の語りでしかないですね。
記事から天声人語まで、これらの記事を、書いているのが多分、20代後半から50代までのおじさん達。
(浮遊感から急に寒気がして来ます。)
それを考えると、こんな記事を読み続けている国民の未来も暗くないですか?
伊江太様
ご丁寧かつ理知的なご返信まことにありがとうございました。
◯ズ、◯カ、◯ホ、◯ウト、等の「知性」的でない言葉を使う人は「語彙」が少ないのでしょうか?
読んでいる方は、それらの言葉に出会うと気分が悪くなります。
ものを書くなら、◯ズの代わりに「隘路」を持って来る程のセンスと語彙力は欲しいものです。
センスと語彙力は、「知性」の構成要素ではあることは間違いないでしょう。
知性的でない言葉で、知性を評価するとは、これ如何に?
>明らかに印刷や運搬などにかかっていると思われるコストだけで821億01百万円。売上高に対して4割以上
仮に、これらが変動費だとするのであれば、原価に占める割合は約6割。
ならば、購読部数が半減しても購読料を1.4倍にすれば賄えるってこと。
で、コアファンのみ(8割減?)になっても、2.5倍にすれば生き残れそう。
つまり朝刊のみ月額4000円を10000円ってことなんですよね。う~ん。ソンナバカナ・・。
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この右肩下がり、何のグラフだろう?
きっと、「アサヒグラフ」ですね・・。
活字になれば言論、活字になれば文学
そうでないものは便所の落書き
輪転機脳に見えている世界はそうゆうものでしょう
情報流通コストの下がったネット空間において、信頼され注目を集め続ける存在として高みを目指す気概のひとつも新聞記者にはないのです。
>>>活字になれば言論、活字になれば文学
今は、言論も文学もアニメも漫画も雑誌も、みんなネット空間の中にあるのに、輪転機脳からは、それが認知できないのでしょうか?
自分が語れば言論、人が語れば誹謗中傷
輪転機脳の自己中心世界はネット空間を地下文化としか考えていません。SNS を憎む姿勢は大勢で竹槍を突き付ける落ち武者狩りを感じているからこそでしょう。堕ちた権威とはこのことです。
問題は、炭鉱のカナリアが騒いだ時に逃げるのか、騒いでいても無視するかのどちらを選択するかではないでしょうか。(別に新聞社だけではありませんが)新聞社はカナリアが騒いでも、根拠なき楽観論で、見ないようにしているのではないでしょうか。
コンビニでの1部売りの価格は、だいたい夕刊は朝刊の1/3くらい。ということは宅配の場合も、朝夕刊セットと朝刊のみでは、それくらいの価格差がないとおかしいのに、宅配の場合はほとんど変わらない不思議。
印刷や配達のための人件費など、「情報そのもの以外」 のコストがかかっているなら、むしろ朝夕刊セットと朝刊のみでは2倍くらいの価格差があってもおかしくないのに、そうはなっていない不思議。
素直な感想:
あんなもの売ってて売上総利益率27.84%
いい商売だね。
別記事でブログ主さんやコメンターさんから既に指摘されてた気もしますが・・・
セット・朝刊単独・夕刊単独の数字で。
朝刊単独のグラフが妙で、2016年に変曲点があります。それまで漸減で持ちこたえていたのに急減が始まります。朝刊部数が減らないように「ナニカ」の支えを失ったかのように。
一方、夕刊(=セット部数+夕刊単独)は一貫して単調減少でした。
「ナニカ」で私の頭で思いつくのは、顧客引き留め策としての「セット→朝刊単独」切り替えと、押し紙くらい。どっちの策も限界点を越えてしまったのが2016年とか。
仮にそうだとすると、「夕刊部数」(=セット+夕刊単独)が2000年から一貫してキレイに減少しているのは、元々の新聞の退潮を正しく表現していた、のかもしれませんね。
一応グラフ。
https://imgur.com/a/eXZ5LES