ロシア軍がウクライナの占領地で穀物や農業機械などの収奪を行っているとする報道が出てきました。報じたのは米メディア・CNNであり、これを無条件に信じて良いかという点には留保は必要ですが、もしこうした報道が事実だとすれば、「さもありなん」、といったところでしょうか。私たち日本人にとっては旧ソ連による略奪・性的暴行・違法な強制労働という記憶がよみがえってくるからです。
目次
日本は「米国に」負けた
今年は終戦から77年目です。
先の大戦では日本各地が焦土と化し、領土を失い、国力は極端に低下しました。日本国憲法の前文にも「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、などと記載されているとおり、わが国では毎年8月15日に戦没者慰霊式典を開催するなど、いまだに先の大戦を語り継いでいます。
ただ、日本は「誰」に負けたのか、冷静になって考えてみるのも有益かもしれません。
先の大戦では、日本は中国、米国、英国、ソ連などと戦いましたが、やはり最も苦戦した相手は米国でしょう。2発の原爆を投下したのも、東京をはじめとする日本各地の都市を無差別の大空襲により焼き払ったのも米国ならば、沖縄を地上戦で焦土と化したのも米国です。
逆に、歴史に「IF」はないと言われますが、もしも米国が日本と交戦状態に入っていなかったら、どうなっていたでしょうか。そして、1941年12月8日に攻撃していたのがハワイの真珠湾ではなく、ソ連のウラジオストックだったとしたら、歴史はどう変わっていたでしょうか。
もしかしたら、ソ連は1942年か43年ごろには消滅していたかもしれません。西側からドイツ、東側から日本に攻め込まれたら、ひとたまりもないからです。
また、真珠湾攻撃が発生していなかったとしたら、当時の米国としても、世論が第二次世界大戦への参戦を許さなかった可能性が高く、英国や中国に対し、当時の「レンドリース法」で武器を供与するのが関の山だったに違いありません。
その意味で、著者自身は先の大戦について、第一義的には「米国に負けた戦争」であって、決して中国やソ連に戦闘で負けたわけではない、と考えています。
ポツダム宣言受諾後も侵略を続けたソ連
ただ、昭和天皇がポツダム宣言受諾を国民に向けてご宣言された玉音放送が流れた1945年8月15日以降も、じつは戦闘が継続していたという事実を、私たち日本国民はあまり認識していません。
そもそもソ連が日ソ中立条約を破り、対日参戦を決めたのが8月9日のことであり、ソ連による南樺太占領作戦が始まったのが8月11日で、占領が完了したのはじつに8月25日の話です。
また、千島列島の北端の占守(しむしゅ)島に侵攻を開始したのは8月18日であり、日本軍の守備隊が勇敢だったためでしょうか、占領の完了は8月24日にずれ込んでいます。
その後、松輪(まつわ)島(8月26日)、得撫(うるっぷ)島(8月28日)の占領を経て、択捉島などのいわゆる北方4島への侵攻を開始したのが8月29日であり、占領が完了したのは9月5日です。ちなみにそれは、日本が降伏文書に署名した9月2日よりあとのことでした。
【参考】ソ連による1945年の千島侵攻
(【出所】内閣府)
つまり、ソ連が南樺太、千島の全島を占領し終えるまでに1ヵ月近くを要しているという事実、そして少なくとも千島列島のすべてが8月15日の時点で日本の支配下にあったという事実を、ここで改めて認識しておく必要があります。
これだとなんだか、「日本がもはや反撃して来ない状況」になって初めて南樺太と千島列島への侵攻を開始したように見えてなりません。また、もしかしたら占守島などの防衛隊が勇敢だったため、北海道が占領を免れたという側面もあったのかもしれません。
(※ただし、ソ連の千島、樺太占領作戦がこの時期になったことについては、それなりに合理的な理由が考えられるのですが、これについては機会があれば別稿にて触れたいと思います)。
ソ連による犯罪の数々――略奪、性暴行、違法な強制労働
