経済困難世帯等への支援は「まだまだ足りない」のか?
NGOが実施した経済困難世帯へのアンケート調査では、「『高校授業料無償化』の政策だけでは支援が足りない実状が明らか」になったのだそうです。こうした世帯への支援が十分なのか、といった論点もさることながら、それと同時に社会全体で限られたリソースをどこまでこうした世帯に注ぎ込むべきなのかに関する社会的コンセンサスは得られているのでしょうか?機会の平等を保障するための政策なら良いのですが、結果の平等を実現するための政策ならば、それは正しいことなのでしょうか?
機会の平等?結果の平等?
著者自身が強く支持している考え方のうちのひとつに、「『機会の平等』と『結果の平等』は別物だ」、というものがあります。
一般に「機会の平等」とは、出自や先天的な能力などによらず、成功するための機会をすべての人が等しく与えられるべきとするものです。
せっかく能力を持って生まれてきたのに、「卑しい身分」の出身であるがため、学校に行く機会すら与えられない、という状況は非常に残念ですし、現代でも残念ながら、「出身成分」によりその後の人生が決まってしまう某独裁国家などもあるようです。
これに対し、生家が貧しくても、頑張って勉強し、奨学金などを勝ち取り高い教育を身に着け、社会に出て大活躍する、といった社会には機会の平等があるといえますし、不幸な境涯も本人の努力でどうにでもなるというのは健全な社会であるといえるでしょう。
一方、「結果の平等」とは、社会全体で人々の生活水準や経済状況がほぼ同等である状態を指すことが一般的です。
どこかの国だとごく一部の豊かな人が社会全体の富の大部分を握る、といった状態が一般的だといわれますが(皮肉なことに、旧共産圏などはとくにその傾向が強かったようです)、富が偏在すると、貧しい人は徹底的に貧しくなってしまうようです。
だからこそ、社会の構成員が全員、ある程度は等しく、最低限の文化的で健康な暮らしを送っていけるようにすることが必要であり、ビジネスで大成功するなど巨万の富を築いた人に高い税金を課し、その代わり、ビジネスであまり成功できなかった人も、ある程度の水準の暮らしを保証するのが、健全な社会であるともいえます。
ただし、問題は、「機会の平等」と「結果の平等」を、どこまで保証するか、というバランスです。
一般に「機会の平等」を保証する仕組みとしては、たとえば▼義務教育無償化、▼奨学金、▼各種就学支援―――などがあり、これに対し「結果の平等」については▼累進課税、▼ベーシックインカム・生活保護、▼応能負担、▼所得制限・給付制限―――などがあります。
結果の平等を求めすぎていませんか?
そして、わが国において大きな問題があるとしたら、「結果の平等」を求めすぎているきらいがあることかもしれません。先般より説明している通り、わが国の勤労層が負担している税、社保は、高すぎるからです。
たとえば会社勤めで年収1200万円の人は、所得税、復興税、住民税を合計で最大2,068,604円ほど負担している計算です(※扶養親族状況や住宅ローン、ふるさと納税の実施状況などに応じて金額は異なります)が、それだけではありません。
この人はそれ以外に、社保(厚年、健保、介護、雇用など)も負担しており、令和6年3月以降の東京都政管健保の事例だと、その金額は1,480,500円で、税・社保を合計すると3,549,104円(!)、つまり年収の29.58%を負担させられています。
ちなみにこの人の勤務先の会社は、給料1200万円以外にも社保会社負担分1,559,700円を支払っており、合計人件費(実質給与)は1200万円ではなく13,559,700円、合計した実質負担額は3,549,104円ではなく5,108,804円です。
したがって、実質負担率はこの実質負担額5,108,804円の実質給与13,559,700円に対する割合は37.68%(!!)と計算され、いわば、年収1200万円の人は実質13,559,700円を稼いでいながら、37.68%も国、自治体、健保組合などに奪われている格好です。
ただ、これは「高年収だからこんなに負担させられているのでは?」と思う方もいるかもしれませんが、それは正しくありません。
たとえば年収300万円の人も、社保雇用主負担分が486,000円を合わせた実質給与が3,486,000円、であり、手取りはここから社保本人負担分466,200円と諸税171,413円を合わせた合計1,123,613円が引かれた2,362,387円しか残りません。実質負担率は32.23%(!)です。
実質負担率、高すぎる!
