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辞書で見る「日本語由来の単語を使い続ける韓国社会」

韓国メディアの日本語版ウェブサイトに昨日、「韓国の辞典は日本の辞典の丸写しだ」などと批判する書籍のレビュー記事が掲載されていました。この問題、なかなかに興味深いところです。そもそも日中韓などが使用している単語のなかには、日本がおもに明治期以降に欧米から概念を輸入する際に発明したものが多々含まれているからです。もしかすると問題点は、韓国がそれらの単語の意味する本質的な意味を理解せず、表層的にマネていることにあるのかもしれません。

漢字を通じたコミュニケーション

外国人と意思疎通を図るなら英語が効率的だが…

突然ですが、あなたは外国人と意思疎通をしなければならなくなったら、いったいどうしますか?

語学を趣味としている人などでなければ、たいていの人は、事実上の世界共通語である英語に加え、身振り、手ぶりを交えて、なんとか相手と意思疎通を図ろうとするでしょう。

たとえば、私たちが海外旅行に出かけたときであれば、その訪問先の国の言葉で「こんにちは」、「ありがとう」くらいは言えるようになっておくべきですが、やはりレストランでの食事、お土産屋での値段交渉、ホテルのチェックインなどに関しては、英語が使われることが多いのではないかと思います。

もちろん、日本人が多く渡航する国の場合だと、その相手国の人々もカタコトの日本語くらいは話せるかもしれませんが、そうでない国(著者自身の体験談だと、たとえば地球の裏側のアルゼンチンなど)に出掛けると、日本人移民居住地などを訪れない限り、日本語を理解してくれる人に出会う可能性は非常に低いはずです。

現地語やそれに近い言葉を使うと喜んでくれる(かも?)

ちなみに著者自身はかつて趣味でイタリア語を少し勉強していたので、アルゼンチンでカタコトのイタリア語を話してみたところ、意外と通じたのは面白い体験でした。多くの人も、英語を使うよりも喜んでくれましたが、ただ、ここで問題がいくつも発生しました。

たとえば「お勘定お願いします」と言いたいときに、むかし習った記憶がある “Il conto, per favore.” (発音は「いる・こんと・ぺる・ふぁぼーれ」)と喋ったところ、店員さんからは “La cuenta?” (発音は「ら・くえんた?」)と聞き返されてしまいました。要は、男性名詞と女性名詞を間違えてしまったのです。

ちなみに後年、イタリアを訪れたときに “La cuenta por favor.” (発音は「ら・くえんた・ぽる・ふぁぼる」)と喋ったところ、こんどは店員さんからは “Il conto?” と聞き返されてしまいました。要は、女性名詞と男性名詞を間違えてしまったのです。

あとで調べたら「お勘定」を意味するイタリア語の単語 “conto” は男性名詞ですが、スペイン語の “cuenta” は女性名詞なのだそうであり、ほかにも両言語にはかなり多くの違いがあったのだとか。

著者の拙いイタリア語(もどき)を何とか理解しようとしてくれたアルゼンチン(※スペイン語圏)の人々には、感謝しかありません。

(※なお、上記記載は「アルゼンチンでイタリア語が通じる」と述べるものではありませんので、くれぐれもご注意ください。)

漢字を使ったコミュニケーション

この点、個人的主観に基づけば、とくに世界的に有名な観光地だと、昨今はたいていの場合、英語がよく通じます。ただ、英語があまり得意でない国同士の人が何とかお互いに意思疎通をしようと思えば、やはり、なにかと不便であることも間違いありません。

その典型例が、日本人と韓国人、日本人と中国人、中国人と韓国人、というパターンでしょう(※なお、ここでいう「中国人」には、準英語圏ともいえる香港人については、とりあえず考えないことにします)。

ネットに接した人がオールドメディア虚報に気付くまで』でも少し説明しましたが、著者自身は大学生時代、多くの外国人留学生と接しました。なかでも北京語、広東語、英語、日本語を自在に操る優秀な中国人に出会ったことは、自分のなかでも軽いショックだったことは、ここだけの話です。

ただ、当時在籍していた留学生のなかには、来日してすぐのため、まだ日本語がそれほど上達していない、というケースもありました。

そんなときに役に立ったのが、「筆談」です。

これは、その名の通り、漢字を書き連ねて意思疎通を図るという行動ですが、お互いにお互いの言葉を話すことができないにも関わらず、じつによく意思疎通ができたという記憶があります。とくに中国人が相手の場合だと、この筆談の威力は抜群です。

(※この点、香港の場合だと、著者自身が頻繁に訪れていた時代までは英語がよく通じていたため、筆談に頼った記憶はありません。ただし、最近は香港を訪れていないため、現在でも英語が通じるのかどうかについては、正直、よくわかりません。)

韓国人のB君との交流の思い出

そして、この「筆談」が、日本国外でも役立ったことがありました。人生でたった一度、韓国に行ったときに、紙とペンがあるだけで、本当に円滑な意思疎通ができたのです。

著者自身が大学生のころといえば、インターネットの黎明期でもあり、短期交換留学で日本にやってきていたという「ネットオタク」の韓国人大学生のB君とも知り合いになりました。

