再エネ巡る不正確なポストにコミュニティノートが着弾
先日も当ウェブサイトで取り上げた大手新聞のX(旧ツイッター)へのポストに、コミュニティノートが着弾していました。面白い時代になったものです。NHK、大手新聞社、大手民放テレビ局などメディア各社に対し、そのポストの不正確性を指摘するノートが続々と着弾しているからです。
メディアは第四の権力
新聞、テレビが誤った情報、誤解を生じ得る情報を垂れ流すメディアであるということがバレ始めたのは、いったいいつのころでしょうか。
少なくとも著者自身は仕事がら、あるいは専門家として、新聞が垂れ流している情報に誤りが多く含まれることについては、2008年までに気が付いていました(とくに強烈だったのが「時価会計停止」誤報事件で、これは「金融庁が時価会計を停止することを検討している」などとする虚報でした)。
こうしたメディアの虚報、専門知識がない人が読むと、思わず騙されてしまうというものも多く、大変悪質です。
そして、よくメディア関係者(とくに新聞、テレビ関係者)は自分たちのことを「第四の権力」だ、「国民の代表」だと騙っていたりするわけですが、少なくともインターネットが今ほど普及していなかった時代に関して言えば、「第四の権力」という表現は、あながち誇張ではありませんでした。
2009年の偏向報道による政権交代事件を思い出しておくまでもなく、メディアが「報道しない自由」を悪用すれば、最悪の場合、メディア自身が思うがままの政権を打ち立てることもできてしまっていたからです。
メディアは製造物責任は負わない
少なくとも私たち一般国民が、新聞社・テレビ局関係者を「国民の代表」に選んだという事実はありませんが(敢えていえば、「国民の代表」とは国会議員であり、その国会議員から互選された内閣総理大臣です)、私たちが選んでもいない者たちが「第四の権力」を握ってしまうというのは、大問題です。
しかも、マスメディアを「第四の権力」と位置付けた場合、ほかにも大きな問題が生じます。
それは、権力の監視機構が存在しないことです。
メディアは報じたら報じっぱなし。つまり、メディアの誤報、虚報、あるいは捏造報道といった問題報道をただす仕組みがこれまでに存在しなかったため、メディアの虚報は事実上、野放しとなっていて、メディアは「製造物」たる情報に対し、絶対に責任を取らなかったのです。
こうしたカルチャーは、現在でも色濃く残っています。
先日の『読売新聞記者が記事捏造…「自分のイメージと違った」』でも取り上げましたが、読売新聞の記者がインタビューを記事にする際、「社会部が求めているものと違った」などの理由で、相手が言ってもいないことを勝手に捏造して記事として掲載した、という事件がありました。
これについて、読売新聞は少なくとも自社ウェブサイトでこの件に一切触れておらず、(一部の情報によると)紙媒体の新聞紙面に小さく訂正記事を掲載してお茶を濁したようです。
この読売新聞の態度は、まさに「自分たちは絶対に責任を取らない」、「自分たちの誤りは認めない」という、マスコミの傲慢(ごうまん)さを象徴しているように思えてなりません。
新聞・テレビは企業や与党政治家などが不祥事を発生させた場合、それこそ「晒(さら)し上げる」というレベルでその不祥事を徹底的にあげつらい、批判するわけですが、新聞・テレビ自身が誤報、捏造、不祥事などを起こしても、マスコミ業界は「身内」を徹底的に守るのです。
こんなことを続けているから、「マスゴミ」という単語が人々に支持されるようになっているわけです(ちなみに当ウェブサイトでは可能な限り、「マスゴミ」という用語は積極的に使わないようにしていますが…)。
不正確なポストに一般ユーザーからのツッコミ殺到
ただ、メディア支配が崩れ始めているという証拠も出ています。
たとえば、大手新聞社が特定の政治傾向(たとえば「反原発」など)の記事を掲載した場合には、それに対し、一般の読者から容赦ないツッコミが殺到するようになったのです。
ここで紹介しておきたいのが、こんな事例です。
「原発安全」は思い込み、耐震性も低い 元裁判長、樋口氏が講演https://t.co/xvGggM9lQK
関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止め訴訟で、2014年に再稼働を認めない判決を出した元福井地裁裁判長が講演し、「日本の原発はそれなりに安全だろうという先入観が脱原発を妨げる」と主張しました。
— 毎日新聞 (@mainichi) April 24, 2024
これは関電・大飯原発の運転差し止め訴訟で2014年に再稼働を認めない判決を出した、福井地裁の樋口英明・元裁判長(71)が新潟県柏崎市で講演し、「原発の耐震性の低さ」を指摘した、とする、なかなかに強烈な記事です。
表題にある『「原発安全」は思い込み、耐震性も低い』に対しては、こんな趣旨のツッコミも殺到しています。
「『原発安全』は思い込み、耐震性も低い」は思い込みだ
――。
ちなみに基本的な事実関係を指摘しておくと、原発の耐震性は非常に高く、関電『巨大地震に備える』によると、「徹底した調査結果をもとに最大の地震動に耐えられるよう設計」され、強い揺れを検知すると自動停止する仕組みが取られています。
また、志賀原発で変圧器の配管が破損し、3,500リットルの油が漏洩した件についても、これは原子炉などの損壊でもなければ、放射性物質の漏洩も発生していません。
こうした基本的な事実関係すら無視する記事を配信するから、新聞、テレビは社会の信頼を失うのではないでしょうか。
先日のポストにコミュニティノートが着弾!
