昨年の5月3日、当ウェブサイトでは『憲法記念日に「脱税の放棄」について考えてみた』という記事で、冗談で「憲法で犯罪を禁止すれば、犯罪は発生しないはずだ」、と主張してみました。我ながらバカらしい議論だと思うのですが、毎年のことですので、今年もこの議論を繰り返しておきたいと思います。くどいようですが、本当の憲法議論とは、全肯定も全否定もすべきではなく、「悪いところを変え、良いところを残す」という、非常にシンプルな発想の延長に存在するものです。
目次
ここがおかしい、憲法議論
憲法記念日に考えたい、憲法の話
本日は「憲法記念日」です。
例年述べているとおり、日本国内で「日本国憲法」といえば、憲法第9条を変えるか(改憲派)、何がなんでも死守するか(護憲派)、という、たった2つの勢力に分断されているきらいがあります。
日本国憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
おそらく、俗に「ATM」と呼ばれる人たちは、本日あたりの社説で「平和主義憲法は日本の誇りだ」、「二度と戦争を起こさないという誓いを未来に向けて語り継いでいかねばならない」、といった主張を掲げるのではないかと思います(※「ATM」が何を意味するかについては、本稿では敢えて申し上げません)。
これに対し、一部の保守系のメディアは、「憲法第9条を見直すべきだ」、といった具合に、「ATM」と真逆の主張を掲載するのではないかと思いますが、どのみちこの憲法議論は各メディアともに毎年「コピペ」である、という点においては共通しているように思えてなりません。
さらに、ごく一部のメディアなり、論者なりは、「明治憲法に立ち返れ」、「政府は日本国憲法を無効を宣言せよ」、といった主張をするのですが、これなどそれこそ実現可能性がない議論でしょう。
もっとも、あえて新たな論点を織り込むとしたら、今年は武漢コロナウィルスの蔓延もあったため、「緊急事態条項」がなく、政府が緊急事態においても国民の行動を強制することが難しい、という点が、社会的に大きな問題点として認識されたことかもしれません。
そうなると、「ATM」側もどんな屁理屈をつかって憲法第9条擁護を展開して来るのか、個人的にはちょっぴり興味がないといえばウソになりますが、ただ、わざわざ「ATM」のウェブサイトを見に行くほど暇でもないので、このあたりは面白いネタを発見したらいじって楽しむくらいで良いでしょう。
「日本は平和だった」、本当?
さて、当ウェブサイトも過去のコピペをしておきます。
「日本国憲法第9条が存在したから、第二次世界大戦が終了した1945年8月15日以降、日本はただの1度も戦争に巻き込まれなかった」という主張を聞くことがあるのですが、この主張は、決して正しくはありません。
- 【事象A】日本国憲法第9条が存在していた
- 【事象B】日本は第二次大戦後、戦争に巻き込まれなかった
つまり、【事象A】→【事象B】、という「因果関係」があった、というのが「護憲派」の皆さんの主張なのですが、ここにひとつ、看過できない問題点があります。
そもそも論ですが、「事象B」については、きわめて怪しいと言わざるを得ません。まず、日本が旧ソ連に「火事場泥棒」的に千島列島と樺太を奪われたのが、1945年8月15日以降であるという事実を思い起こす必要があります。
内閣府ウェブサイト等によれば、ソ連が千島列島の占守島への軍事侵攻を開始したのは8月18日であり、歯舞群島や国後島の占領が終了したのは9月4日のことでしたので、本当の意味での「停戦」は、8月15日ではなく、9月4日である、という見方もできます。
また、その後も島根県竹島が韓国により占拠されたこと自体、広い意味では「日本が韓国から戦争を仕掛けられた」ようなものですし、北朝鮮の工作員の手によって日本国内から日本国民が誘拐されたという事件についても、「他国がわが国の領土に侵入し、日本国民に危害を加えた事件」でもあります。
さらには、つい最近、2018年12月20日には、能登半島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、海上自衛隊のP1哨戒機に対し、韓国海軍駆逐艦「広開土大王」が火器管制レーダーを照射して来たのも、広い意味では戦闘行為と考えられなくはありません。
このため、「憲法第9条が存在しているからこそ、日本が平和だった」と主張する人たちは、「憲法第9条が存在しているからこそ、これらの準戦闘行為が発生したのだ」と反論されれば、その主張はもろくも崩れ去るような気がするのですが、いかがでしょうか。
因果関係なのか、それとも偶然の一致なのか
例年の繰り返しですが、この「事象A」と「事象B」は、「因果関係」、すなわち「【事象A】という状態があったから【事象B】という状態が実現した」といえるのか、それとも単なる偶然の一致、すなわち「【事象A】と【事象B】は無関係である」といえるのかについては、きちんと見極めることが必要です。
単純に「日米安保条約が存在していたからこそ、(千島、樺太、竹島などを除いて)日本に攻め込んでくる国がなかったからだ」、と考えられなくはないでしょうか?
この点については個人的には長年の疑問なのですが、「護憲派」と呼ばれる人たちから納得の行く説明を聞いたことはありません。残念ながら、護憲派の人たちは、「憲法第9条は必要だから必要なの!」と叫ぶばかりなのです。
このあたり、ちょうど、財務省が「消費税の増税は必要だから必要なの!」、NHKが「受信料制度は必要だから必要なの!」などと叫んでいるのと姿が重なって見えるのは気のせいでしょうか。
もっとも、本当に「憲法第9条が存在しているがために日本が平和になっているのだ」と考えるのであれば、たとえば、こんな条文を憲法に設けてはいかがでしょうか。
日本国憲法試案 第9条の2
日本国民は、正義と秩序を基調とする国内平和を誠実に希求し、国権の発動たる防疫と、医療による治療は、疫病蔓延を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、病院は、これを保持しない。国の防疫権は、これを認めない。
この条項を盛り込めば、ウイルスさんやバイキンさんが暗躍して、日本国民の健康が損なわれる、というリスクを最小化することができるに違いない!
