「万葉集は新羅の郷歌と判明」=韓国の衝撃の最新研究
世にトンデモのタネは尽きまじ
先日の『歴史は繰り返す:「新発見・万葉集は韓国語だった!」』で報告したとおり、「万葉集は(古代新羅の)郷歌だった」とするトンデモ説がこのほど韓国で出版されたそうですが、その、「続報」が出てきました。なんと、「万葉集の4516首からランダムに選んだ650首が、ひとつの例外もなく『郷歌創作法』により作られていることを確認した」、というのです。な、なんだって~!?
目次
「日本語の由来」は知的好奇心の源泉
当ウェブサイトの管理人は、高校生時代には「にわか言語学者」を気取っていて、一時、本気で言語学部に進学しようと考えていたほどでした。そんな自分自身にとって最も興味のあったテーマが、「日本語がどこから来たのか」、「日本語にはどんな特徴があるのか」、です。
といっても、高校でそんなことは教えてくれません。
情報源の多くは、住んでいた区内の図書館にありました。金田一春彦先生、大野晋先生らの日本語論考は、それこそやっと学問の面白さに目覚めつつあった高校生にとっては、知的好奇心を大いに刺激する題材だったのです。
ただ、結局、紆余曲折もあり、進学したのは某総合私立大学の商学部で、その後の進路も言語学者ではなく、国家Ⅰ種試験を経済職で受験して経済官庁を目指したという、なんだかよくわからない結果になりました(しかも官僚として就職することもできなかったというオマケまで付きました)。
しかし、今でも言語学の話題を目にすると、個人的には知的好奇心を大いに刺激されます。
とくに、大野晋先生が提唱した「日本語=タミル語説」は、なかなか興味深いものでした。あくまでも記憶ベースですが、日本語やパプアニューギニア語の起源は南インドのドラヴィダ語族、とりわけタミル語と、発音、語彙、文法などの面でさまざまな共通点がある、とするものです。
こうした「タミル語→日本語」説に対しては、「インドと日本が地理的に離れすぎている」といった批判に加え、言語学界ではさまざまな批判・反論が加えられているとのことも事実です。
とくに、大野晋先生が両言語間の歴史的な交流関係にほとんど言及せず、文法、単語といった言語の特徴だけに着目した比較の手法が、言語学における主流的な手法から外れている、といった批判もかなりあります。
科学の世界は試行錯誤の繰り返し
しかしながら、言語学の世界に限らず、一般に学問の世界においては、「何らかの発見がある」→「仮説を立てる」→「その仮説に合致しない証拠が見つかる」→「仮説が修正される」、といった作業がひたすら繰り返されていきます。
言語学の話から、思いっきり脱線しておきましょう。脱線する先は物理学と経済学です。
思えば、今日では「正しい」とされる、アインシュタインの相対性理論についても、発表された当時はじつに多くの批判がありました。「光に近い速度の慣性系では時間の進み方が変わる」と言われても、多くの人は「そんなバカなこと、あるか!」と、ときとして感情的に反発したりもするのです。
もっとも、それを言い出せば、「地球は太陽の周りを回っている」というコペルニクスが提唱した「地動説」も大いに批判されましたし、カトリック教会は宗教裁判でガリレオ・ガリレイに対し、1633年に異端判決を下し、2008年にそれを撤回するまで、地動説を認めていなかったほどです。
また、財政学の世界においては、自国通貨で発行した国債がデフォルトするというカルト宗教が信じられているようであり、わが国の場合も、そのカルト宗教の総本山である財務省に財政を乗っ取られ、財務省はこの誤った宗教に基づいて、増税など、日本経済に対する破壊活動を続けています。
オウム真理教に破防法を適用したのと同様、財務省に対しても破防法を適用したら良いのに、と思う今日この頃です。
古代日本語を現代韓国語で読むというトンデモ説
さて、ハチャメチャに脱線した議論を、言語学に戻しましょう。
以前の『歴史は繰り返す:「新発見・万葉集は韓国語だった!」』では、1980年代から90年代にかけて「万葉集は韓国語で読める」とする書籍日韓で大流行したとする話題に関連し、1988年に刊行された『もう一つの万葉集』という書籍について取り上げました。
結論からいえば、噴飯物の議論です。
個人的に、過去にこの手の書籍を数冊、読んだ経験があるのですが、古代日本語を現代韓国語で解釈しようとするなど、学術的なプロセスを一切無視した代物ばかり。学生だった自分自身の目から見ても、明らかに「トンデモ本」とわかるからです。
また、この手の書籍を執筆している人たちの多くは韓国人(在日韓国人や、本国の韓国人)であり、なかには明らかに思い付きで、「韓国語と日本語はこんなに似ている!」「だから、明らかに同じ言語だ!」などと主張するものも数多く見られました。
これに対して、「『説明』と『証明』の区別もついていないのに、よく書籍を出版できるな」、といった感想を抱いたことも事実です。
ただし、言語学の世界で明らかに学術的なプロセスを無視したトンデモ本が数多く出版されている分野というのは、べつに日本語と韓国語の関係に限られません。「日本語=英語」説も数多く出版されていたのではないかと思います。
たとえば:
- kennel(ケンネル)…犬小屋=犬(ケン)が寝るところ
- typhoon(タイフーン)…台風
- tavern(タヴァーン)…居酒屋、酒場=食べるな
といった具合に、日本語と英語にも、「関係があるに違いない」と思しき事例は、探せば何十も何百も出てきます。
いちおう、真面目に突っ込んでおくと、人間が発音できる音素には限りがあるため、数多くの語彙のなかに、たまたま似たような意味・発音のものがあっても不思議ではありません(ちなみに「台風」という単語自体は英語の “typhoon” の音訳で、「台風」という表記が日本語に定着したのは戦後のことだそうです)。
また、tavernはラテン語のtaberna(タベルナ)が由来だそうですが、もしも「tavern=食べるな」説をもって「日本語と英語が同祖だ」と言い張るならば、日本語とラテン語の関係についても同様に論じなければおかしいでしょう。
ご冥福をお祈りします…が!!
