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立憲民主・福山氏「鬼の首を取ったように騒ぐな」

先週の台風19号の襲来を受けて、あらためて国を挙げて防災の必要性が強く認識されているなか、必然的に2009年9月に「コンクリートから人へ」の掛け声を引っ提げて発足した民主党政権に対する批判が、おもにインターネット上で強まっています。ただ、批判される側といえば、立憲民主党・福山哲郎幹事長が「後から鬼の首をとったような議論をするな」と述べるなど、典型的な「逆ギレ」パターンに入っています。もっとも、「鬼の首を取ったような議論」が大好きなのは、むしろ立憲民主党や国民民主党などの野党の側ですので、いわば、福山氏の発言はブーメランとして自身にクリーンヒットしたという言い方もできるでしょう。

コンクリートから人へ

当ウェブサイトでは数日前の『もう日経には頼れない 新聞頼みの情報収集から転換を』で、群馬県の八ッ場(やんば)ダムが台風19号による利根川水系への被害の最小化に寄与した、という話題に触れました。

これは、「コンクリートから人へ」というプロパガンダを引っ提げて2009年9月の発足した民主党政権下で建設が一時凍結されたという「いわくつき」のダムですが、その後民主党政権は「八ッ場ダム中止」決定を撤回。

結局、安倍政権下発足後に工事が進み、現在は本格運用を前にした試験湛水段階にあります。

令和元年台風19号における八ッ場ダムの試験湛水状況について(2019年10月13日付 国土交通省HPより)

国土交通省パンフレット『八ッ場ダム』によれば、このダムの総貯水容量は1億立方メートル少々ですが参照)、台風19号の影響でダムに最大で毎秒2500立方メートル(!)という勢いで水が流入し、一時、7500万立方メートルにまで水がたまったものの、結局、放流はしないで済みました。

もちろん、すべては「結果論」に過ぎない、という話もあるかもしれません。

しかし、一時的とはいえ民主党政権下で八ッ場ダム建設が中止に追い込まれかけたという事実を踏まえるならば、とくに現在の立憲民主党や国民民主党の議員こそ、民主党政権の判断の何がおかしかったのかについて、ちゃんと正面から向き合うべきではないでしょうか。

事実を指摘されると激怒する

ところが、「自分たちの失敗」を指摘されると、反省するどころか激怒するのが、旧民主党政権関係者の特徴のようです。

次の産経ニュースの記事によると、立憲民主党の福山哲郎幹事長は16日、国会内で記者団に対し、八ッ場ダムの件で「台風対応に懸命に取り組まなければいけないのに、批判すること自身がナンセンスだ」などと「逆ギレ」したそうです。

「八ツ場ダムで民主党批判はナンセンス」 立民幹事長が反発(2019.10.16 22:45付 産経ニュースより)

これこそまさに「ブーメラン」でしょうか。

産経ニュースの記事を要約すると、福山氏は自民党が旧民主党政権下の八ッ場ダム建設工事の一時凍結を批判していることに対し、

  • 後から鬼の首とったような議論をするのは今の段階で適切だとは思わない
  • 頻繁に災害が起こる中で何が一番、国民負担が少なく、安心・安全な国土形成ができるのかという議論をすべきだ

などと述べたのだそうです。

福山さん。

お言葉ですが、「あとから鬼の首を取ったように大騒ぎする」のは、立憲民主党や国民民主党など、旧民主党系の野党の方々のほうではないでしょうか。

八ッ場ダムの建設工事が民主党政権発足直後に一時凍結されたことは、厳然たる事実です。

そして、本来、政治家は自分たちの判断が正しかったのか、間違っていたのかについて、私たち有権者に対してきちんと説明する責任がありますが、福山さんは八ッ場ダムの建設中止について、一度でも有権者に対し謝罪したことがあるのでしょうか?

事実を指摘されて逆ギレするというのは、まるでどこかの国とソックリですが、残念ながら日本国民の多くは民主党政権が掲げた「コンクリートから人へ」の掛け声を決して忘れていませんし、台風が襲来するたびに、例の「スーパー堤防はスーパー無駄遣いということで」(※)という決め台詞を思い出すことでしょう。

※「スーパー堤防はスーパー無駄」とは

当時の民主党政権下で緒方林太郎衆議院議員(当時)が「事業仕分け」の際、「仕分け人」として「スーパー堤防はスーパー無駄遣いということで一旦廃止にさせていただきたい」と発言したもの。インターネット上では当時のニュース番組のキャプチャ画像が広く拡散しており、検索すれば多くの関連画像を発見することが可能。

ツイッター上で批判される村田さん

一方、事業仕分けといえば、現在の立憲民主党の副代表である村田蓮舫(または「謝蓮舫」?)さんを忘れてはならないでしょう。

これは台風19号の襲来直後から、おもにツイッターなどのインターネット上で火が付いたもので、村田蓮舫氏が今から約10年前に二子玉川沿いにスーパー堤防を建設することを中止せよ、と主張していた動画が拡散されています。

