お賽銭にも銀行手数料!神社キャッシュレスは進むのか
小銭受難の時代です。お賽銭で受け入れた大量の小銭を銀行に持ち込むにも手数料が必要になる時代。銀行に預け入れる神社も、大変なコスト負担に悩まされているようです。ただ、これについて銀行を責めるのは、少し筋違いといえるかもしれません。こうしたなか、神社と商店街が小銭と紙幣を交換する時代が到来するのでしょうか、それとも一部取引にカード・電子マネーが使えるようになった京都の下鴨神社や福岡の宮地嶽神社のように、社会のキャッシュレス化を後押ししていくのでしょうか。
目次
ブタさんの貯金箱の思い出
現在の大人の多くは、子供のころ、親に貯金箱(とくに「ブタさん」の貯金箱)を買ってもらい、小銭をもらってはその貯金箱に一生懸命貯金していた、という経験をしたことがあるのではないかと思います。
1円、5円、10円などの小銭でも、「チリも積もれば山となる」のごとく、地道に貯金を続けていれば、いずれ100円、200円、と貯まっていきます。ときどき、ずっしりとした貯金箱を手に持って、上下にシャカシャカ振ってみて中身を想像するのも楽しかったのではないでしょうか。
もっとも、貯金箱のなかには「割らないと中身が取り出せない」タイプと、「底の蓋を開ければ簡単に中味が取り出せる」タイプがあります。このため、後者の場合は、気の早い子だと、まだそれほどおカネが溜まっていないのに貯金箱の底の蓋を開けて中身を取り出し、駄菓子屋などにでかけて派手に「散財」してしまうようです。
いずれにせよ、こうした「貯金をする」という行動には、経済観念を養うという意味では、大変に意義があると個人的には考えています(※ついでに申し上げますと、著者自身はわが国ももっと経済教育に力を入れるべきだと思っていますが、この点についてはまた機会があれば別稿にて触れたいと思います)。
小銭受難
小銭に手数料がかかる時代
もっとも、世知辛い世の中になった、というべきでしょうか、それとも小銭受難の時代と呼ぶべきでしょうか。
最近、当ウェブサイトでしばしば言及している論点のひとつが、「硬貨(コイン)を両替したり預け入れたりする際に、一部の銀行では手数料がかかるようになり始めている」、という話題です。
たとえば、すでにメガバンクや多くの地銀などでは、両替機などで両替をする際に、両替手数料を徴収するようになりましたし、大量の硬貨(たとえば三菱UFJ銀行の場合は「100枚を超える硬貨」)を預け入れる場合も、「大量硬貨取扱手数料」などの名目の手数料が必要となったようです。
また、ゆうちょ銀行ではATMを使って硬貨を預け入れようと思うと、1枚から110円の手数料がかかり、26枚以上だと220円、50枚以上だと330円もの手数料を取られるようになりました(『ゆうちょ料金新設・改定のお知らせ』等参照)。
子供たちが貯金箱に小銭をせっせと貯めたとしても、肝心の貯めた小銭を銀行などに預け入れるのに、手数料が取られてしまうのだとすれば、これも困った問題です。
たとえば貯金箱に10円玉が50枚、つまり500円が貯まっていた場合、現在のゆうちょ銀行のケースだと、それを預け入れるのに330円の手数料が必要です。つまり、500円(=10円玉50枚)を預け入れたら170円しか残らない、という計算です。
この点、子供の貯金箱のケースだと、親が紙幣に交換してあげる、ということが可能です。そして、親は子供から受け取ったコインを、日常の買い物などに使えば良いだけの話でしょう。
(※ただし、硬貨、つまり法律用語でいうところの「貨幣」は、額面の20倍までしか使えない、という制限がある点には注意が必要ですが…。)
通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第7条
貨幣は、額面価格の二十倍までを限り、法貨として通用する。
大量の小銭と付き合う商売は大変なことに!