さらには、ソ連軍は占領した地域で日本の民間人などに暴行したほか、武装解除した日本兵などを含めた多くの日本人を、国際法に反し、シベリアなどへ労働力として連行したという事件(いわゆるシベリア抑留)を発生させています。
領土の略奪、民間人などに対する性暴行や違法な強制労働――。
どれも、私たち日本人が歴史的事実として刻まねばならないソ連による卑劣な犯罪行為そのものです。
そして、先の大戦について私たち日本人が心の底から反省しなければならない点があるとしたら、客観的事実をきちんと振り返り、なぜ日本が敗北したのかを科学的に研究することです。その最大の目的は、「戦争の惨禍を繰り返さない」ためですが、これは私たちの国・日本が戦争に巻き込まれない、というだけの話ではありません。
とくにソ連の後継国家たるロシアによる現在進行形での不法行為を受けている被害国であるウクライナに対しても、私たちはできる限り最大の支援を惜しんではならないと思うのです。
ロシアは77年後のウクライナでまったく同じことをやっているのか
なぜこんな話を滔々と説明したのかといえば、米メディア『CNN』に先日、こんな記事が掲載されているのを発見したからです。
ウクライナ農家、ロシア軍が大量の穀物を略奪と証言 飢餓の歴史再来の懸念
―――2022.05.06 18:20 JST付 CNN.co.jpより
CNNによると、「複数の関係者」はロシア軍がウクライナの占領地(とくにウクライナ南部のヘルソンやザポリージャなどの穀倉地帯)で農家から大量の農業機械や穀物を略奪していると明らかにしたのだそうです。また、食糧貯蔵庫も砲撃の標的にされているのだとか。
CNNはまた、これらの地域では「種まきの中断や中止を余儀なくされた農家も多い」としつつ、「世界有数の穀物生産国ウクライナで、今年の収穫が脅かされる恐れもある」と指摘しています(具体的な被害の状況については、CNNの記事で直接ご確認ください)。
報じたのが米メディア・CNNであるという事情もあり、無条件に信頼して良いかどうかは別問題ではあります。ただ、こうした記事を読むと、1945年の日本がソ連による違法な略奪、性暴行、強制労働等の被害に遭ったという歴史的事実を思い出さざるを得ません。
江戸時代もびっくり!「七公三民」
しかも、驚くのはこんな記述です。
「ルハンスク州の当局者によると、同地でこの春の種まきは行われていない。別の当局者によれば、ロシア軍はヘルソンで収穫量の70%を無条件で引き渡すことを条件として農家の種まきを認めたが、ほとんどの農家は拒んでいるという」。
つまり、現在、ウクライナに保管されている穀物を収奪するだけでは飽き足らず、今年収穫されるであろう穀物の70%を無条件に召し上げる、というのです。強欲なこと、この上ありません。江戸時代の「五公五民(ごこうごみん)」ならぬ「ロシア幕府の七公三民」、といったところでしょうか。
(※なお、歴史教科書に出て来る「五公五民」を巡っては、一般に「税率50%」と理解されているものの、納税割合などに関し諸説あるのですが、本稿ではこれに関しては割愛したいと思います。)
ちなみにロシアの収奪という観点からは、先日の『対ロシア制裁でロシア社会は麻痺・壊死に向かうのか?』でも紹介したとおり、GPSのデータ上、ロシアが収奪した農業機械がチェチェンにまで輸送された事例もあったことを思い出します。
西側諸国によるロシアに対する経済・金融制裁が、ロシア経済をただちに崩壊させることは難しいでしょう。ただ、ひとつ注意点があるとしたら、世界経済が一体化するなかで、これらの制裁が見えないところで、徐々にロシア経済に影響を及ぼしていくという可能性です。金額的には大したことがなくても、重要な機械を動かすための部品が入って来なくなれば、社会のそこここで重要な装置が動かなくなり、経済、社会は徐々に麻痺・壊死していく可能性があるからです。経済・金融制裁だけでロシアを崩壊させるのは難しい?『意外としぶとい?... 対ロシア制裁でロシア社会は麻痺・壊死に向かうのか? - 新宿会計士の政治経済評論 |