これを年収ごとに示したものが図表です。
図表 年収ごとの実質給与(A)と実質負担額(B)、実質負担率(B÷A)
年収 | 実質給与 | 実質負担額 | 実質負担率 |
100万円 | 1,012,600円 | 25,000円 | 2.47% |
200万円 | 2,324,000円 | 724,246円 | 31.16% |
300万円 | 3,486,000円 | 1,123,613円 | 32.23% |
400万円 | 4,648,000円 | 1,529,122円 | 32.90% |
500万円 | 5,810,000円 | 1,962,072円 | 33.77% |
600万円 | 6,972,000円 | 2,410,237円 | 34.57% |
700万円 | 8,134,000円 | 2,899,258円 | 35.64% |
800万円 | 9,277,700円 | 3,412,571円 | 36.78% |
900万円 | 10,348,200円 | 3,816,288円 | 36.88% |
1000万円 | 11,418,700円 | 4,235,215円 | 37.09% |
1100万円 | 12,489,200円 | 4,661,289円 | 37.32% |
1200万円 | 13,559,700円 | 5,108,804円 | 37.68% |
1300万円 | 14,630,200円 | 5,559,382円 | 38.00% |
1400万円 | 15,700,700円 | 6,102,871円 | 38.87% |
1500万円 | 16,771,200円 | 6,646,360円 | 39.63% |
(【注記】試算の前提については『頑張って賃上げしても税や社保をゴッソリ取られる現状』の末尾参照)
所得制限、給付制限、応能負担の嵐
いわば、高年収の人は累進課税(所得・復興税)と応能負担(住民税、社保)に苦しめられているわけですが、そもそも低年収の人であっても社保の負担が重いため、結果的な実質負担率は重たくなります。
しかも、これに加えて高年収の人は、別の負担にも苦しんでいます。たとえば次の具合です。
- その子弟が奨学金を借りられない(所得制限)
- 住民税非課税世帯などへの給付がもらえない(給付制限)
- 高額療養費上限が異常に高い(給付制限)
- 昨年9月まで児童手当がもらえなかった(所得制限)
- 保育所の利用料(0~2歳児)が高い(応能負担)
ちょっとこれはさすがに、過度な「結果の平等」ではないでしょうか。
しかも、世間一般で「高所得者」とみなされていたとしても、負担率が高すぎるがために手取りが少なく、所得制限、給付制限に引っかかり公的支援も受けられないなどの事情が生じている人もいるため、たとえば奨学金が借りられないなどの「機会の不平等」も生じています。
あるいは仕事を頑張ってたくさんおカネを稼いだのに、自分よりも稼ぎが少ない人の方が自分よりも豊かな暮らしを送っている(こともある)、といった事例を見ると、明らかにこれは「結果の不平等」でもあります。
このあたり、私たちの社会がどこまで「機会の平等」と「結果の平等」を追求するかは、最終的には私たち有権者が判断すべき筋合いのものですが、残念ながら現在の日本では、それを事実上決めているのが、私たち有権者が選んだわけでもないものたち―――役人や官僚なのです。
経済困難世帯は「無償化だけでは支援が足りない」
では、私たちはどこまで機会の平等を保障すべきなのでしょうか?
機会の平等を追求するあまり、結果の平等の実現になったりしていないでしょうか?
そのヒントとなり得るのでしょうか、こんな話題が目につきました。
2025年経済的に困難な状況にある世帯への中高入学に関するアンケート調査:卒業と入学準備に「生活費を削る」6割超、「借入で工面」も約3割/借入金額・返済期間が前年比増、「授業料無償化」だけでは支援足りない実状明らかに
―――2025/03/17付 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンHPより
同記事は公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが公表した、いわゆる「経済困難世帯」に対して実施したアンケート調査の内容を紹介するものですが、これによると卒業・新入学準備の際に制服代などの費用を捻出するために、「他の生活費を削る」と回答した保護者が約6割だった、などとしています。
また、約3人に1人の割合で、「家族・親族・友人・知人からの借入やクレジットカードによるキャッシング、銀行・消費者金融などからのカードローンを利用」しているのだそうであり、同団体は「『高校授業料無償化』の政策だけでは支援が足りない」と述べています。
この点、経済的困難さから教育が受けられないという状況は由々しきものですが、正直ところ、どこまで支援を増やすかは考えものです。
当たり前の話ですが、支援は「無料」ではないからです。
というよりも、ある程度の稼ぎがあり、年収要件で支援が受けられない家庭も多く、こうした家庭の負担のうえで生活困難世帯の支援に無限のリソースを注ぎ込むことの是非については、本来ならば私たち有権者の総意で決めていくべきところでしょう。
はたして現在の社会保障政策の在り方が、有権者のコンセンサスを得たものとなっているのでしょうか?
機会の平等と言いながら、結果の平等を追求したりしていないでしょうか?
私たちはこれについて、もう少し考える必要があるのではないか、などと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました
自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
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意識高い系の人たちは、とにもかくにも
「キリギリスを助けろ!」
と言います。
別にそれが悪いとまでは言わないけど、そんなに崇高な行為なら自分が自費でやればよろしい。
止めませんから。
綺麗事を並べてるけど、要するに税金を引っ張りたい(配分は自分が仕切りたい)だけ。
困ってるアリは助けたいけど、キリギリスは勝手にすればよろしい。
「困ってる人を助けろ!」
の声ばかりで、誰がアリで誰がキリギリスなのかの説明や報道はあんまり聞きませんよね。
「税収が足りないんだ!」
の声ばかりで、何にどれだけ使うのか(使ったのかのエビデンス)の説明や報道はあんまり聞きませんよね。
なぜ似てるのか?(笑)
うんうん、自費にしたら石北会計は雲散霧消しそうです。
機会を定量的に観測するのは難しいですが、結果は明白に観測できます。行政にしろ活動家にしろ、観測や統計に頼らざるを得ないために”結果の平等”に偏っていくのではないかと考えています。
また、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンについては存じませんし、おそらくは使命感や危機感による素晴らしい活動をされているのではないかと思うものの、例えば「他の生活費を削る」は「他の生活費を削らないと不可能、破綻する」と同義なのかどうかなど、観測の仕方は気がかりです。ある一時的な出費がある時に、なにか他の日常的な出費を僅かに削って均すことは、貧困でなくてもあり得る行動だからです。「老後2000万円」の話題の時にも感じたことです。
数字を基にした議論は大切ですが、どうやって出した数字なのか、数字が恣意的ではないか、数字に出来ない所を見逃さないか、などは気にしていきたいところです。
・1000万、2000万の人にまで減税する必要があるんですか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/a72a70c0bf1eacd578e53aa7c5e2695bc23b0ad3
宮沢氏と同じで社会主義思想丸出しです。
自助努力もせず、労働者をATMとしか思っていないのでしょう。
この手のZ当事者のトンデモ主張は、掘り起こしたらいっぱい出てきそうですね。
憲法14条(法の下の平等)は、応能負担と給付制限を二重に課して、保険料が高いほど保証が少ないという詐欺的状態が生じることも正当化されるものなのだろうか。