「食べれる」?それとも「見れる」?言語は移ろいゆく

皆さまは、「ご飯を食べれる」、「夜寝れる」といった表現に、抵抗感はありますか?ありませんか?著者自身の私見ですが、言語というものは移ろうものだと思います。たとえば英語圏で最近、 you was という表現が「問題視」されているそうですが、これも英語の you に単数形がないことが原因かもしれません。こうしたなか、ドイツでは最近、移民が暮らす地域を中心に「キーツドイツ語」というものがあるようです。

ら抜き言葉を許せない?

言語学という学問があります。

これは、言語の成り立ちから構造、特性などを幅広く研究するもので、学んでみると非常に実用的かつ興味深い学問であることに気付きます。

たとえば、日本語はよく「孤立言語」といわれますが、これは英語など欧州諸語と比べて共通の祖語が発見されていない(あるいは言語学的に立証されていない)からだそうです(※この点について、著者自身には若干の異論もあるのですが、ここでは脇に置きます)。

そして、この言語学の知見がもたらす興味深い点は、現在進行形で変化していく言語を、「良し悪し」抜きで捉えることができるという点ではないかと思います。

たとえば、世の中にはよく「間違った言葉遣い」をとがめる人がいます。その典型例としては、「ら抜き言葉」というものがあります。

ご飯を食べれる」。

「文法的に正しい言葉遣いを!」

これは「ご飯を食べることができる」、という意味として通じますが、国語的に正しい表現は、こんな具合だそうです。

ご飯が食べられる」。

つまり、「~できる」という意味の助動詞は、五段活用動詞以外の場合は「~られる」を使わなければならず、また、格助詞も通常の目的語を表す「~を」ではなく、「~が」を使わなければならない、というロジックなのだと思います(国語学者さん、説明が間違っていたら申し訳ありません)。

ただ、著者自身は、話し言葉として「ご飯が食べられる」ではなく、「ご飯を食べれる」という表現は、容認し得るものではないかと思います。ちゃんと意味が通じるからです。

そもそも「~られる」といった表現は、尊敬語、受動態、被害などの意味合いを含みます。「お客様がご飯を食べられる」だと尊敬表現ですし、「家畜や野菜は人間に食べられる」だと受動態、「俺が勝ってきた弁当、あいつによって勝手に食べられた」だと被害表現です。

このように、「~られる」にはもともと、こうしたさまざまな意味が含まれているわけであり、こうした複数の意味を持つ表現に誤解を与えないために、自然発生的に「開発」され、受け入れられたのが、この「~れる」なのでしょう。

二人称 you に単数形がない

この「ら抜き言葉」のような表現を毛嫌いする人もいますが、著者自身としては、「言語は多数決」だと考えており、より多くの人が「ら抜き言葉」を使うようになれば、その表現がスタンダードとして確立していくというだけの話だと思います。

そして、人間は言語を使う動物ですので、似たような変化は、諸外国語にも見られます。

著者自身が目撃した事例だと、英国の某紙に掲載された、 “you was” という表現がその典型例ではないでしょうか。

そもそも現代の英語には二人称 you には単数形がなく、 you という単語は単数、複数の双方に使われます。したがって、この “you was” は、 you が単数形だった場合の表現なのだと思われます(違っていたら教えてください)。

ところが、 be動詞の格変化として、本来、 you に続くのは are であり、 is ではありません。したがって、その過去形は常に “you were” とならなければならない、というのが文法的な説明であり(通常の場合は、ですが)、たとえばテストなどで “you was” と書けばバツを喰らうのが普通でしょう。

ところが、英語圏だと口語表現で “you was” が広く使われているようであり、これに対しては英語圏でも、たとえば “in standard English, you should say ‘you were’ ” などと問題視する人がいる、というわけです。

ただ、これも「現在の」英語では “you were” が正しい表現とされているだけであり、数百年前の英語圏の人が見たら驚くかもしれません。二人称単数を含めて “you” が使われていること自体、「正しい英語」ではないと思うかもしれないからです。

すなわち、「言語が変わる」ということを受け入れなければ、二人称単数は “you were” ではなく “thou wast” が使われなければならない、ということになりはしないでしょうか。

すなわち、こうした観点からも、言語というものはそもそも変容していかざるを得ないものだ、ということなのでしょう。

キーツドイツ語?

