来年用の「年賀はがき」当初発行枚数は2億枚近く減少

もうすぐ師走。「年賀状の季節」なのでしょうか?ただ、日本郵政グループが今年8月に発表した資料によれば、2023年(令和5年)用の年賀はがきの当初発行枚数は約16.4億枚と、18.3億枚だった2022年用と比べて約1.9億枚も減少したそうです。実際、過去のデータを調べていくと、ちょっとしたことを発見しました。

年賀状発行枚数は減少の一途をたどる

気が付いたら、もう11月も下旬に差し掛かりました。もうすぐ12月、「師走」です。

例年、この時期になると気になるのは年賀状です。

日本郵政グループは今年8月31日付で2023年(令和5年)用の年賀はがきについては、当初発行枚数を約16.4億枚と発表しました(『プレスリリース・2023(令和5)年用年賀はがきなどの発行および販売』等参照)。

ちなみにこの16.4億枚という数値は、2022年(令和4年)用の当初発行枚数18.3億枚と比べて、さらに1.9億枚ほど減っていて、率に換算すれば約10.38%、といったところでしょうか。

ここで少し気になって、旧・日本郵便時代から通算し、年賀はがきの当初発行枚数がどう推移していったのかについて調べてみたものが、次の図表1です。

図表1 年賀葉書・当初発行枚数の推移

(【出所】日本郵便ウェブサイト・過年度プレスリリース等を参考に著者作成)

著者自身の肌感覚には合致している

この点、図表に集計したのはあくまでも「当初発行枚数」であり、どの年度においても追加発行などにより最終的な発行枚数は上記よりも増えているようであるため、閲覧するウェブサイトによっては数値が整合していない可能性がある点についてはご了承ください。

また、上記の枚数は一覧になっているわけではなく、日本郵便のウェブサイトから各年のデータをバラバラに集めてきているため、転記ミス、発表後の修正などによる矛盾が生じている可能性があります。あくまでも「参考データ」、というわけです。

ただ、この減り方は、私たちの肌感覚には合致しているのではないでしょうか。

著者自身はもともとあまり年賀はがきを書くタイプではなかったのですが、それでも自身の住所録DBを遡ってみると、やはり昔はそれなりに枚数を出していたことがわかりました。図表1に著者自身の年賀はがきを出した枚数を示したものが、図表2です。

図表2 年賀葉書当初発行枚数+個人的に出した年賀状の枚数

(【出所】著者作成)

2018年や19年に年賀状を出した枚数が増えている理由については、当ウェブサイトでは説明しません。「とある特殊事情」とだけ申し上げておきます。また、2023年の数値は「これから出す予定の枚数」ですが、本当に出すかどうかについては、現時点ではまだわかりません。

それはともかくとして、まさか自分自身でも、まったく関係ないはずの自身の年賀状データと日本郵便のデータが、ここまでうまくリンクしているとは、思ってもいませんでした。

なぜ減っているのか?

実際、年賀状を出す枚数は、間違いなく減っているのです。

それにはさまざまな理由が考えられるのですが、著者自身の事情で申し上げるなら、出している相手は親戚や旧友が多く、もはや「惰性で出している」という側面が強く、年賀状が相手から帰ってこなくなった場合や、相手が亡くなった場合などに、出すのをやめてしまいます。

ただ、ここでもうひとつ、自身の事情を確認していて気付いたのは、「新しく年賀状を送る相手」がほとんどいない、という点です。

このあたり、だれしも交友関係、親戚関係などは次第に変化していくものでり、ひと昔前だと、「年賀状を送るのを取りやめる相手」がいる反面、「新たに年賀状を出す相手」が出現していたものです。しかし、最近だと新たに知り合いになってもお互いに年賀状をやり取りすることは滅多にないのです。

だからこそ、何らかの事情で年賀状を出すのをやめる相手はいても、新たに年賀状のやり取りを始めることは少ないのでしょう。これが著者自身の「年賀状事情」です。

年1回の賀状の交流、せっかくなら連絡を取ってみても良いかもしれませんね

このあたり、当ウェブサイトでも年賀状について議論すると、読者コメント欄でもさまざまなご反応がいただけることは事実でしょう。

「手書きの年賀状には温かみがある」、「年賀状をもらうのが楽しみだ」、といった具合に、年賀状に対して肯定的なご意見もあれば、「年賀状は負担だからやめた」、「メールやライン、SMSやメッセージなどで済ませるようにしている」、といった具合に、年賀状に対し否定的なご意見もあります。

個人的には年1回くらい、年賀状を送りあうというのは悪いことではないという感想を持っている反面、せっかく年賀状を送り合うのなら、たまに電話連絡をしてみるとか、もし相手がそれなりに「近所」に住んでいるなら、たまには会ってみるというのも良いのかもしれない、などと思う今日この頃です。

