来るべき総選挙に向けて我々有権者が持たねばならぬ「覚悟」
今年は衆議院議員の任期満了を控えています。よって、どんなに遅くとも、少なくとも秋までには必ず衆議院議員総選挙が実施されるはずです。こうしたなか、最大野党である立憲民主党の奇行が目立っていますが、対する自民党政権も満点とは言い難いのが実情でしょう。しかし、もしそうだったとしても、日本は民主主義国家であり、私たち国民は民主主義国家の構成員としての自覚を持たねばなりません。端的に申し上げれば、「投票に必ず行ってください」、ということです。
目次
立憲民主党の迷走
審議拒否が「常套手段」なのですから
先月の『「審議拒否」報道に立憲・村田氏ら「常套句」と逆ギレ』などでは、メディアによる「審議拒否」という報道に対し、立憲民主党の村田蓮舫代表代行や安住淳国対委員長らが「審議拒否という常套句を使うな」と主張した、という話題を取り上げました。
(※なお、村田代表代行に関しては、ご本人は「蓮」を姓、「舫」を名と勘違いさせようとしているフシがあるほか、離婚なさった影響で「村田姓」ではない、という報道もあるようなのですが、当ウェブサイトでは基本的に「村田さん」と表記したいと思います。)
これもおかしな話です。審議拒否が立憲民主党の常套手段である以上、それを報じる側も「審議拒否」が常套句になるのは当然のことだからです。
さらには、『「逆ギレの立憲民主党」質問通告遅れを政府に責任転嫁』では、安住淳・立憲民主党国対委員長が野党議員の質問通告の遅れを「陳腐な話」としたうえで、むしろ(立憲民主党側が求めて来る)情報を出さない政府の方に問題がある、などと主張したという話題を取り上げました。
これなども、明らかな「逆ギレ」でしょう。なぜなら、百歩譲って政府から開示される情報が十分なものでなかったとしても、野党側が質問通告を遅らせて良いという話にはならないからです。
そのうえ、『野党3党「コロナ第4波到来なら内閣総辞職に値する」』では、立憲民主党に加え、国民民主党と日本共産党の3党が、「コロナ第4波到来ならば内閣総辞職に値する、との認識で一致」した、とする話題を取り上げました。
「内閣総辞職すれば感染症を政治的に止められる」、とでも言いたいのでしょうか。どうも理解に苦しみます。
そりゃないでしょう、枝野さん…
ただ、立憲民主党の奇行の数々を眺めていると、人罪の劣化が激しいと感じざるを得ません。
いや、「劣化」という言い方には語弊があるかもしれません。しょせんは「人罪」の集合体ですので、もとから酷かったものを、マスメディアが覆い隠すだけのフィルター効果が剥落してきた、と見るべきでしょうか。
こうしたなか、週末の『さすがに無理がある、民意を否定する「枝野内閣」構想』では、立憲民主党の枝野幸男代表金曜日、「菅義偉内閣が退陣し、立憲民主党を少数与党とする『枝野幸男内閣』を暫定的に組閣したうえで、次期衆院選まで危機管理に当たるべきだ」と述べた、とする話題を紹介しました。
改めて振り返っておくと、あまりにツッコミどころが多すぎて、困惑するしかありません。
そもそも論ですが、立憲民主党は衆院で113議席、参院で43議席(※どちらも今年4月1日時点)で、議席占有率は衆院が24.3%、参院が17.6%です。これに対し自民党は衆院で278議席、参院で113議席を有し、議席占有率はそれぞれ59.8%、46.1%です。
あえて無理なことを申し上げれば、参議院で公明党(28議席)、日本維新の会(16議席)、国民民主党(15議席)、日本共産党(13議席)などを仲間に引き込めば、自民党を議席数で上回ることは可能です。
しかし、率直に申し上げて、少なくとも公明党と日本維新の会が立憲民主党に協力する可能性は、限りなく低いと考えて良いでしょう。
公明党は自民党と連立を組んでいますし(※この点については個人的に大変大きな問題だとは思いますが、それはまた別の論点です)、普段の国会質疑等から判断し、日本維新の会が立憲民主党と「仲良し」であるようにも思えません。
クーデターでも起こす気ですか?