…。
いかがでしょうか?
これはべつに、疫病でなくても良いです。「憲法に書くだけで戦争がなくなる」というのならば、「犯罪の禁止」、「自然災害の禁止」、「事故の禁止」、「企業倒産の禁止」でも何でも良いはずでしょう。
とても当たり前の話ですが、戦争は「こちらから仕掛ける」場合だけでなく、「あちらから仕掛けられる」場合だってあります。それなのに、日本国憲法には「あちらから戦争を仕掛けてくる」という発想は存在しません。
なにより、憲法前文にある「平和を愛する諸国民」とやらが、具体的に日本の周辺のどの国を指しているというのでしょうか。米国でしょうか?ロシアでしょうか?韓国でしょうか?北朝鮮でしょうか?それとも中国でしょうか?
悪い所を変え、良い所を残す
憲法第7条を最優先で変えるべし!
いずれにせよ、憲法第9条というものは、日本国憲法のひずみが一番出ている箇所でもあるため、どうしても焦点がここに当たってしまうのは仕方がないという面があるのは事実でしょう。しかし、それよりも、現行の日本国憲法にはおかしな規定もたくさんあります。
昨年の主張とほぼ重なるのですが、その典型例を改めて挙げておきましょう。
まずは、憲法第7条です。
日本国憲法第7条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
いかがでしょうか。
天皇陛下の「国事行為」が、ちょっと多すぎやしないでしょうか。
とくに、第1号(憲法改正、法律、政令、条約の公布)には、さりげなく「政令」というものが入っていますが、日本の場合、この「政令」があまりにもわかり辛く書かれていて、悪文の典型例のような政令が大量に公布されています。
これらの条文を、天皇陛下に読ませるという時点で、時代が時代ならば著しい不敬罪に相当するかもしれません。官僚が好き放題に作成している政令の公布は、少なくとも「天皇の国事行為」からは排除すべきです。
問題はそれだけではありません。国会は天皇が召集しなければ開けず、せっかく法律や政令が成立しても、天皇が公布しなければ有効になりませんので、国会、政府、皇居の連絡を物理的に遮断すれば、日本国憲法上、日本という国は機能しなくなります。
理想論をいえば、「天皇による国会召集」「天皇による法律の公布」という規定についても削除すべきであり、「国会は選挙日から2週間後に当然に開かれる」「法律案は国会で可決されれば自動的に公布される」という形にする方が、国家としてははるかに安定するのではないでしょうか。
予算単年度主義を排して複式簿記を!
日本国憲法において、もう1つ、時代にそぐわないのが、予算単年度主義です。
実は、予算に関する規定は日本国憲法内にいくつか設けられているのですが(たとえば第60条や第86条~第88条)、決算に関する規定は、第90条にしかありません。
日本国憲法第60条
予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
日本国憲法第86条
内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
日本国憲法第90条第1項
国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
「予算」とは、いわば、現金主義に基づく現金の出入りを国会で審議するという趣旨のものですが、外為特会などのように、一般会計とは別にさまざまな特別会計が存在しています。
こうした実情を踏まえるなら、国会は予算もさることながら、むしろ決算を厳しく査定すべきです。具体的には、
- 予算は複式簿記と発生主義に基づき、連結ベースでの貸借対照表と行政コスト計算書を作成させ、それらを国会で承認させる
といったプロセスを通じて、行政コストの透明性をさらに引き上げるべきです。
これに加え、現在は財務省が一手に引き受けている予算編成権についても、財務省から強制的に切り離すべきですし、理想を言えば米国などのように、衆参両院に予算局のようなものを設けるべきではないでしょうか。
日本国憲法の全否定は違う
一方で、個人的に抱いている疑問点は、「護憲派」に対するものだけではありません。
世の中には「GHQに押し付けられた日本国憲法については無効を宣言し、大日本帝国憲法を復活させるべき」といった極論を唱える人もいるのですが、これについては正直、見識を疑う議論です。
そもそも論として、大日本帝国憲法には「内閣」という言葉が出てこないなど、近代法としてさまざまな欠陥をはらんでいましたし、また、いったん開始した戦争を終わらせるための規定についても不十分でした。
ちなみに大日本帝国憲法は「不磨の大典」とされ、改憲手続は敗戦後、大日本帝国憲法を日本国憲法に作り替えたときのただ1回きりです。
(※余談ですが、日本を滅亡寸前に追いやったあの大戦と「大日本帝国憲法」の欠陥の関係については、いずれ時間ができたら、『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』などの書籍をじっくりと読み返すなどして研究してみたいと思っている次第です。)
【参考】『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』
(【出所】アマゾンアフィリエイトリンク)
その一方で、日本国憲法には、三権分立、自由主義、民主主義、法治主義など、近代国家として当然に守るべき、非常に優れた点もあります。
とくに、憲法第21条に定める集会、結社、言論、出版の自由の規定は、従来はマスコミ各社を守る規定と勘違いされているフシがありますが、むしろ、「マスメディアのインチキ報道を、インターネットを通じて論破する」ための拠り所でもあります。
日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
要するに、日本国憲法も「何がなんでも変えてはならないもの」ではないのと同時に、「全否定すべきもの」でもないのです。悪い所を変え、良い所を残す、というだけのことではないでしょうか。
