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東京新聞の福島原発処理水記事に東京電力側が即日反論

東京新聞は3日、東京電力が福島第一原発の処理水を巡り、「放射性物質のトリチウムが検知できないうえに、セシウムについても高濃度でないと反応しない線量計を使い処理水の安全性を強調する宣伝を繰り返している」と報じました。ただ、東電側はこれに対し即日、『ご視察時のALPS処理水サンプルキットを用いたご説明について』と題する反論文を公表しています。私たち一般人は、その両方の文章を読んだうえで、どちらの主張が正しいのかを判断することができるのです。

情報版PL法の必要性

先日の『新聞・テレビの虚報に対しては「情報版PL法」が必要』でも報告したとおり、新聞、テレビが、虚偽の報道などによって人々に損害を与えた場合、個人的にはいわゆるPL法と同等の責任を追及することができるようにすべきだと考えています。

「挙証責任の転換」という概念があります。これは製造物責任法(PL法)などに出てくる考え方で、一般消費者が損害賠償を求めたときは、製造者自身が「過失がなかったこと」などを証明できなければ免責されない、というものです。本来ならば、このPL法の考え方を適用しなければならない業態は、ほかにもあります。記者クラブ制度などの特権を持つマスメディア業界(とくに新聞社とテレビ局)こそ、その典型例ではないでしょうか。PL法『製造物責任法』という法律があります。これは「PL法」とも呼ばれ、製造物の欠陥によって人...
新聞・テレビの虚報に対しては「情報版PL法」が必要 - 新宿会計士の政治経済評論

ここでPL法とは「製造物責任法」の略で、簡単にいえば、「製造物」の欠陥などで損害が生じた場合には、その「製造物」の製造業者は自身に過失がなかったことを証明しない限りは損害賠償責任を負うというものです。これがいわゆる「挙証責任の転換」という重要な論点です。

なぜここで挙証責任の転換が図られているのかといえば、一般の消費者には製品に対する専門知識も乏しいからです。

民法の規定では、製品の使用などによって消費者が損害を被ったとしても、「その製品によって損害が生じた」ということを、その消費者個人が証明しなければなりません(いわゆる民法第709条に基づく「一般不法行為責任」)。正直、それは非常に困難です。

だからこそ、PL法では「その製品によって損害が生じた」ことを消費者が証明するのではなく、「その損害にその製品の製造業者の責任がないこと」を製造業者側が証明しなければならないことにされているのです。目的はもちろん、「一般消費者の利益の保護」です。

このあたり、「消費者の利益は守られなければならない」という観点からは、新聞、テレビなどの報道機関の報道によって損害を受けた場合も、「製造業者の虚偽報道によって損害が生じた」という意味ではまったく同じではないかと思う次第です。

テレビ朝日の「遅すぎ・軽すぎ」処分

もちろん、もしも本当に「情報版PL法」を制定しようとすれば、新聞、テレビなどの報道機関側は、「報道の自由の侵害だ!」、「報道が委縮する!」だのと猛烈に反発するであろうことは間違いありません。

しかし、ここで勘違いしていただいては困るのですが、そもそも論として本来保護されるべきは消費者の利益であり、報道機関の利益ではありません。

しかも、報道機関は記者クラブをはじめとして世の中の情報に優先的にアクセスできるという特権を(なぜか)与えられており、これに加えて新聞社は独禁法適用除外と消費税軽減税率、テレビ局は電波利用権、とくにNHKは受信料などのさまざまな利権を与えられています。

情報の入手と加工において、圧倒的な特権を付与されている以上は、虚偽の報道で世の中の消費者に損害を与えた場合、報道機関にもPL法に準じた責任を追及するのが筋です。

このあたり、テレビ朝日のケースだと、電波という公共の財産を使ってウソを垂れ流したにも関わらず、たった10日間の謹慎処分で済ませる(『遅すぎ・軽すぎ、かつ謝る相手が違うテレ朝の懲戒処分』等参照)のだそうですが、これも理解に苦しみます。

