「馬鹿にSNSと選挙権与えるな」と主張するのは誰だ

当ウェブサイトでは昨年、「馬鹿に選挙権とSNSを与えるな」などと主張する「インチキ論説」を掲載しました。この「インチキ論説」の内容が当たっていた可能性があります。いくつかのメディアがSNS規制などを言い出していることがその証拠ですが、それだけではありません。とあるメディアは「選挙では量より質が大事」などとする記事を掲載したようなのです。

プロローグ:とある大学生の体験談

僕は都内の私立大学経済学部に通う大学4年生だ。就職活動も何とか終え、あとはゼミの卒論を仕上げるだけとなった。僕が気になっているのは、実社会には自由経済競争が貫徹しない業界もある、という点だ。一部の業界では、政府・官庁が競争を規制し、価格を一定水準に維持している事例があるという。

僕はこれについて、卒論のテーマに選んでみようと思い、ゼミの教授に相談したところ、教授からは「良い着眼点だね」と言われた。

そこで意気揚々と、4年間使用したマクロ経済学などのテキストを開き、自由経済競争の定義と現実の某業界の法令・規制などについて調べ始めたのだが、図書館でこれらの書籍を閲覧していたら、同じゼミのAさんという人物に鉢合わせた。

「まいったな」。

僕は、そう思った。

Aさんは僕より3歳年上で、3年間留年しており、就職活動もしていないと聞く。そんなAさんは先輩風を吹かせて僕に「指導」してくることが多いが、正直、ウザいと思っていた。しかも卒論のテーマが決まり、調べ物が佳境に入っていたときに、だ。

Aさんは図書館で僕を見つけると近づいてきた。

「何をやっているんだい?」

何をやっているんだい、もないじゃないか。

内心、そう思ったが、努めて平静を装い、そっけなく、こう答えた。

「卒論の準備です」

しかし、Aさんは僕が机に広げていた卒論計画を目ざとく見つけて拾い上げ、数分それをじっくり読んだ後、こう言った。

「自由競争?民主主義?そんなの、幻想だね。何でもかんでも自由競争に任せていたら、社会は馬鹿に支配されてしまう。馬鹿に選挙権を与えてみろ。きっとデマ政党が躍進して、日本は滅茶苦茶になっちゃうぞ?」

「学識ある人が価値のあるものを決める。馬鹿はそれに従う。これこそが、社会が円滑に動く仕組みだ」。

そう言い放ってAさんは去っていった。

「馬鹿に選挙権とSNSを与えるな」

かなり恐ろしいインチキ論説

昨年の『【インチキ論説】「馬鹿に選挙権とSNSを与えるな」』は、当ウェブサイトのコメント欄やXでのポストなどをもとに、記事タイトル通りの内容を主張したことがあります。

といっても、記事表題に「インチキ論説」と付記している通り、主張内容はデタラメかつ支離滅裂です。

わかりやすくいえば、こんな内容です。

  • 新聞、テレビは信頼できる情報源であり、SNSは信頼できない情報源である
  • ところが最近、新聞やテレビよりもSNSのデマ投稿の方が社会的に大きな影響力を持ち始めている
  • したがって、悪質なデマ発信を取り締まるためのSNS規制が必要だ
  • これに加えてSNSを盲信するような者に選挙権を与えないようにしなければならない

…。

端的に言えば、かなり恐ろしい発想です。

これこそまさに日本国憲法で保障されているはずの「言論の自由」の否定であり、また、成人男女は選挙権を持ち、普通選挙を保証するとする精神否定だからです。

正直、こうした発想が出てくること自体、かなり恥ずかしい話だと思います。

現実離れした発想…だれがどうやって公正な試験を実施するのか

もちろん、憲法では思想、信条の自由が保障されていますので、「馬鹿に選挙権を与えるな」、「馬鹿にSNSを与えるな」、といった発想をすることだって(いちおうは)自由ですし、Xなどの空間でそれを主張しても構いません。

また、当ウェブサイトでは「主張内容がバカげている」というだけの理由で排除することはしません(※コメント主が他のコメント主を侮辱したり、犯罪予告をしたり、議論を否定する態度を取ったりしたときには、この限りではありませんが…)。

ただ、実際にそれらを主張している人たちは、やはり、どこか発想が現実離れしています(※著者の私見です)。

たとえば、「馬鹿に選挙権を与えるな」という主張を突き詰めていくと、「一定の学力試験などを実施し、それに合格した人にしか選挙権を与えない」、といった方法が考えられます。しかし、それをいつ、だれが、どうやって実施するのかという問題があります。

たとえば、試験問題を誰がどういう基準で作成するのでしょうか?正解は運転免許試験のようなマーク式にするつもりでしょうか?面接式にするつもりでしょうか?また、試験に合格させるための合格点を何点に設定するつもりなのでしょうか?

