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「夜討ち朝駆けで優秀な記者が育った」という思い違い

新聞の夕刊がなくなる動きが広まっていることに関連し、70代の元新聞記者の方が、「僕らの時代、新聞記者といえば夜討ち朝駆けが当たり前」などとしたうえで、会社の経費を使って取材をすることが「記者としての足腰や人脈を鍛えていた」と指摘。新聞社における経費節減で「企業や政権の不正を暴く調査報道などができる優秀な記者が育たない可能性がある」、などと述べたそうです。新聞が社会から必要とされない理由の一端が見えた気がします。

新聞は滅亡の危機に

年初の『「新聞がなくなったら社会に莫大な利益」とする考え方』などを含め、当ウェブサイトではこれまでに何度となく指摘してきたとおり、新聞業界は現在、滅亡の危機に瀕しています。

「セット部数」を「朝刊、夕刊をあわせて1部」と見る(①)か、「朝刊1部、夕刊1部、あわせて2部」と見る(②)かによって、そのピーク時の部数と「減る速度」は微妙に異なりますが、どちらのデータを使って予測しても、主要な新聞は、遅くとも2030年代なかばにはわが国から姿を消す可能性が濃厚です。

図表1が、その根拠のひとつです。

図表1 新聞合計部数の推移と予測(直線シナリオ)

(【出所】『日本新聞年鑑』および一般社団法人日本新聞協会ウェブサイト『新聞の発行部数と世帯数の推移』データをもとに作成。合計①は日本新聞協会のデータをそのまま利用した場合、合計②はセット部数を朝刊1部・夕刊1部とカウントし直した場合。また、2024年以降の破線部は2021年から24年までの3年間の部数減少を平均し、それが今後毎年続くと仮定したときの部数の推移予測)

新聞苦境の現状とその理由

どちらの方法でも共通している「3つの特徴」

では、このグラフをどう考えるべきでしょうか。

朝夕刊セットを1部と数える方法(図表の「合計①」)はピークが1997年の5377万部で、直近の2023年10月時点ではこれが2859万部へとおよそ46.82%減少しており、直線的に部数が減り続けるならば、2036年ないし37年ごろには新聞部数がゼロになる計算です。

一方、朝夕刊セットを2部と数える方法(図表の「合計②」)は、ピークが1996年の7271万部であり、直近の2023年10月時点では3305万部へと54.55%減少。このペースで減少が続けば2034年まで新聞部数がゼロになる、と予測されます。

すなわち、統計処理の方法によって、「新聞の最盛期」が1996年なのか、1997年なのかが変わってくるうえ、このまま新聞部数が減り続けた場合の「部数がゼロになる時期」についても、数年単位で差異が生じてきます。

という時期についても、数年のズレが生じてきます。

ただし、このどちらの数値を使ったとしても、▼部数のピークは1990年代後半であること、▼部数減少は近年、速度を増しており、まるで放物線を描くように部数が減り続けていること、▼現時点の部数はピーク時と比べ、約半分前後に落ち込んでいること――の3点については共通しています。

そして、部数の推移の形状が、とくに直近に関しては直線ではなく「放物線」を描いていることを考えると、2030年代ではなく、下手をしたら2020年代には部数がゼロになるのではないか、などと指摘する人がいることも事実でしょう。

部数減のわりに伸びないウェブ契約

このあたり、朝刊と夕刊、あるいは全国紙と地方紙などを比べると、部数の減少速度にも違いがありますし、また、最大手の読売新聞社などのように、依然として公称数百万部を誇っていて、経営状態に比較的余裕があるとされる新聞社もあります。

したがって、現実には、主要新聞社の中にも最後の最後まで粘ろうとする新聞社もあると考えられるため、「2030年代に新聞部数が完全にゼロになってしまう」、とするのは予測としては若干雑ではあります。

