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「専門性の軽視」は日本の新聞が衰退した原因のひとつ

「日本の新聞には、『事実を正確に伝える力』が決定的に欠けている」。これは、当ウェブサイトでこれまで繰り返し指摘してきた論点のひとつですが、そのさらに背後にあるのは、専門知識の不足ないし軽視です。以前、某大手新聞が「野生のカラスを生で食う」という記事を配信して専門家らから社会的批判を受けるという事件があったのですが、今度は別の新聞で、「専門家は市民感覚を持つべきだ」、などとする趣旨の記事が掲載され、ツイッターなどで「炎上」しているようです。

日本の新聞に欠如する「事実を正確に伝える力」

新聞、テレビを中心とするオールドメディアが「権威」を持っていた時代は、ほぼ終焉を迎えつつあります。

インターネットが出現する以前であれば、不特定多数の人々に向け、日常的に情報を発信することができるのは、それこそ新聞社やテレビ局に限られていましたし、しかも「全国に向けて」情報発信できるのは、全国紙や在京キー局などに限られていたのです。

しかし、インターネット環境が出現し、こうした状況は大きく変わりました。

独立系のウェブ評論サイト、ブログサイト、SNSアウンとなどが発信する情報が、日々、全国各地の人々に届けられるようになったからです。そうなると結局、「不特定多数の人々に対する情報発信」自体が、テレビ局の独占業務ではなくなったのです。

ただ、日本の場合は、事情はそれだけではありません。『「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如』などでも指摘してきたとおり、そもそも日本のオールドメディアには、「事実を正確に伝える能力」が、著しく不足しているのです。

日本の新聞の部数が急激に減っており、業界全体としても10年前後で紙媒体の新聞の多くは廃刊に追い込まれると考えられます。ただ、日本の新聞業界の苦境の原因は、日本の新聞に「批判精神が欠如している」ことである、などと主張するツイートがありました。正直、この見解には賛同できません。日本の新聞に決定的に欠如しているのは「批判精神」などではなく、「事実を正確に伝える能力」だからです。新聞部数の凋落新聞の「寿命」「新聞部数の凋落が止まらない」――。こんな話を、当ウェブサイトではずいぶんと繰り返してきました。一...
「事実を正確に伝える力」、日本の新聞に決定的に欠如 - 新宿会計士の政治経済評論

専門知識の大切さ

そして、この「事実を正確に伝える力」の欠如の原因を探っていくと、どうもその背後にあるのは、専門知識の不足ないし軽視ではないでしょうか。

専門知識というものは、「私たち人間の直観に反することを、頭で理解する」ためには絶対に必要なものです。

たとえば、「特殊相対性理論」と呼ばれるものがあります。

これは、「物質は光の速度を超えることができない」とする物理学の原理のひとつであり、また、「光速度はあらゆる慣性系から見て常に一定である」、という理論です。

よくSF小説などで、数千光年から数万光年離れた星に数日で到達し、そこからまた地球に戻ってくる、といったシーンが出てきますが、これは特殊相対性理論に基づけば「あり得ない」話です(少なくとも現代の科学では、ですが)。

また、光の速さ近くにまで加速すれば、その人が所属している「慣性系」が変わり、元にいた「慣性系」とは時間の進み方が変化します。このため、地球から光速近くにまで加速して数ヵ月の旅をして地球に戻ってくると、地球では数年、あるいは数十年という年が経過している、というのです(いわゆる「双子のパラドックス」)。

こうした「物質は光の速度以上には加速できない」、「光の速度に近づけば時間の進み方が変わる」などとする言説を聞くと、私たち一般人は、「そんなバカな!」などと思うかもしれません。

しかし、こうした相対性理論が正しいことは、現代では常識です。

実際に、音速近くで移動している航空機に正確な原子時計を搭載してみると、その進み方がごくわずかに遅れることがわかっていますし、崩壊までの時間が短いはずのミュー粒子が宇宙から飛来して地上に到達している事実も、光速近くで移動する粒子の寿命が相対論効果で伸びていることの証拠でもあります。

また、相対性理論全体に話を拡張していくと、たとえば人工衛星を利用した全地球測位システム(GPS)は、電波を発するGPS衛星の高度と地上では地球の重力の影響で時間の進み方が異なっているのですが、そのズレが、相対性理論のとおりなのです。

