明日で6月も終わります。ということは、早いもので、もう今年は半分が過ぎてしまったわけです。思い返せばこの半年、コロナに明け暮れコロナで潰れた日々だったように思えますが、テレワークなど、社会自体を効率的に動かそうとする機運が高まっていることは僥倖でしょう。こうしたなか、この半年間の総括のひとつとして、本稿では改めて新聞、テレビの苦境について簡単に振り返っておきたいと思います。
目次
もうすぐ半年
コロナに明け暮れコロナで潰れた約半年
早いもので、もうすぐ6月が終わります。今年も半分が過ぎた、ということですね。
武漢コロナ禍のためでしょうか、今年はとくに時が過ぎるのが早いという気がしてなりません。そして、この半年間で、街の光景もずいぶんと変わりました。街を行く圧倒的多数の人々が口元にマスクを着用しているのです。
こうしたなか、個人的な近況の報告です。昨日、某大手ドラッグストアチェーン店で、洗って何度も使用できるマスクを購入しました。ほんの2ヵ月前だと、マスク自体が手に入らなかったことを思い出すと、ずいぶんと大きな変化です。
この点、安倍総理が音頭を取った、いわゆる「アベノマスク」を巡っては、たしかにさまざまな混乱があったことは事実です。しかし、この配布によって、買占めによって値段が吊り上げられていた衛生マスクの価格が暴落し、市中にマスクが出回るようになったのだと思います(※この点、異論は認めます)。
その意味では、マスクの流通がやっと正常化しつつあることについてはホッとしていますが、それでもまだ当面、マスクを着用しての外出を余儀なくされる局面が続きそうであるという点については、少々ウンザリしてしまうのも事実でしょう。
テレワークは普及するのか?
もっとも、武漢コロナ禍自体はたしかに不幸でしたが、それと同時に、私たちの経済にもさまざまな変革をもたらしていることは事実でしょう。その一例が、出張や飲み会の削減です。著者自身が勤務する会社でも、これらが激減しました。そのかわり、最近ではもっぱらテレビ会議を好んでいます。
この点、テレビ会議にすれば、いちいち先方のオフィスを訪問しなくても(あるいは先方にご来社いただかなくても)、遠隔地で会議ができます。接触を減らすだけでなく、移動時間も節約できるなど、一石二鳥です。
さらには、これを突き詰めていけば、条件次第では「テレワーク」ももっと普及するように思えます。実際、個人的な知り合いが経営する中小企業の事例では、すでに従業員全員にノートPCを貸与し、日々、リモートで仕事をしてもらうように切り替えたそうです。
この知り合いは「従業員の皆さんに、いちいち通勤してもらわなくても良い」ということに気付いたらしく、ためしに武漢コロナ禍が収まっても、しばらくはこのテレワークを続けるつもりだと言っていました。
1日往復2時間かけて通勤し、7時間勤務(+昼休み1時間)する人がいたとすれば、この人は毎日、会社に10時間拘束されている計算です。しかも、往復2時間の通勤で、たいていの人は疲弊してしまいます。
しかし、在宅で7時間勤務(+昼休み1時間)に切り替えれば、単純計算で往復の2時間が浮くわけですから、もしもこうした働き方ができるのであれば、従業員にとってもハッピーです。
もちろん、「条件次第では」という言い方をしたのは、次のとおり、実際にはテレワークが機能し辛いケースもあるからです。
- 子供の世話をしながら勤務しなければならない
- チームで仕事を進めなければならない
- 営業職など、職種がら自宅勤務に馴染まない
このあたり、いかに効率良く働けるようにするか、社会全体として試行錯誤を繰り返していくしかないように思えます。
マスメディアは衰退産業
新聞不況がこれから本格化へ
さて、もうひとつ、武漢コロナが大きく変えつつあるのが、社会全体の既得権でしょう。
当ウェブサイトとしては、これまで、「武漢コロナで破壊されるであろう既得権益」の代表例として、次の3つを列挙して来ました。
- 紙媒体の新聞(とくに全国紙)
- 地上波テレビ(とくに民放)
- 特定野党
「特定野党」については別稿でいずれまた取り上げたいのですが、ここでは前2者について考えてみましょう。
現時点であまり確たることを申し上げるのは適切ではないのかもしれませんが、あくまでも個人的な主観を交えて申し上げるならば、コロナ禍はマスメディアの苦境を加速させたのではないかと考えています。とくに、新聞、テレビを中心とするマスメディアについては、おそらくその苦境はこれから本格化します。
というのも、以前の『テレビの三重苦:視聴者、広告主、クリエイター離れ』や『産経記者「共同通信は毒水を流すインフラ屋」と苦言か』などでも紹介したとおり、マスメディアは読者・視聴者離れ、スポンサー離れ、記者・クリエイター離れという「三重苦」に直面しているからです。
このうち新聞については、『チラシ減:コロナ騒動は新聞業界にとどめを刺すのか?』などでも触れたとおり、武漢コロナ禍の影響もあり、「折り込みチラシの激減」という影響を通じて、新聞社の経営を足元から揺るがし始めているようです。
もともと経営環境の悪化が続いていた新聞業界は新たな試練を迎えた格好ですが、武漢コロナ禍の影響で広告主も冗費を垂れ流すわけにはいきませんし、一般消費者としても生活費を削るならば新聞がそのターゲットとなっても当然でしょう。
地上波テレビはどこに行く?
