資格試験受験「第1集団」に見る「目的意識の重要性」
自民党総裁選で解雇規制が争点の一部となっているフシがあるのですが、著者自身はそもそも終身雇用というものについて、社会一般の人々とは、少し違う見方をしているのかもしれません。会社で働いているならば、日々の仕事を誠実にこなすことは必要ですが、それと並んで必要なのは目的意識であり、目標に向けて常に努力することだけでなく、そのような環境に敢えて身を置くこともまた重要ではないかと思うのです。
目次
監査業界の特徴は「終身雇用に拘らない」
昨今の自民党総裁選では、一部候補者が「解雇規制を緩める」などと発言したことで、解雇規制がちょっとした話題となっています。
著者自身は、日本の解雇規制が格別に厳格だとは思いませんが、ただ、「日本社会は終身雇用」という点について、現在の日本国民の多くはおそらくあまり疑っていないでしょうし、また、それが良いか悪いかはともかく、多くの人はこれを「当然の前提」と見ているのかもしれません。
ただ、こうした「終身雇用」も、公認会計士業界から見ると、ちょっと違和感を覚えます。公認会計士は他の士業と異なり、組織内で働くという人が多いという傾向にあるのですが、それでも監査法人で働く人たちのなかには、終身雇用に拘りを持っていないフシがあるからです。
ちなみに「士業」とは「しぎょう」、あるいは「サムライぎょう」と読み、「弁護士」、「税理士」、「不動産鑑定士」など、末尾が「士」で終わる資格名・職業名を俗称する用語です。
公認会計士業界の場合、公認会計士試験に合格すると、多くの人は監査法人に就職します。というのも、公認会計士試験に合格したとしても、3年間、会計監査などの実務を積みつつ、実務補習所で勉強し、修了考査に合格するなどしなければ、公認会計士として登録することができないからです。
この点が、他の士業との非常に大きな違いなのではないでしょうか。
近年でこそ、他の士業も法人化が認められ、弁護士法人、税理士法人、司法書士法人、行政書士法人、社会保険労務士法人、土地家屋調査士法人…、といった具合に、士業を法人化しているケースも増えているようです。
それでも「大規模に組織化される」という点では、1966年以来、60年近い歴史を持つ監査法人制度を有する公認会計士業界は、士業のなかでも、ある意味では特殊な存在でもあります。
ただ、それでも公認会計士業界は他の士業と比べて組織で働く人が多いというだけの話であって、社会全体で見れば、やはり一般企業と比べると終身雇用への拘りは低いように見受けられます。監査法人を飛び出す公認会計士は非常に多いのが現状だからです。
著者自身は現在、監査法人とのしがらみはまったくありませんので、敢えて申し上げると、監査法人(あるいは監査業界)からは、「一番できる人」と「一番できない人」(?)から順番に辞めていく、という傾向があります(※あくまでも私見です)。
辞めた人の行き先は一般企業であったり、役所であったり、はたまた起業であったり、とさまざまですが、いずれにせよ「ひとつの会社に最後まで勤め上げる」という人が少ない(つまり終身雇用に拘らない)、というのも、公認会計士業界の特徴だ、というのが本稿のスタートです。
第1集団とキャリア開発
議論の前提
さて、著者自身が公認会計士試験(※厳密にいえば当時の「三次試験」)に合格したのは、今から20年以上前の旧制度のときなので、正直、公認会計士試験に合格するための個別・具体的なテクニックについて尋ねられても、お答えすることはできません。
ただ、当時と現在を比べて、ほとんど変わっていない点があるとしたら、やはり、「目的意識が高い人ほど合格に近い」、ということではないかと思います。あるいは、「受かる人同士が群れる」、とでもいえば良いでしょうか、大変に不思議な現象が起きるのです。
これについて説明する前に、この公認会計士試験の特殊性について確認しておきましょう。
著者自身が公認会計士試験を受験した当時は、(体感ベースですが)大学生のうちに合格する人は全体の2~3割程度に過ぎず、圧倒的多数が、大学を卒業後、就職せずに試験勉強に専念している人や、いったん就職したもののすぐに退職して試験勉強に専念していた人だったと記憶しています。
もちろん、「働きながら公認会計士試験を受験して合格した」、という人も、当時からごく稀にはいたかもしれません。しかし、公認会計士試験は合格のために必要となるインプット量が多く、やはり、多くの人にとっては、仕事を辞めて受験に専念しなければ合格もままならないというレベルだったことは間違いありません。
このあたりは当時の司法試験とも状況はよく似ていたのではないかと思いますが、もし当時のことを実際に体験されたという方がいらっしゃれば、読者コメント欄にて教えていただけますと幸いです(※2004年に法科大学院が開校して以降、法曹資格を得るためのルートも、ずいぶんと変化したようですが…)。
「受かる人同士が群れる」とは?