コロナ奇貨とした改憲議論
さて、昨年の憲法記念日からの1年間で区切っても、本当にさまざまな出来事がありましたが、そのなかでもとくに大きいものといえば、武漢コロナウィルスSARS-CoV-2の蔓延でしょう。
本稿執筆時点において、わが国におけるコロナ蔓延については、感染者や患者、死者などの爆発的な増大などを防ぐことができるかどうかを巡り、依然として予断を許さない状況が続いています。
しかし、それと同時に、先月の『コロナショックで崩壊?野党とメディアの「利権構造」』や『コロナが変える日本社会 テレビ局に待つ悲惨な未来』などでも報告しましたが、コロナの蔓延は、既得権益構造を破壊するという効果を伴っています。
当ウェブサイトの定義で恐縮ですが、「国民の敵」とは、次の勢力を指します。
- ①普通選挙を通じて有権者から信任されたわけでもないくせに、不当に強い政治的な権力を握り、国益を破壊する勢力。
- ②経済競争を通じて消費者から選択されたわけでもないくせに、不当に強い社会的影響力を握り、国益を破壊する勢力。
①の典型例といえば財務省や一部の特定野党であり、②の典型例はNHKやマスメディア業界(とくに低レベルなワイドショーを垂れ流す一部民放テレビ局、インチキ報道を繰り返す一部新聞社)ですが、改憲議論を阻んでいる勢力も、結局はこの「国民の敵」と重なっているように思えてなりません。
それが、このコロナ禍をきっかけにして、一部特定野党が国会で国民のためになる議論をしていないということが誰の目にも明らかになり始めたこと、一部メディアの「恐怖報道」に対する読者・視聴者の反発が強まっていることは、興味深い現象と言わざるを得ません。
その意味で、コロナの蔓延はたしかに心配ですが、私たち日本国民の努力によりコロナ問題を終息させることに成功すれば、そのこと自体、私たちの自信にもつながり、この国をより良い社会に行ける原動力ともなるはずです。
その意味で、憲法記念日を「今後の日本」について考える良いきっかけにしたいものです。
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記事を読みましたが、「予算単年度主義を排して複式簿記を!」の項については大賛成です。
理由は、
①民間企業と同様に、四半期、半期、年次決算をすれば、国家財政のお金の流れが見えるようになる
※年跨ぎのプロジェクトをどう表現するかは難しいかも知れませんが、別紙「プロジェクト状況報告書」のようなものを作成させ、決算書の項目と連動させることを義務化するのは有りでしょうか?
②透明化の対象範囲を、財政だけでなく、日銀を含めた日本国全体の資産状況を明らかにすることにより、財務省の情報独占による跳梁跋扈を防ぐ。
(B/Sは勿論の事、P/Lは国富がどれだけ増えたのかを視点に据える。国富が増える=増収に近い定義にしたら良いのではと思います。)
③政党の無駄で意味のないパフォーマンスからの脱却
※朝鮮半島の南半分を執政している政党と似た名前の政党がありましたが、下らない&時間の無駄なパフォーマンス(事業仕分けなる政治ショー)に呆れていましたので。
④昔からの格言である「入を測って出を制す」の第一歩だと思うので。
上記の点を実施するに当たり、90、91条については改正が必要になるので、その部分については賛成です。
・90条に四半期、半期、年度のB/S、P/Lを必ず作成し、両議院の承認を得る項を追加
・91条には上記の90条に追加した項について、公告や電子データで国民に知らしめる義務を有すの項を追加
・条文追加で、決算書は日本国が保有する全ての財産(国有資産、特別会計および政府関連団体等、国が出資・運営している法人等全て)を含む義務を負う。
・政府関連団体についても個別に決算書を作成、公開する義務を負う。
・地方公共団体(都道府県、市区町村)も90、91条の適用を受ける。
他の点での改憲議論は、GHQによる押し付け憲法論は自民党議員が唱えることが多いので、自民党の改憲案を読みました。
私見では、大日本帝国憲法を現代流にアレンジしつつも「民権の制限」を今の日本国憲法より増やしたいんだろうなと感じました。
改憲議論では9条ばかりに目が行きますが、まずは自民党が出している改憲案を良く読んだ方上で考えないと不味いなと思います。
もう一点追加です。
憲法39条ですが、国会議員、公務員の在職中の刑法に抵触する行為については39条の適用除外とする改正案も必要かと思います(笑)
権力を持つ者(立法府、行政府、司法府を含む全ての行政機関に所属する(した)人)に対する牽制を明文化し、本来の目的である国益、国民への奉仕を貫徹するためです。
憲法39条のうち前段の刑罰の遡及適用の禁止規定は、近代刑法の大原則であり(1787年制定の米国憲法第1条第9節、1789年のフランス人権宣言第8条等参照)、仮に国会議員・公務員に限定するとしても、これを放棄することは我が国は近代法治国家ではないと世界に宣言するようなものです。
39条後段の一事不再理の原則については、一定の条件(被告人となった公務員のみならず役所ぐるみでの証拠の隠蔽があった場合とか)を満たす場合に多少緩和することも可能かもしれませんが、その条件と緩和する内容とはかなり厳密に検討する必要があるでしょう。
無学な老人様が書かれていることに全くもって同感です。
どれほど立派な意図であろうと、国会議員と公務員だけに限定しようと、刑罰の遡及適用を許すことは我々日本国民が感情で全てを決めるお隣の未開人の野蛮なレベルへと堕ちることに他なりません。
憲法39条は日本が法治主義に基づく近代国家であることの最低限の証だと思います。これを変更したり例外規定を設けることは未開国だと宣言するに等しい。なお、実態としての我が国における法の運用(司法)においては残念ながら法治主義とは到底思えない事例も散見されますが。
> 予算単年度主義を排して複式簿記を