さらに状況が深刻なのは、テレビです。
もともと、さまざまな調査では若年層ほどテレビを見ない傾向が示されていたのですが(たとえば『インターネットに完敗する新聞、視聴者が高齢者に偏るテレビ』等参照)、その理由としては、おそらく若年層ほどインターネットへのアクセスを持っていたからだ、などと説明されることが多いようです。
しかし、たとえば武漢コロナ禍の影響でテレワークが進み、平日の日中に在宅する人が増えたことで、これまで日中にテレビを視聴する機会がなかった現役世代の人々が地上波テレビを視聴するようになり、そのあまりの低レベルさに驚いてしまった、という可能性はあります。
実際、ツイッターなどでテレビ局のおかしな番組に関する告発はかなりありましたし(※このあたりはあくまでも主観です)、なかにはそうした反応を見て、ほかのテレビ視聴者も「やっぱり地上波テレビっておかしいよね?」と気付くようになった、という側面もあるのかもしれません。
すなわち、あくまでも仮説ですが、もともとテレビは「見ない人との戦い」を余儀なくされていたところ、武漢コロナの影響で一時的にテレビを見る人が増えたものの、そのことによって却って地上波テレビが視聴者の信頼を失ったのだ、という説明は成り立つでしょう。
もちろん、こうした仮説が正しいのか、間違っているのかについては、残念ながら今すぐ検証することは難しいのが実情です。今後は上場民放各局の四半期決算なり、漏れ伝わるさまざまな調査なりを研究しながら、少しずつ分析を進めていくしかありません。
しかし、おそらくここで示した内容については、そう大きく実情から外れているものではないと思います。
イラネッチケー問題
こうした中、昨日の『NHKは日本に必要か~最新財務諸表分析から考察する』では、「イラネッチケー」と呼ばれるフィルタを実装したテレビを設置した事例で、東京地裁が「NHKと受信契約を結ぶ必要はない」とする判断を下した、とする話題を紹介しました。
これについては読者コメント欄でも「素人では改造できないよう、テレビの中に組み込まれた状態」だから勝訴となったのではないか、といったご指摘を頂きましたが、いろいろ調べてみると、かなり特殊な事例だったようです。
それに、この判決自体が地裁レベルのものであるという点を踏まえるならば、これから上級審でひっくり返る可能性はまだまだあります。まだまだ油断はできません。しかし、少なくとも「NHKにカネを払わない」ための選択肢が、私たち消費者の側にまたひとつ増えたことは、歓迎すべきことでしょう。
こうしたなか、昨日は「どうしてもNHKに受信料を払いたくない場合に消費者が取るべき行動」として、次の3つを列挙しました。
- ①テレビを買うがNHKとの契約を拒絶する(あるいは契約するが受信料を払わない)
- ②テレビを買うが「イラネッチケー」を組み込んでNHKだけ視聴できない状態にする
- ③そもそも地上波が映らない「モニター」を買う、あるいはテレビそのものを購入しない
このうち①については、解釈次第では明らかな違法行為であり、NHKから訴訟をチラつかされる可能性がありますので、あまり現実的ではありません(※すくなくとも当ウェブサイトとしては読者の皆さまにお勧めするつもりはありません)。
一方、法的にまだグレーではありますが、②の選択肢だと、NHK「だけ」視聴できない状態を作り出すことができます。もし東京地裁の判決が最高裁などでも確定すれば、この②の選択肢が、「合法的にNHKと契約しない方法」のひとつとなることは間違いありません。
ただし、現時点において個人的に一番スッキリするのは、やはり③の「面倒臭いからいっそのことテレビそのものを買わない」という選択肢でしょう。
当ウェブサイトの読者の皆さまのなかで、「地上波テレビはつまらない」と感じている方がいらっしゃるならば、思い切ってテレビなど捨ててしまうことを強くおススメします。地上波テレビの視聴をやめれば時間も浮きますし、NHKの受信料も不要になりますのでカネも浮きます。