また、万が一、公明党、日本維新の会、国民民主党、日本共産党などの勢力を糾合することに成功したとしても、自民党の優位をひっくり返せるのはあくまでも参議院の話であって、衆議院で自民党が単独過半数を占めている状況に変化はありません。
したがって、「野党連合」が発足したとしても、できることといえば、せいぜい衆議院を通過した法案を参議院が否決しまくることで国政を停滞させるくらいでしょう。菅義偉内閣を退陣に追い込むなど不可能な話です。
この点、ツイッターなどの場では、「クーデターくらいしか方法はないのではないか」、といった指摘も出ていたようですが、とっても当たり前の話を申し上げておくと、古今東西、国民の支持がなければ、クーデターが成功するのは非常に難しいといえます。
では、立憲民主党はどの程度国民から支持されているのでしょうか。
個人的に、マスメディアの実施する世論調査に全幅の信頼を置くべきではないと考えているものの、それでも手に入るデータで判断する限りは、「国民の圧倒的多数が立憲民主党を支持している」という状況では断じてないことだけは間違いありません(図表)。
図表1 自民党と立憲民主党に対する支持率
メディアと調査日 | 自由民主党(前回比) | 立憲民主党(前回比) |
---|---|---|
産経・FNN(2/20~21) | 39.1% | 8.9% |
読売新聞(3/5~7) | 40.0%(+3.0) | 6.0%(+1.0) |
時事通信(3/5~8) | 23.0%(▲2.5) | 4.8%(+1.0) |
(【出所】各社報道より著者作成。なお、前回比については判明するもののみ記載している)
「お気楽ですね」と嫌みのひとつでも言いたくなる
どの調査でも、立憲民主党に対する支持率は、自民党に対する支持率を大きく下回っていることが確認できます。産経・FNNで約4分の1、時事通信だと約5分の1、読売新聞に至っては、じつに約7分の1、というわけです(※四捨五入の都合で若干の誤差は生じます)。
というよりも、「立憲民主党クーデター」を圧倒的多数の国民が支持するような世論が醸成されてくれば、わざわざクーデターなど発生させなくても、やがて実施される総選挙で政権交代を発生させることが可能でしょう。
いずれにせよ、枝野氏による「枝野幸男・危機管理内閣」構想については、少なくとも「日本が民主主義国家である」という絶対的な前提条件が存在する限り、どう頑張っても実現しない、と断言して差し支えないでしょう。
ついでに申し上げるなら、個人的にこの話題で最も強く意識したのは、「責任を負わないで済む立場」の人ほど、徹底的に無責任な発言をする傾向にある、という点です。
枝野氏自身は今から約10年前の東日本大震災当時、内閣官房長官として事態収拾の任に当たっていたはずの人物ですが、先日の「枝野幸男・危機管理内閣」構想発言を読む限りは、こうした責任ある立場の経験が、まったく活かされていないと感じてしまうのです。
「責任を負わなくて済む人はお気楽で良いですね」、「そのままずうっと責任を負わない立場であり続けた方が良いですよ」、などと嫌みのひとつでも言ってしまいそうになります。
自民党政権も満点ではないが…
逆風下の政権発足:麻生太郎政権の実例
ただし、個人的な主観で恐縮ですが、菅義偉政権に対する世間の「風当り」は、決して良いとはいえません。
某匿名掲示板、『Yahoo!ニュース』などの読者コメント欄などを眺めていても、安倍晋三総理のころと比べ、菅義偉総理に対しては「総理としての資質」そのものを問う批判コメントも多く、なかには「ガースー(※)は首相の器ではない」、などと書く人もいます。
(※「ガースー」とは、おもにインターネット上で見ることができる、菅義偉総理に対する愛称。)
こうした状況をどう考えるべきでしょうか。
これについて考える前に、改めて振り返っておきたいのが、菅義偉政権と麻生太郎政権の類似点と相違点です。
麻生太郎総理大臣が前任者である福田康夫元首相からバトンを譲り受け、政権を発足させたのは、2008年9月24日のことでした。
おりしも米投資銀行大手のリーマン・ブラザーズが経営破綻した直後ということもあり、世界的な金融危機に発展しつつあった局面で、麻生総理は当時の制約の下、客観的に見て、危機的な状況を非常にうまくハンドリングできたことは間違いありません。
このあたり、個人的には、ちょうど銀行自己資本比率規制と金融商品会計改革の最前線にいたという立場にありますが、有価証券の含み損の自己資本算入停止を筆頭に、当時の自民党政権は、金融危機がわが国に波及するのを防ぐべく、最大限の努力をしていたことをよく記憶しています。