したがって、「相対性理論が正しい証拠を出せ」といわれれば、カーナビやスマートフォンがそれらの「動かぬ証拠」、というわけです。

とりあえず現代において、さまざまな事象を観測する限りにおいて、相対性理論が間違っている証拠は発見されていません。科学的知見に基づくならば、相対性理論は「正しい」ものとして取り扱わざるを得ないのです。

このあたり、「相対性理論なんて私たち一般人の感覚からすれば理解できない」、「だから相対性理論なんて間違っている」、などと言い出したところで、なんら生産的ではありませんし、なんら意味はありません。

ましてや、「専門家が相対性理論という小難しい知識を振りかざし、私たち一般市民をけむに巻いている」、「専門家はもう少し市民感覚を持ち、相対性理論などという小難しい理論を主張するのをやめるべきだ」、などと苦情を申し立てたところで、「いったい何を言っているのだ」、と思われるのが関の山です。

「科学を振りかざすな」論のおかしさ

ただ、相対性理論を否定したがっているのは、ごく一部の「トンデモ」系の人たちに限られていますが、テーマが安全保障であったり、原発であったりすると、話が変わってくるようです。

たとえば、福島第一原発から海洋放出される予定のALPS処理水に関しては、その安全性は科学的見地から見て安全性には問題がないとされていますが、これに対しては「科学を振りかざすな」などと苦情を申し立てる人が出現するようです(『朝日「科学振りかざすな」 SNSで敗北する人たち』等参照)。

個人的な事情で恐縮ですが、先週はどうも多忙で(とくに金曜日から土曜日にかけて多忙過ぎました)、ウェブサイトの更新があまりできていなかったのですが、こうしている間にも「ネタ」は溜まり続けてしまいます。そこで、本稿では先週から溜まった、いくつか気になった記事について、まとめて紹介しておきたいと思います。全体を貫くテーマは「インターネットで賢くなった一般人、そして時代に取り残されるオールドメディア」、といったところでしょうか。科学vsオカルト個人的な事情で恐縮ですが、先週は業務が大変に忙しく、せっ...
朝日「科学振りかざすな」 SNSで敗北する人たち - 新宿会計士の政治経済評論

こうした非科学的な態度は、正直、困りものです。

しかも、こうした非科学的なことを発信しているのが大手メディアだともなれば、社会的な悪影響が懸念されます。ひと昔前であれば、大手メディアに誤った情報が掲載された場合、専門家らは大変に困惑せざるを得なかったのではないでしょうか。訂正させる手段が極めて限定的だったからです。

日本には新聞が誤報、ないし捏造報道を行った場合でも、それ等の訂正報道を強制する手段が限られていますので、結局は、新聞社の判断と良識に委ねるしかありません。

慰安婦捏造報道が30年にわたって放置されたのも、結局のところ、この問題が捏造であると気付いた勇気ある人たちの指摘に新聞社が耳を貸さなかったからでしょう。

「野生のカラスの生肉を食す」という非常識な記事

ただ、社会がインターネット化して良かったと思えるのは、やはり、専門知識の否定に対し、専門家、あるいは一般人が敢然と立ち向かうようになったことです。

その典型的な事例は、今年3月に『某新聞「カラスの生食」記事に対し厚労省が異例の警告』でも紹介した大手新聞による非常識な記事と、これに対する厚生労働省による反論ツイートでしょう。

厚労省の公式ツイッター・アカウントが8日夕方、唐突に、シカ、イノシシ、カモに加えて「カラス」を名指ししたうえで、「ジビエはしっかり加熱しよう」とする警告ツイートを出しました。野生の鳥獣はただでさえウイルスや寄生虫などのリスクがあり、それらを生で食すというのは、極めて危険な行為だからです。ではなぜ、厚労省がこんなツイートを唐突に出したのでしょうか。そのカギはおそらく、某新聞が7日に掲載した「カラスの生食」に関する記事にあると思われます。厚労省がいきなり不思議なツイートを発信厚生労働省の公式ツイ...
某新聞「カラスの生食」記事に対し厚労省が異例の警告 - 新宿会計士の政治経済評論

