「日本国憲法は一言一句変えない」。「日本国憲法の無効を宣言し、大日本帝国憲法を復活させるべき」。極左も極右も、「現実を見ていない」という意味では、じつはまったく同じ存在なのかもしれません。そんな「現実を無視する人たち」に是非とも知っていただきたいのが、「鉄道工事理論」です。多数の利害関係者を調整しながら線路を改良するというのは、国を良い方向に作り変えるという点において、政治にもつながる考えだからです。そして、じつはサイレントマジョリティ「ネット現役世代」こそが、こうした考え方に理解を示しつつあるのかもしれません。
目次
護憲派集会、どこも70歳を超えているのだとか
先日の『護憲派集会の平均年齢は「どこも70歳超」=ツイート』では、「最近の護憲派の集会では、平均年齢が70歳を超えている」、などとするツイートを取り上げました。
ケンポーキュージョー信じる限界左翼はあと10年でほぼ消滅かとある学者の方のツイートによれば、現在の日本の「護憲派集会」に出てくる人たちの平均年齢は70歳を超えておりいるのだそうです。この方は、「若い人たちが憲法にも民主主義にも戦争の加害責任にも背を向けている」と指摘するのですが、護憲派を「ケンポーキュージョー教の教徒」と位置付けるならば、これはその宗教が「信者の獲得」というビジネスにおいて、大変に大きな失敗をしている証拠です。ケンポーキュージョー教日本国憲法に出て来る戦争の考え方誰かが「『儲ける... 護憲派集会の平均年齢は「どこも70歳超」=ツイート - 新宿会計士の政治経済評論 |
いわゆる「ケンポーキュージョー教」、つまり「憲法第9条」というお題目さえ唱えておけば、戦争が発生しない、などと信奉する人たちが、いかに高齢化しているかという証拠、というわけです。
いちおう、改めて当ウェブサイトとしての日本国憲法に対する基本的な考え方を述べておくならば、やはり「変な条文が多数ある欠陥に満ちた憲法」だ、と指摘せざるを得ません。
「国の交戦権は、これを認めない」とする憲法第9条第2項がその典型例ですが、それだけではありません。
早急に改めなければならない条文はほかにもいくつもあり、たとえば「天皇の国事行為」について定めた第7条などは、天皇陛下の御公務に過度な負担を強いているため、同条に列挙された国事行為については見直すべきです(たとえば「政令」は御名御璽をいただかずとも、首相の署名で発効する、など)。
また、現金主義に基づく予算単年度主義については直ちに改め、会計検査院による検査だけでなく、国に連結決算と会計監査を義務付けるべきでしょう。日本国憲法が制定された当時と異なり、現代では会計基準もかなり発達していますし、少なくとも民間企業はどこも複式簿記に基づく経理が義務化されているからです。
「憲法死守」の異常性
そして、日本国憲法の条文がいろいろ「おかしい」理由は、「GHQが急ごしらえで作ったから」、というだけのものではありません。制定・施行されてからもうすぐ80年を迎えようとしているなかで、時代に合わない箇所があちこちに出て来ているからでもあります。
あるいは「サヨク」(?)の皆さんが大好きな「同性愛者同士の同性婚を可能にする」などの社会変革は、憲法改正を実現しなければ達成できません。憲法第24条で、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」、と明記されているからです。
「憲法守れ~」、などと主張しながら街を練り歩く迷惑なデモ隊を眺めていると、「原発やめろ~」、「沖縄米軍基地を撤収しろ~」、といったいつもの主張に加え、最近は「同性婚を認めろ~」、などというプラカードが出現しているようです。
強烈過ぎる自己矛盾です。なにせ、憲法を守ったら同性婚は実現できないのですから。
いずれにせよ、日本国憲法の文言を一言一句変えてはならない、などと主張する人たち、つまり「ケンポーキュージョー教」の教徒の思想が、いかに非科学的で、いかに矛盾だらけで、いかに浮世離れしているかは、この「憲法守れ」デモを眺めているだけでもよくわかります。
中核派の集会に出現した「フレッシュな(?)若い世代」
さて、「現実を見ていない人たち」という議論が出たついでに、(実名を出すことは控えますが)こんな趣旨のツイートを発見したので、紹介しておきましょう(※ただし、ツイート自体は意味を変えない範囲で部分的に変更を加えています)。
「本日は、中核派の集まりにきています。フレッシュな若い世代の方もいらしゃって『私は学生運動のときはまだ赤ちゃんだったんですよ〜』とか『バブルのときはまだ大学生でした〜』なんていう方も結構いてジェネレーションキャップというものを感じました!ネトウヨと違って世代交代が進んでいます」。