ここでは、作家・ジャーナリストの門田隆将氏のツイートを眺めてみましょう。

村田蓮舫氏の当時の判断ミスについては門田氏のツイートに触れられているとおりですが、何よりも大きな問題は、村田蓮舫氏がこの問題に対する説明から逃げ回り続けていることです。

村田蓮舫氏の個人的なツイッター・アカウントの「謝蓮舫(renho_sha)」を確認してみたのですが、二子玉川の「ふ」の字も見られません。自分たちが批判するときは威勢が良いわりに、自分たちの判断ミスから逃げ続けるという意味では、村田さんも典型的な「旧民主党」の系譜なのでしょうね。

都合が悪いと「終わった話」

さて、台風に関連して、こんな話題についても取り上げておきましょう。

国民・森裕子氏「終わった話」 質問通告 詳細説明応じず(2019.10.15 16:06付 産経ニュースより)

この産経ニュースの記事は、国民民主党の森裕子参議院議員(新潟選挙区)が国会質問に際し、11日午後5時の質問通告期限を過ぎてから追加で質問を通告したとされる問題を取り上げたものです。

複数のメディアの報道によれば、この質問通告の遅れにより、台風19号が迫っているなかで、省庁職員が深夜まで答弁準備を強いられたとされていますが、産経ニュースによれば森裕子氏は国会内で産経新聞の取材に対し、

  • 質問通告の時間は守った
  • もう終わった話だ

と述べ、事実関係の詳細な説明に応じなかったのだそうです。

もちろん、このやりとりは「産経新聞の取材に対して」のものであり、産経以外の他社で確認することはできないと思いますが、もしこの記事の記載が正しければ、森裕子氏の態度は不誠実そのものです。

私たちが知っている一般社会常識に照らせば、「もう終わった話だ」と言って良いのは、基本的にはあくまでも自分が被害者の場合であり、加害者がこんな発言をすることに対しては違和感を禁じ得ません。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

以上より、福山哲郎氏、謝蓮舫氏、森裕子氏らに共通するのは、「他人に厳しく自分に甘い」、「自分たちの不祥事についてはダンマリを決め込む」という、きわめて不誠実かつご都合主義的な態度ではないかと思います。

ただ、ここでもっと深刻に受け止めなければならないのは、私たち有権者の役割です。

というのも、福山哲郎、謝蓮舫、森裕子(あるいは今朝の『立憲民主党の要求で「セクシー」を議論する日本の国会』で取り上げた熊谷裕人参議院議員)の各氏に代表されるような政治家を、いまでも国会に送り続けているのは、残念ながら私たち有権者自身なのです。

そして、腐敗した政治家を落選させるのは、私たち有権者にしかできない仕事であり、その意味でも私たちはもっと有権者としての自覚を持って行動しなければならないのだ、という点については、指摘しておく必要があるでしょう。

新宿会計士:

View Comments (23)

  •  堤防にしろダムにしろ、いつ起こるか分からない災害に対処するための、いわゆる保険的な意味合いがあります。

     人間誰しも未来は分かりません。ですから保険という事業が成立します。堤防やダムは日本国民の税金で日本国にかける保険です。

     これらを無駄だと言う人は、保険に入っていることがおかしいでしょう。少なくとも小生は箱物行政よりははるかに有意義だと思います。

     民主党(当時)の自然災害に対する考え方や、事故に対する考え方は韓国の考え方によく似ています。

     「品質が100%なら検査をする必要はない」
     「壊れなければ交換する必要はない」
     「事故にならなければ改善する必要はない」

     究極は「何も起こらなければ、規定を順守する必要はない」に繋がります。

     このような考え方からプロペラだけが飛んでいくヘリコプターや、建造物の崩壊、過積載による沈没等が生まれます。

     小生は「いつ起こるか分からない災害に備えるのは無駄遣い」と上記の韓国式思考は同じ感覚から生まれると思います。少なくとも日本人の持つ「物作り」の価値観とは合いません。

     民主党は自らの発言に責任を持ち、今回の教訓から反省し学んで欲しいと思います。それすら出来なければ、韓国と同じです。

     駄文にて失礼します。

    • だんな様

      下記の私の意見を縮めていうと、まさに「野党は、卑怯です」その通りです。

  • 「コンクリートから人へ」それ自体はあながち間違いではないと思います。安全のために、利便のために、公共事業のために、無制限にインフラス投資を行える状況は、もう日本に戻ってくることはないでしょう。限られた金を何に割り振るかを考える時期になりました。何か新設することはその時の新築費だけでなく、それに数倍する維持管理費をその後ろに引き連れてくることを忘れてはいけません。

    民主党に代表される野党に顕著な欠点が、メリットとデメリットの明示をしないというところです。八ッ場ダムを例に取れば、施工中止により激化が予見される異常気象にたいしどれだけの抑止力を失うのかを含めて正直に話すべきでした。「投資済みのX億円は完全に無駄になります。差し引きY億円の費用を節約できます。そのかわりP㎜の降水量が上流にあった場合、ダムがあれば防げたであろうQ世帯R人に被害が出る可能性があります」とマニフェスト(明示)するべきでした。言いづらいでしょうが、それが政治家の役割というものです。そういった検討と貧乏くじから逃げて、民主党スローガン「コンクリートから人へ」に忖度して、当時の前原大臣は状況に流された判断をしたのではありませんでしたか。

