「多様性」主張ならむしろイスラム教徒にトンカツを…
多様性という単語を見ることが増えている気がしますが、多様性を尊重せよと主張する人たちこそ、じつは多様性を尊重していないという可能性はないのでしょうか。イスラム教徒ではない一般の児童・生徒にハラール食を提供することは、果たして多様性の尊重といえるのでしょうか?本当の多様性を主張するなら、むしろイスラム教徒にトンカツを提供する日も設ける方が、アプローチとしては正しいのではないでしょうか?
異論を唱えると除名する政党が「多様性の統一」
「多様性」という単語を見かけることが増えている気がします。
「民族の多様性」、「人種の多様性」、「性の多様性」―――。
最近だと、さまざまな多様性があります(反対語は「画一性」、でしょうか?)。
ちなみにとある政党は最近、しきりに「多様性の統一」などとする表現を用いているようです。
多様性の統一で新しい政権を
―――2021年10月24日付 しんぶん赤旗より
これもなかなか強烈で、また難解な概念であるようです。「多様性」を「統一」するということは、それは結局、「多様性を認めない」ということになりそうです(ちなみに『直接選挙が「非民主的」?共産党の志位委員長の謎主張』などでも論じたとおり、日本共産党は異論を唱えた党員を除名処分にする政党でもあります)。
茨城の自治体の学校給食でハラール食を提供
この点、あくまでも著者自身の主観で恐縮ですが、この手の「多様性」を主張する人達が、本当の意味で多様性を尊重するつもりがあるものなのかどうかについては、正直疑問です。
こうしたなかで「多様性」について考えておく際、ひとつのモデルケースとなり得る事例があるのを紹介しておきたいと思います。
ムスリムの児童も一緒にごはん 茨城2町でハラール給食
―――2024/09/08 12:15付 毎日新聞デジタル日本語版より
毎日新聞によると、茨城県の2つの自治体の小中学校に給食を提供する堺町学校給食センターが4日、ムスリムの児童・生徒でも食べられる「ハラールフード」(毎日新聞によると「神に許された食品」)の給食を初めて提供したのだそうです。
その際、毎日新聞は同センターのこんな発言を取り上げています。
「宗教に関係なくみんなと同じ給食を楽しんでほしい。日本の子どもにも世界の食生活や多様性を知ってほしい」。
この理屈は、いったいどうなのでしょうか。
宗教は自由だが…押し付ける権利はあるのか?
イスラム教が食品に関して、豚肉の摂取を禁じるなど、厳格な戒律を設けている(らしい)、という点については、わが国でも知らない人は少ないでしょう(著者私見ですが、これはイスラム教が発生した時代背景に照らし、衛生面などを「神の教え」として守らせるという目的もあったのだとは思います)。
ただ、イスラム教のハラールは食品衛生法など日本の法体系と整合するものとは限りませんし、現実に、日本ではイスラム教徒に配慮した食品などを街中で見かけることは、さほど多くないのではないかと思います。
もちろん、イスラム教がそうした戒律を設けているからといって、それを「信奉するな」と強要することはできません。日本国憲法第20条第1項の規定に基づき、日本国内においては、信教はあくまでも自由とされているからです。
ただ、それと同時に日本国憲法第20条には、こんな規定も設けられています。
- 「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」(同第2項)。
- 「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(同第3項)。
今回、公教育における給食という場で、ハラール食という宗教的な理由に基づく食事を摂取することを、一般の児童・生徒に押し付けていることは、「宗教上の行為」への参加を強制していることにはならないのでしょうか?あるいは形を変えた宗教教育となり得るという懸念はないのでしょうか?
さらに不思議なのは、この手の「多様性の尊重」という表現が、特定の集団を優遇するのに使用されている可能性がある、ということです。
それに、日本という国においては、食品衛生法などが許す限り、多様な食品が存在しています。豊かな山の幸、海の幸に恵まれた日本では、古来、さまざまな食材が楽しまれてきましたし、そんな日本に暮らす以上、特定の宗教集団に「だけ」配慮するというのは現実的ではありません。
いずれにせよ、「多様性の尊重のためには他宗教の食事を一緒に食べてみましょう」、という教育が許されるのであれば、むしろイスラム教徒に対してトンカツを提供するくらいのことをやらないと、首尾一貫性はありません。
多様性尊重なら参加しない自由も保証すべきでは?