「中核派の集まり」、というのは、また強烈なパワーワードです。単なる「ネタアカウント」なのか、それとも本気でそう述べているのかはわかりません。
ただ、この方が「フレッシュな若い世代」の例として挙げているうち、「学生運動のときに赤ちゃんだった」という事例に関しては、学生運動のなかでもとくに「安田講堂事件」があった1969年に新生児だった人は、現在、53歳前後です。
また、「バブルのときはまだ大学生だった」という事例に関しては、いわゆるバブル景気の最中を1989年から90年頃と仮置きすると、その当時大学生だった人たちは、やはり50歳を超えているはずです。つまり、「中核派の集まり」(?)では、50歳代が「フレッシュな若い世代」とみなされているのだそうです。
逆にいえば、世の中の本当の若い人たちは、その手の運動からは距離を置いている、ということかもしれません。
極論が行き過ぎれば…「現実無視」は極右も同じ
ただし、「浮世離れしている」、「現実を無視している」という意味では、一部の極右勢力も同じかもしれません。
(誰とは言いませんが)某自称保守論客を中心に、「日本国憲法など破棄せよ」、「直ちに大日本帝国憲法の復活を宣言せよ」、などとする主張も見られるのですが、これなど「護憲派」以上に浮世離れしている発想といえるかもしれません。
「大日本帝国憲法の復活を宣言せよ」、とありますが、果たしてそれは、いったい誰が何の権限に基づいて宣言するのでしょう。時の首相でしょうか?天皇陛下でしょうか?
このように指摘すると、「首相や天皇陛下ではなく、国会議員が多数集まって層宣言すれば良い」、などと反論する人もいるかもしれませんが、それならば衆参両院の国会議員が3分の2以上賛成して改憲発議をし、日本国民の過半数の賛同を得れば、わざわざ「憲法破棄」などする必要ありません。
日本国憲法の不都合な部分を改正する手続は、ちゃんと日本国憲法の手続に則って実現可能です。
それに、何らかの強権的な政権が出現し、国会などの手続を無視して「大日本帝国憲法の復活」を実現したとして、いったい何が生じるというのでしょうか。
80年近く前に制定された日本国憲法が素晴らしい憲法だとは思いませんが、それよりさらに60年近く前に制定された「不磨の大典」大日本帝国憲法は、現代社会からしたら100年以上前のものであり、それをそのまま使うのは難しそうです。
日本国憲法を前提に作られているさまざまな法律(とくに民法など)についてはあちこちで不具合が生じそうですし、「貴族院」を復活させたところで、貴族院を構成すべき資格者のなかで「華族」というものは、現代の日本には存在しません。
なにより(意外と知られていませんが)大日本帝国憲法には「内閣」という単語が出てこないなど、なにかと欠陥が多く存在しています。
日本国憲法もかなり酷い代物ですが、憲法の手続を無視して誰かが強権的に憲法を停止するくらいなら、憲法第96条の改正手続の規定を使い、淡々と改正する方が、よっぽど簡単です。
鉄道工事理論を学んでほしい
このように考えていくと、極右であれ、極左であれ、極論に走る人たちには、「現実を無視する」という共通点があるように思えてなりません。
これについて考察するうえで参考になる(かもしれない)ものが、当ウェブサイトでこれまでときどき紹介してきた「鉄道工事理論」です。
首都圏や近畿圏などの大都市圏に暮らしている方はご存じのとおり、大都市圏の鉄道は日々、大量の人々を乗せて高速・安全に走行しています。『ギネス世界記録』によると、2018年時点で新宿駅は1日の乗降客数が359万人で「世界一忙しい駅(Busiest station)」に認定されています。
こうしたなかで参考になるのが小田急電鉄株式会社の「複々線化工事」という偉業の達成です。
小田急を含め、大都市圏の鉄道路線は過密ダイヤで通勤時間帯などは超満員電車で遅延なども常態化していましたが、混雑区間については各停、急行が別の路線を走れるよう、線路を上下2本ずつ設けることでこうした状況の改善を図るのが複々線化です。
しかし、複々線化するためには、まずは沿線の土地を連続的に買収しなければならず、それと並行して日々過密ダイヤで走る鉄道の運行を止めずに、事故を防ぎつつ、安全に線路増設工事を遂行していかなければなりません。
そもそも土地の買収自体、気の遠くなるほどの大変な作業です。買収しなければならないのは田んぼではなく、すでに都市化が進んだ地域だからです。都市化の過程で土地が分筆されたり、相続などで名義人が無数に膨らんでいたりする場合、地権者のひとりひとりにコンタクトを取る必要もあったことでしょう。