ただ、その一方で、経営体力のない新聞社を中心に、経営状態がかなり逼迫しているケースは多いと考えられ、いくつかの社ではすでに新聞発行が恒常的な赤字状態に陥っていて、さらに酷いケースだと、実質債務超過状態に陥っている、いわゆる「ゾンビ企業」という事例もあると考えられます。

ちなみに全国紙でいえば、かつては読売新聞が1000万部、朝日新聞が800万部、毎日新聞が400万部、日経新聞が300万部、産経新聞が200万部、などといわれていた時代もありました。

しかし、とあるサイトに書き込まれたデータによると、ABC部数は昨年末でざっくり読売600万部、朝日350万部、毎日160万部、日経140万部、産経90万部――、などとなっていたのだそうです(データの信憑性自体についてはよくわかりませんが、減少率だけでいえば、新聞協会データとさほどのズレはありません)。

これが事実なら、読売は辛うじて4割減で踏み止まっているものの、それ以外の各紙は半分以下に落ち込んでいるという計算です。

しかも、頼みの綱の「電子版」は、どの社も苦戦していると伝えられています。

日経ですら苦戦か…新聞の「電子媒体化」が難しい現状』でも引用したとおり、電子戦略が最もうまくいっているとされる日経新聞の場合でも有料契約は100万前後らしく、最大手の一角を占める朝日新聞も有料契約は30万件少々で、むしろ微減傾向にあります。

新聞社の電子媒体契約数を集計した統計などは見当たらないのですが、最大手の朝日、日経などですらこのような状況なのですから、ほかは推して知るべしでしょう。

いずれにせよ、現在の「紙媒体の苦境」、「電子媒体の不調」を見るに、これから2020年代後半、すなわち今からほんの2、3年後くらいから、新聞の廃刊(紙媒体での新聞発行の断念)という事例や、酷い場合は新聞社そのものが倒産してしまうという事例が相次ぐのは間違いないとみているのです。

その前兆として発生が予測されるのは、夕刊の休・廃刊です。実際のところ、昨年から大手新聞社(全国紙やブロック紙)が一部地域で夕刊の発行を取り止めているという事例が相次いでいます。

たとえば北海道新聞は4大ブロック紙としては初めて夕刊を廃止してしまいましたし、『夕刊受難の時代…朝日新聞社が北海道での夕刊を休刊へ』でも触れたとおり、朝日新聞も昨年から今年にかけ、東海や北海道などで、夕刊発行を取り止めています。

今後、こうした動きについては、広がることはあっても、食い止められる可能性は極めて低いでしょう。

そもそも新聞は高すぎる

ではなぜ、ここまで急激に新聞が廃れ始めているのでしょうか。

当ウェブサイトとしては、その理由は大きく2つあると考えています。

ひとつは、「昨日の情報を紙に刷って人海戦術で全国各地に届ける」という、新聞のビジネスモデル自体がすでに破綻していることです。

かつての電話回線の時代ならともかく、この高速インターネット回線の時代にあって、世の中のニューズを、テレビのニューズ番組、あるいは翌朝に配られる新聞だけで知る、という時代ではありません。ネットで見た方が、新聞で読むよりも遥かに早く情報を知ることができるのです。

(※余談ですが、ネットはテレビに対しても優位性を誇っています。「速報性」という意味ではテレビにはまだ優位はあるかもしれませんが、表層的なところしか報じないテレビ報道と違って、ネットでは人々の関心の程度に応じ、遥かに深いところまで詳しく知ることができるという特徴があります。)

すなわち、ネット上のニューズサイトを見れば、詳しい文章と写真、動画などの解説付きで、さまざまなニューズを知ることができますし、速報性という意味でもニューズバリューという意味でも、新聞はネットサイトに到底太刀打ちができないのです。

しかも、新聞は購読料金が異常に高いという特徴があります。

図表2は、2022年10月以降の一般紙朝刊(または統合版)の値上げの状況を一覧にしたものですが、これで見ると、朝刊だけの契約であっても、多くの新聞は、朝刊だけでも3,000円台、下手をすると4,000円を超える料金を支払わなければならないことがわかります。

