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米国とベトナムが急接近か?ポンペオ長官が急遽訪越へ

「本気で戦争をした国同士ほど、仲良くなれる」。そんな俗説を耳にすることがあります。日米関係や英米関係などに関する限りは、これは真実ではないでしょうか。そして、「本気でぶつかった国同士」という意味では、米国とベトナムも似たような関係にあるといえるかもしれません。こうしたなか、南アジア4ヵ国を歴訪中だったマイク・ポンペオ米国務長官が、急遽、ベトナムも訪問国に加えるとの発表があったそうです。

本気でぶつかった国同士、仲良くなる!?

かつて本気でぶつかった国同士ほど、仲良くなる――。

そんな話を聞くことがあります。

これが歴史の真実なのかどうかはよくわかりませんが、少なくとも戦後75年が経過した現在、日米同盟は地球上で最も強い同盟のひとつであることは間違いありませんし、歴史的な同盟国である英米両国も、かつては独立戦争で対立した国であることはたしかでしょう。

ちなみに余談ですが、日本でも75年前に終わった戦争を巡って、「米国を恨む」という人は少ない気がします。この点、内閣府がほぼ毎年実施している『外交に関する世論調査』でも、わが国において米国に対し「親しみを感じる」と答えた比率は、ほぼ一貫して7~8割を維持しています(図表)。

図表 日本人の対米感情

(【出所】『外交に関する世論調査』を参考に著者作成)

あるいは、欧州でも独仏両国のように、現在は通貨同盟を結成するほどの緊密な仲でありながら、歴史的には過去に何度も何度も衝突し、とくに第一次世界大戦、第二次世界大戦などのような悲惨な戦争も経験している、という事例もあります。

(※ただし、欧州在住の個人的な友人はかつて、「独仏関係は表面的には良好であるものの、報道されない市民レベルの世界ではお互いに反目もあるなど、さほど単純なものではない」などと教えてくれたのですが、このあたりの事情については現地の空気を知らないため、なんとも判断が付きません。)

いずれにせよ、古今東西すべての国同士の関係を調べたわけではないにせよ、パッと思いつく事例を列挙しても、日米、英米、独仏のように、現在は仲が良い国同士でも、過去に深刻な戦争を経験しているという事例はいくらでもあります。

逆に、日韓関係や日朝関係が非常に悪いのは、両国が本気でぶつかるなどの戦争を経験していない証拠ではないかとすら思えてなりません。

「韓国が憎んでいるのは日本ではなく、日本からの独立を自力で獲得することができなかった彼ら自身の父祖だ」、と語ったのは、かの戦略家のエドワード・ルトワック氏だったと記憶していますが、韓国がことあるごとに反日を煽るのも、彼らの「甘え」の証拠ではないでしょうか?

米越関係はどうなのか?

さて、米国が世界最強の軍事大国であることに関しては、あまり異論のある人はいないと思います。

そして、米国はその圧倒的な軍事力で、歴史上、さまざまな対外戦役に勝利して来ました(あるいは、「米軍は数々の戦争の勝利を通じて強くなってきた」、と述べた方が正確でしょうか?)。

しかし、そんな米国が「勝てなかった戦争」もあります。そのひとつが、ベトナム戦争でしょう。

歴史の教科書によると、ベトナム戦争は明確な宣戦布告などがあったわけではないらしく、このため、正確に「何年何月何日に始まった」という法的な定義は存在しないようですが、「米国のインドシナ紛争への介入」という意味では、1955年ごろに始まったと言えます。

ただ、米国は南ベトナムを支援し、1960年代には北爆が始まるなど、戦争は泥沼化していくのですが、米国の本国では反戦運動も広がり、1975年4月10日のサイゴン陥落により北ベトナムの勝利は決定的となりました。

すなわち、ベトナム戦争は、小国であるはずのベトナムが、ほぼ自力で米軍を追い出した戦争だった、という言い方もできます。しかも、ベトナムは自由・民主主義国ではありません。外務省ウェブサイトによると、ベトナム共産党が「唯一の合法政党」であり、「社会主義共和国」と記載されています。

このように考えると、米越両国は非常に仲が悪い国に違いない、などと思ってしまいます。

なにせ、同じ「自由・民主主義国」同士である日韓についても、おもに韓国側の苛烈な反日感情や非合理な行動を原因として、非常に仲が悪いことを思い起こすと、「過去に戦争をした」、「政治体制が違う」、という点で、「ベトナムでは反米感情が強いに違いない」などと思ってしまいそうになります。