玉川徹氏は5日以降、出勤停止10日の謹慎処分となり、謹慎明けは番組に復帰するのだそうです。安倍総理の国葬儀における、例の「電通発言」を巡るテレビ朝日の処分は、遅すぎ、甘すぎ、そして謝罪すべき相手に謝罪していないという意味では、社会通念に照らして異常と言わざるを得ません。電通発言問題処分ひとつとってみても、徹底して他人に厳しく自分に甘い会社、ということでしょうか。先週行われた故・安倍晋三総理大臣の国葬儀で菅義偉総理が友人代表として弔辞を読んだ件に関連し、テレビ朝日の番組に出演した同社職員の玉川徹...
遅すぎ・軽すぎ、かつ謝る相手が違うテレ朝の懲戒処分 - 新宿会計士の政治経済評論

一般企業の場合だと、自身の言動によって会社や世の中に損害を与えた場合、その影響度に応じ、降格、減給など、さまざまな懲戒処分がとられます(最も重い処分は懲戒解雇でしょうか)。

また、その会社が不祥事を発生させた場合も、たとえば社長などが減給処分を受けることもありますし、2000年に集団食中毒事件を発生させた雪印乳業株式会社の場合は、翌年発覚した子会社の牛肉偽装事件も相まって、最終的には雪印メグミルク株式会社に吸収され、会社が消滅しています。

それなのに、報道機関の場合は本当に軽い処分を行ってその場を取り繕う、ということが容認されているのだとしたら、これは本当におかしなことと言わざるを得ません。

東京新聞「東電がトリチウム検知できない線量計で処理水の安全性を誇張」

もっとも、「情報版PL法」が存在しないことが、報道機関にとって良いことなのかどうかは、じっくり考えてみる必要があります。というのも、最近だと報道機関の一方的な報道に対し、報じられた側が反論する、といった機会が増えていることも間違いありません。

そのうえで、私たち一般人としても、「両論」をチェックしたうえで、どちらが正しいかを判断することができるようになりつつある、ということでもあります。そんな事例となるのでしょうか、ここで紹介したいのがこんな話題です。

東電、トリチウムを検知できない線量計で処理水の安全性を誇張 福島第一原発の視察ツアーで

―――2022年10月3日 06時00分付 東京新聞TOKYO WEBより

東京新聞は10月3日付の記事で、東京電力側が福島第一原発の視察者に対し、放射性物質であるトリチウムが検知できないうえに、セシウムについても高濃度でないと反応しない線量計を使い、処理水の安全性を強調する宣伝を繰り返していることが判明したと報じました。

記事冒頭では「処理水の海洋放出に向けた印象操作と言われても仕方ない」とする「専門家」の発言も紹介されており、また、記事には東京電力の担当者による「処理水を測ってみますが、メーターは振れません」、というキャプチャ画像が掲載されています。

東京新聞によると、視察ツアーでは放出基準の約15倍のトリチウムを含む処理水入のビンに、ガンマ線のみを検出する線量計を当てて反応がない様子を示すのだそうで、東京新聞も先月14日の取材時にそのような説明を受けた、としています。

これについて東京新聞は、「ベータ線の測定器を使っていない以上は『線量計を反応させるほど高濃度のセシウムは含まれていない』ことがいえるにすぎない」と指摘したうえで、東京大大学院の助教(環境分析化学)のこんな発言などを紹介しています。

科学的には全く無意味。ガンマ線はセシウムだと1リットル当たり数千ベクレル入っていなければ線量計は反応しない。セシウムが放出基準(同90ベクレル)の数十倍入っていても『ない』印象を与える」。

