SNS時代に考えておく…難関試験「第3集団の法則」

俗に「難関資格」と呼ばれる資格試験は、多くの場合、たしかに難しいのですが、しょせんは人間が作ったものであり、試験の全体像を見ながらしっかりと準備すれば十分に合格できるものです。著者ごときが最新の資格試験についてどうのこうの述べるのもおこがましいですが、ただ、試験の戦略の立て方や「割り切り」などを通じて、その人の生きざまが見えてくることも事実です。こうしたなかで思い出しておきたいのが「第3集団」の特徴です。

難関資格試験に見る生き様

お断り

本記事は諸般の事情があって記事公開まで時間を要していますが、草稿状態にあったにも関わらず、先々月、つまり2025/10/31付でいったん公開設定してしまいました。カズ様からいただいた同日付のコメントが残ってしまっていますが、これは当ウェブサイト側のエラーでいったん公開してしまった記事にいただいたコメントを削除せず残しているためです。

そろそろ年末ですが、当ウェブサイトで「忘れたころ」に取り上げるテーマがあるとしたら、そのひとつは、資格試験です(※本記事は年末用に準備していたのですが、草稿状態で10月末にいったん誤って公開しています)。

近年だと、当ウェブサイトでは『資格試験受験「第1集団」に見る「目的意識の重要性」』、『資格試験通じ学ぶ「3つの教訓」』などで資格試験から得られる教訓を記事にしている事例があります。

資格試験受験「第1集団」に見る「目的意識の重要性」』とは?

資格試験では「第1集団」から「第3集団」が存在すること、「第1集団」に属していた人はその後、就職してからもバリバリと仕事をこなす傾向が強く、第3集団は合格すらできないこともある、という今から数十年前の公認会計士試験での体験をもとにしたキャリア考察。

資格試験通じ学ぶ「3つの教訓」』とは?

資格試験の世界を見てきた経験上、「目的意識を持て」、「満点主義を捨てて時間効率を意識せよ」、「仲間づくりが大切」という3つの教訓が見えてきたという話。とくに公認会計士試験は「実務家になるための試験であって学者になるための試験ではない」という割り切りが重要。

一般に「難関試験」と呼ばれる試験の多くは、「その実務家になるためにはその資格を取らなければならない」という意味では単なる就職活動のようなものでもあります。

しかし、上で挙げた記事のように、当ウェブサイトにおいてこの手の話題を定期的に掘り返すのには理由があります。「課題を乗り越える」という意味では、人の生き様そのものだからです。

合格までの戦略に巧拙が出る

人間が作った試験に合格できないわけがない

あらかじめお断りしておくと、資格試験を著者自身が受験していたのはもう四半世紀以上前の話であり、当時の試験科目について、「この科目はこう勉強しろ!」、などと偉そうに講釈を垂れる立場にはありません。当時と現在では、試験科目自体が大きく異なるからです。

公認会計士試験は制度自体がずいぶんと変わってしまいましたし、国家Ⅰ種試験に至っては名称自体が変わってしまいました(厳密にいえば、国家公務員試験は「採用試験」であって「資格試験」ではないのですが、便宜上、本稿では「資格試験」に含めて議論しています)。

したがって、個別具体的な試験にどうやったら受かるか、具体的にどの科目でどういう戦略を立てるべきか、などについては、資格の専門学校に尋ねていただくなり、試験に合格したばかりの人のブログやSNSを見ていただくなりした方が早いし確実です。

しかし、試験を受験する人の勉強パターンやその後の動き方などを見ていたら、やはり、人の生きざまそのものを象徴しているように思えてなりません。

そもそも論ですが、「難関試験」と呼ばれている試験、たしかに多くの人にとっては難しいのですが、乗り越えられないものではありません。しょせん、人間が作った試験だからです。

多くの資格試験では、科目ごとに試験委員が任命され、試験問題が作成されますが、これらの試験問題はその試験委員という「人間」が作ったものである以上、「人間」である受験生にとっては、ちゃんと勉強し対策さえすれば、案外簡単に乗り越えられるものなのです。