以上の前提を踏まえ、「受かる人同士が群れる」、という不思議な現象を紹介したいと思います。
公認会計士試験は、当時から「難関」だといわれていました。
といっても、(今だから言えますが、)この試験が「難関」といわれた理由は、単純に出題範囲が広く、さまざまな知識・技能が要求されるというだけの話に過ぎなかったからだと思います。
つまり、個別論点はさほど難しくありませんので、結局のところ、幅広く満遍なくそつなく回答できれば合格できる試験だったのだと思います。個別論点について理解できなければ、いっそのこと丸暗記してしまえば何とかなりましたし、暗記すれば理解は後から付いてくる、という点については、その後の実務で学んだ経験でもあります。
そして、これも著者自身の勝手な見方かもしれませんが、資格試験は「高得点で受かること」が大事なわけではありません。大事なのは、「受かること」です。
ギリギリの点数でも何でも良いから、できるだけ早く合格してしまえば、次のステージに移れます。そのうえで、その「次のステージ」で何をやるか、自分のなかでイメージができている人ほど、早く合格できる気がします。
第1集団から第3集団に別れると…!?
いや、「気がする」、ではありません。
当時の自分自身の体験、及びその後の同期のキャリア形成プロセスを見ていくと、これは確信に変わっていきました。
著者自身がかつて公認会計士試験を受験していた時代、その受験予備校の先生から聞いた話をベースにすると、だいたい受験生の集団には毎年、同じような傾向が見られるのだそうです。それは、「受かる人同士群れる」、という現象です。
その受験予備校には毎年、同じコースに申し込む受験生が200人程度だとすると(※少子化の時代ですから現在はもう少し少ないかもしれません)、申し込んだ人のうちの半数(つまり約100人)が、最初の数回の講義だけ受講し、それっきり来校しなくなってしまうのだそうです。
続いて最初の数回を乗り切った約100人についても、勉強についてこられず、だいたい半年目までにさらに半分(つまり約50人)が脱落するというのです。この時点で残った集団は約50人、というわけです。
そして、ここからが面白いのですが、この残った50人の人たちは、だいたい3つくらいの集団に、自然と別れていくのだそうです。
1つ目の集団に属している人たちが、「最も早く合格する集団」です。彼らはだいたい1回目か2回目の試験で合格して、予備校からいなくなっていきます。
続いて2つ目の集団に属している人たちは、「合格まで時間がかかるが、なんとか合格する集団」です。具体的には、2回目、3回目と受験回数を重ね、4回目や5回目でやっと受かる、という人たちが多いようなのです(資金が続かず試験から脱落してしまう人もいるそうです)。
さらに3つ目の集団に属している人たちは、恐ろしいことに、何回受験しても受からない人が多く、なかには「自然消滅」していくケースもある、というのです。
この話には、続きがある
この予備校講師の先生のお話、はたして事実でしょうか?
結論からいえば、これは事実に近いと思いますし、今となってはこの予備校の先生の説明に、完全に同意します。
ただ、話はそれだけではありません。
この話には続きがあり、最初の集団に属していたような人たちは、監査法人内でも最も多忙な部署(すなわち最も儲かっている部署)に率先して配属される傾向にあります。そこからさまざまな経験を積んで、監査法人内で出世したり、他業界に転職したりするようですなのです。
続いて2つ目の…、いや、ちょっと生々しすぎるので、この集団の話については、やめておきます。
それはともかく、「受験予備校時代に第1集団に所属しているような人たち」が、短い受験期間でさっさと合格し、その後も自分で考えたなりのキャリアをガンガン積んでいくというのを目の当たりにすると、「予備校時代からそのような集団に率先して所属している」という時点で、そうした環境に自ら身を置いているようなものです。
その意味で、後述する通り、「環境」は、非常に大事なのです。
今になってわかることがあるとしたら、第1集団には「何が何でも目の前の試験に合格してやる」という目的意識が強い人たちが自然と集まって来ている、ということであり、そのような集団内ではライバル心も強く、切磋琢磨も厳しいのですが、こうした環境に身を置くことで、合格の可能性が高まるのはどうやら間違いありません。
そして、これについては資格試験だけでなく、ビジネス全般、キャリア開発全般にも応用が利く論点ではないでしょうか。
成功例?失敗例?