(※ただし、このあたりは実名で専門書を刊行していたりしますので、あまり詳しく述べることは控えたいと思います。)
また、金融危機直後の財政出動がなされたのも、いわばセオリーどおりでもあります。
日銀資金循環統計によると、2008年9月末時点で795兆円だった国債発行残高(※国債、財投債、国庫短期証券の合計額、時価ベース)は、そのわずか1年後には823兆円に膨れ上がります。約30兆円、国債が増発された、というわけです。
もっとも、当時は日銀が白川方明総裁体制下で金融緩和を渋り、結果として経済学の世界でいう、「開放経済下で金融緩和を伴わない財政出動の効果は打ち消される」という効果(俗にいう「マンデル・フレミング効果」)が発生し、みごとに麻生財政の効果は打ち消されてしまいましたが…。
これだけある!両政権の類似点
あらためて、麻生政権と菅政権の共通点をリストアップしておきましょう。
両政権の類似点
- 麻生太郎政権は2008年9月24日、前任の福田康夫元首相の辞任に伴い発足し、菅義偉政権は2020年9月16日、前任の安倍晋三総理の辞任に伴い発足した(政権発足のタイミング)
- 麻生太郎総理は漢字の読み間違いやカップラーメンの価格を知らなかったことなどによりメディアから叩かれ、菅義偉総理は会食に参加したことや自身を「ガースー」などと発言したことなどによりメディアから叩かれた(政権不祥事)
- 麻生太郎総理は就任直後からリーマン後の混乱の事態収拾に追われ、菅義偉総理は就任直後から新型コロナウィルス感染症(武漢肺炎)対策に追われた(経済ショック)
…。
そういえばほかにも、菅総理の場合は長男が総務省幹部らに対する「高額接待」に関与していたなどとして批判された、という話題もありました。メディアの報道などを信じる限りにおいては、菅義偉政権は本当にとんでもない政権だ、ということです。
菅義偉政権の評判は「いまひとつ」…しかし!
しかし、敢えてきついことを申し上げますが、菅総理を「首相の器ではない」などと批判している方は、いったい何を見てそうおっしゃっているのでしょうか。
個人的には、2020年9月に政権が発足して以来、携帯電話料金改革やデジタル庁創設などを推進しつつ、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」に基づく日米豪印外相会談を実施するなど、内政、外交両面で、そこそこの成果を上げているようにしか見えません。
もちろん、新型コロナウィルス・武漢肺炎を巡り、流行の「第3波」が到来したことに対する批判も強かったのもたしかです。実際、主要メディアが昨年12月から今年1月にかけて実施した世論調査でも、内閣支持率が軒並み不支持率を下回っていたことが確認できます。
しかしながら、現行法制上、政府には強制力を伴ったロックダウン措置などを取ることができないなかで、諸外国(とくに欧米諸国)との比較で感染者数、死亡者数などが圧倒的に少ないなどの事実と照らし合わせると、ウィルスという「自然現象」のハンドリングがそこまで酷かったとも言えません。
(※なお、ウィルス蔓延の抑制が政治的指導力によるものなのか、それとももともとアジア人が人種的にコロナウィルスに強いだけなのかは、よくわかりません。このあたりは当ウェブサイトに専門家の方々がときどき寄せてくださる読者投稿なども参考にしたいと考えている次第です。)
さらには、強力な防疫措置は経済活動の低迷と、一種のトレードオフの関係にあります。
もしも現在の日本政府に「法的強制力を伴ったロックダウン措置」を講じることができたとして、それをやれば、経済活動は本格的に委縮しますし、それをやったとして、どこかの政党が主張した「ゼロコロナ」とやらを達成することができるというものでもないでしょう。
要するに、経済を止めるか、コロナを止めるか、という話であり、「あちら立てればこちら立たず」です。
個人的に、現在の菅義偉政権の経済対策に100%満足しているというものではありませんが(特に2019年10月の消費税等の増税は世紀の大失敗だったと考えていますが)、それでも経済と防疫の両立という難しい舵取りを迫られている局面であることは間違いありません。
少なくとも審議拒否を常套手段とされている立憲民主党の皆さんに、このコロナ禍局面における防疫・経済運営を委ねようと思う国民は、少数派ではないかと思うのです。
政権支持率は低下せず
いずれにせよ、メディア報道などを眺めていると、菅義偉総理が「無能」であるかのように報じるメディアもありますし、一部の新聞、テレビの報道を盲信していると、菅義偉政権は「とんでもない政権」に見えてしまいます。
