「戦争反対」にいう「戦争」とは侵略戦争?自衛戦争?
戦争には侵略戦争、自衛戦争という2つの側面があります。「戦争反対」を唱える人たちは、じつは、この両者を混同しているフシがあります。そこで、「あなたは戦争が好きですか?それとも嫌いですか?」と尋ねられたら、これに対し、「あなたのおっしゃる『戦争』とは、『侵略戦争』のことですか?『自衛戦争』のことですか?」と聞き返せば良いのではないでしょうか?
「あなたは戦争が好きですか?」
「あなたは、戦争が好きですか?それとも嫌いですか?」
こんなことを聞かれたら、おそらく100人中、95人くらいはこう答えるのではないでしょうか?
「私は、戦争は嫌いです。」
もちろん、世の中には様々な人がいますので、戦争が好きで好きでたまらない、という人もいるでしょう。
しかし、想像するに、世の中の圧倒的多数の人々は、好きか嫌いかと問われれば、戦争は嫌いであるはずです。戦争になれば大勢の人が命を落とす(かもしれない)し、街も人々の財産も生活も破壊される(かもしれない)からです。
来年は終戦から80年の節目ですが、第二次世界大戦の悲惨さについては語り継ぐべきものでもあります。
こうしたなか、日本人が発展させた大きな文化のひとつが、アニメ(アニメーション)です。
アニメ自体は日本人が発明したものではないとされていますが、「日本アニメ」は世界中で広く受け入れられており、ドラゴボを含めたさまざまなアニメが世界中のファンを魅了しています。
そして、アニメの表現技術は素晴らしく、アニメのテーマには、当然、戦争なども選ばれます。
『火垂るの墓』に衝撃を受ける米国人
こうしたなかで、インターネット上で最近、ちょっとした話題となっているのが、高畑勲監督(2018年没)のジブリ映画『火垂るの墓』です。
この映画、視聴したという方も多いと思いますが、いちおうあらすじを述べておくと、こんな具合です。
「昭和20年、神戸。14歳の少年と4歳の妹は、空襲で母が入院することになり、叔母のもとに身を寄せる。やがて母が死ぬと、叔母は兄妹を邪険に扱うようになり、2人は家を出ることにする。誰もいない防空壕で、新たな生活を始める子供たち。しかし、そこには厳しい現実が待っていた」―――。
じつはこの『火垂るの墓』、岡田斗司夫氏によれば「戦争の悲惨さを訴える、お涙ちょうだい式の反戦映画ではない」のだそうです(詳しくは次の記事などをご参照ください。さまざまな解説が証拠付きで示されています)。
【Amazon動画】岡田斗司夫ゼミ#226完全版「高畑勲追悼特集-生は醜く死はこんなにも美しい。本当は1000倍怖い火垂るの墓」
―――2019年04月02日付 岡田斗司夫公式ブログより
しかし、世間的にはこの『火垂るの墓』は「反戦映画」と受け取られており(私見)、「戦争になると幼い子供たちが犠牲になる」、「だから戦争は絶対にダメ」、といった主張を裏付けるものでもあるのです。
どうでも良い話ですが、登場人物の「清太」は14歳ですので、学校に行くなり、働きに行くなりすればよいのに、といった疑問に加え、たとえ叔母さんに邪険に扱われても、4歳の妹・節子を道連れに防空壕に引っ越すのは14歳の判断としては稚拙すぎる、といったツッコミもあるところでしょう。
個人的には、この『火垂るの墓』は見る人の年齢や社会経験によって、受け止め方が大きく違って来る映画だと思う次第です。
ただ、なぜこの『火垂るの墓』が話題になり始めているのかといえば、米国版のNetflixにこの映画の英語版『GRAVE of the FIREFLIES』が配信され始めたからなのだそうです。
Based on Akiyuki Nosaka’s short story and directed by Isao Takahata, orphaned siblings Seita and Setsuko fight for survival amidst the devastation in post-war Japan.
