共同通信が一昨日、「岸田首相が中国を過度に刺激するのを避けるため、日本版の人権侵害法の制定を当面見送る」などと報じました。一部のネットユーザーの間では、「岸田首相はやっぱり腑抜けだ」などの反応も出ているようですが、ちょっと待っていただきたいと思います。現在の法制度をちゃんと調べてみると、ごく一部の条文を手直しするだけで、日本の経済制裁の使い勝手がずいぶんと改善するのではないか、といった実情が見えてきます。
目次
岸田首相が人権侵害法見送り=共同通信
共同通信は一昨日、こんな記事を報じました。
首相、人権侵害法見送りへ/対中外交に選択の余地
―――2021/11/16 22:46付 共同通信より
共同通信によると、「政府関係者が16日に明らかにした」として、岸田文雄首相は「日本版マグニツキー法」、つまり人権侵害に関与した外国当局者らに制裁を課すことができる法律の制定を「当面見送る方針」、などと報じました。
記事タイトルの「人権侵害法」というのもなんだかヘンテコな略称です。「人権侵害に関与した者に制裁を課すことができる」という意味では、「人権尊重法」とでも称した方がよさそうな気がします。
ツイッターなどではこの報道をもとに、「やっぱり岸田首相は腑抜けだ」、「岸田(首相)に失望した」、といった反応が出ていたようです。
しかし、報じたメディアがメディアだという事情もありますが、もし共同通信の記事が事実だったとしても、この記事だけをもとに、岸田首相を「腑抜けだ」などと罵るのは早計です。
じつは、この記事が報じている話題は、『日経報道記事「経済安全保障」に感じる「物足りなさ」』を含め、当ウェブサイトでかなり以前から議論している「外為法の条文をちょっと変えれば経済制裁の発動要件がかなり広まるのではないか」、という議論と重なっているからです。
岸田政権が「目玉」のひとつに掲げる経済安全保障を巡って、昨日、日経新聞にその概要が報じられていました。特許公開制限などの4つを柱とした「経済安保法案」を、2022年の通常国会に提出することを目指しているのだそうです。ただ、特許公開制限など、日経が報じた内容自体は悪い話ではありませんが、やはり報道記事を読むと物足りなさを感じざるを得ません。経済安保法制、日経が「4つの柱」と報じる『新政権の経済安全保障はJG創設と外為法改正で実現を』などでも触れたとおり、岸田文雄首相は先月の所信表明演説で「経済安全... 日経報道記事「経済安全保障」に感じる「物足りなさ」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
現在の経済制裁がどうなっているか
経済制裁に関する法制の不備
さて、当ウェブサイトは「金融評論サイト」と標榜していますが、外為法などの金融関連法は専門領域のひとつです。
こうしたなか、かなり以前の『中国に経済制裁をするための大きな課題は「法の不備」』を含め、これまでに何度となく触れてきた論点のひとつが、「経済制裁」に関する法制の不備です。
そもそも基本的価値を共有しない国と関係を深めて良いのか加藤勝信官房長官が昨日の記者会見で、中国による新疆ウイグル自治区の人権侵害を巡る外為法の経済制裁を巡り、「人権問題のみを直接・明示的な理由として制裁を実施する規定はない」と述べました。これについては当ウェブサイト、あるいは拙著『韓国がなくても日本経済はまったく心配ない』でも説明した論点と重なっているのですが、せっかくの機会なので、あらためて「経済制裁と相手国との付き合い方」について考えておきましょう。加藤官房長官が経済制裁に言及加藤勝信官... 中国に経済制裁をするための大きな課題は「法の不備」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
一般に「経済制裁」とは「経済的な手段を使って相手の国や個人などに打撃を与えること」と定義され、経済活動の4要素である「ヒト、モノ、カネ、情報」の流れに制限を加えることなどがその基本形でしょう。
つまり、基本的には次の7つのパターンがある、ということです。
経済制裁の7パターン
- ①自国から相手国へのヒトの流れの制限
- ②自国から相手国へのモノの流れの制限
- ③自国から相手国へのカネの流れの制限
- ④相手国から自国へのヒトの流れの制限
- ⑤相手国から自国へのモノの流れの制限
- ⑥相手国から自国へのカネの流れの制限
- ⑦情報の流れの制限
(【出所】著者作成)
ただし、日本の場合はこの①~⑦のすべてについて、経済制裁を発動することができるとは限りません。
日本人の特定国への渡航を禁止する法律がない!