しかし、これが「業務上、大量の小銭を必要とする」ようなケース(たとえば商店街の個人事業主)、あるいは「大量の小銭が日常的に発生する」ようなケース(たとえば神社の賽銭など)だと、硬貨の手数料問題は、わりと深刻でもあります。
とある街で個人が経営する店舗で、「699円」だ、「499円」だといった手製の値札で商品を販売しているところ、多い日で100枚ほどの1円玉が必要になる、といった話題を、『現金商売にこだわるなら、両替手数料は「必要コスト」』でも報告したとおりです。
このような事例だと、年間3万円近い両替手数料は、たしかに「薄利多売」の商売には痛い打撃といえるかもしれませんし、実際、この事例を報じた新聞は、「銀行が両替手数料を取ること」に対して、ともすれば批判的にも見えます。
ただ、著者自身は、この「硬貨手数料問題」を、単純な「銀行の怠慢」だとは考えていません。
実際、銀行等の金融機関は典型的な規制業種であり、監督官庁(昔の大蔵省銀行局、現在の金融庁)からは箸の上げ下ろしを指図されるような状況に、長年、悩まされています。新たなビジネスモデルの開発に苦慮しているのは、どの銀行でも似たようなものでしょう。
また、銀行等の金融機関は、預金者からおカネを預かっている存在でもあるため、そう簡単に潰れてもらっては困る、という事情もあります。
さらには、金融機関が預金者から預かったおカネでリスクの高い金融商品(たとえば証券化商品のエクイティ部分やエキゾチック・デリバティブ内包型金融商品など)を大量に購入し、それらの金融商品の元本が毀損することで金融機関が経営破綻に追い込まれるという欧州危機のような事態についても避けなければなりません。
また、日本の金融機関は、欧州を含めた諸外国の金融機関とくらべ、これまで大変に良心的な経営をしてきた、というのが著者自身の持論です。
たとえば、欧州の金融機関が無茶なリスクテイクにより経営危機に陥った際、会計基準設定主体である国際会計基準審議会(IASB)がデュー・プロセスを無視して会計基準を改悪し、危機を乗り切った(というか誤魔化した)という事例もあります(インチキ会計基準であるIFRS9などはその典型例でしょう)。
こうした諸外国の金融機関の無茶苦茶な経営事情に照らすならば、日本の金融機関は、これまでATM手数料、両替手数料などを抑えてきた方だと思いますし、詐欺的な金融商品を個人に売りつけて知らん顔をする外国の某巨大銀行と比べると、よっぽど良心的な経営をしてきたのではないでしょうか。
産経『お賽銭に冷たい銀行』
いずれにせよ、硬貨の受入の有料化の背景にあるのは、昨今の低金利環境下で、多くの銀行が運用難・低収益に陥っていることにあるのは間違いないのですが、それと同時に著者自身はこうした動きを、「日本の金融機関が適正なコストの負担を商品者に求め始めたもの」だと考えています。
ただ、こうした考え方とは整合しないのが、産経ニュースに昨日掲載されていた、こんな記事ではないかと思います。
お賽銭に冷たい銀行
―――2022/2/15 12:34付 産経ニュースより
400字詰め原稿用紙1枚に収まりそうなくらい短い記事ですが、タイトルどおり、「神社がお賽銭として受け入れた硬貨を銀行に預けるときには、手数料を取られてしまう」、などとしたうえで、次のように銀行に対し苦言を呈する内容です。
「困っているのは各種募金団体も同様だ。お賽銭や募金は無税のお金である。祈りや善意のお金だからだ。その重みを銀行は考えねばならない」。
一見するともっともらしい主張ではあります。ただ、このコラムを執筆した方には大変申し訳ないのですが、こうした主張には個人的にはあまり賛同できません。そもそもおカネには色を付けることはできないからです。
ここで、事実確認をしておきましょう。財務省ウェブサイトの『現在発行されている貨幣』のページによると、各コインの大きさと重さは次のとおりです(図表1)。
図表1 コインの大きさと重さ
種類 | 直径 | 量目 |
---|---|---|
新500円 | 26.5ミリ | 7.1グラム |
500円 | 26.5ミリ | 7.0グラム |
100円 | 22.6ミリ | 4.8グラム |
50円 | 21.0ミリ | 4.0グラム |
10円 | 23.5ミリ | 4.5グラム |
5円 | 22.0ミリ | 3.75グラム |
1円 | 20.0ミリ | 1グラム |
(【出所】財務省『現在発行されている貨幣』)
ちなみに日銀ウェブサイトによると、1万円紙幣の重さは1グラムだそうですので、1万円分の1円玉と1万円紙幣は、おなじ金銭的価値であっても、重量は1万倍(!)も異なっている、というわけです。
図表2 【参考】一億円パック
(【出所】日本銀行『バーチャル見学ツアー』)
銀行のコスト
じつは大変なコストがかかっている!