Studio Ghibli’s deeply moving film, Grave of the Fireflies, premieres September 16 only on Netflix! pic.twitter.com/tgbnPALkLd
— Netflix Anime (@NetflixAnime) August 19, 2024
どうもこれが米国人に少なからぬ衝撃を与えているフシがあるのです。
なまじっか、下手な「反米」色がないがばかりに、空襲の恐怖、戦争の悲惨さが米国人に伝わる。
しかも神戸の街を焼け野原にしているのは自分たちの国のB29。
著者自身の想像ですが、べつに高畑監督は「戦争の悲惨さ」や「反米」を強調するためにこの映画を作ったわけではないと思います。しかし、それでも結果として、幼い節子のかわいそうな末路は米国人の心を大きくえぐり取ったのではないでしょうか。
戦争は悲惨だ
そして、想像するに、この手の映画を見せたうえで、「あなたは戦争が好きですか?嫌いですか?」と問いかけると、「戦争は嫌いだ」と答える人の割合は、さらに増えるのではないかと思います。
著者自身もなにをかくそう、戦争は嫌いです。
『火垂るの墓』を何倍も悲惨にしたような戦争は、第二次世界大戦終了後も世界各地で行われていますし、大勢の方々が巻き込まれて亡くなっているわけですから、戦争などこの世からなくなってほしいと心の底から思います。
ただ、ここでもうひとつ重要なポイントがあるとしたら、戦争をなくすためにはどうすれば良いか、というアプローチを考えることであるはず。
ところが、日本の「反戦活動家」(?)の皆さまの多くに欠落しているのが、この「戦争をなくすためのアプローチ」という考え方ではないでしょうか。
「戦争になるのが嫌だ」、「戦争をなくしてほしい」、という考え方は、まぁ、理解できます。
ところが、「戦争にならないためには平和憲法を堅持しなければならない」とする考え方は、いかがなものでしょうか?
これについては他のいくつかの事例で考えてみればわかりやすいかもしれません。
たとえば「ガンになるのは嫌だ」、「ガンをなくしてほしい」と思うなら、医学を徹底的に勉強し、ガンになるプロセスを解明するのが筋です。
同様に、「洪水になるのは嫌だ」、「洪水をなくしてほしい」と思うなら、洪水になるプロセスを研究し、その対策(ダム、スーパー堤防、都市計画など)を講じるのが筋ですし、「犯罪が発生するのが嫌だ」、「犯罪をなくしてほしい」と思うなら、犯罪のメカニズムを解明したり、防犯のための警備を増やしたりするのが王道です。
どうして戦争の時だけ「軍隊を持つな」、になるのでしょうか?
自衛戦争と侵略戦争の違い
ただ、こうした考え方で最近、気付いた点があります。
それは、戦争には得てして「侵略戦争」という側面と、「自衛戦争」という側面がある、という点です。
もちろん、ひとつの戦争を「侵略のため」、「自衛のため」などと、必ずしもきれいに分けられるものではありませんが、それでも「自衛戦争」は国際法でも認められるはずであり(私見)、仮に日本国憲法が「自衛戦争」すら禁じているのだとすれば、そんな憲法自体が国民の生存権を侵害していることになります。
このあたり、いちおう政府解釈としては、「日本国憲法第9条第1項・第2項は自衛戦争までも禁じるものではない」、といったものだと思われますが、「日本国は自衛権を有する」という点を明確化するうえで、自衛のための軍備を持つことを憲法上明示することは有意義であり、必要です。
そういえば、2015年8月頃に、こんな趣旨のスピーチを行った若者がいました。
「そんなに中国が戦争を仕掛けてくるというのであれば、そんなに韓国との外交が上手くいかないのであれば、アジアの玄関口に住む僕が、韓国人や中国人と話して、遊んで、酒を酌み交わし、もっともっと仲良くなってやります。僕自身が抑止力になってやります」。
このスピーチを行った若者、いまごろどこで何をなさっているのでしょうか?
結局、「戦争反対」を唱える政治勢力に利用されただけでなければ良いのですが…。
いずれにせよ、
「あなたは、戦争が好きですか?それとも嫌いですか?」
と尋ねられたら、著者自身は、まずはこう返してあげたいと思います。
「あなたのおっしゃる『戦争』とは、『侵略戦争』のことですか?『自衛戦争』のことですか?」
侵略戦争は嫌いだし、やってはならないものですが、もし「侵略戦争反対」と唱えるなら、それは日本政府に対してではなく、中国政府、北朝鮮政府、ロシア政府に対して主張すべきです。何なら今すぐ赤の広場に行って、ウラジミル・プーチンを糾弾するデモ集会を開催すれば良いのではないでしょうか?