B君は当初、日本語がまったく話せませんでしたが、ほんの1ヵ月も経てば日本語がペラペラになりました。その際、B君はコンピュータールームに入り浸っていて、同じくコンピュータールームに入り浸っていた日本人の学生とも仲良くなったという事情もあったのかもしれません。

そして、そのB君とは「ネットオタク」らしく電子メールアドレスを交換し、B君が帰国してからも、メールでのやり取りが続きました。

こうしたなか、とある日本人の友人から「アシアナ航空だと往復2万円(!)という格安の航空券で成田空港から韓国の金浦空港に出掛けることができるけど、行く?」と聞かれ、ちょうど後期の試験がすべて終わった直後だったので、「行く行く!」と即答し、ついでにB君にも会いに行くことにしたのです。

ちなみにB君に「今度ソウルに行くからね!」と連絡した際の手段も、高い通話料がかかる国際電話や時間がかかる国際郵便ではなく、電子メールでした。このとき、この電子メールという手段が「無料でしかも相手に即時到達する」という強さを持っていることに気付いたというのも、今となっては大変に良い思い出です。

さて、韓国に着くと、B君には当時彼が通っていた韓国のY大学校のキャンパスを案内してもらいましたし、また、B君の友人と一緒にカラオケ(韓国語でいう「ノレバン」)に連れて行ってもらったり、軍事境界線が見える「統一展望台」という名所も案内してもらったりするなど、本当に親切にしてもらいました。

とくに、B君が紹介してくれたY大学の同年代の人たちのなかには、残念ながら日本語が話せる人はいなかったのですが、その友人たちは「ノレバン」(カラオケのこと)に連れて行ってくれましたし、店員と交渉し、わざわざ「イルボンノレ」(日本語の歌)が歌える部屋を取ってくれました。

今でも本当に良い思い出だったと思います。

漢字廃した韓国

昔は筆談で通じ合っていたのだが…

ただ、そのときに気付いたもっと重要なことは、日本人と韓国人は、お互いの言葉がまったく話せなかったとしても、(当時は)筆談をすれば意思疎通ができる、という点でした。

そして、その韓国人たちと意思疎通をするうえで大変役に立ったのが、筆談でした。当時はまだ漢字を解する人も多かったためか、漢字を書けば、こちらの意図は9割方相手に伝わったものです。

(もっとも、同じ漢字語を使っていたとしても、日本語と韓国語で意味が異なるというケースもあるため、稀に意図が伝わらないこともありましたが、そのときは表現を変えればだいたい通じたものです。)

もっとも、今になって思えば、そのときに意思疎通ができたのは、韓国の大学生の多くが漢字を読み書きできたという事情もあったからなのかもしれません。

当ウェブサイトでは『漢字廃止と韓国メディア「リテラシー最下位」説の関係』や『漢字廃止で生じる社会的混乱を韓国の記事から想像する』でも紹介したとおり、どうも韓国社会では近年、漢字がまったく使われなくなり始めているのだそうです。

ためしに、かんたんなチェックをしておきましょう。ストップウォッチを片手に、次の2つの文章を読んでみてください。

文章A

にほんごにはどうおんいぎごがたすうそんざいしている。たとえば「いじょう」、「いじょう」、「いじょう」のように、おなじはつおんでもいみがまったくことなるものはおおい。にほんじんはこれらのたんごをぶんみゃくにおうじてあたまのなかでかんじにへんかんしてりかいしているのである。

文章B

日本語には同音異義語が多数存在している。たとえば「以上」、「異常」、「移譲」のように、同じ発音でも意味が全く異なるものは多い。日本人はこれらの単語を文脈に応じて頭の中で漢字に変換して理解しているのである。

…。

いかがでしょうか。文章AとBはまったく同じものですが、文章Bだと早い人なら数秒で読めると思いますが、文章Aは読むのに最低でもその数倍の時間を要するでしょうし、頑張って読めたとしても、「『いじょう』、『いじょう』、『いじょう』」のくだりでチンプンカンプンになってしまうのではないでしょうか。

じつは、現在の韓国語が、この文章Aのような状態になっているようなのです。

現代韓国語の「欠陥」

いや、厳密にいえば、韓国語では「わかち書き」がなされていて、次の文章Cのように、読み手にとってはより負担が少なくなるような工夫がなされているようです。

文章C

にほんごには どうおんいぎごが たすう そんざいしている。たとえば「いじょう」、「いじょう」、「いじょう」のように、おなじ はつおんでも いみが まったく ことなるものは おおい。にほんじんは これらの たんごを ぶんみゃくにおうじて あたまのなかで かんじにへんかんして りかいしているのである。

これだとたしかに文章Aと比べれば、いくぶんはマシです。

しかし、文章Bと比べれば、それでも圧倒的に読み辛いと感じる人が多いのではないでしょうか。

『速読情報館』というウェブサイトに掲載された『「聞く」「話す」「読む」「書く」速さはどのくらい?』という記事(2021年12月14日更新)に基づけば、社会人が読む速度の平均は1分間あたり600文字なのだそうです(※著者自身の主観だと、読める文字数はもう少し多いとは思いますが…)。