その際に最も重要なポイントがあるとしたら、結局、資格試験はその資格を持った「実務家」となる際の第一歩となるための単なる入門試験に過ぎず、「学者」になるためのものではない、という点でしょう。

受験予備校で見かける「3つの集団」

ここで改めて紹介しておきたいのが、『資格試験受験「第1集団」に見る「目的意識の重要性」』でも触れた、「3つの集団」という議論です。

それは、予備校内でだいたい3種類の集団ができる、というものです。

第1集団、さっさと合格して予備校からいなくなる人たち。

第2集団、時間がかかるものの、なんとか合格する人たち。

第3集団、時間がかかってもなかなか合格できない人たち。

資格試験においては、とくに都市部在住者を中心に、多くの人が受験専門の予備校などに通いますが(※地方在住者の場合は通信教育によらざるを得ないなどのケースもあります)、資格の予備校で講師を務めている知り合いなどに尋ねると、皆さん一様に同じようなことを言います。

公認会計士だけでなく、司法書士や税理士、あるいは司法試験予備試験などの予備校でも、だいたい似たような話があるのです。

著者自身は実務家ですので、受験生時代に第1集団や第2集団に属していた人たちとは現在でもつながりがあります。一般論ですが、第1集団に属していた人たちは転職したり起業したりするケースが多く、その一方で第2集団の人たちはなんとなくおっとりしているという傾向が見受けられます。

「第1集団」のポイントは「全体を見る能力」

もちろん「大器晩成」という用語にもある通り、資格試験に受かるまでに時間がかかった人の方がクライアントなどからの厚い信頼を獲得するなどし、専門家として大成しているというケースもあります(逆に素早く合格した人がその後の人生で失敗しているケースもあります)。

このため、資格試験に合格するまでの年数「だけ」がその専門家のキャリアを決定するわけではないことは間違いありません。

しかし、あくまでも一般論ですが、やはり合格後に仕事をバリバリこなしている人たちの多くは「第1集団」に属していることが多いのですが、これについて著者はおぼろげながら、「目標設定力」と関係があるとする仮説を持っています。

つまり、資格試験を比較的短期間で合格できた人は、「目標設定力」が優れているという可能性が高く、このような人はその後のキャリアでも、うまく目標を設定しながらそれらを達成していく傾向にあると思うからです。

結論からいえば、「全体を見る力」ではないでしょうか。

著者自身は某資格専門学校に在籍していた当時から仲が良い友人が何人かいるのですが、彼らの多くは全体像を見つつ、そこから逆算して細かい目標を設定することに長けているように思えます。

たとえば公認会計士試験の場合だと、大目標として「2027年8月の論文式試験の合格」を設定し、そこから逆算して「択一式試験は2026年5月ないし12月に合格する」、といったタイムマネジメントが得意だったりするのです。

スケジュールを踏まえた全体設計が重要

前提として申し上げておくと、現在の公認会計士試験は2段階となっており、「論文式」を受験するためには「短答式」と呼ばれる択一式の試験に合格する必要があります。

「短答式」は年2回チャンスがあり、どちらかに合格すればよく、また、合格日から2年間は有効だそうですが、「論文式」の場合は年1回、夏にしか開催されません。最新の例でいえば、金融庁によると「令和8年度公認会計士試験」の実施予定日は次の通りです。

短答式(第1回目)

試験期日:2025年12月14日(日)

合格発表:2026年1月23日(金)

短答式(第2回目)

試験期日:2026年5月24日(日)

合格発表:2026年6月19日(金)

論文式

試験期日:2026年8月21日(金)~23日(日)

合格発表:2026年11月20日(金)

たとえば、今年12月に行われる第1回短答式試験は合格発表日が来年1月23日ですので、この短答式に合格したら5月の短答式を受験する必要はなく、また、8月の論文式試験まで半年の時間がありますので、論文式の受験勉強に特化することができます。

その一方、来年5月に行われる第2回短答式試験は合格発表日が6月19日と論文式の2ヵ月前ですので、論文式の準備をする時間があまりとれません。

ただ、短答式は1回合格すれば、その年の試験を含めて合計3回、論文式試験の受験が可能であるため、5月の回で合格した人は、その年の論文式は単なるリハーサルと割り切り、次の年の論文式に向けて準備を進める、といった戦略も成り立つかもしれません。