ポンペオ氏、ベトナムを急遽訪問先に追加

ところが、個人的にかなり以前から「ベトナムの反米感情の実態」について調べているのですが、「ベトナムでは反米感情が強い」、「ベトナムでは毎週のように反米デモが行われている」、といった情報には、不思議なほどぶち当たりません。

それどころか、個人の旅行ブログなどを読むと、「ベトナムでは米国に対する反感は強くないようである」、といった記載も多く、また、「ベトナムの反米デモ」などがニュースになったのを見た記憶がほとんどありません。調べ方が悪いからでしょうか?

むしろ「反米デモ」で調べると、韓国でのデモ活動がたくさん出て来ます。

かつて米国を相手に過酷な戦争を経験したベトナムでほとんど反米行動が報告されておらず、米国どころか日本とすら戦争をしたことがない韓国で、反日、反米行動が山のように報告されているというのも、なんだか興味深い話です。

こうしたなか、本日はこんな記事まで発見してしまいました。

米国務長官、アジア歴訪にベトナム追加 韓国は今回も含まれず

―――2020/10/30 09:00付 東亜日報日本語版より

マイク・ポンペオ米国務長官はインドなど南アジア4ヵ国を歴訪中ですが、韓国メディア『東亜日報』(日本語版)の今朝の記事によれば、「当初の発表にはなかったベトナムを訪問国に追加した」としたうえで、「国務長官が歴訪中に訪問国を追加することは非常に異例」と述べています。

東亜日報はこれについて、ポンペオ氏の今回の訪越は同国のファン・ビン・ミン副首相兼外相の正体で実現したものであり、米越外交関係締結25周年を記念するためのもので、あわせて米国務省のモーガン・オータガス報道官は訪越の意義について、次のように述べたのだとか。

両国の包括的パートナーシップの強化と地域の平和、繁栄に向けた共同の約束を再確認するため」。

本来、基本的価値を共有していないはずの米越両国が、「繁栄に向けた共同の約束を再確認する」とは、なかなか興味深い点でもあります。

順調に狭まる中国包囲網

さて、ポンペオ氏のアジア歴訪といえば、中国共産党の機関紙『環球時報』(英語版)、つまり『グローバルタイムズ』が舌鋒鋭く批判した、とする話題を、今週の『環球時報がポンペオ氏のアジア歴訪を強く批判』でも取り上げました。

中国がこのように反発するということ自体、ポンペオ氏のアジア歴訪が中国に対する強い牽制として機能しているという証拠に他ならないのですが(※その意味で、中国とは本当にわかりやすい国です)、日本の菅義偉総理に続き、米国のポンペオ氏がベトナムを訪問することのメッセージは、なかなか強力です。

本来であれば、共産党一党独裁国家という意味では、ベトナムは中国と非常に親しいはずですが、そのベトナムが短期間に日米両国とのハイレベル協議を実施したという事実は、日米が主導する「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の先行きを予測するうえでの、良い材料のひとつです。

その意味では、日本にとっても「地理的に近く、同じ自由・民主主義を採用している(と騙っている)国」よりも、共産党一党独裁など日本と相いれない政治体制を維持しながらも、「話せばわかるような国」とお付き合いする方が、より国益の増進には寄与するのではないでしょうか。

新宿会計士:

View Comments (44)

  • 確かに、他国の支援だよりで、本気で戦わず、休戦協定すら自国で結ばないような国は、甘やかされ過ぎで、いまだに適当なこと言いふらし、おねだりのお代わりしてくる。

    そんな国は、まともな国と区別して扱いたい。
    「り地域」って呼び名好きだったけど、復活しないかな~。

  • ハノイでは、ドルが使えます。ドンがとんでもないケタの通貨になっているせいかどうかは、分かりません。
    ベトナム人は、強かな精神を持っているように思います。中国人より真面目に働くと思います。
    日本で、動物泥棒してる奴らもいますけどね。

  • 「強敵」と書いて「とも」とルビふる世界、ですか
    今世紀末の覇者やいかに…

  • 拳で語り合った者たちだけに生まれる友情、なんてものは国と国との間には存在しないと思いますよ。
    https://tokyo.whatsin.jp/109893