これ,非常に重要な話です。細かい予算配分が決まるまでの4~7月はお金があまり使えない。その先も固定経費の支払いが優先で,自由枠に手が付けられるようになるのは12月頃から。1~3月で急いで予算を使って,3月末にはほぼプラスマイナス0にするようにする神業が必要。残すと翌年度の予算が削減さる可能性が高い。実際には,3月には次の4~7月に必要になりそうなものも買い置きしておくわけですが,書類上は3月までに消費したことにしておく。道路工事も同じ原理です。災害とか非常の事態が起こった場合に対応できるお金も1月くらいまで残しておいて,何もなかったら残りの期間で一気に使うわけです。翌年に繰り越したりはできません。翌年はまた,次年度予算から非常用の予算をプールしておく。3月に何かあったら対応は次年度まで待って下さいね。
官公庁だけでなく,大企業も似たところがありますが,剰余金に対する評価が違います。
簿記会計の事や他の難しい話題は諸賢にお任せして、日本国憲法で禁止すべき物が頭の中に湧いてきます。🐧
1 記者クラブ
2 捏造報道
3 国会運営の妨害
4 国会議員の正当な理由の無い連休
5 国会議員・地方議員・地方自治体の首長の出自証明
6 日本国への侵略行為
8 世界各国が一度署名批准をした取決めに違反する事
9 他国政党の下部組織からの立候補
10 学校教育における近隣条項
全部禁止出来れば、ほぼ自動的に共産党他の特定野党と、民団・総連、日教組、特定メディアは無くなるでしょう。🐧
また、戦後の特定アジア・ロシアによる日本への侵略も露わになり適切な関係「助けない、無視する、見捨てる」を保てる様になるでしょう。🐧
でも無くなる訳が無いので、時間を掛けて憲法改正をして行くしかないでしょう。🐧
ハゲ親父様
今でもある時期に自分自身で支那人であると主張していた女が居座っているように外国籍でも国会議員になれるので、「日本国籍以外の国籍を有するもの」を無条件に除外する必要があるのではないでしょうか。
立候補するときの条件に入れても良いのですが、解釈方法で揉めるでしょうから、憲法に禁止事項として「日本国籍以外の国籍を有するもの」を規定し、自動的に排除した方が明瞭になるでしょう。
惚け老人様
それが一番ですが、先に御下品に主張した所コメントが消えてしまいました。🐧
上記コメントは焼直し版です。🐧
勿論 5 の主張は立件民主党の「元週刊プレイボーイのヌードモデル」や「白某」を念頭に置いた物です。🐧
更新ありがとうございます。
天皇陛下の国事行為って、無駄に多いんですね。不敬と言われようが、陛下が手を下さずとも良いものでも入ってますので、無駄と言わせていただきます。
政令や刑の執行免除や復権は、より直接関わりのある方が署名、押印すれば事は済む。また予算単年度主義の廃止、複式簿記も賛成です。
今日は憲法記念日。さすがに左派やリベラル、ジャーナリストもコロナ禍で「9条は死守!」「改憲阻止!」ではないかも知れませんが(渋谷、新宿はやってんのかな?密だゾ!)。
立憲、国民、共産党らがいつまでも「桜」「モリカケ」をやり、今、目の前の危機を放ったらかしにした事は、国民の目に焼き付いてます。党支持率が1%や0.1%というのも、良く理解出来ますね。
安倍総理には是非、改憲までやり通していただきたいです。
めがねおやじ さま
少なくとも国民民主党(玉木代表)は1月30日段階で新型コロナウイルスを「指定感染症」とする政令の施行を2月7日から前倒すように官房長官に申し入れをしています
森議員等が「桜を見る会」追及ヒアリングチームに加わっておられましたが内閣府の不適切な忖度、情報隠蔽・情報偽造の疑いが濃厚なためヒアリングチームに加わり追及することは当然と思われます(現在は感染症対策を一番するべき非常事態なので追及できなくなったに過ぎません)
立憲民主党や(羊の皮を被っている可能性が高い)共産党はサイト主も言われているように国民の敵だとは思います
ただ、憲法改正は行っても9条だけで最小限で構わないと思います
もし緊急事態条項などを入れようなものなら全体主義への道を歩むかもしれません
私は愚者の内の一人ですが「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」という言葉を最近感じています
「憲法第9条が存在しているからこそ、(戦後に外国から吹っ掛けられた)これらの準戦闘行為が発生したのだ」
同感です。動物愛護の崇高な精神からカラス対策を打たなきゃカラスは餌場だと思って収集場所にやって来てはビニール袋を破って荒らすのです。
しかしまあ日本国憲法は解釈次第で改憲せずとも、どうにでもなるモンではないでしょうか。自衛隊の存在はもとより、1975年には第89条の大胆な憲法解釈変更を国会で行い、私立学校振興助成法が成立。私学助成が始まっていて現状にそぐわなければ憲法を解釈で飛び越えることを結構日本はやってきている。
だから国難にあたっては「憲法にこうあるから出来ない」といったネガティブな運用じゃなくて「憲法をこう解釈すれば出来る。」といったアクティブな運用が望ましいのではないでしょうか。
1977年10月に札付きの悪質なテロリスト団、バーダーマインホフグルッペ(またの名をドイツ赤軍)の支援を受けたパレスチナゲリラPFLPの一部隊、「殉教者ハリハ部隊」にハイジャックされたルフトハンザ181便は、テロリストが機体に仕掛けられたプラスチック爆弾の位置を機体点検のフリをして内密に外部に伝えた機長を殺した後にソマリアのモガディシオ空港に降り立ちました。
刑務所に入っているテロリストの釈放など様々な要求をしてくるハイジャック犯に対し、当時の西ドイツ政府は要求に応じるフリをしてその実は如何なるテロリストの要求にも応じないことを決断。
イギリス特殊部隊SASのアドバイスを受けた西ドイツ内務省国境警備群第9部隊、GSG-9をソマリアに急派。閃光音響手榴弾スタングレネードと近接距離簡易狙撃銃の異名を持つサブマシンガンH&K-MP5A3でもって突入作戦を敢行し、あっという間に解決してしまった。