そして、文章A、文章Bを見比べていただければわかりますが、漢字をまったく使わない文章だと文字数が多くなりますし、何より日本語の場合は同音異義語も多く、同じ発音でも漢字の違いで意味を分けているため、日本語は漢字を使って書かれている方が圧倒的に効率的です。

現在の韓国語は、文章の大部分が「ハングル」と呼ばれる表音文字で表記されており、日本語でいうとCのような文章を延々読まされているようなものではないかと思うのですが、他人事ながら少し心配になってしまう次第です。

明治期の日本語が多数、中国や韓国に輸出された

もっとも、日本人と韓国人が「漢字由来の単語を使う」という共通点があることは事実ですが、ここでもうひとつ見過ごせないのは、現代の日本語と韓国語、あるいは中国語などで使われている単語の多くは、じつはおもに明治期、日本人が英語などの単語を翻訳する過程で作り出したものでもあります。

「権利」「義務」「社会」「個人」「自由」「哲学」などといった具合に、今日の私たちが普段使用している単語は、漢字が使われていることは事実ではあるものの、じつは日本人が発明した表現なのであり、それらが中国などに「逆輸入」された格好です。

実際、「朝鮮民主主義人民共和国」や「中華人民共和国」の場合も、それぞれ「朝鮮」と「中華」以外の部分は、基本的に日本語由来の単語であると考えられます。

そんなことをふと思い出すきっかけとなったのが、韓国メディア『ハンギョレ新聞』(日本語版)に掲載されていた、こんな記事です。

[レビュー]日本語と違うのに…日本の辞典を引き写した韓国の国語辞典、大丈夫なのか

―――2022-10-08 08:28付 ハンギョレ新聞日本語版より

タイトルに「レビュー」とありますが、これは最近韓国で刊行された『国語辞典独立宣言:日本語の辞典を引き写した国語辞典を正す』とする書籍のレビュー記事です。

記事によるとこの書籍では、日本語と韓国語を比べ、「韓国の『標準国語大辞典』には、日本語の辞典を引き写したかのような説明が数えきれないほど発見される」、などと指摘しているのだそうです。

それぞれの辞典で意味の説明の内容と方法が似ていることはありうるが、それを考慮しても、本当にまったく同じだ<中略>韓国の辞典が日本語の辞典と日本の百科事典に過度に依存しており、水準がなかなか上がらないと著者は指摘する」。

――。

韓国の辞書は日本のそれを「丸写し」!?

これは、なかなかに興味深い指摘です。

韓国国内の辞書の著者は、日本語の辞書を読み、それを丸々剽窃している可能性がある、ということなのでしょう。その証拠が、こんな趣旨の記述です。

  • 韓国ではほとんど使われない言葉だが、日本語の辞典や日本の百科事典で取りあげられているものを持ってきて、国語辞典に掲載したケース
  • 日本と韓国の両方で使われる言葉だが、日本語の辞典にある意味の説明をそのまま引き写したようなケース
  • 日本の植民地時代に短期間使われていたが、その後は使用されていない言葉であるにもかかわらず、特別の説明なしにあたかも今でも使われている言葉であるかのように掲載したケース

この記述が事実なのだとしても、正直、これは日本の責任ではなく、韓国自身の責任ではないかとは思いますし、「複数の辞典を引いても意味を十分に知ることができない国語辞典の問題」の原因のひとつが、「日本語の辞典にある」などと言われて、気分が良いと感じる日本人は少ないと思います。

ただ、韓国語だけでなく、中国語にも、日本語由来の単語が多数含まれているという実情を考えるならば、どうしても辞典の意義も日本語に引っ張られるのは仕方がない話ではないでしょうか。

概念に対する本質的理解を欠くと…?

もっとも、言葉や制度だけをマネしたとしても、やはりそれらの考え方そのものが根付かなければ、それは結局、表層的なものに留まってしまうこともまた間違いありません。

「韓国の外貨準備は取得原価主義会計が適用」=韓国紙』では、韓国の外貨準備高については「時価会計」ではなく「取得原価主義会計」が適用されているらしい、とする韓国国内の話題を取り上げたのですが、やはりそのなかでも衝撃的な記述が、韓国銀行関係者が発したとされる、こんな発言でした。

韓国市場の情緒からみると、それ(※外貨準備資産の時価評価のこと)は難しい」。

このあたり、コリア・ウォッチャーの間では「韓国では憲法の上位に『国民情緒法』が存在する」というのは有名な話ですが、まさかこれを会計の世界でも目撃するとは思ってもいなかったのです。

同じ「取得原価会計」「時価会計」「外貨準備」などの単語を使っていたとしても、その単語が意味するところが日韓で大きくズレているのではないか、とする仮説については、著者自身もかなり以前から気になっている点ではあります。

実際、自称元徴用工問題を含めた日韓諸懸案については、「なにが本質的な問題なのか」という点について、そもそもの「問題の定義」自体が共有されていないのですが(『日韓両国すれ違いは徴用工「問題解決」定義が違うから』等参照)、問題が正確に定義できていなければ、「解決」も定義できないのは当然のことです。