CNNの報道が事実だと仮定すれば、ですが、「違法に占領した外国から穀物などを収奪する」というのは、やはり見ていて大変浅ましく、そして大変醜悪でもあります。戦後77年近くが経過し、「ソ連」が「ロシア」に名前を変えたにも関わらず、やっていることは本当にまったく同じなのかもしれません。
遠隔操作でロックする!ロシア経済の壊死
もっとも、最新の農業機械のなかには、遠隔操作でロックをかけることができるものもあるそうですが、これを敷衍するならば、ロシアが西側から導入した機械のなかにも、もしかしたら同様に、今後使えなくなるものが出てくるのかもしれません。
また、遠隔ロックまではかからないにせよ、航空機、自動車、列車などのなかには「共食い整備」で徐々に使用できるものが減って来るという可能性はあります。以前からときどき紹介している、イランのメヘラーバード国際空港にたくさんの航空機の残骸が置かれている姿は、もしかしたら近未来のロシアかもしれません。
ちなみに以前から何度も述べているとおり、ロシア自身が国連安保理常任理事国であり、かつ資源国でもありますので、その気になれば「内に籠る」ことができてしまうはずです(『意外としぶとい?ルーブル「紙屑化」の可能性を考える』等参照)。
北朝鮮を道連れでどうぞルーブルが、意外としぶといです。もちろん、国際社会が対露制裁をさらに強化すれば、ルーブルがさらに下落することはあるかもしれませんが、だからとって「紙屑化」するのかどうかに関しては、非常に気になるテーマです。ロシアは内に籠ることができる国でもありますし、北朝鮮のように長年にわたる経済制裁にしぶとく耐えているという事例もあるからです。金融制裁・現時点までの効果金融制裁発表から1週間ロシアがウクライナに軍事侵攻したことを受け、国際社会がロシアに対する厳格な金融制裁を発表してか... 意外としぶとい?ルーブル「紙屑化」の可能性を考える - 新宿会計士の政治経済評論 |
資源がほとんどない北朝鮮ですら生き延びているわけですから、基本的には国連安保理の制裁を喰らわないという保証があるうえ、国際社会の経済・金融制裁に加わらない「中国」という「抜け穴」が存在していることを踏まえると、ロシア経済がただちに破綻する可能性は低いと考えて良いでしょう。
(※ちなみに先日、当ウェブサイトのコメント欄に「北朝鮮は資源国だ」とする趣旨の意見が書きこまれていたようですが、これも斬新な主張です。「北朝鮮が経済制裁の影響を無効にするほど資源の輸出で潤っている」という事実でもあるのなら、ぜひとも教えていただきたいと思います。)
ただ、昨今のように世界経済の一体化が進んで来ると、サプライチェーンが寸断されれば、思わぬ部品で思わぬ機械が操業を停止する事例が出てくるかもしれません。すなわち、ロシアに対する経済・金融制裁が長期化すればするほど、そうした「ロシア経済の壊死」のリスクは高まると考えて良いでしょう。
View Comments (27)
コマツの建機や DMG 森精機の工作機械は遠隔監視されています。森精機のお客が機材の配置を変更したら探知されたと驚いていたそうです。敷地の中で動かしただけなのに、と森精機社員から聞きました。通信が切れたらどうなるか知りません。スクラムするのかも。
ロシアの本質は伝統的に「頭の黒い?ネズミ(ドロボー)」ですね。
ソ連は米国からのレンドリースを受けて千島列島を制圧したんじゃなかったでしょうか? 米国は、北方四島への軍事基地の設置を要求すればいいのに・・。
あゝ、ロシアに要求しては主権の存在を認めちゃう結果になるのか・・。
初めてコメントさせていただきます。このような興味深いサイトを運営していらっしゃる主様に感謝申し上げます。
端的に言って、12月にウラジオストックを攻撃するのは無茶です。適切に準備すれば占領そのものは成功するかもしれませんが、防御に適する攻勢終末点を設定することが困難で、支那事変同様にいつ果てるかしれない消耗戦になる可能性が高いです。