    普通の国なら、利害の対立が話し合いでは解決できないところまで行ったら戦争し、勝者が言い分を通す、それだけのこと。普通の国では。

    中国の場合、何度も異民族に侵略され、征服王朝がいくつもできたわけですが、征服した側が、支配者としての正統性に関する中華ルールを守ったことと、前王朝の統治機構を利用したことで、中華帝国としての一貫性のようなものが継承され、勝者と敗者の立場がハッキリしなかったように思います。

    朝鮮の場合は、その歴史のほとんどが属国でしたから、外交というものが理解できなくとも不思議ではありません。

    ベトナムは中華の周辺国として、何度も侵略を受け、被支配と独立を繰り返しつつ、基本的には民族の自立を保ち続けた点で、朝鮮とはえらい違いですね。

    • 阿野煮鱒様へ

      阿野煮鱒様の鋭さに脱帽です。
      朝鮮勢力を滅ぼす者、それはベトナムであります。(ニヤリ…)

      • 名無Uさん さま
        朝鮮勢力を滅ぼすのは、朝鮮人ニダ。
        一番朝鮮人を殺したのも朝鮮人ニダ。

      • 恐れ入りま… いやっっ! 別に、あ、あ、アンタなんかに、ほ、褒められても嬉しくないんだからねっ!(ポッ) かっ、顔が赤いのは、ちょっと厚着して暑いだけなんだからねっ! 服脱ぐけど、見ないでよねっ!

          • 阿野煮鱒さま
            コメント送信を押してしまう心理が、何となく分かるわ。
            今日で地球が終わる訳じゃないから、大丈夫ニダ。

    • 阿野煮鱒 様

      > 基本的には民族の自立を保ち続けた点で、朝鮮とはえらい違いですね。

       さあ、どうでしょう。
       ベトナムは漢武帝から1885年の天津条約まで、なんやかんやで中華帝国の属国でした。功利的な目的があったにせよ、中華皇帝に朝貢し続け、王の即位でさえ中華皇帝の勅許を得なければならず、中華皇帝の威を借りて周辺国を圧迫し領土を広げていたのですから、高麗朝鮮と大差はありません。そもそも「ベトナム」という国号は清の冊封を受けた際に清の嘉慶帝から下賜されたものです。朝鮮同様、国号すら自国のものを使用していません。君主号も常に「王」であり、皇帝の一つ下、それも皇帝から下賜されたものです。ベトナムが本当の意味で独立国となったのはベトナム戦争以降です。

       遣唐使以前や足利義満の例外はあるにせよ、自らの意思で国号と君主号を定め、中華皇帝への臣従と朝貢を千年拒否した歴史がある日本こそは民族の自立を保ち続けたと言えます。ベトナムには当てはまりません。

  • 韓国人とベトナム人が自国の歴史について議論した所、韓国人がいつもの如く
    火病ったというのがありましたが、歩みは遅いものの、自力で自らの道を
    築いてきた国家と、他国を利用して急速に発展した国家の違いが如実に
    表れていた内容であったと記憶しております。

  • 更新ありがとうございます。

    ベトナムは一党独裁国家だから、全面的にFOIPの仲間、日本の代表的な友邦国という訳ではありません。しかし敵対している訳ではないし、むしろ相手の立場を尊敬し合ってます。米国がわざわざ追加で行くという事は、対中で何か得るものがあったのでしょう。

    ポンペオ長官が行かれるなら、是非ライダイハンの件についても、声明を出して欲しいです。米国主体で戦ったから難しいとは思いますが。彼等が如何に卑劣で、残忍で、戦時売春婦の事をスグ蒸し返しますが、比較出来ないほどの人非人です。

  • > 本来であれば、共産党一党独裁国家という意味では、ベトナムは中国と非常に親しいはず
    ベトナム史を少し見ればわかりますが、ベトナムにとって中国は2000年来の最大の敵です。実際、ベトナム史の記述のうち、かなりの部分を中国との戦争、中国への抵抗が占めています。そんなベトナムにとって、アメリカとの深刻な対立はたかだか20年ほどの出来事に過ぎません。中国こそがベトナムにとって一番警戒すべき相手であるという歴史的経緯は何も変わってないと思います。
    従って、アメリカが中国との対立姿勢を強めれば強めるほど、ベトナムにとっては好ましい相手ということになります。むしろ、アメリカの方がかつての悪夢を振り払えるかどうかが問題で、今回のポンペイオ国務長官の訪越は、ようやくアメリカが「ベトナム後遺症」を振り払いつつあるということであるのかもしれません。