こうしたなか、『もう一つの万葉集』の著者の方が先月25日、89歳で亡くなっていたようです。
作家の李寧煕氏死去 「もう一つの万葉集」
―――2021.4.26 17:11付 産経ニュースより
本件に関しては、心からご冥福をお祈りしたいと思います。
ただ、世代交代したとしても、やっぱりインチキ本のタネは尽きません。日本のゴールデンウィーク中に相当する5月2日、韓国メディア『中央日報』(日本語版)には、こんな記事が掲載されていました。
日本の「万葉集」の秘密、新羅郷歌がカギだ
―――2021.05.02 12:16付 中央日報日本語版より【韓国経済新聞配信】
『歴史は繰り返す:「新発見・万葉集は韓国語だった!」』でも紹介した、『日本の万葉集は郷歌だった』という書籍の日本語版解説記事ですが、これもなかなかに強烈です。
配信した韓国経済新聞(韓経)によると、この書籍は「新羅郷歌分析」を適用して「『万葉集』から無作為で抽出した作品650首」を分析したところ、「ひとつの例外もなく『郷歌創作法』により作られていることを確認」した、というのです。
そもそもこの「郷歌」、つまり「新羅時代の朝鮮語の歌謡」なる代物自体、現存するのは数十首程度に過ぎないらしく、しかもそのわずか数十の歌を使って4500首を超える万葉集の和かを解読するという試み自体、言語の専門家でなくても「かなり無理がある」と感じずにはいられません。
しかも、韓経によると、この新たな著書によれば、「郷歌」は「現代のミュージカルや演劇、マダンノリのような公演の台本だった」というのですから、もうメチャクチャです(笑)
しかも、さりげなく「新羅郷歌」だけでなく「高麗郷歌」とも記載されていますが、「新羅」と「高麗」だと全然時代が違います。高麗王朝は紀元918年に建国され、1392年、李氏朝鮮により滅ぼされたとされる国ですが、そのころの日本は平安・鎌倉・室町時代です。
日本に対しては、ことあるごとに「正しい歴史認識を持て」などと言い募る韓国ですが、果たして韓国では学校教育において「正しい歴史的事実」をちゃんと教えているのでしょうか。
ちなみに、韓経は次のようにも述べています。
「著者の郷歌解読法で解釈した内容は既存の日本式解釈と同じ作品とみるのが難しいほど違う」。
ま、そりゃそうでしょうな(笑)
共同研究?ま、やりたきゃどうぞ
ちなみに、韓経には次のような記述もあります。
「『万葉集は郷歌だった』という彼の主張が認められるならばその波紋は少なくなさそうだ。全4516首に達する『万葉集』は古代日本のアイデンティティとも見なされる。著者は4516首全体を日本の学者と共同研究したいと提案した」。
なんだか、いろいろとツッコミどころが多すぎて困ります。
「万葉集は郷歌だった」という主張が学問の世界で認められるとも思えませんが、両者に何らかの関連が証明されたからといって、自動的に「万葉集は郷歌だった」という結論になるというものでもないでしょう。むしろ「郷歌は万葉集のパクリだった」、という結論になるかもしれません。
また、「4516首全体を日本の学者と共同研究したい」とのことですが、すでに確証バイアスで凝り固まっているであろう研究を、のこりの首について適用したところで、どうせ「万葉集は郷歌だった」という結論に合致するように解釈するのではないかと思う次第です。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ちなみに、一般にトンデモ本と呼ばれているものは、どんな国であろうが、どんな時代であろうが、コンスタントに発行され続けるものなのだと思います(著者私見)。したがって、今回の書籍が「現代韓国人の対日コンプレックスの証拠」とまで拡大解釈すべきではないでしょう。
ただ、日本だとまともなメディアはまず相手にしないであろうトンデモ説が、韓国を代表する「保守系(?)メディア」に堂々と掲載されるというのも、なかなかに興味深い事象であると思わざるを得ないのです。
オマケ:万葉集は英語だった!
