普段から当ウェブサイトでは、「隣国とは良好な関係を築くことができればそれに越したことはない」としつつも、「ときとしてそれを諦めねばならないこともある」と申し上げてきたつもりです。こうしたなか、昨日は韓国を代表する大手メディアのひとつに、「善くないサマリア人」という、なかなか斬新で強烈な記事が掲載されていました。ただ、これに対しては、「日本との友好を望むのも望まないのも、結局は彼らの側の問題だ」と感じざるを得ないのもまた事実なのです。
目次
日本外交の処方箋
信頼し得る相手に国籍は関係ない
「どんな国であっても、隣国とは未来に向けて手を携え、ともに発展して行けるような良好な関係を築くことができれば、本当に幸いなことである」、という趣旨のことは、普段から当ウェブサイトで何度となく申し上げて来たつもりです。
それに個人的事情を申し上げるならば、1990年代に大学生生活を送った身として、留学で日本にやってきた中国人、韓国人とは友人関係になりましたし、プライベート、ビジネスを含め、彼らの一部とは現在でも良好な関係が続いています。
当時は、「個人同士でも仲良くなれるんだから、国同士もきっと仲良くなれるに違いない」、「21世紀はアジアの世紀だし、日本はアジア諸国全体に対する過去の犯罪をすべて清算し、謝罪したうえで、アジア諸国と手を取り合って行かねばならない」、などと漠然と考えていたのです。
ただ、学生生活を終え、実社会に出てさまざまな業務を経験していくなかで、それなりに責任ある立場に立ってみると、非常に残念なことに、「人間関係にはどうしようもないものがある」という現実に直面せざるを得ないこともまた事実でした。
理性的に考えたら「あの人とはうまく付き合って行かねばならない」ということがわかっているにも関わらず、どうしても「大人」になれなくて、人間関係がうまくいかないという人がいます。そして、国というものが人間の集合体である以上、国同士の関係というものも人間関係の延長で理解する必要があるのです。
相手が我が国との友好を望んでいないなら
すなわち、日本としては善隣友好外交を望んでいるにも関わらず、相手がそれを望んでいない場合には、大きく2つの方法が考えられます。
1つ目は、日本が「大人になる」(?)ことで、相手国の国民感情に配慮しながら、情報できるところは譲歩し、相手との関係をうまく運用していく、という考え方。
そして2つ目は、その国との関係を改善することを、どこかの段階で、敢えてスパッと諦めてしまうという考え方でしょう。
(※余談ですが、「日本も相手国と同じレベルに堕ち、ゴネてゴネてゴネまくるべきだ」、「とにかく相手に理不尽な経験をさせて、相手を叩いて躾けるべきだ」などと主張される方もいらっしゃるようですが、正直、レベルが低すぎてお話になりません。)
いずれにせよ、当ウェブサイトでは、基本的に前者の考え方を取るのも「アリ」だとは思っていますが、そのための条件は、「中長期的に見て、その国との付き合いがわが国の国益にとって欠かせないこと」だと考えています。
日本はアジアと世界に多くの友人を持つ国である
こうしたなか、もうひとつ指摘しておきたいのが、べつに日本は「アジア全体から嫌われているわけではない」という事実です。
少し古い調査で恐縮ですが、外務省がASEAN10ヵ国を対象に実施し、2017年11月1日に発表した世論調査によれば、対日関係で「とても友好関係にある」「どちらかというと友好関係にある」と答えた割合が、ASEAN全体で89%に達していたのです。
ASEAN10か国における対日世論調査
―――2017/11/1付 外務省HPより
ほかにも、「対日信頼度」はASEAN全体で91%が「とても信頼できる」「どちらかというと信頼できる」と回答したそうですし、さらに戦後70年の日本の平和国家としての歩みについても、ASEAN全体で88%が肯定的に評価してくれています。
この調査からもわかるとおり、基本的に現在の日本において、日本の貿易上の重要度が高まってしまっている中国を除けば、「日本が相手国に配慮してまでお付き合いしなければならないほど、国益上重要な相手国」というのもは存在しないと考えています。
そして、非常に幸いなことに、「国益上どうしてもお付き合いが必要な国」の中で、中国を例外とすれば、日本に対し理不尽な主張をしてくる国はありません。米国にしても、豪州にしても、インドにしても、EUにしても、ASEAN諸国にしても、台湾にしても、日本に対して友好的なのです。
したがって、日本が国としての原理原則を捻じ曲げ、卑屈な態度を取ってまで維持しなければならないということは、基本的にはあり得ないのです。
どうしても日本との未来志向で対等な関係を拒絶する国との関係改善についてはどこかで諦めざるを得ず、その分の努力は日本の友人を世界中に増やすために費やした方がはるかに有意義だ、ということでもあります(※中国に対する貿易依存度を下げる努力は別途必要ですが…)。
ここでのポイントをまとめておきましょう。
- 日本は国際法と秩序を守る国であるべきである。
- どうしても心を開いてくれない国との関係改善はどこかの段階で諦めなければならない。
- 日本の貴重な外交資源は世界中に友人を増やすことに向けられるべきである。
日本のこれまでの行いが世界に認められてきた:先人に感謝!