また、「地上波テレビは見たくないけれども、どうしてもYouTubeやNetflixなどについては視聴したい」という方は、テレビチューナーを内蔵していないアンドロイドTVなどを買い求めるのが良いのではないでしょうか(Tverなどを使えば限定的に民放を視聴することも可能です)。
民放にとって嬉しい選択肢とは…
さて、昨日の繰り返しです。
本来、NHKの受信料問題は、民放各社にとっては非常に深刻です。というのも、もしも世の中で「NHKに受信料を払うのが嫌だ」と感じている人が増えてきて、しかも上記③の選択肢を取る人が増えてくれば、テレビ業界自体がますます苦境に陥るからです。
その意味で、NHKは民放各社を道連れにして、テレビ業界全体を涅槃の世界にいざなおうとしているのです(個人的には、それはそれで興味深い現象だと思いますが…)。
逆にいえば、民放各社にとっては、上記①~③のなかで「視聴者に取ってほしい行動」とは、間違いなく①か②でしょう。とくに、②の「NHKだけ映らない状態のテレビ」が法的にも「NHKと契約義務が生じない」と確定すれば、これが普及することで、民放各局はNHKとともに沈むリスクを避けられます。
だからこそ、地上波テレビは「イラネッチケー」に声援を送らなければならないはずなのです。
ただし、地上波テレビを巡っては現在、主な収益源であるはずのテレビ広告自体、業界としての成長率が事実上のゼロ%(!)という状況が、少なくとも20年間続いています。「NHK受信料問題」を契機とした視聴者離れを一時的に食い止めることができても、収益は先細りであるように思えてなりません。
このように考えていくならば、いっそのこと、民放各社はNHKが得ている受信料の一部を還元させるよう、法改正を促す番組を作って垂れ流すようになるのかもしれませんね(笑)
保護産業は衰退する
さて、古今東西、保護されている産業というものは、たいていの場合、衰退する運命にあります。
個人的な主観で恐縮ですが、日本で仏教が「葬式仏教」と化して衰退しつつある最大の理由は、おそらく江戸幕府がお寺を「檀家制度」で保護したからではないかと思います。現在、全国各地のお寺には(なぜか)墓が併設されていますが、これなど「葬式仏教」の典型例でしょう。
宗教を「産業」にたとえるのは不謹慎だ、というお叱りがあるのは承知していますが、産業セクターとして見て、日本において仏教が今後栄えていく可能性はあまり高くないように思えますし、それどころか少子高齢化が進めば、「墓じまい」をする家庭も増えて来る可能性があります。
おそらく今からほんの50年後には、経営難もあり、都心部の寺などを除き、日本全国から消える寺が続出する可能性すらあると思うのですが、これなど、江戸時代以降400年続いた葬式仏教の弊害ではないでしょうか(このあたり、機会があれば別稿で議論します)。
地上波テレビや新聞もこれとまったく同じことで、やはり、地上波テレビは電波利用権、新聞各社は再販価格維持や消費税の軽減税率などの制度でガチガチに保護されているがために、衰退産業化しているのではないでしょうか。
武漢コロナ禍はこれらのメディアに引導を渡す役割を担うのかもしれませんが、べつに武漢コロナ禍が発生していなくても、いずれマスメディア各社の経営はどこかで曲がり角を迎えることになっていたのかもしれないと思う今日この頃なのです。
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武漢肺炎が新聞の販売減に直接つながっている部分もあります。
先日定期検診に行った歯科医でも、他の病院/調剤薬局でも、待合室の新聞や雑誌が撤去されていました。武漢肺炎対策の一環です。
こうしたところに置かれていたのは、不思議と朝日新聞/毎日新聞が多かったのです。押し紙の一種でしょうか?
