政府が緊急事態宣言を検討している、などとする報道が、昨日あたりから急増しています。現時点において政府から「いつ、どのような宣言を行うか」に関する公式発表はなされていませんし、本日午前時点の内閣官房長官記者会見を視聴しても、菅義偉官房長官は「今後の状況が緊急事態宣言に該当するかどうかは総合的に判断する」としか述べていません。では、なぜこのような報道が出てきてしまうのでしょうか。
議論のトレーサビリティ
先月の『ウェブ評論の流儀は「議論のトレーサビリティの確保」』でも議論したとおり、当ウェブサイトにおいて重視しているのは、「議論のトレーサビリティ」、つまり「その議論が妥当であるかどうかを検証することができるかどうか」、です。
これは、新聞社であれ、テレビ局であれ、雑誌社であれ、あるいは個人が運営するウェブ評論サイト・ブログサイトであれ、あるサイトに掲載されている記事について、「どうしてそういう結論になるのか」をきちんと「トレース」(追跡)できる、という考え方です。
簡単な例を挙げましょう。
「米FRBが3月19日、世界の9つの中央銀行・通貨当局と為替スワップを締結した」という主張については、FRBのウェブサイトの報道発表文、日銀のウェブサイトの説明などのリンクが記事に張られていれば、読者は該当するスワップが「為替スワップ」であると確認することが可能です。
このため、
「3月19日に米FRBは豪州準備銀行など9つの中銀・通貨当局と為替スワップ協定を締結した。これはいわゆる『通貨スワップ』ではなく、一種の外貨流動性ファシリティである。」
という情報については、究極的には一次情報(日米両国の中央銀行)による裏付けが取れているのです。
「~の意向を固めた」という情報が多すぎませんか?
しかし、FRBによる報道発表が出る以前の段階で、たとえば
「韓米両国は来たる3月19日に上限600億ドルの通貨スワップを締結する方針を固めた。これにより韓国は外貨の安全網をさらに拡充させることになる。」
などとする情報があったとすれば、それについては私たち個人がその情報の妥当性を確認することはできません。
実際、マスメディア(とくに新聞、テレビなど)の報道には、この手の「読み手から見て確認できない情報」が、頻繁に出てきます。その情報の一つが、「安倍晋三総理大臣が緊急事態宣言を行う意向を固めた」、というものです。
たとえば、日経電子版に本日、こんな記事が掲載されました。
首相、7日にも緊急事態宣言 午後6時すぎに対策本部
安倍晋三首相は6日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、緊急事態宣言を発令する意向を固めた。政府は同日午後2時から専門家ら16人で構成する「基本的対処方針<<…続きを読む>>
―――2020/4/6 10:32付 日本経済新聞電子版より(※下線部は引用者による加工)
正直、この手の「意向を固めた」という記事も困りものです。というのも、この記事を読む人にとっては、この「安倍総理がXXする意向を固めた」とする情報自体、「客観的な情報源」で最終的な裏付けが取れているのかどうかが、よくわからないからです。
もちろん、複数のメディアがいっせいに似たような内容を報じているため、今回の「安倍総理が(または政府が)緊急事態宣言を出す方針である」、という点に限定しては、おそらく事実である可能性は高いのだと考えて良いでしょう。
しかし、この手の「誰それが何を行う『意向を固めた』」、「誰それが何を行うことが『判明した』」、とする記事を、単独のメディアが出すケースもありますし、これまでにそうした「~と判明した」などと断言した記事が、結果的に誤っていたケースもあります。
このため、個人的には、情報源も示さずに「安倍総理がXXの意向を固めた」なる報道については、非常に大きな問題があると思っているのです。
結局は、記者クラブ制度の弊害
では、どうしてこの手の「XXがXXの意向を固めた」、「XXであることがわかった」、といった記事が出てきてしまうのでしょうか。
その理由は、結局のところ、マスメディアを主体とする「記者クラブ体制」時代の、政治家(や官僚)とメディア関係者の「なあなあ」の関係が続いているからではないでしょうか。
「記者クラブ」とは、誰でも参加できる組織ではありません。限られたマスメディアしか参加できない、一種の「情報独占組織」です。
しかも、記者クラブに属するメディア記者のなかには、自身を「国民の代表」だと騙るケースもあります(『河野外相会見で勝手に国民の代表名乗るマスコミ記者の傲慢さ』、『「国民の代表」を騙る新聞記者、そして「国民の敵」』等参照)が、メディア記者は断じて国民の代表ではありません。