ちなみに韓経の主張は「万葉集は韓国語だった」というものだそうですが、じつは、万葉集は英語でこそ説明ができます。
- 万=many
- 葉=yodel
- 集=show
すなわち「万葉集」とは、「多くの(many)ヨーデル(yodel)のような歌をショー(show)にする」、という意味があったのだ!な、なんだって~(以下略
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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世界に誇れる文化がないから、すぐ韓国発祥という病気が発症する。本当、しょーもない民族だと思います。恥ずかしくないのかと考えるのは日本人だけで、シナ人や朝鮮人はそう思わないんでしょうね。
そのお隣の国からもトンでも説が、似たり寄ったり。
https://news.nicovideo.jp/watch/nw9291601?news_ref=tag
更新ありがとうございます。
朱子学のせいもあるのか、いやその前から朝鮮は前王朝が滅ぶと根こそぎ焼き払い、壊し尽くし、殺し尽くし、埋め尽くして無きものにする。その繰り返しです。だから、何も残らない。
万葉集は7世紀前半から759年までの約130年間の歌が収録されている。成立はその直後から780年と言われる。対して、韓国の言うところ、統一新羅は676〜935年頃の王朝です。
ちょっと合致する部分もあるが、まあいつもの戯言だと(嘲笑)言えますね。現存するのが数十首程度に過ぎないのに、4,500もの歌が生まれますかね?どんな創意工夫でしょうか(笑)?
なんだよソレ、まだムーの記事の方がもっともらしい。
>「正しい歴史的事実」をちゃんと教えているのでしょうか。
*正誤の認識が源流主義に沿ってるかどうかなのでしょうね。
共同研究っていうのも、「追認しろ!」ってことなんですよね。
清水義範の短編集、『蕎麦ときしめん』の中に、『序文』という作品があります。タイトルどおり、とある著者の序文だけを集めた作品です。その著者は「英語の語源は日本語」という学説を唱えているという設定です。1989年刊行という古い本ですが、今でも十分に笑えます。初期の清水義範が持つ鬼気迫る笑いを集めた傑作だと思います。
『蕎麦ときしめん』(講談社文庫)、清水義範 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00GYTHTCI/
上述の『序文』に関連した、こんな論文? を見つけました。笑えます
http://sils.shoin.ac.jp/~gunji/CR/logs/Kyozai/zyobun/zyobun2.pdf
恐らく大真面目な主張ではなく、清水義範研究の一環ではないかと思います。
この中にも
李寧煕 (1989). 『もうひとつの万葉集』. 文藝春秋
が参考文献として挙げられています。
安本美典 (1991). 『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』. JICC 出版局
もあります。
阿野煮鱒 様
そういえばそういう作家がいましたね。ホント懐かしい名前です。 毒というか灰汁が強そうで読めなかったですが。
一部の鳥は玩具を作って戯れますし、イルカは毒フグをつついてトリップして楽しむそうです。しかし妄想や嘘を使えて且つ娯楽として楽しめるのは、言語・文化が発達した人類ならではでしょうか。……え、アレ本気?
でもでも、空を飛びたい、宇宙空間に飛び出したい、月まで行ってみたい……いずれも妄想に過ぎなかったものを、極僅かな天才が悪魔的な情熱によって成し遂げてきました。
またノーベル賞も、実現不能に思われた和平を成したり、科学分野でも誰も見向きもしないニッチな研究からとてつもない利用法が見いだされたした結果であったりです。
そのまま止まるな突き進め!
とんでもないことを、笑わせようとするのと、真剣にするのとでは後者の方がより笑えます。
半島人は、その後者の方で 常にとんでもないことをまじめに実行します。
自分に迷惑さえかからなければ 韓国は最高のお笑い芸人だと思うのです。
ただし、自分に被害が及ばなければですが。
韓国ネット民は、「日本文化はすべて朝鮮から伝わったもの」、「野蛮な日本に文化を教えたのは朝鮮」というのが、スタンダードです。朝鮮を経由せず、中国文化が日本に入って来た「遣唐使」「遣隋使」の事を教えているとは思えません。
天皇家を朝鮮半島の末裔という国ですから、万葉集の話も「ウリジナル」の一つとして、定着する可能性もあります。最近では日本の茶道が、朝鮮伝来であるという妄想を再開しています。
以前から気になっているのは、私が朝鮮半島文化らしいもので知ってるのは、仏像と陶器しかありません。
生活に余裕の無いところで、演劇、音楽などの文化は、発達しなかったんだと思ってます。
朝鮮宮廷文化とかあるんですかね?