これに加えてもうひとつ注目しておきたいのが、X(旧ツイッター)で、NHKや大手新聞社、大手民放テレビ局といったメディア各社にコミュニティノートが続々と「着弾」しているという事実でしょう。
先日の『「出力制御が再エネ普及妨げ」にSNSでツッコミ殺到』でも取り上げた、大手紙が発信した次のポストに対し、現時点で確認すると、「コミュニティノート」が付されているのです。
年間58万世帯分の電気が無駄になる? 再生可能エネルギー普及を妨げる「出力制御」が増えているhttps://t.co/JrFKP2qc6X
— 東京新聞(TOKYO Web) (@tokyo_shimbun) April 21, 2024
いわゆる「出力制御」が太陽光発電などの再エネの普及を妨げている、とする趣旨の記述に対し、「そもそも再エネは出力が安定せず、出力制御は再エネの性質に照らしてやむを得ないものである」、などとする注意喚起が付されているのです。
ちなみにコミュニティノートを執筆することができるのは「フォロワー500人以上」などの条件を満たしたXの一般ユーザー(協力者)で、執筆は完全にボランティアで行われており、また、コミュニティノート執筆協力者に選ばれたとしても、執筆したノートがただちにポストに表示されるわけではありません。
ノートはほかの協力者によって評価され、「役に立った」とする評価に至ったときに、初めて表示されます。
また、ノートの内容が見当違いのものだったときには、ほかのノート執筆者から「このポストにノートが不要である理由」などの反論が寄せられることもありますし、作成したノートが「役に立たなかった」と評価された場合には、その協力者のコミュニティノート執筆権限が制限されることもあるようです。
すなわち、公正性という観点からは、コミュニティノートはさまざまな工夫が施されており、これによりX上ではさまざまな「誤解を与えるポスト」に対する注意喚起がなされる仕組みが実装されている、というわけです。
もちろん、コミュニティノートは万能な仕組みではありませんが、それと同時にコミュニティノートが「着弾」するユーザーは特定の政治傾向を持つ人たちに集中しているフシもあり、また、NHK、大手新聞社、大手民放テレビ局などにも容赦なくノートが着弾するようになったというのも興味深い現象といえるでしょう。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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自称元徴用工問題、自称元慰安婦問題、火器管制レーダー照射、天皇陛下侮辱、旭日旗侮辱…。韓国によるわが国に対する不法行為は留まるところを知りませんが、こうしたなか、「韓国の不法行為に基づく責任を、法的・経済的・政治的に追及する手段」を真面目に考察してみました。類書のない議論をお楽しみください。 |
【おしらせ】人生で9冊目の出版をしました
日本経済の姿について、客観的な数字で読んでみました。結論からいえば、日本は財政危機の状況にはありません。むしろ日本が必要としているのは大幅な減税と財政出動、そして国債の大幅な増発です。日本経済復活を考えるうえでの議論のたたき台として、ぜひとも本書をご活用賜りますと幸いです。 |
毎度、ばかばかしいお話を。
マスゴミ:「自分の間違いを指摘するコミュニティノートは嫌いだ。ただし、自分を応援してきれるコミュニティノートは別だ」
ありそうな。
「違法ではないから大丈夫」、あきれた意識で信頼を失った企業
//xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02460/041700010/
これは製造業の世界の話です。
一方マスコミ業界は….。日本経済を支える製造業の方々の爪の垢を煎じて飲む必要があるのではないかと。。
「脱原発を妨げる」
安全性の事実関係をさておき、この物言いが発言者の立ち位置・姿勢・目的を全て表しているかと思います。
公平を期すのであれば「脱原発と推進との間には思い込みにより認識に隔たりがある」という程度の表現にしかなりえません。
ちなみに私は脱原発派の”危険だという思い込み”の方をより感じています。
その脱原発派の「危険だという思い込み」が彼らをして悪質なデマや風評被害を躊躇いなく拡散する免罪符になっているのではないでしょうか。
言いたかったことは既に書かれていたので、主旨とはズレたところで。
>しかも、マスメディアを「第四の権力」と位置付けた場合、ほかにも大きな問題が生じます。
>それは、権力の監視機構が存在しないことです。
全然関係ないんですが、たまたま過去の日本の刑罰を調べていました。