図表2 一般紙朝刊(または統合版)の値上げ状況(2022年10月以降)

(【出所】『文化通信』の『購読料改定』などを参考に著者調べ)

すなわち、新聞とはいわば、「毎月4,000円近いおカネを支払い、昨日の情報を紙に刷り込んだ代物が届くサブスク」のようなものです。

朝夕刊セットの場合は、さらに高額です(図表3

図表3 朝夕刊セットの値上げ状況(2022年10月以降)
値上げタイミング 新聞名称 朝夕刊セットの値上げ幅
2023年5月 朝日新聞 4,400円→4,900円(+500円)
2023年5月 西日本新聞 4,400円→4,900円(+500円)
2023年6月 毎日新聞 4,300円→4,900円(+600円)
2023年7月 日本経済新聞 4,900円→5,500円(+800円)
2023年7月 神戸新聞 4,400円→4,900円(+500円)
2023年8月 産経新聞 4,400円→4,900円(+500円)
2023年10月 信濃毎日新聞 4,400円→夕刊廃止
2023年11月 京都新聞 4,400円→4,900円(+500円)
2023年11月 河北新報 4,400円→4,400円(+500円)

(【出所】『文化通信』の『購読料改定』などを参考に著者調べ)

現時点でまだ値上げをしていない、中日新聞や東京新聞、読売新聞などの事例もありますが、これで見ると、多くのメディアでは夕刊を読むために、毎月5,000円近い金額を負担することになります。

そもそも新聞は質が低すぎる

しかも、新聞の情報の質が高ければ、話はまだわかります。

情報自体は1日や2日遅れたとしても、数日前の出来事に対し、「情報分析の専門家」たる新聞記者や論説委員の先生方が、私たち素人を唸らせるほどの素晴らしい解説記事ないし論考を、日々、私たちに届けてくれるならば、「おカネを払ってでも読みたい」と思う人はいるでしょう。

先ほど指摘した「2つの要因」のうちのふたつ目は、まさにこの「情報の質」にあります。著者自身が見るに、新聞記事の多くは専門性が欠如しているか、それとも特定の思想を読者に押し付けるかのようなものが、あまりにも多いのが実情です。

これについてはここ数日の当ウェブサイトの記事――たとえば『メディア自身にある「マスメディアが批判される理由」』や、『これだけある!太陽光発電の問題』など――を読んでいただくだけでも十分かもしれません。

高いおカネをわざわざ支払ってまで不正確な情報を仕入れるよりも、ネットで無料で見られるサイト(『Yahoo!ニュース』や某自称経済評論サイトなど)を読んでいた方が、ときとして正確な事実を知ることができるのだとしたら、そのような産業に社会的な存在意義があるのかどうか、よくわかりません。

このあたり、当ウェブサイトとしては、「マスゴミ」などの用語――すなわち、ゴミのような情報をはがしたり、ゴミのような取材態度を取ったりするマスメディアに対する、なかば怒りを込めたネットスラング――を積極的に使いたいとは考えていません。

他人の仕事を「ゴミ」呼ばわりすることは基本的に無礼でもありますし、無用に人を傷つける可能性もあるからです。

しかし、それと同時にマスメディアがこれまで、基本的に無礼であり、無用に人を傷つけるような報道を繰り返してきたという事実を踏まえると、人々がマスメディア(とくに新聞やテレビなど)のことを「マスゴミ」と呼ぶようになったことには、ちゃんとした理由があると考えるべきです。

新聞、テレビはその理由をちゃんと反省したのでしょうか?