韓国政府・外交部の当局者が、大法院の資産売却命令とは無関係に「解決」を模索し、自称元徴用工との対話を続ける、という方針を示したそうです。正直、「解決」の定義が異なっているため、ボタンを掛け違えたまま議論しても、解決策は出てきません。個人的な主観も交えて申し上げるなら、自称元徴用工問題はこのまま資産売却命令がズルズルと先送りされる、というのが、最も実現可能性が高いシナリオではないかと思う次第です。資産売却命令もなにも…そもそも売却不可能な資産ばかり8月19日以降、韓国メディアではしばしば、自称元徴...
日韓両国すれ違いは徴用工「問題解決」定義が違うから - 新宿会計士の政治経済評論

いや、あるいは本質的な理解を欠いた状態で、下手に同じような単語を使っているようにみえるがために、よりタチが悪いという言い方もできるかもしれません。単語を日本から輸入するのは結構ですが、その本質的な理解がない状態で、形だけマネても、正しい運用はできないからです。

だからこそ、日本が提示している日韓諸懸案の「本当の意味」について、韓国はいつまで経っても理解できない(あるいは韓国が「理解しようとしない」)のかもしれません。

新宿会計士:

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  • >このあたり、コリア・ウォッチャーの間では「韓国では憲法の上位に『国民情緒法』が存在する」というのは有名な話ですが、まさかこれを会計の世界でも目撃するとは思ってもいなかったのです。

    ふと思ったのですが、『国民情緒法』での情緒は日本と同じ意味合いで使われて、「取得原価主義会計」での情緒は「慣行」と同じ意味合いで使われているのかもですね。

    • 鋭いですね。情緒=慣行ですか?そんな気がしますね。

      他にもよく似た例をあげると・・

      半島では、頻繁に日本が韓国と葛藤しているなどと書きますよね。なんであんなやつらがやらかしたしょーもないもめごとに〝葛藤” しなきゃならないんだ・・。なんて思いますが、おそらく、彼らは〝逆切れ” みたいな感じで使っているような気がします。
      因みに、漢和辞典で調べたら〝葛藤” はもともと、仏教用語で、葛と藤がからまったように、禅問答のからまってはっきりしないこと、処置しがたいことを表す言葉だそうです。

    • わたしもハンギョレが日本語記事に「情緒」と書いたのがおかしいと思います。
      韓銀関係者は金融用語の「センチメント」(または相当する韓国語)を使ったのでしょう。

      「韓国の(ピーキーな)市場心理を考慮すると、市場価格方式の採用は難しい」

      なので記事で言う「情緒」は評価方式の是非ではなく外貨準備高の多寡で揺れ動く情緒で、
      「難しい」のは時価評価の計算ではなく時価評価の採用なのでしょう。

      もちろん韓銀の主張が分かったところで、やっぱり韓銀が都合の悪いことを下じものせい、他人のせいにしているようにしか聞こえませんがw

  • 本日の論考は、意義が深いですね。

    このコメントは、しっかり読んで頂ければ有り難く思います。

    言語は、コミュニケーションの為のものだと思われがちですが、言語の本質は、3つあると思います。

    1.思考概念を形成する。
      この思考概念は、世の中の全てを理解し解釈する根本です。
    2.自己と対話をする手段であり、自己形成の手段である。
    3.他者との意思疎通の手段である。

    言語というものは、その言語を作った民族の思考概念を反映したものです。
    従って、自国の自然風土天候などの自然環境や民族の風習や社会構造・人間の関係性から発生した概念は、他国の言語に翻訳しきれないところがあります。

    例えば、「アクセス」という大変便利な英語があります。これを、どうやったら、この言葉が内包する概念で、日本語に出来るでしょうか?
    せいぜい、「交通手段」くらいでしょうか?しかし、この「交通手段」では「アクセス」が持っているニュアンスは表しきれません。ここで、「ニュアンス」も、正確に対応する日本語にすることは、難しいですね。

    10代の頃読んだ本で、イタリアのある哲学者が、自分の哲学を本にしようと思ったが、イタリア語ではその「考え」を表現しきれないので、ドイツ語で書いたと言うことを読んだことがあります。
    その時、言語とは、民族の中から生まれて民族が培ってきたものに依拠しているので、民族が違えば概念の範囲も異なるのだな、と感じ入ったことがあります。

    さて、前置きが長くなりましたが、この日本語の「熟語」は、明治になり、西周などの大変に優秀な頭脳達が、全ての外国語を日本語にしようと、それは苦心して数多の熟語を作り出しました。今日我々が、日本語と思って疑わずに使っている日本語は、この時に作られたものが多いはずです。
    この伝統を継いで戦後も暫くは国語審議会が、外来語を出来るだけ日本語化、つまり、熟語化しようとしていました。が、外来語が余りにも多くなったので、今は諦めているのではないでしょうか?

