個人的事情ですが、最近、当ウェブサイトを巡ってさまざまなトラブルが発生しており(※それらの多くは自業自得です)、正直、個人レベルでウェブ評論サイトを維持することに負担を感じているのも事実です。ただ、だからといってべつに、当ウェブサイトは「日本の論壇を担っているのだから国の手厚い助成が必要だ」、などと申し上げるつもりは一切ありません。あくまでもコンテンツ一本で勝負するつもりですが、世の中にはそうではない人たちもいるようです。
目次
ウェブ評論の課題
ウェブ評論を10年続けたこと
先日の『早いもので、ウェブ評論を始めて10年が経過しました』でも報告しましたが、当ウェブサイトの管理人は「新宿会計士」の名称を用いたウェブ評論活動を10年少々続けています。
その際にも申し上げましたが、著者がこのウェブサイトを運営している目的は、「読んでくださった方々の知的好奇心を刺激すること」にあります(実際にそれができているかどうかは別として)。べつに自分自身が実名を使って著名人になるとか、政治家になるとか、大それたことは考えていません。
というよりも、麻生太郎、安倍晋三、菅義偉の各総理をはじめとする政治家のメンタルの強さを見ていると、自分にはとうてい真似ができないと思いますし、真似をする必要もないと思うからです。
この年になって気付いたのですが、政治家・国会議員になることだけが、世の中をより良い方向に変えていく手段ではありません。人にはそれぞれの役割というものがあり、それをしっかりと果たすことで、社会というものはうまく回っていくのです。
(※もっとも、非常に残念なことに、世の中には「国会議員でいること」自体が一種の「利権」のようになってしまっている人たちもいるようですが…。)
このように考えていくと、結局のところ、当ウェブサイトにできることといえば、社会人・金融評論家という立場の「新宿会計士」がさまざまな話題を取り上げ、それらについて「読んでくださった方々の知的好奇心を刺激すること」を目的に文章を執筆することしかありません。
そのうえで、基本的には自由にコメントをしていただき(※)、さらには読者の方々どうしで自由闊達に意見交換をしていただくことで、こうした知的好奇心を刺激する営みを補完していただきたいと考えています(※ただし、当ウェブサイトのコメント基準に抵触した場合には、予告なく削除します)。
個人ウェブ評論「受難の時代」?
このスタイルはこれまでも変えて来なかったつもりですし、今後も続けられる限りは続けたいとは思ってます。
ただし、最近になって、やはり自分自身の独自ウェブサイトを持つことの限界を感じ始めていることもまた事実です。というのも、当ウェブサイトの場合は誰かが作ってくれたフォーマットを使っているのではなく、ウェブの言語を書くところからすべて自分でこなさなければならないからです。
とくに8月以降、システムのアップデートに失敗して以来、緊急避難的にウェブサイトのデザインを大きく変えたのですが、その結果、さまざまな不具合が生じたままだからです。一例を挙げておきましょう。
- 読者コメント機能が思い通りにならない(たとえば過去コメントの検索ページが機能しない、コメントをクリックしてもなかなか表示されない、コメントフォームのレイアウトが崩れる、など)
- ウェブサイトのデザインが思い通りにならない(表を書いたときの色、レイアウトがどうやっても有効にならない、引用ボックスのタグを使ったときにボックスの色を変更することができない、など)
- スクロール設定などがうまくいかない
- …等々。
やはり、世の中のウェブサイトの技術が進化している以上、それらに追いつくためには、最新のウェブサイトの知識をそれなりにアップデートし続けなければなりません。
その結果、当ウェブサイトを運営していると、ウェブサイトに不具合が生じるたびに、場当たり的にウェブサイトの構造を調査したり、対策を立てたりしなければならず、本来の「政治経済評論」の話題探求、読者の皆さまとの対話、過去議論のまとめなどに使うべき時間が捻出できなくなりつつあるのです。
このような手間を考えるならば、正直、大手のウェブ評論サイトからお声がけをいただければ、条件次第では当ウェブサイトを閉じ、そちらに移籍しても良いのではないか、などと考えることがないといえばウソになります。
さらには、今年5月に検索エンジンのアルゴリズムが大きく変わったらしく、個人が運営しているウェブ評論サイトないしブログサイトは大手ウェブ評論サイトと比べ、一律に検索結果の表示順位が下げられた、という話を聞くこともあります(真偽のほどはよくわかりませんが…)。
この点、当ウェブサイトに関しても、アクセス数が今年5月に入ってガクンと落ちたこともまた事実ですし、仲の良い複数のブロガーの方からも、「5月に入ってなぜかアクセスが急落した」という話は耳にします。もしかすると、個人が運営しているウェブサイトには「受難」の時代なのかもしれませんね。