ちなみに毎日新聞の記事によると、4日の献立は▼イカ天ぷら、▼たまご丼の具、▼ごはん、▼みそしる、▼リンゴジュース、▼冷凍ミカン―――だったのだそうで、同センターは「今後も定期的にハラール給食を提供する予定」としているのですが、それだけではありません。
「ビーガン(完全菜食主義者)など多様な食文化に対応する献立についても検討する」。
「多様性」と言いながら、実質的に特定の主義・主張の考え方を押し付けているようにしか見えません。
いずれにせよ、「多様性」を訴えたいのであれば、学校給食など児童・生徒が事実上拒絶できない手段ではなく、課外活動など、任意性のある活動にするのが筋です。もしかすると「ハラール食など食べたくない」という児童・生徒もいるかもしれないからです。
「多様性を尊重する」ということは、仮に、「他宗教の儀式などを体験したいとは思わない」という人がいたときに、「参加しない自由」をも保証する、ということでもあるように思えてならないのですが、いかがでしょうか?
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
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【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
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茨城県境町の給食メニューを探してみました。
https://www.town.ibaraki-sakai.lg.jp/page/page003478.html
月に一度は「世界の料理の日」「郷土料理の日」があり、色々なメニューが含まれているようです。
ハラール給食のみを注目して報道する理由は分かりませんが、ハラール給食を否定するほどのことではないと思います。
個人的には宗教系の食事といえば、仏教の精進料理も出してみて欲しいですね。
ヴィーガン向け料理と兼ねることができるかもしれません。
精進料理なんか出したら、クラス全員5時間目まで泣きながら食べる羽目になりそう。
嫌韓ネトウヨサイトがレイシストサイトにクラスチェンジした模様。
「郷に入っては郷が従え」という主張のほうがレイシストでは?
レッテルを貼るにしても、もうちょっと面白くやろうと思いません?
それじゃ他のサイトでも通用しませんよ。
はっは
>>嫌韓ネトウヨサイトがレイシストサイトに
>>クラスチェンジした模様。
?? 大笑い(^^)/
無理筋で「レイシストサイト」?(笑)
とのレッテル貼りは、いかにも
その方面の人たちらしいです。
そしてそんな滑稽な書き込みしてしまうのは
ドサクサに紛れて
「嫌韓ネトウヨサイト」?(笑)との
レッテル貼りしたいのだろうなあ
と見透かされています。
なんせ、
嘘捏造で謝罪と賠償せびるあの国については、
そんなものの肩を持ってしまう人が
「良識的日本人」だそうで(笑)、
そして単に公正に判断する
日本と世界の人びとは
「嫌韓」?であり「レイシスト」?なのだそうです(笑)
そんなレッテル貼りゴリ押しに
日々血道をあげているというのを裏打ちする
生のサンプリングのご意見として貴重です。
このサイトを覗いていると、ときどきこういう普通なら見過ごしてしまうような事柄で、それでいて重要な視点を提供してくれる記事に出会います。いいですね、この記事も。
人それぞれが個別の考えをもち、自分に合った生き方を選んでいて、十人十色。それが社会に迷惑を及ぼすものでない限り、周りもできるだけ放っておいてやる。このような大雑把な寛容性というのが、少なくとも大多数の日本人が、この国の社会をそこそこ居心地が良いものと捉えることに、繋がっているのだろうと思っています。
ところが、この日本流の常識に「多様性」なる用語を与えた途端、とくにリベラル界隈からこの言葉が出てくると、そこは要注意。絶対におかしな下心があると思った方が良い。
「ハラール」、「ベジタリアン」、最近はもっと過激になって「ビーガン」。いいですよ、「食」に対して、個人的にどのような信条を持とうが。「そうしたいなら、お好きにどうぞ」ってだけのはなしです。何ら非難されるいわれはない。
だけどこれが、
・こうした人達の権利を認めなければならない(今でも十分認められてるじゃん)
・こういう人達がより暮らしやすい社会にしなければならない(どの料理店でも、そういうメニューを提供しろってこと?)