大学受験の場合、大学の定員の範囲内で、その大学が要求する学力水準を満たしているかどうかという観点で試験が実施され、試験問題の作成や採点基準はその大学が決めれば良いのですが、「選挙権試験」の場合は、「最低限の足切り水準」を設定するのに恣意が入り得ます。

また、時の政権が試験に介入し、特定の政治性向に関する問題を多数設け、自党を支持していないと思しき有権者から選挙権を奪うという事態も生じ得ます(たとえば試験問題に「原発再稼働は必要ですか?」、「憲法改正は必要ですか?」といった問題が混入していたら、どう答えたら正解なのかがよくわかりません)。

「馬鹿に選挙権与えるな」は「馬鹿にSNS与えるな」に通じる

いずれにせよ、この「馬鹿に選挙権を与えるな」式の発想をする者は、たいていの場合、おかしな選民思想に染まっていることが多いようであり、「ボクの考えた理想の社会」を実現するために、手始めに「馬鹿は選挙権を持つな」、といった主張をしているのかもしれません。

これが、いわゆる民主主義の制限ですが、制限しようとするのは民主主義だけでなく、自由主義もまた同じです。

こうした文脈からすれば、「馬鹿にSNSを与えるな」、も、じつは「馬鹿に選挙権を与えるな」と、まったく同じ発想ではないでしょうか。

該当記事に、こんなくだりが出て来たのを覚えていますか?

そもそも論だが、新聞、テレビといったマスメディアの報道は、情報を取り扱うプロフェッショナルである記者などが素材を厳選し、内部でチェックを通ったうえで、メディア各社が責任をもって出して来るものだ。個人が気軽に投稿するSNS投稿のような無責任な代物ではない」。

この記述、何とも傲慢です。

この点、当ウェブサイトでは何度となくお伝えしてきましたが、真偽不祥な情報というものはSNSにも多く流れており、その意味で、SNS(やその他のネット)の情報を鵜呑みに信じるのは危険です。

ただ、「真偽不祥な情報が流れている」という意味では、じつはSNSとオールドメディアは大差ない、というのも事実です。

そして、「意見の多様性」という観点からは、「コメントツリー」、「引用リポスト」といった機能がある分だけ、SNSの方がオールドメディアよりも遥かに優れています(ちなみにXの場合だと、最近はコミュニティノートという機能で誤解を与えかねないポストに背景情報がつくこともあります)。

SNSの影響力が高まるなかで考えたいオールドメディアの腐敗ぶり

これらの機能は、オールドメディアには存在しないのであり、その分、じつはSNSの方が情報の透明性が担保されているのではないかと思われるのです。

こうしたSNSの威力が大きく発揮されたのが、昨年7月の東京都知事選、10月の衆議院議員総選挙、11月の兵庫県知事選だったのかもしれません。とくに兵庫県知事選は、オールドメディアがSNSに対し、「社会的影響力」という観点から事実上の敗北を喫した画期的な事例だったといえるのではないでしょうか。

こうしたなかで、「情報の素人が発信するSNSの方が、情報のプロフェッショナルが発信するオールドメディアよりも信頼されてしまう社会は危険だ」、といった趣旨の主張も散見されるようになってきました。

しかし、冷静に考えていただきたいのですが、そもそもオールドメディアが「情報のプロフェッショナル」だと、いったい誰が決めたのでしょうか?むしろオールドメディアは最近、腐敗ぶりが酷くなってきたのではないでしょうか?