さて、この言語の変化という観点から、ちょっと気になったのが、明治大学が運営するウェブメディア『メイジネット』が配信した、こんな記事です。

ドイツ語の変種「キーツドイツ語」から見えてくる、日本の現在地

―――2025/01/09 13:09付 Yahoo!ニュースより【Meiji.net配信】

記事は明治大学文学部の渡辺学教授が執筆したもので、独有力紙『フランクフルター・アルゲマイネ』に掲載された記事をもとに、ドイツ人のドイツ語力が低下し、逆に英語力が上昇しているとする調査記事を手掛かりに、おもにトルコ系移民などが共住するエリアの「キーツドイツ語」を取り上げたものです。

渡辺教授によると、英語に米国、英国、シンガポール、豪州などさまざまな種類があるのと同様、ドイツ語にも(英語ほど広域ではないにせよ)オーストラリア・ドイツ語、スイス・ドイツ語などの多様性があり、これに近年みられるのがキーツドイツ語だというのです。

渡辺教授によるとキーツドイツ語ではトルコ語やアラビア語などの表現が取り入れられているほか、語末音の消失や前置詞の脱落などが発生し、とりわけ一人称 “ich” に対応する動詞末の “-e” が脱落する傾向がある、というのだそうです。

日本語は移ろうもの

ただ、他言語(たとえば英語など)からの借用語という意味では、日本には独自の和製英語も多く(たとえば「クーラー」「ゲッツー」「レベルアップ」など)、これについて渡辺教授は、比較的英語を英語のままで取り入れる傾向が強いドイツ語と比べ、日本語には特徴がある、というのです。

言葉を取り入れる際、いったん咀嚼し、自分たちの言語に翻案する過程を経ることで、言葉や概念の捉え方、さらには自分たちの世界との向き合い方が異なってくるのかもしれません」。

ドイツ語と対照することで、日本語や日本のあり方も考えさせられます」。

そのうえで渡辺教授は、こうも指摘します。

日本語を見てもわかるように、歴史的にも言語の文法形式は徐々に単純化に向かっているようです。これらは言語の“進化”とは言わないまでも、自然な歴史的“変容”であると私自身も受け止めています」。

『的を射る』を『的を得る』だと思っている人が、若い世代を中心に増えています。やがて後者がマジョリティになったとき、前者がむしろ誤用だとされるときが来るかもしれません」。

実際、この手の「誤用」が人口に膾炙するあまり、「誤用」ではなくなる、という事例も多々あります。

「けんけんがくがく」、という表現を聞くことがありますが、これはもともとは「かんかんがくがくけんけんごうごう(侃々諤々喧々囂々)」の前半と後半がこんがらがったものであるものの、何となく意味が通じたりもしています。

いずれにせよ、言語というものは移ろうものであることは間違いないでしょう。

本文は以上です。

読者コメント欄はこのあとに続きます。当ウェブサイトは読者コメントも読みごたえがありますので、ぜひ、ご一読ください。なお、現在、「ランキング」に参加しています。「知的好奇心を刺激される記事だ」と思った方はランキングバナーをクリックしてください。

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

このエントリーをはてなブックマークに追加    

読者コメント一覧

  1. いちょう より:

    誤用が勝ってしまった例としては、「独壇場」がありますね。独擅場と書くことはまずないですし、「どくせんじょう」と発音したら、何のことかわかってもらえません。

    私が気になっているのは、「しらずしらず」を漢字でどう書くかです。私は「知らず知らず」は誤りだと思うのですが、これが流布されつつあるように思います。
    これの初出(だと私が思うもの)は、十八史略の鼓腹撃壌で、これは「不識不知」です。その後の用例としては「不知不識」もあるみたいです。
    「識らず」という読み方が常用漢字外であることを考慮すると「しらず知らず」か「知らずしらず」と書くことになります。でなければ「識(し)らず知らず」か「知らず識(し)らず」ですね。
    というようなことを考えて、ある原稿に「知らずしらず」と書いたら、編集者に「知らず知らず」に直されました。「知らず知らず」は誤りだと思うので「知らずしらず」に戻してもらいました。どんなもんですかね。

  2. sqsq より:

    「ヤバイ」がいつからポジティブな意味を持つようになったのか。
    「ハンパない」何か抜けてる気がするけど今やこっちの方が主流。

    Bad の最上級はworst と習ったがbaddest というのが存在するらしい。しかも意味は「すばらしい」「イケてる」だって。

  3. 雪だんご より:

    「Youは複数系なので、例え相手が一人だけでもwasではなくwereを使うべき」

    これ、私が英語を学び始めた時に”面倒だなあ、なんでこうなっているんだ”と
    しきりに首を傾げた覚えがあります。

    「相手が一人ならwasにした方が分かりやすいだろう?」

    こう言われても反論し辛いです。習慣的にwereを使い続けている人が

    「それじゃこっちが相手が複数居ると勘違いされちゃうじゃないか」

    と言い返すかも知れませんが……結局は多数決の都合なんでしょうね。

  4. taku より:

    まだ1月なので、知る人ぞ知る話を一つ。
    「新年明けましておめでとうございます」というのは、もともとは誤用だそうです。
    「明ける」とは、梅雨明け、年季明けなどのように「あるひと続きの時間・期間・状態が終わって、次の時間・期間・状態になる」ことを指すので、正しくは「(旧年が)明けましておめでとう」だそうです。
    ただもう人口に膾炙しておりますので、今では「新年明けましておめでとうございます」でも、何の問題もございません。

  5. 国語が苦手な名無し より:

    初めて書き込ませていただきます。
    よろしくお願い致します。

    皆で間違えればそれが正しくなるとでも言いましょうか、
    そのように感じる言葉で幾つか思い当たります。
    「憮然」、「檄を飛ばす」、「○○『を』鑑みる」(助詞の間違い)、
    あるいはここ数年で頻繁に使われるようになった「忖度」でしょうか。

    個人がSNSで発信する文章ならともかく、プロの書き手による文章でも誤用が目立ちます。
    と指摘してきながら、自分も言葉の誤用が多いです。

    あと「キレる」という言葉、も1980年代終盤は恋人が別れるという意味で使われていたと記憶しておりますが、1998年の広辞苑では「我慢が限界に達し、理性的な対応ができなくなる」という、現在の意味と同じ内容で定義されていたようです(それより前は辞書による定義はなかったようです)。

    長文になってしまい、申し訳ございません。

  6. 陰謀論者 より:

     かつて「なにそれ」は、単独で感嘆の強調表現か(「なんだそれ」「なんだよそれ」の省略表現だったのかもしれませんが詳しくは分かりません)、なぜ
    か「なにそれすごい」という慣用表現でしか使われていない言葉でした。
     もう少し拡張性がありそうだし、「それなに」の倒置表現が起源という嘘出自を捏造して、あるいは英語の疑問形のそのまんま直訳とかいろいろ考えて「なにそれこわい」という、当時の日本語ではでたらめな日本語慣用表現を私が発明したのですが、その後誰かが「なにそれおいしいの」というさらに輪をかけてでたらめな日本語を作ってしまい、2チャンネルなどサブカルを中心にはびこった結果、「なにそれ」は現在ではどっちが元々でたらめだったかわからないような状態になっております。
     まあこれについては便利だったからしょうがないじゃんと割り切っていますが、時々それでいいのかよと思いも致します。

  7. 新宿会計士 より:

    自己レスです

    独語を習い
    Du hast das.
    などの表現を覚えると
    Thou hast this.
    という英語表現との類似性に気付くが

    How do you do?
    は発音しやすいが
    How dost thou do?
    は言いにくい

    などなど。

  8. カズ より:

    「情けは人の為ならず」のように解釈が違ってきた例もありますね。
    ・・・・・
    曖昧さを排除する言い回しには賛成です。

    だいじょうぶです!
    けっこうです!
    かまいません!
    ・・。

    曖昧さを解消しないと、勧誘電話は止まらない。
    得手勝手アポインターに言葉の機微は通じない。

※【重要】ご注意:他サイトの文章の転載は可能な限りお控えください。

やむを得ず他サイトの文章を引用する場合、引用率(引用する文字数の元サイトの文字数に対する比率)は10%以下にしてください。著作権侵害コメントにつきましては、発見次第、削除します。

※現在、ロシア語、中国語、韓国語などによる、ウィルスサイト・ポルノサイトなどへの誘導目的のスパムコメントが激増しており、その関係で、通常の読者コメントも誤って「スパム」に判定される事例が増えています。そのようなコメントは後刻、極力手作業で修正しています。コメントを入力後、反映されない場合でも、少し待ち頂けると幸いです。

※【重要】ご注意:人格攻撃等に関するコメントは禁止です。

当ウェブサイトのポリシーのページなどに再三示していますが、基本的に第三者の人格等を攻撃するようなコメントについては書き込まないでください。今後は警告なしに削除します。なお、コメントにつきましては、これらの注意点を踏まえたうえで、ご自由になさってください。また、コメントにあたって、メールアドレス、URLの入力は必要ありません(メールアドレスは開示されません)。ブログ、ツイッターアカウントなどをお持ちの方は、該当するURLを記載するなど、宣伝にもご活用ください。なお、原則として頂いたコメントには個別に返信いたしませんが、必ず目を通しておりますし、本文で取り上げることもございます。是非、お気軽なコメントを賜りますと幸いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

【おしらせ】人生で10冊目の出版をしました

自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。

【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました

日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。
関連記事・スポンサーリンク・広告