「議員報酬を引き下げ、定数も削減すべし」。こうした主張を見かけることが多いですが、これは正しいのでしょうか。もちろん、議員のなかには明らかに税金の無駄遣いと思われるような者もいますし、地方議会などでは「居眠り議員」などが問題になることもありますが、少なくとも国会議員に関しては、あまり待遇を悪くしたりすべきではありません。それに、議院内閣制をとる国の中で、日本の人口当たり国会議員数は少ないのが現状です。削減すべきは国会議員ではなく官僚の方ではないでしょうか。
目次
立民で岡田幹事長に「この貧乏神!」
ちょっと面白い記事がありました。
「この貧乏神!」立憲独自の“ボーナス寄付”に党内から不満噴出 首相ら給与アップ法案反対の余波
―――2023年11月14日 16:51付 FNNプライムオンライン
FNNによると、国会で審議中の特別職の国家公務員の給与を引き上げる給与法改正案に関し、立憲民主党が7日、法案が成立した場合に支給される12月の議員のボーナスの増額分を集めて寄付する方針を決定したところ、党内で猛反発を受けているというのです。
岡田克也幹事長が14日、衆院本会議前の代議士会で、立憲民主党が「増額に反対と言った以上、そのおカネを受け取るわけにはいかない」などとして寄付への理解を求めたところ、賛同する言葉も上がる一方で、「後方に陣取ったあるベテラン議員」が「岡田氏には聞こえないくらいの声でヤジを飛ばした」というのです。
「さらに『やるなら全党でやれよ、この貧乏神』とヤジはエスカレートしたが、岡田氏はじめ幹部に聞こえることはなく、スピーチが終わると岡田氏の後ろに控えた幹部はばらばらの拍手を送った」。
政府・与党に給与増額の見送りを求めた以上、岡田氏のいう「ボーナス寄付」は仕方がない話なのかもしれませんが、これに対して「貧乏神」のヤジはなかなかに強烈です。そのヤジを飛ばした方にとっては、議員の生活がよっぽど大事なのかもしれませんが…。
「議員報酬が高すぎる」「議員定数削減を」
ところで、「国会議員は多すぎる」、「国会議員の給料は高すぎる」、といった愚痴を、よく耳にしますし、X(旧ツイッター)を含めたSNSなどでも、そういうポストが散見されます。
行政改革という話題になると、「議員の数を半分にすべきだ」、「議員歳費を半減すべきだ」、といった発言も出てきます。それも、必ずしも「左派」的な人から出てくるものではありません。
たとえば「議員報酬の削減」を提唱する政党、政治団体もいくつかあります。国政政党である日本維新の会の事例でいえば、こんな具合です。
身を切る改革を含む政治改革
- 議員の定数を削減し、議員報酬も削減する。
- 領収書のいらない第二の報酬と言われている国会議員一人あたり月額100万円の文書通信交通滞在費の使途を公開する。
- 企業団体献金を禁止し、繰り返される政治と金に纏わる疑惑の元を絶ち政治に対する国民の信頼を取り戻す。
- 議会の古い慣習を改め、政策論争の場としての議会を実現する。
- いたずらな日程闘争や反対のための反対を排除し、議員のための議会ではなく真に国民のための議会となるよう議会運営を抜本的に改革する。
(【出所】日本維新の会ウェブサイト『議員が身を切る改革』)
…。
これらについて、どう考えるべきでしょうか。
腐敗利権の源泉は議員でなく官僚
結論からいえば、ナンセンスです。とりわけ日本維新の会が唱える「議員の定数を削減し、議員報酬も削減する」は、明らかに間違った主張です。
もちろん、「いたずらな日程闘争や反対のための反対を排除し、議員のための議会ではなく真に国民のための議会となるよう議会運営を抜本的に改革する」に関しては「その通り!」と同意する人は多いと思いますし、地方議会のなかには居眠り議員がいるなど、正直、地方議員の数も多すぎるかもしれません。
ただ、少なくとも国政に関していえば、日本は議院内閣制を取っている以上、国会議員は民主主義の基本です。そんな日本にとって、議員報酬の引き下げや議員定数の削減は、議員のパワーを弱くするものであるため、現在の日本にとって適切ではありません。