ただ、こう書いてみると、ずいぶんと大変なことを述べているように思えてしまいますが、非常に幸いなことに、現在の日本には世界中に友人がたくさんいます。
さきほども紹介したASEANの事例もそうですが、それ以上に現在の日本の立場を強くしているのは、安倍晋三総理大臣が提唱し、菅義偉総理大臣が引き継いだ「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)の概念です。
このFOIPにコミットする国のなかで、中核を占めているのが日米豪印4ヵ国ですが、「4」を示す「クアッド」の用語は、現在では米国でも普通に使われているほどです。
また、このFOIPにはクアッドだけでなく、カナダや英国も賛意を示していますし、フランスも(若干コミット度合い自体は怪しいものの)いちおうこの構想を支持しています。ASEANもFOIPを意識した「AOIP」なる概念を打ち出しています。
さらに、東本大震災で温かい支援を寄せてくれた友人といえば台湾ですが、『台湾・蔡英文氏、日米に「まさかの時の友こそ真の友」』などでも取り上げたとおり、日本はその台湾に対し、ささやかな恩返しとして、ワクチン支援を行ったところ、蔡英文(さい・えいぶん)総統みずからが謝意を示してくれました。
個人的に、現在の日本の立場が日本の外務省の努力によってもたらされたとはまったく思いません(むしろ日本の外務省は「外交事なかれ主義」で日本の国益を妨害して来たとすら思っています)が、それでも現在の日本の地位を作ってくれたのは、個々の日本人の貢献です。
その意味では先人に感謝したいと思う次第ですし、結果として日本が全世界に友人をたくさん持っていることは間違いありません。日本は引き続き、「世界中に友人を増やすこと」を外交上の至上命題に置き続けるべきでしょう。
日韓関係と日本
日韓関係は日本の「自業自得」の側面も
さて、翻って考えておきたいのが、韓国との関係です。
さきほど、「日本の国益上、どうしてもお付き合いが必要な国」に、「中国」を挙げておきながら、「韓国」を挙げなかったことに気付いた方は鋭いと思います。
経済関係で見るならば、じつは韓国は日本にとって、「どうしてもなければならない国」ではありません。
もちろん、日本にとって現在の韓国は、貿易面では巨額の貿易黒字をもたらしてくれる「お得意様」でもあるのですが、それと同時に、日韓貿易構造は「モノを作るためのモノ」(資本財、中間素材など)を韓国に売ることで儲けている、という側面があります。
『日韓通貨スワップこそ、日本の半導体産業を潰した犯人』でも指摘しましたが、やや意地悪な言い方をすれば、こうした貿易構造を作り上げて来たのは日本の「自業自得」という側面が強いのです。
野田佳彦元首相のイニシアティブに基づき、2011年10月に韓国に提供された総額700億ドルにも達する巨額の通貨スワップは、欧州債務危機の余波が韓国に到来することを防ぐためだけでなく、韓国が為替介入でウォン安を維持するための「安全弁」に悪用されたフシがあります。
この700億ドル「野田スワップ」は論外としても、これまでの日本は韓国に対し、「善隣友好外交」プラス「大人の外交」で、あまりにも支援をしすぎました。
恩を仇で返した李明博政権
そして、そうした支援を「有難い」と感じてくれる国であればまだ救いはあるのですが、残念ながら、韓国のメディアや政府、有識者らから、「700億ドルスワップありがとう」という感謝の言葉を目にしたことはありませんし、それどころか韓国では、このスワップを巡って、次のとおり、「恩を仇で返した」のです(敬称略)。
- 2011年12月14日…ソウルの日本大使館前に市民団体が慰安婦像を設置