    • ここが、韓国とベトナムの最大の違いです。
      中国から独立しようとしたのか、されるままに従属していたのか。

      • ベトナムは歴代中華帝国の侵攻を何度も返り討ちにしているし
        (元寇では3度攻められて3度とも撃退)、何よりも近代に自分たちの
        手で団結して何かを成し遂げるという事をやっている。
        韓国とは全然違うよ。

        •  中越紛争(1979年)でも、中国軍の侵攻を正面から撃退しているし。しかも、ベトナム側は国境警備隊程度が主力で。朝鮮戦争では国連軍相手に引き分けに持ち込み(犠牲はどでかかったが)、中ソ紛争、中印紛争では負けなかった中国が、小国の台湾とベトナムには負けている。攻めて行くと弱いのが、中国軍の歴史。

  • 自ら立ち上がったこともなく、
    当然自力で独立したこともなく、
    人類に貢献したことも一度もなく、
    ホモサピエンスかどうかも疑わしい。
    そんな劣等感と妬みにまみれた民辱は、
    互いに認め合う対等の関係など結べない。

    それだけのことではないでしょうか。

  •  近代ベトナムは結果だけ見るとアメリカ・中国と大国を直接相手取って退けた凄まじい国ですね。

     さて国というものが多数の人間により成立していて、現代人が社会と経済で以って生存している以上、過去に諍いがあったとしても現在において相互に得があればお付き合いをするのは当然でしょう。中には乗り越えがたいほどの惨劇を経ているものもありますが…社会体制が違っても経済規模が違っても過去に戦っていても、米越がそうなわけでしょう。
     また、付き合うと損になるのであれば付き合わなければよいだけ。隣接していようとです。キューバはどうなったんでしたっけ…完全な無関係にしようとすると偶発衝突もあるし、現代では総力戦クラスの戦争は完全な損になるし、一定の連絡は必要ですが。
     日韓の場合はお互いに得にならない(いやあちらからだけは得か?)上にありもしない「乗り越えがたいほどの惨劇」を妄想されているのでおかしなことになるのだと思います。
     そして各国の対中外交は、相当な損になってでも中国と戦う方がマシという状況になるまで突き進んだら…

  • > 本気で戦争をした国同士ほど、仲良くなれる

     そういう意見もありますが、私は賛同できません。お互い実際には本気で戦争をした挙句、一方を滅亡に追いやって地上から抹殺した例の方がずっと多いからです。
     ペルシャ帝国とギリシア諸国はペルシア戦争を起こし、最後はアレクサンドロス大王がペルシアを併合しましたが、その後もギリシア人とペルシア人は仲良くなれず、両方がイスラムに征服されるまで数百年争ったままでした。
     ローマとカルタゴは三度の死闘の末、ローマはカルタゴを徹底的に破壊。カルタゴのフェニキア人を奴隷にしてしまい、最後はローマ人に同化させて消滅させました。
     戦国時代の秦は長平の大合戦で趙の兵士四十万人を捕虜とし、生き埋めとします。これで趙は衰退してしまい、最後は秦に滅ぼされます。秦は趙を滅ぼす際に首邑・邯鄲の住民を虐殺したり、残党が趙を再興させた時も邯鄲を破壊して瓦礫の山にしたりと徹底的に趙を痛めつけていきます。これが終わったのは秦の地も趙の地も漢の一部になってからです。
     日本も戦国時代は、武将に逆らう者は一切の情け容赦なく、撫で斬りにされたり下人として売り飛ばされたりするのが世の習い。織田上総介信長も例外でなく、石山合戦以来ずっと一向宗の門徒には虐殺を繰り返しました。長島一向一揆では後の長篠の戦いを上回る兵力を動員し、2万人以上の門徒を焼死させてます。それから四百年経ちますが織田氏と浄土真宗は和解しておらず、門徒の中には先祖より伝わる武勇譚を「あの仏敵信長が!」と怒りを込めながら語る人が「現在も」いると聞いた事があります。