規制の穴の典型例が、上記①や⑦でしょう。
このうち、とくに①、つまり「自国民を特定国に渡航することを禁止する」という法律が、日本にはそもそも存在していません。そんな法律がないため、たとえば北朝鮮に観光目的で日本人が渡航するのを禁止する、といったことができないのです。
ちなみに外務省は日本国民に対し、「北朝鮮は核・ミサイル開発などをしており、また、日本人拉致事件なども解決していないため、北朝鮮への渡航は自粛してほしい」と要請はしていますが(たとえば『海外安全ホームページ』等参照)、これはあくまでも「渡航自粛勧告」であって「渡航禁止命令」ではありません。
また、こうした外務省の渡航自粛勧告に違反して北朝鮮に渡航したとしても、べつに罰則はありません。日本国籍や日本の在留資格などを持っている人物であれば、北朝鮮に入国したあと、堂々と日本に入国することが可能です。
(※ただし、最近は新型コロナウィルス感染症の影響で、外国から日本に入国するのが大変に困難になっていますが、これはあくまでも防疫に関する話であり、北朝鮮制裁とは無関係です。)
極端な話、「日本国籍を持っている人物が中国など第三国を経由して北朝鮮への入出国を繰り返し、小規模な密貿易などを展開する」、といったことも、やろうと思えばできない話ではありません。
ふさげるならば法律の穴をふさぐべき
当ウェブサイトで、「日本国民に特定の外国に渡航するのを禁じる法律がない」、「スパイ防止法など情報の流れを包括的に規制する法律がない」などと口を酸っぱくして申し上げてきたのは、現行法制に穴が開いているのを放置すべきではないとする、個人的な問題意識に基づくものです。
なお、一部の法学者は、「国際法上、あるいは憲法上、何人たりとも自国から好きな国に出国する自由、自国に帰国する自由がある」などと唱えているようですが、著者自身が見たところ、少なくとも日本国憲法には、そのような規定は存在しません。
ただ、日本国民に対し、直接、特定国への渡航を禁止するという法律を作ることは、事実上難しいとの考え方も成り立つでしょう。
この場合、経済制裁の穴を完璧にふさぐことは難しいかもしれませんが、それでもほかの②~⑦の法規制がしっかりと出来上がっていれば、経済制裁についてもう少し発動がしやすくなるのではないでしょうか。
経済制裁の使い勝手を良くする
特定船舶入港禁止法:やればできる!日本の法律
こうしたなか、上記①については十分な経済制裁の法的根拠がないというのが現在の日本の実情ですが、②~⑦については、ある程度は法規制が設けられています。
パターン | 法律 | 備考 |
---|---|---|
①自国から相手国へのヒトの流れの制限 | (規定なし) | (規制の穴) |
②自国から相手国へのモノの流れの制限 | 外為法による輸出規制 | 輸出許可 |
③自国から相手国へのカネの流れの制限 | 外為法による送金規制、資産凍結措置、対外投資規制 | 支払、資本取引、投資許可 等 |
④相手国から自国へのヒトの流れの制限 | 出入国管理法による入国制限 | 入国ビザ制度等 |
⑤相手国から自国へのモノの流れの制限 | 外為法による輸入規制 | 輸入許可 |
⑥相手国から自国へのカネの流れの制限 | 外為法による対内投資規制 | 投資許可 |
⑦情報の流れの制限 | 不正競争防止法、種苗法など | スパイ防止法などは存在しない |
⑧その他 | 特定船舶入港禁止法など | 北朝鮮船等の入港禁止 |
(【出所】著者作成)
とくに⑧の措置は、北朝鮮船「万景峰(まんけいほう)号」などを念頭に置いて、特定の船舶が日本の港湾等に寄港することを包括的に禁じた法律ですが、その効果はてきめんであり、北朝鮮の密貿易における「新潟ルート」が壊滅した、などとされています。
つまり、日本の法制度も、「やればできる」のです(※ちなみに同法の制定は当時のヒラ議員だった菅義偉総理大臣らが関与した議員立法であり、菅総理が特定勢力から目の敵にされているのも、こうした事情があったからではないかと思います)。
モノ、カネの制限措置の発動要件
ただし、①と⑦と⑧を除くと、②~⑥の規制のうち、簡単に発動できるのは、基本的には④に限られます。
それ以外の外為法上の規制(②、③、⑤、⑥)については、いずれも、発動するためには次の3つのいずれかが必要です。
外為法上の経済制裁の発動要件
- 国連安保理制裁決議などがなされたとき
- 有志国が実施する経済制裁に日本も参加するとき
- 外為法第10条第1項の閣議決定があったとき
(【出所】外為法等を参考に著者作成)
正直、これだけだと、不十分です。
また、上記のうち、とくに「3」については、発動できる場合が「わが国の平和および安全の維持のためにとくに必要がある場合」に限定されています。
外為法第10条第1項
我が国の平和及び安全の維持のため特に必要があるときは、閣議において、対応措置(この項の規定による閣議決定に基づき主務大臣により行われる第十六条第一項、第二十一条第一項、第二十三条第四項、第二十四条第一項、第二十五条第六項、第四十八条第三項及び第五十二条の規定による措置をいう。)を講ずべきことを決定することができる。(※下線は引用者による加工)