また、「自衛戦争も含めて戦争反対」と唱えるならば、それはその人の主張であり、「あなたの勝手な主張に私たち日本国民全体を巻き込むな」以外に、もはやなにもいうことはない、などと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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毎日新聞が、今度は令和6年度米が来年に米不足になるとの記事を流し始めました。
これも報道テロという、形を変えた戦争の形態だなと思いました。
「火垂の墓」の恐ろしいところは、戦下の人間がだんだん他人の死に無関心になってゆく有様がリアルに描かれているところでしょう。神戸空襲の後、水路に顔を突っ込んで死んでいる女性の死体をひっくり返して「違うおばちゃんやないわー」と気怠げにのたまう少年が登場するシーンなど、恐らく岡山空襲を経験した高畑監督の見た光景が反映してるじゃないかと思われるリアルなリーンに、ぞっとした覚えがあります。そして年をとるごとに、三宮のおばちゃんの気持ちが分かるですよね。たしか清太の父親のイトコの未亡人という立ち位置で、清太と節子は彼女にとって血縁すら無い子供に過ぎず、世話をせんでもいい他人に過ぎませんものな。
酒を酌み交わした中国人(共産党)「もし、わしの味方になれば世界の半分をOく田君にやろう。
どうじゃ?わしの味方になるか?」
>はい
いいえ
竜王と飲むのは危険に思えます。というか竜王くらいしか応じてくれないと思います。
第一次世界大戦の塹壕戦で迎えたクリスマスでは、両軍兵士がそのひとときだけは酒を酌み交わしたそうですが。翌日以降、戦闘停止し感涙の終戦を迎えたという話は聞きませんね。宗教(日本人が思うよりも強い属性)が同じであってもやっとこの程度です。
1930年代以降、軍部が中国大陸に対して冒険的な侵攻を繰り返したのは、あまりにも軍事バランスが日本に傾き、国民党軍や軍閥の戦力が「簡単に勝てる相手」と軽く見積もられ、実際に戦史などを見るに各地の戦闘でキルレシオが1:10、1:20、或いはそれ以上と好き勝手できるほど中国側が弱かったからです
後に中共軍が「国民党軍と違ってモラルが高い」という宣伝工作で民衆からの支持を受けるほど、国民党側は腐敗し士気が低く、日本軍が攻めたら国民党兵は四散したというのは様々な報告で聞きます
国民党軍に現地の女性達が飯炊きとして招集されたのは良いが、家に返してくれずにそのまま従軍慰安婦(本物)にされていた、という様な有様だったと言います
それはともかく、現在ウクライナがロシアの侵攻を受けたのも、プーチンに「簡単に勝てる」と見積もられたからです
(違いは同じ様に攻められた側は西側諸国から支援を受けているが、ロシア軍は旧日本軍と全く違って、キレレシオで負け、戦線も停滞している事)
この様に、侵攻側に「勝てる」と思われるのは戦争の原因となるケースが多々あり、軍事バランスの均衡を守る事こそ「平和主義」なのです
翻って日本の戦後左翼と呼ばれる連中は、自衛隊戦力の適切な整備、米国を初めとする友好国との安保連携という平和の為の政策に反対し、戦争の危機に加担している勢力です
コイツ等こそ「平和主義の敵」「戦争屋」と呼ばずして何と呼ぶべきなのか
つい最近は辺野古での妨害行為により、警備員に死者まで出してますから、文字通りの人殺し集団でさえあります
某SEALDS君はその後は「名前の出ないただの活動家」になった模様で……
彼の同輩のほとんどはその後半グレに落ちぶれるか、ネット上の荒らしを続けるか、
ごくたまーに朝日新聞などに「我々は間違っていなかった」と言う趣旨の
”痛み止め”を処方してもらう身分になった様ですね。
SEALDSの失敗はオールドメディア層にとって「もはやこんな役立たずしか動員できないのか」
「我々の世論操作力はここまで落ちたのか」と言うトラウマになった印象があります。
残念ですが、共○党に傾倒して、理解力も、(お仲間以外との)協調性も底辺レベルになってしまっては、まともな仕事につけないでしょうね…
https://www.nicovideo.jp/watch/sm4652913
こんな具合に「私は戦争が好きだ」という人は、それこそ漫画やアニメ、ゲームの世界ぐらいにしかいないでしょうね。
そういうエンタメ作品としての戦争ものは好きだという人はいるでしょうけど。
しかし、どういう訳か一部の戦争反対論者は、世の中にはこの手の狂人がいて。なおかつ世の中を動かす権力を持っていると考える。
要するに、自分が正義でありたいがために、そういう非現実的かつ都合のいい悪役を批判相手に投影している訳です。
これを見てつくづく思いますが。ハンロンの剃刀にも通じますが、何事に対しても、批判相手が何らかの邪悪な意志を持って行動しているという前提でものを考えるのは避けた方がいいと思います。
また、批判相手が自分にとってのあるべき真似をしないのは、相手が無能だからなどという推測を優先して考えるのも、避けた方がいいと思います。
何故なら、それをやると内集団バイアスや根本的な根本的な帰属の誤りに陥り、非現実的な陰謀論を唱えるようになるからです。
「戦争はイヤだ」と言う場合、太平洋戦争のこと。
日露戦争、日清戦争のことは言っていないようだ。
要は「負ける戦争はイヤだ」ということか。
>『侵略戦争』のことですか?『自衛戦争』のことですか?