目的意識はビジネス人生でもとても重要
実際に著者自身の周囲を眺めていると、公認会計士二次試験(※当時の制度)に受かるために何年も費やした人ほど、三次試験(合格率は7割前後)にも落ちる人が多いという傾向がありましたし、また、ダラダラと勉強を続けた人ほど、その後のキャリアでも大きな差が付いているように見受けられるのです。
目的意識は、その後のビジネス人生においても同様に、大変重要なのです。
たとえば著者自身と公認会計士の合格年次が同じA氏の場合も、かなり三次試験合格後、2~3年で監査法人を退職し、自身がやりたいと思っていた業界に転職。最終的には自分自身で会社を立ち上げ、その会社は現在、日に日に成長しているようです。
A氏は普段の仕事ぶりも誠実で、親分肌でもあるため、おそらく多くの人から慕われているのでしょうが、それと同時にやはり若いころから目的意識がハッキリしていて、「いずれ自分でビジネスを立ち上げる」という意味では、首尾一貫していたのだと思います。
これに対し、同じく公認会計士の合格年次が同じB君の場合は、最初に就職した大手監査法人を「ただ何となく」辞め、オーストラリアに語学留学に行ったり、帰国後は再び同業他社に就職したり、その同業他社を1年で辞めて監査法人系のコンサルティング会社に転職したり、と、さまざまな職を経験したようです。
当時は「J-SOX」だの「IFRS」だの、おもに金融庁と会計監査業界が仕掛けた新たな「会計・監査利権」のメシの種は多く、公認会計士試験合格者であれば(正直優秀でなくても)転職先はいくらでもあったのでしょう。
「金融機関でよさげな会社、知りませんか?」
このB君からは、著者自身もかつて、こんな転職相談を受けたことがあります。
「金融機関でよさげな会社、知りませんか?」
ちなみにB君は公認会計士としての合格年次は同期ですが、著者自身よりも年下であるため、B君は会話では敬語を使ってきます。しかし、この当時のB君は、年齢としてはすでに30代半ばを過ぎていて、B君にとっての4回目だか5回目だかの転職から、たしか2年が経過していたころだったはずです。
大学を出たばかりの若い人からの相談ならばともかく、30代半ばの良い年の、しかも職業的専門家(?)であるはずの立派な公認会計士の方から、「どこかよさげな会社を(紹介して)」、などと言われると、正直、困惑する限りです。
ただ、無碍に断るのも気の毒だったので、そのときには、こう返しました。
「B君にとっての『価値』は何かな?給料が高いこと?それとも難しい仕事を任せてくれて自分のキャリア成長につながること?あるいは楽な仕事・暇な仕事?『よさげ』の意味で紹介できる会社も変わってくるよ?」
このようにB君に述べたところ、驚いたことにB君は悔しそうな表情をして、こう言い返して来ました。
「XXさんに聞いたのが間違いでした。もう良いです。Aさんに聞きます」(「XXさん」は新宿会計士の本名)
…。
著者自身、このやり取りで、いったい何がB君の逆鱗に触れたのか理解できません(すっとぼけ)が、まぁ、おそらくB君が望んでいたのは、「そこそこ楽な仕事」で、かつ、「合コンなどで自慢できる、そこそこ名前の通った会社」、といったところだったのだと思います。
後日Aさんに話を聞いたところ、B君はAさんにも同じようなことを尋ねたらしく、Aさんも著者自身とだいたい同じようなことを返し、それで会話が終わってしまったそうです。
当たり前です。
30代半ばにもなって、明確なキャリア開発目標を持たずに転職を繰り返していると、周囲の見る目も次第に厳しくなってくるでしょう。ましてや多忙な同期に対し、ただ漠然と「良さげな会社を紹介してください」、は、少しお粗末です。
結局、著者自身はこの件以来、B君とはほぼ没交渉になってしまい、また、B君主催の合コンからも呼ばれなくなってしまいました(※呼ばれても困りますが…)。
しかし、風の噂によると、B君はその後、得意分野を見つけたのか、とある分野で経験を積み、現在は大活躍しているそうです。
もともと若くして試験を突破するだけの地頭の良さがあったためでしょうか?
人間の能力を決めるのは3つの要因ではないか?
さて、どうしてそんな古い話を思い出したのかといえば、最近、こんなことを考えるようになったからです。
「人間は能力に応じた立場にしか立つことはできないかもしれない。しかし、立場がその人間を作る、という側面もある」。
久しぶりにAさんと飲んで、いろいろ古い付き合いを手繰り寄せ、さまざまな事例を集めていくと、人間の立場というのは、だいたい①その人の持って生まれた才能(地頭の良さなど)、②その人の努力、そして③その人が置かれている環境、の3つの要因で決まって来るのではないか、などと思うようになったのです。
ちなみにこの3つの要因のうち、「環境」は、先ほどの議論でも出て来たものです。そして、これら3つについて、それぞれどう考えれば良いかが問題となります。
このうち「①持って生まれた才能」については、いかんともしがたいものがあります。
音感がある人、絵が上手い人、表現力が豊かな人、文章力がある人などは、まさに天賦の才能でしょうし、私たちのような凡人が天才作曲家のような曲を作ることも難しいでしょう(稀に作家のなかには盗作かそれに近い作品ばかりを世に送り出すケースもあるようですが…)。
ただ、「②その人の努力」、そして「③その人が置かれた環境」については、自分から変えていくことができるファクターだと思います。
少なくともよっぽどの天才などでない限り、「②その人の努力」という部分については、非常に大事です。
著者自身も含め、世の中の圧倒的多数は、音楽の才能もなく、スポーツの才能もなく、文学の才能もなく、絵の才能もない、ただの「凡人」だと思います。ですが、そんな「凡人」であっても頑張って勉強すれば、それなりに生きていくことができる、というのが、現在の日本という国です。
朝鮮労働党幹部のもとに生まれなければ人間扱いすらされないという、厳格な身分差別がなされている国もこの地球上には存在するようですが、少なくとも現代の日本では、努力をすれば中央官庁にだって入れるかもしれませんし、名だたる企業に就職することだってできるかもしれません。
また、これも個人的経験で恐縮ですが、その人がいる環境も、とても大事です。
たとえば、著者自身が大学生時代に働いていた新聞販売店で働いていた人たちは、たまたまかもしれませんが、揃いも揃って「タバコ好き」かつ「パチンコ愛好者」ばかりだったのですが、そうした環境にいると「タバコを吸わないのは悪いこと」、「パチンコをやらないのは悪いこと」、といった雰囲気が出てきてしまいます。
しかし、職場の雰囲気が変われば、まったく思考が変わってきますし、友人づきあいを変えるだけでも、環境はかなり大きく変わるものかもしれません。
先ほどの「第1集団」の議論も、自ら環境を選ぶという意味では、これと同じことがいえるのではないでしょうか?
