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新聞衰退は自業自得 これからはウェブ言論繚乱の時代だ

新聞の苦境が止まりません。(一社)日本新聞協会が先日公表した『新聞の発行部数と世帯数の推移』によると、2018年における新聞の部数の合計は4000万部を割り込んだのだとか。ただ、データをよく読んでいくと、一般紙の朝刊については、部数の減り方が不自然なほど緩慢です。これについては「押し紙」という不法行為が行われているという噂をよく耳にするのですが、日本経済新聞社出身の経済ジャーナリスト・磯山友幸氏が最近執筆された論考のなかに、「押し紙」という言葉が出てきます。果たして、何が問題なのでしょうか?そして、新聞が衰退すれば日本はどうなってしまうのでしょうか?

最新新聞部数レビュー

新聞発行部数は4000万部割れ

一般社団法人日本新聞協会が先日、『新聞の発行部数と世帯数の推移』の最新のデータを公表しました。これは、同協会が毎年公表しているもので、2018年における新聞部数の合計は4000万部を割り込んだそうです。わかりやすく、グラフ(図表1)と表(図表2)で示しておきましょう。

図表1 種類別新聞部数の推移(グラフ)

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データより著者作成)

図表2 種類別新聞部数の比較(2000年と2018年)
種類 2000年 2018年 増減率
合計 53,708,831 39,901,576 ▲25.71%
一般紙 47,401,669 36,823,021 ▲22.32%
スポーツ紙 6,307,162 3,078,555 ▲51.19%

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データより著者作成)

つまり、2000年には一般紙とスポーツ紙あわせて5371万部だったものが、2008年には3990万部となりました。今世紀に入って新聞の発行部数が4000万部を割り込んだのは初めてのことです。

朝刊・夕刊・セット部数

ただし、この「部数」のカウントの仕方は、やや特殊です。

朝日新聞や読売新聞などの主要紙には朝刊と夕刊がありますが、「朝刊と夕刊をセットで取っている」場合は、「2部」ではなく「1部」と数えるからです。つまり、発行形態別に見ると、①「セット部数」、②「朝刊単独部数」、③「夕刊単独部数」という3つの区分があるのです(図表3図表4)。

図表3 発行形態別新聞部数の推移(グラフ)

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データより著者作成)

図表4 発行形態別新聞部数の比較(2000年と2018年)
種類 2000年 2018年 増減率
合計 53,708,831 39,901,576 ▲25.71%
①セット部数 18,187,498 9,025,146 ▲50.38%
②朝刊単独部数 33,702,727 29,993,652 ▲11.01%
③夕刊単独部数 1,818,606 882,778 ▲51.46%

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データより著者作成。ただし、①②③の記号は著者による加工)

ただ、冷静に考えると、この区分も何だか変です。「朝刊単独部数」と「夕刊単独部数」を別々にカウントするならば、「セット部数」も「朝刊+夕刊」で2部とカウントすべきではないかという気がしてなりません。

そこで、「朝刊部数」「夕刊部数」を別々にカウントするという考え方で、図表3、図表4を書き直したものが、図表5図表6です。

図表5 朝刊合計部数と夕刊合計部数とその合計の推移

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データより著者作成)

図表6 朝刊部数と夕刊部数と合計部数の比較(2000年と2018年)
種類 2000年 2018年 増減率
④朝刊合計部数(①+②) 51,890,225 39,018,798 ▲24.81%
⑤夕刊合計部数(①+③) 20,006,104 9,907,924 ▲50.48%
④+⑤合計 71,896,329 48,926,722 ▲31.95%

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データより著者作成)

つまり、正確に「部数」を測定するならば、「朝刊の部数」(=「セット部数」+「朝刊単独部数」)、「夕刊の部数」(=「セット部数」+「夕刊単独部数」)、とやらなければ、分析も不正確なものになってしまうように思えてならないのです。

押し紙論争

一般紙・朝刊の減り方が少なすぎないか?