これは、大手新聞社の「記者が野生のカラスの刺身を食べてみた」、などとする記事を掲載した直後、厚生労働省がシカ、イノシシ、カモとならんで、わざわざ「#カラス」というハッシュタグをつけてツイートを配信した、とする話題です。

厚生労働省は、「生または加熱不十分な野生のシカ肉やイノシシ肉を食べると、E型肝炎ウイルス、腸管出血性大腸菌や寄生虫による食中毒のリスクがあります」、などと強く警告しているのですが、これは衛生管理上、当たり前の話です。

人間の手により衛生管理されている家畜と比べると、いわゆるジビエ(役所言葉でいう「野生鳥獣肉」)は、食品として提供されるまでのプロセスがまったく異なります。野生のカラスの生肉など、衛生管理的には「あり得ない」話です。

それなのに、某大手新聞社は、あたかもそれを推奨または社会的にオーソライズするかの非常識な記事を出したわけですが、正直、この事件から垣間見えるのは、「新聞記者」という人たちには、専門性が著しく欠如している、という問題点ではないでしょうか。

「安保専門家は専門知識だけでなく市民感覚を持て」

こうしたなか、本稿で是非とも紹介しておきたいのが、こんな記事です。

市民感覚なき安保専門家が対話を閉ざす Re:で考える戦争と平和

―――2023年6月29日 11時30分付 朝日新聞デジタル日本語版より

これは、朝日新聞に5月10日付で掲載された国際政治学者に対するインタビュー記事のなかに、こんな記述があったことに関連するものです。

安全保障は、人びとの暮らしと直結する問題でありながら、得られる情報量が市民に比べて圧倒的に多い専門家による『専門知』の暴走が起きやすい分野である」。

そのうえでこの「国際政治学者」の方は、「メディアには、専門家が見落としがちな世論の懸念や不安をすくいとり、問題提起をする市民目線の報道がもっとほしい」、などと要望した、ということです。

有料読者限定記事ですが、無料版でも内容としてはもう少し読み込むことができます。

ただ、本稿で引用しておきたいのは、記事の中身そのものではありません。ツイッター上での反応です。この記事を引用するかたちで批判しているツイートのなかでも、とくに多くの「いいね」を獲得しているものを見ていると、それらには新聞社による専門性の軽視を戒めるものが多く見られます。

たとえば、こんな具合です。

専門性の欠如という根深い問題点

これらのなかには少々過激な意見も混じっていますが、「専門性を軽視すること」の危険性に関しては、まったく同意せざるを得ません。

福島原発の処理水を「汚染水」と呼びつつ、本来、科学的見地からはまったく問題がないはずの「汚染水(?)の海洋放出」に対し、「科学を振りかざすな」などとイチャモンをつける。

ただでさえ危険性が高い野生のカラスの肉を、よりにもよって生で食べてみた体験談を記事にする。

税収が過去最大級であり、資金循環構造的に財政再建の必要性も全くないにもかかわらず、経済と会計の素人である財務官僚の「国の借金」「安定財源」などのプロパガンダを繰り返す。

これらの問題において、根底で共通しているのは、結局のところは専門性の欠如です。

先ほどの記事に出て来る「市民感覚」が何を意味するのかは不明ですが、たとえばそれが「野生のカラスを生で食べたい」という「市民感覚」などを意味しているのであれば、「あぁ、そうですね」と肯定することでは断じてありません。「野生のカラスを生で食べたら危ないよ」、と、毅然と指摘し続けることにあります。

山手線の駅名を冠した怪しげな自称会計士の場合も「著名ジャーナリスト」ではありませんが、金融規制の専門家であり、そうした専門家の立場から、「間違っている者は間違っている」と主張し続ける以外に方法はありません。

「専門家は専門知識よりも市民感覚に配慮せよ」とする主張に従うなら、「日韓関係改善」を望む外務省関係者の「市民感覚」、「NHK利権の温存」を望む総務省関係者の「市民感覚」、「増税」を望む財務省関係者の「市民感覚」が尊重されなければならない、というメチャクチャな話になります。

いずれにせよ、日本の新聞が廃れていく本当の理由が、「インターネットの普及」ではなく、それ以前に「客観的で公正な情報を伝える能力」や専門性が著しく欠如していることにあるということは、おそらくは間違いないと考えておいて差し支えないでしょう。