日本の新聞業界は、いくつかの全国紙に加え、おおむね「一県一紙」となるように、長年、少数の新聞社で情報が独占されてきたのですが、これは昭和10年代の新聞統制により完成した寡占体制で、新規参入がほとんどありません(これが俗にいう「1940年体制」です)。

また、日本のテレビ局の場合も、とりわけ民放在京キー局に関しては主要全国紙とほぼ同一の資本関係(あるいは資本関係は消滅していても緊密な協力関係)にありますし、新聞業界と同様、新規参入が非常に難しいという特徴があります。

最近でこそネットに押されるかたちで新聞には廃刊ラッシュが到来する可能性が高くなっていますが、少なくとも前世紀においては新聞社の経営破綻は(まったくないわけではないにせよ)非常に稀でしたし、テレビ局も同様に、滅多なことでは倒産しないという特徴がありました。

NHKに至っては、国営でも民営でもないヌエのような存在で、放送法の規定に基づき、事実上、受信料を半強制的に徴収する権限を与えられ、そのくせして国民がNHKの改廃に口出しできないという深刻な法的欠陥を有していたりします。

メディアの側からの抵抗

メディア関係者は選挙で選ばれた人たちではない

いずれにせよ、少なくとも新聞社、民放、通信社、NHKといったオールドメディア各社の従業員の採用試験に、私たち一般国民が関わることはありません。

したがって、マスコミ記者の皆さんは私たち国民が民主的に選んだ「国民の代表」では断じてありませんし、また、オールドメディアがこれまでに流してきた情報については、そのクオリティを担保する仕組み自体が存在していなかった、という事実を忘れてはならないのです。

というよりも、『【総論】腐敗トライアングル崩壊はメディアから始まる』などでも解説したとおり、オールドメディアは著者自身が「腐敗トライアングル」と呼ぶ構造の一角を占めていて、決してクオリティが高くない情報をもとに、時として「第四の権力」として選挙結果に介入して来たのです。

まさに民主主義的なプロセスによらずに絶大な社会的影響力を握ってきた「利権層」―――。

それが、オールドメディアなのです。

そしてこの構図自体、「オールドメディアが社会的影響力の観点からSNSなどネットに敗北する」という形で、いま、絶賛崩壊中です。

そうなると、利権の側からはこれに抵抗しようとする動きが出てくるはずだ―――。

著者はそう考えているのです。

とあるメディアが新春早々、「量より質が大切」などと主張

いま話題の「SNS規制」はその典型例ですが、それだけではありません。

(敢えてリンクは示しませんが)とあるメディアが新年早々、こんな趣旨の記事を掲載したようなのです。

  • 投票率が上昇し、若者が投票に行けば、民主主義が強いものになるのか
  • 専門家はむしろ、投票の「量」よりも「質」が大切だと指摘する

穿った見方ですが、この記事自体、SNSを通じてオールドメディアの意に沿わぬ候補者が当選する時代になったことに対する、オールドメディアの側からの抵抗ではないでしょうか。

若年層ほどSNSなどネット利用率が高く、また、新聞、テレビに接する割合が低いからです。

実際、総務省の『情報通信白書』を見ていると、図表1に示した通り、2013年時点ではまだテレビ視聴時間はそれなりに多く、10代や20代を中心にネット利用時間とテレビ視聴時間はほぼ拮抗していたものの、30代以降だとまだまだテレビの方が圧倒的な優位にありました。

図表1 平日のメディア利用時間(分、2013年)

(【出所】総務省『情報通信白書』等を参考に作成)

ところが、2023年時点では図表2の通り、40代までのほぼ全年代で、ネット利用時間がテレビ(と新聞、ラジオを合わせた時間)を上回っており、50代においてすら、ネットがテレビ視聴時間を(ほんの少しではありますが)上回ったことが示されています。

図表2 平日のメディア利用時間(分、2023年)

(【出所】総務省『情報通信白書』等を参考に作成)

ここまでくれば、あとはもう時間の問題でしょう。

こうした状況を踏まえ、「量より質が大切だ」のくだりを読むと、想像するに、オールドメディアの側は「若年層が投票に行くのは良くないことだ」、とでも言いたいのかもしれません。

案外早くわかる(かも?)