- 2011年12月18日…李明博、野田佳彦との会談で慰安婦問題を蒸し返す
- 2012年8月10日…李明博、現職大統領として初めて、韓国が不法占拠中の島根県・竹島に上陸
- 2012年8月14日…李明博、「日王」に対する謝罪を要求
ちなみに「日王」、あるいは「日本国王」なる者は日本には存在しませんが、仮に天皇陛下のことを「日王」などと呼んだうえで、無礼な発言をしたのだとしたら、日本国民としては、さまざまな意味において、到底許せない発言です。
ただ、この「李明博-野田佳彦」関係は、戦後日本の対韓外交の悪い面が凝縮された時代だったということもできるかもしれません。そもそも李明博元大統領自身が大阪で生まれた「在日韓国人」だったとされており、李明博政権発足時には、日本で「日韓関係が良くなる」などの(根拠のない)期待もあったのです。
このように考えていくと、韓国では誰が政権を取ろうが、結局は日本との「未来志向での関係」を作り上げることなど不可能だ、という気がしてなりません。
朴槿恵政権下で日韓関係はさらに悪化
さらに、李明博政権の次に韓国の指導者となったのが、朴正煕(ぼく・せいき)の長女でもある朴槿恵(ぼく・きんけい)前大統領でしたが、彼女の政権では最初から「反日モード」を全開にしていたことも忘れてはなりません。
たとえば、2013年3月1日の「三一独立節」での「加害者と被害者の関係は千年経っても変わらない」という発言もそうですが、大統領就任後の2番目の訪問国に、韓国の外交慣例上を破り、日本ではなく中国を選んだことも見逃せません。
結局、安倍晋三総理大臣との会談の実現は2014年3月を待たねばなりませんでしたし、安倍総理が2015年4月に米上下両院で合同演説を実施した際には、韓国の国会は翌月、日本に対する非難決議まで可決しています。
中国と北朝鮮を除けば、日本に対し、ここまで敵対的な国は、ほかに見当たりません。
もちろん、日本が本当に、過去に対して韓国に酷いことを行い、かつ、その事実に対して真摯に向き合ってこなかったのであれば、日本が嫌われるのも仕方がない、という言い方もできるでしょう。その場合は真摯に謝罪しなければなりません。
あるいは、現在の韓国が日本にとって、軍事的にも経済的にも、必要不可欠な存在なのであれば、日本はそれこそ全面的に地面に頭をこすり付け、韓国の許しを請わねばならないことも仕方がないのです。
日本は韓国に謝罪しなければならないことをしたのか
しかし、韓国が一方的に主張する歴史「認識」ではなく、ちゃんとした歴史的「事実」を調べていけば、日本は韓国(や北朝鮮)に謝罪するいわれは一切ないということは、すぐにわかることです。
たとえば、日本は朝鮮半島に、鉄道、港湾、道路、上下水道、電気などのインフラを建設しました。「日帝植民地」時代に作られた「水豊ダム」は、完成してもうすぐ80年が経過するとされていますが、現在でも北朝鮮の電力をまかなっているとも伝えられています。
また、当時の朝鮮人に対し、前近代的な身分差別を禁止したこと、教育を施したことは、不完全ながらも韓国を近代国に引き上げることに大きく貢献しました。
もちろん、こうした事績に対し、日本の側から韓国や北朝鮮に対し、「感謝しろ」と要求するのは筋違いでしょう。日本が「大韓帝国」を併合したのも、結局は日本の都合だったからです。
ただ、同時代の欧米列強による植民地支配などと比較し、日本の朝鮮半島支配が「残虐非道で悪辣」だったとはいえませんし、朝鮮人でも軍人になり出世することができたという事実自体、日本が朝鮮半島を可能な限り対等に扱おうとしていたことの証拠ではないかと思えてなりません。
日本が問題なのか?