・こういう人達と共生する社会を目指さなければならない(あんたはあんたと考えるのは、意識が低いとでも言うおつもり?)
まあ、そんな具合で、サラミスライス戦術で、ドンドン社会の変質を目論んできます。
いいですね、「ハラール」にしろ、「ベジタリアン」にしろ、「ビーガン」にしろ、社会の「多様性」を標榜しながら、食の「多様性」を否定するモノばっかりを推奨するこの矛盾を、凡庸な目にはとまりそうにないほどの、些細な新聞記事から的確に抜き出してみせる。
食の多様性こそが、日本人の長寿命を支え、また海外からの観光客を魅了する、大きなファクターと言って良いほどなのに。まあ、リベラルの皆さんは、その辺から切り崩していくことで、日本社会の腐朽を狙ってるというのは、いくら何でも言い過ぎか(笑)。
>まあ、リベラルの皆さんは、その辺から切り崩していくことで、日本社会の腐朽を狙ってるというのは、いくら何でも”過ぎ言い”か
(注:当方”過ぎ言い”括り)言い過ぎかもしれませんが、リベラルさんの狙いは概ねその方向かと想像します。
ビーガンを自称する輩にロクな奴に会ったことが有りません。
自分勝手で怒りっぽいという印象でしかなかったですね。
パリオリンピック選手村の食堂は「まずい」という評判だったようだが、もう一つ「牛肉禁止」だった。理由は環境への配慮だそうだ。牛肉が環境に悪く、豚肉、鶏肉ならOKとう理屈がよくわからないが、EUに多い環境左翼の考えそうなことだ。
sqsq様
>牛肉が環境に悪く、豚肉、鶏肉ならOKとう理屈がよくわからない
これは、根拠がないわけではないんですね。
反芻動物のウシのゲップに含まれるメタンの量は半端なものじゃないんだそうで、メタンは二酸化炭素より温室効果への影響は遥かに大きいんだから、ウシなんか飼うな、が環境論者が牛肉を排斥しようとする主な理由なんだと思います。
>>牛肉が環境に悪く、豚肉、鶏肉ならOKとう理屈がよくわからない
これは成長(商品化)の効率の問題で、投入される餌と生産される食肉との
比率(効率?)の問題かと聞いた記憶が有ります。
要は、鶏肉の餌を人間が食すれば一番エコ(効率が良い)という事だと思います。
>投入される餌と生産される食肉との比率
これを突き詰めていったら、昆虫食にたどりつくような気がする。
https://future.kouiki-kansai.jp/future/gryllus/
https://www.okaebi.co.jp/whatInsectFood.html
給食センターでハラールフード? 一体全体どうやって作ったのでしょうか? ハラールフード用の設備から用意したのでしょうかねぇ…?
確かに、、、
別の問題がありそう。
>日本の子どもにも世界の食生活や多様性を知ってほしい
趣旨自体には文句はないけど、ハラール食とかビーガン食のように「○○を使わない」みたいなので食生活の多様性を知るってのは、なかなかに難度が高いように思うのです♪
イスラム教の食文化に触れるにしても、イカ天にたまご丼じゃなくて、中東とか東南アジアのイスラム教国で良く食べられるものを出すって工夫はできなかったのかな?と思うのです
あと、ムスリムの児童・生徒は、たまにしか出ないハラール食の給食のために給食費を払うのかな?
非イスラム教徒もハラルフードを食べなきゃ駄目な日を設けるのは、非イスラム教徒に対する嫌がらせになりえますが、多様性を盾に「嫌がらせと感じてはならない:と抑圧するのを正当化してるだけですね。
自由主義社会で多様性の尊重を他者に押し付ける反自由主義者。
>むしろイスラム教徒に対してトンカツを提供するくらいのことをやらないと、首尾一貫性はありません。
おっしゃる通り。出してあげればよいのです。
おいしくてやめられなくなるかもしれませんね。(⌒∇⌒)
下記のような記事もありました。嘘か誠かわかりませんが
https://iinee-news.com/post-16528
堅苦しく考えなくてもよいように思います。
昨年12月バンコクで忘年会をしました。ムスリムがタイ人が2名参加していました。もちろん仏教徒のタイ人も参加していました。ムスリムのタイ人はビ−ルを飲みながら豚肉を食べていました。日本人の社長に聞きました。豚肉エエんかいなぁ。バンコクのムスリムはユルイねん、と言っていました。
ハラール食を強要するイスラム教こそ多様性を踏みにじってるのでは?