パンソリとか、サムルノリの源流となったプンムルノリという農楽があったりします。
朝鮮人は、歌舞音曲には長けた民族だと思います。生産的なことは好まない分、刹那的な快楽には熱心です。音感、リズム感の良い人は多いですよ。
ここに集う皆様には認めたがらない方が多いと思いますが、K-pop歌手の多くは、日本のアイドルと違って歌唱力がしっかりとしており、ダンスも巧みです。(ただ、音楽そのものが米国の大衆音楽をパクっているだけで薄っぺらく、私は聴く気になれません。)
日本でも、沖縄県出身の芸能人、俳優、歌手、ミュージシャンの比率って高いじゃないですか。芸能関係って、「無い」ところから生えるように思います。
日本のアイドルは歌手でもダンサーでもない、ただのバラエティー芸人ですから、それと比べるのはどうかと。
日本のミュージシャンと比べるべきですが、K-POPはJ-POPやアメリカンポップスのコピーですから音楽性というものが無いですがw
K-POPは歌手というよりは、その国でウケてる曲をリサーチしてパフォーマンスを演じる音楽職人か出来の良いコピーバンドといったところですかね。
K-Popって言葉自体がJ-Popの真似だし。
ジャズもロックンロールもビバップもニューウェーブも、近代のポピュラー音楽を経ず、文化的歴史もなしに、最近解禁された海外の流行を頑張ってパクリました、ってとこでしょう。
歌とダンスが上手くても、そこにソウルはあるのかい、と。
先進国の工業を表面的にコピーした構造と同じと思います。
韓国独自の音楽性というのが「アリラン」ぐらいしか無いのがねw
音楽は聞いてみると国によって違いがあるのがよくわかります。
だから、「ああ、この音楽はこの国の音楽だな」となんとなくわかるんですよね。
だけどK-POPはどこの国の音楽なのか、さっぱりわからない。
新羅の郷歌を万葉集がパクったという彼らの妄想も単に外国から影響を受けた結果でしか無いのがK-POPを聞くとよくわかります。
朝鮮ほど長い歴史があれば独自の文化や音楽がある筈なのに何も残っていないのは何故なのかを検証するのが先でしょう。
かの国は、主客を逆転して主張するのが得意技みたいですから。
アメリカチャートの音楽こそがK-Popのパクリなのでしょう。
だんな 様
> 私が朝鮮半島文化らしいもので知ってるのは、仏像と陶器しかありません。
実はその通りでして……
朝鮮の伝統文化として現代も残っているものは、高麗時代に起源を持つタルチュム(仮面劇)、朝鮮時代のプンムルノリ(風流遊び、農楽)、朝鮮時代後期の18世紀から始まったパンソリだけです。
タルチュムは猿楽や狂言、プンムルノリは田楽や盆踊り、パンソリは現代の講談といった感じでしょうか。これらは旅芸人が邑むらを回って庭や広場で公演する形でした。鎌倉時代から戦国時代にかけて琵琶法師や踊り念仏の遊行僧をイメージするといいかもしれません。
もっとも、日本でも旅芸人のどさ回りは戦後しばらくまでありましたけれど。
江戸時代の日本には常設の芝居小屋や寄席がありましたが、朝鮮では仮設の舞台がせいぜい。常設の劇場が作られたのは20世紀に入ってからです。
>生活に余裕の無いところで、演劇、音楽などの文化は、発達しなかったんだと思ってます。
おっしゃる通り、朝鮮で文化が発達したのは生活に余裕が出てきた日本統治時代です。韓国で伝統を誇っている店や文化のほとんどは日本統治時代に起源があります。本当に伝統のあるタルチュム、プンムルノリ、パンソリも日本統治時代の影響を相当受けたようです。
余談ですが、李明博が大統領だった頃の韓国政府は朝鮮の宮廷料理を無形文化遺産にしようと画策してましたが失敗しました。なぜならそれは宮廷料理を元に捏造した創作料理でしたから。
あと、サムルノリが伝統音楽みたいに扱われてますが、あれは1970年代から始まった創作音楽です。
阿野煮鱒さま、 とある福岡市民 さま
ご教示、ありがとうございます。
舞で知ってるのは、病身舞しか知りませんでした。
後で、YouTubeでプンムルノリ探して見ます。
見ましたが、ちょっとね。
日本のお祭りは、見てられますが。
朝鮮伝統芸能公演で、和服が出てきたりしてました。
半島の"文化”と呼ぶべきかわかりませんかが…
円仁の『入唐求法巡礼行記』(にっとうぐほうじゅんれいこうき)は、838年に博多津を出港した場面から始まり、揚州へ向かい、847年に帰国するまでが記されています。
『行記』の研究者であるライシャワー博士は、円仁の旅行は半島や在唐の新羅人の助けを得て成し遂げられたとし、当時の山東半島周辺に新羅人ネットワークが確立していたことを指摘されています。
そこに記された新羅人の僧侶、やはり期待を裏切りません。かれの話は眉唾もので、人の行状を自分のことのように話すとあるそうです。(その箇所の日付を失念、申し訳ありません)