もちろん、「古き良き時代」の銀行を知っている身としては、誰でも窓口や両替機を使い、無料で両替ができた時代が懐かしいと思わないわけではありません。
ただ、冷静に考えると、銀行等金融機関が窓口で私たち一般顧客の求めに応じ、おカネを払い戻してくれたり、両替に応じてくれたりするというサービスは、「現金を本支店間で輸送する」、「金種別に選り分ける」、「帳尻をチェックする」、「保管する」などの膨大な作業があって初めて可能になります。
当然、そこには高額な設備の導入コスト・減価償却費、警備費、銀行員のマンパワーなどが必要ですし、重量のわりに価値が低いコインの処理には、さらに多大なコストがかかっているわけです。
たとえば、あなたが千円札5枚をA銀行に持ち込んで、100円玉を50枚手にするためには、あなたが持ち込んだ千円札の枚数を数え、真贋判定を行うだけでなく、100円玉を50枚キッチリ数えなければなりません。正直、コインの処理には、一般人が思っている以上にコストがかかるものなのです。
そのうえで、先ほどの産経のコラムの冒頭には、こんな記述もあります。
「昔は銀行から来て、勘定して持って帰ってくれた。やがて、こちらで勘定して硬貨ごとに袋に小分けし、持って行くようになった。今はそれでも手数料を取られる―。知り合いの神社の宮司が嘆く」。
もしもその宮司さんが本当にこんな発言をしたのだとしたら、ますます理解に苦しみます。
何のことはない、銀行から銀行員が交通費と時間を費やしてわざわざやって来てくれていたというのは、あくまでもサービスの一環であり、いわば、必要コストを銀行に押し付けていただけのことでもあるからです。
神社が両替する時代に!?
もっとも、銀行等の金融機関が無料での両替などのコスト負担に耐えられなくなっているというのが時代の流れなのだとしても、ユーザーサイドで、何らかの工夫のしようはあるのかもしれません。
それが、先日の『小銭受難時代、とうとう神社も両替業に参入するのか?』で触れた、「神社が地元商店街に対し、手数料無料で小銭と紙幣を両替する」、という動きです。
これについては著者自身が見た限り、現時点で大手メディアなどの記事で取り上げられている形跡はなく、個人が撮影したと思しきツイッター上の写真くらいしか証拠はありませんが、事実だとすれば、じつに興味深く、また非常に理にかなった行動でもあります。
個人経営などの小さな商店だと、どうしても釣銭として多数の小銭を用意しなければなりませんし、神社にはお賽銭としてたくさんの小銭が集まってしまいます。小銭を手に入れる必要がある個人商店と、小銭を紙幣と両替する必要がある神社にとっては、まさに「ウィン・ウィン」の関係が成り立つかもしれません。
もっとも、ひとつ悩みがあるとすれば、神社にとって多くのお賽銭収入が得られるのが毎年1月に集中している、という点であり、これに対し、商店側は年中、小銭を必要としている、という点かもしれません。
ただ、似たような事例は、探せば、ほかにもいくらでもあるでしょうし、もしかすると今後、飲食店などでは、「不足している金種で支払ってくれたお客さんには会計から値引する」、といった行動も広まるかもしれません。
キャッシュレス化の後押しも
あるいは、銀行の小銭手数料化という動きは、キャッシュレス決済(クレジットカードや電子マネーなどを使った決済)が普及することを後押しする可能性もあります。
このあたり、経済産業省が2018年4月に取りまとめた『キャッシュレス・ビジョン』【※PDFファイル】という資料によれば、「支払手数料やインフラコストを低廉化することで利用を増やす」→「その結果として集まる支払情報を蓄積・分析することで新たなサービスを創造する」、といったビジネスモデルも考えられるのだそうです。