相手が論点をすりかえてきたときの対応としては、なかなかいいと思います。
その場合「その質問は無意味だ」という屁理屈を言うのでしょうか。
>中国政府、北朝鮮政府、ロシア政府に対して主張すべき
「あれは自衛(戦争)」と答えると、「じゃあ日本も自衛していいよね」となってしまうので、
「あれは、侵略でも自衛でもない何かだ」という屁理屈を言うのでしょうか。
リベラル勢力は綺麗な言葉が大好きです。
平和・人権・環境etc、反論すれば「お前は戦争好きだな!」とレッテルを張れる無敵の属性です。
ですが平然と侮蔑の言葉である事をリベラル論客が使ってもだんまり。
ソーラーパネルはエコで素晴らしいと、森を切り開かれてもニッコリ。
でも神宮で樹を切るのはNGだ。
女性に対してひどい暴力をふるった西山太吉ですが、まさにこれこそジャーナリストの鑑
銅像を建てようと言っています。女性の人権は時と場合によっては守られなくてもよいのだ。
優越的な立場になれるから上記の言葉を使っていますが、本心では対して守るつもりはありません。
洗脳された下っ端は本気で信じているのかもしれませんが。
そして平和も同様に耳障りが良いから主張しているに過ぎません。
日本が軍事に力を入れなければならないのはロシア中国北朝鮮韓国に由来します。
軍用機で挑発し、ミサイルを打ち込み、攻撃用レーダーをぶつける相手です。
こちらは戦争したくなくてもやりたくて堪らない相手が隣国にいるのです。
そしてそうした相手に対してリベラル平和勢力がデモを行った・・・などというのは聞いた記憶がありません。
もしもそうしたことをやっている事を知っている人がいれば教えて欲しいです。
またリベラル陣営は日本人に対して劣等民族、愚民といって蔑みの言葉を投げかけますが
そうした相手を守る意思などあるでしょうか?いや、ないでしょう。
逆に外国勢力を使って劣等民族を奴隷に、自身は赤い貴族の支配階級になりたいのでしょう。
故に徹底的に外国が日本に侵略しやすいように防衛力を削ぐ活動に邁進しています。
真っ当な日本の政治を取り戻すには健全な愛国心を持った政治勢力が必要不可欠です。
「安全保障に抑止力は不要だ!」 日本ジャーナリスト会議が8月集会で議論
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9a97548da0073c7dfb08bf07c4827475038abc4
↑こんな記事があったので、ご参考まで♪
なお、日本ジャーナリスト会議の会員数は、約220名(2020年6月現在)なんだそうです♪
https://jastj.jp/about/about/#:~:text=会員数は約220,は、人材の宝庫です。
同年の新聞・通信社の記者数は17,685人なんだそうなので、ジャーナリストのごく一部で作ってる団体のようです♪
https://www.pressnet.or.jp/data/employment/employment03.php
少数の意見でも聴くべきものがあり得るので、会員数の多寡で判断すべきではないと思いますが、その主張内容そのものよりも、トンデモ意見でも自由に流通する日本の良さを示す例としての意義が大きのではないかと、思うのです♪
>侵略戦争は嫌いだし、やってはならないものですが、もし「侵略戦争反対」と唱えるなら、それは日本政府に対してではなく、中国政府、北朝鮮政府、ロシア政府に対して主張すべきです。何なら今すぐ赤の広場に行って、ウラジミル・プーチンを糾弾するデモ集会を開催すれば良いのではないでしょうか?
その時は習近平や金正恩、プーチンのゴムマスクをトラックで轢き潰す示威行動を是非やって欲しいですね笑
「戦争反対」について日本では、
なぜか小数の政党さんが
声高に叫んでますが、
そんな
「まずは真面目に生きることから始めなさい」と
周囲からアドバイスされる人たちが
集まるような政党さんですら
「戦争反対」を口にしているのですから
ふつうに真面目に働き納税し
国際社会の中での日本を支える
多数派国民良識層はあたりまえに
「戦争反対」なのです。
むしろ、声高に「戦争反対」を
お題目に叫ぶ人たちは
日本を蹂躙したいどっかの国となかよしとか?