実際、小田急が複々線化事業を決定したのは(前回の)東京五輪直後の1964年12月のことですが、東北沢・和泉多摩川間10.4㎞の複々線化工事が着工したのは1989年で、事業の完成は2018年3月を待たねばなりませんでした。
着工から完工まで30年、計画決定から数えれば、じつに54年(!)という途方もない時間がかかったのです。
立派な路線を見て気付く、自民党議員らの怠慢
ただ、小田急の場合は混雑区間を複々線化しただけでなく、同時に進んだ連続立体化工事により、39箇所あった代々木上原・登戸間の踏切の数がゼロになり、「開かずの踏切問題」が解消するとともに、該当する区間で踏切事故が発生する心配もなくなりました。
首都圏の場合、ほかにも日々、安全に運行を続けながら、一部区間での複々線化を達成した鉄道路線は小田急以外にもいくつかあります(たとえば東急東横線・目黒線や田園都市線、西武池袋線など東武東上線など)。
沿線開発が遅れていたがために、昭和期から複々線化事業が進んでいた東武伊勢崎線という事例もありますが、基本的に多くの鉄道は都市化がかなり進んでしまった沿線の土地を買収し、日照権問題などにも対処しつつ、大量輸送を継続しながら達成されたものです。
ゲームの世界だと、クリックして周囲の建物をぶっ壊し、そこにまっすぐなレールを敷く、といったことは可能かもしれませんが(あるいは中国共産党が似たようなことをやっていると聞きます)、現実の自由民主主義社会では、鉄道路線改良はさまざまな地権者などの利害を調整しながらでなければ進みません。
複々線化事業に反対する人たちを粘り強く説得し、現実的に実現可能な落としどころを見つけ、少しずつ事業を進めていくという「鉄道工事理論」は、現実社会をより良い方向に作り変えていく政治家の仕事にも通じるものがあります。
ただ、複々線化事業が完了した小田急の立派な線路を眺めていると、構想から足掛け半世紀以上の時間と多大なる労力を投じてここまでのものが出来上がったわけですから、国会議員が憲法改正を達成していないのは、単なる怠慢にしか見えません。
「1955年体制」などのことばにもあるとおり、少なくとも自民党は「保守合同」以来、1993年からの1年弱、2009年からの3年3ヵ月の期間を除き、国民から政権与党として信認され続けました。
憲法改正を巡っては、左派メディアや野党の妨害などがあったことは事実でしょうが、それでも1955年以降の70年近くの間、自民党は憲法改正を達成できていないわけです。東武、小田急、東急、西武などの民間鉄道会社が複雑な利害調整のすえに複々線化の偉業を達成しているのとは大きな違いです。
与党議員のくせに評論家然として「ケンポーは改正されるべきである」、などと偉そうにのたまうわりには自分では絶対に動かない人物、「何が何でも絶対に憲法9条は変えさせない!」などと怪気炎を上げる野党議員、さらには「日本国憲法破棄・大日本帝国憲法復活」などと極論を述べる極右議員――。
彼らには鉄道会社経営者の皆さまの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい気分になります。
社会を変えるのは「ネット現役世代」
ただし、日本社会に希望を抱くとしたら、サイレントマジョリティとしての「ネット現役世代」の存在ではないかと思います。
たとえば憲法議論を巡っても、最近だと、立憲民主党の小西洋之・参議院議員が「サル・蛮族の行為」と批判したとおり、とくに衆院では毎週のように憲法審査会が開催されるようになったようですし、改憲に協力に反対してきた大手新聞も、部数も大きく減少し、社会的影響力はかつてと比べて低下してきています。
このように考えると、インターネット時代が到来したおかげもあってか、憲法改正に向けた動きは着実に進んでいるものと信じたいところです。
そして、著者自身の主観で恐縮ですが、首都圏に住んでいると見かける、休日に街中を練り歩く日本共産党系などのデモ隊の構成員は、多くの場合、見た目60歳代か、それ以上です。若者の姿を見かけることは、ほとんどありません。
これに対し『四ツ谷駅から延々と続く献花行列=安倍総理「国葬儀」』で指摘しましたが、昨年9月に執り行われた安倍晋三総理大臣の国葬儀では、千代田区立九段坂公園に設けられた献花台に向かう列が、JR四ツ谷駅まで、延々伸びていました(これについては著者自身が確認しています)。