政治家や仏に仕える僧侶など朝鮮半島の人々が平気で嘘八百を並び立てるのは、今に始まったことではなく、1200年も前から相も変わらず続いてきた”伝統”といえるようです。
最近亡くなったトンデモ本作者様の著作は韓国で売れたわけじゃなくて日本でベストセラーになりました。例の反日種族主義だって日本の方が良く売れています。
そもそも韓国人は本を読まないのです。あまり勉強していない漢字が入ってたら読みづらいですし、全部ハングルだったら、今度は同音異義語の嵐で訳わかりません。日本でいうところの全部ひらがなの本ってことですよね。そりゃ読む気にならない。
読書大好きな日本人の感覚で、こんなトンデモ本やトンデモ記事が出たらヤバいですけど、韓国だとあまり関係ないのでしょう。なんか反日で自尊心を満たしてくれそうな本なので買いますけど、読むわけでなくて、持ってるだけで満足。そんな感じなんでしょうね。
韓国人がまともに文章読むのは学校で先生の解説付きで教科書を読むのが最後、あとは仕事で必要な最小限の文章しか読まない。趣味としての読書など、かなりレアな部類なんでしょう。
だから彼ら教科書教科書うるさいんですね。書物に溢れた日本では教科書とて1つの書物でしかない。教科書に何が書かれようとそれで若者の思想を統制できる感じはしない。私も高校の歴史の教科書山川出版でしたけど、だから反日に洗脳されたりはしませんでしたね。なんでこんな書き方するんだろうとか、あの先生って何で朝日新聞推しな訳?とか今ほど明確じゃないにしろ判別は出来ていました。
朝鮮日報やハンギョレは読むのでしょうか。
私も高校時代は言語の法則や由来を調べる事にハマった時があります。歴史ほどハマりはしませんでしたが。
> 言語学の世界に限らず、一般に学問の世界においては、「何らかの発見がある」→「仮説を立てる」→「その仮説に合致しない証拠が見つかる」→「仮説が修正される」、といった作業がひたすら繰り返されていきます。
確かに。高校時代は「日本語と朝鮮語はウラル・アルタイ語族の言語」「日本語は南方系(マレー・ポリネシア語族、今のオーストロネシア語族)の単語とウラル・アルタイ語族の文法が合わさった言語」と習いました。
それが今ではウラル・アルタイ語族の存在が否定され、日本語は「日本語族」という孤立した言語として扱われます。文法はアルタイ諸語(語族ではなく)の仲間である可能性はあるようです。
> さりげなく「新羅郷歌」だけでなく「高麗郷歌」とも記載されていますが、「新羅」と「高麗」だと全然時代が違います
そもそも新羅郷歌を収録した「均如伝」「三国遺事」が高麗の時代、11、12世紀に編纂されたものなので、元の歌にどれだけ正確なのかは疑問です。高麗の郷歌とごちゃ混ぜになっている可能性は十分あります。
そもそも朝鮮には統一新羅時代(676〜892)以前に書かれた書物が残っていません。百済の歴史書が日本書紀に引用されている程度です。
仮に残された新羅郷歌が正確であったとしても、その発音を復元したり検証したりする事は困難です。資料が圧倒的に足りませんから。
> 著者の郷歌解読法で解釈した内容は既存の日本式解釈と同じ作品とみるのが難しいほど違う
つまり、「まるっきり別物のトンデモ解釈」……
そういえば契丹族の耶律阿保機がモンゴル高原と満州にまたがる遼王朝を建国した事について、「阿保機はアボジ(父親)に似ている。これは契丹族が朝鮮民族の一派である事の証拠であり、耶律阿保機は韓国人だ、つまり、韓国人が満州から中国人を追い払って建国したのが遼だ。だから満州は韓国の領土だ」と言う「妄言」を言った韓国人のパチもん学者がいたのを思い出しました。
「阿保か」
としか思いませんでした。
まあ、「百済ない」を真顔で言う連中ですから。
でも一々否定しないと、テコンドーのように、パクリからオリンピック種目になったりしますので、面倒くさいですね。
> 契丹族が朝鮮民族の一派である
朝鮮民族は,中国の諸民族,満州族などいろいろな北方騎馬民族,ツングース系など,様々な移住民族と,土着の古代人の混血ですので,契丹からの移住民の血も流れていると思います。矢印の方向(支配→被支配, 上位→下位,日本→韓国)を反対にするのが,韓国人の目標です。
そもそも1145年に成立した三国史記以前に文物が残っていない時点で論じようがないかと思います。
古代朝鮮の話となると、満足な史料もないいためか(せいぜい12世紀の『三国史記』や13世紀の『三国遺事』程度)、韓国人たちの妄想は無謀という名の翼を拡げ夢想の彼方へと飛翔してしまう傾向にあるようです。(笑)
そもそも古代の新羅人や高麗人そしてb百済人らがいったいどのような言語で話していたのか、その発音やイントネーションを探る手立てや史料すらないというのに、いきなり千年以上の時空を飛び越えて現代韓国語に強引に結びつけてしまう辺り、いかにも彼らのおっちょこちょいな民族性を反映しているようで嗤えてしまいます。