こうした状況を踏まえ、2027年の合格を目指す人は、まずは来年5月か12月の択一式突破を目指し、これに続いて論文式に特化した勉強時間をどれだけ稼げるかが勝負になりそうです。

スケジュール設計が重要

あるいは受験科目の性質に応じて、トータルに時間配分をする、といった発想もあります。

たとえばA、B、Cという3つの科目が課される試験があったとして、最も勉強時間を多く要するのがA、次がB、3科目の中で最も軽いのがCだったとしましょう。そして、合格水準に達するため必要な勉強環は、標準的にはAが800時間、Bが400時間かかるのに対し、Cは100時間程度で済むとします。

受験まで1年あるとし、週休2日として毎週5日ずつ勉強するとすれば、勉強時間は約250日確保できますが、少なくとも重要な科目A・Bを受験日の約1~2ヵ月前に本番コンディションに持って行こうと思えば、200日で仕上げる必要があります(Cは本番前の詰込みで何とかなるものとします)。

そこで、こんなスケジュール設計を立てる、ということが考えられます。

  • 科目Aの合格水準への到達に必要な時間はトータル800時間、科目Aに充てる勉強時間は1日4時間・200日
  • 科目Bの合格水準への到達に必要な時間はトータル400時間、科目Bに充てる勉強時間は1日2時間・200日
  • 科目Cは100時間も勉強すれば合格水準に達するが、暗記論点が多いため、受験の2ヵ月前から勉強を始め、1日2時間ずつ、トータル100時間を確保する

こうした戦略的な時間配分ができていれば、途中の模試の点数が悪かったとしても、別にへこむ必要などありません。たとえば簿記であれば「連結」「退職給付」「金融商品」などの分野別にひとつずつ論点をこなしていけば良いだけの話だからです。

こうした「目標年度を見据えた学習の全体像を常に意識する」、「勉強途上における点数に一喜一憂しない」という態度が重要であるのは、資格試験で重要なのは、「高得点で合格すること」ではなく、「合格すること」にあるからです。

先ほど挙げた第2集団、第3集団の人たちは、得てして得点ないし些末な論点に拘る傾向があるように思えるのですが(あくまでも著者の私見です)、多くの資格試験では合格点に達していたか、達していなかったかが問題なのであって、「何点で合格したか」は、あまり問題となりません。

同様に、「受験集団のなかでの自分の立ち位置」を把握することは大事ですが、これについても勘違いしている人がいます。他の受験生を口汚く罵ったうえで、「俺の点数は悪かったがあいつよりは点数が良かったからヨシとしよう」、「あいつのよりも俺の方が勉強しているのに、なぜ俺の方が点数が悪いのか」、といった、他人をねたむかの態度はいただけません。

そもそも「受験集団のなかでの自分の立ち位置の把握」は、「合格レベルにある他の受験生ならば絶対に解けるであろう問題」と「そうでない問題」を選り分けることが目的であり、他人を揶揄したり、侮辱したり、蹴落としたりすることが目的ではないからです。

第1集団と第3集団の違い

問題を「捨てる」基準を持つ

実際、著者自身も当時の公認会計士第二次試験(論述式)や第三次試験(論述式)で、まったく見たこともない論点(いわゆる奇問・難問)に出くわして驚いたことがあるのですが、こういう時に役立つのが、この「受験集団のなかでの自分の立ち位置の把握」です。

具体例で言いましょう。

ある科目に大問が4つ設けられており、このうち3つはその科目をある程度勉強した人なら誰でも解ける問題、残り1問がかなり奇抜な悪問で、標準的な受験生であってもおそらくは解き方を知らない問題だった、というケースがあったのです。

