努力と人間の幸せ
新年だから、という訳ではありませんが、普段滅多に書かないテーマにも挑戦してみたいと思います。それは、「人間の幸せとは何か?」というテーマです。本日は、自分自身の半生を振り返りつつ、「努力をすること」の重要性を考えてみたいと思います。
目次
管理人自身のこれまでのキャリア
プロフィールにも書いてある通り、このウェブサイトの管理人「新宿会計士」は、40代の公認会計士であり、都内で2015年10月に設立した、金融に特化したコンサルティング会社を経営しています。ただし、ここに至るまでには、様々な紆余曲折があったことも事実です。
大学時代は「失意」
私は、神戸出身ですが、大学に入学するために上京。ただ、家庭の経済的な都合もあり、大学に通うために、「新聞奨学生」として、新聞配達(※よりによって慰安婦問題を捏造した朝日新聞!)をして生計を立てていました。
今になってみれば、大学時代は、もっと「遊んで」暮らしたかったと思うこともあります。あるいは、「遊び暮らす」ことはないにせよ、新聞配達をする時間があれば、司法試験とか、公認会計士試験とか、そういった「資格試験」の勉強をしているべきだったのかもしれません。
それはともかく、新聞配達の仕事を3年ほど続け、ある程度お金が貯まった段階で、私は新聞配達を辞めて学業に専念。さらに公務員試験の勉強も始めました。
大卒後もしばらく「失意」
結果は、大学在学中の合格はできなかったものの、大学を卒業して最初の国家公務員採用一種試験(経済職)に合格。しかし、「官庁訪問」の際に「官庁批判」をし過ぎたためか、どの官庁からも内定がもらえず、「単なる試験合格者」となってしまいました。
官庁訪問とは?
国家公務員採用一種試験受験者が、第一次試験の翌日(つまり、試験の合否がわからない段階)から就職を希望する官庁に「就職活動」をすること。つまり、国家公務員採用一種試験に合格しただけでは官僚になることはできず、試験合格時点で内定を得ていなければならない、という仕組み。なお、現在は試験制度が変更されているらしいのですが、国家公務員試験を受験しようとする人は、詳しい内容については人事院などに問い合わせてください。
しかも、私は大学在学中に父親を亡くし、経済的にも追い込まれた状況となってしまったのですが、神戸の実家に戻り、アルバイトをしながら公認会計士第二次試験の受験を決断したのです。
借方も貸方もわからないのに公認会計士試験を受験
当時の私には、公認会計士第二次試験(※当時)に合格すれば、「会計士補」の資格が得られ、かつ、大手監査法人は「求人難」でしたので、難なく就職できる、という目論見がありました。ただ、今になって思えば、「借方」も「貸方」もわからないのに、公認会計士試験を受験するとは、我ながら実に「冒険」をしたものです。
公認会計士試験とは?
当時は「三次・五段階」試験。このうち「第一次試験」は、大学で一定の単位を得ていれば免除される仕組みで、事実上の最難関は「第二次試験」だった。「第二次試験」に合格すれば(※合格率は6%程度)、会計士補の資格が与えられ、さらに3年間の実務補助・修習などを経て、公認会計士になるための試験(第三次試験)の受験資格が得られるというもの。「第三次試験」の合格率は60%前後だった。なお、現在は「一次・二段階」試験に変更されている。詳しくは下記図表参照。
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私は、大阪にある某受験専門学校に入学。そこで1年少々勉強し、無事、公認会計士第二次試験に合格して、神戸にある某監査法人に就職しました。
志の低い地方事務所
ただ、最初に就職した事務所は、「監査法人」を名乗っていながらも、実に志の低い地方事務所でした。
なぜ私が地元で就職せざるを得なかったのかといえば、家庭の事情(※この辺りは割愛)があったのですが、私がこの事務所に就職してから1年後、偶然、この「家庭の事情」が消滅。私がこの事務所で働く理由はなくなりました。