    韓流ドラマでも、組立、製作、契約、など日本語がそのまま出てきますので、そこだけは分かります。ああ、これが日本による近代化の遺産かと思い感慨深いものがあります。
    しかし、ドラマに出て来る書き文字は、殆どがハングル文字で、漢字は先ず出てきません。

    その場面を見ながら、確か、ハングル文字は日本で言えば、ひらがなに相当するのではないのかなと思い、ハングル文字だけで、膨大な人間の思考世界の概念が表現しきれるものなのか、と心配になります。
    韓流という娯楽のドラマを見ていても、何かこのことが心配になります。

    ハングル文字が幾つあるかは知りませんが、英語でも24文字で膨大な言葉を表現しているのだから、という例えは成り立ちません。
    英語は、24文字で、概念を持った言葉を無限に作って来ているのです。つまり、24文字で概念は、無限に作り出せると言うことです。英語の24文字は、表音文字ではなく、表記文字ですから。
    ところが、ハングルは、ひらがなと同じ表音文字なので、概念を作るのには、限界があります。日本語も、ひらがなだけで表せる概念は数が知れています。

    日本は、古来より漢字を捨てず、尊びそれは大事に咀嚼してきました。ですから、明治になり、外来語が怒涛の如く雪崩れ込んで来ても、それらを一つ一つほぼ正確に原語の概念に近い形で、漢字の組み合わせである「熟語」にすることが出来たのです。
    日本人の漢字好きは、本場中国を上回るのではないでしょうか?
    漢字検定まで出来て、それが大人気になっているのですから。
    現在の中国は、漢字が表意文字よりも表音文字として使われているのではないでしょうか?(間違っていたら済みません)
    そこで、欧米語の概念を使う時には、日本語の熟語を使った方が便利なのではないでしょうか?自分達で、明治の日本人が苦労したことをやらなくてもいいですから。
    これで、漢字を使わせてもらっている借りは充分返せているのではないでしょうか?

    以上の考察から、漢字を捨て、そして、英語のように文字の組み合わせで概念を表す言葉を作り出すという機能が、ハングル文字にないとしたならば、今後の韓国語の思考空間は、英語になるしかないのではないでしょうか?日本語が、御法度とすれば。
    何故なら、今の日本語で、ひらがなだけの組み合わせで、新しい概念を持った言葉を作り出せるものでしょうか?漢字を使わなければ、とても出来ません。
    ハングル文字にも同じことが言えるのではないでしょうか?

    もしかすると、憲法の上に情緒法がある程に、情緒を重んじる国柄であるとすれば、概念という、明確な思考規定や感情規定をすることを反映した言葉は不要なのかもしれません。よって、概念が明確になる漢字は使いたくない、情緒という曖昧なものが使えなくなるから?
    韓国は、概念が好きではない、とすれば、ムービングゴールになるのも頷けますね。明確なことが好きではないのですから。
    やはり、文字と言語は、民族性を反映しているものなのかもしれません。

    • >英語は、24文字で、概念を持った言葉を無限に作って来ているのです。つまり、24文字で概念は、無限に作り出せると言うことです。

      英語は26文字では?
      それはさておき英語で概念を持った言葉を無限に作れるのは、ノルマンコンクエストによってフランス語がどっと流入したから、そしてフランス語にはラテン語、さらにギリシャ語の語素を含む言葉がたくさんあるからではないかと考えています。
      英語にとってのフランス語、ラテン、ギリシャ語は日本語にとっての漢字のようなものだと思います。
      例えばラテン語の8はオクト(octo)です。ここから8本の足を持ったタコはオクトパス、ドレミファの8音階はオクターブ、8番目の月(2つ余計な月が割り込んで現在は10月)はオクトーバー、ガソリンに含まれるオクタンは炭素原子を8個もっている等があります。

      ちなみに中国も北朝鮮も正式の国名の中に人民共和国を含みますが、ピープルに人民、リパブリックに共和国という訳語を作ったのは日本人です。
      中国人の友人が国名のうち中華以外は日本語なんだと自嘲気味に言っていました。

      • 大韓民国の「民国」は「共和国」の中国式の表し方と聞いたことが有ります。中国が日本式を取り入れ、韓国が中国式を使用しているのは面白いですね。

    • 本日の論考と興味深いコメント,ありがとうございます.
      言語によっては難しい概念を表わしにくいものがあって,日本語の場合は,明治期に西欧の概念を導入するにあたり漢字を使ってものすごく工夫したのだ,ということは,たしか鈴木孝夫も言っていたように思います.

      以前,ためしに,ネット上のいろいろな難しい内容の文章をGoogleの翻訳エンジンに入れて,日本語→外国語→日本語→外国語→・・・と翻訳を繰り返したことがあります.どの外国語の場合でも細かいニュアンスがだんだん飛んで曖昧な文章になっては行くのですが,言語によってはその変化の程度が著しく,長い文章がどんどん短くなって行くのに驚いたことがあります(韓国語は試さなかったですが).そのような言語は,学術的な内容の記載に向かないのでしょうね.

      最近,日本語に欧米語そのままの使用が増えてきたのは,現代の我々の努力が足らないのか,はたまた日本語の限界なのか.そうした単語を使う日本人は欧米語を(一応)使いこなし海外とのコミュニケーションの機会も多いので,日本語に直す必要性を感じないのかもしれませんね.