会社に全てを委ねるリスク
この点、一部のビジネス本では、「運も大切」、などと書かれているのですが、著者自身はこれには同意しません。
もちろん、短期的に運の良し悪しがキャリアに影響を与えることはあると思いますが(新卒で就職した会社で最初に配属された部署の部長が酷いパワハラ野郎だった、など)、やはり、ちゃんと努力すること、自ら良い環境を求めて動くことで、こうした運要素は、ある程度は排除できるはずだからです。
そもそも従業員の側から見れば、会社というものは自分の人生の全てを委ねるべき場ではありません。
著者自身の考えですが、会社とはそもそも営利社団法人であり、利益を獲得することが最も重要な存在意義なわけですから(くどいようですが私見です)、会社の都合で従業員に対し理不尽な業務命令、異同命令を出すこともあります。
さらには、同じくらい優秀な2人の人物がいたとして、苦渋の決断で片方のみを昇格させなければならないこともありますが、これは「もう片方を昇格させない」という意味ですし、さらにいえば、残念ながら合理的とは言えない意思決定が行われることだってあります。
このように考えていくならば、会社で働いている以上は、自分自身が働いている会社の利益を最大化するよう、常に動くべきではありますが、それと同時に自分の全人生をその会社に捧げるというものであってはなりません。
会社はあくまでも他人だからです。
そして、会社というのは、しょせんはプロジェクトに名前を付けて法人格を与えているだけの存在に過ぎず、「神聖ニシテ不可侵」な存在ではないのです。
結局は自分で自分に投資するのが最適解
だからこそ、社会人であれば自分に積極的に投資すべきですし、自分自身でさまざまな知識を学ぶべきではないでしょうか。言い換えれば、「自分で自分に投資すること」が最適解ではないかと思うのです。
もちろん、「異業種交流会」などに無理して出掛ける必要はありません(※というか、「異業種交流会」のなかには怪しげな会合もありますし、著者自身が異業種交流会でマルチまがい業界の者と名刺交換してしまい、酷い目に遭いかけたこともあるのですが、これについては機会があれば、またどこかで触れたいと思います)。
しかし、会社から与えられた仕事を真面目にこなしつつ、自分自身でもその仕事について深く研究すれば、知見をさらに深めることにつながりますし、誠実な仕事を続けていれば、人脈というものは勝手に出来上がってくるものなのではないでしょうか。
もちろん、ひとりの人間がやりたいことは、人生の中でも局面に応じて変化していくものですし、ずっとひとつの会社に勤め続けるつもりであったとしても、理不尽な人事評価・人事異動を喰らって失意に沈むことだってあり得る話です。
このように考えると、あなた自身のキャリア開発というものは、会社が責任を取ってくれるわけではありませんので、結局はあなた自身が責任を持たなければなりません。
いま会社から与えられた仕事を真摯にこなすこと。
日々、仕事から学び、向上すること。
これを続けていれば、その会社で働き続けるにせよ、同業他社に転職するにせよ、異業種に転職するにせよ、必要なキャリアを積み、必要な人脈も得られていくのではないか―――。
自民党総裁選の解雇規制云々の話題を眺めていると、やはり政治主導でそのような議論が出てくることは結構ですが、私たち一般人レベルでもキャリア開発について真面目に考えてみる良い機会ではないか、などと思う次第です。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
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>著者自身は現在、監査法人とのしがらみはまったくありませんので、敢えて申し上げると、監査法人(あるいは監査業界)からは、「一番できる人」と「一番できない人」(?)から順番に辞めていく、という傾向があります(※あくまでも私見です)。
一番出来る人は他所でも使い物になるので辞められる、一番出来ない人は此処で使い物にならないから辞めさせられる、というのは監査業界に限らず何処でも一緒だと考えます。
で、就職とは同じ職種を続ける事であり、職場異動をしたりしながら同じ会社に居続けるのは就職じゃなく就社ですね。
>著者自身、このやり取りで、いったい何がB君の逆鱗に触れたのか理解できません(すっとぼけ)が、まぁ、おそらくB君が望んでいたのは、「そこそこ楽な仕事」で、かつ、「合コンなどで自慢できる、そこそこ名前の通った会社」、といったところだったのだと思います。
気心の知れた?新宿会計士さんの下で働きたい、という部分は無かったのかな?と、ふと思いました。
まぁ、新宿会計士さんなりAさんなりから「使いたい」と思われない人材だったのかな?とも。
>しかし、会社から与えられた仕事を真面目にこなしつつ、自分自身でもその仕事について深く研究すれば、知見をさらに深めることにつながりますし、
前者は業務時間中に出来る事ですが、後者はプライベートの時間を充てる事になりがちなので、ワークライフバランスが念頭にある昨今では後者はおざなりになりやすい気がします。
後者をする人は、研究者肌とか職人気質とかなんでしょうね。
ついでに。
