正直、被災地から見て折り鶴ほど迷惑なものはありません。折る人にとっては「鶴を折る」ことで自身の内面で被災地と気持ちを共有しているつもりなのかもしれませんが、受け取る側からすると何の役にも立たないからです。こうしたなか、新たに出てきたのが「440羽鶴」です。かごか何かに盛られた鶴をそのまま「はい」と手渡されても、ねぇ…。
被災地の折り鶴=ゴミ
またしても、「折り鶴問題」です。
間接的に、ではありますが、東日本大震災や阪神大震災などの大災害を経験した立場から言わせていただくならば、被災地に送りつけられる折り鶴は、端的に申し上げて「ゴミ」です。
いや、ただの「ゴミ」ではありません。
災害支援を妨害する、有害な代物だという言い方をしても良いでしょう。
被災地ではこれまでに経験したことがない非常事態のなか、避難されている方々や対応に追われる役場の方々は、極度の緊張状態を強いられますし、災害発生からある程度時間が経過すれば、全国各地から送られてくる救援物資の仕分けにも、かなりの労力を取られます。
被災地に送りつけられて困るものといえば、たとえば▼古着(たとえば使用済み下着)、▼手作りの食品、▼生鮮食品、といったものがその代表例ですが、それだけではありません。折り鶴は、現地の人々にとっては大変に迷惑なしろものなのです。
まず、場所を取ります。たいていの場合、避難所は場所が限られていますので、千羽鶴などを送り付けられても、それらを飾る場所もありませんし、捨てようと思えば処分のためのコストも必要です。
もちろん、千羽鶴には「折ってくれた人たちの善意」がこもっている、などと主張する人がいることはそのとおりですが、なまじっか「善意」(?)が込められているがために、誠実な人であればあるほど「無碍に扱うわけにはいかない」と心を悩ませることにつながりません。
いわば、千羽鶴は「善意」の衣をまとった悪意の塊だ、という言い方もできます。もしも「善意」を示そうと思うなら、もう少し別の手段にした方が良いでしょう。
ウクライナ折り鶴問題とその顛末
ただ、日本国内では千羽鶴を相手に送り付けるという悪習があとを絶ちません。そして、これは災害支援時だけでなく、それ以外の「困っている人を勇気づける」という手段としても使われてしまっているフシがあります。その典型例が、ウクライナ戦争です。
ロシアによるウクライナに対する違法な戦争が始まって100日以上が経過しましたが、こうしたなか、以前の『千羽鶴を贈ることは本当に相手のためになるのですか?』では、「ウクライナに折り鶴を贈ろう」という運動について取り上げました。
またしても「千羽鶴」が暴走し始めたようです。今度のターゲットは、ロシアの軍事侵攻に苦しむウクライナ大使館だそうです。これについて考える前に、そもそも千羽鶴とはいったい何なのか、そして広島市がその対応にどう苦慮しているのか、さらには「支援を受ける側」が望むであろう「善意の発露」とはいったい何なのか、少し立ち止まって考えてみませんか?暴走する千羽鶴日本には「千羽鶴」という文化があるようです。折鶴といえば、色鮮やかな折り紙で鶴を表現する、日本人なら知らない人はいない文化です。そして、千羽鶴とは、そ... 千羽鶴を贈ることは本当に相手のためになるのですか? - 新宿会計士の政治経済評論 |
そのなかでも指摘したとおり、とくに戦後の千羽鶴カルチャー自体は、広島原爆被害者の「サダコさん」に対する祈りとして発生した可能性が濃厚なのですが、千羽鶴を受け入れている広島市自身が千羽鶴に悩まされているという点は、皮肉以外の何者でもありません。
もっとも、この「ウクライナへの千羽鶴贈呈構想」問題を巡っては、後日談もありました。この運動の中心人物に対しては、SNS上で賛同意見以上に圧倒的多数の疑念の声が集まり、結局この人物は構想を再考し、中断したのです(『千羽鶴問題で「あのテレビ局」が「無意味批判に疑問」』等参照)。