もちろん、オールドメディアが「馬鹿に選挙権を与えるな」、「馬鹿にSNSを与えるな」、などと過激な言葉を使うわけはないとは思いますが、ただ、彼らの最近の主張を丹念に読み込んでいけば、述べている内容は、まさに「馬鹿にSNSと選挙権を与えるな」、なのです。

ちなみにここでいう「馬鹿」とは、自分たちオールドメディアの主張内容に従おうとしない、すべての有権者を意味しているものと思われます。

ただ、非常に残念なことに、オールドメディアの皆さまの願いとは裏腹に、SNS空間には多数の「ノラ専門家」が生息しています。

山手線の駅名を冠した怪しい自称会計士はともかくとして、たとえば財務省が主張する「国の借金論」にしたって、経済、金融、会計などの観点からオーバーキル気味に論破する論客など、ネット空間には無数に存在してたりするわけです。

そして『「税の取られ過ぎ」に気付いた国民がSNSを手にした』で指摘した通り、昨年はネットの社会的影響力がオールドメディア・官僚の連合軍を凌駕し始めたという意味で、後世に深く記憶される年となるだろう、というのが、著者自身の現時点の考え方です。

オールドメディア(や官僚、野党議員など)は抵抗を続けると思われるものの、おそらくそれらの抵抗は無駄に終わります。彼らの多くはオープンベースの場でまともに議論したことがないからです(自民党税調インナーや財務官僚などもそうかもしれませんが…)。

こうした考え方が正しいかどうかについては、意外と近い将来、早ければあと1~2年以内に実証されるのではないか、などと思う次第です。

エピローグ

さて、Aさんは僕に「馬鹿に選挙権を与えるな」と吐き捨てて去って行ったわけだが、その後、僕は卒論を仕上げて提出し、なんとか大学を卒業して、希望していた仕事に就くことができた。

しかし、風のうわさによるとAさんはゼミの教授と喧嘩し、法ゼミ処分となり、単位が足りなくなったためか、大学にもう1年居残ることになったらしい。

しかもAさんはどこか浮世離れしていて、就職活動もしていなかったらしいから、本人は飄々として「もう1年大学で遊べることになった」と喜んでいたという。

ただ、僕の記憶だと、うちの大学は最大限在籍できるのが8年間じゃなかったっけ?Aさん、去年まででもう3留しているはずだから、今年卒業できなかったら退学になったりしない?

まぁ、Aさんは自分で自分のことを「天才肌」だと言っていたから、きっと自分で自分のことは何とかするんだろうな。しらんけど。

本文は以上です。

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読者コメント一覧

  1. 丸の内会計士 より:

    現実に起こっているのは、バカに放送させるな!!、バカに記事を書かせるな!!、バカに税制を決めさせるな!!、バカを総理大臣にするな!!ではないでしょうか。SNSによる情報の非対称性の崩壊でテレビ局、新聞社、税調、財務省、国会議員等は、事業モデルを変える必要があります。抵抗しても無駄のように思います。

  2. CRUSH より:

    製造業としては、
    ①モノサシが無いと検査できない。
    ②人権についてのモノサシは存在しない。
    ③なので有権者の資格は合否判定不可能。
    QED

    よくもまあ、5秒で結論に至るようなしょーもないことを口にできるもんですわ。
    結果を担保することはできません。
    できるのは経過を健全に保つことだけ。

    現実に起きている問題点は、
    ①健全に検証がなされない。
    ②なので淘汰がない。
    まずこれ。

    コミュニティノートの効果は絶大。
    分かりやすい実例が目の前にあるのだから、哲学的に砂糖をまぶした回り道をする必要なんかなくて、まずそれをやれ!と。

    たぶんそれだけで。あらかた問題点は片付きそうに思えますけどね。

  3. 引きこもり中年 より:

    成人男女であれば、バカにも選挙権を与えるのが民主主義だから、あるオールドメディアは民主主義を否定したいのでしょう。
    蛇足ですが、オールドメディア村のなかでは、民主主義より業界村の空気なのではないでしょうか。

  4. KN より:

    投票の「量」は大切です。(あるかどうかもわからない?)組織票をひっくり返せることがわかったから。
    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF1723K0X11C24A1000000/

    というか、投票の「質」ってなんですか?
    情報操作のプロフェッショナルが発信するオールドメディアの方が、ノラ専門家が発信するSNSよりも信頼されてしまう社会は危険ではないか。

  5. ネタばれ より:

    最後のオチは、ムムム。
    個人的には、「僕」だけでよかったのでは?