      • グーグル翻訳で再翻訳すると短くなるのは、翻訳精度の問題だと思います。
        グーグルは英語ベースなので英訳精度は高いですが、中国語だと英語を介した二重翻訳が丸分かりのケースもあります。で、英単語の多義語を誤訳していたりとか。
        で、グーグルさんの辞書に適切な訳語がないと、原文無視して省略するので短くなります。
        翻訳精度はその言語の辞書の良否次第なので、辞書がいい加減だと、グーグルさんはちゃんと翻訳出来ませんね。

      • > 日本語に欧米語そのままの使用が増えてきたのは,現代の我々の努力が足らないのか,はたまた日本語の限界なのか

        幕末から明治初期の教養ある知識人たちは漢籍仏典に通じていたので、漢字の造語力をフルに活用できました。例えば、categoryの訳語である「範疇」にしても、「疇」なんて字は、現代ではほぼここでしか見ることができません。どこからこんな難しい字を引っ張り出してきたのかわかりませんが、これを訳した人、そしてそれを見て理解できた人が少なくなかったということです。
        残念ながら、現代日本人には教養がないので、とてもこんな芸当はできないでしょう。

  • いつも知的好奇心を刺激する記事の配信ありがとうございます。

    韓国人がみんな大好き福澤諭吉は半島の欧米化に辺り漢字ハングル混合文を普及啓発したのは「社会を進歩させる欧米化とは絶対的存在に対する人間の絶対的平等化」であるという本質を正しく理解できていたからです。
    表意文字である漢字を使用する事で「同音異義語の多発による文書における意味の規定者と被規定者との2分を避けた」のです。
    欧米化の理解に関しては福澤諭吉の明治時代よりも「退化」しているといえるのです(笑)。

    主権国家と主権在民は「人間の絶対的平等観に基く欧米化」が前提です。

    契約が原則絶対だからです。

    契約により「双方遵守」しなければならない社会により秩序を保てるからです。

    契約が「力を見せつける場」として破棄したりお前は「200%守る義務がある」がオレ様には「1%も義務を守らなくても良い」という「片務的搾取」しか出来なければ力と暴力で秩序を維持するしかないのです。

    個人的には「主権国家の資格を満たさない人間集団に」主権国家の権利を与えている事が問題であると思います。

    是正には「欧米化の一環で」先ず漢字ハングル混合文の復活が必須と思いますが、果たして

    三千世界で最も高貴で絶対不可侵たる韓国様に「おのれの分をわきまえない乙存在の」下劣極まりない愚劣なチョッパリ野郎のクソ駄文がアドバイスとして届くのでしょうか(笑)。

    おそらく無理ですね(笑)。

    以上です。駄文失礼しました(笑)。

  • サムライアベンジャー(「匿名」というHNを使っている方は在日コリアンの通名と同じと思っています) says:

     一時期、中国からかつて礼儀正しい国と言われたのが韓国だという意味で「東宝礼儀の国」という単語が韓国紙で見られました。韓国の辞書では1990年代までは、「東宝礼儀の国」の正しい意味=ちゃんと貢物を出す朝貢国家としてよくやっている国だ、程度の意味がちゃんと掲載されていたようですが、メディアが誤用乱用しているように韓国の漢字力も、世代が減るごとに劣ってきているようですね。ここで見られる「礼儀」とは朝貢国に対してよく隷属することを意味し、朝鮮通信使の「日東壮遊歌」でも見られます。

     「約束」「準備」などをはじめ、日本生まれの漢字語であふれている韓国語ですが旧来からでなく、若者の間でスラングとして、日本語起源の言葉に溢れているようです。あげるときりがないほど。おそらく、ネット、漫画やアニメなどから借用されるのでしょう。
     音はもちろんのこと、意味も元になった日本語と若干意味にずれがあるという特徴があります。まあ、外国語間ではよくあることです。

     韓国語をそのまま表面的に日本語にするのは、非常に危険ですね。よくある例に「解決」がありますが、我々の考える解決と違って「日本が譲歩すること、また譲歩するように永遠に言い続けること」という意味でしょうし、「日韓関係のこじれ」も、【韓国の一方的な反日行為」でしょう。韓国メディアのいうことをそのまま流す日本メディアも問題ですよね。日韓関係の改善=日本お一方的な譲歩の要求、という意味で使っているのに、さも「韓国が日韓関係改善を望んでいる」かのように見えちゃいますから。

     韓国では定期的に「日本語由来の言葉を排除しよう」という動きがあるようですが、なぜか「100%排除しよう」とはならないようですね。100%排除したら社会が止まってしまいますから。

     もっとも、韓国を「間違っている」と一方的に指させないですよね。日本で流通する、和製英語・カタカナ語を含めた英語は99.9%間違っていますから。プライベートブランドのTシャツやトートバックの英語とか。よくあんな間違った英語の服とかを身に着けられるものです。英語すらできないのですから、日本の巷で氾濫しているフランス語やイタリア語も間違っていることでしょう。