では、その「とんでもない菅義偉政権」の支持率は、具体的にどれだけ下がっているのでしょうか。
先週の『支持率回復の一方で内閣不信任案を準備する立憲民主党』でも紹介した、2021年3月時点におけるいくつかのメディアの内閣支持率を再掲しておきましょう(図表2)。
図表2 内閣支持率(2021年3月)
メディアと調査日 | 支持率(前回比) | 不支持率(前回比) |
---|---|---|
読売新聞(3/5~7) | 48.0%(+9.0) | 42.0%(▲2.0) |
時事通信(3/5~8) | 35.0%(+0.2) | 41.0%(▲1.8) |
産経・FNN(3/13~14) | 51.4%(▲0.1) | 42.8%(▲0.4) |
共同通信(3/20~21) | 42.1%(+3.3) | 41.5%(▲4.4) |
朝日新聞(3/20~21) | 40.0%(+6.0) | 39.0%(▲4.0) |
日経・テレ東(3/26~28) | 45.0%(+1.0) | 46.0%(▲2.0) |
(【出所】各メディア報道を元に著者作成)
いかがでしょうか。
少なくとも上記6つの調査に関していえば、時事通信と日経・テレ東の2つの調査を除き、いずれも内閣支持率が不支持率を上回っています。また、支持率が前回対比小幅低下した産経・FNNのものを除けば、支持率はいずれも上昇傾向にある一方、不支持率は軒並み減少しています。
一部のメディアや一部の野党が一生懸命、「菅義偉総理大臣の長男らによる総務省幹部への高額接待疑惑」「法案の字句誤り」などを追及していたにも関わらず、です。
これは、不思議です。
「せっかく大手メディアが一生懸命に政権攻撃をしてくださっているにも関わらず、有権者がそうしたメディアの批判を受け入れなくなるほど劣化した」、と見るべきでしょうか。それとも。「有権者はメディア報道に騙されなくなった」と見るべきなのでしょうか。
どちらの見方を取るにせよ、これらのメディアの調査で政権支持率が顕著に低下してはいない、という事実を、ここでしっかりと確認することができるでしょう。
なお、上記図表2の補足ですが、昨日は読売新聞が4月2日から4日にかけて実施した全国世論調査の結果が発表されており、内閣支持率は前回の48%から1ポイント減って47%となる一方、不支持率は前回の42%から2ポイント低下し、40%だったそうです。
菅内閣の支持率、47%で横ばい…読売世論調査
―――2021/04/04 22:00付 読売新聞オンラインより
菅政権に対する支持率の下げ止まり、という状況は、いっそうクッキリしてきたと考えて良いでしょう。
(※もっとも、最近、東京や大阪などで新型コロナウィルスの新規陽性者数が増加に転じていることなどを受け、今月以降、内閣支持率が再び不支持率を下回る可能性は十分にありますので、上記図表はあくまでも2021年3月時点におけるものであるという点にはご注意ください。)
何が違うのか
最大の違いは「メディアの影響力の低下」
さて、麻生政権期と菅政権期には共通点がいくつかあることはわかりました。しかし、それと同時に、「当時と現在で大きく異なっている」という点も多々あることは事実でしょう。
株価の水準が異なる、為替の水準が異なる、日銀が金融緩和をしていない・している、等々、マクロ経済上、あるいは金融死票上、いくつかの重要な前提条件が異なっていることは間違いありません。
しかし、個人的見解ですが、これらの要因もさることながら、最も大きな違いは、新聞・テレビを中心とするマスメディアの社会的影響力にあります。
ここで参考になるのが、「日本経済研究センター」という組織が2009年9月10日付で発表した『経済政策と投票行動に関する調査』というレポートです。
経済政策と投票行動に関する調査 「子ども手当支持」は3割、政策には厳しい目
―――2009年9月10日付 社団法人日本経済研究センターHPより
この調査によれば、テレビや新聞を信頼して投票した人ほど、2009年8月の衆院選では、比例区で民主党に投票したことが示されています(図表)。
図表 情報源と比例区投票先の関係
(【出所】(社)日本経済研究のレポートのP7を参考に著者作成)
すなわち、2009年8月の政権交代は、新聞、テレビを中心とするマスメディアによる明らかな偏向報道で国民の投票行動が歪められたからである、とする仮説が説得力を持つゆえん、というわけです。
そして、このことは同時に、2008年~09年と2020年~21年を比較したときに、最も大きな社会環境の変化が、オールドメディアの報道を鵜呑みに信じる人の数が飛躍的に減少した、という点を強く示唆しているのです。
国民よ、責任と自覚を持て!