国葬儀当日、武道館を取り囲んだのは「反対派」ではなく、一般弔問客でした。故・安倍晋三総理大臣の国葬儀の当日、一般弔問客のための献花台が置かれた東京都千代田区九段坂公園からの行列がすごいことになっているとの情報をSNSで見かけたため、実際に四ツ谷駅まで行ってみました。結論からいえば、「一般弔問客が四ツ谷駅から整然と列をなしている」との情報は、事実でした。先ほどの『安倍総理「国葬儀」、一般献花台前に2キロ超の行列か』で取り上げたとおり、SNS上では安倍総理の国葬儀を巡り、「一般弔問客による数キロ... 四ツ谷駅から延々と続く献花行列=安倍総理「国葬儀」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
列に並んでいたのは現役のビジネスマンと思しき人たちが多く、若い人たちの姿も多く確認できます(図表)。
図表 安倍総理国葬儀当日の四ツ谷駅の様子(いずれもクリックで拡大)
(【出所】著者撮影)
結局、これがすべてなのではないでしょうか。
想像するに、安倍総理を支持していたのは、「ネット現役世代」であり、この「ネット現役世代」こそが「岩盤保守層」を意味していたのではないかと思います。
岸田文雄・現首相がLGBT法の強引な推進や増税方針、対韓譲歩などで岩盤保守層を失望させていることが、次の選挙で自民党の獲得議席数にどのような影響を与えるのかはまだ読めませんが、憲法改正が遠のくという結果になったとしたら、岸田首相は安倍総理のレガシーをぶち壊した人物となるかもしれません。
ただ、「護憲派」「中核派」らに加え、創価学会や日本共産党支持層などが確実に若返りに失敗しているなかで、「ネット現役世代」がサイレントマジョリティとして賢明な投票行動をとるのであれば、日本の将来はさほど悪くない、などと、少しくらい楽観的な見方をしても良いと思うのですが、いかがでしょうか?
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今、世界は風雲急を告げる事態にあります。愈々、日本も自力で国防を行わなければならない事態になっているようです。
知らぬは、自国防衛を米国に頼り切っている日本人だけかもしれません。
以下の2本の記事を見つけました。
(1)
「アメリカ軍が沖縄から撤収の動き」が加速中…ついに「日米同盟だけでは日本は守れない」事態が現実に?《嘉手納から54機のF15が退役、以後「戦闘機の常駐ナシ」の計画》
https://gendai.media/articles/-/112098
(2)
信頼できなくなった米国の「核の傘」、日本のSLBM保有に現実味
中国・ロシア連合に米国だけでは対応できない理由を詳解
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75649
最近のネットのコメントの質の高さの例を紹介させていただきます。
>>昨日のヤフーニュース:河村建夫元官房長官の長男、河村建一氏が次期衆院選で、日本維新の会の公認候補として東京6区から立候補する調整に入った。>>
---いかなる人物か調べてみた結果、だめだこりゃ、いくらなんでも維新さん。と思ってコメント見てみたら、いかなる人物かを紹介しつつ非難のコメントばかり目につきました。確かに日本の将来はさほど悪くないと、少しくらいは楽観的な見方をしても良いかと思えました。
私の町内会では還暦過ぎの私が若手の部類です
50 歳なら充分フレッシュでしょう
日本の平均の年齢は50歳近いですしね
50、60は鼻垂れ小僧、人生は70から、という言う言葉もありますから、50代はフレッシュと言ってもいいかもしれません。
しかし、これは、個人の人生に対する気構えを言い表したもので、社会全体のフレッシュさを言い表したものではありません。
50代が十分にフレッシュと言われるなら、徴兵は50代以上を対象にすれば、どうなりますか?戦場へ行っても体が動かないでしょう。
社会全体の事を論ずる時に、個人の人生観に属する考え方を持って来ても、議論にならないでしょう。
還暦は十分若手と当方も同意します。
パワー全開でいつも挑戦課題を探している向きにとって今の新聞記事や TV 番組はホントウに馬鹿らしく付き合っておれない。楽しみはいくらでもあるのですから。
>パワー全開でいつも挑戦課題を探している向き
>楽しみはいくらでもあるのですから。
全く、同感です。
ただし、年寄りの冷や水、と、若者への説教と蘊蓄の開陳は控えたいものです。
1位 モナコ 55.4歳
2位 日本 48.6歳
3日 ドイツ 47.8歳
5位 イタリア 44.5歳
カナダ 42.2歳
フランス 41.4歳
イギリス 40.5歳
オーストラリア 38.7歳
アメリカ合衆国 38.1歳
中国 37.4歳
↑
ここに、世界一のスピードで少子高齢化が進む韓国がドイツや日本を2050年には抜くと見方もあるらしいですね!