そもそも論ですが、国会議員は日本国民の代表者であり、民主主義を健全に機能させるための手段です。その国会議員の人数を削減し、国会議員に対する待遇を悪くすることは、むしろ民主主義の後退につながるからです。
以前の『【総論】崩壊始まる官僚・メディア・野党「腐敗利権」』でも「総論」的に取りまとめたとおり、日本は本来、自由・民主主義国であるはずですが、その「自由・民主主義」の手続から逸脱して、不当に大きな権力、社会的影響力を握る勢力の代表例が、官僚、オールドメディア、特定野党です。
社会のネット化が進展して、一番困る人たちは新聞・テレビを中心とするオールドメディア産業関係者であることは間違いありませんが、それだけではありません。官僚・役人や野党議員なども、かなりの割を食うことが予想されます。いったいどういうロジックでしょうか。ここで考えておきたいのが「腐敗トライアングル」という重要な論点です。腐敗トライアングル昨日の『騙せなくなる日本:「自称徴用工」年内妥結は困難に?』では、自称元徴用工問題に見せかけて、当ウェブサイトなりのちょっとした「問題意識」を展開しました。それが... 【総論】崩壊始まる官僚・メディア・野党「腐敗利権」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
とりわけ官僚の腐敗は深刻です。
財務省は霞が関の「ドン」のような存在ですが、その財務省が(旧大蔵省時代も含めて)この30年以上にわたってやってきたことは、日本経済の破壊活動そのものです。バブル崩壊の原因を作った総量規制、経済成長を抑制する消費増税など、大蔵省・財務省の罪は非常に大きかったからです。
ただ、いくら国のサイフの入口(国税庁)と出口(主計局)を一手に支配しているからと言っても、大蔵省・財務省「だけ」が日本経済の低成長をもたらした原因と考えるのは、ちょっと無理があります。やはり、「協力者」がいたと考えるべきでしょう。
メディアと特定野党の責任も大きい
具体的には、『財務官僚のウソをそのまま垂れ流してきた新聞業界の罪』などでも指摘した、新聞、テレビを中心とするオールドメディア勢力でしょう。
また、国会議員のなかにも特定野党の議員のように、「国会議員でいること」自体が自己目的化した人たちもいますが、そうした人たちに議席を与えてきたのも、オールドメディアが「報道しない自由」を行使し、特定野党の行状をきちんと報じていないという実情が強いでしょう。
国民から選挙で選ばれたわけでもないくせに、やたらと強い権限を握る官僚機構。
その官僚機構が記者クラブを通じて垂れ流す「大本営発表」を無批判に報じるオールドメディア。
そのオールドメディアの「報道しない自由」で一定の議席を確保する特定野党。
まさに腐敗の利権構造そのものです。
この点、現在の自民党が無条件に素晴らしい政党だと述べるつもりはありません。
明らかに財務省の代理人のような議員もいますし、利権に塗れた議員もいます。収賄で逮捕される議員もいれば、脱税する副大臣もいます。「やらない方がマシ」の経済対策を打ち出してドヤ顔をする、そんな問題だらけの政党です。
諸外国と比べ日本の衆院定数は少なすぎる
ただ、少なくとも自民党は、過去8回の大型国政選挙で連続して国民からの信を受けた政党であるという事実もまた忘れてはなりません。
そして、国民に選ばれてもいない官僚が、国民に選ばれた国会議員よりも大きな権力を持つことは許されてはならないのであり、議員側が官僚よりも大きな権限を持つために必要なのは、やはりマンパワーではないでしょうか。
正直、衆議院議員は、もっとたくさんいても良いでしょう。
たとえば、2022年における日本の人口は1億2550万人、衆院の定数は465議席ですので、議員あたりの人口は269,897人です。しかし、G7諸国で人口と下院(日本の場合は衆院)の定数を比較すると、大統領制の米国を別とすれば、日本以外は議員1人あたりの人口が10万人前後です(図表)。