さて、月並みな結論で申し訳ないのですが、やっぱり重要なので、何回でも申し上げておきます。
日本を良い方向に変えていける唯一の人物とは、結局、「あなた自身」です。
究極的には、私たち日本国民が日本国を担っているという責任と自覚を持ち、選挙のたびに、かならず自分の意志で有効な票を投じるべきです。
何度も申し上げますが、選挙というものは「素晴らしい候補者のなかから自分の理想の候補者を選ぶプロセス」ではありません。「ゴミの中から最もきれいなゴミを選ぶプロセス」、くらいに考えておくべきでしょう。
ただ、「ゴミを選ぶのは嫌だ」、という気持ちは理解できなくはないのですが、「投票する候補者がいない」という理由で選挙を棄権するという考え方には賛同できませんし、あえてきついことばを使わせていただくと、「無責任の極み」です。
したり顔で「我々有権者は選挙を棄権することで意思表示すべきだ」、「我々有権者は選挙で白票を投じることで意思表示をすべきだ」、などと主張する方は、ご自身の不見識を、深く恥じてください。
当たり前ですが、あなたが棄権したら(あるいは無効票を投じたら)、残りの票をもとに当選者が決まります。そうなると、組織票を持つ政党が強みを発揮するのは当たり前の話ですし、現状維持が続くしかありません。
この点、2019年7月の参院選で、「NHKから国民を守る党」(※その後、党名がコロコロ変わっているようですが、いちおう本稿では「N国党」、とでも略します)が比例区で1議席を得たうえで、政党要件を充足したことは、ひとつの動きとしては興味深いものです。
当ウェブサイトとしては、N国党などポピュリストの極みだとは思いますが、それと同時に、「『NHKをぶっ壊す』と主張すれば、その政党や候補者に票を投じる人がいる」ということを、政治家らに知らしめる効果はあったと思います。
N国党が素晴らしい政党だとは思いませんが(敢えて言葉を選ばずにいえば、立花孝志党首は「ゴミ政治家」だと思います)、それでもN国党が躍進したことによって、自民党や「利権野党」らを震え上がらせる効果があったのならば、それはそれでひとつの意義、というわけです。
いずれにせよ、いかに「気に入らない候補者ばかり」だったとしても、選挙のたびに、必ず誰かの名前を書いて票を投じるということを有権者が徹底すれば、もしかすると将来、立憲民主党が最大野党の地位から転落するかもしれませんし、日本共産党の議席を国会から消滅させることができるかもしれません。
あるいは、公明党の力を弱め、自民党にとって「連立与党から外しても問題ない政党」に転落させることができるかもしれませんし、意外と早く、「ワンミズホ政党」が政党要件を失うかもしれません。
当ウェブサイトをいつまで運営することができるかはわかりませんが、ウェブ評論活動を続ける限り、この点については何度も主張し続けたいと思う次第です。
View Comments (22)
図表 情報源と比例区投票先の関係はとても興味深いものでした。できれば直近のこうした分析も見たいものです。
2Fが、内閣不信任案を出せば解散総選挙だと言ってます。
政権が欲しければ、せこい不信任案を出したり、民意を無視した政権禅譲を訴えず、ルールに則って選挙て勝てば良い。
「卑怯者」は、評価しない。
民主党政権の悪夢を、日本人はしっかり覚えています。
三歩も歩かぬうちに何でも忘れる半島民族とは違います。
私は以前、害悪になる候補者しかいない場合、
白票を投じるのもやむなし、という考えでしたが、
こちらのサイトでの論評で
「白票なんて無責任」という意見を度々目にして、
自分なりに考えてみました。
仮に自分が白票を投じたとしても、誰かが必ず当選します。
当選する人物が、候補者中最悪の人物だった場合、