多様性ガーの人はそこは批判せずハラール食を生徒たちに強要するのはなんか変。
毎度、ばかばかしいお話しを。
共産党:「社会の多様性は、共産党の指導のもとで実現する」
さて、どこの国のことでしょう。
毎度、ばかばかしいお話しを。
ある大統領候補:「多様性を言うなら、犬、猫、クジラを食べる多様性も認めるべきだ」
「多様性を云々・・」と言い出す人達に対して
「『多様性を認めない』という考え方も『多様性の一つ』
として認めるんですよね?」
と確認してみたいです。
訂正というか修正です。
・・として認める → 尊重される
本質的にはその問がぶつけられるべきなんですが、恐らくは
「それだと差別主義を肯定してしまうのでその問は無価値」と返答されるかと思います。
でも実際にはそういうやり取りを見た事がないんですよね……
SNSで騒いだり、テレビで好き勝手な事を言う人達は
”ガチな研究者”とは全く違うのかも知れません。
・防衛大学校では、インドネシアからの留学生のために、ハラール食を特別に用意しており、当該学生から感謝されているとのこと。Youtubeで、放映されていたのを、最近見た。
・デビ夫人は、スカルノの第3夫人になった時からイスラム教徒になったと理解するのが正しいと思う。しかし、デビ夫人に関しては、ハラール食以外は口にしないという話は、聞かない。
ハラール給食のメニューに「イカ天」があるのがちょっと不思議です。
自分の記憶が正しければ、イカ、タコ、ウナギなど鱗が無い魚類はムスリムでは禁止ではないけれど忌避されていると思ったのですが。
なお、ユダヤ教では鱗が無い魚類や貝類は禁忌だったと記憶しています(あと、肉とチーズ(乳製品)を一緒に料理したものもだめだった気が)。
確か日本の刑務所ではイスラム教徒には豚肉は出さないはず。
多様性が何かも画一性が何かもよくわからないです。
記事のとおり、平等から考えると「自分は相手を受け入れないが、相手は自分を受け入れるべき」となるのは、あきらかに不平等です。お隣の国の考え方に近い気もします。
欧州では移民に伴いヴェールの問題で苦労しています。https://www.tachibana-akira.com/2024/08/15667
日本はクリスマスケーキを食べて、門松を飾り、神社を詣で、お墓に入る。これこそ多様性ではないかと思ったりします。宗教の冒とくでしかないですが。
多様性の対象となるものは何か、きちんと考える必要はありますね。
まず一神教の信者が多様性の尊重とか高説垂れてんのがすでに自己矛盾だと気付かないのだろうか?一方向に向かわせようとしてる人達のくせに。
もっと正直に「我に従わない者たちなど片っ端から打ち倒します。我に都合よくあれる者だけ許します」とでものたまえばいいのに。
中学生くらいまでの時はこういう人たちに同情心抱いてたけど、ワガママさしか押し付けてこないのを知った分軽蔑が倍加されてますわ。
茨城の給食でハラルフード出しましたっていう事例、なんか、すごく軽いノリで、豚とか出さなかったらOKぐらいの感覚で適当に献立作ってやっちゃってる感じがするんですけど、本当に大丈夫なんですかね?