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

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読者コメント一覧

  1. 攻撃型原潜#$%〇X より:

    お年玉くじ付き年賀はがきの1等景品は、昭和の時代、ミシンや洗濯機など皆が欲しがる高嶺の華でした。今はと言うとセレクトギフトやら現ナマやらで、時代を感じます。
    3等の切手シートは、ウクライナの「ロシアくたばれ!」の切手がいいな。

  2. 呆け老人 より:

     60年位前から虚礼廃止と騒がれているからか、図表1のように確実に減っているが、まだ16億枚程度発行されているようである。かくいう私も若い頃はワープロなんてないから1週間くらい掛けて手書きで200枚近く出していたが、やがて省力化のため版画を取り入れ、次にワープロになり、写真も添付したりと工夫して手間を省来してはいるものの体力勝負デ格のも限界を感じ、徐々に枚数も減っているが、昨年は文面はワープロで、宛名は印刷だと面倒なので20枚くらいならと言うことで下手な手書き文字で書いて毎年元日に年賀状をいただく方にだけ出している。

     やはり親しい知り合いには年に一度の年賀状が生存証明になるので欠かせないように思うし、止めてしまったら完全に親しい方との交流も終わるであろう。ただし、「謹賀新年 オワリ」という形式的なだけの年賀状は出さず、前年何をしたかという報告を文字の許す範囲でできるだけ写真を添えて書き(これがかなり至難の技術であるが)、まだくたばっていないのかと思われるだけの通知より、なるべく多少の関心を持って読んでもらえるように書いている。

     しかし、簡にして要を得た文章など写真にかなりの面積を取られることから、所定面積内に納めるには数日推敲しないとどうしても書けない。年賀状が届かなくなった時がこの世からお別れしていると理解してくれると思うが、そろそろお別れのための挨拶状を用意しておいた方が親切かな。簡易手紙を使えば十分な分量の文字が書けるからお付き合いいただいた方への感謝の言葉と自分の生きてきた経過を報告する手紙を印刷して用意しておき、そのまま誰かに投函してもらうことでこの世からお別れしようと思っている。それまでは年に20枚くらいだから毎年の行動を親しい人にお知らせする意味で年賀状の用紙を使って報告するつもりある。

     捏造記事も報じる朝(鮮)日(報)新聞の廃刊が先か?私の命が尽きるのが先かという争いになるかも知れないが、どう考えても私の命が尽きるのが先であろう。朝(鮮)日(報)新聞の底力恐ろしや。

    1. トトちん より:

      同意です。

      1. 呆け老人 より:

         コメントありがとうございました。初めて同意者に出会えました。年賀状など出す人の自由でよいとは思いますが、「謹賀新年 終わり」という形式的なものも生存証明ではありますが、SDGとキーキー喚く連中の多い当節、攻撃されると反論が難しかろうと思います。「郵便局を応援している」とか、「ウルサイ、アンタにカネを出してもらう訳ではないから、烏の勝手でしょう」と言えばそれまでですが、一応反論できる自分なりのストーリーを立ててから書いた方が、SDGを喚く相手からの反駁も受け難いかなと言う気がします。

  3. 愛知県東部在住 より:

    近年、「経年のため来年から年賀挨拶は欠礼さて下もらう」旨を記した年賀状を頂くことが多くなりました。

    それらのほとんどが先輩諸氏からのものでしたが、今年はとうとう同年齢の友人からも喪中欠礼の断りとともに、これを以て年賀のあいさつは取り止めとの葉書が届きました。

    孫との集合写真を添えられた年賀状にいい加減うんざりしているところだったので、これを機会に年賀状の断捨離を考えてもいいかも、等と思わぬでもない今日この頃です。

  4. しおん より:

    自他ともに認める変わり者の私は、かれこれ50年ほど、年賀状を出したことは無いです。

  5. 裏縦貫線 より:

    会社では名簿が作られなくなって以降は、異動があっても新たな上司同僚に出すことは無くなりました。中学高校の友人知人も、卒業と同時に一気に減り、更にだんだん疎遠になっていますし…一方、ここ十数年に新たに知り合った人は、メールさえ繋がっていれば情報連絡できるので年賀状を出す必要性が無いと感じます。自分から終了するつもりは無いですが、枚数は漸減しています。
    ただ、本題からズレるかもしれませんが、年に一度の年賀状のやり取りも無い同級生や”知人”から十何年ぶりに突然連絡が有ったら、警戒しますね。

  6. 裏縦貫線 より:

    十代~二十代の頃は、恋愛沙汰でもなんでもない異性から、部活が一緒というだけで「全て手書きのイラストに一人ひとり宛てのメッセージまで入った年賀状」を貰えていたのは、今にして思うと何とも贅沢な経験であります。

  7. ダージリン より:

    年賀状を出す枚数は徐々に減らしていて、完全に出すのをやめたいとも思いますが、ご存命である大学の恩師など数名は、こちらから出すのをやめるのは憚られ、今年も出す予定です。手書きです。数枚なので、それほどたいした作業ではありません。友人たちには、平成から令和に代わるタイミングで、年賀状卒業の連絡をしました。

  8. 福岡在住者 より:

    パソコン出で制作された年賀状が毎年届きますが、子育て世代とかは大変です(大迷惑な時間の浪費) 

    少しだけ時間に余裕のある私は、自筆で毎年出しています。 昔から、個人的に世話になっていない会社の人や、お世話になっている企業(こちらは会社が出せよっ!)にも出しことがありません。

    個人と企業の住み分けが、日本社会でも進みつつあるのです。 社内間の「お中元・お歳暮」禁止令とか昔ありました。(個人としては その前からこの愚行はしてませんでしたが・・・) 今では当たり前ですよね。  エッ? 違う業界もあるの?

    年賀状も「禁止令」が何年か前出されました。 日本人なんだから、これはいかんだろっ!という判断で、支店レベルで出先社員の住所録を公開したのですが、現在は無意味な年賀状は減っていますね。 ヨシヨシ

  9. トシ より:

    今後さらに年賀状枚数は激減する。

    https://www.youtube.com/watch?v=1qlE4l47ae4

    日本郵政の定める当初発行枚数に従って各地域の郵便局に販売ノルマが課される。
    当然そんなノルマをこなせるはずがなく「自爆営業」が横行する。
    それも正社員はもちろんアルバイトに至るまで徹底している。

    一応、日本郵便はノルマ廃止としているが社長自身がそれを認めてしまっている。
    このご時世に自爆営業など長くは続くはずがなく、年賀状枚数は激減していく。

    それにしても年賀状の自爆営業は新聞紙の推し紙とそっくりだw

    昔は年末年始の郵便局でのアルバイト募集は定番だった。
    だが最近では年賀状の減少でアルバイトを募集しない郵便局も増えてきている。

    私は高校1、2年の年末年始に郵便局のアルバイトをした。
    男子は外での配達業務、女子は内勤で仕分け作業。

    男子は配達が早く終わると定時まで仕分け作業を手伝う。
    すると女子たちが特定者の年賀状の内容をガン見していたw

    各自最寄りの郵便局でバイトするから気になる存在がいるのだろう。
    私も家の近くの女性への年賀状をついつい見てしまったのはここだけの話だ。

    こういうこともなくなるのかと思えば少し寂しくもある。

  10. 欧州某国駐在 より:

    昭和11年に初めて年賀切手が発売され、年賀の挨拶を手紙(ハガキ)で行う人々が現れたとき、年賀状をもらった人の多くで手紙(ハガキ)ですますなんてなんて失礼な!という感想があったときいたことがあります。しかし昔はいちいち対面であいさつするのが礼儀とされていたので挨拶したくても時間的、金銭的にできないと考える人たちには、便利なものが現れたと思う人が多く、これに飛びついた人はたくさんいたとか。それが時代を経てもうハガキもいらんという時代なんですね。

    1. こんとん より:

      同じことを考えてました
      訪問しての年賀→郵便による文字年賀→メールやSNSによる電子年賀
      と推移してひょっとするとビデオチャットによる相対しての年賀という形に回帰するかもしれませんw
      テクノロジーによる手法の進化はしても、相手を想って手間と時間をささげるという行為に意味を見出すあたりが人間のウェットな部分という感じがして私には興味深いです。

  11. 裏縦貫線 より:

    結婚式も年賀状も、会社の上司同僚・遠くの親戚・卒業後離れた同級生など「あまり親しいとまではいえない知り合い」に対するプレゼンテーションの場で、”型どおり”とか”予定調和”とか”お約束”も含めてそつなく出来るか出来ないかが、その人に対する評価になっていたように思います。(去年も同じようなことを書いたかも…)
    かつては”やって当たり前”と思って、または有形無形のプレッシャーを受けて式を挙げたり披露宴を開いたり年賀状を出していたりしていたのが、当然でもない雰囲気になりプレッシャーも無くなれば、必要に迫られていない人が撤退するのは自然なことでしょう。ただ、元々別の場面で自分を表現していたり、より効果的なプレゼンの場に軸足を移した人と、単にプレゼンしなくて済むことに安堵している人で違いは出てくるのかなぁ….

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