この時、日本では「西ドイツは如何なる国内法に基づき特殊部隊をソマリアに派遣したのか」という議論が起こったそうです。
しかし西ドイツの憲法にあたるボン基本法にも西ドイツの如何なる国内法にも「有事の際、ドイツは外国に治安部隊を送り込む事が出来る」なんて法律はありませんでした。ただ「送ってはならない」という法律が「無かった」だけです。
だからソマリアに本国内務省特殊部隊を送った。これが法律のアクティブ運用です。
憲法や様々な法律は国や国民のためにあり、国や国民が憲法や法律の適正な運用の為に存在するのではありません。
国難や国民が実害を被っている時に、「憲法にこうあるから助けられない」「法律にこうないから見殺しにするしかない」となるなら、それは法律の不整備に原因があるのではありません。
法律を盾にした怠惰が罷り通ってるだけの話です。政治家や役人の業務過怠が法律を盾にして行われているザマであり、「法律とは人を裁くものではない。領域国のスーパーパワーたる国家がリバイアサンとなって暴走し国民に害をなさないように縛るものである」という場違いな理屈を振り回して苦難を前に何もしない事を正当化しているだけの話です。
そう言う政治家を選んだのは私達国民です。
そう仕向けたのは左向きマスゴミでは無いかと思います。
ではそうじゃない政治家がどこかに居てそれを我々は選ばなかった、というのでしょうか。
政治家のレベルはその国民のレベル、だとか、選挙で今の政治家を選んだのは有権者だ、だの理屈でそうやって政治家を甘やかしていいのでしょうか。一度選んだ政治家はスタンドアローンで我々有権者のコントロールは効かないというのでしょうか。それこそ民主政治の放棄というものではないでしょうか。
ブルー さん
法的安定性には「法律の解釈の不変性」の他に「法律に基づく社会秩序の安定性」の意味もあり、解釈改憲によって保たれる法的安定性は後者となります。
安全保障関連法を議論している時、法的安定性を前者の意味とした特定メディアと特定野党が騒ぎましたが、ああいう「騒ぐ為に曲解などをして騒ぐ」という姿勢は今でも変わらないなぁ…と感じます。
そんな姿勢を国民に見抜かれているから、特定野党は岩盤支持層以外に支持を広められないのだと思うのですが。
同感です。またそういった意味で日本のリベラルマスコミがリベラルに名を借りて防衛や外交すらドメスティックな国内議論ばかりやって左系野党を、延いてはその所属政治家を甘やかしてダメにしている、というところは確かにあるとは思います。
しかしそんなおためごかしは1998年8月31日に北朝鮮から発射されたスカッドC魔改造ミサイルテポドン1号が日本上空を通過してからこっち、現代の日本国民に通用しないでしょう。
>近接距離簡易狙撃銃の異名を持つサブマシンガンH&K-MP5A3でもって突入作戦を敢行し
事件後の記者会見でウェグナー大佐がMP5SDを自慢げに持っていた写真が有名ですけどA3だったんですか?
アメリカ
われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫の上に自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する。
ロシア
われら、ロシア連邦の多民族の人民は、運命を共にわれらが大地で、人間の権利と自由を確立し、市民の平和と調和を確立し、歴史上確立された国家の結束を維持、人民の平等と自決の普遍的原理より進み、祖国への敬愛をわれらに伝え、善と正義の信念をわれらに伝えた祖先の思いを尊敬し、ロシアの国家の地位を復興し、確固としたその民主主義の原則を主張し、ロシアの安寧と繁栄を確実にもたらす努力、現在と未来の世代より前のわれらの祖国への責務より進み、世界共同体に存在する我らを自ら認識し、ロシア連邦憲法を制定する。
韓国
悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して、正義・人道と同胞愛で民族の団結を強固にし、全ての社会的弊習と不義を打破し、自律と調和を土台に自由民主的基本秩序をより確固にし、政治・経済・社会・文化のすべての領域において各人の機会を均等にし、能力を最高度に発揮してもらい、自由と権利に拠る責任と義務を完遂するようにし、(国)内では国民生活の均等な向上を期し、外(交)では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保する。
北朝鮮
朝鮮民主主義人民共和国は偉大な金日成同志と偉大な金正日同志の思想と指導を具現したチュチェ(主体)の社会主義祖国である。
偉大な首領金日成同志は朝鮮民主主義人民共和国の創建者であり、社会主義朝鮮の始祖である。
金日成同志は不滅のチュチェ思想を創始し、その旗のもとに抗日革命闘争を組織、指導して栄えある革命の伝統を築き、祖国解放の歴史的偉業を成し遂げ、政治、経済、文化、軍事の各分野において自主独立国家建設の強固な基礎を築き、それに基づいて朝鮮民主主義人民共和国を創建した。以下、金日成と金正日が〇〇を定めたの羅列。
憲法前文でまず志と言霊を述べ方針を定める。諸外国の皆さまも中々いい志をしておられるようです。
設立目的や社是は重要ですね。
アメリカのもののリパブリカンに必須の用件を思い付くままに並べたような開拓民らしい直截さ、ロシアの国民国家として極当たり前のことを長々あげつらって行数を稼いでるような長文に会間見える連邦崩壊というトラウマ、といった印象を受けますが、北朝鮮と韓国の、特に韓国の恨みがましいセンテンスの挿入には驚きますね。福沢諭吉によれば他国をいつまでも恨んでる国民性というのは、独立心の希薄さの裏返しだそうな。
ブルー様
憲法は相手国が何を考えているのかの根本が分かるからいいですね。
韓国のは金メッキっぽく聞いているこっちが恥ずかしくなるほどの文章の修飾です。簡潔明瞭なのが一番ですね。
9条教徒の心中を考えると
戦争の主体は人だから憲法を読んで攻める攻めないの判断ができるので9条は有効だけど、ウイルスはそうじゃない。
ってことじゃないでしょうか?