1位、モナコは、世界中の金持ちが移り住む所。
2〜4位が、代2次大戦の枢軸国。
以降が、英仏圏国。
毎度、ばかばかしいお話しを。
護憲派:「ネット現役世代も、我々の年齢になれば、50歳代が若手にみえてくる」
真理だ。
護憲派やケンポーキュージョー派或いは既存左派系政党支持者は、もう完全に老いぼれですよ。立っているのがやっと。ああいう人達が昔の価値観丸出しでデモしても、公開討論をしても、今の世代には何も聞こえて来ません。ま、さながら「昔、インテリ派でヤンチャしてた連中」と思われるのがせきの山です。
その「オクレ」世代が若返りに失敗しているなかで、「ネット現役世代」が多数になってますので、さほど日本の将来は悪くないと思います。あと3〜5年したら、街頭デモなんか出来っこ無いですから。
あと、小田急始め東急田園都市線、東横線、西武池袋線が複々線化や連続立体交差に着手した頃、あるジャーナリストが「私鉄にとっては複々線など一円の増収にもならない。それより輛数増やせ、運転間隔を詰めろ」などと誌面で攻撃してました。何も分っちゃいない。こんな人が口害だーと思いました。
>立っているのがやっと。
9条の会の駅前演説&ビラ配り。
マンネリ文言をハンドスピーカーで力の無い声で弱々しく呟き吐き出す腰の曲がった老人、その周りで、ヨタヨタとチラシを差し出す、老男女たち。(「若」は一人も居ません)
話やビラの中身の意味が分かっているのか?と疑問を感じつつ通り過ぎる通行人たち。2〜3カ月に一度見るお決まりの光景。
これも、マンネリ。
つまり、左翼の活動は昔から皆マンネリ。
上からの指示で末端が何も考えずにやっているだけ。左翼とは、末端が考えてはいけない組織。考えると・・・、怖い。
>私鉄にとっては複々線など一円の増収にもならない。それより輛数増やせ、運転間隔を詰めろ」などと誌面で攻撃して
このジャーナリストという人物は、自分の話の内容が何を言っているかが自分で分からない、無学の人か?と。
複々線化とは、車輌数を増やし運転数を増やす為にやるのに、それをやって一円の増収にもならないとは?
では何故、複々線化をしないで、同じ事をやったら増収になるのか?
この論理破綻を自分で気が付かないとは?
自分で話している事の意味を理解しないで話すとは、やはり、無学、つまり、学が無いという事では?
日本のジャーナリストと自称されている方々のレベルは、昔も今もこんなものでは?