実際、一部の神社では、電子マネーなどによる決済を開始した、という事例も出てきているようです。
京都・下鴨神社でカード・電子マネーによる決済サービスが利用可能に!~お支払い方法の選択肢が増え、より便利にご利用いただけます~【※PDFファイル】
―――2019/04/25付 三井住友カード株式会社HPより
この下鴨神社のケースだと、まだお賽銭のキャッシュレス決済は実現していないそうですが、もう少し先に進んで、「現金の賽銭(さいせん)に代わって木製の「お賽銭板」を電子マネーなどでの決済で受け取り、それを賽銭箱に投げ入れる」というシステムを採用し始めた神社もあるようです。
たとえば、ちょうど1年前に産経ニュースが報じた内容によると、福岡県福津市の宮地嶽神社が西日本フィナンシャルホールディングス傘下の九州カードの協力などを得て、参拝のキャッシュレス化を実現し始めた、などとしています。
参拝もキャッシュレス 宮地嶽神社が電子マネー導入
―――2021/2/18 21:21付 産経ニュースより
もちろん、キャッシュレス決済には手数料が必要です。ただ、結局のところ、小銭を受け入れてもどのみち両替手数料や大量硬貨取扱手数料を支払う必要があることを考えるならば、キャッシュレス決済による決済手数料を支払うのと、あまり状況は変わらないといえるのかもしれません。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
新宿会計士様が以前、お話していた、低額紙幣の新設(5百円札など)も考える時代になってきたかもしれませんね
近頃は金属資源の値上がりが著しくて、廃棄機械回収や廃棄農機具回収の姿を借りた金属国外流出のような事態が起きているのではないかとにらんでいます。1円アルミ硬貨などは多量に集めると高く売れるのかも知れません。
と思って調べたらぜんぜんわりに合わないみたいですね
そのうち、賽銭箱にQRコードを焼き印で押しておくようになるでしょう。
じつは、私んちの店でも、自販機での10円玉購入が心なし多くなったような気がしています。
たしかに、メカニズム的には同一硬貨を40枚まで飲み込めるので、10円玉40枚と100円玉2枚を挿入し100円の飲料を購入すれば、500円玉1枚が返却されたりはするのですが・・。
*買ってくれるのはありがたいのですが、手数料の付け回しでしかない自販機での”過度な両替”はご遠慮いただきたいですね。
以前に都銀のOBの方から同じような話を聞いたことがあります。
銀行の各支店に、一定量の現金が常にある状態を維持するためには紙幣硬化の「物流網」が必要だけど、結構コストがかかってると。今までは、そのコストを顧客から直接回収してはこなかったが、銀行の収益が細ってくるとそうもいかなくなるだろうと。
スーパーやホームセンターなどで買い物すると、現金支払いが最強なのですが、それも銀行がそのコストを負担していたから、ということなのでしょうかね。
個人的にはお金の電子化は進んでくれたほうがありがたいです。
いままで銀行でしかできなかったことが、他の方法でできる時代になった。
放送業界のNHKと、金融業界の銀行。
制度や法律が変わればどちらも存続できるのか疑問だ。
この話題が出る前のことなので、今では変わっているかもしれません。
昨年の春ごろセブンイレブンでの話です。
新型コロナの為セルフレジが導入された後ですが、86歳の母の通院の後寄りました。母が清算するときに小銭で膨れた財布を見て、店員さんが「小銭全部いれて良いですよ。」とのこと。
ありがたくすべての小銭を入れてお札のおつりをいただきました。
スーパーのセルフレジでもやる人は出ると思いますね。
セルフレジに制限をかけるかどうかはそのお店やグループ次第ですよね。