予算のとこについては、新宿会計士さんの論点からずれるけど
・もうちょっと科目間の移動とかを簡単にして欲しい。
・予算要求額とか執行額とか、工夫してもしなくても、自分の首を締めたり、文句を言われて怒られたりするだけになるのは勘弁して欲しいのです。
「失敗の本質」は前に読んどけど面白かったのです♪
本書の論点とはずれるんだと思うけど、艦船だったかの種類別の製造数をみて、米国って同じものを使い続けて枯れさせるってとこは、今でも一緒だなって思ったのです♪
何となくだけど、米国って末端はあんまし信用してなくて、だからこそマニュアルとか標準化をちゃんと作るってとこがあるように思うのです♪映画なんかだと何でもできるスーパーヒーローが出てくるけど、お仕事なんかで生身のお付き合いをすると、むしろ人員を含めた物量で押し切るってのが、基本に流れているように思えるのです。そのために、あまりスキルが無くても、そこそこの成果を上げれるようにすることに注力しているみたいな感じなのです♪
それに対して日本は、悪い言い方をすれば、現場のトップレベルに焦点を当てすぎてて、曰く言い難い職人芸の発揮を求めたり、そういった人の発案を取り入れた新しい物を今のものが浸透する前に手を出したりしてて、組織全体の向上に繋がっていないように思うのです♪
もともとのパイの大きさの違いもあって米国流をそのまま真似するのは難しいとは思うけど、先端ばかり尖らせるとポキッと折れやすい組織になると思うのです♪
そういや日本陸軍航空隊の「隼」のベテランパイロットは7.7mm機銃の弾着点の調整を精密にやって、いざ空中戦となったらその調整済みの7.7mm機銃でコクピットのパイロットの頭や首を「狙撃」して敵機を落とす、という「職人技」を持っていた、と聞いたことがあります。だから発射弾道が変わる12.7mmや20mm機関砲の装備を嫌っていたとか。しかし敵機に防弾ガラスの装備が進むと7.7mm「狙撃」は使えない手になったという。
アメリカやイギリスはパイロット個々の射撃技倆などに頼らず戦闘機の翼に12.7mm機関砲を数多く並べて「数撃ちゃ当たる」方式で空中戦に挑んだということだったようです。
ブルー さま
旧日本軍は陸軍と海軍で機関砲弾の規格も元のライセンス供与先が違って(確かクルップとエリコンでしたっけ?)違って互換性なし、ダイムラーの倒立12気筒エンジンのライセンスも別々に発注するわ、操縦桿の操作法も逆だわで、これほど下らん縄張り争いを戦争中ですらやっていたという馬鹿な組織ですからね。
零式にしたところで、7.7mmと20mmとわざわざ2種口径を装備する必要性がわからんし、そもそもが隼をわざわざ別枠で作る必要性がゼロ、零式でええやん。
歩兵銃ですら戦争の途中で口径を変えるとか、ありえんわ。
上層部がこれほどバカなのによく戦ったという意味では日本の現場力は大したものだという気がしますが、逆に言えば、上に対して無批判にしか動けないという点は、日本人の弱点だと思います。
20mm機関砲は威力は高いですが、当てにくくすぐに弾切れになります。零戦21型だと60発しか積めません。10秒撃てば弾切れです。
7.7mm機銃は当てやすく長く撃てますが、威力が小さいです。
アメリカの様に12.7mm機銃を多数搭載すると、機関銃は重いので日本軍の大好きな格闘戦の性能を抑えざるを得なくなります。
強力で安定したエンジンがあればいいんですが。
陸海軍の中の悪さはどこの国でもある様です。日本のそれはちょっと極端ですが。陸海軍で武器の仕様を統一した方が合理的なのは確かでしょうが、要求される性能が少し異なるためまとまらなくなる可能性もありそうです。
戦闘機についていえば、日本と同様に空母機動部隊の発達しているアメリカでも陸軍のP-38やP-51。海軍のF4FやF6Fと陸海軍別々に開発しています。
大戦末期に陸海軍統合の話が出ましたが、日本海軍の反対で潰されました。戦争遂行上は愚策ですが(海軍はほとんど戦力が残っていない)海軍の発言力がなければ本土決戦にもつれこんだ可能性が高いです。
以上、余談ですが。
市井の内科医様、残念ながらお書きになられていることは単なる(悪しき)伝説で事実に反していたり、事実ではあるが評価が正しくないものが散見されます。
まず事実に反する点ですが、
>操縦桿の操作法も逆だわで、
これは操縦桿でなくスロットルレバー(自動車で言えばアクセルペダルに相当する手で操作するレバー)のことだと思いますが、陸海軍でスロットル操作が逆向きだったのは軍航空の草創期だけです。軍航空が始まった当初は、陸軍が「引くとパワーアップ、押すとパワーダウン」のフランス式を導入し、海軍が「押すとパワーアップ、引くとパワーダウン」のイギリス式(現在の世界標準はこちら)を導入したので逆でしたが、第二次大戦のころには陸軍も海軍と同じくイギリス式に統一されていました。
従って、開戦時に陸軍の主力戦闘機としてマレー半島攻略に多大なる貢献をした一式戦闘機(隼)と海軍の空母機動部隊の主力戦闘機として大活躍した零式艦上戦闘機(零戦)とでは、スロットルレバーの操作法は既に同じ向きに統一されていました。