さて、私が普段から感じている不自然さは、一般紙朝刊の減り方が少なすぎる、という点です。

たとえば、図表2で見てみると、スポーツ紙はこの18年間で部数がおよそ半減しています。また、図表4、図表6で見てみると、①セット部数、③夕刊単独部数、⑤夕刊合計部数がいずれも半減していることがわかります。

ところが、②朝刊単独部数については18年前と比べて11%しか減っていませんし、④朝刊合計部数についても25%弱しか減っていません。

不自然ではないでしょうか?

もちろん、このインターネット時代において、朝刊と比べて夕刊が、一般紙と比べてスポーツ紙が、それぞれ部数の激しい落ち込みに直面していることは、何となく想像できます。

私の勝手なイメージでいえば、スポーツ紙も夕刊紙も「暇潰し」目的(失礼!)で買う人が多いため、スマートフォンが普及した現代社会では、「暇潰し」の地位は「まとめサイト」などに取って代わられてしまっている、という可能性もあるからです。

しかし、こうした「私の勝手なイメージ」で想像することが許されるならば、朝刊紙こそ、掲載される情報が古く、しかも分厚くて変な折込チラシも入っているため、通勤電車の中で読み辛いという事情もあるように思えてなりません。

指数化してみたら不自然さが際立つ

ところで、図表1、図表3、図表5で示したグラフについて、実部数ではなく、2000年を1として指数化したグラフを作ってみました。それが図表7です。

図表7 実売部数の指数化

(【出所】一般社団法人日本新聞協会データより著者作成)

図表7には6本の線が描かれています。

青の実線は①セット部数、マルが付された二重線は②朝刊単独部数(赤線)と④朝刊合計部数(青線)、破線は③夕刊単独部数(緑線)と⑤夕刊合計部数(橙線)、そして赤の実線が④+⑤の数値です。

このうち、①セット部数と⑤夕刊合計部数がほぼ重なっているのは、そもそも夕刊単独部数が少ないからであり、別に不自然な話ではありません。

しかし、①セット部数や③夕刊単独部数、あるいは⑤夕刊合計部数の落ち込みと比べて、②朝刊単独部数と④朝刊合計部数の落ち込みが極めて少ないことは、注目に値するでしょう。

「押し紙」は事実なのか?

この不自然さの理由については、実は、確たる答えはありません。

あくまでもインターネット上のうわさですが、産経などを除く新聞各社が「押し紙」によって部数を水増し申告している、といった指摘は絶えません(といっても、私は「新聞が押し紙をしている」という確たる証拠を持っていませんが…)。

ここで、「押し紙」とは、「実際には販売されていないのに販売されたことになっている水増し部数」のことだそうです。そして、公式には部数が600万部弱とされていながら、実売部数は400万部を割り込んでいるのではないか、とうわさされる某新聞もあるようです。

しかし、「実売部数が400万部しかないのに、600万部とウソをついている」といううわさが事実だとすれば、実売部数を50%水増ししているのと同じであり、「広告主からは本来受け取るべきでない広告料を騙し取っている」という意味では、れっきとした犯罪ではないでしょうか?

もし私が弁護士だったら、この「押し紙」の証拠を何としてでも掴み、押し紙をしている新聞社を相手取った集団訴訟を仕掛けるところです。

かつてサラ金が過払い金返還訴訟の餌食になり、大手サラ金が軒並み経営難に陥ったという出来事がありましたが、これと同じで、「押し紙返還訴訟」で勝訴の判例を勝ち取れば、そこを手掛かりにして「押し紙訴訟」で倒産する新聞社が出てくる可能性だってありますね。

そうなれば、法律事務所にとっては「過払い金返還訴訟」の「次の食い扶持」にもなりそうです。

新聞の衰退の意味

「新聞は不要」。これは「自業自得」です。

ここからは、最近、インターネット上で話題になった記事の中から、私がとくに気になったものを眺めてみましょう。

最初に紹介するのは、講談社が運営するウェブサイト『マネー現代』に掲載された、この記事です。

新聞部数が一年で222万部減…ついに「本当の危機」がやってきた(2019/01/24付 講談社マネー現代より)