このため、直ちに東京の大手監査法人への転職活動を開始し、希望する職種で内定をもらい、この「志の低い事務所」に2年弱で見切りをつけて、再び東京に住むことになったのです。
東京の大手監査法人時代
東京に転職した私は、自分の希望通り、監査法人の中で「一番大変な部署」である、金融機関の監査チームに配属されました。
最初の2年弱を地方の事務所でダラダラ過ごしていた私にとっては、この新しい職場は、非常に多忙で刺激に満ちた日々でした。それこそ、様々な苦労を重ねながらも、毎日のように新しい知識を得て、まさに「水を得た魚」のような生活だったと思います。
しかし、この充実した生活は、3年で突如、終焉を迎えます。私が勤務していた監査法人で「人事制度」が変更され、突如として、自分が全く希望していなかった業種に「人事異動」させられたのです。
私が地方事務所から東京の監査法人に転職した理由は、「金融機関の監査」に従事したいと思っていたからです。しかし、「異動先」は私の希望する業種ではなく、再び失意に沈みました。
その時に、偶然知り合った転職斡旋業者から、監査法人ではない「一般事業会社」を紹介されました。その会社こそが、私が10年近く勤務することになる会社だったのです。
専門性を買ってくれた会社
私は結局、せっかく転職した東京の監査法人を退職しました。勤続した期間は転職してから4年、人事異動からはわずか1年でした。
そして、転職した先の会社では、「金融機関の監査事情に詳しい」という私の知識と経験を、とても高く評価して頂き、居心地も良く気が付いたら10年近くもその会社で過ごしてしまいました。
私はこの会社に在職しているときに、様々な専門知識を蓄積し、結局、書籍を5冊執筆し(うち2冊は単著)、全国のお客様と仲良くなり、この時に蓄えた知識と人脈が、そのまま現在の仕事に直結することになったのです。
独立開業
そして、2015年9月、私は念願の「独立開業」を達成しました。ただ、この「独立開業」も自分の力で成し遂げたのではなく、以前勤務していた会社で蓄積した知識・業務経験、さらには人脈が、非常に強くプラスに働いたのです。さらに、退職する際にも、前職の会社は最大限、私に対して便宜を図ってくれました。その意味で、前職の会社には、「本当にお世話になった」と心から思うのです。
ただ、ここから先は、本当に自分の実力が試される局面です。そして、一日も早く会社を大きくして、これまでお世話になった様々な方に、恩返しをしなければならないと思っています。
「運が良い」ことの意味
運の良い経歴
自分自身の経歴の特徴を表現すれば、「運が良い」というヒトコトに尽きます。
大学を出て、国家一種に合格したことは、ある意味で「まぐれ」という要素もあったのですが、ただ、自分自身は公務員適性がなかったのか、結局は官僚になることができませんでした。しかし、ちょうど小渕内閣以降の省庁再編や猛烈な「官僚バッシング」が始まる時期だったという事情もあり、官僚にならなかった(なれなかった)ことは、下手な混乱に巻き込まれないで済んだ、という言い方もできるかもしれません。
次に、1年少々の勉強で公認会計士第二次試験に合格したことも、「運が良かった」といえます。また、最初に地方の監査法人で社会人としてのキャリアをスタートさせたことは失敗でしたが、この事務所に2年弱でさっさと見切りをつけ、東京の大手監査法人に転職したことは「大正解」でした。なぜなら、ちょうど金融危機の最中で、不良債権処理の実務を学習することができたからであり、また、金融商品会計基準の知識を深めることもできたからです。
さらに、今となっては偶然ですが、「J-SOXバブル」が発生する直前に監査法人を辞めたことも「大正解」でした。監査業界は「J-SOXバブル」「IFRSバブル」を当て込んでいたようですが、現実には、金融機関の圧倒的大部分はIFRS採用を見送ったからです。
私は大手監査法人を退職し、次の転職先で金融危機と金融規制の動向をつぶさに眺めることができ、それによって「他の公認会計士が絶対に持っていない知識」を得ることができたと考えています。
家族面でも「運が良い」?