もう一つ、
>そもそもが隼をわざわざ別枠で作る必要性がゼロ、零式でええやん。
これも残念ながら論外です。まず間違っているのは多くの人々が信じている零戦無敵神話とは違って、実際には零戦よりも隼のほうが運動性(空中戦での格闘性能)は高かったという点です。
更に零戦は高い運動性に不可欠な軽量化と空母という洋上での運用の為に不可欠な長大な航続性能に不可欠な大きな燃料搭載量(と更には1000馬力戦闘機としては分不相応な強武装)とを両立させるために防弾装備ゼロという主力兵器として使うには致命的な欠陥を抱え込んでいました。この致命的な欠陥こそが連戦の中で零戦を使いこなせるベテランパイロットをどんどん戦死させて零戦が通用しなくなる大きな原因となっています。そして大戦後半に零戦にも防弾装備を追加すると初期の零戦の長所が失われてしまい、零戦の陳腐化を加速してしまいました。(海軍の名パイロットとして大戦を生き残った坂井三郎も「零戦が名機と言えたのは初期型だけだ」と彼の著書に書いているとのこと)
これに対して一式戦は当時の戦闘機としては常識的なレベルの防弾装備を持っており、後期型で初期型の大きな欠点であった貧弱な武装という問題が解消されるにつれて、大戦末期でもアメリカ軍のパイロットに対する日本戦闘機対応マニュアルの中で「オスカー(一式戦の米軍コード名)とは低空では絶対に戦うな」という指示が出ていたのです。
更に重要なことは、厳然たる事実として零戦の製造工数は一式戦のそれよりも遥かに多く、生産効率が極めて悪い機体だったのです。それは零戦の設計者である堀越二郎のある種オタク的な性格(つまり実用品に対するバランス感覚の欠如…典型的には空気抵抗を下げるという理由で非常に工数を増大させる沈頭鋲の大量使用や雷電に見られる流線形への異様な執着など)が影響していると私は考えています。
零戦の生産は本来は開発主体である三菱ですが、主力戦闘機として大量生産せねばならなかったので、その生産の一部は一式戦を開発・生産した中島航空機(後の富士重工、現在はスバル)も担当しました。そして中島航空機では零戦の製造工程を徹底的に見直し合理化し、製造工数を大幅に減らし(それでも一式戦よりは工数が多かった)、零戦の生産機数では本家の三菱よりも多くを中島が生産しました。
更に言うと、零戦のような艦上戦闘機は空母という極めて特殊な環境で運用せねばならないので、陸上で用いるには不要で無駄になる要素があるのです。その陸上では不要な要素は製造工数(とお値段)の増大だけでなく重量増加となって運動性や燃費など戦闘機の性能に必ずマイナスになります。
ということで、艦上戦闘機の零戦を陸上戦闘機である一式戦隼の代わりに使うのはコストや生産の面で無駄が大きく性能的には不利ですし、逆に隼は空母で運用出来ないので零戦の代わりには使えません。ですから零戦と隼とは共に必要だったのです。
陸海軍での戦闘機の重複の無駄の問題を問うならば、寧ろ、雷電や紫電改といった海軍の局地戦闘機(海軍基地という陸上基地だけで運用され空母では運用しない戦闘機)こそが大いなる無駄だったのです。あれこそ、同じく陸上基地だけで運用する陸軍戦闘機の二式単戦(鍾馗)や四式戦(疾風)を海軍もそのまま導入して使えば良かっのです。しかも海軍の局地戦闘機は同時代の陸軍戦闘機に比べて生産機数が1桁は少なかったので二重の意味で無駄でした。
同様の問題は、海軍の陸上攻撃機(今風に言えば戦術爆撃機となる機種で、有名なのは九六式陸攻や一式陸攻など)も同様です。これも陸軍の攻撃機を海軍もそのまま使えば良かったのです。
要するに、いくら海軍基地とはいえ陸上基地専用の機種を海軍が陸軍とは別枠で(しかも配備機数は対応する陸軍機よりもずっと少ないのに)勝手に開発・配備したのはただでさえ開発人員も生産能力もアメリカに比べて遥かに貧弱だった当時の日本にとっては大変な無駄で致命的なマイナスでした。これに関しては間違いなく海軍も対応する陸軍機を一切の手を加えずそのまま導入すべきでした。そうすれば機体だけでなく補修用部品も共通になり量産性も向上しコストも人員も大いに節約できたのですから。
他にも書くべきことはありますが、長くなり過ぎましたので、この辺で。なお、液冷エンジンのライセンスを陸海軍が別々に交渉して別々に契約したのは仰る通り実に馬鹿げたことだと同意します。
たい様
実包の大きさからして30口径グループの7,7mm(実際に見た事が無いので近似値の7,62mmを頭の中で参照)と50口径12,7mmでは見た目でも二十倍位は違いますからねぇ。🐧
きっと老害様も"お気に入り"のキャリパー50の実包を見たらビックリされる位の大きさです。🐧
装弾数もかなり違って来るでしょう。🐧
ハゲ親父 さま
楽しそうな話題で盛り上がっておりますね。
下記の引用先の2番目の写真で、50口径と30口径の比較ができそうです。
キャリパー50を使ってやりたい肥満児は生存していたようです。(老後の楽しみは、まだまだ続きそうで…)