そのうえで東京新聞は、『本当に処理水への理解を得る気があるのか』として、次のようにも述べています。

東京電力が、福島第一原発の処理水の安全性をアピールする実演で、放射性物質のトリチウムが検知できない線量計を使っていた。東電は以前にもマスコミ向けに非科学的な実演をして問題になった。同じ実演を多くの視察者に見せ続ける東電の姿勢には、本当に処理水への理解を得る気があるのか疑わざるを得ない」。

こんな手法で処理水の安全性を強調したのでは『印象操作』『うそ』と受け取られても仕方ない」。

これについてどう考えれば良いのでしょうか。

東電側は即日反論

じつは、東電側はこの記事に対し、即日、『ご視察時のALPS処理水サンプルキットを用いたご説明について』と題したPDFファイルを公表して反論しています(※PDFファイルには公表日が記入されていませんが、『処理水ポータルサイト』側では公表日は2022年10月3日となっています)。

ご視察時の ALPS 処理水サンプルキットを用いたご説明について

本日、一部報道において、福島第一原子力発電所をご視察いただいた際の、多核種除去設備(ALPS)処理水サンプルキットを用いたご説明について、『「印象操作」批判免れず』と報じられております。

当社の ALPS 処理水サンプルキットを用いたご説明の主旨は、以下の通りです。

  • ALPS 処理水は、ALPS 等で浄化処理することで、セシウム 137 などのガンマ線核種等の 62 核種が十分に低減されていること
  • その結果、外部被ばくとして人体に影響を及ぼすガンマ線は、バックグラウンドと同程度のレベルまで下がっていること
  • 一方で、ALPS 等で浄化処理後の水には、処理できないトリチウム(ベータ核種)が告示濃度限度を超えて残っていること
  • ALPS 処理水に含まれるトリチウムが出すベータ線は、紙1枚で遮られるほどエネルギーが弱く、処理水サンプルキット(ボトル容器)でベータ線が遮られること
  • 従って、仮にベータ線を計測できる線量計で測定したとしても、放射線量を現場でお示しすることは難しいこと
  • また、説明時に使用しているガンマ線を測定する線量計では、ベータ線は測定できないこと

これらを、フリップおよびガンマ線を測定する線量計等でご説明しています。

なお、ご説明させていただいている場所(発電所構内)の空間線量は概ね 0.12マイクロシーベルトであり、この場所で、ボトル容器表面を線量計で測定する(針が振れる)には、ボトル容器内の水のセシウム 137 の濃度が、計算上では約 4,000 ベクレル/㍑(告示濃度限度 90 ベクレル/㍑の約 44 倍)以上あることが必要となりますが、ALPS で処理後の水の中には、外部被ばくするようなレベル(約 4,000 ベクレル/㍑)の放射性物質は残っておらず、そのこともフリップでご説明しています。

当社は引き続き、ALPS 処理水に関する情報をはじめ、廃炉に関しても正確に分かりやすくお伝えできるよう、様々な工夫をしながら取り組んでまいります。

―――2022/10/03付 東京電力『処理水ポータルサイト』PDFファイルより

「そもそもALPS処理水に含まれるトリチウムが出すベータ線は1枚の紙で遮られるほどエネルギーが弱く、したがってボトル容器でベータ線が遮られてしまう」。

これだとたしかに、仮にベータ線を検出する測定器を使ったとしても、放射線量を現場で示すことは不可能でしょう(余談ですが、東電側も今後は現場で「ベータ線を検出する測定器」を使い、ベータ線が検出不可能であることを示す実演を加えるのかもしれませんが…)。

この点、東京新聞側は「印象操作」、「うそ」などの表現を用いて東電の実演を批判的に報じましたが、もしも東電側の言い分が正しければ、「印象操作」「うそ」はむしろこの東京新聞の記事にこそ当てはまることでもあります。

情報版PL法を待たずしてネット空間ですでに検証が!