新宿会計士:

View Comments (42)

  • 「専門的な科学的な知識」というものは、人間が知的に進歩してくると共に、「一般常識」に成って行くものです。
    今、普通に小中学校では、人類が発見してきた科学的な専門的な知識が教育として普通に伝授されています。
    それらの知識は、義務教育を修了した人間にとっては「一般常識」のはずです。

    残念ながら、今のマスコミ人は、義務教育すらちゃんと修了しているのか?と疑わせるようなことを平気で記事として書いたり発言したりしています。
    一応、最高学府の大学を卒業しているという学歴を誇っているはずなのですが。

    基本的に、科学技術で成り立っている現代社会では、専門知識というものは、専門家だけのものではなく、基本的に「一般常識」です。

    処理水の海洋放出についても、「自然界には、いつも常にどこにでも、人間や生物にリスクになるレベルではないが、放射能がある」ということは、ちょっと勉強すれば分かることです。
    海洋放水は、そのレベル以下にして流すのですから、自然界に普通にある放射能レベルということで安全値の範囲にある、ということです。

    放射能という言葉だけで大騒ぎするとすれば、大昔にお化けが本当に存在していると信じていた迷信と何ら変わりません。

    それでは、何のための教育なのでしょうか?
    国が多額のお金をかけて、国民皆教育をしているにも拘らず、こんな科学的に無知な人間が生まれ続けるというのは、一体どういうことなのでしょう?

      • マスゴミの問題は知能指数はあって、科学知識等、知ってるくせに(ほんとに理解できてないo勉強不足の可能性も有りますが論外なのでここでは考慮しない)
        無知な大衆を煽動するような、誤報に近い駄文を垂れ流し、かつ黙認されている状況そのものです。
        (韓国問題、税収過去最多の件、LGBT、環境利権、などなど)

        どう考えても国益にはならないんですが、個人やら会社やらで利権との癒着で金儲けするために、情報弱者に誤った情報を与えているようにしか見えません。

        人を騙してお金儲けると、詐欺になるんですが、大衆煽動しても言論の自由()ですからね。

        スパイ防止法早く制定して欲しいもんです。

  • 専門知識のある記者から先に辞めていき、補充しようにも、新たには入ってこないんでしょう。

    JAXAの記者会見で 「それは一般に失敗と言いま~す」 と言って、一躍有名になった共同通信の鎮目宰司記者は、科学部の記者だというから、どこの大学を出ているのかと思ったら、立教大学文学部史学科日本現代史専攻でしたからね。

    一昔前だったら、さすがにあり得ませんよ。今はもう、オールドメディアの科学記者を志望する理系の学生自体が、いないということでしょう。

  • んー、共産主義が“科学”なんだから、イデオロギーも“科学”なんですよ…?

  • >地球から光速近くにまで加速して数ヵ月の旅をして地球に戻ってくると、地球では数年、あるいは数十年という年が経過している

     はて、加速が関係する事象は特殊相対論では説明がつかない(一般相対論の領域)のではないのかなと思い調べてみたら必ずしもそういうわけではないようですね。

    http://irobutsu.a.la9.jp/PhysTips/massugutwin.html

    •  ふと思い出したこと

      ・「HIV感染者」と「エイズ患者」をきちんと区別する
      ・なにかの比率が50%から25%になった際、「25%減」ではなく「25ポイント減」と表現する
       (50が25になったときの減少率は50%ですよね)

      上記2点を最初に実践したテレビ番組は「ニュースステーション」だったと記憶しています。あの頃は「テレ朝やるじゃねーか」などと思っていたものです。

  • 毎度、ばかばかしいお話しを。
    ①記者:「専門性のある記事を書くとなったら、その分野での専門知識がいる。専門家に尋ねようにも、その分野の基本的知識がいる。いまさら、新しい分野のことを学習する時間はない。だから、専門性が嫌いである」

    ②記者:「読者は専門性など求めていない。自分の感情を肯定してくれる記事を求めているのだ」
    (感情なんて、全員が同じな訳ないのですが。となれば、読者一人一人に、それぞれの感情にあった記事を届ける必要があると思うのですが)
    これって、笑い話ですよね。