江戸時代は「十両盗ったら死罪」などと重罰が科されていましたが、それよりずっと以前の奈良時代の養老律令。
軽い刑罰から死刑まで様々規定があります。刑が重くなるにつれ、刑の判断者や手続きが複雑になっています。(現地の役所の即決から刑部省にエスカレされたり、太政官への報告が必要になったり、尋問調書と本人の承諾文書の提出を課したりなど)。
面白いと思ったのは、流刑・死刑の重罰の場合に刑部省から太政官への報告(再審あり)が定められていた点です(獄令第二・郡決條)。三権分立など存在しない奈良時代ですら、一つの役所に権限を集中させない配慮が見えました。
今のマスコミに巨大な力があるのに(冤罪報道で自殺する事例もあります)牽制機能がというのは、奈良時代の法制以前の原始的で野蛮な状況なのかもしれません。
参考:
法務省HP:我が国における死刑の歴史について
https://www.moj.go.jp/content/000096623.pdf
天皇への3回覆奏は執行時のことであり、刑の判断に天皇が関わるわけではないようです。
多分、穢れ対策なのではないかと。
養老律令・獄令の原文
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/rituryou/yourou/yourou.htm
サイトの信頼性は未確認です。
原文の漢文が読みづらかったので、DeepLで翻訳してみたら・・・原文にありもしない単語を含んだ翻訳(物語)が出てきてダメダメでした。機械学習の悪さが出ていた感じです。
私は、法律や技術、制度などは、実は奈良、平安時代の方が江戸時代中期ごろまでのころより高度であったのではないかと思っています。古代に整備した道路の方がよほど広くてまっすぐであったりとか、奈良、平安の兵士の装備に弩があったりとか。(関東では弩が禁止されていた→和弓が発達した。)大学もありましたし、また、朝議では、上の人間の発言に引っ張られないよう、位の低い方から発言するルールになっていたりとか。日本刀も鎌倉など昔の方がものが良かったり。
まさかどなたかから返信をいただけると思っていなかったので。(笑)
恐縮です。
一概には言えないと思いますが、中央集権の古代から、分権的な中世で先祖返りしたものは多分にあったのだろうと思います。
弩の話は面白いですよね。弩は生産に高度な技術が必要でそれを国が独占することで、軍事力で対抗するものの出現を抑えていたと。そして弩の操作は弓ほどには熟練を要さないのも人民徴発による軍制には合っていた。
弓は弩より原始的ですが、農耕と戦を両方こなす自立した武士団なら弓でも熟練しちゃうんで弩の独占が力を失ってしまうと。
鉄製農具も同様だそうで、製鉄・加工技術が一般的ではなく、農具を国が独占し耕作民に貸し出すことで生産手段を独占を維持していたそうです。これは、製鉄技術の一般化に伴って無意味となるそうです。
それでいうと、刀は国が製鉄技術を独占していた古代よりも、その後の鎌倉・室町の刀の質が高かったのですよね。
>朝議では、上の人間の発言に引っ張られないよう、位の低い方から発言するルール
人間集団・組織を円滑に運営する智恵は、昔から変わらないと思います。
人間の性の分析は2000年前には出尽くしていると思います。いつタイミング良くその智恵をうまいことあてがうか。
昔も今も、同じようなことで悩んでいるところもあるのでしょうね。
元雑用係様 namny様
養老律令・弩の話大変興味深いです。ありがとうございました。
法律にも歴史にも疎い私ですが、私が作用的な思想から離れたきっかけはフランス革命について興味を持ち調べた頃から始まりました。
なぜ左翼がフランス革命を金科玉条のように崇め奉るのか不思議だったからです。
文献をあさり調べる程にフランス革命の評価が捏造されたものにしか思えなくなります。
民衆の不満や不公正が基本あったにしろ、大衆の自発的な運動ではなく後に左翼の語源となる一派の扇動があり起こった踊狂騒動または集団ヒステリーにしか思えなくなりました。
落としどころの無い狂乱状況でしかなかったと。
まんまと王政を廃する事には成功し後に右翼と称された一派を壊滅させましたが権力を握った左翼の執政はもっと酷かった。
その過程でギロチンによる死刑執行書にサインするペンがあまりに安易に人の命を奪った事から「ペンは剣よりも強し」と皮肉られた事を本当はジャーナリストなら誰でも知っていますし、その死刑の対象は終いには近所の気にくわない人物や不倫不貞を捏造された人々にまで及び根拠もなく命を奪ったようです。
屁理屈や妬み嫉みが根拠の即決執行の様はまるで魔女裁判の相似形です。
ラテン系のフランス人らしいのは何処までもとどまる事を知らず、結局は左翼なる一派もほとんど断頭台に送られ誰も居なくなるまで止みませんでした。
そして我に返った大衆が求めたのはナポレオンの「皇帝」でした。