後輩や部下の指導をしてきて観えて来たのは、どんな仕事にも落としどころがあり、その落としどころは人・物・金・納期によってケースバイケースである事が大抵理解出来ていない事。
マニュアル化とはそれらを勘案しつつ一定程度無視して仕上げる事なのはさておき。
ある指導を受けた場合に、大抵はその指導内容が全てのケースに適用される内容だと認識するので、次の同じような仕事をする時に「これってこうこうこうすれば良いんですよね?」って確認をある程度する人とロクにしない人が居ます。
個人的には、確認をする人は知ってか知らずしてかケースバイケースの落としどころを知る事が出来て、自分の引き出しが増えるので、仕事に厚みが出るから良い事だと考えますが。
確認をしない人はマニュアル人間化して薄っぺらくなってしまうのはさておき。
ある程度仕事を覚えて慣れてくると、指示した業務内で発生した未知の事柄に対して分かる人に聞くタイプと自己判断で勝手に動くタイプが居ます。
上司や先輩は未知の事柄に対する正しい判断が出来るから業務を任せている訳じゃなく、「分からなければ聞く」ってのは未知の事柄に対して自己判断で勝手に動くなって事なんですが、大抵の人は其れが分からないから勝手に動き、時に不完全作業をし、尻拭いを報連相や引き継ぎ無しで先輩や上司にさせる結果になる。
でも、本人はちゃんと仕事をしている、出来ているって意識だから、現状認識にズレが生じてくる。
そういう仕事をしている後輩や部下に「分からない時は必ず聞く事」って言うのですが、なかなか言葉が染み込んでいかないですね。
優しい上司や先輩に甘え、負担を掛けている子供なのを理解出来ないのか、理解したくないのか。
LinkedIn という SNS があって当方はサービス開始からしばらくして参加したはずのかなり長いユーザです。そこは CV を掲出する場所であり求職者が求人票を探す場所でもあるのですが、自分に似た人が自然に見つかる場所でもある。ちょっと時間を使う気になれば、このひとの職歴はすごいなあ、人選選択すばらしいなあという職業的生涯追求の参考になりそうな人物が自然に目に留まるものです。
あるときそんな暇つぶしの人物リサーチのようなことをつらつらやって行き合わせた転職歴に舌を巻いた。ご当人は電子工学技術者。学卒からの転職歴がまるで定規で線を引いたかの如く上昇志向でした。栄枯衰退激しい当該業界にあって、伸びる方角を見定め儲かるテクノロジーを習得しながら業績を積んでいく。学生時代にいい先生の指導があったのでしょうか。頭を使うことを厭わず道を自ら選びながら生きている。そんな風に見えましたね。以来自分は自分の LinkedIn Profile が人にどう見えるか、将来どう書き足すか書き換えるかを考えながら、次のアサインの意味を吟味するようになりました。
「解雇規制の見直し」は、総裁選で小泉氏が主張して、同氏が最有力(?)候補ということから、いきなり一大争点に浮上してきましたね。
私は、基本的に賛成です。日本の国力を伸ばすには、少子化が避けられない以上、貴重な人材を極力生産性の高い分野に振り向けなければならない。そのためには、人材の流動化を進めるべき、それに役立つと考えるからです。
ただこれは日本人の感性には合わない気もする。「多少給与は安くても、安定した職場で働きたい」という日本人は多い。多分、明確な目的意識を持って、キャリアアップを図ろうとする人より多いと思う。「人並みに働いて、人並みの生活を送りたい」そんな人には迷惑でしかない。
総裁選の各候補の姿勢は、前向き…小泉、河野 中立…林、石破、茂木 後ろ向き…上川、加藤、高市、小林ですかね。日本人の平均的な受け止めもこれに近いのではないでしょうか。
最後に、この問題を、限られた国家資格保有者である公認会計士業界の経験で語るのは、さすがに無理があると考えます(「人生論」としては有意義だし、趣旨には賛成。ぼーっと生きてて、会社に裏切られたとか後から恨み言を言わぬよう、自分に投資すべき)。
「解雇規制の見直し」の問題だが:
以前コマツの元会長の坂根氏が日経で「チャタヌーガの教訓」というコラムを書いていた。
コマツはアメリカに多くの工場を持つが景気が悪くなればアメリカ流にレイオフを行う。
ただしチャタヌーガ工場(チャタヌーガは都市の名前)は例外だった。ここは他社から買収した工場とは違い、コマツが更地から立ち上げた工場で日本流が浸透していた。景気が悪くなっても給与カット程度ですませ一人も解雇せず、地元からも称賛されたという。
ところが景気が回復し増産投資が必要になっても「増産で大量に人を雇い、その後不況が来たらどうしよう」という不安が生まれ、この工場は拡張を避けるようになり取り残されてしまったらしい。坂根氏は日本が「大きなチャタヌーガ」になっていないだろうかという
氏は他の著書で次のようにも述べている:
この問題について世界ではすでに答えが出ています。景気に大きな波がある以上雇用調整は避けられない。だから雇用調整をするときのルールと、犠牲になった人へのセーフティーネット
をしっかりしたものにすることが欠かせないということです。
そして重要なのはそうした犠牲を経てその企業が再び強くなり長期的に雇用機会を増やしていくことです。