同様の動きが全国に広がっているなら、それだけで数万〜数十万部減ですね。
> 日本で仏教が「葬式仏教」と化して衰退しつつある最大の理由は、おそらく江戸幕府がお寺を「檀家制度」で保護したからではないかと思います。
まっさん(さだまさし)の小説「解夏」にこんな一文がありました。
「檀家仏教は徳川さん以降ですな。安定と堕落は同居しとるってことですたい」
現実問題として、檀家さんがいなければお寺は維持できず、住職の跡を継ぐのも弟子よりは息子か婿の方が確実性が高いのですね。しかしそれが日本の仏教を変質させ、葬儀屋に変えてしまったのです。
本来仏教は立派な寺など建てずに沙門が林の中に住み(林住)、「たしの葬儀に関わるな」とブッダ自身が言うようなものでした。日本の仏教とはかけ離れてますね。
イーシャ 様
そりゃ、病院やクリニックの待合室はコロナが存在する可能性高いですし、待合室の新聞雑誌なんてコロナの温床ですから。月刊誌なんていちいち消毒なんてしませんし。
元々サービスの一環で置いてたのですけど、撤去しても不満が出てないという事は、もはや患者さんに必要とされなくなってた、という事なのでしょうね。患者さんの激減で苦しむ病院やクリニックにとっては経費も削減できて一石二鳥です。
あとは図書館が撤去してくれるといいいのですけどね。コンビニにも置いてる新聞を公立図書館や学校の図書館が定期購読する合理的な理由はありません。大きな公立図書館にはしんぶん赤旗もありますけど、あれが日本共産党に対する事実上の政党助成金になってます。
とある福岡市民様
>あとは図書館が撤去してくれるといいいのですけどね。
とある福岡市民様の論点とはズレてるかもしれないけど、資料収集自体に意味があると思うのです♪
むしろ刊行物以外のネット情報の収集も進めるべきだと、あたしは思うのです♪
国会図書館法だったと思うけど、刊行物の納書が義務化されてるみたいに、有料サイトなんかの情報も収集出来るようにするのが良いと思うのです♪
ただ、市立みたいな小さな図書館は資料収集よりも、蔵書提供が主な意義だから何でもかんでも定期購読はしなくても良いかもなのです♪
とある福岡市民 様
新聞や雑誌も「そこにあるから手に取る」程度の需要だったのでしょう。
今は、不特定多数が触れる物には、できるだけ触れたくない人も多いでしょうし。
私は、待合室では椅子に座るのも避けて、人が少い場所に立っています。
ブログ主様
後半のマスコミは衰退産業、という部分にかこつけてちょっと持論を展開させてみます。
お隣との交流に関して、人、物、お金という分類をされていらっしゃいます。ここに情報という切り口を入れると面白いと思うのです。ただ、分類としてMECEではなくなる面があるので、あくまで切り口という感じが良いと思うのですが。情報戦と言ってもよいかもしれません。
まず、お隣は日本のマスコミに対して相当な影響力を持っている。それに対して日本側の正当な発信は話題にはなることがあるものの、ちゃんと取り上げられているとはいいがたい。この非対称性。
観光。人自体が行き来するので人の交流でもあるのですが、向こうに行って見聞きすること、こちらに来て見聞きすること自体が情報戦と言えます。軍艦島の件が良い例です。
教育。互いの歴史認識は異なっているのですが、日本は先方の言い分を聞きつつ(認めるとは言ってません)、反論しているわけですが、向こうは聞くことすらない感じです。(ここには反論があるかもしれません)
人、物、お金と違って情報は規制しにくい面がありますが、日本は十分対策できているとはいいがたい状況です。その意味でも、人、物、お金、情報で検討していくべきと考えています。
>この配布によって、買占めによって値段が吊り上げられていた衛生マスクの価格が暴落し、市中にマスクが出回るようになったのだと思います
これを検証することこそ、ジャーナリズムの使命だと思うのですがね。やっぱり、だめでしょねぇ。
テレビに関してはもっと単純に、「最新の情報が手に入らないから」という理由があると思います。テレビをつけても再放送、傑作選、あの〇〇をもう一度…新しい情報はほとんどありません。ひどいとTwitterやYouTubeの転載であり、地上波まとめサイトと揶揄される有様です。