皇帝は強かったので英雄になれましたが民衆は更に貧しく飢える事になります。
正直どこいらへんを
「素晴らしい民衆による異議申し立てやら民主主義の萌芽」
と評価出来るのか全く理解出来ませんでした。
今現在第四の権力マスコミやジャーナリストや言論人がやっている事は、思いつき嘘捏造と根拠無く実証も反論すらも許さない即決死刑判決そのもので彼らが普段語る綺麗事とは正反対です。
私はフランス革命って人類史の汚点だと思ってますし、繰り返してはいけない極悪非道だと信じています。
あれが人類の理想形だとは思いたくありません。
環境を巡るものやLGBTQの不可解な方向性やら国連の腐敗具合やら…似ている状況なのがとても違和感を感じてしまいます。
作用的じゃなくて左翼的だったりします。
相変わらず校正しない私ですいません。
フランス人はラテン系だということを知らなかったくらいあっちの歴史は知らないことだらけなんですが(ゲルマンだと思ってましたが言語ルーツで分けてるんですね)、フランス革命後しばらくは、「民主主義」という言葉を発すると眉を顰められたものだ、という話を聞いたことがあります。
フランス革命に限らずですが、革命に参加する人全てがそうではなかったでしょうが、革命を先導した人は結局権力を握って腐敗する例が多すぎて、単に天下取りたかっただけじゃないのと思うことしばしばです。
権力行使に対する牽制機能などの過去の積み上げもリセットされちゃうんで先祖返りしてしまう。そこから積み上げ直し。元の木阿弥。
かつての日本の政権交代時にも、法的プロセスを無視した数々の政策決定がありましたが、革命のそれと重なって見えるんです。その政権にいた人達が今は「立憲主義」を唱えていて、悪い冗談にしか見えません。
あ!
namunyさんの名前間違えてた!
本当に申し訳ありません。
(どこから資金が出ているのか知らないが)当たり?の裁判官を引くまで裁判官ガチャを繰り返す人たちがいますね。
今年の福井地裁の判決は、原告の運転差し止め申し立てを却下した極めてまともなものでした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240329/k10014406191000.html
>経年劣化を保守的に想定した上で耐震安全性評価を行っていて、規制委員会の判断は合理的だ
>事故が起こる具体的危険性の立証に成功していないから、避難計画については検討するまでもない
>『「原発安全」は思い込み、耐震性も低い』
これなら何でも言える。たとえば
「タワマン安全は思い込み、耐震性も低い」
耐震性? 日本にある建物でどんなに大きな地震が来ても絶対に倒壊しないものはないでしょう。
つまり震度とのかねあい。過去日本で起きた地震で最大の物は震度7。
再生可能エネルギーの括りですが、、、
電力を捨てていることに言及してる記事がビジネスジャーナルに出ていたので読んでみたら頭が痛くなりました。
「大手電力が再生可能エネルギー発電の電力を捨てている…頑なに火力発電を継続」
研究所所長の見解を書いてますが、環境エネルギーの所長だから方向性は察した通り。
蓄電や送電にしても需給のバランスに言及してるのに何故結論がそうなるのか、なかなかの怪文書でした。
Weblio上のコンプライアンスの説明には、『企業経営におけるコンプライアンスの最も肝要な要素は「法令の遵守」である。つまり、「事業を遂行するにあたって各種の法令を遵守する(法に抵触しない)ということ」といえる。また、法律により禁止されている事項ばかりでなく、社会の倫理的・道徳的な通念に基づくルール(社会規範)を遵守するという要素も、今日の企業コンプライアンスにおいては重要かつ不可欠な要素と位置づけられている。この「社会規範を遵守する」という事項は、「企業倫理」および「CSR」(企業の社会的責任)とも密接に結びつく要素ででもある。企業コンプライアンスはCSRと不可分の考え方といえる。』という文章があります。
日本の特定メディア各社は、コンプライアンス意識とCSR意識とのズレが酷いのかな?と。
もっとハッキリ書くと、自らの信ずるところのCSRを実現する為ならば、コンプライアンス違反を正当化する事に慣れているのかな?と。
うーん、企業の社会的責任という表現で少し引っ掛かりを感じていたのですが、此処は社会的使命という表現が適当な気がします。
「自らが信ずる社会的使命」であれば、法令遵守や社会的責任からの逸脱が行われる理由としてしっくり来るのではないかと。
で、目的の為に手段を正当化するという考え方は、まさにテロリストなんですよね。。。
この場合の「元裁判長」って肩書きでどの程度の説得力を増すのだろうか?
「裁判長」は原子力の知識が豊富なのでしょうか?
情報の信頼性とは・・・?