執筆者は「経済ジャーナリスト」で日経ビジネス副編集長や編集委員などのご経歴のある、磯山友幸氏です。ただ、せっかくの力作について、まことに申し訳ないのですが、この記事について、正直、賛同できる点はほとんどありません。

記事は冒頭からこんな書き出しで始まります。

ネット上には新聞やテレビなど「マスコミ」をあげつらって「マスゴミ」呼ばわりする人がいる。論調が自分の主張と違うとか、趣味に合わないとか、理由はいろいろあるのだろうが、「ゴミ」と言うのはいかがなものか。

私も、「マスゴミ」という表現はあまり美しくないと思いますし、マスコミ各社の中にも優れた記者、ジャーナリスト、アナウンサーなどが存在するため、一概に「ゴミ」と蔑むのには賛同しません。

しかし、「慰安婦問題の捏造」(朝日新聞)、「時価会計停止誤報事件」(日経新聞)、「『イッテQ』の捏造」(日テレ)、「『あるある大事典』捏造事件」(関西テレビ)、「椿事件」(テレ朝)のように、マスコミ各社は大なり小なり、酷い誤報、偏向報道、捏造報道を頻発させています。

なぜ「マスゴミ」と蔑まれるのか。

磯山氏自身が捏造事件に関わったわけではないにせよ、マスコミ出身者としてご自身の業界に対する自省の意識が、世間一般常識と比べ、やや低すぎる気がします。また、

権力の暴走をチェックしたり、不正を暴くことは、ジャーナリズムの重要な仕事だ。

とありますが、新聞、テレビといったマスコミ自身が不当に大きな社会的影響力(あるいは権力)を握っていて、ときとしてマスコミ自身が権力として暴走していたという点について言及されていないのは、いかにもご都合的に見えます。

新聞は紙に情報を印刷するというメディアであるため、どうしても情報がすぐに陳腐化するという欠点があります。これに加えて、日本の新聞業界特有の利権体質と腐敗が一般国民から嫌気されている、という可能性にも注意が必要でしょう。

いや、新聞業界の苦境は、ある意味では自業自得なのです。

押し紙は事実なのでしょうか?

こうしたなか、私が絶対に見過ごしてはならないと考える下りが、これです。

全国紙朝刊の全面広告は定価では軽く1000万円を超す。その広告単価を維持するためにも部数を確保しなければならないから、「押し紙」のような慣行が生まれてきたのだ」(※下線部は引用者による加工)

磯山さん、本当ですか!?

もしこの下りが事実ならば、金額次第では明らかな詐欺罪が成立します。もちろん、この場合は「広告主に対する詐欺罪」ですし、民事上も明らかな不法行為です。

また、「第三種郵便物」として認可される条件の1つが「1回の発行部数に占める発売部数の割合が8割以上であること」(詳しくは郵便局の『第三種郵便物承認条件について』参照)ですが、1回の発行に占める発売部数割合が8割を割り込めば、第三種郵便物承認を取り消さねばなりません。

当然、第三種郵便物承認を取り消されれば、公職選挙法上、選挙報道もできなくなりますし(公選法第148条第3項第1号ロ)、場合によっては「押し紙」を行っていた新聞の選挙報道は公選法違反の犯罪となる可能性だってあります。

東京地検特捜部は今すぐマスコミ各社を捜査してはいかがでしょうか?

新聞は滅びる

そのうえで、磯山氏の論考では、

誰が、どうやって日本のジャーナリズムを守るのか。そろそろ国民が真剣に考えるタイミングではないだろうか。

と締め括られています。

お言葉ですが、新聞はむしろ、日本のジャーナリズムの守護者ではなく、破壊者でした。

2009年8月にはマスコミを挙げた猛烈な偏向報道の末に衆院選で自民党が大敗し、民主党が地滑り的な勝利を収めた「政権交代偏向報道事件」がありました(詳しくは『新年にあたり、「社説のブログ化」について考えてみる』で紹介した日本経済研究センターのレポートをご参照ください)。