読者の皆さまへのお詫び
ただし、物事は考え様です。
検索エンジンの件に関しては、アルゴリズムも日々進化していると聞きますし、読者の満足度の高い「良い記事」を書き続ければ、再びアクセス数が伸びることもあると信じています(言い換えれば、結局のところ、「良い記事を書き続ける」以外に方法はない、ということでもあります)。
当ウェブサイトを訪れてくださる皆さま方には、まだ当面、ウェブサイトのレイアウト面でさまざまなご不便をおかけすることは間違いありません(とくにコメントの問題は、多くの方々にストレスを与えていると認識しています)。
しかし、こうした問題を乗り越え、当ウェブサイトの運営が安定すれば、結果的には「続けていてよかった」となるかもしれません。その意味では、もう少し頑張り、さまざまな不具合についても何とか解消していきたいと考えていますので、どうかもうしばらく、さまざまなご不便をご容赦くださると幸いです。
補助金ビジネス
補助金をもらうビジネス
さて、どうして唐突にこんなことを書き始めたのかといえば、改めて当ウェブサイトの役割ないし目的を振り返るなか、昨日の『「文化を守れ」?映画への公的助成に対する強い違和感』を自分自身で執筆した際に、ふとこんなことを思いついたからです。
「ブログサイトないしウェブ評論サイトも、立派にわが国の言論空間を担い始めている。その意味では、公共性があるはずだ。政府は個人のブログサイト、ウェブ評論サイトに対し、補助金を支給すべきだ」。
当たり前の話ですが、こんなバカな話は通用しませんし、自分自身でこの文章を書いてみて、「何を甘いことを言っているのか」、と、思わず苦笑してしまったほどです。
当ウェブサイトの場合も、べつに政府から補助金をもらおうとは思っていません。あくまでも、当ウェブサイトに書かれている記事や、そこで交わされている読者同士のコメントを見に来る人が一定数存在することを前提に成り立つというビジネスモデルを変えるつもりはありません。
とても当たり前の話ですが、当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』の場合、「読んでくださった方々の知的好奇心を刺激すること」を「目的」に掲げてはいますが、実際にその目的が達成できているかは、個々の読者の皆さまが判断することであり、国・政府が判断することではありません。
また、多くの方々はお気づきだと思いますが、当ウェブサイトもまた、広告を設置して、広告料を受け取っています(※具体的な広告料の水準は明かせませんが、残念ながら「それだけで生活が成り立つ」というレベルではありません)。
「当ウェブサイトを運営するために、国や地方公共団体などから補助金をもらおう」と思ったことは、過去に1度もありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。
どれだけおかしなことを言っているのか
つまり、そのような視点から、昨日の『「文化を守れ」?映画への公的助成に対する強い違和感』で紹介した映画監督氏の主張をを改めて振り返ってみると、やはり強い違和感が生じてくるのです。
いちおう、当ウェブサイトなりの解釈も踏まえ、くだんの映画監督氏の主張を簡単に振り返っておくと、次のようなことだと思います。
「質の高い映画をミニシアターで上映するという日本の映画文化が危機に瀕している。フランスや韓国のような映画製作者に対する手厚い助成の仕組みが、日本にも必要だ。」
この際、フランスや韓国で、映画製作者に手厚い助成がなされているという話に関して、事実関係は調べていませんが、ここで当ウェブサイトが問題視したいのは、「質の高い映画」に対して「手厚い助成」を出す、という社会的な仕組みが実現可能であるか、という論点です。
パッと思いつく仕組みは、政府(文化庁など)が「日本映画助成局」なる部局を作り、毎年1回審査したうえで、文化庁が「優秀だ」と認めた映画監督に対して「手厚い助成」を実施する、というものでしょう。
ただし、文化庁の職員といえども、しょせんは公務員です。
やはり、公務員が特定のコンテンツ制作者を「優秀だ」と認定し、助成するという仕組みには、どうしても限界があります。
そこでもうひとつ考えられるのは、役所からなかば独立した、「映画文化助成委員会」なる組織を作り、映画人・文化人から委員を選定し、3年に1回、メンバーの半数を入れ替える、という仕組みです。
その際、メンバーは「映画文化助成委員会」側が推薦し、文化庁長官はその推薦に基づいて委員を任命し、この委員会は毎年1回、「手厚い助成」を受ける映画監督を選出して補助金を交付する、というわけです。
あれ?どこかで聞いた構造ですね…!?