  • 韓国人の頭の中を見ることはできませんが、抽象的な概念の理解に苦労があるだろうなと思ったのは韓国では化学、物理などの教科書(たぶん大学からだと思うが)に英語のものを使っているということを知ったからです。NHKのアナウンサーは「わー、すごーい」という反応でしたが、私は「あっ、タイと同じだ」でした。化学、物理のむつかしい自然現象を表現したり抽象概念でそれを論じるタイ語がないらしく英語の教科書で教えているようです。調べてみると母国語で科学の教育が完結する国の方が少ないようです。韓国の場合漢字由来の言葉があるのに漢字ではなくハングルにしてしまい、漢字の概念から意味を類推することが困難になってしまったのではと思っています。
    漢字は日本語の一部になってしまっていますが、日本語も、もともとそのような複雑な概念を表す言葉がなく漢字の助けを借りてきたのです。
    例えば民主主義、国会、新規上場のような言葉はカタカナで書かれても理解してついていけるでしょうがイケンシンサ、コウソジコウ、テキジカイジなどカタカナから意味を取るのは不自由ではないかと思います。そういう単語が文章に2つ3つ現れたらもう読むのに嫌気がさすのではないでしょうか。漢字であれば初めて見る言葉でも漢字そのものの意味から理解可能なことが多いと思います。

    • >韓国では化学、物理などの教科書(たぶん大学からだと思うが)に英語のものを使っているということを知ったからです。

      私も聞いたことがあります。プラス

      よせばいいのに、授業も全部英語でやる大学もあるらしいです。
      全部英語でやる。これ、教える方も、学ぶ方もすごい労力を要し、肝心の化学や物理の内容を理解するどころではないらしい。

      まさに本末転倒。アホと言うか、お気の毒というか。

      因みに、もし、韓国が漢字を廃止していなかったら、日本の教科書も使えるのにと思います。英語の教科書で学ぶよりはるかに楽だと思います。

      • 匿名2様

        いいじゃないですか!!
        南国で行っている「授業を全て英語化」しようとしている
        日本というオカシナ国もあります。
        南国の問題は、授業を英語でやっても英語を理解できない
        事だけです。 だから、電車・バス等の時刻表等に変な記号が
        混じるようになっているじゃないですか?
        基本母国語に外国語と同じような概念の
        言葉が無ければ、到底理解しる事はできません。
        日本の場合、現代は該当できない語句はカタカナ表現していますが
        カタカナ語句しか使わない人達も多いですね、
        話している人達って、理解できているのだろうか?

    • 高等教育を母国語で行える国は少ない

       その数少ない言語の一つが日本語
      日本語のみで教育が完結するので外国語(英語等)の必要性を感じない
      と言う一面もある

  • 国語辞典をパクッてるなら、英和辞典もやってる可能性があるね。だれか調べた人いないかな。

    韓国では日本の法律の条文をパクッてる話は聞いたことがある。国の実情に合わせて作るより、すでに日本にある法律の条文で済ませてしまうという発想がすごい。

  • >日本がおもに明治期以降に欧米から概念を輸入する際に発明したもの

    「和製漢語」とよばれていますね

    >同音異義語
    文在寅を「ドア大統領」と呼称する人たちがいたのですが
    「文」と「門」が同音であるため英語圏で誤訳されたのが由来だとか

  • 韓国でも漢字への回帰を主張する人たちはいるようだが、無理だろうね。
    ハングルを世界一の文字だと考えているようだ。その証拠が「世界文字オリンピック」

    韓国主催で「世界文字オリンピック」が第一回 2009年ソウル、第二回 2012年バンコクで開催された。
    金メダルは2回ともハングル。

    こういうくだらないことやる心理が理解できない。入場行進とかあったんだろうか?
    ちなみに第三回はその後開かれていない。

  • 本日の論考を拝読し、昔読んだ司馬遼太郎のエッセイを思い出しました。

    司馬氏が行きつけの喫茶店でコーヒーを飲んでいたとき、同席していた在日韓国人(朝鮮人?)が言ったそうです。

    「北ではもう日本語由来の言葉を廃止したそうだ」

    その言葉に司馬氏は首をひねります。

    朝鮮民主主義共和国、朝鮮を除けば後は全部日本語由来の言葉ではないか、と。
    その上で司馬氏は考えました。漢字とは文明ではないのか。その文明を否定することで北朝鮮は何を得るつもりなのか、と。

    文明などと大上段に構えると事の本質が見えにくくなりそうですので、道具と置き換えても良いかと思います。漢字という便利な道具を捨ててしまうこととは、まさに文明そのものを捨ててしまうに等しい行為ではないでしょうか。

    アメリカ人が独立戦争を勝ち取ったあとも英語を廃止しなかったのは、それしか選択の余地がなかったからかもしれませんが、なによりもそれが彼らにとって最も便利な道具であったからでしょう。その英語にしても、元来はそローマ人が生み出したアルファベットに由来する言語です。さらに言えばその淵源はギリシャやエジプトにも繋がる言語体系でしょう。(たぶん?)