おもしろうてやがて悲しき民族かな(字余り)
などと思わず芭蕉を洒落てみたくなってしまいました。(笑)
努力しても中国に奪われる。努力しても両班に奪われる。だったら努力しないで盗んだり集ったりするのが合理的な振る舞いとなってしまった。
地球の反対側なら「悲惨な人たち」として哀れんでやれもしたんでしょうけれど、隣家に手癖の悪い嘘つきの集り屋がすんでる以上、そういう連中だと周知して警戒するしかないんでしょうねえ。
あってよかった日本海。
>あってよかった日本海。
いえいえ、それでもコッソリ忍び込んできた連中もおります。
1人見かけたら、近辺に10人はいるのではありませんか。
朝鮮海峡を越えて渡ることができた人は日本人になり、残りは朝鮮人になった。
デタラメな歴史を教え込まれるのも可哀そうですね。
気の毒で哀れな韓国人。同情はしませんが。
思い出しました。
ジャストまってモーメントとか
ロードはドーロなんてね。
私が子供のころ、「水道」は英語で「ヒネルトジャー」
これを信じていた、おばあさんがいました。
>「水道」は英語で「ヒネルトジャー」
♪New Yorkでお風呂に入り、これホントのにゅーよーく♪・・・幼いころに覚えた戯れ歌を思い出しました(笑)
お目汚ししつれいしました。
古から、支那や日本には、記録魔が存在していて、その存在を許されていたわけだが、
朝鮮には、そういうのが許されなかったのが、よく分かる。
イチロー選手がメジャーリーグで大活躍したとき、ある韓国人は「イチローの先祖は朝鮮半島がルーツであろう」とぬかした時、
イチロー氏は「私の先祖が朝鮮人だろうがドイツ人だろうが、あるいはゴリラだろうが何だっていい。私はメジャーリーガーの鈴木イチローだ!」と見事に語った。
originにこだわるこの韓国の学者(?)に聞かせてやりたいですね。
自分の情けなさに気が付いて、小さく⋅⋅⋅ならないわなぁ!
きたたろう 様
なりません、韓国人は。(きりっ)
そうですね。
政府任せになってしまいますが、外務省か経済産業省主導で韓国への制裁として韓国のパクり商品一覧を並べて
「これらは日本企業の知的財産権を侵害している。早急に販売を止め、損害を被った日本企業と日本国民に謝罪すべきだ」
と主張するのはどうでしょう。
韓国がパクり国家なのはまあ知れていることだと思うのですが、改めて政府が国際社会に訴えるのです。そうすれば潰しても潰しても出てくる韓国起源説も一気に胡散臭くなります。それでもなくなりはしないでしょうが。
韓国への制裁にもなって一石二鳥だと思うのですがどうでしょう。サイトにはそのことを書いた記事を貼っておきますので、時間のある人は読んで下さい。
古代朝鮮語で万葉集が読めるという説は、もう30年以上前に日本で流行ったオカルトですね。
当時も、専門家にさんざん否定されています。
まあ、確かに(極めて視聴の限られている)古代朝鮮語と日本語の間には、結構似た語彙が多くて、興味深いとは思いますよ。
ただ、彼らが主張するのは、古代朝鮮は日本に文明をもたらしていたとか、日本を支配していたとかそういう「彼らの常識」から導かれた結論ありきの話に過ぎないんですよね。学問ではない。ただの政治活動。
こういうのを見ると、本当は日本と朝鮮でしっかり歴史研究できたら、かなりのことがわかると思うので少し残念な気分になります。
日本と朝鮮(韓国)と中国で歴史のすり合わせをする研究は以前に行われました。
日本と中国とは歴史記録が90%一致して最終報告書を出しましたが、韓国の提示した歴史資料は日本とも中国の歴史とも一致せず、最後は韓国の学者がブチ切れて終わってしまいました。
日本語と朝鮮語に一致する部分があるのは、どちらも中国から文化を学んだのと現代韓国語に置いては日韓併合時代にハングルの文法や名詞があまりに少なくて日本語を韓国語に当てはめて訳したからでしょう。
下のほうに書きましたが,「古代朝鮮が日本に文明を見たらした」はウソで,古代中国の戦乱が中国や北方民族の集団移住を引き起こして,その戦乱の余波が朝鮮半島や日本に影響を及ぼした(支配民族として入ってきた),と考えたほうがいいと思います。朝鮮を飛び越えて,中国や北方騎馬民族の文化・文明(人や武器も含めて)が直接入ってきているということです。古代朝鮮語(土着民の韓系言語)はそれらに負けて消滅したはずです。衛氏朝鮮(燕の系統)や高句麗(満州族系)は外来民族国家なので,韓国人は不名誉と考えている歴史です。日本も同じですけど。
古代の満州族は狩猟民で,モンゴルとの交流も深く,好戦的だったのでしょう。このあたりが,現在の日本語や韓国語の祖先です。アイヌ語や琉球諸語を聞くと,昔の多言語状態が雰囲気としてわかると思います。
元ネタは日本人じゃないですかね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E7%94%B1%E5%8A%A0