一方、私は母親(故人)が在日韓国人二世(生前に日本に帰化済み)でしたが、不思議なことに、「悪縁」は切れて、「良縁」に恵まれているように思えます。
母方の叔父どもは、祖父母(在日韓国人一世、いずれも故人)の遺産相続に絡み、私を含めた法定相続人の名義を悪用し、相続税逃れをしていたのですが、これについては2009年に母方祖母の他界後に開始した「遺産分割調停」「不当利得返還訴訟」により、きっちりと片を付け、親戚の朝鮮人どもとは、すっぱりと縁を切りました。
さらに、私が韓国人の血を引いているということを理解したうえで、私と一緒になってくれるという配偶者にも恵まれ、やや遅かったものの、子宝も授かりました。
私はキリスト教徒やイスラム教徒ではないものの、「神様」という存在に対しては、本当に感謝したいと思うのです。
運が良いには理由がある?
ただ、今になって自分の経歴を振り返ってみて思うことは、「決して平坦な道ではなかった」、ということです。また、会社を退職してしまい、収入も激減してしまった現在、これからの道も「平坦」であるようには思えません。しかし、それでも現在の私は、非常に恵まれた状況にあることは間違いないでしょう。
ところで、「運が良い人」、あるいは「成功している人」には、共通点があるような気がします。それは、
「現状に対する愚痴を言わない」
という点です。あるいは、「誰か他人のせいにすること」(例えば「自分が●●なのはXXが悪いからだ」と思い込むこと)と言い換えても良いでしょう。たとえば、
俺が職場で冷遇されているのは、上司の山田部長(仮)のせいだ
私が子育てで苦労しているのは、国が保育園を整備してくれないせいだ
といった具合です。
もちろん、「運が良い人」や「成功している人」に明確な定義があるわけではありませんし、「成功する人は愚痴を言わない」というのは、「統計的に確かめられた事実」ではありません。
しかし、未来を信じて努力を続ければ、どこかで「報われるチャンスが到来する」のも事実です。
確かに、今の自分の努力が実を結ぶかどうかは「運の良し悪し」でもありますが、そもそも努力自体をしていなければ「実を結ぶチャンス」自体が激減してしまうでしょう。
成功を常に具体的にイメージする
私が二回目の転職を成功させたあたりから、実践していることが一つあります。それは、「成功」について、身近な例で常にイメージし続けることです。
例えば、私の独身時代の目標の一つに「結婚」がありましたが、「このような女性が現れたらプロポーズしたい」、という具合に、できるだけ具体的にイメージを描き続けました。
また、新宿の賃貸物件に居住していた頃は、「いずれ自分の物件を買いたい」と思っていましたが、「このような間取り・面積でこのような金額の物件が売り出されたら買いたい」、というイメージを持ち続けました。
さらに、会社員時代は、「会社の役員になる」という目標を持ち続けており、「現在の会社で役員を目指すか、独立して自分の会社を持つか、そのどちらが早いか?」「独立して自分の会社を設立するとしたら、どのタイミングか?」という条件を、常にイメージし続けていました。
結果的には、いずれも「自分の目標に合致する条件」が出現した時に、すぐに決断することができたと考えています。ただ、もっと早くからそれを実践していれば、こんなに苦労しなかったのに(笑)、と思うこともあります。
努力と人間の幸せ
人間の幸せとは、結局、何なのでしょうか?「お金」でしょうか?「知識」でしょうか?「子宝」でしょうか?
私の考えでは、いずれも「幸せになるための要素」に過ぎません。そして、自分の努力で少しずつ積み上げていくことの喜びは、まさに人間の幸せと直結していると思うのです。
在日韓国人でもある私の叔父どもは、商売で大成功した祖父母の遺産を食い潰すだけの人生でした。本当に愚かです。知恵がなければ、どんなに莫大な遺産を継いでも、すぐに食い潰してしまいます。だれか恵まれない方に寄付した方が、使い道としてはよっぽど有意義でしょう。
いずれにせよ、私は「努力こそが人間の幸せ」と信じていますし、今年もこのウェブサイトを通じて、読んで下さった方の知的好奇心を刺激する、有意義な情報の発信に努めたいと思っています。
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