ちなみに、この外為法第10条第1項の決定に基づき発動できる措置は、具体的には次のとおりです。
外為法第10条第1項の決定に基づく措置
- 第16条第1項措置…日本から外国への支払の流れの制限(③カネの流れ)
- 第21条第1項措置…日本と外国との資本取引の流れ(③カネの流れ)
- 第23条第4項措置…日本から外国への対外直接投資の流れ(③カネの流れ)
- 第24条第1項措置…いわゆる「特定資本取引」の流れ(③カネの流れ、⑦情報の流れ)
- 第25条第6項措置…役務取引(②モノの流れ、⑦情報の流れ)
- 第48条第3項措置…輸出規制(②モノの流れ)
- 第52条措置…輸入規制(⑤モノの流れ)
(【出所】著者作成)
つまり、第10条第1項の決議さえあれば、かなり広範囲な経済制裁パッケージを発動することができるにも関わらず、その発動要件が「わが国の平和および安全の維持のためとくに必要があるとき」に限られているのは、日本の外国に対する経済制裁の発動を困難にしています。
具体的には、「中国による人権侵害」、「韓国による国際法違反の判決」などに対し、日本政府が経済制裁を発動する、といった使い方はできないのです。このあたりは、外為法が制定された時代背景にもよるのかもしれませんが、そろそろ法的な手当てがあっても良いのではないでしょうか。
既存法を活用するのは賢明な対応
こうしたなか、冒頭で取り上げた共同通信の記事には、岸田首相が「日本版マグニツキー法」の制定を見送る代わりとして、こんな趣旨の記載があります。
「外為法など既存の法律を活用し、資産凍結や入国制限を可能とする方策を検討する」。
まさに、当ウェブサイトでかなり以前から申し上げてきた、外為法や出入国管理法などの既存の法律をうまく活用し、必要に応じて改正したうえで使い勝手を良くすべきだ、という主張とも整合しています。
もちろん、日本は「自由、民主主義、法の支配、人権」を大切にする国家であり、もしも本気で「人権法」を制定すれば、そのこと自体が国際社会に対する良いメッセージになることは間違いありません。
ただ、それと同時に、新しい法律を作るのも結構ですが、せっかく外為法という既存の法律の枠組みがあって、それをちょっと手直しするだけで使い勝手が良くなるのであれば、先にそちらの立法措置を講じる方が賢明です。
くどいようですが、先ほど紹介した外為法第10条第1項の規定を、たとえば次のように変更するだけでも、ずいぶんと経済制裁の使い勝手は良くなるはずです。
外為法第10条第1項改正私案(※下線部)
我が国の平和及び安全の維持のため、国際法秩序の維持のため、我が国の利益を保護するため、その他これらに類する事情として政令で定める事実に基づき、特に必要があるときは、閣議において、対応措置(この項の規定による閣議決定に基づき主務大臣により行われる第十六条第一項、第二十一条第一項、第二十三条第四項、第二十四条第一項、第二十五条第六項、第四十八条第三項及び第五十二条の規定による措置をいう。)を講ずべきことを決定することができる。
(【出所】著者作成)
中国による人権侵害は「国際法秩序に反する行為」とみなせますし、韓国による国際法違反判決は「外国の国家権力によるわが国の利益を不当に侵害する行為」とみなせますので、この第10条第1項改正私案に基づけば、十分に経済制裁の発動理由になるはずです。
あるいは、『外国為替及び外国貿易法第十条第一項に規定する事実を定める政令(仮)』などを作り、政令でフレキシブルに経済制裁の発動理由を定めても良いかもしれません。
欧米ではできる経済制裁、なぜ日本でできないのか
また、先ほどの共同通信には、「日本版マグニツキー法の制定を見送り、既存の法律で対応する」とした狙いについて、こんな趣旨の記載もあります。
「新法を制定することで中国を過度に刺激するのを避ける一方、欧米各国と同様の制裁措置が取れる仕組みを整備することを想定(している)」。
欧米では発動可能な経済制裁が、なぜ日本では発動できないのか。
まさに、中国の人権侵害の際に、欧米諸国が中国当局者への経済制裁を発動するなかで、日本が指をくわえて眺めていることしかできなかったのも、まさにこの外為法第10条第1項などの規定が使い辛いからだ、という言い方をしても良いでしょう。
その意味で、まさに外為法第10条第1項に手を付けられるかどうかが、岸田政権の最初の(?)試金石といえるかもしれません(※いや、「最初の試金石」が、例の年齢制限・所得制限を設けてしまうなど、国民から不興を買っている給付金案なのだとすれば、「2番目の試金石」でしょうか?)。
また、先ほどは「人権法よりも外為法第10条第1項などの改正を優先すべき」、などと申し上げましたが、それはべつに「人権尊重法など必要ない」、という意味で申し上げたのではありません。
あくまでも現在の日本の法制上、外為法改正の方が簡単だから、という話であって、国際社会に対するメッセージという意味では、人権尊重法は依然として有効です。
いずれにせよ、岸田政権の対応を注視する価値はありそうです。
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給付金に所得制限求めるのは自民党の方針では?