この点、東京新聞と東京電力の言い分のどちらが正しいのかについては、本稿では敢えて示すことはしませんが、科学的知識がない人であっても、両方の言い分を読み比べていただければ、おのずからその答えは明らかになると思います。

ついでにいえば、この問題を巡って、例の「ファクトチェック」をする人たち(『「報道機関はファクトチェック対象外」は妥当なのか?』等参照)は、今のところこの東京新聞の記事には反応を見せていないようです(「報道機関はファクトチェックの対象外とする」という方針でもあるのでしょうか?)。

メディア出身者が主体となって設立されるらしいファクトチェックのための主体を巡って、報道機関(メディア)をファクトチェックの対象から外すらしい、という記事がありました。もしこの情報が事実なら、これは非常におかしな話です。これについてはそもそもネット空間でSNSが発達した要因のひとつが「メディアが発信した情報のファクトチェック」だったという側面があるからです。メディアの闇日本では法的な権力者は選挙で選ばれる日本は自由・民主主義国です。そして、この「自由・民主主義国」の意味は、日本という国家におけ...
「報道機関はファクトチェック対象外」は妥当なのか? - 新宿会計士の政治経済評論

そして、「情報版PL法」が存在しないためでしょうか、どうも報道機関は自分たちで情報の正確性を担保しようとする努力を重ねているようにも見受けられませんし、批判された側(たとえば東京電力)が即日反論する、といった事例も増えているように思えてなりません。

このように考えていくならば、「情報版PL法」の制定を待たずして、すでにインターネット言論空間では報道機関の報道が批判的に検証されるという状況が出現しているといえるのかもしれません。

新宿会計士:

View Comments (33)

  • 築地の新聞記者に、ジャーナリズムはありません。取材する前に、上司受けする見出しを準備し、それに沿った記事の構成を準備します。取材先(つまり、私)では、「準備した見出しと準備した記事の構成で間違いないですね」と念を押してきます。取材先(つまり、私)が、「違います」と述べ、記者発表資料を手渡し正確な説明を行うと、怒りの表情になります。翌日の新聞では、記者発表資料や私の説明とは異なる、捏造した見出しと捏造した記事が掲載されます。
    本文で紹介されている名古屋の3流新聞社の取材を受けたことはありませんが、捏造した見出しと捏造した記事が表現を変えて掲載されていることから、取材はしないで、通信社や他の新聞社
    の捏造記事を転用しているようです。ところで、名古屋の3流新聞社のコピーである『進歩的』ですが、no trust である隣国人が自分たちに都合の良い日本の新聞社を『進歩的』と表現しているのと何か関係があるのでしょうか。

    • これは、聞きしに勝る酷さですね。まだ、こんな事をやっているんですね。記事を読んでいて、多分、取材しないで、自分の想定に沿って作文している印象を受けます。しかしながら、取材しても、取材対象に自分達の想定を呑ませようとは、本末転倒です。

  • メディアは一方的にウソを垂れ流しておいて、相手が反論したら、ダンマリだからイラつくんだよ!!!東京新聞は東電の反論を記事にすべきなんだわ!

  • インターネット空間には反論を公開できる”言論の自由”があるけれど、
    オールドメディアでは結論ありきがほとんどで
    ”言論の自由”を尊重している風には見えませんね。

    記者クラブ制度や”報道しない権利”などがあるけれど、
    ”言論の自由”は”報道の自由”よりも遥かに尊い権利だと思います。

  • 裁判で負けたら、謝罪広告を1面トップに載せる義務をおう法律を作るべきです。
    一審二審三審と最初は紙面の3分の一最後は全面広告にする。
    また、テレビなら全てのニュースの冒頭に謝罪をいれ、最高3ヶ月入れ続けなければならないとする。
    やはり、間違いなら間違いであると周知するまでは謝罪するのがスジではないか。

  • 東京新聞の言いがかり記事については、当たり前に考えれば、まともに論評する価値もないと言えるでしょう。記事中の「専門家」のコメントについても、処理水に含まれる放射能の測定についての一般的知識を述べた限りでなら、それは正しいとするべきなんでしょうが、この具体的状況(多分分かっってたはず)へのコメントとしては、全く専門家を名乗る資格もないほどにヒドイものだと断じざるを得ないと思います。