韓国メディア「善くないサマリア人」
こうしたなか、韓国メディア『中央日報』(日本語版)には昨日、こんな記事が掲載されていました。
【寄稿】韓日関係、「善くないサマリア人」と共存する知恵を学ぶ時だ(1)
―――2021.08.26 13:41付 中央日報日本語版より
【寄稿】韓日関係、「善くないサマリア人」と共存する知恵を学ぶ時だ(2)
―――2021.08.26 13:42付 中央日報日本語版より
記事タイトルにもある「善くないサマリア人」とは、驚くべき表現であり、斬新ですらあります。
当ウェブサイトではあえて引用しませんが、原文ではさらに衝撃的な表現も出て来ます(※なお、これらについては当ウェブサイトでは引用しませんが、読む際にはくれぐれもご注意ください)。
ただ、全体で4000文字弱の大変にわかり辛い記事ですが、あえて当ウェブサイトなりに要約しておくと、こんな主張です。
「『善くないサマリア人』と対立せず、ともに暮らしていく方法を学ぶべきだ」。
ダラダラと4000文字近くも文章を書いておきながら、「善くないサマリア人」という根拠は一切示されていません。
隣接する、しかも自国に莫大な経済・金融支援をもたらしてくれた「恩人」のことを蔑む記事が、韓国を代表する大手メディアに堂々と掲載され、しかもご丁寧に日本語訳して日本人に読ませる意図はよくわかりません。
結局のところ、「対等で未来志向に基づいた友好関係」というものが「幻想である」と失望せざるを得ないのも、こうした得体のしれない記事が定期的に韓国メディアに掲載され続けているからなのでしょう。
特殊なのは「日韓関係」ではなく「韓国」
さて、正直、この「善くないサマリア人」云々のダラダラした長文記事を読むよりも、普段から当ウェブサイトで紹介している次の2つの短い文章を読んだ方が、はるかに参考になると思うのは、気のせいでしょうか。
「日本の謝罪問題についても一言言っておきたい。日本は韓国に対してすでに十分すぎるほど謝罪したし、これからも謝罪しつづけなければならないだろうが、それらは結局、無駄である。なぜなら韓国がそもそも憎んでいるのは、日本人ではなく、日本の統治に抵抗せずに従った、自分たちの祖父たちだからだ」。
「平気で約束を破り、堂々と他人を裏切る韓国と首脳会談を開こうとする国はまず出てこない。何を取りきめようが、すぐに反故にされるからです。日本と韓国がうまくいかない原因は『日韓関係の特殊性』ではなく『韓国の特殊性』にあるのです」。
前者は、米国の政治学者で米戦略国際問題研究所(CSIS)のシニアアドバイザーでもあるエドワード・ルトワック氏が『中国4.0』(文春新書、2016年3月20日第1刷発行、翻訳者は奥山真司氏)という書籍の129ページ目で述べたものです。
また後者は、日本を代表する優れた韓国観察者である鈴置高史氏が今年7月の論考で主張したものです(『鈴置論考、「日韓の」ではなく「韓国の」特殊性に言及』等参照)。
韓国人が日本をいかなる国だと認識するかは自由ですし、日本に敵対感情を持つのも自由ですが、それと同時に、私たち日本人が韓国をいかなる国だと認識するかについても自由であるはずです。
そして、人間関係というものは、得てして自分自身の内面を映し出す鏡でもあります。
僭越ながら韓国の皆さんに申し上げたいことがあるとすれば、「結局のところ、日韓友好を願うかどうかは韓国の皆さん次第ですよ」、ということに尽きるのだと思う次第です。
View Comments (54)
お早うございます。
朝鮮半島の住民の方々と日本人は「価値観」と「思考回路」はもとより、「事実認定」、或いは「現状認識」さえ共有していないのでは?