日本の中に、そういう人達がいるんだと思います。
戦時売春婦もそう。
桜もそう。
韓国ステマも同じようなもんです。
良く韓国の言い分で使われるのは、「日本人がそう言ったから」と言い方です。
ラムザイヤー教授の論文への反論も「河野談話で日本が認めたから」と言ってるのがよい例です。
この前も同じネタがあったので,古代史の再検討をしてみました。継体王朝より前の話を書くと複雑になるのですが,継体天皇は北方騎馬民族系である可能性が高く,高句麗・百済の支配層と同一民族と思われます。それが,上代日本語が高句麗語と似ている原因でしょう。韓国も結局,高句麗語の系統の言葉が生き残り,それが,現代日本語と韓国語の文法構造の類似性につながっていると思います。
継体天皇より前の2つの天皇の王朝は,それぞれ別民族を祖とする王朝だと思います。その頃は,韓国も日本も多民族国家で,中国の戦乱のおかげで,中国の複数の地域や北方から,いろいろな時代にいろいろな民族集団が集団移住してきて,多くの小国家を作ったようです。なお,朝鮮半島は,北部は中国系と北方民族系,中部は韓系,南部は倭人が住んでいて海洋民族だったのか九州と同じ文化圏だったようです。倭人は中国江南系という説もありますが,もっと複雑な民族構成だったかもしれません。
言語も多様だったようで,九州だけでも3つの大きく異なる言語の系統があったようです。上代日本語は,そのどの系統でもないと思います。結局,最後に勝ち残った北方騎馬民族の言葉が生き残ったようです。日本では,長い年月の間に,土着の縄文人や弥生人と混血して,DNAはMIXされてしまいました。
万葉集は上代日本語なので,高句麗人や百済人は読んで理解できたと思います。高句麗は北方騎馬民族系を支配者層とする国なので,言語はアルタイ語系でタミル語とも近かったと思います。前も書きましたが,騎馬民族は行動範囲が広いので,トルコ語やインドの幾つかの言語にも影響を与えています。
新羅の支配民族は高句麗とは異なりますが,何故か言語は韓語を捨てて高句麗語を採用したようです。韓語は消滅してしまって,詳しいことは分かっていないと思います。
その本の筆者に「タモリ倶楽部」の手ぬぐいを送ってあげましょう。
Tシャツ欲しいのでしょうけど、そこまでの出来じゃなさそう。
手ぬぐいで不満なら、みうらじゅん氏直筆の仏像イラストをオマケに付けて。
更新ありがとうございます。
読者雑談にも李寧煕の死を告げる投稿があり30年前に安本美典氏や金田一春彦氏「万葉集の謎は英語でも解ける」(ブログ主さまの引用)で一連の騒動に加わり外国語との関係性に批判文を寄稿したのを懐かしんでおりましたが、李寧煕の学説を彼自身「誰も継ぐものがいない」と嘆きながら死亡しているので読者雑談では「あっそう」で流していましたが、本日ブログを見たらお題にされているのを見て参加したくなりました。
まず古代共通文書は漢文で筆談が主でした。しかし筆談では非効率な為、古墳時代後期から帰化人をに氏を与え通訳業務を担当させていましたそして遣唐使の時代になると延喜式では新羅訳語・奄美訳語などの官職が存在するようになります。
ここで訳語(おさ、しる、通事)とは通訳の事でれら古代から延喜式までの新羅通訳者団を仮に新羅訳語と纏めます。
次に郷歌として現存するのは25首で全て高麗時代に記されたもので『均如伝』(11世紀)引用11首、『三国遺事』(13世紀)引用13首で新羅郷歌は一切残っていません。
万葉集、奈良時代末期(7世紀末)に成立している歌集で東北から西の官人から庶民までの全ての歌が納められ方言の宝庫です。
以上より新羅郷歌で万葉集を読むならば
新羅郷歌の韻とは(高麗郷歌との違いは)、新羅語の全音の明確化(新羅訳語関連の資料から音を復元)、万葉集の方言が古代新羅にある事の証明が必要でこれら全てが資料が無いことから不可能です。
また日本側研究で新羅語が一部究明されている点から、一部の音が新羅語と一致したからと言っても、これが万葉集を新羅郷歌と語るのは笑止千万です。
小生自身の考えでいえば上記、新羅訳語に携わる人物の歌もあり1首の一部に新羅語が含まれるにおは事実と考えますが(これが新羅語の一部の音です)韻は万葉集共通で、新羅郷歌=高麗郷歌と過程しても読めません。
さらに万葉集を新羅郷歌とするなら、知らず知らずに任那日本府の存在も認めている事になり嘲笑しか出ないのですが(W)。
すいません誤字
×:新羅訳語に携わる人物の歌もあり1首の一部に新羅語が含まれるにおは事実と考えますが
〇:新羅訳語に携わる人物の歌もあり1首の一部に新羅語が含まれるのは事実と考えますが
×:過程
〇:仮定
がぶりえるさま、
大変興味深いコメント、ありがとうございます。
均如伝(11世紀)、三国遺事(13世紀)、万葉集(7世紀末)の間に関係性を見ようとするならば、万葉集が前の二件に影響を与えたとするのが自然です。(時代を遡って影響を与えることは不可能)