たまたまこんな記事を拾いましたけど、給食でハラルフード出すって、結構大変なんじゃないでしょうか。
【日本農業新聞】おなかいっぱい、宗教違えど 全国初ハラル認証 東京都北区の保育所
https://www.agrinews.co.jp/society/index/181922
記事の中にこんな記述があります。
>イスラム社会では、食べられないものを使わなければ良いだけでなく、食べても良い鶏や牛も「命」を奪う上での戒律に沿った食肉処理が求められる。
こういった処理をちゃんとやってることを証明するために、ハラルフードを提供したり製造したりする事業者は、結構苦労してハラル認証を取ってたりするわけですが、茨城のケースは、そこらへん、どうなってるんでしょうね。
実際に40人ほど、ハラルフードが必要な児童がいるということですけど、適当な感覚でハラル給食作って食べさせてしまって、実は作り方とかに問題があることが後になって分かりましたみたいなことになったりしないか、心配になりました。
杞憂であればよいのですが。
最近の報道で読んだハラール認証を取得した国内の食品工場の例ですが、材料だけでなく消毒方法でアルコールが使えないので、次亜塩素酸ナトリウムで代替したことが苦労した点として挙げられていました。製造プロセスが変わるそうなんですよ。
それで国内の規制を満たした上でハラール認証を取得したそうです。
今ググってみて知りましたが、それをアピールしている食品工場は結構たくさんあるんですね。
食品工場と学校給食が同じかどうか、ハラール認証がどれだけ厳格なものかわかりませんけど、そんな報道を見ると日本の学校給食が完全対応するのは難しい気もします。
「多様性が大事」と日本国内でご指導されてる人々は、どこまで実質に拘っているんでしょうね。
「多様性」を平和的に実現する為には「住み分け」が必要不可欠だと思うんですが、
現実は全く逆の「強制的な共生」に向かっていますね。
ベジタリアンが「このレストランには野菜オンリーメニューがない!差別だ!」と
言い出せば「お前が勝手に食材をえり好みしてるだけだろ」と言う反感が湧く。
黙って別の店を選べば誰も文句を言わないのに……
最近は特定の宗教の外国人が日本にない埋葬手段を強要して衝突の原因になっている。
しかも「日本の進歩の為に頑張ります」と”見下し””上から目線”と受け取られやすい
態度を取って、ますます「ふざけるな!どっちが野蛮人だ!」と怒りを招く。
このままでは21世紀はグローバリズムの世紀ではなく反グローバリズムの世紀として
歴史に刻まれる事になりそうだなあ。
さすがにムスリム生徒にトンカツを食べさせよというのは暴論が過ぎます。しかしながら半強制的側面のある給食にてハラールを出すことはムスリム以外の生徒に対する宗教行為の強制に当たる可能性には同意です。ビュッフェスタイルにするのが多様性という意味合いにおいても適切だと思います。
それより私が懸念するのは日本に暮らすムスリムが今後増加することです。日本文化とムスリム文化は最高に相性が悪いです。遠くない将来、過激派が神社仏閣に火をつけたり、お地蔵様を損壊する事件が起こってしまうかもしれません。
既に某県でクルド人が大暴れしているように、多様性と名乗る輩ほど偏狭で自分たちの価値観しか認めない物です。
ヴィーガンもキリスト教の国でだけやってろと
>宗教に関係なくみんなと同じ給食を楽しんでほしい。
善意からの言葉とは思うけど、なんだか危うい気がするのです♪
宗教上の理由で同じものが食べられないのなら、それはそれで仕方がないと、互いの違いを理解することが大切なんじゃないかと思うのです♪
一方で、
>イスラム教徒にトンカツを
新宿会計士様のこの意見はちょっと行き過ぎだと思うのです♪
ただ、ハラール食がイスラム教の物だって教えた上で、それを拒否する自由は与えてあげて欲しいと思うのです♪
多分これはハラール風であって正式なハラールじゃないと思う。
まあ多様性をってことで給食に外国料理を取り入れるのは悪くないと思いますけどね。
味付けも、とは言っても生徒の嗜好に沿った。「なんちゃって外国料理」だろうし。
イスラム教を信じる方々にとって、物心ついた頃から教えにより禁じられた豚肉を食べるというのは排泄物を食べるようなものだと聞きます。どんなに周りが「美味しいよ」と言ってて、実際美味しいだろうなと頭で理解できたとしても我々は排泄物を食べたいとは思いませんよね。
イスラム教徒にとんかつを、の部分は多様性とは別の話です。新宿会計士さま。この部分については撤回しておいた方が良いと思いますよ。多様性について議論するのに、この例は不適切かつ有害です。
イスラム教徒にとって教えを守るとは一種の欲望みたいなものと理解すると、異教徒である我々にとっては理解しやすいです。