>ところが景気が回復し増産投資が必要になっても「増産で大量に人を雇い、その後不況が来たらどうしよう」という不安が生まれ、この工場は拡張を避けるようになり取り残されてしまったらしい。坂根氏は日本が「大きなチャタヌーガ」になっていないだろうかという
長野県だったかな?好況不況関係なく一定の成長を目標とし、目標が2%なら10%成長出来る年でも2%で抑える経営をしてる会社があったはず。
最大限も成長せねばならないという強迫観念の奴隷には無理ですね。
その人が置かれている環境という意味で言えば、会社勤めに向いている人と、自営業に向いている人という具合には分かれると思います。
どちらが上とか下とかいう話ではなく。
他人に手綱を握って貰い、代わりに保証を得ること。あるいは、企業などでしか経験出来ないような案件を采配出来るようになることに魅力を感じるか。
あるいは、自分の道を他人に握られることに強くストレスを感じ。自分一人がすべての責任を負うことに、ある種の気楽さと心地よい緊張感を感じるか。
そんな風に思います。
後者だった自分は、会社では全く評価されてなかったし。こっちもスキルは持っているし、アップデートも続けているのに安く見られていると鬱憤を溜め込んでいたわけですが。
お客様のためには尽くせても。どうしても、会社様の為には尽くせなくて。価値観が違いすぎて、話が合わない。
結局、回り回って自営業になると税金その他諸々を差っ引いた手取りが月に何十万も増え、人間関係などから来る諸々のストレスも減り、仕事の質のアップにも繋がるという好循環となってます。
勤めていた会社の人達には、自分なんかはとっくにのたれ死んでいるとでも思われているかも知れませんが(笑)。
スキルそのものは、会社勤め時代でなければ得られなかったものはあるので。会社が不要とも思いません。
その人に向いた環境に置かれるかどうかで、かなり変わるものだと思います。
>「②その人の努力」、そして「③その人が置かれた環境」
学習意欲の強度は各個の持つ使命感(緊急性+重要度)によるのかと。
例えば、総理就任を目指す人と。就任後の政策推進を目指す人・・。
まあ経験から述べますけど、会社に総合職として就職してしまうと、専門性とは遠く離れた人種になってしまいますね。(笑)
下っ端の頃は多少の専門性もありえますが、昇進すれば求められるのはマネジメントやバランス感覚やら。過去の現場経験の知識を生かした調整業務というか。
「就社」ですよ。
本記事はあるべき解雇規制を述べているわけではなく、個人が仕事に臨む姿勢はどうあるべきかをおっしゃっていると思います。そこは同意するところです。
ちょっと前者的視点からのセクシーネタで。(いつも主旨ズレですみません)
「解雇規制を緩和」の言い出しっぺ氏が、昨日の記者クラブ主催の9人組会見(討論会ではない)で少し語っておられました。
自民党総裁選立候補者討論会 2024.9.14
https://youtu.be/Q1FZCy7nZgY?t=5336
大企業限定で、解雇する際の要件として「リスキリング支援」「再就職支援」を義務づける。
既存の解雇4要件をなくすのか、それはそのままに追加するのか曖昧。後者なら解雇規制強化。金銭補償の話かと思ったらそうではない。
雇用の流動化への効果もよくわからない。どっちみち被雇用者側の「選択肢」が増えることはない。
相変わらず文学表現が混じるのでわかりづらくて仕方がないです。文学表現が良いときもありますが、こと仕事上の会話でこれやられたら私はダメですね。(笑)
それにしてもI氏、徹底して質問に全く答えない姿勢に潔さすら感じました。(笑)
確かに、労働者側には「転職の自由(=転職しない自由)」が既存なのですから、企業側の意向にのみ寄り添った提言ですね。
・・・・・
>わかりづらくて仕方がない
リスとかトラとか・・。
リスとかキリンとか・・。
レイ(零)なのにオフとか・・。
理解できたのは、良い人材はサル(去る)ってこと。
m(_ _)m・・。
オチ!www
そう、その「就社」という発想が、なかなかに曲者なんですよ。日本型の安定した(しかし硬直した)雇用の在り方の際たるものだと思いますが、これについて当ウェブサイトが騙りだすと、ちょっと関係各方面にさまざまなハレーションを起こし(笑)、著者自身にもビジネス上、累が及ぶ可能性があるので(笑)、このあたりはわざとボカしてます。
>既存の解雇4要件をなくすのか、それはそのままに追加するのか曖昧。後者なら解雇規制強化。金銭補償の話かと思ったらそうではない。
>雇用の流動化への効果もよくわからない。どっちみち被雇用者側の「選択肢」が増えることはない。
ま、年齢の割に実務経験にも乏しく、もともと理論的に考えることが苦手で人当たりの良さだけでここまで来た人の限界じゃないっすかねぇ~
>著者自身にもビジネス上、・・・
あっ(察し)・・・ですよねー。
一利害関係者の切実な思いを読みとりました。w
個人的に「就社」が必ずしも良いとは思いませんけど一長一短ありますし、良し悪しを別としても日本は「就社」が労使ともに雇用慣行になってしまっているので、移行段階があろうとも思うのですが、ビジョンとステップが見えないどころか単発施策の説明すら不十分で、判断以前の悩ましいところという感想です・・・
私自身の生々しい話もちょっとご勘弁いただきたいのでこの辺で・・・(笑)