    国民情緒、などというワケのわからない感情に縛られている間は、韓国人も北朝鮮人もある意味真の「独立」などできないのかもしれません。

    司馬氏はその友人に「漢字の廃止などと言っていては強くはなれない」と言おうとしましたが、その言葉を飲み込んでしまいました。

    言っても詮無きことだと知っていたからでしょうか。

    おそらくは今から半世紀近くも前のことですが、韓国人も、またその北に棲まう連中も、あまり進歩していないように思えてなりません。

    • 朝鮮半島については、民族のアイデンティティーがあるような気がします。

      たとえば、ポルトガルに行って、スペインと同じなんですね・・。なんて言ったら、「あんなやつらと一緒にしないでくれ!」と怒られるそうです。また、ノルウェー語はスウェーデン語とほぼ同じなのに、文部政策的に固有化を進めている。なぜそんな不便なことをするのかと聞いたら、彼ら(スウェーデン)とは一線を引かなければならない事情があるからだそうです。

      そう考えると、朝鮮民族など、なおさらという気がします。日本とも中国ともちがうんだぞ!・・ていうところでしょうか。

      でも、朝鮮人は浅はかな気がします。日本も朝鮮も中国から政治・文化を中国語(≒漢字)を通して学びました。また同様に、ヨーロッパ先進国もギリシャ、ラテン語を通して学びました。どんな国でも、そういう学びの過程で、ロゴスは避けて通れない課題になります。むしろ、言語学=思想、哲学の大きな課題の一つ・・みたいになるものです。たとえば荻生徂徠は、高い語学力を踏まえたシナ思想研究で、あの学問的なプライドの高い本場のシナからも一目も二目も置かれた学者で、その流れで本居宣長のような優れた言語学者もでてきました。そういうバックグランドからは、安易に漢字の廃止などという有害無益な考えは起こりえないものです。シナ思想研究では、朝鮮は言わば日本より先進国のはずなのに、なぜこうなるのでしょうか?不思議です。

      • >そういうバックグランドからは、安易に漢字の廃止などという有害無益な考えは起こりえないものです。

        ちょっと言いすぎたかもしれません。半島と日本の置かれた立場では、異なるところが多いので。

        • いいすぎです

          明治期には英語公用語化も検討されてますhttps://ameblo.jp/amethuchihajimete/entry-11429064661.html

           漢字廃止も幾度となく話題になってます
          最大の危機はGHQによるもの

      • > 彼ら(スウェーデン)とは一線を引かなければならない事情があるからだそうです。

         ポルトガルはスペインから、ノルウェーはスウェーデンから独立した経緯がありますから。

        > 安易に漢字の廃止などという有害無益な考えは起こりえないものです。

         漢字廃止論は明治期から幾度となくありました。調べてみればすぐにわかります。政府関係者にも漢字の使用制限ないし廃止を主張する人がいて、その人達が中心となって当用漢字、常用漢字を制定しました。
         かつて、公的に用いる漢字は当用漢字、常用漢字に定められた二千弱に制限し、これにない漢字は仮名に置き換える事が推奨されていました。常用漢字は改訂されるたびに字数が減らされていますが、これは漢字の段階的廃止が目標でした。日本語の漢字は約五万字に上りますが、学習指導要領では常用漢字以外の漢字は排除されています。
         戦前はもちろん、戦後も長い間、電報を漢字で送る事が難しく、ワードプロセッサのかな漢字変換も未熟でしたので、漢字制限や漢字廃止は日本社会において少なからず要望があったのです。もちろん漢字を残すべきと言う要望も強く、それが欧米では60年代に廃れたガリ版印刷が日本では80年代まで生き残る原因となりました。

         日本で漢字廃止論が聞かれなくなったのは平成期になってからです。ワードプロセッサのかな漢字変換の能力が向上し、オフィスに普及し出してガリ版に取って代わったためです。漢字の使用制限、段階的廃止を狙っていた常用漢字もその目的が忘れ去られ、多くの人が自由に漢字を活字に使うようになりました。そのため2010年の常用漢字改訂では一転して字数が増え、人名用漢字も追加されました。

         こういった経緯を知らずに、漢字を廃止した朝鮮人は浅はかと書く事こそ、浅はかです。日本だって漢字を廃止しようとし、その取り組みが政府レベルでも進められていました。
         日本語に漢字が残ったのは漢字廃止の過激派が強い力を持てなかった事、ワープロの進歩と普及が歯止めをかけた事が理由です。これがなければ日本でも二十一世紀中に漢字が廃止されていた可能性さえあります。

  • リンク記事の
    >『標準国語大辞典』の「標準」という語の意味の説明からして盗作議論から自由ではないという点が象徴的に示すように

    =>回りくどい言い回しですが、要はパクリを認めているのですね

    >問題を提起し続けてきた。その原因の一つが、日本語の辞典にあると著者はみる。

    =>「その原因の一つが、日本語の辞典の(丸写し盗作)にあると著者はみる」と()内を正直に書けなかったのだと善意に解釈しておきます。自分に都合の悪いことには蓋をして見ないようにするいつもの癖がつい出てしまったようで、「そう言う自分こそ事実を直視しない癖を直さないといつまでも同じ」という自家撞着に気付いていないのが可笑しいです。

    因みにお店で勘定をお願いするときは、片手の指でもう一方の手のひらに丸を書く仕草をすると万国共通で通じます(但し、日本以外で)

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