ご指摘の通り、郷歌と万葉歌との間に共通点があると説くことは、朝鮮半島に日本の影響が及んでいたと主張することにもなるわけですね。
美術好きのおばさん様
返信ありがとうございます。
ご指摘のように万葉集が郷歌に影響を与えた可能性は否定しませんが、すなおに考えて高麗郷歌の元は中国にありと考えるのが自然です。すなわち万葉集と高麗郷歌には関連性は無いと考えるのが自然です。新羅郷歌が現存すればここら辺も判明するとは思いますけど。
小生、万葉集には詳しくありませんので聞きかじった程度なので万葉学者ほどうまく説明できていない点ご容赦ください。
>朝鮮半島に日本の影響が及んでいたと主張することにもなるわけですね。
この意味で合ってます。所謂、韓国の自爆です。
以上駄文失礼しました。
いつも知的好奇心を刺激する記事の配信ありがとうございます。
中国の影響をもろに受けた半島にとっては、「文字」と言うのは「上位の存在が下位の存在を支配する」為のツールでしかありません。
今の同音異義語を多数許容するハングル表記のみの文字社会もそれを現す一端なのです。
日本人の文字は互いに同等の位置である人間同士が意志疎通のツールですので万葉集や古今集等の勅撰集が一種の統治成果のエビデンス的に編纂が行われたと思います。
半島にとっては勅撰集のような存在が文字の機能から存在の必要がないかと思います(笑)。
文字の機能が日韓では異なるからです。
良く25首も郷歌が残ったモノです(笑)。
以上です。駄文失礼しました。
>「上位の存在が下位の存在を支配する」為のツール
文字で定義される社会が半島では上記の通りですので、社会的に評価される事象はウリジナルの見解で根源が韓国にあり、朱子学的に上位の存在に位置付けする様に行動するのですよ(笑)。
上位の存在が定義することは下位の存在である日本人全体は無条件に従うべきである。
韓国のこの意識を理解しない限り、日本人が韓国に適切な行動ができないし、彼らに誤ったメッセージを送り続けるのではないでしょうか。
以上です。駄文失礼しました。
パーヨクのエ作員様
まったく同意です。
また25首残ったのは全て僧侶(寺社)の創設者の著作故、死蔵された為です。
均如伝:赫連丁が著わした伝記『大華厳首座円通両重大師均如伝』
三国遺事:普覚国尊一然の書かれた私撰の史書
運よく焼亡しなかっただけです。国選として残る郷歌はありません。
がぶりえる様
当方の駄文にコメントを賜りありがとうございました。
がぶりえる様>全て僧侶(寺社)の創設者の著作故、死蔵された為です。
なるほどです。郷歌の残った経緯を教えて頂きありがとうございました。
半島の仏教の寺院は一般より隔離されていた上に日本や中国の寺院同様に僧侶によって様々な技術等が保存されていた側面があったと聞いたことがあります。
日本の初等教育が行われた場所も「寺」小屋ですから、アジアでは民間の知識の保存、継承に関して仏教の寺院が果たした役割は大きかったと思います。
李氏朝鮮では仏教の扱いは軽視されていたそうですが、朱子学の儒教以外の宗教に関してもう少し寛容ならば19世紀後半からの欧米との接触と近代化が一部なりと自力で行えていたかもしれないですね。
その場合は日韓の関係もコンプレックスの裏返しからの無用なウリジナルが過度に出ず、違った形になっていたと思います。
同音異義語を多数許容するハングル表記のみの文字社会でなく漢字ハングル混合文が残って経済活動が行われ、自己改善が社会的により可能な社会だったと思います。
おそらく台湾が今行っている様に日本に感謝の言葉を述べながら上手く日本から知識や利益を得る「用日」
が上手くできていたと思います(笑)。
それが日本にとってより幸福かどうかは分かりませんが(笑)。
以上です。駄文失礼しました。
前王朝の文化を徹底的に破壊しつくして、現王朝の正当性を主張してきた民族?ですからね。
言わば、セルフ文化制裁でしょうか。
文書も焼き尽くして、現王朝の都合の良いように歴史も書き換えてきました。
過去の文化は、ほとんど残っていません。
朝鮮半島では死人に口無しなのでしょうが、日本列島でそれは通用しません。
現在も万葉歌人の子孫が生きていますからね。
同業者様
歴史無き者は創造するのみ、されど創造は嘘にまみれる
なのでしょうね。
この手の「お題」だといつも思うことです。
もし韓国に日ユ道祖論の下地例えばソーラン節の様なものが在ったらどうなるか見てみたいという気持ちにさせられます。
まあ、旭日旗で騒いでるのに朝日新聞社旗とリオクラブ旗に文句言わないことから十分ヘタレである事はわかりますけど。
どうせなら、人類は韓国起源くらい主張すればいいのに。
例えば、
哺乳類の祖先は魚類である。
韓国人は今もエラ呼吸である。
よって・・・
みたいに。