日本の自衛力防衛力を削ぎたいという
むしろ平和とは程遠いしょもない意図が
見透かされてしまってます。
原発処理水をわざと汚染水と呼んで
原発風評被害拡散活動しているような人たちが
その同じ口と心根で叫ぶ
「戦争反対」?なんかについては
真に平和を希求するほとんどの日本国民にとっては
言葉を真に受けて聞いてあげる前に
言ってる人のありよう生きザマから
そのふさわしい位置づけで
扱ってあげる必要を感じます。
平和とは戦争と戦争の間の事である
これはある戦略家の言葉と聞きました
戦争が避けられないことなら「勝つ戦争」をしてほしい
負ける戦争はいやだ
>どうして戦争の時だけ「軍隊を持つな」、になるのでしょうか?
日本の左派や9条信奉者の人々が上記のようになるのは、日本特有の古来からの戦争観を持ち続けていることが原因だと思います。
世界の民族の大半は恒常的に異民族の侵入を受けた歴史を持ちます。
それは住民が異民族によって直接、殺戮、略奪、誘拐や奴隷化を受ける性質であるため、住民自身が自分たち全員を守る手立てを講じなければなりませんでした。そのため、その経験から「平和と安全は軍備や防衛努力無しには得られないもの」と言う認識が生まれます。
しかし日本はその国土が群島であり、海という天然の広大な堀に囲まれているため、大規模な異民族の侵入をほとんど受けなかった歴史を持ちます。
そして戦争は常に領主間の権力闘争と言う性質を持ち、民衆同士が争う民族紛争にはなりませんでした。そのため「平和と安全は何もせずとも得られるもの」「軍備は権力者の権力闘争の道具」と言う認識が根付いてしまったのだと考えます。
この認識の違いは大陸と日本との‘城’の造りの違いが現わしています。
大陸の城郭は住民が暮らす街全体を巨大な壁で囲み、領主も住民も守るものです。
しかし日本の城郭は基本的に領主(とその家臣)を守るもので、住民が暮らす町全体を守るものではありません。
そして、今や弾道ミサイルが海を越えて飛んで来て安全を脅かすような時代になった以上、日本人も世界標準的な安全保障の考え方、つまり大陸型の「防衛手段を講じて平和と安全を確保する」「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ(Si vis pacem, para bellum)」に認識を変えねばなりません。
にも拘らず、左派や9条信奉者の人々は「何もしなければ安全と平和を確保できる。闘争の道具である軍備を持つことで平和と安全が損なわれる」と言う時代錯誤なガラパゴス的認識を改めようとしないことが、上記のようになる原因だと考えます。
9条教信者は、ロシアのウクライナ侵略「特別軍事作戦;戦争ではない」以降、ウクライナの自衛権行使は「戦争」と位置付けるように明確に(ロシア擁護のために)舵をきったように見えます。
(国際法上認められている自衛権の行使を認めると、自衛隊を否定するようなことができなくなるため、自衛権行使については従来は曖昧であったように思えます。教義が深化しました。)
戦争は嫌(いや)ですけど、好き嫌いの問題なのでしょうか。
わが国の場合、長大な海岸線を守るので手一杯で、侵略戦争などは痴人の夢に過ぎません。
されど、わが国の生存が脅かされる場合は、たとえ負けると判っていても戦うべきだと思います。
最後の帝国海軍大将 井上成美氏はこのようにおっしゃっています。
戦はしない方がいい、しかし、月月火水木金金で猛訓練をしている。そのジレンマは大変なもんだったろうと人はいうけれども、わたしはそれとは違いました。国の存立のためには立つ。国滅びるというのなら、国が独立を脅かされるときには、とにかく立つ。そのためには軍備というものが必要だ。国の生存を脅かされ、独立を脅かされた場合には立つ。そのかわりに、味方をつくつておかなけりやいけない。自分じゃ勝てない。正々堂々の主張をするならば味方ができる、とわたしは考えています。弱い国家を侵略してそれを征服して自分のものにしようということをする者は、必ずほかの国の批判にあって、みそかの晩の金勘定の清算をさせられる時期が来る、と思う。軍備というものは要らないじゃないか、戦しないのなら―そういう意味じゃないですね。(阿川弘之著 「米内光政」 1978年12月 新潮社)