イスラム教国から宇宙飛行士が出たときに、宇宙ではどちらの方向に礼拝した方が良いかというのが議論になったそうです。要するに衛星軌道上でメッカの方向はどっち?という話です。異教徒としては笑い話になりうる話ですが、NASAやイスラム法学者などの間で議論されて一定の結論が出たようです。病気などによって教えを守れないことは致し方ないのですが、宇宙飛行士のように体力も能力もあるイスラム教徒にとって、教えを守らないということはあり得ないようです。この原動力はなんだろうと考えるとき「一種の欲望」って考えるとすごく腹落ちします。
多様性を尊重するためには知識が必要です。別にマネする必要はないです。多様性を学ぶ機会としてたまにハラール風給食だったりビーガン風給食だったりというのは、別に悪くないと思います。
別の多様性を持った自分が、そういう宗教や主義にどんな意味があるのか考える時間ってのは必要です。上記でいうような「腹落ち」ですね。
横から失礼。
>イスラム教徒にとんかつを、の部分は多様性とは別の話です。
いえいえ。他人に多様性を押し付けるのに自分たちは多様性を認めないという意味では多様性の話そのものです。文章は正しく読みましょう。
>新宿会計士さま。この部分については撤回しておいた方が良いと思いますよ。
余計なお世話では?(ブログ主が判断することです。)
>多様性について議論するのに、この例は不適切かつ有害です。
不適切かつ有害な例えとは、この場合、あなた様自信のコメントの
>我々は排泄物を食べたいとは思いませんよね。
の下りではないでしょうか?見事なブーメランコメントです。
バリアフリー(配慮)ではなくて、ユニバーサルデザイン(三方良し)が求められる事案ですね。
肉類だけトッピングにするとか、給食を ビュッフェ方式 にするとか・・くらいでしょうか?
*好き嫌いの助長に繋がり兼ねないのかも・・。(本末転倒)
>宗教に関係なくみんなと同じ給食を楽しんでほしい。
で、あるならば
確かに豚肉も牛肉もokですね。と、思います。多様性と言いますけれども、どうも日本は相手に合わせる方が多いのでは?と感じます。日本国内で生活するならば、日本に合わせろよ。では、あきませんかね?川口のクルド人の人が『日本人はクルド人を理解していない』と言ったとか?で、『あんた達、日本に居るんだろ、日本の文化、風習に合わせられないなら出ていけ』と、率直に言ってします私はレイシスト?
メッカから離れるほどイスラム教徒と言えども戒律が緩くなっていくと聞いたことがあります。
例えば、「おまえ、それは豚肉だぞ(チャーシュー)。いいのか?」「おお、それは知らなかった(ニコッ)」など、知らなかったり、災害などの緊急事態の場合は許容されるそうです。
アラブ世界から離れた旅行先の某国では、酒を飲んだり、買春したりなんてことも。
異教徒の日本人が、馬鹿正直に彼らの戒律に従う義理は無いと思いますよ。
どうせなら足して二で割るのが簡単じゃないでしょうか。
日本人の平均豚肉消費量を算出しイスラム教の人は平均の半分だけ食べてもらう。
アルコールも同様。
その代わり今問題となっているイスラム教徒用の墓地ですが、
イスラム教徒の遺体は半分に分けてもらい、一方は土葬を認め、他方を火葬にします。
ベールを被る際も半分だけにします。
これであれば日本人が一方的に譲歩しているのではなく、
双方が半分譲歩し、相手を半分尊重しているのだから多様性を認めることに
なるのではないでしょうか。
でも余計にもめそう。
確かに。
自由を主張するならば、(日本の小学生に)ハラール食を強制的に食べさせるのはいかがなものか。
多様性を主張するならば、イスラムの人達に、納豆とか生魚(刺身)とか、梅干しとかの日本食を教えるべきなのかもしれません。
いずれにしても、日本人に何かを強いるのはおかしいような気がする。
たしかに目からウロコです。
私は、この茨城県の取り組みは
他の宗教にも理解をしめす
平和を希求する日本人の寛容の
発露なのだろうとは考えています
しかし一方で、
給食で日本人にハラール食を
強制的に食べさせるということは、
本来、
「宗教の強制があ~」だとか「多様性があ」を
声高に唱えるその手の方面の人たちは
日頃の正義と主張とやらに従って反対の声を
あげなければ辻褄があわない面白い点に
気づかせていただきました。(^^)
ただ、そんな彼らの「多様性」?なるものは
どんなものなのかと興味深いのですが、
取り上げてもらっている
「多様性の統一で新しい政権を」?(笑)
という赤いお旗の記事は、
笑いを取る道化のようなうってつけの
見事な演技をご披露してもらっていて
まあ、そんなもんだ(笑)と正しく理解できます。
(^^)/
『宗教に関係なくみんなと同じ給食を楽しんでほしい』と『日本の子どもにも世界の食生活や多様性を知ってほしい』の二つのテーマを持った取り組みなんですね。
食文化であればハラル食材の作り方から学ばなくては無意味でしょうけど、食生活であればなんちゃってハラル食で十分なのかも。
でも、なんちゃってハラル食でみんな仲良く!だと、ガチというか厳正?原理主義?なイスラム教徒からすれば「イスラムへの冒涜」なんじゃないですかね?