これにどう対処すれば良いか―――。

正解は、解けない問題に時間を使わず、まずは解ける問題から解く、が正解です。

このときに判断する基準となるのが、「合格レベルにあると思われる受験仲間のA君、B君、Cさんらがこの問題を解けるかどうか」、です。

ここで受験仲間の顔を思い浮かべ、「まぁ、この問題だったら、どうせ彼らにも解けないだろうな」と割り切ることができれば、そのような奇問・難問に回答する時間を省略し、その他の論点を確実に正解することに全力を挙げることができるのです(というか、第1集団に属している人であれば、何となくそれが理解できます)。

実際、これは著者自身も経験しました。本番のとある試験科目(2時間)で大問4つが出題されたのですが、そのうちの1つがどう頑張っても解けない問題だったのです(のちに事実上の出題ミスだったと判明)。

この場合、大問1つあたり30分しか使えないはずですが、「A君もB君もCさんも絶対にこの論点は解けないはずだ」と割り切り、その問題をバッサリ捨てるとその場で決断。本来ならばその問題に回すべき30分の時間をそれ以外の3つの大問に充て、大問3つについては自分なりに完璧に解いた、という経験があります。

結局、3つの大問を完璧に仕上げるために試験時間を使い果たしたため、問題の「悪問」については解答欄を完全に白紙の状態で答案を提出したのですが、それでも問題なく受かりました。

しかも、そのときには著者だけでなく、著者が考えた「多分合格するであろうA君、B君、Cさん」も同時に合格し、また、後日情報交換したところ、A君もB君もCさんも、その問題の解答欄を完全に白紙の状態で答案を提出していたのだそうです。

つまり、知らず知らずのうちに、みんな「問題を捨てる基準」を共有していたのです。

面白いですね。

合格する年度を決めてそこからすべて逆算する

ところが、これに対して「第2集団」の人たちは、得てして全体像の把握ができていなかったり、自分自身の立ち位置が把握できていなかったりします。

たとえばいわゆる「第2集団」にいたDさん(※年上)は、試験の本番当日、受験直前になんだかよくわからない参考書を持ち込み、いきなり些末な論点の話を始めたりしてパニックに陥ってしまい、標準的な受験生であればだれでも解けるであろう論点を落とし、あえなく敗退してしまいました。

また、Eさん(※年上)はほかの人が捨てた奇問・難問に引っ掛かってしまい、すごい時間をかけてこの問題を解こうとしたものの時間切れとなり、この奇問・難問以外の(普通に考えたら簡単に解けるであろう)問題を解く時間を失って、その年の試験にはあえなく玉砕してしまいました。

(ちなみにDさんは結局、その後3年ほど受験してやっと試験に合格しましたが、Eさんは結局受験を諦めてしまったようです。)

受験集団全体のレベルを知るというのは、自分自身の集団全体における位置づけを知ることでもあり、逆にいえば、その目安を理解していたら、必要以上に難しい論点(あるいは奇問・難問・悪問)が出てきたときに、それを「捨てる」という判断が働くのです。

結局、ここから導き出せるのは、「難しい(とされている)資格試験に受かるためのポイント」は、おそらくだいたい次のようなものです。

  • 自分が合格すると目指す年度を決める
  • 合格目標年度を決定したうえで、そこから逆算して勉強するスケジュールを決定する
  • 科目の性質に照らし、だいたいの勉強する戦略を立てる
  • 合格レベルに達している受験生なら必ず正解できる論点には正解できるような状態にする
  • 合格レベルに達している受験生でも解けないような問題は割り切って捨てる

…。

つまり、「積み上げ方式」(自分の勉強を積み上げたらそれが合格水準になる)、という発想ではなく、目標から逆算して何をなすべきなのかを考える、というアプローチです。

とくに出題範囲が広い試験の場合、何を出題されても最低限合格点の答えが書けるように準備しておくだけで、合格の可能性は飛躍的に高まりますし、逆に出題されても誰も答えられないような論点をいっしょうけんめいに勉強してもあまり意味はありません。

それに、めったに出題されない分野の問題というものは、実務的な重要性も低いことが多いのです。

基本書を読み込むのは正しいのか

くどいようですが、資格試験は「学者になるための試験」ではなく、「実務家になるための試験」であり、「実務の現場でクライアントなどからよく尋ねられる論点」などについて、実務に耐える回答を提供するだけの最低限の能力があるかどうかを問われているのです。