図表 下院の議員定数と人口
国 | 人口(2022年) | 定数 | 議員あたり人口 |
日本 | 1億2550万人 | 465 | 269,897 |
英国 | 6728万人 | 650 | 103,509 |
ドイツ | 8341万人 | 598 | 139,480 |
フランス | 6453万人 | 577 | 111,839 |
イタリア | 5924万人 | 400 | 148,100 |
カナダ | 3816万人 | 282 | 135,301 |
米国 | 3億3700万人 | 435 | 774,708 |
(【出所】人口については総務省統計局、定数については著者調べ。ドイツは超過議席を含めない法定定数ベース。カナダは最低議席数)
興味深いことに、米国やフランスは大統領に強い権限がある国ですが、それ以外の諸国はいずれも議院内閣制に準じた政治システムを採用しており、これで見ると日本の衆議院の定数はむしろ少なすぎることがわかります。議員が各委員会を兼務するなど、正直、仕事が多すぎるのです。
むしろ議員あたり人口を英国並みに引き下げるならば、衆議院議員数の定数を1000人程度に引き上げても良いのではないでしょうか(そのかわり参議院議員は人数と権限を大幅に減らし、「都道府県知事が兼務する」、などでも良いかもしれません)。
また、議員報酬が私たち一般国民の感覚からすれば高いことは間違いありませんが、正直、優秀な実業家と比べれば、決して高いとは言い切れませんし、また、ちゃんと仕事をする国会議員に対しては、活動費や適正な報酬は必要です。
給料を大幅に下げて、「国会議員はやりがいがある仕事です」、などといわれて優秀な人材が政治の門を叩くと思うのでしょうか。優秀な人が国会議員にならなければ、結局は官僚の力が強くなるだけの話です。
冷静な議論を!
いずれにせよ、現在、インフレで私たち一般国民の生活が苦しくなるなか、岸田文雄首相が率いる現在の自民党・宏池会政権が必要な減税などをしないことに対し、心ある保守層からも批判が高まっているなかではありますが、それでも国の政策は是々非々で判断すべきものです。
また、制度改革するなら国会議員ではなく官僚制度の方でしょう。
たとえば財務官僚らの評価は、「増税を達成したかどうか」ではなく、「GDPを最大化できたかどうか」で判断すべきであり、GDPがマイナス成長になれば財務官僚らのボーナスも減らすべきではないかと思います(これについては怪しい自称会計士がこんなポストを投稿しています)。
いずれにせよ、政治を論じるならば、事実関係を調べたうえで、冷静に考察を加えることが望ましいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
View Comments (16)
まー国会議員の定数2倍にしても、議員報酬を今の3割くらいに下げたら別に良さそうデスシネ
公設秘書給与等あるから単純減とはイカンやろけど、報酬下げて頭数増やす方が選挙民も選択肢増えてエエかもしれんし
とりあえず衆院は小選挙区で当選者数を2人にするだけでも"死に票"は減るやろし
知らんけど
補足
小選挙区で←小選挙区の区割りそのままで
議員の数より質の向上をはかるべきである。比例で当選した議員の中に、選挙区で落選した者が多数当選してる。本来であれば党の総理大臣経験者等が選挙に出られないようなときに票を割り当てるのは妥当かもしれない。
公明党のように、全国の党員・信者がいるので、自民党と票の割り振りをしている。自分の党だけでやるのはいいが他の党とやるのは、インチキもはなはだしいと思う。
立憲も同じで共産党と共闘するのはおかしい。
「質の向上をはかるべきである」
と言われたところで、国会議員の質は所詮、国民の質と比例しているもんだと思いますけど。
有権者が自分と同レベルの思考と主張の相手に投票し、当選するから国会にいるのでは?
