またしても「千羽鶴」が暴走し始めたようです。今度のターゲットは、ロシアの軍事侵攻に苦しむウクライナ大使館だそうです。これについて考える前に、そもそも千羽鶴とはいったい何なのか、そして広島市がその対応にどう苦慮しているのか、さらには「支援を受ける側」が望むであろう「善意の発露」とはいったい何なのか、少し立ち止まって考えてみませんか?
暴走する千羽鶴
日本には「千羽鶴」という文化があるようです。
折鶴といえば、色鮮やかな折り紙で鶴を表現する、日本人なら知らない人はいない文化です。そして、千羽鶴とは、その名のとおり、折鶴を1000個連ね、紐などでまとめたものであり、うまく作れば非常にきれいな芸術品にもなり得ます。
ですが、現代社会ではこの「折鶴」が「暴走」しているフシがあります。
地震、台風などの災害が発生すると、小学校などを中心に、「みんなで千羽鶴を折って被災地に送ろう」という動きが生じることがあります。
正直、それをもらった側としては、たいていの場合は処分に困ります。
災害の被災地では自治体の現場担当者は大変な多忙を極めますし、また、大規模災害であれば、災害から少し時間が経過すると、全国から山のように支援物資が届き、それらの仕分け作業にもマンパワーを取られることが一般的です。
詳細については伏せますが、著者自身もとある大災害を間接的に経験しているのですが、支援物資に紛れて送り付けられる千羽鶴という物質は、正直、現場の作業を妨害する以外の何者でもありません。
コロナ禍で34万羽の折り鶴を医療従事者に
ただ、最近だと千羽鶴が送り付けられる事例は、災害に限らなくなってきました。その先鞭をつけたのが、コロナ禍の折、「医療従事者への感謝の気持ちを示すために、34万羽の折り鶴を集めよう」という動きです(『「小中学生が医療機関に大量の折鶴」、拭えない違和感』等参照)。
先週、『福井新聞オンライン』というウェブサイトに「折鶴」に関する話題が出ていました。これによると、福井市内の小中学生らが約1ヵ月の時間をかけ、34万羽にも達する折鶴を作り、それを医療従事者に送るつもりだ、というものです。思わず目を疑います。たしかにそれを作る労力は大変なものですが、「もらった人がそれを喜ぶ」とは限らないからです。折鶴34万羽少し前から気になっている話題がひとつあります。今から約1週間前、『福井新聞オンライン』に、新型コロナウイルス感染症の対応に当たる医療従事者に感謝を伝えようと、... 「小中学生が医療機関に大量の折鶴」、拭えない違和感 - 新宿会計士の政治経済評論 |
具体的な出所は、福井新聞に2020年8月24日付で掲載された、こんな記事です。
医療者に感謝の折り鶴34万羽、福井/小中学生手作り、ギネス記録上回る
―――2020年8月24日 午前7時20分付 福井新聞ONLINEより
これについては報じたメディアの情報がやや不正確で、「34万羽の折り鶴」を単なる自己満足のために中学校の体育館に並べて終わりにしたのか、それとも実際に医療機関に送り付けたのかについては、記事だけでは判断が付きませんでした。
ただ、『福井市ボランティアネット』というウェブサイトに、その続報が掲載されていました。
想いがつなげた「想い鶴」
―――2020年10月06日付 福井市ボランティアネットより
これによると、「集めた募金のうち5万円は『24時間テレビ』に寄付され、残り46万5533円は福井市医師会を通じ医療従事者に届けられ、また、折り鶴については希望者を募り、福井市医師会を通じて希望する医療機関に贈られる」、とする趣旨の記述があります。
だれか、止めようとしなかったのでしょうか…。
原爆の子の像と対応に苦慮する広島市
では、「被災地に千羽鶴を贈ろう」というムーブメントを生み出したきっかけは、いったい何なのでしょうか?
その直接の原因となったのは、おそらく、「原爆の子の像」です。
広島市ウェブサイト『サダコと原爆』に掲載されている内容によると、2歳のときに広島で原爆に被爆した佐々木禎子さんが12歳で原爆の後遺症である白血病を発症した際に千羽鶴を贈られたエピソードに由来するようです。
「サダコさんがツルを折りはじめたのは、このあとでした。『ツルを千羽折ったら願いがかなう』といういいつたえをきいて、『元気になりたい』という願いをこめて、一生懸命折りつづけたのです」。
ただ、願いもむなしく、禎子さんは12年の生涯を閉じてしまいます。
そして、「原爆の子の像」は佐々木さんの死をきっかけに寄付金で建造されたもので、日本各地のみならず、いまや全世界から折鶴が捧げられており、株式会社カミーノのウェブサイト『折り鶴リサイクル製品』によると、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼる(!)というから凄い話です。
また、広島市ウェブサイト・2019年10月21日付『折り鶴に託された思いを昇華させるための方策について(最終とりまとめ)』によると、これらの折り鶴については「再生紙にする」、「焚き上げる」、「展示する」、「第三者に贈呈する」、「焼却処分」などの方法が提示されていますが、対応に苦慮している様子がうかがえます。
たとえば「再生紙にする」という選択肢だと、次のような「課題」があるのだとか。
- 再生処理に先立ち糸や止め具など不純物の除去作業などが必要となる
- 再生化には相当のコストを要するため、事業協力者や財源の確保を図る必要がある
- 再生した物が粗末に扱われることのないよう対策を検討する必要がある
こうした状況を、禎子さんは果たして本当に望んでいたのでしょうか?