大変残念ながら、その答えは、限りなく「NO」に近いと言わざるを得ないでしょう。

新聞は社会から必要とされない時代へ

朝日新聞が東海と北海道で夕刊発行をやめる理由

さて、こうした状況を踏まえてでしょうか、新聞産業の衰退を嘆く声が新聞業界関係者の間でも出てきたことについては、留意する必要があるかもしれません。

これに関連し、双葉社が運営する『ピンズバNEWS』というウェブサイトが日曜日、ちょっと気になる記事を配信しました。

朝日新聞が北海道で夕刊廃止 背景にある新聞社の事情と元読売新聞記者のため息「優秀な記者が育たない」

―――2024/02/11 06:32付 Yahoo!ニュースより【ピンズバNEWS配信】

端的にいえば、「なぜ新聞がここまでの苦境に陥ったのか」をまったく理解していない人たちが、新聞業界のなかにいるということが、大変によく理解できる記事です。

記事の前半では、朝日新聞が昨年5月の東海3県で、今年4月の北海道で、それぞれ夕刊発行を取り止める(取り止めた)という点に関して、「朝日新聞の現役記者」が分析と感想を述べる、という趣向です。この朝日新聞記者は、これについてこう述べたそうです。

地方紙が強い地域で、朝日は購読者をつかめずに沈んだ、ということです」。

ちなみに夕刊の記事は、時間的に深夜1時から午前11時ごろまでの間に発生した事件などで構成されるため、夕刊担当の記者はその時間帯に記事を執筆する必要があり、新聞社の人件費や取材のための移動費負担が重いだけでなく、記者の長時間労働の温床にもなっているのだそうです。

この朝日新聞記者によると、朝日新聞が今回、東海と北海道で相次いで夕刊を廃止する狙いについて、こう指摘するのだそうです。

働き方改革を前面に出して、地方紙が強い地域から夕刊は撤退するつもりなのでしょう。会社としては経費削減もできますし、記者の長時間労働も防げますからね」。

これは、たしかにひとつの考え方でしょう。

あるいは穿(うが)った見方ですが、「働き方改革」を前面に打ち出せば、経費削減という狙いもマイルドにできる、という狙いでもあるのでしょうか?

とある元新聞記者の嘆き

一方、記事の後半では、多くのテレビ番組にも出演し、新聞記者を主人公にしたマンガの原作者としても知られる元読売新聞記者(78、元記事では実名)の方に対するインタビューで構成されています。

この人物は、夕刊が廃れる理由について、そもそも夕刊に掲載される原稿のなかでニューズと呼べるものが「事件物だけ」しかないうえに、「スマホを通じて、SNSやウェブサイトで読むニュースで十分という人も少なくない」という事情があるとしたうえで、こう指摘するのだそうです。

ニュースを知るのに夕刊が家へと届くのを読者が待つ必要はないのです」。

この点は、半分は正解でしょう。

この元読売記者の方がおっしゃるとおり、時間帯的に夕刊に掲載される話題は、最新のものであれば事件ばかりであり、最近だとスマートフォンなどの普及により、そもそも夕刊そのものに対するニーズが失われていることは間違いありません。

ただし、社説などを含め、「朝刊に掲載される記事」に関しても、正直、あまり付加価値が高いものではないという点においては夕刊とは大差ない気がしますが、この点については、ここでは敢えてつっこまないことにしましょう。

この元読売新聞記者の方は、夕刊廃止については「読者のニーズのない地域に新聞を届ける必要もなくなり、配送料や輸送費、紙代といった経費も圧縮される」という意味で、経営合理化に資するとしつつも、「優秀な新聞記者がいなくなる」可能性がある、などと述べています。

最大のツッコミどころ…「夜討ち朝駆けは当たり前」

ただ、ここでいう「優秀な記者」とは、いったい何のことを意味するのでしょうか?