    • ふと思ったのですが、ここのような専門性のあるサイトを、新聞記事にした方が、新聞社にとっては、簡単ではないでしょうか。

      • 専門性について理解できていないか、自分の主張と反することが書かれていて、あまり手を出さないのではないでしょうか。一方、専門性と関係ない有名人のしょうもないSNSはよく記事にしているので、手抜きがあからさまですね。

        • 専門性のあるサイトか、専門性と関係のない有名人のSNSかは別にして、AIで探させて、それを記事にすれば、新聞社正社員は不要ではないでしょうか。(経営者は、人件費がういて喜ぶでしょう)

    • >②記者
      かつて、ゴシップ記事に対して卑しい人間性だと評価する名誉非日本人様を作中描写した作家がいましたが、
      その頃だって卑しい人間性なのは自分=世論・国民性を勝手に自認するのがマスゴミでしたよね。

  • 相対論を無視したSF小説もいくらでもあると思いますが、現代の物理学と矛盾しないことを目標にしたSF作品も多数あります。
    例えば、「ワープ」は光年単位の距離を人間にとって許容し得る時間で移動する手法としてよく使われています。

  • 新聞記者は不愉快な職業集団である。
    これが一般認識として社会に広まっているのは間違いないところです。
    嫌われる理由のひとつが「選民意識です」いったい新聞記者はどうしてあのような横柄な文体で記事を著し、選民意識そのままの行動をするのか。
    いわゆる共産主義思想の根底にあるものが選民意識であるのはよく知られているところで「インテリゲンチア、インターナショナル、コスモポリタン」は全部同源と考えるべきでしょう。このあたり思想構造や思想史などにお詳しい方(ただしミイラ取りお断り)の冷静簡潔な喝破(だらだら口数が多いのもお断り)を伺いたいところです。人間抑圧と攻撃性暴力性にも通じていますね。
    ホントウに新聞記者は嫌な連中です。

  • 今ではそのマスコミにも相手にされなくなった社民党ですが、先日副党首が、「福島のトリチウムは他のトリチウムとは違う」と言う主旨のツイートで炎上してました。
    かつてはマスコミと連んで非科学的な主張もしていましたが、見放された今も変わらずで正直イタイです。(立憲の未来の姿?)
    非科学的であることに根強いニーズがあるってことですかね。

    マスコミとの関わりも薄く、令和以降に生まれて議席を得ている新興政党にも科学を軽視する政党はあるようですから、そういうのはアレな人々の受け皿の一つとして一定数存続していくのかも知れません。

    新聞が紙を捨ててネット化した先には、超縮小均衡で看板だけは生き残る未来があるかもですね。カルト向けブログのような、一部の人々のお気持ちに沿う新聞。

    •  放射脳の中には「人工放射能と天然放射能」と真顔で抜かしてる運動家がいますね。
       「放射線」との区別が付いてないみたいです。

      • 放射線量、定性定量、閾値、臨界値、安全値、・・・・、科学は、きちんとした体系で出来ていて、それは、現代社会の中では、何かを判断するときの基本になっているのですが、ね。

        こういう基本的な考え方の素養も無い人間が、人前で話すというのは、自分の無知と知的怠惰をさらけ出していることになるのですが、世の中、こんな人間たちが大手を揮って表に出ていて、表では多数派になっているものだから、何時までも自分たちの「恥」に気が付かない。

        まるで、赤信号みんなで渡れば怖くない、と言わんばかりに、今日も皆で無知を曝け出しまくっていますね。

    • 元雑用係さま
      >先日副党首が、「福島のトリチウムは他のトリチウムとは違う」と言う主旨のツイートで炎上してました。
      もし、福島のトリチウムが他のと違うのなら、ノーベル賞ものの大発見になるのではないか。世界の科学者が押し寄せるでしょう。

        • 毎度、ばかばかしいお話しを。
          社民党:「さより、お前には社民党への愛がないのか」
          これって、笑い話ですよね。

        • こんな幻聴が聴こえた気がします。
           「うりに愛はないにか(きぃーい」

        • さゆり様へ
          >高校出ているのかな?
           副党首の学歴詐称疑惑が出てくるのではないでしょうか。

  • 新聞だけではなくテレビもはじめ
    全ての報道機関がひどい
    バカな文系しかいないから
    初歩的な同じような質問を何度もする

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