さらに冬のシベリアの気候は過酷で、海が近い地域はそれほどでもありませんが奥地は軽く零下40度に下がります。「バナナで釘が打てる」有様で、生きていくだけで大変です。
対ソ戦のシミュレーションは、古い本ですが檜山良昭氏の「ソ連本土決戦 : 昭和16年8月、関東軍ソ連領へ突入!」が良く書けていたという記憶があります。
>檜山良昭氏の「ソ連本土決戦」
それ読みました。アメリカ本土決戦も日本本土決戦も読みました。面白かったですね
作品の中で日本軍はウラジオ攻略でさえ苦戦します。ソ連軍が分厚いからです
現実の当時の参謀の証言でも「上手く行ってバイカル湖まで。それも維持できるか分からない」でした
アホな左翼は「関特演でソ連を威嚇した日本は、後に攻められて仕方ない」という、
ソ連の公式見解をそのまま言っていますが、
関特演の関東軍最大時でも85万人、それまでの極東ソ連軍は170万人です
バルバロッサの後、極東ロシア軍が引き抜かれた後でも、80~100万人を維持しました
85万人で威嚇なら、170万人のソ連は常時威嚇していた事になる
実際には11割公だと思います。
ポモロドールの実績がありますからね。
ロシアは相変わらず、世紀末救世主伝説の世界に生きてますね。
みなさんにお尋ねします。
今回のウクライナ危機前に、戦争中の自身の飢えの経験から軍備反対を訴えていた日本の高齢者は、ロシアがウクライナから穀物70%を奪っている状況を見て、何と言っているのでしょうか。(もちろん、「ウクライナ国民が餓死することはない」と言い切るかもしれませんが)
ロシア(ソ連)の好感度(内閣府)は、大昔から一定して低いです
北朝鮮よりはマシだが、中共と同じ程度
「左翼老人」は「ロシア(ソ連)は悪い国だが、改憲や軍備増強はダメ!」
という気分だと思います。論理的に理解しようとしてはいけません
そういう人達なんです。死ぬまで治りません
同感です。
外交が大切、話し合いで決めろ。
と言いますが人の話を聞く事が出来ない人たちです。
江戸時代の、経費は労力と自然循環で賄い、食べる分と来年のモミの五民を除いて五公を納める農民ならともかく、現代の大規模農場が自家消費用に穀類を生産しているわけがないので、ほぼ全量を販売(麦なら実質は政府買上げと助成金か)して現金収入を得るわけです。経費が売上の50%としても7割召し上げでは、3割残るのではなく大幅マイナス。収奪=利得のためだとしたらもっと少なく奪わないと無意味で、謎すぎます。ロシア側が「ウクライナの農業を壊滅させたい」という方針であるとかならば納得できます。
ともあれ、ロシア側の略奪、西側のプロパガンダ、いずれであっても農業に知見のある人間が出した話ではなさそうに感じます。インパクト狙いのような。
江戸時代も驚き?ロシアが占領地で「七公三民」強要か >
江戸時代に7割を超す年貢を課した大名家は実在しました。僅か一藩でしたが。
その大名家がどのような末路を辿ったのかをご説明します。
まずその大名とは九州島原藩の松浦重・勝家の父子です。この親子二代の統治下では8割、或いはそれ以上の重税を領民に課していたとされています。ふつうは五公五民程度であったと言われています。また天領、即ち幕府直轄領では四公六民ぐらいだったと云われています。これらのことから島原藩ではいかに非道な政治が繰り広げられていたことがわかります。
ではなぜ島原藩ではそのような苛政がまかり通ったのでしょうか。一つには親子二代に亘る無理な築城、そして海外貿易への投資などがあげられます。しかしなんといっても一番酷かったのが彼らが行った検地でした。四万石程度の石高の土地を2倍の八万石にまで水増しさせ、更に十万石並の年貢を強要したと云われています。
それに加えて大々的なキリシタン弾圧も展開しました。そこで起きたのが天草島原の乱です。一般的には過酷で残忍な宗教弾圧がこの反乱の主因とする意見が多いのです。しかしその背景にはこうした松浦親子二代に亘る領民に対する重い年貢の取り立てという苛政があり、そのことがキリシタンの団結を促したとみるのが正しいのではないかと考えています。