科学的議論を重視しているサイトのはずなのに、見事にスルーされました(笑)
https://corp.miidas.jp/assessment/10755/
>目的意識
転属先の上司を見返してやるという怒りに燃えていただけなので、あまり高くはないです。
あと、部署のマネジメントや政治的な仕事にもあまり興味がなかったです。
(幸か不幸か昇進すると、専門的な実務からは遠ざかってしまう)
試験に受かってからは、いつ転職というカードを切ったろかと思っていました。
>続いて2つ目の…
私はなんとか3回目に受かったので、第2集団に近いのかな。
なんとかクビにならずにやっています。
ちなみに、働きながら受験する人が圧倒的に多いです。
>受かる人同士が群れる
今は、大学受験でも資格試験でもWeb講義が増えているので、モチベーションを保つのが大変そう。
私は家ではダレてしまうので、極力来校するようにしていました。
>日々、仕事から学び、向上すること
これを失ったら、なんでも人のせい、社会のせいにして、サヨク化していくのかなと思います。
かつて、「いつかは、組織やライセンスを超えて、自分の名前(信用)でビジネスをしていくんだよ。」なんて訓示めいたことを新人に言っていましたが、第1集団と言われる方達は少なくともそういう方なのでしょうね。
人間の能力の決定要因について自身に当てはめてみると、
①その人の持って生まれた才能については、親戚に工学博士、検察官やオペラ歌手などはおりますが、わたくし自身はあまりぱっとしません。あるとすれば、「最後まであきらめない。」というあきらめの悪さくらいでしょうか。
②その人の努力については、目的がないと全く何も動かない属性を持っているので、「目的があれば」の条件付きなら、そこそこの努力はできたように思います。
③その人が置かれている環境については、他人にはほとんど影響されない人間なので(少なくとも「みんなと同じでなければ不安症候群」の人間ではない)、あまり気にしたことがありません。「目の前の課題に真っ直ぐに向き合う」「無いものは作る」ことしか考えてませんでしたね。
学費を稼ぎに新聞配達もやっていましたけど、「この職場では未来がないから、手に職をつけた方が良い」と同僚の少年に無責任な助言をしたりしていました(見事に転職に成功)。
と言うことは、変態のわたくしは第3集団なのかしら。
「運」については、「運(偶然)に支配される登山をしてはダメですよ。」と「速く帰りたい」を優先するあまり危険区域を下山ルートに選んだ登山者に注意したことがあります。
人生も他人まかせの運に左右される浮草のようなものだと、あまり良いとは思えません。
平成不況の頃だったか、国家資格がやたらもて囃された時期がありました。最近もそうした話題がなくなったわけじゃないが、耳にする頻度がかつてよりかなり少なくなった気がします。
たとえ大企業と言へど、業績不振でいつリストラの憂き目に遭っても不思議でではない、といった漠然とした危機感が背景にあってのことだったとも思えるし、好景気の頃に比べて仕事に忙殺される時間が少なくなったから、ここらでイッチョ国家資格が取れるほど、この分野のエキスパートを目指して勉強してみるかと、バイタリティに溢れる人なら考えたってことかも知れません。
多分面白がってだと思うが、マスコミはよく、ひとりで何十種類もの国家資格を持っているという資格マニアとでも呼ばれるべき人を、紙面、番組に登場させていました。こういう人は、もし会社勤めの片手間にそれだけの資格をゲットするほどの勉強をしてたとするなら、会社としては、どうなんだかなぁとはなるでしょうね。そんなにパワーがあり余ってるなら、会社の仕事の方に活かしてくれよと、なるでしょうから。しかし、それだけのパワーがある人であれば、手抜きしてなければ本業の方もそこそここなしてはいるでしょうから、会社としても、そう簡単にあんた出て行ってとは、言えないようにも思えます。
記事中に公認会計士試験の予備校で、「受かる人同士が群れる」というはなしが出てきますが、仕事勤めを続けながら自学自習で難関資格を取得する人って、どちらかと言えば、飲みニケーションなんぞに時間を費やすのは全くの無駄と考えがちの「孤高」タイプに属する人が多いんじゃないでしょうか。仕事さえ出来れば、周りからウクことなんか気にならない。それなりの資格を持っていれば、今の会社辞めたって、再就職に困ることはない、なんて、安心立命の境地で日々を過ごせるなら、一社会人の生き方としては、十分に選ぶ価値はあるように思えます。誰にでも合っている生き方とは言えないでしょうが。
ちょっと毛色は違いますが、知人に土木系のコンサルティング会社に勤めているのがいて、工業関係のビジネス分野では最高級の国家資格とされる「技術士」の試験を、若い頃には毎年のように受けて、仕事に関連する資格を5種類も取得しています。公官庁の発注に応募するには、特定分野の技術士の資格をもつ人間を必ず配する必要があるそうで、そうした資格を取得する度、それなりの給与のアップはあったんだそうですが、それにしても、「会社にこき使われるのが関の山なんだから、エエ加減にしといたら」なんて冷やかしてはみてはいたんですが、まあ、本人が好きでやってるなら、自業自得ってことにするしかないんでしょう。実際、常時三つも四つも案件を抱えていて、もう若くもないくせに「この頃は残業規制が強化されてるから大丈夫」などと、やせ我慢を言ってます。こういう類いの人材は、会社としては絶対に手放したくはないでしょうね。