区政、市町村政、県政、国政に甚大な損害を与えるかも知れません。
その場合は、より損害が少なくなるであろう候補者に投票するのが正解だと考えるようになりました。
今後、上記のような事態に遭遇した際には、各候補者がどの程度の害を与えそうか、よくよく吟味して投票しようと思います。
更新ありがとうございます。
万が一、公明党、日本維新の会、国民民主党、日本共産党などの勢力を糾合出来ても、自民党をひっくり返せれるのは、
無理です。議席数第1党は自由民主党だからです。
「クーデターくらいしか方法はないのではないか」というなら、それも不可能です。国民の支持がなければ、クーデターは成功しません。ニ・ニ六事件(イキナリ古過ぎですが) は陸軍の世間知らずの若手将校による暴走。
皇道派や統制派と言っても、同調する者は大勢はほとんどいません。そんな事すると余計に軍内部が悪くなる。結局、今と比べて圧倒的に貧しかった庶民や、2年間の徴兵(海軍は3年、だから敬遠された)で入った者には、関係無い話でした。国民の支持なんてありません。
村田の審議拒否が「常套手段」でキレる、質問通告遅れで安住が与党に責任転嫁、枝野の少数与党妄言、、立憲民主党、日本共産党、その他左派泡沫派、これらは反日互助会です。
年内に衆議院議員選挙がありますが、必ずや皆様が投票に行くべきですネ。棄権はダメ!
もう少し近いところでは三島由紀夫のクーデター未遂事件がありました。未遂と謂っても、三島一人が暴れて切腹しただけで、彼の気持ちは自衛隊員には届きませんでした。一般国民も戸惑うばかりで、政権転覆には程遠い状況だったのではないでしょうか。
三島由紀夫の行動は空回りではありましたが、命を賭けた分、リッケンの連中とは比べたくありません。
自分もニュースを見たときは何が何だか分かりませんでした。数十年経った今、やっと理解できるような気がします。
阿野煮鱒様
楯の会ですね。ちょうど中学3年生で、6時限終わった後、友人のマセた子が「早よ家帰ってテレビ見よ!」と言ってたのを思い出しました。
三島由紀夫は、「突然」という感じが強いです。市ヶ谷でアジッてても、現役自衛隊員は怒声をあげてました。但し純粋な意思を持ち、森田必勝?でしたか、一番の部下迄も、介錯のあと腹を切るというのは、現代ではあり得ないほどの国を思う気持ちです。
ましてや立憲民主党の「議員で居たい」だけの輩より、遥かに遥かに日本人の魂を持ってました。
>審議拒否が「常套手段」なのですから
冒頭の標題にある通り、年から年中「審議拒否」という名の『連休』を取り続けている一見民主党ごときに政権を担う資格も覚悟も胆力も、どの切り口で見てもZero~ですね。
「審議拒否」の履歴については、茶請け様という方が「パチンコ屋の倒産を応援するブログ」(https://pachitou.com/)で詳しく説明していますので、もしご興味があればご覧ください。
「ガースーは首相の器ではない」・・・個人の人格を傷つける発言はパワハラとされます。マスコミや野党はあの手この手で中傷、揚げ足取りをやっており、明言は避けていますがやり方は個人の人格を傷つけて政権から引きずり降ろそうというのはパワハラ同然です。
SNS等の情報入手の普及によるマスコミの影響力の低下が主な理由でしょうが、マスコミが騒ぎ立てるパワハラ、セクハラ等々の考え方が国民に浸透し、マスコミがいくら政権を中傷するようなことを報道しても、皮肉にも国民がそれと政策とは違うだろと考え始めたのも一因のようにも思います。
危機管理内閣発言にしても、具体的な危機管理のための政策を示さず、「オレならもっとうまくやれる」だけの発言は、韓国の具体的な解決策を示さず「話し合えば解決できる」と同じです。