「ウクライナ大使館への千羽鶴問題」を巡るSNS上の議論に、「あの放送局」が再び火をつけたようです。ウクライナ大使館への千羽鶴寄贈を呼びかけた人物は、結局、SNS上で寄せられた指摘により、寄贈を断念したそうですが、これを巡ってテレビ朝日が『「無意味」批判の声には疑問』、などと報じたのです。千羽鶴問題意外と当ウェブサイトで過去に何度となく取り上げてきた話題のひとつが、「折り鶴問題」、「千羽鶴問題」です。ことに、先月の『千羽鶴を贈ることは本当に相手のためになるのですか?』では、ウクライナ大使館に折... 千羽鶴問題で「あのテレビ局」が「無意味批判に疑問」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
今度は福島の高校で440羽鶴
ただ、こうした世間の反応を無視するかのように、金曜日にはこんな話題が出ていました。
「勇気の一歩につながれば…」ウクライナの子どもに折り鶴(福島県)
―――2022/06/03 19:33付 Yahoo!ニュースより【※テレビユー福島配信】
記事によれば、福島市内の高校で生徒約60人がウクライナの子供たちに向けて折った440羽の折り鶴が3日、ウクライナ難民の支援を行うNPOを運営する人物に託されたのだそうです。
そのうえで、記事ではこんなやり取りが紹介されています。
- 「私たちが折った鶴で少しでもウクライナの子どもたちの心が良くなってくれれば」(生徒)
- 「(折り鶴が)日々苦しい思いをしている(ウクライナの)子どもたちの何らかの勇気の一歩になってほしい」(NPO代表)
このNPO代表の方は6月下旬にポーランドのワルシャワに渡航する予定で、折り鶴はその際に手渡されるのだとか。
それにしても440羽とは、何とも微妙な数です。通常、千羽鶴は持ち運びが容易になるよう、ひもで通されるのですが、この440羽の千羽鶴、リンク先記事の動画で視聴すると、竹かごのようなものにバラバラで盛られている状態で、そのままNPOの代表の方に手渡されていました。
440羽程度であれば、レジ袋かなにかに入れてスーツケースにしまうことができそうですが、この程度の数であれば、相手にとってさほど迷惑にはならない…のでしょうか?
高校生の活動にしては、何だか微妙です。
いや、もちろん、「ウクライナの子供たちを勇気づける」という動機自体は大変に素晴らしいものはありますが、その行動が本当にその目的にかなっているものなのでしょうか。
ちなみにリンク先のYahoo!ニュースの読者コメント欄を眺めると、「東日本大震災でおじいちゃんが『紙じゃ生きられない、水を送って欲しい』と訴えてたの今でも思い出す」、などとするコメントがあり、思わず納得してしまったのはここだけの話です。
内面の問題は内面で処理したら?
正直、千羽鶴を折って被災地などに送り付けるという慣習自体、「日本の古来の文化」ではなく、「原爆の子」が作り出した、比較的浅い文化です。
また、たとえば「家族で鶴を折りながらウクライナ問題について考える」、「ウクライナ国旗色の折り鶴をたくさん折り、ウクライナに共感する」、といった行動にはそれなりの意味はあるのかもしれませんが、それはあくまでも「鶴を折っている人たち」の「内面」の話です。
たとえばSNSなどで呼びかけ、みんなでたくさんの鶴を折り、それを各自が写真にとってSNSにアップロードし、ウクライナの人々に「これは日本の文化だ」(?)、などと呼び掛ける、くらいのことであれば、自由にやれば良いかもしれません。
しかし、その「成果物」(?)である折り鶴を相手に送り付けるのは、やはり問題があると言わざるを得ないでしょう。べつにその鶴は食べられるものでも飲めるものでもなく、ましてや有価物ですらないからです。
もちろん、「紙幣や有価証券で作った折り鶴」なら話は別ですが…。
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また折り鶴問題ですか。これ、SNSで散々批判されているのにまた起きるんですか?