ここで、この記事の最大のツッコミどころといえば、こんな記述かもしれません。

僕らの時代は新聞記者と言えば取材先への夜討ち朝駆けは当たり前。労働時間もへったくれもありませんでした。そういう労働環境で、会社の経費を使って取材をすることで、記者としての足腰や人脈を鍛えていました」。

なるほど、新聞が社会から必要とされなくなるわけです。

「夜討ち朝駆け」とは、取材先に真夜中、早朝に突撃するということであり、やり方によっては反社会的行為そのものです。なぜなら、「突撃される側」にとっては、(とくに私たち一般人の多くにとっては)平穏な生活を乱されるからです。

こうした行動を当然だと考えているからこそ、マスコミ産業関係者の感覚が、私たち一般人の常識とは著しく乖離してしまうのかもしれません。

そういえば2021年12月、とある著名な女優が亡くなった際、そのご両親(いずれも著名芸能人)に対し、マスコミ記者が「今のお気持ちは?」と尋ねたことがありました。(『メディア記者、傷ついたご両親に「いまのお気持ちは」』等参照)。

沈痛な表情で会見に応じたご両親が会見場からの去り際、「いまのお気持ちを」と「追い打ち」をかけた記者がいたようです。ご両親の悲痛な気持ちに思いを致すといたたまれなくなりますが、それにも増して、なぜ記者会見に応じなければならなかったのか、そしてその記者会見場で無神経な言葉を投げかけた記者の心理はいったい何なのか、疑問点はいくらでも湧いてきます。メディアの非常識朝っぱらから、気分が悪い話で申し訳ありませんが、どうしても紹介しておきたい話題があります。『ご遺族の自宅インターフォンを真夜中に鳴らす新聞...
メディア記者、傷ついたご両親に「いまのお気持ちは」 - 新宿会計士の政治経済評論

正直、人間の所業とは思えません

しかもこの騒動の際、親御さんが暮らすマンションのベルを芸能レポーターと思しき者が深夜に鳴らすという、大変非常識な行為に及んだようですが、取材と称してこのような行為を働く者たちに「ゴミ」という言葉が投げかけられていたとしても、個人的にまったく違和感を覚えません。

それで育った「優秀な記者」の仕事とは?

では、こうした反社会的行為まがいの行動を通じて育った「優秀な記者」とは、いったい何者なのでしょうか。

この元記者の方は、こんな趣旨の事も述べています。

“経費削減”や“働き方改革”を錦の御旗に、お金が掛かる事件取材の現場から新聞記者が離れれば、企業や政権の不正を暴く調査報道などができる優秀な記者が育たない可能性があります」。

残念ながら、この「元記者」の方は、大変な思い違いをなさっているようです。

そもそも論ですが、新聞記者の本来の仕事は、「企業や政権の不正を暴くこと」ではありません。事実を事実のまま伝えることでしょう。水道の利用者は、蛇口をひねったら色水ではなく、透明な水が出てくることを期待するのが普通であり、メディアの読者・視聴者も「色のついていない情報」を期待しているのではないでしょうか。

なんだか、大変に強烈な記事です。

要するに、この方は「夜討ち朝駆け」のような、ときとして反社会的行為と見られても仕方がない行動を平気で取ることを通じて成長したような者が、「優秀な記者だ」、と認識している、ということでしょう。この時点で、世間の感覚と著しくズレているとしか言いようがありません。

ただ、この記事では、さらに驚く話も出てきます。この方は読者がSNSやウェブサイト上だけでニューズを得るのは「非常に危険だ」としたうえで、こう述べたというのです。

ウェブニュースでは、サッカーが好きな人にはサッカーのニュース、野球が好きな人は野球のニュースといった形で、読者の嗜好にあったニュースが提示されます。一方で新聞は社会面から政治面、文化面まで様々な情報が掲載されている。社会を総合的に知り、様々な知見を得るという観点からは新聞は有用なメディアだと思います」。

これなども、いろいろと首をかしげてしまいます。

新聞にはさまざまなジャンルの情報が掲載されていることは事実ですが、それらの情報のなかには、「専門性」という観点から、どうにも首をかしげざるを得ないものが多いことも間違いなく、「さまざまな知見を得る」という観点からは、新聞はむしろ「有用性が非常に低いメディアである」と言わざるを得ないからです。