最初の上使であった板倉重昌は討ち死にという最期を遂げ、二人目の討伐上使となった松平伊豆守信綱(知恵伊豆)によって、ようやく乱は収められることとなりました。
松浦家は改易となり、勝家自身は過酷な統治によりこの乱を招いた張本人として斬首されています。江戸時代を通じて大名が切腹ではなく、斬首という最期を迎えたのはこの勝家ただ一人でした。
ロシアによる支配地の過酷な統治が何を招くものとなるかは、神のみぞ知ることでしょうが、できれば勝家のような最期を望むのは私だけではないでしょう。
島原の乱の前後の出来事に触れると、残虐な話が多くいろいろ気が重くなります。
断罪されて改易ですから、悪い記録が多めに残っているとは思いますが。
>九州島原藩の松浦重・勝家の父子
「松倉」ではないでしょうか?畿内出身の大名ですね。
松浦氏は荘園時代からの名門で平戸藩ですね。家を繋いで華族になっています。
元ジェネラリスト 様
「松倉」ではないでしょうか?畿内出身の大名ですね >
ご指摘のとおりです。(汗)
うろ覚えの生半可な識でコメントすると恥をかきますよ、という見本のような書き込みとなってしまいました。
松倉重政・勝家父子でしたね。
これからも宜しくお願いします。
もしかして深溝にゆかりのかたですかね笑
いえいえ、私も「あれ、松浦だったっけ」くらいのことしか覚えていませんで、ググっただけです。(笑)
時々書かれる歴史のお話を楽しみにしています。
>江戸時代に7割を超す年貢を課した大名家は実在しました。僅か一藩でしたが。
高崎藩、紀州藩、薩摩藩も八公二民だったそうです。ただし全土一律ではなく、一時的なものだったり地域によったりとまちまちでしたが。
私も島原の乱が真っ先に思い浮かびました。分かりやすい解説でしたし過酷な徴税は体制を危うくする典型だと感じました。鎌倉幕府も元寇後の無茶な徴税乱発から新田の反乱などを誘起して滅亡に向かったかと思います。圧政に対する忍耐力がどれほどウクライナでは保てるでしょうか。
会計士さんにおかれましては、ソビエトロシアによる二次大戦時の鬼畜な非道を風化させずに伝えて頂き感謝いたします。感情的になりすぎないように自省しつつも、何度も繰り返し輪島塗りを繰り返すことは忘れてはならない記憶の定着には大事なことと思いますゆえ。
一般的には、米は武士のもの、麦は農民のものということで、米の半分は取られても、裏作の麦は全量が農家のものであったようです。なので、五公五民はカロリーベースで税率25%程度。今のサラリーマンよりよほど低税率でした。
ただし、冬の積雪などで裏作ができない地域ではかなりの負担であったようです。
例え約束通り3割の手取りがあったとしても、それで栽培のコストが見合うわけないですから誰も種蒔きなんてしません。貨幣経済か発達した現代で年貢の発想では誰も耕作なんてしません。
そんな収奪なんかせず、ルーブルで買い上げれば良いと思うんですよ。農家にまず種を蒔いて貰う作戦をはじめとして考えるべき
帝政ロシアの時代、農奴とよばれた人たちが、収穫物から取り上げられた租税の割合といったら、どれくらいだったんでしょう? またソヴィエト時代、国営農場ではたらいて(はたらかされて)いた農民の、労働に見合う取り分と言ったら、どれくらいだったんでしょう?
案外、七公三民に近いものだったのでは、と想像してしまいます。取り分3で生きていけるくらい、馬車馬みたいにはたらけというのが、ロシアでの支配被支配関係のスタンダードなら。
それなら「3割は残しといてやる」というのは、ごく当たり前に出てくる発想で、さほど苛烈なこと言ってるという自覚はないのかも知れませんね。
よく誤解されていますが日本は米英中国とは戦争しましたがソ連とは戦争をしていません。
ソ連が日ソ中立条約を破って一方的に攻め込んできたのです。
その後、シベリアに連行された邦人がどのような目にあったかはご存知のとおりです。
昨今のウクライナにおけるロシアの蛮行を鑑みると満州での旧ソ連の蛮行と重なります。