人口の3割以上が年金生活でそのほとんどが非課税世帯なので150万円以下ですから小銭は大事ですね。高齢になって介護度が出てくるとめんどくさいが先に立って小銭が自動的にたまっていきます。どうしたものか・・・。
セブン銀行自体が小銭を取り扱っているでしょうから性能の良い集金機がレジについても良いと思いますね。
本来は全銀協が機械の仕様を作って機能的入金機の生産を後押しすればよかったのですけどね。ま~日本の銀行関連ではできないでしょうね。
消費税が一部8%ですので1円単位の小銭は必要なのですが国の怠慢からまたも消費者の消費行動が抑えれれるわけです。
銀行は金種に対して順列を他受けていますが、仏教的にはすべてのお金が等しくありがたいものでしょうから今後の動向を注視していきたいですね。
思い出したので自スレに追加です。
パチスロのコインは毎日、貸出数、払い出し数を確認しています。
夜に洗って次の日には乾いた状態で払いだします。
基本的には人の手が入りません。20年前の話です。
一種類ですがすべて自動でできていたのに銀行業界はできていなかったんですね。
全銀協で本気出せば無駄なコストをかけないで可能だったかなと思います。
>何のことはない、銀行から銀行員が交通費と時間を費やしてわざわざやって来てくれていたというのは、あくまでもサービスの一環であり、いわば、必要コストを銀行に押し付けていただけのことでもあるからです。
税制的に優遇されている神社仏閣を擁護するつもりはないんですが、かつて銀行が顧客巡りしてまでお金を預かってくれていたのは、ひとえに自社にお金を預けて欲しいから、他行に預けて欲しくないからだったのではないかと思います。そのためなら泥くさいことも昔はやってたのではなかろうかと。
今は地銀と言えども規模がそれなりに大きくなったことで、小口の顧客にわざわざ便宜を図らずともよくなったのかどうか知りませんが。
回収に来てくれないばかりかわざわざ自分で預けに行っても、手数料迄取られるという不服はまぁちょっと時代にそぐわないのかなとは思いますけどねw
小売業は大手チェーン店が幅を利かすようになって久しいですが、逆に大手チェーンは小銭の処理はどうしてるんでしょうね?
大口取引先だから銀行がそっちは優遇するなんてことだったら、なんだか釈然としないものがありますねw
あと各種保険代理店が管理している保険料の出納用口座は、保険料の入出金等で1円単位できっちり入出金しないといけなかったはずですが、小銭の取り扱いに手数料がかかるとなるとその辺どうなるんでしょうね。
>当然、そこには高額な設備の導入コスト・減価償却費、警備費、銀行員のマンパワーなどが必要ですし、重量のわりに価値が低いコインの処理には、さらに多大なコストがかかっているわけです。
恐縮ですが、本当に本当に、硬貨両替の現場負担は大きいです。
硬貨は意外にも(?)汚損されているものも多く、オープン出納システム泣かせです。
かねて銀行員に対して冷たい世間の風を感じるなか、銀行側の視点を踏まえたご指摘に感謝申し上げます。
かねて銀行員に対して冷たい世間の風・・・どうしてそうなったのかは十分ご承知と思いますが。
>いわば、必要コストを銀行に押し付けていただけのことでもあるからです。
銀行が自分たちで勝手にやっていたこと。若手社員のトレーニングにもなったのでは?顧客のニーズを把握し、会社の変化に目を光らせる。当時はたっぷり利幅があり、あんなことできたんだよね。
> もしかすると今後、飲食店などでは、「不足している金種で支払ってくれたお客さんには会計から値引する」、といった行動も広まるかもしれません
その逆で、端数は切り上げになる可能性はありませんか?
( ゚д゚)ハッ!
小銭を使うと損するようになれば、ニーキュッパ、サンキュッパで売ってた物が全部端数切り上げになって、インフレ率2%がすぐにでも達成できるかも?