社会的役割を終えつつある新聞

そもそも論ですが、『「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如』や『椿事件から玉川事件へと連綿と続くテレビ業界の問題点』などでも指摘してきたとおり、日本の新聞やテレビが報じる情報は、正直、あまりにも不正確です。

水道局にたとえて言えば、「水道管から色水が出て来る」ようなものであり、いわば、マスメディアが提供する情報については「クオリティが低すぎる」、と総称できますし、最近だと、能登半島地震でも、こうした事情はかなり明白になったといえるでしょう(『岸田首相自らデマ対策宣言…報道機関は日本に必要か?』等参照)。

いずれにせよ、新聞が過去において、私たちが暮らす社会において、情報伝達手段として一定の役割を果たしてきたことは否定できませんが、こうした社会的役割は、今まさに終焉を迎えつつあるのです。

新聞自体が部数を大きく減らしているのは、結局のところ、「事実を正確に伝える」という、私たちの社会から求められている機能・役割を新聞が果たしてこなかったからであり、また、新聞に代わってネットが役割を果たすようになりつつあるからでしょう。

そのうえで、テレビもそのあとを追うのではないか、などと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (21)

  • 「夜討ち朝駆け」というと取材対象はそこそこの邸宅に住む政治家か大企業の経営者かと思っていたのですが、それが一般の国民に及んでいるとは驚きです。
    本文で紹介しているような老人が若い記者にご高説を垂れた成果なのでしょうか?

  • 夜討ち、朝駆けも新聞記者が取材するための手段の一つであり、それ以上の取材の手段があれば(あるいは、それが有効でなければ)それに拘る必要はないのでは。
    蛇足ですが、新聞記者は取材で事実を聞くのではなく、自分が聞きたいことを聞こうとしているのではないでしょうか。そのための手段として、夜討ち、朝駆けをしているのではないでしょうか。

    • もしかして、この元新聞記者は、「最近の若い新聞記者は、夜討ち、朝駆けもしないで」と言いたいのではないでしょうか。

  • メディア王ルパートマードックのジョーク
    「いつかニューヨーク・タイムズを買収して、公益のために翌日廃刊にしてみたいものだ」

    • イーロン・マスク氏の買収意図はツイッターを消滅させることでした。
      彼はオールドメディアの敵としてひどく嫌われています。
      オールドメディアはネットと和解できるでしょうか。無理ですよね、きっと。
      彼らは自らが消滅することを知っていてその未来に抗っている。
      ですから今年の米大統領選において人類文明はある種の帰還不能点を超えると当方は予測しています。

  • >朝日新聞が東海と北海道で夕刊発行をやめる理由

    ローカルな販売店は基本的に多紙扱いで、既存の配送網に相乗りしてこその生き残り。
    明日からの配送費は朝日分で単独負担ね。「ハイそうだね!」では済まないのでしょう。

  •  思い違い(思い上がり)が多々。

     まず別に記者が闇を暴く必要はありません。警察や公安、内部告発等により暴かれたものを伝えてくれれば十分です。大昔、警察権が社会をカバーできていない時代ならまだ、取材によってしか出なかった話もあるのかもしれませんが、既にもうそんな時代ではありません。そもそも左翼性向とでも言うか、「警察や政府は市民に隠れて悪事を働いていて信用ならぬ、我々が正すのだ」という旧時代的な価値観が残りすぎ且つ見えすぎです。カビ臭いです。
     また、ネットからの情報は嗜好で選別されてしまい新聞(やTV)は総合的で様々な情報が得られる、とのことですが。これは単にネットがそう進歩しただけのことであり、新聞(TV)の優位性ではありません。雑多な情報が邪魔で、欲しい情報だけよこせよ、とユーザは思っていた(いる)のです。ではもしこれが過剰に進みすぎ、問題を感じるようになったら?新聞復権!!!……とは残念ながら絶対になりません。記事をランダマイズしたり、広く知られるべき情報だというような評価を加味したニュースフィードが行われるだけです。
     つーか元々ヤフートップページとかニュースポータルがとっくにそうですよね……ネットはツールでしかありません。ネットを使って新聞と同形式のサービスをしても勝てていないのが証拠でしょう。