また、最近だと「もりかけ虚報事件」という実例があります。これは、

安倍晋三(氏)が内閣総理大臣としての地位を悪用し、個人的な友人が経営する学校法人に対して違法な便宜を提供した疑い

を、まったく根拠もないくせに、新聞やテレビが延々と報じ続けた問題です。

おそらく、「政権交代偏向報道事件」をきっかけに国民の間で芽生え始めた「マスコミ不信」が、「もりかけ虚報事件」を契機に「確信」に変わり、その事によって日本の新聞は緩慢な衰退を迎えることが確定したと考えて良いでしょう。このままだと、新聞は滅びる可能性が濃厚です。

ただ、磯山氏は

そう、新聞が滅びると、真っ当なジャーナリズムも日本から姿を消してしまうかもしれないのだ

と述べていますが、私に言わせれば、再販売価格維持制度や記者クラブ制度などの利権制度にあぐらをかき、真っ当なジャーナリズムを率先して否定してきた日本の新聞業界に、偉そうにジャーナリズムを騙る資格などありません。

まことに恐縮ですが、すべてのマスコミ業界の皆さんは、新聞業界とテレビ業界が2009年8月に何をやらかしたのか、「もりかけ虚報事件」の何が問題化について、もう1度きちんと真摯に反省した方が良いのではないかと思います。

誰がジャーナリズムを担うのか

ただ、「誰がジャーナリズムを担うのか」という点については、確かに考えていく必要があります。

民主主義社会を健全に機能させるためには、「ジャーナリストが事実関係を調べ上げ、それを社会に報告する」という機能が求められることは間違いありませんし、民主主義社会においては「誰かが書かねばならないこと」を「ちゃんと書いてくれる人」が必要です。

そのこと自体、私もまったく同感です。

ただ、これからの時代にそれを担うのは、新聞ではありません。

「ウェブ評論サイト」です。

私自身、ウェブ評論サイトこそ、将来的には「新聞・テレビ・雑誌と並ぶ有力な媒体になる」と考えていますし、当ウェブサイト『新宿会計士の政治経済評論』は、まさにこうした将来を見越して運営しているサイトなのです。

もっとも、『新宿会計士の政治経済評論』が「見識のあるサイトである」、などと申し上げるつもりはありません。むしろ、当ウェブサイトは「人々が議論するためのたたき台」を提示するだけのサイトに過ぎず、あとはコメント欄で読者の皆さまに議論してもらえば良い、という発想です。

そして、『新宿会計士の政治経済評論』が唯一の「言論プラットフォーム」であるはずなどありません。当ウェブサイトの発想は極めてシンプルです。同じような発想のウェブ評論サイトなどすぐに作れますし、こんなサイトが日本に数千~数万サイトほど乱立すれば、まさに「百花繚乱」が実現するに違いありません。

ご安心ください。新聞が滅びても民主主義は滅びませんから。

新宿会計士:

View Comments (20)

  • 新聞は暇つぶしということで、良いかと思います。
    事実、週末になれば、折込チラシをしっかりと見るユーザーも身内にいます。
    コストに見合わなくなれば、切捨てできますので、NHKよりましかな?

  • 朝刊の減少が緩慢な理由について、押し紙があるのは事実だと思いますがそれだけでもないと思います。
    一つはやはりスマホなどで情報を得ない世代。
    所謂高齢者世帯主が多くいる事も関係しているでしょう。
    うちの婆様などデジタル放送で番組表を見る事が出来ず、番組表の為だけに朝刊を取っています。

    もう一つ朝刊には大きな利点があります。
    それは記事中で邪魔物扱いされている分厚くて変な折込チラシ。
    紙であるためコストも高く情報量も少なく本当に邪魔でしかないように感じられるのですが、そこには地域と共存した情報があるのです。
    主に近所のスーパーの特売や割引券ですが。
    スマホで見れるネットチラシと連動した割引クーポンやポイント還元などもありますが折込チラシのインパクトには敵いません。
    もちろん地域性で入っているチラシに差があるので全国どこでもそうとは言いませんが、アナログなチラシ割引とアナログな特売戦争を生きる主婦が、ある程度の朝刊販売部数を支えてる事は確かでしょう。