    処理水に含まれるトリチウム、およびごく微量のALPSでは除去しきれなかったセシウム、その他の放射性核種の危険性についての評価は、国際的な権威によって保証されたIAEAの見解を以て、すでに決着を見ており、それがすべてです。東京新聞あたりのチンケな記者のエセ科学知識などで、今更どうこう蒸し返せる問題ではない。その程度の自己省察能力すらないのは、お笑いぐさではあるのですが。

    しかし、それはそれとして、具体的に何をどうやったかは見ておりませんが、こういう科学的問題については半知半解の、そして思いつきで何を書くかも知れないマスメディア関係者を含む視察団に対して、こんな馬鹿げた方法で「安全性」なるものをデモンストレーションしたとするなら、ひょっとしたら東電の側に、より大きな問題があるといわざるを得ないかも知れません。あまりに一般人を舐めたというか、「この程度を見せておけば、納得するだろう」くらいの感覚でやったとしたならば、これは傲りというより、むしろ自らの無知、世間からのずれをも曝け出したということかも知れないと思えます。

    β線放出核種であるトリチウムにしても、ガンマ線放出核種であるセシウム等についても、それぞれきちんと測定する機器はもちろんあります。それで処理水に含まれる線量を目の前で測って見せる、それがやるべきことだったんでしょう。汎用の空間線量計なんかでやれる作業ではありません。「ほら、処理水に測定器を向けても、この敷地内の空間線量と何ら違った値は出ませんよ」なんて子供だましを、本当に言ったとしたならば、それははっきり言って馬鹿です。

    きちんとした装置で測定をやれば、トリチウムの方は無論のこと、ごく微量のガンマ線放出核種だって、ある程度の値は絶対に出ます。放射性セシウムやカリウム、ウラン、トリウムなどは自然放射能としても土壌中に含まれているのですから。

    問題は、その測定値が「ゼロ」でなければ、反射的に怖いと感じる人が、世の中の相当部分を占めるということなのです。未だに残る福島の農水産物に対する風評被害というのは、100%それだと言って良いと思います。

    東電がやるべきは、処理水に含まれる放射能が、海水に希釈して放出すれば、環境への悪影響が極微であることをきちんと説明し、かつ視察に訪れた人に十分な科学的根拠を以て納得させた上で、世間に公表してもらうことに尽きると思います。でなければ、このような使節団の受け入れなどやらずもがなということになるでしょう。

    もちろんこの東京新聞の記者などは、そうしたところで同じ趣旨の記事を書くかも知れません。しかし、その論拠というのは、さらに支離滅裂なものにならざるを得ないでしょう、東京新聞の記事内容と後から東電が出した反論と、科学的評価という点では優劣は明らかだとは言っても、そのどちらが世間に信用されるかと言ったら、わたしはなんとも言えないような気がします。

    • >そのどちらが世間に信用されるかと言ったら、わたしはなんとも言えないような気がします。

      東電(に限らず電力会社全て)も民間企業とはいえ半分役所みたいなところなので、マスコミと真正面から事を構える体質ではないんですよね。
      この際、正当性を貫き通すためにはIAEAのお墨付きという部分に頼り切るのではなく、東京新聞が誤報でしたと謝罪するところまで徹底的に争うこと。そこまでしないとオールドメディアからしか情報を得ない人間には理解できない。
      ついでに言えば、朝日新聞の吉田調書に関する捏造も賠償問題にまで発展させてもいいのではないかと。

    • 伊江太様

      伊江太様の論旨は、2つですね。

      東電の説明の仕方が、プロっぽくない。
      東京新聞の記者の解釈が、プロっぽくない。

      この取り合わせは、よくありますね、というか日常こんな事の方が多いでしょう。

      つまり、皆さん、プロではない、プロに成ろうとしない、成ろうとしないから、プロとはどういうものかが分かっていない、プロの世界というスッキリとした世界があることを知らない。