もちろん新しい番組を制作・取材できない、という理由もあるとは思いますが、そのスピードを上げるためにネットの情報を率先して引用するのは本末転倒です。だったら最初からネットの情報を直接見た方が早い、というわけで、こちらのサイトに辿り着いている方々も多いと思います。私もその1人です(笑)
最近はいわゆるゴールデンタイムのテレビ番組中にも、昼ドラの間に流れているような通販系のCMが増えたように思います。
完全な見当違いなのかもしれませんが、かつての大得意先だった大手企業がCMを出さなくなってきた証拠なのかと、一人勝手に得心した次第です。
更新ありがとうございます。
私事ですが、長男は7月末までリモート勤務😀。で、お盆挟むから8月20日までリモート。で、会社は来年度は週2日の出勤、残り3日はリモート(笑)。会社はパソコンとスマホを会社が貸与。「この4か月でやって行けるメドが立ったと」社長さま。
長男「勤務中は、電話かかってくる事があるから、煩わしい」ハア?それぐらい大した事ないやん!情報システムデザイン科とからしいから、テレビ会議や取引先とも会う必要が無いそうです(なんか、ドライだね笑)。
マスメディアが衰退産業なのは、もう皆さん見えてるでしょう。紙媒体の新聞(とくに全国紙)、地上波テレビ(NHK、民放)。年寄り居なくなったら、ほとんどの人は誰も見向きもしませんよ。
あと、リモート勤務が出来ない職種のうち、医療やら特殊なもの以外、例えば接客を要する業種は駄目になると思う。ヒトが集まってはいかん。(笑)
マスメディアは確かに衰退してはいますが、保護されている間は消滅はしないとは思います。
仏教も形骸化してはいますが、日本人の習慣に染みついている部分も大きいですし、どこかの分派は政権与党に取り憑いています。
少子高齢化によって、地方は将来的に消滅の危機にあります。
これは仏教界やマスメディアだけでなく日本全体の問題です。
ですので仏教問題はこれはこれで各氏の文化論が拝見できそうなので楽しみですが(既に上でとある福岡市民様が少し書き込まれてますね)、少子高齢化問題も取り上げて頂けると幸いです。
中韓においては日本よりも甚しい様で、韓国の少子高齢化は楽韓web様が時々取り上げられてます。
もしかしたら文大統領が南北統一に固執するのはそうしないと韓国が自然消滅する危機感を抱いた部分もあるのでしょうか。
議論の飛躍失礼しました。
徳川幕府が檀家制度を始めた理由は、キリスト教を禁止するためでした。仏教の保護と言うより、民衆の身元保証と戸籍管理の代行を寺院に行わせる目的でした。結果としては仏教保護になってしまいましたけど。生臭坊主といわれるくらいで、遊郭へ出入りする僧侶は珍しくなかったそうです。
江戸時代の仏教は神仏習合の状態にあり、今日のように神道と仏教が別々の宗教法人に別れてはいませんでした。庶民の娯楽は神社仏閣へのお参りでしたから、近場のお寺さんに行って、そこまします神様にもお参りし、参道沿いのお店で美味しいものを食べる、という生活を楽しんでいました。だから葬式以外に寺に用はない、ということはなかったはずです。「牛に引かれて善光寺参り」で知られる長野の光善寺は、お伊勢参り同様江戸庶民に人気があり、お参りを口実に旅行を楽しんだのです。
明治維新に際し、神仏分離令が出されたことをきっかけに、庶民が暴走して廃仏毀釈運動が巻き起こりました。政権の後ろ盾を失った仏教界は勢力を失い、廃寺が相次ぎました。人々の心が寺院から離れ、葬式以外ではお寺に行かないという人が増えたのは、仏教が衰退してからだと思います。
衰退したとは言っても、都市部のお寺さんは儲かっているところが多いように見えますね。田舎では経営が苦しい寺、跡継ぎが見つからず廃寺になる寺は珍しくありませんので、他の「産業」同様の地域格差があるというだけかも知れません。
中国地方の山間部で勤務した時の事ですが、その村(市制ですが)では犬アッチ行けに聴取料は払わないことになっていました。勿論契約もしません。
何しろ山間部なのでアナログ放送時代にはいくらブースターを付けても綺麗には映らないのだそうで、さすがの犬も御目こぼし状態だったようです。
勿論デジタル放送に変わってからは綺麗に映るようになったのですが、言わば既得権益としてい払わなくても良いと状態が続いています。
そもそもデジタル化は難視聴区域を解消するためと言うのが目的の一つだったので、当然映るようになれば支払う義務があると思うのですがね?