もしかしてこれが狙い?(←違う)
お賽銭は神社仏閣にあげているのではなく神仏に捧げているつもり。
キャッシュレスなら一切寄進するつもりはない。
浄財ってことばもありますしね 数字の増減問題じゃないということで
硬貨の否定でキャッシュレスになったら、その行きつく先は、銀行の否定、自己否定になりかねない気がしますね。
神社が硬貨の両替やるのは法律違反で逮捕されるのでは?
両替の関連法規って、外為法以外になにがあるのですか?
これを読んで下さい。
↓ ↓ ↓
https://www.mof.go.jp/faq/international_policy/10bb.htm
>(※ただし、硬貨、つまり法律用語でいうところの「貨幣」は、額面の20倍までしか使えない、という制限がある点には注意が必要ですが…。)
正確に言えば,20枚を超える硬貨は受け取ってもらえなくても文句は言えないということですよね.相手(例えば1円玉不足に悩む商店など)が大量の硬貨による支払いを受け取ると了承すれば,例えば100円の支払いを1円玉100枚ですることも可能ですから.
それにしても,不思議なのは,本文に条文全文が引用されている貨幣の強制通用力に関する法律に,今回の金融機関の貨幣による預入れに対する手数料の徴収が違反していることにならないのか?という疑問です.
>通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第7条
>貨幣は、額面価格の二十倍までを限り、法貨として通用する。
同法の第5条1項を見ると,(話を簡単にするために各種の記念目的で数量限定で発行される記念硬貨は措くとして)硬貨つまり貨幣には額面価格の異なるものが500円,100円,50円,10円,5円,1円の6種類あり,これら6種類のみを貨幣の種類と定めることで,「貨幣の種類」という概念が定義されています.これによれば,素材や図柄等や発行年度表記等,貨幣の外見のみが相違して額面価格は同一のもの(500円硬貨なら3種類)は区別しないことになります.
さて,第7条の理解ですが,例えば101円の支払いに100円玉1枚と1円玉1枚を用いようとしたら1円玉にとっては額面の101倍の支払いになるから受け取らないなんてことが第7条で許されるとは思えないので,貨幣の額面価格の高い順番に支払い総額からその種類の貨幣による支払い分(それぞれは20倍以下でなければならない)を差し引いた残高をより額面価格の低い貨幣での支払いを組み合わせて行うということを繰り返すことで,各々の種類の貨幣の使用額が額面の20倍以下であればOK(その支払いを7条は合法として認める)ということだと思います.
そうすると,13,320円を自分の預貯金口座に預け入れるのに,
ー500円貨幣20枚(1万円)
ー100円貨幣20枚(2千円)
ー50円貨幣20枚(1千円)
ー10円貨幣20枚(2百円)
ー5円貨幣20枚(1百円)
ー1円貨幣20枚(20円)
と,合計120枚の貨幣つまり硬貨を使って預け入れる行為での各貨幣は法貨※ただし、硬貨、つまり法律用語でいうところの「貨幣」は、額面の20倍までしか使えない、という制限がある点には注意が必要ですが…。)
正確に言えば,20枚を超える硬貨は受け取ってもらえなくても文句は言えないということですよね.相手(例えば1円玉不足に悩む商店など)が大量の硬貨による支払いを受け取ると了承すれば,例えば100円の支払いを1円玉100枚ですることも可能ですから.
それにしても,不思議なのは,本文に条文全文が引用されている貨幣の強制通用力に関する法律に,今回の金融機関の貨幣による預入れに対する手数料の徴収が違反していることにならないのか?という疑問です.
>通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第7条
>貨幣は、額面価格の二十倍までを限り、法貨として通用する。
同法の第5条1項を見ると,(話を簡単にするために各種の記念目的で数量限定で発行される記念硬貨は措くとして)硬貨つまり貨幣には額面価格の異なるものが500円,100円,50円,10円,5円,1円の6種類あり,これら6種類のみを貨幣の種類と定めることで,「貨幣の種類」という概念が定義されています.これによれば,素材や図柄等や発行年度表記等,貨幣の外見のみが相違して額面価格は同一のもの(500円硬貨なら3種類)は区別しないことになります.