いかがでしょうか。
この構造、どこかで聞いたことがありませんか?
そう、「映画業界の仲間内で委員を選定し、映画業界が認める映画監督に対して補助を渡す」、という意味では、「日本学術会議」と構造自体が非常にそっくりなのです。
日本学術会議の場合、「3年に1回、メンバーの半数が入れ替わる」、「入れ替わるメンバーは日本学術会議自身が候補者を指名し、内閣総理大臣が任命する」、という仕組みですが、これは「科学者の集団が仲間内でじゅんぐりに会員を指名している」、という疑いを抱かせるものでもあります。
実際、日本学術会議の大西隆元会長は、同会議の提言がレジ袋有料化のきっかけのひとつであると胸を張ったのですが(『レジ袋有料化も日本学術会議の提唱がきっかけ=元会長』等参照)、これなどさまざまな疑問が提起されている政策のひとつです。
たとえば、経済評論家である加谷珪一氏が2020年7月11日付で『mi-mollet』(ミモレ)というウェブサイト寄稿した『レジ袋有料化の効果に懐疑論が浮上。しかし日本はそれ以前の問題だった』では、次のような指摘があります。
- 「環境省の調べによると、海洋プラスチックごみのうちレジ袋が占める割合は容積ベースで0.3%しかなく、12.7%のペットボトルなどと比較するとゼロに近いのが実態。本当にプラスチックごみをなくすことを目的にするのならペットボトルへの対策が必須となるはずだが、現実にそうした動きにはなっていない
- レジ袋は石油精製時に必ず発生する副産物であるポリエチレンを使用して生産されており、環境負荷が小さい。もともと捨てるはずのポリエチレンを使用するレジ袋の代替として、石油由来の素材を使ったマイバッグを生産すると、逆に石油の消費が増えてしまう可能性もある」
余談ですが、国からおカネをもらいながら、結果として日本のためにならない提言を行っているのだとしたら、この日本学術会議という組織自体、果たして日本という国に必要なのかという疑問を抱くことは自然なことではないでしょうか。
公共放送騙るNHKも同じこと
この点、日本学術会議法には、次のような前文が置かれています。
「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」
はて。
現在の日本学術会議は「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って」、「人類社会の福祉に貢献」し、「学術の進歩に寄与」しているものなのでしょうか。
それを判断するのは、日本学術会議の側ではありません。選挙を通じて選ばれた国民の代表者である国会議員や日本政府であり、もっといえば、究極的には私たち有権者です。
つまり、この日本学術会議の件は、「学術の進歩に寄与すること」を使命としているはずの組織が、本来の使命を果たしているのかどうかという点が疑問視されている問題だ、と言い換えることができるのです。
これを総合すれば、架空の「映画文化助成委員会」、実在の「日本学術会議」には、「私たち国民からなかば強制的に徴収したカネが、事実上、仲間内で決められて使われる」という共通点があるように思えてなりません。
では、「広く国民からカネが徴収されて、何らかのコンテンツ制作に流用されている」という究極形は、いったい何でしょうか。
いうまでもありません。NHKです。
日本の法律では、テレビを設置した家庭や事業所はNHKと受信契約を結ばなければならないと定められており、NHKの受信契約では、毎月1225円をNHKに支払う必要があります(※ただし、地上波のみの契約者が口座やクレジットカードで支払う場合の金額)。
ちなみに先月の『「金融資産1兆円以上」のNHKが月額35円値下げ』でも報告したとおり、NHKの受信料は今月から月額35円引き下げられていますが、金融商品だけで1兆円を超える資産を保有し、超高給取りの職員を雇っていることを踏まえると、国民にケンカを売っているとしか思えません。
ちなみに当ウェブサイトではこれまで何度も報告してきたとおり、「そもそも現代の日本に公共放送が必要なのかどうか」という論点もさることながら、「その公共放送を担う組織として、NHKが妥当なのか」、「受信料水準は妥当なのか」、などについて、疑念を呈してきました。
- ①現代の日本社会に公共放送というものは必要なのか
- ②公共放送を担う組織として、NHKは適切なのか
- ③そもそも受信料制度自体が妥当なのか
- ④NHKの現在の受信料水準は妥当なのか
- ⑤1兆円超の金融資産などはNHKの経営に必要なのか
もちろん、「災害時などを想定し、公共放送が必要だ」と主張する人はいて、それはそれで合理性はあるのですが、こうした意見を述べる人は、得てして「それでは災害時に実際にNHKが私たちの役に立ったのか」、という疑問には答えてくれません。
(※個人的な疑問ですが、NHKは災害時に役立っているどころか、むしろ災害報道で報道ヘリをバンバン飛ばすなどして、現場の支援活動を妨害している側ではないか、とすら思えるのですが、いかがでしょうか。)
補助金は利権化する!