「解雇規制を緩和」。実に多様な観点から検討しなければいけない問題ではあるでしょうし、単に企業が首切りしやすくなるからハンタ~イなんて、言って済ませられるもんでもないでしょう(どこから吹き込まれたのか知らないが、小泉ジュニアなんかが理解できるはなしとは思えませんしね)。ただ、こういう話が出てくること自体、これから労働人口減少の影響が目に見えてくることを見据えて、「雇用の流動化・適正化」を図るのが避けられない情勢にあることを示しているのは確かだと思います。
その際、個々人の立場に立ってみれば、たとえ勤めている会社が倒産しようが、リストラの憂き目に遭おうが、あるいは今の会社が気に入らないとなろうが、時代に合ったきちんとした技能、資格を身につけていれば、そうあたふたすることにはならないはずです。そうした人間ができる限り社会の中に増えていくように積極的に支援する、それもこの問題を考えるに当たって、国に求められる重要な施策のひとつではないかと思います。
>その際、個々人の立場に立ってみれば、たとえ勤めている会社が倒産しようが、リストラの憂き目に遭おうが、あるいは今の会社が気に入らないとなろうが、時代に合ったきちんとした技能、資格を身につけていれば、そうあたふたすることにはならないはずです。そうした人間ができる限り社会の中に増えていくように積極的に支援する、それもこの問題を考えるに当たって、国に求められる重要な施策のひとつではないかと思います。
小泉ジュニアが考えているところは、「無資格あるいは1ヶ月程集中して試験勉強すれば受かる難易度の有資格者がパート・アルバイトとして働いて、一先ず家族も養えて老後もそれなりに年金を貰える」という社会なんじゃないかなーってのを漠然と感じました。
時代に合ったきちんとした技能、資格を考えるとかは、有識者会議にぶん投げて済ませそう。
> ひとりで何十種類もの国家資格を持っているという資格マニアとでも呼ばれるべき人を、
資格マニアでなくても、そうなる事はあります。
教育担当をして、その評価メトリクスとして何人合格者を輩出したかを問われれば、資格に興味なく、学習意欲もなくても、資格がコロがり込んで来ます。
最初は教えるだけだったんですが、受験会場に来ない奴が居る(受験費用会社持ちの弊害?)事が判り、次に受験会場入口で出席チェックしてましたが、試験開始早々に帰る奴が居て、結局一緒に受験する羽目になりました。
資格試験の不便な所は、合格してしまうと、同じ試験が受けられなくなってしまう事。
そんな訳で、~士や~者等の資格が一杯溜まってしまいました、というか、一緒に受験できる資格が少なくなり、教育担当を止めました。
願書を出す際に、業務経歴証明の添付を求められるので、何でも好き勝手に受験できる訳じゃない。
資格試験に合格したければ、教えられる側から、教える側に回る事。
昔、恩師が招聘されて中国で講義した時、生徒の態度が余りに勤勉なので、不思議に思い主催者に尋ねた処、生徒達は全員地方の大学教員で、帰ったら自分が講義せねばならない立場だったとの事。
「受かる人同士が群れる」のもコツの1つカモ知れませんが、「教える側に回る」というももなかなか効果的ですよ。
今気が付いたんですが、「今月の記事一覧」中で、この記事に付けられたサムネイルになっている「有効求人倍率」のグラフ。本文中には見当たりませんし、記事内容とも余り関係がなさそうですが、元々の構想には入っていたんでしょうかね?
ちょっと気になります(笑)。
解雇規制見直しの問題は、「競争社会」に対する考え方の問題なのでしょうね。
業績の悪化や事業の再編などによる止むを得ない「正当な理由」がある場合はは、現在でも解雇は認められています。
ただ、「正当な理由」をどこまで認めるかというところが争点になるのですが、うかつに基準を緩めると従業員が不安になり、消費や景気、出生数などに影響が出ることが予想されます。
今のところ、日本は解雇規制が厳しすぎるので、企業の活力が削がれているのではないかという意見が多いようですが、従業員の雇用が守られている見返りとして企業への忠誠心が高いのではないかという意見もあります。
ただ、「労働市場」で被雇用者が交渉力を持つには、労働に対する需要があるという状態が必要です。
このために、個人としてはスキルを磨くという努力が必要であり、行政の責任としては、労働の需要を作り出すという責任があります。
今のところ、アベノミクスの成果として雇用環境が民主党政権時代に比べて大きく改善されていますが、日本人労働者の仕事を奪いかねない外国の「安い労働力」の輸入による人手不足対策は悪手ですね。生産性の向上という点においても百害あって一利なしです。
国としては、生産性や競争力向上のための投資を促し、雇用の創出とジュ吽形員の所得の増加を促す政策を採用すべきかと思います。
高市さんが主張する経済安全保障と競争力強化政策は是非とも推進して頂きたいですね。
高市さんが次期総理に選ばれない場合でも、自由民主党には高市さんの政策を参考にして頂きたいと思っています。