ライフル実包の一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%AB%E5%AE%9F%E5%8C%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#.50%E5%8F%A3%E5%BE%84%E4%BB%A5%E4%B8%8A
私のコメントについて以下を訂正します。
誤: 中島航空機
正: 中島飛行機
零戦での沈頭鋲の使用による工数増大について補足しておきます。
Wikipedia日本語版の零式艦上戦闘機のページに具体的な比較として大戦末期の名機P-51ムスタングと零戦との工数で零戦がP-51の3倍の工数を要したという次の記述があります。(その段落を引用します)
>生産段階でも多数の肉抜き穴や、空気抵抗を減らす目的で製造工程が複雑な沈頭鋲を機体全面に使用するなど、生産工程が増える設計となっているが、少数精鋭の艦戦ということで工数の多さが許容されたからである。大戦中期以降は後継機の開発が遅れたため生産数を増やす必要に迫られたことで設計を変更し工数を減らす努力が続けられたが、設計段階から生産効率を考慮したP-51マスタングと比較すると零戦の生産工数は3倍程度もあり、生産側の負担となった[注釈 3]。
ハゲオヤジ様
老害様
ゼロ戦の7.7mm機銃弾に関しては、
老害様ご提示ページの303ブリティッシュ
の項目をご参照下さい。
>これも陸軍の攻撃機を海軍もそのまま使えば良かったのです
漸減戦術に使うための航続距離が・・・
マーク様
303ブリティッシュ弾。🐧
デカイですね。🐧
NATO弾より8㎜長い59㎜。🐧
さぞ、安定した狙撃精度があったのでしょう。🐧
でも、航空機から航空機パイロットへの狙撃って、神業ですね。🐧
おお、いつの間にかすごく伸びてる。
冥王星様、ものすごく詳細な説明ですね。
確かに海軍の局地戦闘機は陸軍の戦闘機を流用した方が良さそうですね。雷電の設計で手が取られて烈風が間に合わなくなった訳ですし。
個人的には陸上攻撃機は統合しなくてもいいのではないかと思います。飛龍までは陸軍機では魚雷は搭載できないですし。
ハゲ親父様、実際に物を見た人はやっぱり違いますね。
7.62mmと12.7mmで約20倍の差ですか、20mmだととんでもないことになりそうですね。
老害様、マーク様
Wikipediaでも実際調べるのは面倒くさいので助かりました。
現状を憂うる者様
そうですよね。海軍は漸減戦術を取るつもりだったんですね。
ブルー様と市井の内科医様のやりとりを見てついスイッチが入ってしまいました。
基本的人権の尊重など、多くの項目は「憲法上はこれを目指す。これを推進すべく国民は努力し、これに反する法は作れない。」というような運用がされていると解釈しています。なぜか9条の戦争行為のみ、手段を
先に論じてつぶしているのが不自然だと思います。9条が、
―日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。― 以上!
であれば、理念の価値はそのままに、現実を無視した論争も起きなかったろうに。
冒頭の基本的人権の尊重は条文ではなく原則ですが、具体的に示した11条では、
―国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。―
であって、このために「2項、前項を遂行するため、武器を保持しない」だの「罵倒はこれを許さない」だのは書かれないのですし。もっとも厳密には対象が国家か個人かが違うし、これらは刑法で定められるし現実的に必要ですが。なぜ9条だけこのような……ってまぁ押し付けてくださった方々の都合なのは明白ですが。ならばこそ尚更改正すべきはずです。護憲主義者=反米主義者て。
翻って7条の非効率・不合理のご指摘は尤もかと思うのですが。個人的には、現代の天皇が「実行力や権限を有しないのに権威・象徴性が保たれている」状態であるのを好ましく思っております。こちらの場合はあまりに現実的に国事行為を削いでしまうと、「不要論」に拍車をかけてしまうかもと懸念します。
不敬だー天皇陛下は絶対不可侵!とまでは言いませし、議論上のアンタッチャブルになるのもよろしくありませんし、また上皇陛下もご公務に大変なご苦労をされたと推察しますが。
9条に対する現実優先の思案とは逆でダブスタに聞こえるかもしれませんが、天皇に関しては現実的な必要性よりも存続させるためにどうするかという考慮が必要と感じています。
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(勿論、例外もありますが)日本の護憲派にとって日本国憲法は、自身
の村の和を保つため、権威を保つため、そして村の飯の種にすぎないので
はないでしょうか。だから、憲法を守ることで、これらが脅かされるなら
突然に、(事実上の)解釈会見を言い出すのでしょう。
駄文にて失礼しました。
新宿会計士さまの憲法議論、大変新鮮でした。
民主主義に関する議論で「我々の武器になるから護る」と言う感じのややベネフィットを強調する論旨は利益誘導ぽいので、もう少し格調高くしても良いかと思いましたが、予算の単年度主義の問題点などハッとしました。