     メディア関連でついで。新聞ではなく文春さんですが。
     中村悠一さんへの文春砲はお見事でしたね。記者様の実力、専門性とやらをこれでもかと見せつけていただきました。元々無い信用をさらに落として結構な敵を作ったと思いますよ。「素人が何を言う、あんなのはわざとで、実際にこうやって話題になって記事が売れたのだ!」とか言いそうですが、その記事は売れても信用を切り売りしただけで、長い目で見たら会社(業界)潰れるでしょ。

  • 2024年話題の新作映画
     『生成 AI は新聞記者の夢を見るか』
    お前はクビだ(You'v got fired)ドナルド・トランプが興業成功を応援してくれますよ。

  • 間違った正義感で動く人は厄介であり迷惑で害悪であります。ズレた大砲、逆向きのCIWSのようなもんです。
    ところで元旦の地震をリアルタイムでテレビで見ていましたが被災地に多大な迷惑をかけながら、これが夜討ち朝駆けの取材?と思うほどの碌な情報を流れてこず、朝からのんびり取材したのかなと思うような報道でした。
    夜討ち朝駆けと威勢の良い社会正義を看板にしながらタクシー会社がなければ取材も何も出来ないのが実体のようです。むしろタクシーを利用する為の言い訳が夜討ち朝駆けなのではないかと思うほどです。

  • 「こいつは何を言っているんだ」って怒りがわく記事でしたね。

    本当に政治の腐敗や企業の不正を暴くことを生業として、社会の木鐸を自負するのであれば、自民党だけではなく、公明、民主、共産、れいわなども舌鋒鋭く批判してほしいし、マツダやトヨタだけじゃなく、太陽光パネル業者や、コウロギ粉末を開発した企業も取材してほしいし、やっていることがホント、ご都合主義で片(方)手落ち、アンバランスと言わざるを得ない事ばかりだと思う。

    正直、そんな記事はもうお腹いっぱいだし、読んでて気持ち悪い。少なくともそんな情報を私は買おうと思わない。現状分析も反省もできない会社(業界)はもう廃れてなくなればよいと思う。

    • > 「こいつは何を言っているんだ」って怒りがわく記事でしたね。
      読み返して思いました。ここでの「記事」は会計士様の記事ではなく、文中にある、元読売新聞記者の記事の事です。失礼しました。

  • 小説「クライマーズ・ハイ」の中で、航空機事故の原因の裏をとるため、夜間、事故調査団の宿舎に入り込み、調査団長に原因を問う描写がありました。
    出版当時、「これはフィクションだから有り得ない」「ウチの社の取材姿勢とは違う」「小説といえどもデタラメ書くな」という意見は聞こえず、
    少なくともそのような意見が読者や視聴者の記憶に残るような新聞テレビ等の報道・論説は無かったという認識です。
    出版当時はそのような潜り込み"取材"は当該業界内で容認されていたのでしょう。そして、容認していた世代も、まだ発言力が残っていそうです。

    • このクライマーズ・ハイという小説、
      ラストで新聞報道の在り方に憤りを感じていた登場人物が
      新聞業界に入って中から変えていくと決意して感動的に〆ているのが
      もうつける薬もないと脱力しました。

  • 新聞記者ごときに命令されたり説教される筋合いではない。
    驕慢と横柄こそ新聞記者の罪。
    月に3件新規解約。
    新聞やれめれば景気がよくなる。
    女房笑った三年ぶり(効果には個人差があります)

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