     イングランドのライオンハート・リチャード1世とアイユーブ朝のサラディンのように、英雄同士が本気で戦う事でお互いの実力を認め合ったという例はありますが、それは個人的な感情。国レベルで仲良くなるのは共通の利益または補完し合えるメリットを見出せる場合です。日本とアメリカの関係が良くなったのは、アメリカは日本を共産圏の防波堤と農産物の市場に利用でき、日本もアメリカという世界最強の軍と大きな市場を持つ国を利用できるというお互いを補完し得るメリットがあったからです。また、前者はアメリカが欲しくてたまらなかった中国市場をソ連に取られたという事情も考慮する必要があります。もし国民党が共産党を破り、中国を支配したままであれば、日本を市場として重視せず、今のように重視したり友好を保とうとしたりしなかった可能性があります。

     つまり、日本とアメリカが戦争の後で仲良くなったのは、仲良くした方が利益になるという両国の思惑が合致した事、ソ連や中共という共通の敵があった事が理由です。逆に言えば、思惑が合致せずに共通の敵もいなかったから戦前は戦争に至ったのであり、将来利害が衝突したり中国が敵でなくなったりすればまた関係は悪化していくでしょう。

     日本人がアメリカの価値観を好んで受け入れて合致させ、合わなかったところも真似して、武士道や神仏や自然への畏敬畏怖の念と言った、日本が長年培ってきた価値観をあっさり捨てるような節操のない能天気な民族だった事もあるでしょう。アラブ人やイラン人のようにアメリカの価値観がどうしても受け入れられない民族もいるのですが、あれは普通の反応です。戦後の日本人の考え方が異常に能天気なだけです。
     それはアメリカの映画やポスターが示す圧倒的に豊かな生活への憧れが強烈だったからです。
     戦前までの日本人の精神や日本社会にはおかしなところ、理不尽なところが多々あり、これらが戦争に利用されたり関係者が協力したりした事もあって、先の忌まわしい戦争の元凶みたいに扱われ、支持と信用を失ってしまいました。万世一系の現人神がしろしめす皇国の絶対的勝利を信じていたのに敗戦と人間宣言で全否定され、物不足、インフレで生活する事もままならなくなり、物質的にも精神的にも絶望に立たされた日本人にとって、戦時中も食料が溢れる生活を示していたアメリカ映画は生きる希望でさえありました。その豊かさを求めるあまり、日本人の魂とも言える独自の文化や精神を失ってしまう恐れさえ感じなくなります。実際にそれで不自由ない生活を手に入れたため、尚更顧みられなくなり、物質主義や拝金主義が蔓延する事になります。もちろん、これによって豊かな生活を得られたのですから全否定さるものではありません。
     戦後日本の歩みは、あくまで一つの民族のテストケースの一つに過ぎず、日本のように総力戦を経験した国がどれも日本のようになる訳ではありません。同じアメリカの属国ないし友邦国でもフィリピンやトルコは日本のようにならず、キューバに至っては離反さえしてます。ベトナム同様、アメリカとの戦争に至ったラオスは未だに中共の属国から抜けようとしません。

     ベトナムがアメリカと組む事を選んだのは日本同様中共という共通の敵がある事、過去を乗り越えてでも今手を組む事による経済的利益が大きい事が理由です。アメリカと中国が仲良くなる、ベトナムと中共がアメリカを共通の敵とするようになる、という事態になればまた変わってきます。

    • 浅学ものながら謹んでご発言の一部だけ切り取って申し上げます。
      >もし国民党が共産党を破り、中国を支配したままであれば、日本を市場として重視せず、今のように重視したり友好を保とうとしたりしなかった可能性があります。

      思考実験=タラれば議論として、もしも大陸今あるのが中華民国だったら、20世紀後半はどんなものであったかを考えるのはとても興味深いことです。

      核兵器2発を広島長崎に投下して降伏させた日本が統治していた朝鮮半島と台湾島はアメリカにとっては戦利品以外のなにものでもありませんでした。台湾島を戦勝国中華民国が信託統治したのも自然です。半島が南北に分かれたのは醜い仲間割れをいさめる役回りは誰もやりたがらなかっただけのことで線を引いてすみ分けることにすれば当面大丈夫だろうという消極的方便にすぎませんでした。印パ国境の策定を引き受けた旧宗主国イギリスは無慈悲でした。