      わたしは、営業をしておりましたので、東電の立場であれば、聞く人がどういう人であれ、寸分の狂いも無い理解をしてもらうように万全の説明構造をつくります。

      次に、東京新聞の記者ですが、これはもうどうなのか?
      物事を理解することに命を懸けていますか?と聞きたいですね。
      新聞記者として自分がプロでありたいのならば、本当にそのことを理解したと自分の中で「納得するという感覚を研ぎ澄ませている」か、ということだと思います。

      東電の処理水を放水するニュースは目にしており、都度、自分の理解を確認しております。つまり、放水することに問題は無いのかを自分なりに納得できるかを、自分の頭の中で確認しております。

      そして次に、この自分が納得したことを、第3者の誰でもどんな人でも、納得するように説明するには、どんな説明構造で説明して行けばよいかを考えます。相手が、例え子供でもです。それが、長年の癖になっております。

      当然、新聞記者のように、あまり基本から理解しようとしないような人間にも、必ず理解し納得してもらう説明構造を考えておかなければなりません。
      もし、自分の物差しで、説明構造を作ったら、それは多分、自分の同業にしか理解してもらえない説明構造だろうということです。同じ物差しを持っている人間にしか理解し納得してもらえない説明構造とは、「説明」とは言えませんね。

      つまり、営業とは、相手(お客)に寸分の隙も無く、誤解も無く、理解してもらわなければ、ものが売れないですし、売れた後に、これは説明していたものとは違うとクレームを付けられても成り立たない仕事だからです。

      伊江太様の緻密なコメントを読んでおりましたら、以上の様なことが頭に浮かんで参りました。

      • 伊江太様

         補足します。

         新聞記者が、記事を書く時は、今度は、説明する側に成りますので、自分の購読層の誰であれ、寸分の隙も無く理解できるような説明構造の記事を書かなければならない立場に成ります。

         つまり、新聞記者は、理解するプロ、説明するプロ、でなければならないことになります。

         とは言え、自分が納得するまで理解していないことは、相手が納得するように説明できませんから、当たり前の事なんですが。
        これを、「プロの両面性」と名付けましょうか?

         然し乍ら、ここまで書いて来て気が付いたことは、新聞記者は、
        本当にどんなことでも正確に理解できる程にIQが高いことが前提として必要であり、その上に、謙虚に人の話を聞き、それを謙虚に「己を虚しゅう」して、記事を書ける人でなければならないのですね。
        新聞記者になる人、新聞記者である人には、このコメントを読んでほしいですね。

        • プロの矜持というご指摘に共感いたします。確かにこれは絶対的に必要ではあるのですが、専門知識の面では非常に高いレベルの人であっても、それを世間に役立てていくという点では合格点に届かないというケースは往々にしてあるようです。

          原発問題ひとつを取っても、、それが大きな社会的課題に繋がっていることの意味を十分に理解せぬまま、己の職掌の狭い範囲の中だけで、日々滞りなく仕事をこなせれば良いと考える人たちだけで、組織が成り立っているのであれば、弊害は今回のような無理解なマスコミのツッコミに旨く対処できないというような些末な事案に止まらないでしょう、より重要な外部からの疑問、問題点の指摘などに、うまく対応できずに醜態を曝すということにでもなったら、その影響は深刻でしょう。事前に想像力を働かせて、普段からどこからでも掛かっていらっしゃいというくらいの準備がしてあれば、何ということもなく切り抜けられるところを、却って不信感を煽ることにでもなるとすれば、やはりそれは本当のプロ集団としての意識が育っていないということになるのかも知れませんね。