同じ現象を観察しても全く違う認識をしてしまう相手とは信頼関係のみならず、相互理解も友好関係も構築出来ません。
レーダー照射事件の功績は私のような甘ちゃん「隣人性善説」の信奉者の目を開かせた事です。
おはようございます。
最後の『結局のところ、日韓友好を願うかどうかは韓国の皆さん次第ですよ』ですが、実際には『結局のところ、日韓友好が叶うかどうかは韓国の皆さん次第ですよ』ではないかと考えます。
韓国は、ウリナラファンタジーによる被害妄想で日本を恨み、日本が未来永劫謝罪と賠償をし続ける事で成り立つ友好を望んでいると思われます。
でも、日本には韓国の被害妄想に付き合う理由が無いです。
そして、日本に今現在居る在日コリアンは基本的に、より良い暮らしを求めて押し掛けたり朝鮮戦争前の混乱期に押し掛けたりして居座った者とその子孫なのに、被害史を創造して「日帝の強制連行の被害者とその子孫」を自称し、被害者コスプレをしています。
日本にはそんな被害者コスプレに付き合う理由が無いので、日本に合法的に渡航した事を証明出来ない輩は全て不法滞在者とその子孫という扱いにして半島へ強制送還し、関係を清算したいものです。
全く同感です。
アフリカ系の米国人の方々こそ、その様な全く歴史的事実に疑問の余地のない不当な扱いをされた被害者の祖先を持っていますが、朝鮮半島系の在日の方々ような捏造歴史由来のいちゃもんをつけて特別扱いを要求するような見苦しい事はしません。
(昨今はBLM運動でちょっと様子がおかしくなって来ていますが、それにしても彼らには正当な歴史的理由があります。)
野宿 さん
ありがとうございます。
アフリカ系アメリカ人に関しては、アファーマティブアクションによって下駄を履いているので、個人的にはフェアじゃないって感じています。
記憶ですみませんが、アジア系が貧乏くじを引かされている筈です。
全く仰る通りだと思います。
違うところは、アフリカ系アメリカ人の不満・苦情は「捏造された歴史」では無く「正真正銘の客観的に検証できる歴史」を基にしているところでしょうか。
それと、アジア系が米国でワリを食っているのは確かです。
私はウソツキや詐欺師、自己愛性人格障害者に対して過剰反応してしまうところがあるので、日本の隣国とは相性が好くありません。
「ろくでもない朝鮮人との共存はやめよう」
日本的な価値観ではなく、ありのままの彼らを見なければいけないと思いました。韓国人の行動原理を読み解くと何故か寄生生物に行き着きました。
彼らは一見すると日本から一方的に搾取し楽をする。ずる賢ーい生き物に見えますが、工夫を凝らした栄養を取る仕組み、繁殖のための優れた戦略は悠久の歴史から自然選択で彼らが獲得した優れた能力だと思います。
たぶん彼らの小さい脳では決して楽をして生きていこうと思った訳でなく、彼らの歴史の中のトライアンドエラーの結果、今の洗練された思考とライフスタイルに行き着いたのだと思います。
これを変えるのは一朝一夕には行かないと思いますが外務省様には是非、従来の寄生関係から共生関係へ移行する知恵を絞って頂きたいと思っています。
例えとして「ヤドリギ」は如何でしょうか?