この点を外すと、はやり効率的な勉強にならないことがありますので注意が必要です。

こうした文脈で言及しておきたいのが、「原書・基本書などをじっくり読み込む」という勉強スタイルです。

「第2集団」や「第3集団」にありがちなのが、高名な学者先生が書いた基本書などをじっくり読み込み、徹底的に理解を図ろうとする、というものです。なかには受験予備校が準備したテキストを小バカにしながら、「この科目は受験学校よりも俺の方が深く理解している!」などと豪語する人もいます。

この点、もちろん、受験科目を学術的にしっかりと勉強するというのは、一概に否定されるものではありませんが、たくさんの学者の本を片っ端から読むなどの姿勢については、著者自身としては非常にネガティブです。

資格試験、とりわけ実務が対象分野であるものについては、出題内容自体が時代に応じてどんどんと変わっていくことがあるからです。

税理士試験の場合は税法が毎年変わっていきますし、公認会計士試験も監査・会計基準などは少しずつ変化していきます。

したがって、参照しているテキストが古いと試験問題を間違える可能性もありますし、さらには学者によって論点が分かれている場合、答案のなかで矛盾が生じる可能性もあります(とくに理論科目にはそのような傾向があります)。

これに対して受験予備校は「試験に受かること」を目的に、多くの学者の見解をうまくつなぎ合わせたうえで、どんな問われ方をしてもそつがなく答えられる程度には答案作成に資するような文章を作成してくれています(それでも「受験予備校の理論の矛盾を突きたい」と思うのであれば、実務家や学者にでもなってから、そのあとでやれば良い話です)。

だからこそ、こうした受験予備校を利用している人は、(せっかく高い学費を払っているのですから)その受験予備校が準備してくれたテキストやカリキュラムをしっかりとこなし、短時間でさっさと勉強を終わらせて、試験にはさっさと合格してしまうのが吉です。

もちろん、試験に合格した後でも、なお興味がある分野を持っているのなら、実務家になったうえで、自分で勝手に勉強すれば良いだけの話です(もっとも、たいていの場合、実務家になると学者先生の小難しい議論には興味を失いますが)。

「第3集団の法則」

こうした文脈で考えておきたいのが、「第3集団」の特徴です。

  • 基礎的な論点をないがしろにする。
  • 自分が賢いと思い、講師などを小バカにする。
  • 何年も勉強しているが合格できない。

…。

正直、何年も受験勉強を続けているという時点で、そのおカネ(予備校代や生活費)はいったいどこから出ているのか、個人的には疑問でなりません。親御さんが裕福なのでしょうか?

そして、受験予備校では似たような特徴を持つ人たちが群れるという傾向にあり、その「第3集団」のだいたい毎年同じようなメンバーで構成されているのです。便宜上、これを「第3集団の法則」とでも呼びたいと思います。

ちなみに著者は試験合格後、お世話になった受験予備校からの要請をいただき、数回、「合格者座談会」などに参加させていただくなど、数年間は関係を維持していました(※そのときの責任者だった先生がご異動になられ、著者自身も転職などで多忙になるなどしたため、現在では残念ながらもうつながりはありませんが…)。

その数年間で見ていると、著者が受験勉強を始めた時点ですでに何年も受験勉強を続けていたという先輩受験生たちが受験予備校に滞留し、著者が合格して数年後もまだその予備校に在籍していたため、やはり「第3集団の法則」は、おそらくは事実なのでしょう。

なにより、この「第3集団」の人たちは、得てして受験評論家みたいになってしまうようです。

ネットを通じて毒を吐く…匿名掲示板の思い出

なぜこんな話を唐突に掲載したのかといえば、最近の資格試験の受験生にとっては、インターネットというツールがさまざまな意味で受験に影響を及ぼしている可能性があるからです。

今から四半世紀前にはSNS自体が存在しませんでしたし、公認会計士試験(とくに第二次試験)の受験生がスマホを持ちながらSNSで情報発信するというのはあまり考えられませんでしたが、それでもインターネットは当時から存在していました。