さて,第7条の理解ですが,例えば101円の支払いに100円玉1枚と1円玉1枚を用いようとしたら1円玉にとっては額面の101倍の支払いになるから受け取らないなんてことが第7条で許されるとは思えないので,貨幣の額面価格の高い順番に支払い総額からその種類の貨幣による支払い分(それぞれは20倍以下でなければならない)を差し引いた残高をより額面価格の低い貨幣での支払いを組み合わせて行うということを繰り返すことで,各々の種類の貨幣の使用額が額面の20倍以下であればOK(その支払いを7条は合法として認める)ということだと思います.
そうすると,例えば13,000円を自分の預貯金口座に預け入れるのに,
ー500円貨幣20枚(1万円)
ー100円貨幣20枚(2千円)
ー50円貨幣20枚(1千円)
と,合計60枚の貨幣つまり硬貨を使って預け入れる行為におけるこれら60枚の各貨幣は,法貨として1万円紙幣1枚と1千円紙幣3枚と同等の価値を持つ通貨としての強制通用力を持っている筈なのです.
なので,金融機関が硬貨の処理でコストが発生しているのは理解できます(し,生鮮食料品などの商店が釣銭用に大量に必要とする1円玉などの硬貨への大量両替を有料にするのは別に問題ないと思います)が,預金残高を増やすための支払い行為としての預け入れに際して,硬貨の種類を問わず合計枚数だけで上限枚数を越えれば(しかもATMでは1枚から)手数料を徴収する新ルールは,第7条が定める硬貨の法貨としての強制通用力に反していると私は思うのです.
どなたか,法律に詳しい人がこの問題(金融機関の硬貨受け入れの有料化と通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第7条が定める硬貨の強制通用力との関係)について,解説して下さいませんか?
編集時に行った間違って不要な範囲までコピーしてしまっていて投稿前に削除し忘れたようで,大変失礼しました.
見辛いので削除して正しい形のを再投稿させて頂きます.どうぞご了承下さい.
===============不要部分後の再投稿===============
>(※ただし、硬貨、つまり法律用語でいうところの「貨幣」は、額面の20倍までしか使えない、という制限がある点には注意が必要ですが…。)
正確に言えば,20枚を超える硬貨は受け取ってもらえなくても文句は言えないということですよね.相手(例えば1円玉不足に悩む商店など)が大量の硬貨による支払いを受け取ると了承すれば,例えば100円の支払いを1円玉100枚ですることも可能ですから.
それにしても,不思議なのは,本文に条文全文が引用されている貨幣の強制通用力に関する法律に,今回の金融機関の貨幣による預入れに対する手数料の徴収が違反していることにならないのか?という疑問です.
>通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第7条
>貨幣は、額面価格の二十倍までを限り、法貨として通用する。
同法の第5条1項を見ると,(話を簡単にするために各種の記念目的で数量限定で発行される記念硬貨は措くとして)硬貨つまり貨幣には額面価格の異なるものが500円,100円,50円,10円,5円,1円の6種類あり,これら6種類のみを貨幣の種類と定めることで,「貨幣の種類」という概念が定義されています.これによれば,素材や図柄等や発行年度表記等,貨幣の外見のみが相違して額面価格は同一のもの(500円硬貨なら3種類)は区別しないことになります.
さて,第7条の理解ですが,例えば101円の支払いに100円玉1枚と1円玉1枚を用いようとしたら1円玉にとっては額面の101倍の支払いになるから受け取らないなんてことが第7条で許されるとは思えないので,貨幣の額面価格の高い順番に支払い総額からその種類の貨幣による支払い分(それぞれは20倍以下でなければならない)を差し引いた残高をより額面価格の低い貨幣での支払いを組み合わせて行うということを繰り返すことで,各々の種類の貨幣の使用額が額面の20倍以下であればOK(その支払いを7条は合法として認める)ということだと思います.
そうすると,例えば13,000円を自分の預貯金口座に預け入れるのに,
ー500円貨幣20枚(1万円)
ー100円貨幣20枚(2千円)
ー50円貨幣20枚(1千円)
と,合計60枚の貨幣つまり硬貨を使って預け入れる行為におけるこれら60枚の各貨幣は,法貨として1万円紙幣1枚と1千円紙幣3枚と同等の価値を持つ通貨としての強制通用力を持っている筈なのです.