      興味を感じて台湾縣でなくなったあとの台湾島がどのようにして工業化を成し遂げたのかしらべようとしました。いくつか資料が見つかったのですが、台湾人が戦前日本の資料を読み解き日本語で書いた論文(収録は日本の大学)に得るものが大きかったです。当方の理解によれば、1947年段階の台湾島には工業業界に相当するものはほとんどなく民生向上のため水力発電や炭鉱金属鉱山開発が先行したものの、現地の工業力は萌芽状態に過ぎなかったとのことです。1930-40年本土から最先端工業力の移入が試みられたようですが、戦況悪化に伴い本格操業開始にたどりつかないまま台湾縣廃止となります。台湾島に移入した国民党軍は、主のいなくなった閑雅ものながら謹んでご発言の一部だけ切り取って申し上げます。
      >もし国民党が共産党を破り、中国を支配したままであれば、日本を市場として重視せず、今のように重視したり友好を保とうとしたりしなかった可能性があります。

      思考実験=タラれば議論として、もしも大陸今あるのが中華民国だったら、20世紀後半はどんなものであったかを考えるのはとても興味深いことです。

      核兵器2発を広島長崎に投下して降伏させた日本が統治していた朝鮮半島と台湾島はアメリカにとっては戦利品以外のなにものでもありませんでした。台湾島を戦勝国中華民国が信託統治したのも自然です。半島が南北に分かれたのは醜い仲間割れをいさめる役回りは誰もやりたがらなかっただけのことで線を引いてすみ分けることにすれば当面大丈夫だろうという消極的方便にすぎませんでした。印パ国境の策定を引き受けた旧宗主国イギリスは無慈悲でした。

      興味を感じて台湾縣でなくなったあとの台湾島がどのようにして工業化を成し遂げたのかしらべようとしました。いくつか資料が見つかったのですが、台湾人が戦前日本の資料を読み解き日本語で書いた論文(収録は日本の大学)に得るものが大きかったです。当方の理解によれば、1947年段階の台湾島には工業業界に相当するものはほとんどなく民生向上のため水力発電や炭鉱金属鉱山開発が先行したものの、現地の工業力は萌芽状態に過ぎなかったとのことです。1930-40年本土から最先端工業力の移入が試みられたようですが、戦況悪化に伴い本格操業開始にたどりつかないまま台湾縣廃止となります。台湾島に移入した国民党軍は、主のいなくなった官衙私企業の事務所や官舎職員宿舎に入り込みそれらを接収し私物にしてしまいます。国民党指導部には上海沿岸部およびその後背地において実行中だった工業化計画があった模様です。南京を追い出されたあとは日本がいなくなりもぬけの殻になった台湾島の空を見つめながら、失ったものの大きさを痛感しながら、アメリカから強引な援助を引き出して果敢無謀にも挑戦しようとしました。
      アメリカに頼りながら国土開発を加速する構図は、半島南半分でも台湾島でも、そして日本列島においても、まったく同じでした。同じ構図だった3国が辿った75年はみなさまご存じのとおりです。日本、危ないところでしたね(ぼそ)

      • (2/3ほど繰り返されたようです。面目ないです。黙読編集してください)

    • 前にも述べましたが、負け戦で銃後までもがほぼ極限に近いまでにexhaustし、つまり(心も体も)カラッカラになったところにスーっと自由とか物質的豊かさというものが滲み込んだのだと思います。それでこれらに対する希求が蔓延した。長く続いた窮乏状態に対する反動が大きかったとも言えるし、いざ「鬼畜米英」が来てみたら、豊かだし、食べ物もくれるし、意外と悪くなかったというのが当時の実感だったかもしれません。
      あるいは、悪い言葉で言えば、WGIPも含めてこれ以上ない効率でわれわれは洗脳されたのだとも言えましょう。そして、欧州の国々と違って、日本はこういうことにあまり耐性がなかったのです(なにせ負けたことがないので)。さらに言えば、「潔さ」のような日本的価値観までが作用したようにも思えます。
      とある福岡市民さんの意見にはほとんどうなづけますが、能天気と括ってしまう部分にはやや抵抗があります。

      我々にとって不幸だったのは、このときを逃さず左翼思想が入り込み、広く深く浸透し、戦後70年以上も持続したことだと思っています。昨今、ようやく呪縛が解けつつように見えますが。

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