    自民党にも同様の癖はあります。典型例は新国立競技場です。3000億円でザハし最期の大作を施工するか、1500億でそれより保守的な外観の競技場にするか、国民に諮られることなく決まりました。ただ、誰に諮問したとしても安い方に決まること確実だったでしょうし、安倍首相が「白紙化決断」の責を負うと宣言した点で、野党とは無責任度合いが全く違いますが。

    説明責任を放棄し、実施責任から回避し、与党非難(批判でなく)に特化し、それで国民の支持を受けられると思っているなら、そんな野党は解散した方が日本のためです。

  • 自分から「終わったこと」というのはそもそも論外ですが、民主党政権がやったことについては、「終わったこと」じゃないんですよね。

    失敗したら、失敗した原因を明らかにして、今後の対策を示して、それに有権者が納得して初めて「終わったこと」になると思います。それがあれば、以降は蒸し返しは無しだと思います。

    彼らは政権担当時の行いを評価・反省していないですから、もしまた政権をとれば、同じ失敗を繰り返すと考えざるを得ない。
    政権公約は8割達成したとの強弁の記憶はありますが(確か細野豪志が言ってたような)、それ以外にあれがよかったのか悪かったのか、はっきりさせていないと思います。

    政権を狙っている集団である以上、有権者としてはこれは見逃せないです。

    終わっていないので、昔を蒸し返す行為をみながら、「どんどんやれ」としか思いません。

  • ホント簡単な話です。判断の誤りを反省して今後に生かせばいいのです。そうやってPDCAを回してより良い日本にしていけばいいのです。今さら政権のない人たちに責任取ってもらう話もないですし。

    それとも何ですか?PDCA回してより良い国に日本がなっていくのを邪魔したいのですか?

  • >以上より、福山哲郎氏、謝蓮舫氏、森裕子氏らに共通するのは、「他人に厳しく自分に甘い」、「自分たちの不祥事についてはダンマリを決め込む」

    ここにガソリンプリカと不倫疑惑の山尾も入れておいてください

    • 御意。

      韓国では「自ロ他不(自分がすればロマンス、他人がすれば不倫。)」と言うそうですから、その王道を行く人は外せません。

      ところで、趙春花さんは? (終わった人かな? よその村の人ではあるが)

  • 「八ッ場ダム中止」は撤回したんだから、「いったん中止決定を行ったが、その後多くの意見を聞き中止を撤回した。時間がかけてしまったが、政権が変わっても事業を引き継ぎ、今回に間に合わせて頂いた皆様に感謝したい」とでも言えば良いと思うのです♪
    Gさんの言うとおり
    >判断の誤りを反省して今後に生かせばいいのです。
    だと思います♪

    なんか完全無欠じゃなくちゃいけなくて、誤りは消去しないといけない病気にかかってるのでしょうか?

  • ある理念に凝り固まってしまうと、現実が見えなくなり、自分の誤りを認める事ができなくなります。もっとも、理念に囚われていても、頭が良ければ、普通の人なら騙されてしまうような言い逃れができるハズです。そういう意味で、ここに挙げられた旧民主党の人たちは、頭が良くないので、不幸中の幸いと言えるでしょう。もう、こんな低レベルの人たちが牛耳る旧民主党が、日本で大勢を占める事はないと思います。

    現実問題として、防災対策(自然災害にとどまらず原子力防災なども同じ)にどこまで金を掛けるべきかは、リスクと費用・効用を科学的に算定し、何処に線を引くか国家レベルで合意形成すべきです。則ち、国会で科学的知識を基に、侃々諤々の議論をすべきです。しかし、今の国会議員でそのような議論を主導できそうな人は見当たりません。せいぜい、「まずまず発言」で揚げ足を取るくらいでしょう。(私は、件の「まずまず発言」は、発言者が誰であれ、予想されるリスクと、実際の被害を冷静・中立的に評価したものと受け取りました。)

    それは、当たり前と言えば当たり前なのでしょう。今の日本は、防災の前の、国家安保の根幹である憲法9条についてすら、議論そのものを拒否する勢力が大きな力を有し、議論が進まないのですから。

    最近の私は、このような日本の姿を見るにつけ、これが我々日本人の限界かと思い、希望を失いかけています。

  • 政治はすべて、結果責任を伴いますから、

    >もちろん、すべては「結果論」に過ぎない、という話もあるかもしれません。

    と言うのはお伽話であり、国民に取っては、良好な「結果」こそが求められているのです。
    「結果"を"管理」しないといけないのに、「結果"で"管理」しようとする野盗の幹部が、「結果論」を盾にして開き直っているとしたら、人命の軽視も極まっている訳で、絶対に許せない。

  • 霞が関では、ツィッターで森ゆう子議員のしでかしたことを暴露した犯人探しが始まっているそうです。
    そういう方向へのエネルギーだけは事欠かないですな。

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