さて、くどいようですが、当ウェブサイトを運営するにあたって、さまざまな課題があることはたしかですが、ただ、基本的には国の補助金などを当て込んで生きていくつもりはありません。もしも当ウェブサイトの運営に国からの補助が出るとなれば、その時点で、それが利権化してしまうかもしれないからです。
あるいは、「国からの補助」が「ウェブサイト運営の独立性を損ねる」のならば、NHKのように「インターネットを所有しているすべての家庭・事業所からのインターネット接続料金」をプールし、そこからウェブサイトの更新頻度などに応じておカネをもらう、というかたちにしてもよいかもしれません。
あたりまえですが、そんな構想を実現しようとしたら、皆さまは猛烈に怒るでしょう。
NHKがもし、民間企業だったとして、「受信料」制度がなかったとしたら、現在のような番組、コンテンツなどを作り続けていたとしたら、職員1人あたり少なくとも1550万円を超える異常に高額な人件費を負担することなどできないでしょう。
要するに、NHKが1兆円を超える金融資産(※年金資産を含む)を抱え、職員への異常に高額な人件費を発生させているのは、間違いなく現在の受信料制度に問題があるからです(それにしても国会は、NHK職員に対する異常に高額な人件費などを、なぜ問題視しないのでしょうか?)。
その意味では、日本学術会議の問題が突破口となり、それをきっかけにして、NHKを含め、わけのわからない利権構造に続々とメスが入るという展開を期待したいところでもあるのです。
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どんな事業でも補助金を成立させるには
1.必要性があること。
2.効果が期待され、後に確認できること。
3.公益性があり、社会に還元されること。
4.以上を満たすことで、納税者の多くが納得できること。
が必要でしょう。これらを満たすためには、結果的に大衆に媚びたり政府・行政に忖度したりすることになると思いますが。鬼滅ヒット=大衆を叩いた手前もあり、孤高の芸術家に近い映画監督にそんなことができるのでしょうか。
世間でもあいちトリエンナーレで「メッセージ(政治的過ぎで公平性が無い)が込められた芸術作品(質が酷い)」への助成の妥当性について大荒れしたばかりだし、世間の目は厳しいと思います。自費でやれで振り出しに戻る。
あ、農業は新規にしろ継続にしろ結構色々頂いてます、本当に有難うございます。ちゃんと上記の要件は満たしてますよ。
話はちょっとズレるのですが
>当ウェブサイトに関しても、アクセス数が今年5月に入ってガクンと落ちたこともまた事実です
こちらにうかがうことになったのはグーグルのピックアップに引っ掛かったからです
今年になってからは引っ掛かっかることが少なくなり
ご指摘の5月以降は皆無となってしまいました
何らかの陰謀? w
独断と偏見です。
NHKの存在意義とは?