    スマホではなくタブレットの普及率が上がり、それが紙のように薄く新聞のように大きく開いたり畳んで小さく出来たり。
    その上で地域連動型のコンテンツで近所のスーパーの情報が入ってくるようになった時、新聞は滅ぶと思います。

  • 押し紙をテーマに取り上げて、素晴らしいと思います。押し紙関連情報

    「押し紙」なんと7割。悪質事例、裁判で明らかに【どの新聞社でしょう?】 | 小坪しんやのHP~行橋市議会議員
    https://samurai20.jp/2018/10/oshigami-21/

    「押し紙」率7割!老舗販売店経営者が直言「毎日新聞は癌末期」:MyNewsJapan
    http://www.mynewsjapan.com/reports/725

    毎日新聞の2店、「押し紙」70%の決定的証拠、実際の全国総部数は150万部前後か? | MEDIA KOKUSYO
    http://www.kokusyo.jp/oshigami/11863/

    毎日新聞「押し紙」なんと7割。悪質事例、関東でも。裁判で明らかに harutonoさんの日記 | 趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)
    https://smcb.jp/diaries/7540773

    【ライブドア、第1の危機--7割が「押し紙」】(新聞社の押し紙はコンビニ本部の仕入れ強要と同じで犯罪且つ環境破壊です) 小沢内閣待望論
    http://www.asyura2.com/08/lunchbreak11/msg/704.html

  • 毎日の更新ありがとうございます。 
    ドンピシャのタイミングで高橋洋一先生の記事が出ました。
    人生の半分を「新聞なし」で生きてきた私が新聞の凋落問題に思うこと
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59601

    民業ですが、日経新聞に記事のせるために、リークの取材を昔良くお願いしていました。
    記事がのったら、その日にプレスリリース出していました。

  • いつも楽しく(?)拝見おります。

    磯山友幸氏の記事は私も読んでおりましたが:
    「誰が、どうやって日本のジャーナリズムを守るのか。そろそろ国民が真剣に考えるタイミングではないだろうか。」のくくりには、まるで業界には責任がなく、消費者たる読者にこそ責任があるとでも言うような、強い違和感を感じていました。
    違和感の正体を見事に暴いていただきましてスッとしました。

    そもそも新聞は斜陽産業であり、近い将来には業態を維持できないように感じます。
    一例を上げると私の実家が契約している名古屋のローカル新聞では、広告のほとんどが老年向けの商品であり、簡単にその点から演繹しても読者の高齢化傾向が見て取れるかと思います。
    大きな地殻変動が無い限り、今後は発行部数減少に伴う各種値上げ、それがさらにユーザー・広告主離れを誘発するというスパイラルを断ち切ることはできないように感じます。
    「押し紙」が事実だとするならば、そのサイクルはすでに始まっていると感じます。

    個人的には現在の偏向した新聞には興味はないので、どうぞお好きに潰れてください、という感じではありますが、新聞配達員から始まって新聞社にいたるまでの雇用ピラミッドが崩れることは心が痛みます。
    新聞社の経営者には自覚を持っていただきたいと思います。

  • 私が新聞の内容に疑問を持ち始めたのは、半世紀ほど前、都内の某私大に在籍中の事で、当時は学生運動花やかなりし頃でした。大学内で殺人事件などが起きてしまい、普段は出入り自由であった大学が門を閉ざし、学生証の提示なしでは中に入れない状態の頃、機動隊が不審者を追って校門から侵入し、運悪くその近くにいた私まで混乱の中、追いかけられる事態に。幸い、足の速さだけは自信がありましたので、後を振り切って逃亡し、何気なく別の門から帰宅。

    その次の日の、日章旗新聞には、小さな記事でしたが、校門外で問題が起きたが、一切の官憲の侵入はなく、「学の独立」は守られたとなっていました。だって俺、追いかけられたやんと思い、そこから新聞に対する疑問が湧いたのです。
    言論系に強い大学でしたので、何かの意図が働き、事実と異なる内容を発表してもらわざるを得なかったのでしょうね。