公明党案は所得制限無しだったはず
所得制限は実に悪手です。
所得制限されるような世帯が、その程度の金額でどーこー利益的打算が動くことなどはありませんが、感情に与える影響はプライスレスです。
実際、とっとと岸田政権など倒れてしまえと思っています。ハイハイ次行こう!。
岸田さんは危惧していた通り無能だと御自身が次々に実証しちゃってますからねえ.
ここまで使えないとは予想以上でした.
経産省マターと言えば、「韓国のホワイト除去」についての国民への事前ヒアリングで「賛成」意見を投じ、賛成意見数の多さがパブリックヒアリングでは歴史的快挙であったことをここに集う皆さんと喜び合ったことをおぼえています。
岸田首相はあぶなかっしいとは思いますが、現経産大臣が萩生田さんであることは、防衛大臣が岸さんであることともに、数少ないgood人事だと思いますので、密かに、韓国のBからCへの転落を願っています。韓国にはその資格が十分にあります。
「出入国管理及び難民認定法」も、改正と厳格運用を望みます。
竹島に韓国警察庁長官が上陸したことをきっかけに、同法を読み直して感じたことです。
変更ヶ所は、
に、号を一つ加えます。
十四 本邦に不法に上陸したことのある者
十四 → 十五に変更
公然と竹島に上陸した者は、入国させないということです。
また、変更の有無にかかわらず、同法を厳格に運用すべきで、特に、第五条の以下の号の厳格運用を望みます。
某国の国会議員には前科持ちが多いので、該当する者は四により入国を拒否すべきです。
サムスンの御曹司も、これに該当します。
日本に潜り込んでいる売春婦は積極的に摘発して強制送還し、七を厳格運用しましょう。
イーシャ 様
某国の国会議員には前科持ちが多いので、該当する者は四により入国を拒否すべきです。
サムスンの御曹司も、これに該当します。 >
合目的的且つ合理的な改正案ですね。政治犯の除外もさりげなく織り込まれているところなど細かい目配りが効いているように思えます。
制度論に踏み込む発言ではないのですが。
中国には仇富という単語があります。成功者もしくはお金持ちをかたきと見なして社会的リンチを加えおとしめることを意味するようです。サムスンの御曹司氏はこのごろ政権側より仇富の的にされているように当方には思えます。
「貴種を相手方から引き抜き、陣営に組み込む」古来より本邦が繰り出してきた体制強化手法でした。以前より指摘しておりますが、御曹司にあっては日本亡命していただくことを検討されてみてはどうか。実現してしまえば敵陣へのサイコロジカルなインパクトは相当なものでしょう。そうはさせじ、彼こそ永遠の虜でなくてはならぬとの反動は当然予想されます。「ひょっとしてそうゆうこともあるかも知れない」そんな考えが巷間に広まるだけで一定以上の効果があることでしょう。いざとなれば箱に入って覆面入国という手もありや。
愛知県東部在住 様
書き方が紛らわしかったかな。
改正案は、(新)十四号の追加だけで、三・四・七号は現行法通りです。
厳格運用するだけで、効果がありそうでしょ。
はにわファクトリー 様
日本は法治国家です。
「上陸の拒否の特例」もありますが、乱用せず、韓国をホワイト国からはずしたときのように懇願しに来ても、今後は入国拒否すべきです。
まだまだ岸田氏について、居るだけ総理にしか思えない…
「自民党と公明党は協議の結果、こう決定しました。」
って報じるアナウンサー? しかしてないし。
日韓合意だっで合意の発表冒頭に
「国際法を遵守する日韓両国は本日次に述べる合意に至りました?」
から始まれば韓国の異議も起こさずに釘がさせたのに。
新しい資本主義やら新しい民主主義とかの前に、交渉ごとと世界で通用する(英語力とかてはなく)言葉の魔術師であって欲しいが、あの年齢までボンボンじゃ無理か…
接頭句を付け加えたり強調するべき大事な(言質とる)発表の仕方って民間人でも営業や契約時に大善寺なんだが、政治屋(特に世襲議員)は民間で仕事まともにやった事が無いからなぁ…