そもそも広島市ウェブサイトの記述が正しければ、折り鶴自体は禎子さん自身が闘病生活の中で、「折り鶴を千羽折れば願いがかなう」という、一種の願掛けとして行ったものであり、それ自体が独り歩きするというのも奇妙な話です。
いずれにせよ、核兵器というものは地球上から廃絶されてほしいという願いを持つのは人間として自然な気持ちではありますが、そうした気持ちを千羽鶴に込める必要があるのかは疑問です。余談ですが、環境省もレジ袋を有料化するよりも、千羽鶴を規制した方がはるかに有意義ではないでしょうか。
「ウクライナ大使館に折り鶴を」
こうしたなか、最近ではロシアのウクライナ侵攻にともない、こんな記事も出ていました。
ウクライナに平和を 有志が岐阜市で反戦訴え、ネットで賛同広げる
―――2022年3月6日 08:39付 岐阜新聞Webより
これは、岐阜市内の有志が「千羽鶴を完成させて在日ウクライナ大使館に送る予定」だ、などとする話題ですが、正直、まともにコメントする気にもなれません。
この点、もちろん世の中には「千羽鶴をもらうと嬉しい」と思う人もいるかもしれませんが、そのような人が多数を占めるとも思えませんし、とくに自然災害などの被災地では、避難所などには飾る場所もなければ役に立つわけでもないし、迷惑千万だと思うのです。
もっとも、「実用品」が必ずしも役立つとも限りません。使用済みの下着、古着のたぐいは迷惑ですし、生鮮食品などは送り付けたら腐るかもしれませんし、手作りの料理などは論外でしょう(※すべて実例があります)。
贈るなら現金一択!
やはり、贈るならば現金が一番でしょう。
著者自身も東日本大震災では日本赤十字社に寄付をしたクチですが、もしも本当に「困っているウクライナの人々を支援する」のであれば、次の口座に現金を振り込んだ方がはるかに有意義です。
三菱UFJ銀行・広尾支店(047) 普通 0972597
名義人:エンバシーオブウクライナ
あるいは、日本赤十字社も『ウクライナ人道危機救援金』を始めています。
- ゆうちょ銀行…口座番号 00110-2-5606
- 三井住友銀行…すずらん支店 普通 2787781
- 三菱UFJ銀行…やまびこ支店 普通 2105784
- みずほ銀行…クヌギ支店 普通 0623471
※口座名義人はいずれも「日本赤十字社」
もっとも、ツイッター上などでは、「ウクライナ折り鶴」の話題に対し、「折り紙を使うのではなく、500ユーロ紙幣で千羽鶴を折ってはどうか」、といった反応も出ているようですが…。
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もう30年近く前になるでしょうか、現役時代に関西の某自治体の労働組合(職員団体)の幹部と仕事上での付き合いがあったことがあります。
その人物が「広島市役所の労組幹部が『全国から贈られてくる千羽鶴の保管や(こっそりと)廃棄することが広島市の担当職員の負担になっている』と言っている」と雑談で語っていました。
自治体労組という左翼系(個人的なイメージですが、広島に千羽鶴を贈ることに親和性の高いように思える集団)の人たちの間でも「本音を言えば、千羽鶴は迷惑だ!」という意識があることに驚くとともに、「考えてみりゃそれもそうだよね」と納得した記憶があります。
千羽鶴が迷惑なのは昔から言われているね
「千羽鶴は送るのではなく作った本人の場所で飾る」
これならOKだと思うのですがね。この時代ならSNSで作った事をアピールも
出来る訳ですし、募金活動の象徴にすると言う手もあるでしょう。
こういった「送られた相手の負担にならない」方法が流行って欲しい物です。
「千羽自己満足鶴の居場所は自宅」は賛成です。
正解ですよね。
なんで困ってるから時に送りつけられて飾って感謝強要されるかな…
神社仏閣のお清めも裏からみるとすごくて、神奈川の某ダルマで知られる寺もお正月三が日夕方暗くなってからゴミの収集車が圧縮裁断してもっていく。
その前にダルマさんにエルボドロップとか蹴り入れて潰して容積減らしておかないと、そもそも置いておく場所もない。
昨今は市民団体うるさくてお焚きあげも出来ないし、除夜の鐘でも苦情を入れる人もいるし…
本当にその通りだと思います。
ウクライナに千羽鶴とか、頭悪いとしか言い様がない。
小学生の頃何かに「折り鶴」を送るため折り鶴を学校で折らせられましたが、当時は手の動きに障がいがあって満足に折ることができなくて教員から怒られた記憶があって折り鶴が嫌いになりました。
折り鶴や千羽鶴なんて結局自己満足(マス◯◯…以下略)以外の何物でないと当時から思っています。
寄付には現金一択は同意です。
全身義体になって苦労して折り鶴折れるようになるのがエピソードになるくらいですからねえ。
千羽鶴を受け取るのが日本人だから困るのであって、その意味を知らないフリしてさっさと処分してしまえば大丈夫。日本でもそうなんだけどね。生真面目過ぎるよ日本人
ある種の呪いのアイテムだよな
なんと言うか、千羽鶴製作は教師にとっては便利なコンテンツだと聞いたことがあります。
小中学生の有り余る余力を、社会的活動に参加しているというお題目のもと、時間を有意義に消費させるにはもってこい、だとか?
ローコストでハイパフォーマンス?
その後の始末までは、考えが回っていないとは、思いますけどね。
千羽鶴運動は[反米・反戦]プロパガンダ
https://www.jcp.or.jp/web_address/2014/04/32-00-hiroshima.html
千羽鶴運動は[反米・反戦]プロパガンダ
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-05-08/2010050804_04_1.html
善意の発露なら、自己満足で終わらないようにしたいですね。
平和を紡ぐ”想い”には意義があります。
現地に届く”重い”には異議があります。