ここまで来ると誰かが「日本が恥をかく」事を望んでいると思いたくなってくる。
日本国内ならまだしも、ウクライナにはねえ……
今回も「やめとけ、やめとけ!」の声が降り注いで中止になる事を望みます。
(Yahoo)コメントにもあるように
大人がとめるべきかと思います
広島・長崎では困ってます
"広島などに寄贈された千羽鶴をアップサイクルしたスニーカーを発売https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000078801.html
小学生じゃなくて高校生か…
これもう大人が止めると絡まれますよ。出来上がっちゃってる歳ですし。
どこかの団体の思想的な作品として…
本件、”善意の押し付けが得意のマスメディア”では取り上げづらい話題ですが、
”日本人のデリカシー・想像力劣化を憂う”意味では取り上げて正解ですね。
千羽鶴はかなり限定された状況にしか適さない対応と思います。
例えば、命の危険の全くない骨折程度で、退屈しながら入院しているさみしがり屋の友人に
全員で見舞いに行ったら迷惑だろうからクラス全員で折って送るノリかなと思います。
相手の状況と今の自分に出来る事を勘案して
”黙って手を合わせる”のも一つの方法。
それでは不足と考えるなら、
”ロシア関連製品不買””エネルギー節約”が相手の負担にならない方法と思います。
それでも不足と思うならウクライナが必要としているものを調べて
(自分勝手な想像ではなく)、赤十字などオーバーオールの物流に責任を持てるしっかりした機関を通して送るのが適切かと。
高校生たちには、人の気持ちに寄り添うとはどういうことなのか、戦禍に苦しんでいる人々に何をすべきなのか、もっと考えて行動していただきたいものですね。
まだまだ未熟な子供だから…は通用しませんよ。
そして、NPOのアースウォーカーズ、法人の活動目的の一つに「自然災害や紛争などによる被災地域の子どもたちの様々なニーズに応え、支援する。」と謳っています。
ニーズのない押しつけの気持ちを送ることが支援?
しっかりしてくださいよ。
昭和世代は普通にこんなことをやっていた恥知らずの人々だらけだった
その世代が今の60.70代以上と考えると納得いく
日本人の民度はかなり良くなってきているね
お前はなにを言ってるんだ?
世代間闘争を煽るんじゃない!
平成以降産まれの匿名様
高校生がやってるって文字読める?
貴方の民度は最低ですね。
該当のヤフコメも大多数が生徒らの善意にではなく周囲の大人への抑制的な批判でむしろ安心しました。擁護コメはどれも的外れですごい勢いで低評価。
しかし、高校生は東日本大震災当時6歳前後。本人らに避難先がどうだったとか鶴はどうだったとかの記憶は薄いかもしれませんが。では周囲の大人は?と鶴を託されたという小玉直也氏……うん、まぁなんというか。こういうの好きそうだな。
ウクライナにではなく「ウクライナ難民支援にワルシャワへ」行くそうなので、とりあえず落ち着いた生活ができている方のところに行くのでしょう、多分。震災でいえば、被災地避難所に送りつけるのではなく、県外避難者の所へ励ましに、というのならまぁマシでしょうか。……余計に意義が謎ではあります。
これはあれか、「災害ボランティアに行く」とかいって、現地で衣食住を集る連中と本質は一緒か?
千羽鶴は迷惑しかないからやめるべき
鶴型の攻撃や偵察用ドローンだったらよかったかも
「やらない善よりやる偽善」という言葉があるが
アレは「たとえ売名行為だったとしても困っている人に手を差し伸べたものは見てるだけよりマシ」
というような意味だったよなあ
「行動力のある馬鹿がいちばん厄介」という言葉もあったかなあ
昔「おしん」役の子供の家に米を送った人がいたという話を聞いたが
どう考えても送る側の自己満足だよね
まあ米なら貰って困るものでもないけど
いろんなこと考えてしまった
杉良太郎カッコ佳かったでんなあ!
マスゴミ記者への返しもまた良かった