マスコミの呪術から目が覚めかけた国民の鉄板支持層が薄くなり、これからは中傷・揚げ足取りやスローガン・気合だけで勝とうとしてもそっぽを向かれ、堂々と政策論争を展開して争わねば勝てない時代になるかもしれません。そうあって欲しいです。
私もテレビに踊らされた一人で、恥ずかしく思います。
(言い訳ですが、当時は本当に「日本は変われる!」って思ってました)
沖縄普天間基地の「最低でも県外」の迷走、福島原発事故対応の不手際、半導体産業への仕打ち、事業仕分けで成果がないどころか害悪だった、などなど
もう二度と、立憲民主党に投票することはないでしょう。
最近言っていることもやっていることもめちゃくちゃですしね。
(半分はマスコミが悪いのでしょうが)
本日のデイリー新潮の記事、
【中国の香港弾圧に日本政府も自民党も及び腰、毅然とした態度は共産党だけ】が、ヤフー(国際)コメント数で上位にランクされており、「本当に日本の安全保障を考えているのは共産党だけ」のようなコメントが多く寄せられています。
明らかな共産党の選挙対策記事、選挙が近いことを感じさせます。
共産党は昔から中国は批判しますが、韓国に対しては一切批判しません。
「慰安婦」「竹島」「徴用工」「レーダー照射」「旭日旗」「対馬仏像盗難」「日王謝罪すべき発言」「福島放射能」「日本統治は不法」「日本不買」「歴史教科書」「軍艦島」「BTS原爆Tシャツ」「ソメイヨシノ韓国起源」、等々、いずれもものの見事に韓国の立場を支持しています。
この共産党の「親韓反中姿勢」は、ある意味日韓連携を重視するバイデン政権にとっても都合が良いため、選挙までは共産党アゲの記事が続出するのでしょうね。
色々な情報発信等を見てると、立憲民主でも捨てたものではない方がいるのは確かだろうと思います。
与党側でも辟易する方々が大勢いるのも確かです。
政治家は全て投票によって選ばれており、その方々は有権者の代表です。
である以上、くだらない行動や発言のいくらか(全部ではないでしょうが)は、有権者の意見そのものでしょう。与党野党どちらも。
地道な啓蒙と投票行動、これ以外に政治を良くすることは出来ないでしょう。よいと思う方に投票する。良くないと思う方に投票しない。
もしそれでも、どうしても納得できないなら自分で立てばいい。
くだらないとされている政治家の方々が多くの意見集約・組織動員の果てに生まれている事実があります。それらの方々も民意の代表なんです。
まんなっか様、よくも悪くも政治家は民意の反映であること、全面的に同意します。
そのうえで、
>地道な啓蒙と投票行動、これ以外に政治を良くすることは出来ないでしょう。
こちらも概ね同意いたしますが、それ以外の道もあってほしいな、との願望を抱きます。
最近よく目にするものに、「自民党は支持できない(あるいは不満がある)のだが、特定野党は論外である 投票行動で民意を示すべきだ」とするものがあります。
間違ったことを言ってるとは思いません。
思わないのですが、特定野党は論外として与党(自民党)にも不満のある民意を、既存の選挙制度で果たして示すことができるのかな、との危惧があります。
意地悪な見方をすると、与党(自民党)側に立てば「野党第一党があの体たらくなので、あえて冒険しなくても(現状維持でも)国民はわれわれに投票するだろう」との慢心を持つ可能性は否定できないでしょう。
その状況で与党(自民党)に投票することは、与党(自民党)側の慢心を補強することにつながる、との見方もできると思います。
長々と書きましたが、要は「地道な啓蒙と投票行動」だけでは政治をより効率よく改善するのには不十分ではないか、とも思えてしまうのです。
だからといって、どうしたら十分なのか、私には満足いく回答を提示する術がないことが歯がゆいところでもあります。