自分では根を張らず他人の地道な努力にタダ乗りし、成果を剽窃し、さも一人前であるように自画自賛し、自分は日当たりの良い場所から宿主を見下す。
興味深い事に、Wikipedia には「ヤドリギ」の記事はアラビア語、ドイツ語、英語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ロシア語、ベトナム語、そして中国語版は有りましたが韓国版は有りません、
ところで、将来の対応手段として「Ku除」も視野に入れる事をお願いします。
それから、日本に深く根を張っている「ザイニチ」とかその傀儡も。
獨様
良い例えですね。宿木には詳しくありませんが一方的に利益をむさぼるモノなのか1度死んだ木を生き返したり、コンサル的な動きをして、栄養の流れを変えるモノなのか評価が分かれそうですね。
まぁ何故自立しないのかは大いなる謎ですが。
そう言えば近所のお寺の標語に
・むさぼらない
・嘆かない
・怒らない
と書かれてありました。反射で生きるモノにそれを求めるのは酷でしょうか…
主題から外れてすいません。
新宿会計士様が紹介してくれたエドワード・ルトワック氏の書いたことでどういうことだろうと思うのは、
> これからも謝罪しつづけなければならないだろうが、
> そもそも憎んでいるのは、日本人ではなく、日本の統治に抵抗せずに従った、自分たちの祖父たちだからだ
の2つです。
前者は、日本が元々謝罪しなくて良いことに自ら勝手に謝罪してきたから、これからもそうせざるを得ないということでしょうか。或いは世界で日本が悪いということになっているからということでしょうか。またはその両方?
後者は、ずっと属国として虐げられた中国に対しては何故何も言わない、という事です。もちろん、中国が日本のようにやさしい国ではないので、現実な問題として日本にやっているようなことをすると大変なことになるということはあると思います(例えば、火器管制レーダーを照射すると応戦されるかもしれません。また経済的な嫌がらせをされたこともあります。)
日本より中国が嫌いという世論調査結果等もあるようですが、単にそれだけのことで、反中国教育などはしているとは聞きません。
日本に併合されるまでは独立した先進国で、日本の併合が「人類史上未曾有の過酷植民地支配」だったため遅れてしまった等の「歴史認識」をするために歴史が改竄されたためでしょうか。
お早うございます.更新有難うございます.やはり,この話題を取り上げられたのですね.
新宿会計士様は本文中で触れておられないようですが,この中央日報の記事の冒頭に次のように実にショッキングな事実が書かれています.
>ソウル地下鉄3号線の安国(アングク)駅5番乗り場の前に立って列車を待つときはいつも複雑な思いを抱く。5番乗り場のスクリーンドアには抗日詩が貼られているが、作者は李奉昌(イ・ボンチャン)義士だ。その最後の部分は「倭人を屠殺しよう」という内容だ。屠殺は肉屋で牛や豚を刃物で切って分けるという意味だ。なぜこのような詩をここに貼っているのか気になった。管轄部署に尋ねたところ「倭人(日本)大使館に行くには安国駅で降りなければいけないため」「安国駅一帯が独立運動の街であるため」という説明を聞いた。
つまり日本大使館の最寄り地下鉄駅のスクリーンドアに「日本人を屠殺しよう」という意味の言葉で終わる韓国の詩人による詩が貼られており,その理由は正に日本大使館の最寄り駅だからだという事実です.
以前,やはりこちらのコメント欄で小学校低学年児童によって描かれた多数の絵が地下鉄の駅に展示された際に,それらの中に多数の日本への核ミサイル攻撃や爆撃の絵があったという事実があるということに触れた記憶があります(今回の件は楽韓さんも昨日に取り上げておられましたが,そこで楽韓さんがやはりその対日核攻撃を描いた児童の絵の件も触れておられました).
要するに,韓国という国はそういう国であり,彼らの対日観あるいは対日願望は核攻撃で日本人を大量に殺戮したいということなのです.
個人個人で見れば,もちろん韓国人にも良い人は当然ながら居るでしょう.ですが,それら良い人も交じっている韓国人が韓国社会として纏まると,児童がそういう残虐極まりない絵を描きその残虐な絵を地下鉄駅の多数の人々が通る通路の壁に掲示するのを悪いとは思わず,「日本人を屠殺しろ」という残虐な詩を日本大使館の最寄り駅の乗り口に貼っても駅員は疑問を持たずに質問に答える社会になってしまっているということなのです.
我々日本国民は,「チャンスがあれば日本人を大量殺戮したい」という願望が韓国社会の合意事項として形成されている事実を正しく認識し,安く雇えるからと韓国から無差別に労働者を日本国内に迎え入れることがどういう潜在的な危険性を有し得るのか頭を冷やして良く考えるべきです.