「国民の代表」を名乗って良いのは、正当に実施された選挙を通じて私たち日本国民が代表者として選んだ国会議員や、その国会議員から多数決で選出された内閣総理大臣などの政治家です。メディア記者はこうした「正当な選挙」というプロセスを経ていませんので、「国民の代表」では断じてないのです。
それなのに、「国民の代表」でもないメディア記者らが、「記者クラブ制度」をはじめとする古い業界慣行などを利用して、私たち国民のあずかり知らぬところで独占的に情報を入手し、「政治家は~の意向を固めた」、などと報じること自体、非常に不透明です。
では、なぜこんな制度が残っているのでしょうか。
簡単にいえば、政治家や官僚にとっても、独占的に情報を流せる仕組みは便利だからでしょう。実際、『新聞記者を鳩やヤギに例えた髙橋洋一氏に謝罪を求める』などでも報告したとおり、記者クラブは官僚機構がメディア記者を手なずける制度として悪用されているようです。
したがって、先ほど紹介した「政治家は~の意向を固めた」というパターンの報道も、おそらくは政府関係者が世論の観測などを目的に、複数の報道機関に意図的にリークしているのだとする見方も成り立つのですが、個人的には非常に気に入らないやり方です。
忘れてはならないのは、この国の主権者(主人)は、あくまでも私たち国民です。百歩譲って、国民から選ばれた政治家であれば、まだ「私たち国民の代表者」ですが、選挙で選ばれたわけでもないメディア記者らが「国民の代表」を騙るのはおこがましい話です。
(※余談ついでに言えば、官僚も「国民の代表」ではありません。国会が決めた法律をもとに官吏が実務的に行政組織を運営する分には構いませんが、財務省のように「増税原理主義」なる思想を勝手に持ち、勝手に政治家に財政再建の「ご進講」を行うこと自体、民主主義国であれば絶対に許されません。)
国民生活に重大な影響が及ぶからこそ…
もちろん、今回のようなやり方が全面的に否定されるものではありません。
とくに、国民生活に重大な影響が及びかねない決断を下すからこそ、メディアをうまく活用しながら少しずつ情報を選別してリークし、国民に対して少しずつ注意喚起をしていく、という方法も、「まったく合理性がない」、というものでもありません。
あるいは、鳩山由紀夫さんや菅直人さんのような人物が将来、再び首相に就任してしまうことは絶対にない、とは言えませんし、素人の政治家が間違って責任ある立場に就任してしまい、迂闊に「緊急事態宣言」などとポロッと口に出せば、そのこと自体、パニックを引き起こしかねないからです。
ただ、それと同時に現代社会においては、少しずつですが、インターネット上の便利な情報発信基盤が普及し始めています。政府・政治家がその気になれば、こうした「観測気球」すらも、マスメディア(新聞・テレビ)を使わず、インターネットを使って国民に直接働きかけることができるはずです。
記者クラブ制度を通じた不透明な情報発信だけでなく、動画サイト(たとえばYouTubeやニコニコ動画)なども活用し、政権の担当者や政府の担当官が入れ代わり出演するなどして、国民に向けて常時直接、情報発信を行う努力も必要ではないでしょうか。
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貴重な見解を毎日拝読しています。ありがとうございます。
長年、自働車メーカーで企業広報を担当していました。
日本の大手報道機関で憶測、印象操作、飛ばし報道が多いのは、
無記名と社内定期人事異動にも原因があると思います。
無記名ゆえ会社の名の下でいい加減な記事も書けるし、
書き殴り非取材者側からそれなりの処遇を受けても身分は保証され、
2、3年で他業種担当への異動を命ぜられます。
他の多くの国々では、基本記名かつ終身雇用ではないので、
いい加減な記者は自然淘汰されていきます。
榊原様
報道記事は署名/記名に限る、良いと思います。後々の検証や賠償などいわゆる監視がしやすくなりそうです。テレビの方は、しゃべりは口から出た端から消えていくので、、なかなか難しい、視聴しないという選択しかなさそうですね。
今回の緊急事態宣言検討中に関しては,官邸は政府がマスコミにリークしたものだと思います。いきなり緊急事態宣言を出されると,対応できず混乱してしまうことも多いので,予告編ということでしょう。今日は,緊急事態宣言が出た場合の体制の検討や準備で,結構忙しい日でした。