国会議員の質の向上には、有権者の質の向上が前提にあると思いますけど。
議員定数の引き上げより、まずは、収入にカウントされずその結果納税義務もない、旧文書交通費(今は調査研究広報滞在費?というらしい)の是正が先だと思うのですが…。「国会議員の処遇に関することは、議員自らが決めるべき」との美名のもとに、いわば泥棒に取締ルールを決めさせているのは、無理があると思います。
それとね、国民に選ばれているとはいえ、「ここに来ると、女の子はみんな人魚になるんだよ」とかのたまって、カラオケ店で事務所アルバイトの女の子の服をまさぐり脱がそうとする奴もいますからね。その議論には乗りにくいかな。
議員定数を減らせば新規参入が困難になるだけ
議員定数拡大に賛成です
原資は秘書の削減、文書交通費の削減で
政治評論家の福岡政行先生は、300人ぐらいでいいのではないか? と言ってました。同じ議員内閣制の英国やカナダに比較すれば、日本の議員数は少ない気がしないでもないですが。金の無駄使いのきがします。
それよりも日本は地方議員の数が多すぎない? 大前研一氏が再三指摘してますが,人口規模が同じくらいのアメリカのヒューストンと名古屋市が16人と70人。誰かこれ何とかしてくれよ。これを
議員報酬が多いのか少ないのかは私にはわかりませんが、落選すると失業者になってしまう人が殆どだと思いますので、リスクに見合う報酬は必要だと思います。
議員定数に関しては、数より質だと思いますが、企業に労務管理やグループウェアのシステムがあるように、議員の活動状況や経費精算などネット化により効率化を図るとともに、誰でも閲覧可能したり意見を書き込めるようなシステムを導入した方が良いのではないでしょうか?
オレが思うに国会議員を減らして(半分に)報酬を倍(或いは3倍)にすればよい。比例区を廃止して復活、並立立候補はやめる。経費は透明化させ、官僚の罷免権利を強化する。議員は成果制にして成果を上げた議員は昇給する。しかし議員になるには一般教養、経済知識、英語能力を課し改選ごとに試験する(或いは立候補時)。ズルには重罰を課し不正が発覚した場合は加重罰とする。後援会などにも清廉を求める。利権は認めない。ま、思い付くままに書き連ねてみた。ボンクラ議員はこれぐらい課さなきゃ駄目だ。あ、、思い出した。国会での居眠りは歳費返上な。辞職でいい。退職金なしな!これぐらいは普通の会社ではやるでしょ。
上位の公務員給与が上がれば、その傾向は末端の地方公務員・団体職員にまで波及するのです。
労働者の利益に反する主張が良くできたものです・・。連合には公務員が居ないのでしょうか?
国会議員候補資格試験制度を設ける。
試験科目は、
・中学卒業程度の筆記試験。
・一つの専門分野の試験。
・小論文。
合格で、立候補資格を付与。
実際に立候補するかしないかは、別。
これは、定年退職者が暇に任せて、試験勉強すれば結構合格者が多数出るかも。
しかし、実際の立候補となると、なかなか難しい。
地盤看板小判(鞄)が必要だから。
所で、地元の地方議会選挙で、東大卒が立候補すると、初立候補でどこの誰かも分からなくても、上位当選。
一応、知能が高いと思われているからだろう。
やはり、皆さん、議員は頭が良くあって欲しいと思っているのかもしれない。
所で、上記の試験、東大卒が合格できるかどうか疑問もある。
TVのクイズ番組なんか見ていると、小中学校レベルの問題でも東大卒でも出来ないものが結構いる。
「笑うカドには福来る」のカドの漢字が分からない、東大卒で元経産省官僚にして、現在どこかの大学の教授をやっている人物がいた。経済評論家でコメンテーターもやっていたことがある人物。
やはり、国会議員には、一定以上の知能は必要でしょう。
所で、エッフェル塔議員、東大卒らしいが、合格するだろうか?
議員定数を増やすにしても、今抱えている問題を何とかする方法を考えてからにしないと、ということで一つの案として、上の資格試験のことを書いてみました。
基礎能力の無い人間を無暗に増やしても、国の政治が良くなるとは思えませんので。
私は「議員数を半分」「報酬を倍以上」がいいと思ってます。
議員さんも生活は大変だと思います。なんせ、選挙に落ちれば無職ですからね。
半面、地域によっては候補者の擁立もままならないほど選択肢が狭まっていると聞きます。それなら無理して候補を立てなくても数を減らせばいいように思います。また、議員の数だけ『利権』が生まれるとも思っているので、利権を減らすためにも議員が少なければいいのかな、と短絡的に考えます。