ことに、2000年前後だと、『2ちゃんねる』などに入り浸っている集団がいたようなのです。

著者自身、受験生時代には『税金経理会計』の板の存在を知りませんでしたが(というか2ちゃんねる時代知りませんでした)、合格して会計士補になったあとで、そのような板の存在を知り、新鮮な衝撃を受けた記憶があります。

著者が通っていた受験予備校のスレもあったからです。

あとになって思えば、この2ちゃんねる(当時の受験に関するスレッド)に入り浸っていた人たちは、(おそらくは)当ウェブサイトの用語でいうところの「第3集団」の人たちだったのではないかと思います。

そもそも「第1集団」の人たちはそんな板の存在を知らず、入学してから2~3年ほどでさっさと合格して受験予備校から姿を消していきます。また、「第2集団」の人たちも、(合格までの年数は長いかもしれませんが)なんだかんだで合格して姿を消していきます。

これに対し、それこそ10年単位で受験予備校に入り浸っている人は、受験自体がなかばライフワークと化していて、しかもそれぞれの科目についてさまざまな受験予備校の講師の教え方を批評するなど、なかば批評家のようになってしまうのです。

2ちゃんねるの一部の板は、まさに何年も受験を続け、それでも合格しない人たちのたまり場のようになってしまっていたのです。

著者が2ちゃんねるの存在を知ったのも、「第3集団」に属する人から「君のことが書かれてるで」と教えてもらったからです。その当時はたしか「受験番号●号、君はきっと受かると思ってたよ」、と書き込まれていました(変なことを書き込まれなくて良かったです)。

これについて先日、「現在の匿名掲示板はどうなっているのかな?」と思い、『5ちゃんねる』などの掲示板を調べてみたのですが、2~3個のスレッドを眺めてそっと閉じてしまいました(このリアクションから察してください)。

SNSと受験生

もっとも、想像ですが、最近の受験生の方は匿名掲示板よりもSNSの方を好むような気もします。

著者などはSNSもやっているので、ごく稀に公認会計士試験の受験生の方から(なぜか)ウザ絡みされることもあり、なかには結構口汚い言葉で罵られることもあるだけでなく、酷い場合は「お前本当に会計士か?」などと侮辱されることさえあります。

SNS空間にはさまざまなユーザーがいる以上、SNSで情報発信をしていたら、多少とも侮辱を受けるのは我慢しないといけませんが、過去に著者にそうやって侮辱した受験生を定点観測(?)していると、何年たっても受験生を続けているケースもあるようです。

(※なお、いちおう警告しておきますが、多少の侮辱であれば著者としても目くじらを立てることはありませんが、あまりにひどい場合は開示請求の対象となります。受験生が相手であっても容赦しません。)

この点、受験生の方であってももちろん、SNSを通じて情報交換をしてみたり、あるいは監査法人勤務者から情報を受け取ったりするなど、有益な使い方ができることは間違いありません。

しかし、その一方でやはり、見ず知らずの他人に対し、暴言を吐くのはいかがなものかと思います。これについては四半世紀前に某匿名掲示板で毒を吐いていた人たちの多くがいわゆる「滞留組」だったことを思い出すと、やはり受験生でありながら必要以上にネットに嵌ってしまうというのも困りものです。

いずれにせよ、著者自身もこの「第3集団の法則」が正しいことを、受験が終わってから四半世紀も経ってから検証できたことが、これはこれで「思わぬ発見」だったと申し上げたいと思う次第です。

本文は以上です。

金融評論家。フォロー自由。雑誌等の執筆依頼も受けています。 X(旧ツイッター) にて日々情報を発信中。 Amazon アソシエイトとして適格販売により収入を得ています。 著書①数字でみる「強い」日本経済 著書②韓国がなくても日本経済は問題ない

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読者コメント一覧

  1. カズ より:

    >正直、何年も受験勉強を続けているという時点で、そのおカネ(予備校代や生活費)はいったいどこから出ているのか・・。

    肝心なのは「当人が身銭を切って学ぶこと」だと思います。
    *意気込みが断然違ってきます。(やれれば ⇒ やらねば)

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