前日か前々日くらいにマスコミにリークをしつつ、最終調整をするという手法は、極々あたりまえそれ自体はいいと思います。そもそも、そういう流れで宣言が出されることは既定路線というか、あたりまえに予想できるものでしたし。わたしも都知事のロックダウン宣言のときに、緊急事態宣言は数日前から動きが見えるもので、いきなり出されるものではないというコメント書いた記憶があります。
マスコミは、「誰が言ったかはぼやかしますが官邸のリークですよ」とわかるように報道してほしいものです。『4月2日説』はネットのウワサだったという事になっていますが、マスコミの問題点として、ネットのウワサと確かなスジのリークとをきちんと区別した報道を心がけていないということが挙げられます。
もう一つ問題点は、緊急事態宣言時の外出自粛要請に対し、罰則がないとか、強制力がないとか、外出自粛を無視することを煽るような報道が多い点です。少しでも良識があれば、違う言い方になるはずです。
4月2日説は私の耳にも入ってきましたが,聞いたとたん,読んだとたんにデマだと感じました。話に整合性がなく不自然な点があったからです。そのあたりは,経験を積めば自然とわかるようになります。
4/2はデマだとわかって4/7はまあ本当だろうとある程度は分かるんですが、わからない人もたくさんいるようで、まるで年寄りや情弱を騙して遊ぶような報道姿勢が良くないよねって話です。
単なるウワサなら枕詞的に「未確認情報であるがネットでは〇〇という話題が☓☓で…」みたいに書いて、政府筋のリークなら「政府高官によると〇〇について☓☓と…」といったふうに書くべき。そうでないと、記者会見とかで記者に質問させてから回答する形で否定するとかメンドクサイ事する羽目になる。「一部報道で〇〇という話が出ていることは承知しているが、それは事実ではないとはっきりと申し上げます」みたいに。オフレコ騙ってデマ書いたらリークもらえなくなるから、オフレコの隠語使ってれば、まあ、事実かなとわかりますし。
慣例的に、「政府筋」とか「政府周辺」とか、オフレコだけど政府関係者の発言として、ソースは確かな情報であることをあきらかにした報道が以前は普通にあったのに、今ではそういったところまで省略してしまうので、まともな報道なのかただのウワサなのかはっきりしないものばかり。
はっきり言って、この件も、「怪情報」や「ただのウワサ」レベルでした。今現在だって、誰がどのような状況で何を発言したのか全くわかりませんし。複数の報道でほぼ同じ内容なので、「本当っぽいかな?」くらいの信憑性です。数日前に「4月2日に緊急事態宣言」とかいうデマが、まるで事実かのようにニュースとして垂れ流れさていました。オオカミ少年状態です。
安部首相の会見ですが、布マスクに見えます。
まあ、自分が使わずに、国民に配るじゃ、誰も納得しませんからね。
現金給付は、結構な金額が、反社会勢力に渡るような気がしますので、不安ですね。
だんな様
> 現金給付は、結構な金額が、反社会勢力に渡るような気がしますので、不安ですね。
麻生政権期の定額給付金の時も小渕政権期の地域振興券の時も言われてましたね。地域振興券は偽造の恐れすら指摘されてました。杞憂に終わりましたけど。
実は、大正期に普通選挙がなかなか実現できなかった理由の一つもこれでした。
普通選挙、平等選挙、秘密選挙、直接選挙の四要素は現代日本の政治の根幹を成すものなので、当然ながら歴史の教科書でも普通選挙運動を正しいもの、それに反対した政府側(伊藤博文内閣から桂太郎内閣までの藩閥政治、原敬内閣、清浦圭吾内閣、等々)にあまりいい印象を持たない書き方をしてます。
ところが明治後期〜大正期の人達は必ずしも普通選挙に好意的ではありませんでした。やくざにも一票が与えられる事、やくざの組織票でとんでもない人物が議員になる事が危惧されたからです。実際、大正〜昭和初期の衆議院議員は、表向きは社長または実業家、裏ではやくざの大親分という人がごろごろいました。
例えば、福岡県では日本一の大親分・吉田磯吉が福岡2区(旧筑前国東部。現在の福岡8区、9区)選出の代議士となり、子分達が地盤の若松市(現在の北九州市若松区)で次々と市会の議員になり(中には連れ込み部屋の元締めもいたとか)、選挙活動では吉田磯吉一派と反対派でやくざ抗争さながらのけんかや、市民を個別訪問して「◯◯◯に入れんかったら殺すぞ貴様!」と恫喝して回ったという話が残ってます。
最近、明治について知る機会があるのですが、
政府収入、地租とか、いろいろあったようです。
先人に脱帽して、感謝したいと思うのです。
マスコミ報道に接した時に感じる喉に刺さったような違和感の正体を、「これだよ」と取り出して見せてもらったような爽快感があるエントリーでした。
たとえ話です。
安倍首相が、ツイッターで「緊急事態宣言を発表します」と言ったら、皆さんどう思いますか?