なので,金融機関が硬貨の処理でコストが発生しているのは理解できます(し,生鮮食料品などの商店が釣銭用に大量に必要とする1円玉などの硬貨への大量両替を有料にするのは別に問題ないと思います)が,預金残高を増やすための支払い行為としての預け入れに際して,硬貨の種類を問わず合計枚数だけで上限枚数を越えれば(しかもATMでは1枚から)手数料を徴収する新ルールは,第7条が定める硬貨の法貨としての強制通用力に反していると私は思うのです.
どなたか,法律に詳しい人がこの問題(金融機関の硬貨受け入れの有料化と通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第7条が定める硬貨の強制通用力との関係)について,解説して下さいませんか?
手数料云々以前に、硬貨で入金可能なATMも窓口も無い金融機関は法律違反になりませんか?
キャッシュレス化の進展自体にはけして反対しませんが、それでもやはりお賽銭は現金でお納めしたいなぁ。キャッシュレスで購入したトークンをお賽銭箱に入れるというシステムが十分可能であるのはわかるのですが、なんだか自分と神様との間に一つ余分な夾雑物が入るように感じられて、どうも釈然としません。気分の問題でしかないと言われればその通りなので、導入に強く反対とまでは言いませんが。
# お賽銭箱に紙幣を入れるという発想がない時点で懐具合が知れますね(-.-;
龍 様
> 自分と神様との間に一つ余分な夾雑物が入るように感じられて
小銭だって「余分な夾雑物」ですよ。
神様へお供えするものは、本来なら田畑で収穫した稲、粟、雑穀、野菜、海産物、それに御神酒ですから。大嘗祭でお供えされる神饌は祭田の稲、机代物は都道府県の特産品でして、間違っても小銭ではありません。お寺も然り、本来は食べ物や布をお布施しなければならず、小銭や紙幣を出す事は望ましくありません。現に上座部仏教では今でも坊さんや寺へのお布施は食べ物に限られ、現金を渡してはならない事になってます。
現実問題としては、神社もお寺も、現金でもらった方が喜びます。食べ物と違って保存が効きますし、必要な物と交換できる範囲が広がるからです。神社仏閣の建物を維持するには洗剤、ワックス、防虫剤、除湿剤、といった小さなものから、最近はエアコン、監視カメラとモニターといった高額なものが必要ですが、それを寄付してくれる人がいません。それを入手するためにはやはり現金が必要です。
その現金は「余分な夾雑物」ですか?むしろ必要な交換手段ではありませんか?
その現金がキャッシュレスに代わったとしても、交換手段である事は同じです。交換手段とて時代と共に変化するもの。キャッシュレスを「余分な夾雑物」と言ってしまったら、永楽通宝や寛永通宝が正しい小銭となり、十円玉や一円玉も「余分な夾雑物」になってしまいます。三途の川の渡し賃は一文銭六枚であり、円は使えないのですから。
でもそれをおかしいと誰も思わないでしょう?
「自分と神様との間に一つ余分な夾雑物が入るように感じられて」というのも、気分の問題、習慣の問題に過ぎません。これが当たり前になったらそんな違和感さえ感じなくなる事でしょう。
時代の流れですよ。違和感を気にせずに慣れていきましょう。
中世日本では寺院や建築物を建てるときに基壇に銭を必ず置きますし、産後の胞衣はケガレですので土中に銭と一緒に埋めたりするなど呪術的な使い方をされてきた物ですので、お賽銭のキャッシュレス化に拒否感が生じるのは私達日本人のDNAに刻まれているのかもしれませんね
車で関西学研都市へ行ったついでに、交野住吉神社にちょっと寄ってみたところ、「コインチェンジ」の貼紙、確かにありました。
単なる目撃証言ですが、謝罪と賠償を求める自称被害者本人のコロコロ変わる証言なんかよりは、信じていただけるでしょう。