>イスラム法では、豚肉や、定められた手順で処理をしていない牛肉、鶏肉などを食べることを禁じている。このため給食が食べられず弁当を持参する児童・生徒が境町に35人、五霞町に4人いる。
私なら、学校給食でハラル食をみんなで食べるのではなく、調理実習の一環で生徒みんなでハラル食材を作るのは兎も角作り方を学び、準備されたハラル食材をみんなで調理して食べる事を薦めますね。
イスラム教徒が多いからハラール食なんでしょうけど、ユダヤ教にも同じく厳格な食べ物の戒律があり、検査官までいて海外では認定されたものしか食することができません。ヒンドゥー教も食べ物に関する戒律があり、多かれ少なかれ宗教には食べ物に関する戒律が付き物です。 なんで、給食でハラール食だけなんでしょう。多様性を学ばせるというなら、他の宗教に関しても(もちろん神道、仏教、トンカツ教含めて)給食を用意して全員食べねばならない筈です。「多様性」という誰も反対しにくいキャッチフレーズを錦の御旗にした食の押し付けでしかありません。
沢山の神様がいて食べ物に関しても、天岩戸の前で何でも食べて、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが出来るおおらかな日本の宗教の方がむしろ特殊であり、既に多様性を受け入れていると言えると思います。「多様性」という言葉のすり替えによるマジックに騙されちゃいけません。
宗教の戒律というのは、信じる人を長生きさせるためのものだそうです。信者が長生きすれば、やがて信者の数が増えますから。仏教の戒律の中には歯磨きの仕方も有るそうな。
もともと砂漠地域では燃料となる樹木が少なく、食材を十分加熱できない事が少なく無いため、食中毒になりやすいもの(豚肉など) を食べてはいけないとしたのがハラルのもとだとか。まあ、今の時代には不要なルールかもしれませんが、第三次世界大戦が起こって文明が崩壊した後に生き残るのはこういうルールを守る人たちなんでしょう。
そういう知識を教えても理解できなくて守られないので、神の定めたルールだとして理由も聞かずとにかく守れ、とした結果が現在の頑ななルールの元だと思います。
ハラール食を体験するというのは、そういう古代の生活の知恵を体験するという面もあるかと。
そう思うと、イスラム教徒に豚肉を食べさせる、という発想はナンセンスに感じます。
以前働いていた会社(世界展開している)
社食でハラール食を出した。と社内報で出ていたなあ
世界から人が来ているから「そうなんだ」程度で特別な感慨は無かった。
会社と違い学校給食となると教育と栄養を考えなきゃいけない
多様性の一環として教えるのか?栄養は?
殺すときは血を流さないそうだがそれは殺されるほうは苦しくないのか? 死ぬまで長時間にならないのか? 苦しませて殺すのがイスラム教なのか?
この頃は経済動物もストレスのない育て方をしましょう運動がある様で反しないか?
教育と合わせて考え出すと食べることも難しい