    昔は焚き火が自由でしたので、新聞紙は焚き付けに便利、長じてからは、自営業となってからの、商品発送の梱包材料として使っておりましたが、二十年ほど前に購読を停止、今に至るも問題を感じません。

    会計士さんの言われる様に、情報発信の地滑り的な変化の中に私たちはいると思います。ますます、盛んな情報発信を、お願いいたします。

  • 私、ちょっと頭が回らないのですが、評論の部分を言って居ると理解すれば良いのでしょうか?
    元々マスコミ発表がベースのウェブだと理解してますので、新聞は消滅と言うのも関係が成立しないような気がします。
    人は生まれた瞬間から洗脳の連続ですから、最終的には国民の感受性の問題と言う事に成ると私は理解してます。

  • これからの時代にウェッブ評論サイトが「ちゃんと書いてくれる人」の役割を担う機会が増えてくるのは確かでしょう。
    そして、日本において新聞やテレビなどの政治的偏向が民主主義を歪めている、とも思います。

    ただ、やはりいわゆる「一次情報」のソース クレディビリティについては評論サイトだけでは賄いきれません。

    当サイトの評論の信頼性は、政府機関や国際機関などからの引用の多用と、それに伴う貴方の評論 推論の妥当性によって成り立っています。
    別の言い方をすれば、他の評論サイトには一次情報を捏造したりソースを明示せずに主観的な扇情記事を出す「ちゃんと書いてくれない人」が多い、ということです。
    そして、それは現在のいわゆる「マスゴミ」も全く同じです。

    違いは、朝日などの一次情報クレディビリティとその評論妥当性に問題意識を感じず惰性で購読し続けている読者が未だに多いのに対して、評論サイトの信頼性は多くが一次情報クレディビリティに依存し、それを担保するのは政府や国際と言った公的機関の出すデータが基本で、それさえも大陸や半島などからでは担保できない。
    貴方はご自分の経験や知識をベースに蓋然性の高い推論を出しているわけです。

    ですから、「誰がジャーナリズムを担うのか」は「ウェッブ評論サイト」も一翼を担うことは確かでしょうが、同じくいわゆる伝統的マスコミも役割を終えるわけではなく引き続き存在し続けるでしょう、というのが私の推論です。

  • 新聞を擁護する口実として曽野綾子氏はよく「新聞紙は梱包材として重宝する」と書いています。これ、擁護しているつもりで「記事に価値はない」と言っているわけです。

    個人的な知り合いにも、活字は不要だが紙が欲しいから新聞を取っているという人がいます。そんな方には、ボーガスペーパーという商品を紹介しています。

    https://www.monotaro.com/s/?c=&q=%83%7B%81%5B%83J%83X%83y%81%5B%83p%81%5B&swc=0

    通信販売で物を買うと、緩衝材として紙をくしゃくしゃと乱雑に丸めたものが入っていることがあります。あれです。二千円台で買えます。新聞よりも安くて量が多く、インク写りの心配がないので広い用途に使えます。

    ところで、ボーガス(bogus)とは、偽の、いんちきの、いかさまの、という意味です。新聞こそ“bogus paper”と呼ばれるのがふさわしいと思います。

  •  独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。

     日本マスコミ村にとって、「ジャーナリスト」とは、それで生活してい
    る日本マスコミ村の村民のことだけだと思います。そして、村外の人は、
    (無意識かもしれませんが)村民を支える存在であると、思いあがってい
    るのでしょう。だから自分たちの特権に疑問を抱かず、村外の人が「村民
    の生活が維持できるように配慮せよ」との考えが出てきるのです。(だか
    ら、そうは考えない人との間で、意見が嚙み合わないのです)

     また、今後は日本マスコミ村の生活が維持できるように、環境を変える
    ことを(実質)禁止するように要求してくることが考えられます。(勿論
    上手くいくとは限りません)

     日本マスコミ村にとって、インターネットの恐ろしいことの1つに、自
    分たちにとって、「忘れて欲しい不祥事」が、その事実の示す「映像(ま
    たは文書)」と共に、「それを保存していた少数の人」によって、世に中
    に「拡散されること」ではないでしょう。

     駄文にて失礼しました。

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