花札並みの馬鹿になったか・・・としかw
官邸が報道機関をバイパスして国民に伝えかけようという動きははっきり自分には伝わっています。
それを自分たちの立場を貶める行為として報道機関が糾弾して(いた|いる)であろうことは、容易に想像がついてもいました。▲2%連中の「顔を立ててやった」「立ててやる」という、露骨な当てこすりも(起きる|起きそう|起きた)と観測いたします。
安部首相はさすがに重要な発信をする時は「お前ら19時から重要な記者会見をするからテレビ見れ」とか言うでしょう。
過去に福田元首相がソレやって真面目に聞いてたら余りの内容にひっくり返ってしまった訳ですが。
憶測記事自体はある程度仕方ないのかなって思うのです。
ただ、国民の一人としては明日緊急事態宣言が出るかどうかよりも、出た場合にどんな影響があるかというところが関心事項なので、「出る、出ない」だけではあんまり情報としての意味がないとは思います。
その点についても、今回は、ある程度解説記事も出ているので、許容範囲かなと思うのです。
以前から比べれば、首相含めて自らの口で語る機会を意図的に増やしている気がしていました。ある意味それは今の世の中YouTuberが跋扈しているように、ちょくせつトップが語らないと納得を得られ難いと言うこと、マスコミは信用ならないと言う事も意図として含まれているのでは無いかと思っていました。コロナ絡みの連日のテレビ報道を見ていると、酷いものですし。朝日系は相変わらすクルーズ船の人数を含めて報道しまくってますしね。
素朴な疑問ですが、今回の件では「官房長官」の陰が薄すぎると思いませんか? 新元号の時の目立ち方と、あまりにも極端な差があります。 最近、閣内の力関係が激変したという政治評論家の推測もあながちフェイクとも言えない気がしてきました。
記者会見とかでは、首相が自ら出ていかないといけない事態なので、官房長官は定例記者会見くらいしか出番がないのではないでしょうか。こういう状態で臨時記者会見で首相ではなく官房長官が出てきたら、首相の健康状態がヤバいのでは、くらいの憶測が流れてしまいます。なお、官房長官は布マスクでなく使い捨てマスクで記者会見というどうでもいいネタがニュースになってます。
違和感のある報道といえば
「死亡者は昨日と比べ減少し、今日は〇〇人でした」
という表現に違和感があります。
何人か生き返ったのかな?
「今日一日のの死亡者は〇〇人」でいいでしょう。昨日と比べる必要もあんまりないし、「死亡者減少」は不自然な表現だと思う。外信の和訳で変な感じになるのならわかるけど、日本メディアでこんなんじゃ中の人が日本語不自由なのかと思ってしまう。
この流れから一つ言わせて下さい。
日本政府の考えや方針がマスメディアを通じるしかない現状にも問題があると思います。良くも悪くも日本人は自分の意見をはっきりと言わない傾向があります。国内では大きな問題にならないのですが、それが外交では悪い方に作用することがあります。代表的なのが慰安婦問題です。日本政府が主体的に何の発信もしなかったことで、大きく問題が膨れ上がりました。
そこで提唱したいのが、日本版ボイスオブアメリカの設立です。日本政府が主体となって、マスメディアを通さない形で積極的に情報を発信するのです。
日本政府が今公式にどのような活動を行って、どのような意見を持っているのか、対外的にも国内的にも広めることのできる場になるはずです。
政治だけでなく、日本の習慣・自然・旅行情報を日本語で放送するのですから、日本語を学ぶ外国の方にも役立つはずです。ボイスオブアメリカを見れば様々なメリットは明らかでしょう。
国営放送なら日本にもあったような気も・・・。正確には(自称)公共放送だったかな。
VOAや他国の国営放送では、政治ネタはどういう姿勢で報道するのか、報道の自由と政府系報道機関とでどのようにバランスを取っているのか、ちょっと気になるところです。
N国党は迷走しているし、NHKをどうこうして国営放送『日本の声』にするのは難しそうですね。