災害時の情報伝達手段:現在では、民放、SNSなど複数の情報入手ルートが有るが、各県に支局を持つNHKは、有用である。
通常放送として:公共放送ならではのコンテンツが殆どない。バラエティ、ドラマなどは、民放で十分。政治的に偏ったドキュメンタリーなどは、害悪である。放送法に悖る。
受信料について:視聴したいと言う視聴者とのみ、契約を締結すべし。さもなくば、スクランブル化すべし。災害時については、スクランブル解除し、万民に情報提供すべし。
経営形態:国営とすべし。政治的に偏った放送を継続するならば、民営化すべし。
管理人さんの「苦衷」、お察し致します。www
率直に言って、最近、話題が特定テーマに偏りすぎではないですかね?アクセス数を評価指数とする限り、人気の特定話題に絞られてくるのはやむを得ないのでしょう。しかし一方で、それに安住すればこの場がマンネリ化しやすく飽きられてしまいます。読者の知的好奇心を満たす新規テーマを発掘・提供し続けるには相当の努力が必要なのでしょう。でもそれを怠ればこのブログの存在意義も薄れる気がします。もっとも、特定話題偏重でも時を経るに従って議論が深まっていくのであれば新たな興味も湧くというものですが、いつまで経っても同工異曲の内容では発展性がないですよね。
NHKに限らず、報道機関が持っている最大の利権は「報道することを取捨選択する権利、あるいは報道しない権利」だと思います。この乱用を防ぐ方法は、情報の多チャンネル化と競争原理ですが、民放は企業スポンサー本位ですので、競争原理が働かなくなる危険性が高いです。例えば大スポンサーが「この不祥事を報道したらもう貴局にはコマーシャルを一切出さない」と圧力をかけた際に、それを押し返せる気骨のあるメディアが今の日本にあるでしょうか?
既存メディアの範疇のなかで多チャンネル化を模索するとすると、視聴者が直接スポンサーであるNHKが民放の偏りを補完する役目を期待されます。残念ながらNHK自身の自覚不足によって、いまはその別視点を提供するという立場を十分に発揮できているとは思えませんが、NHK自身に存在の意義はあります。いや、ありました、と言うべきでしょうか。
情報の多チャンネル化という意味において、ネットが既存メディアを補完しきれるのであれば、NHKにのみ頼らずともよいという事になります。NHKが消え去る必要はないにしても、徐々にその重要性は減っていくと思います。
日本学術会議については、その内部からも「自由を保つなら独立採算にするべき」という声が上がっていると聞きます。よく引き合いに出される海外のアカデミーも、政府に資金を全額依存するものではないという認識も一般層に広がってきました。日本学術会議の予算の半分以上が事務費であるとも報道されています。親方日の丸でなく、自分で費用を分捕らなくてはならないことになれば、ここにも競争原理が働き合理化が進むことが期待できます。
会計士様
お世話になります。心が折れそうになるのは、拝見していてよく分かっているつもりです。「アクセス数が今年5月に入ってガクンと落ちた」。そうですね。
またそのあと夏過ぎぐらいから、近日に至るまで、読者の投稿数が減っていると思います。土曜日、日曜日の会計士さんの論題が少ない日は、逆に以前なら100本前後のコメントがあったように思います。
やはり私のような、いやもっと熱心な方は大勢いらっしゃいますし、コメントを残されてますが、検索エンジンのアルゴリズムが大きく変わった事で、個人が運営しているウェブ評論サイトは大手に比べ、検索結果の表示順位が下げられたのかもしれません。
大手に依頼すればかなりラクになるとは思います。あまり負担を感じないようにされた方が、結果としては良いと心配してます。
お疲れ様です。
カルチャー方面の助成金の話、映画業界(の一部の方)は海外のを引き合いに出しましたが
そういう助成金って、有形・無形文化財にまでは昇華されていない状態の中で
内内向けの創作活動に対してポンと出されるなんてケースは海外にあるのでしょうか?