韓国社会というマクロなレベルが日本と日本人に対してそういう残虐な行為を肯定する強い性向を有していると実証されている以上,我々日本国民も個々の韓国人ごとに「だって良い人もいるのだから云々」といったミクロなレベルで枝葉末節で明確な結論など出る筈もない議論を小田原評定の如く延々とするのではなく「韓国人」として一括りにしたマクロなレベルで彼らを日本社会に入れることの危険性について議論し判断すべきなのです.
冥王星様
終戦後の朝鮮半島の引き上げ時に、彼らの夢は相当実現したようです。
竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記
https://www.amazon.co.jp/dp/4892959219/
差別されているのではありません。
うそをつくから
約束を守らないから
ズルをするから
弱い者いじめをするから
軽蔑されるのです。
韓国側「対立せず、ともに暮らしていく方法を学ぶべきだ」。いや、もう結構。何十年と腹立たしく、嘘を振りまきタカリ屋の性根を見せられて、多大な迷惑を受けた。韓国(朝鮮人)とは疎遠で行く。関わる事自体、良くない凶を呼び込む。前は欧米人は分かっでないと書いたが、ルトワック氏、慧眼でした。
「善くないサマリア人」って言葉が頭に浮かんで、無性に書きたくなっただけのように見えますね。
なにをもって善くないサマリア人なのか意味不明。無理矢理解釈すると、善きサマリア人の例えを日本に使いたくて、相手が日本だから単に善くないに変えたと。
聖書の記述においては「良き」という部分を含めて名詞みたいなもので
それを「良くない」としてしまえば風習が違い共感できない、その上に美点も何もないとにかく気に入らない奴ら程度の意味しかなくなりますね。
そりゃ意味は通じるし、記事はその意味で使っているから誤用とか間違いではない。が、元ネタの寓話性や教訓的要素が失われ、あえてサマリア人という言葉を使う意味がなくなるんですよねえ。
気に食わないから石を投げてやった(笑)程度の作文でしかない。
私は、この記事のように「日本は憎くても仲良くしなければならない」的な記事が、一番嫌いです。
シンシアリーさんと、楽韓さんは、違う切り口でこの記事を紹介しています。
韓国の地下鉄駅、「日本人(※詳しくは『敵国の中心人物』)を屠◯しよう」の抗日詩が展示される
https://sincereleeblog.com/2021/08/26/muri/
>作者は作者は作者は李奉昌(イ・ボンチャン)義士だ。その最後の部分は「倭人を屠殺しよう」という内容だ。
現在の日本大使館の最寄駅に、抗日詞が書かれているという事で、日本人に読ませる事が目的なのでしょう(おでん文字は読めないけどね)。
画像は以下のリンク
https://sincereleeblog.com/wp-content/uploads/66c19942ab4ba346fdb64ccc04cde373-10.jpg
李奉昌のwikiは、以下のリンク。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/李奉昌
日本人に対するヘイトでしか有りません。
これは、いわゆる”道徳的優位”論の変形パターンでしょうね。なんでまた新約聖書の「善きサマリア人の」たとえを、「善くないサマリア人との共存を学ぼう」にしたのか、さっぱり分かりませんが(聖書の教えにも反する)。韓国としては、国益を考えると、日本とこれ以上関係が悪化するのは得策ではない。でも単なる関係改善では居心地が悪い。だから韓国は許しを与える立場だと、確認させてくれ、と。コリアレポートの辺真一氏が、「徴用工問題は韓国で解決する。その代わりにもう一度日本は謝ってくれ」というのとも、同根です。こんな議論は放っておきましょう。我が国は「国と国との約束は、政権が変わろうと、年数が経とうときちんと守れ」で十分です。国際世論も米国も、消極的ではありますが、我が国を支持します。もう二度と謝ってはいけません(慰安婦合意が最後です)。
斜め横から失礼します。
「サマリア人」の例えの元ネタは聖書だったんですね。
それを知らなかったので、まったくピンと来ていませんでした。
こちらのコメントでようやくわかりました。ありがとうございます。
筆者は単に、難しい言葉を使いたかっただけなのでしょう。意味も分からず。
いつもの韓国記事のように。