          • 伊江太様

            流石に、本質の掴みが的確ですね。

            プロの「矜持」という言葉がすんなりと出て来るのは、伊江太様が、プロの矜持を持って仕事をされている証ですね。この「矜持」という境地、つい、30年程前までは、普通の日本人の多くが持っていたように思います。
            上で書いた、「プロの世界というスッキリとした世界」=「プロであることの覚悟の世界」は、仕事人の多くが持っていたと思います。

            話が逸れますが、テレ朝の玉川某氏、プロの矜持があれば、そもそもあんな下品な誰かを見下したような発言はしなかったでしょうし、仮にこのような騒ぎになれば、自分の過ちを愧じて潔く辞めていたでしょう。
            また、「矜持」はプロでなくても、自分の仕事の中身や立場に対して持つものでもあるように思えます。現今の日本には、矜持を持って仕事をしている人が少なくなったと感じています。寂しい限りです。

            >>>事前に想像力を働かせて、普段からどこからでも掛かっていらっしゃいというくらいの準備がしてあれば、

            この言葉も、普段からそのような準備をして仕事をしておられるから、直ぐに出て来る言葉ですね。
            こういうプロの仕事をしておられる方に会うと、本当に嬉しくなります。「プロというスッキリした
            世界」におられることが分かります。

            尚、このことを、「万全の思考シミュレーション」という表現などをして、「nekodama様」のコメントに対する返信で、詳しく書かせて頂いております。「匿名」名です。

            「事前に想像力を働かせて」=「万全の思考シミュレーション」
            「普段からどこからでも掛かっていらっしゃいというくらいの準備」=「どこから鉄砲玉が飛んで来ても」と、言葉の表現が違っても、同じような心の姿勢であることが、嬉しいですね。

            ご参照頂ければ、幸いです。

  • すでに韓国の新聞社に記事が引用されて拡散されているようですね。
    こうやって嘘が現実化する国に情報を流すのが記事本来の目的をなのでしょうから、それを達成して執筆者も鼻が高いことでしょうね。

  • 素朴な感想ですが、東京電力は「東京新聞に反論しても、反論したこと自体で世間から叩かれることはない」という自信があるのでしょう。時代が変わったことに東京新聞は気が付いているのでしょうか。(東京新聞にとっては、自身の記事への科学的根拠に注目が集まる、ということは想定外だったのではないでしょうか。もっとも、「科学的根拠なぞ関係ない。「嫌だ」という感情が重要なのだ」と言い出すかもしれませんが)

    • すみません。追加です。
      もし、東京新聞が(追い詰められてか)「福島のトリチウムは、他のトリチウムとは違う」と言ってくれれば、ノーベル賞狙いで、世界中の学者が、福島に集まるのではないでしょうか。

  • この手の記事(福島原発関連)に限っての話ですが、東京新聞は東亜日報、中日新聞は中央日報と記事元が誤って表記されていても、何ら違和感なく受けとめられそうです。

  • 何時ぞやの名言(迷言?)が思い出されます。
    「エビデンス? ねえよ、そんなもん!」

  •  一方は反原発思想のために経緯を無視して印象操作に走り、一方は印象操作を恐れ科学的な意義が薄れる設定をする。一般国民には何ら利の無い悪循環です。
     個人的には、今回については(まぁいつもだけど)東京新聞側が完全なる悪だと思いますが。なんせ嘘ですから。「東電が誇張をしたのは事実だ」とかほざきそうですが、「嘘にならない程度の偏向」に慣れすぎてやりすぎた感。
     これも0か100か脳の弊害に思えます。東電が現実的で最大限マシな施策をしても、原発だから全てダメ、全て悪、何をしてでも邪魔をする。東京新聞らには「気に食わないが、このへんが仕方ないところだろう」という判断を出来るような知性は無いし、する気も一切無い。でその後は「我々は対案を用意する立場にはない、真実を追求するのだ」とかドヤるのでしょう。
     こいつらが暴れるほどに、廃炉も原発ゼロもかえって遠のくと思いますけどねぇ。

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