世界展開とそこから観光誘致を目指すなど、国益につながる明確な目標があってこそ援助されるもので、海外のも同様だと思っていたのですが・・・。
(韓国の場合は態度を見るに、国の知名度自体の問題があるので知名度アップ=国威向上というのが主目的のように見えますね)
なにかと反発の声が上がるクールジャパン戦略なんて分かりやすいですよね。
この戦略にはちゃんと映画作品も含まれておりますし、別に戦略に入ったからといって政府によって表現が制約されるわけでも無いのですから、もっと積極的に関わるように動けばまだ助成金が出る可能性は高いのに
逆に官僚や利権がどうのと拒絶している始末。
悪いですけどそれは流石に無いんじゃない?と思ってしまいます。
どうしても補助金が欲しいなら、日本映画界は文句を垂れる前に
せめて「質が高い映画とは一体何か」という部分をもっと明確に説明することから
始めては如何か、と思う次第です。
ちなみにブログは助成金が貰えるのかについてですが
確かに今のままでは貰えないでしょうが、このサイトがどの国の人からでも気軽に参加でき
国際的に価値のある世界有数の優良議論&文化交流サイトになり、それをスマートに管理する土台を世界に主導して発信し、日本における言論文化の良い特徴だと海外からの声によって認められたら(ココ重要)
政府は喜んで「日本モデルのWeb言論文化」枠を作り、助成金を出すかもしれません(笑)
もちろんこれはパッと頭の中で出てきただけの無茶な話ですが
まともなサイトを運営すれば人が集まるだけでなく助成金も出るとなれば
アクセス炎上目的だけの粗雑なサイト(=世の混乱)も相対的に減っていくでしょうから
そこから最終的に国益へ繋がるよう、何かしら明確に証明できる要素さえ提示できれば
将来的に可能性は無いことも無いのではと思います。
ひさしぶりに投稿させていただきます。トピズレかも知れませんが、どなたか昨日(10月28日水曜日)の「ミヤネ屋」をご覧になった方はいらっしゃらないでしょうか?今年の10月11日にイギリスのBBCで放送された「THE MOLE」というドキュメンタリーの特集がありました。北朝鮮の国際的な兵器取引のネットワークに潜入取材を行ったもので、まさに驚天動地の内容でした!
北朝鮮関連の特集にはよく出てこられる龍谷大学の李相哲教授、元国連安保理の古川勝久氏がコメンテーターとして出ておられ、特に古川氏は「CIAがやる仕事を民間人がやった」「疑う余地の無い事実が文書ではなく映像として捉えられている画期的内容」「アカデミー賞を取らせるのならまさにこれだ!」と大絶賛。私も「これは天地がひっくり帰るほどの大騒ぎになるぞ!」と確信しましたが、今のところどのニュースも新聞もウェブサイトも取り上げていません(涙)。あまりにも衝撃的な内容だったので、話題の少なさにびっくりしています。このドキュメンタリー、皆様も気に留めておいてください!
動画を検索して、見ることができました。
北朝鮮が外貨獲得のために武器を国として売っている証拠映像でした。
侮れない国ですね。
>科学者の総意の下に
自分が一番引っかかるのはここですね。日本国憲法第一条ぐらい引っかかりまくり。
>さらには読者の方々どうしで自由闊達に意見交換をしていただくことで、こうした知的好奇心を刺激する営みを補完していただきたいと考えています
これはもう逆になってるんじゃないですかね。面白いツッコミを見たくてネタを提供している、と。じゃなきゃ長く続かないと思いますが。
ウェブサイトの運営にまつわりご苦労されているとの由、当方もいちおう同業?なので「その気持ちかなり分かります」と申し上げたいです。
突然のアクセス数減少は、書き手側が特に何かを変えているわけでもないなら、恐らくグーグル側の何らかのアルゴリズムの変更というのは事実なのでしょう。
ちなみに検索上位にグーグル様にランクしていただく要素には、「記事の質」というのもあるらしいですが、これなどどうせロクでもない原理でグーグルAIさまが判断なさっているのだろうなと勘繰っています。その手のことをあまり気にしていると、グーグルに頭の中まで支配されてしまい、書き手のもっとも大切な「自由闊達な記事の質」が損なわれてしまうのでは?と危惧します。
とはいえ、SEO(search engine optimization)も考慮しないことには検索上位にランクしていただけない現実もあり、特にこちらはアフィリエイトもついでにやっておられるので悩ましいところでしょう。私もブログを始めたころ、個人ブログの世界が検索順位という要素を盾にグーグルにすっかり支配されていることに憤りを感じ、そのあたりのことを記事にまとめようと意図したのですが、能力不足で実現できずに今に至っています。
とりとめのないことを書きましたが、最後に「グーグルが個人ブログの世界(だけでなくネットの過半)を支配する現状は、言論の自由に影響を及ぼしかねない由々しき事態である」とごまめの歯ぎしり的一言を付け足しておきたいと思います。