  6. Masuo より:

    馬鹿に選挙権を与えないなら、テレビのみを情報源として、そしてそれを鵜呑みにする人の選挙権を取り上げるのが先ですかね。

    『馬鹿』の定義として、オールドメディアの意に添う投票行動をする、テレビの情報を鵜呑みにする人たちが『馬鹿』なのか、オールドメディアの意向に逆らって、広く情報を収集する人たちが『馬鹿』なのかという問題だと思いますけど。

  7. 名古屋県民 より:

    仮に選挙権の所持を選別するようになったとして、主張者は自分もまた選別される側になるのわかってるんですかね?
    選ぶ側で立ち回る予定なので問題無し?自分は基準ラインであることは明白であると?
    選定する側に主張者のいう「馬鹿」がついたら自分は排除される可能性があるのに。
    この手の人らは自分の掲げたシステムに殉ずる覚悟をもって主張してるとは思えないよなあ。

  8. 同業者 より:

    指鹿為馬(鹿を指して馬と為す)ということなのかしら?
    オールドメディアが一斉に鹿を指して馬であると報道した時に、「アホちゃう、鹿やん」「バッカじゃないの」と本当のことを言ってしまった国民からは選挙権を剥奪するということでしょうか。
    まさに「どの口が言う」です。
    果たして、権力を与えてはならないのは、オールドメディアの方でしょうか、国民の方でしょうか。

  9. のらぶー より:

    不思議なんですよねえ。
    普通の老人な自分の方が、余程、世間を見通せてる。
    SNSは規制ではなくて活用する時代なのになあ

  10. 農民 より:

     テストの平均点を上げる簡単な方法があります。それは、成績優秀者のみに受けさせることです。なんなら最優秀者一人のみに受けさせれば、それがそのまま平均点になります。最高ですね。
     ……テストの平均点が上がってもクラスの質が上がっていないのは明白です。同様に、国民は全体集合で有権者は部分集合であり、部分集合を削ることによるスコアアップには意義が薄い。選挙による誤りはもしかしたら減るかもしれませんが、良い効果が確定しない割には、たまの誤りがより致命的になったり、利益の偏重、不満の蓄積といった副作用が多そうです。
    (以下、議論のためにバカといった表現を敢えて用います。)
     現代は、成績の優劣に関わらず意見交換でき、バカがマジメにわからないことを教えてもらったり、マジメがバカにオモシロイ事を聞いたり、それを共有できる場が出来てきたというようなところです。
     そりゃマジメが「足を引っ張られている」と思うこともあるでしょうが。正答で埋めることが最終目標ならば切り捨ても手でしょう。しかし最終目標は全体のより良い生活です。バカがいくらかでも正しい答えに寄れたり、バカなりのバカならではの意見を上げることには(一部うんざりはするものの)意義があります。
     現実の民主政治で上述にあたるのは情報の共有や高速化、正常化で、やっと整ってきたというところです。民主主義が早すぎたというべきか。今の流れを妨害すべきとは思えません。

     その妨害をしようとしている連中が、どちらかというと「賢いつもりでいる面白くないバカ」っぽいのがまたなんとも。

  11. 雪だんご より:

    ああ、2008年に大スキャンダルをネットユーザーに暴かれた際に
    逆切れしてネットユーザーと永久戦争状態になったあの新聞社の記事ですか。

    姑息な事に有料記事にして肝心なところは読ませない様にしていますが、
    要は「ネット規制したーい!畜生、ネットユーザーどもめぇええ!」の延長戦でしょうね。

    こういう”痛み止め”記事を身内に向けて書かないといけないくらい
    内部の士気はボロボロなんだろうなあ、と思うと何かほっこりします。

  12. 匿名 より:

    日本は西洋から近代的な概念を学んで取り入れたけど、制度やシステムと
    して取り入れただけで、そのバックボーンたるキリスト教は取り入れていない
    (というか取り入れようが無かったかも)のが、色々と日本ならではの
    奇妙な問題になってる気はする。
    キリスト教では人間は神が土くれから創った存在で、個々に能力の差は
    あっても、神の前では等しく取るに足らない誤差。
    人間は能力的にも人格的にも明確に限界を持っていて、人間も人間が作った
    ものも完全にはなり得ない。
    馬鹿に発言権や選挙権を与えるなといった人間の根本的な不完全さへの
    非寛容性や、所詮人間が作ったもので完全になるはずがない憲法を戦前も
    戦後も不磨の大典として一度も改正していないのも、根っこで繋がっていそう。

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