もう少し付け加えておきます。
ジャーナリストの発言(無学)の検証の為に。
当時のそのジャーナリストの紙面発言を読んでいる訳ではないので、仮に、「複々線化で一円の増収にもならない」ということを、複々線化して、輛数増と運転間隔増をして増収になったとしても、複々線化の巨額の投資額に照らし合わせたら、その増収が投資額と相殺されてしまうので、「利益」は一円も出ないだろう。それならば、現在の複線のままで、輛数増と運転間隔増を行えば、車両数増と運転間隔増に対して投資しても、それによる増収は、その投資額を上回るだろうから、利益は出るだろう、ということでないか、とも取れます。
この場合の問題点は、
1.将来更に利用客増があった場合には、対応できなくなる。
2.現在の複線の使用回数が多くなるため、メンテナンス費が増える。レールや砂利の交換頻度が増える。
3.過密ダイヤによる事故のリスクの増大。当然に、そのリスク増に対する補償や事故対応費用は、積み立てたり、保険に加入したりしなければならないので、その分のコストは増加する。
以上、経営の柔軟性が無くなる上に、事故の増加リスクという経営リスクも抱えることになります。又、何よりも緊密ダイヤ下の第一線で働く従業員達の緊張感やストレスは半端の無いものになるでしょう。
一方、複々線化を行えば、上記のリスクが低減されるので、経営の柔軟性が向上し、経営リスクも低減できることになります。従業員も余裕をもって働くことが出来ます。
そして、何よりも、複々線という良質なインフラを持つことが出来ます。
更に、長年の懸案であり、未来世代の安全の為の、高架化ということも実現できます。
これらをやるために、資金が不足することが見込める場合は、乗車料金を上げればいいだけのことです。
それをやっても、得られる有形無形の利益は、測り知れないということです。
当然、利用客も納得することです。
ジャーナリストもここまで考えられるようになって、発言が出来るようになれば、「社会的に有用な存在」になれるのですが、彼らは、実学・実務を学んだり、経験したりすることが無いので、「いつまでも、社会から遊離したこと」しか発言できないのです。
以上、ジャーナリストに関して考察する良い題材を与えて頂きました。
リニア新幹線と川勝知事を思い浮かべてしまいました。
>運転間隔を詰めろ
複線の運行密度は現実的には2分半に一本が限界だと聞いたことがあります。それを超えるための複々線化ですね。
山手線は、2分に1本で運行されています。
自分の住んでいる本州最北端の県庁所在地から県内第二の街までの運転間隔(JR東日本)を見てみました。
5時台 1本 17時台 1本
6時台 1本 18時台 2本
7時台 4本 19時台 3本
8時台 2本 20時台 2本
9時台 3本 21時台 2本
・・・
SUICAも今年使用可能になりました。
貴重な情報ありがとうございます。
若い頃、青春一人旅で田舎を旅した時も、こんな運転間隔の所を時刻表と首っ引きで、乗り継いで行ったことを思い出しました。
今は、もうローカル線はJRではなく第3セクターになっていますから、JR東日本直営というのは珍しいですね。
こちらこそありがとうございます。
改めてレスを見直したら「県内第二の街」と書いていますね。
県内第三の街(城下町)への話でした。
ご指摘の通り、県内第二の街までの路線は第三セクターです。
こちらは
5時台 2本 17時台2本
6時台 2本 18時台1本
7時台 4本 19時台1本
8時台 1本 20時台2本
9時台 1本 21時台1本
ほとんど変わりませんね。
ちなみに双方の路線とも貨物が通っているので、意外と寂れ感はありません。
はっきり言って、インテリジェンスの差がありすぎますよね。
若い人とその辺のお年寄り、ディベートでどちらが勝てるか?確実に若い人が勝ちます。
お年寄りが若かったら、勝てた?いやいや、小さい頃からネットなるものがあり、あらゆる情報にアクセスしてきた現代の若者に、受動的に、ねそべりながらテレビ見てきた世代が勝てる訳ないでしょ。
私は40歳で休職中の身になりますが新宿会計士さんに同感です。
個人的には、そんなに変わらない/変わってないと思いますよ。
ウェブで調べてそつない平均点をみんなが回答するのは、
「バラツキがない」
とは言えても
「優れている」
とは言えません。
昔も今もホモサピエンスでは、二十人に1人くらいしか指導的な自律思考できる人は居ませんから。
まあでも、単純な古臭いハッタリは通用しなくなってることは確かかな。
共産主義だって、今は古臭いけども百年前には最先端でした。
そういう意味では、初代の共産主義者たちは偉大なドリーマーでした。
いま誰かを動かそうとしたら、当時と同じくらい壮大なホラを吹かないと。
いまのパヨクさんたちは、ドリーマーとしてチンケで不勉強に過ぎますわ。
護憲と言いながら法律違反を平気でする連中は「矛盾」の意味を理解できないのでしょうか。
選挙があるたびに見受けられる光景ですが。
個人的感想です。
そもそもデモで主張するって手法が法では許されてますが、日本人的価値観と合わないんではないかと常々思っています。日本人的価値観というのは、儒教的価値観くらいの意味です。主張に公共性があれば一理ありとして許容もされるが、なければ社会を騒がせるだけの顰蹙を買う行為、って認識されてませんかね。
デモで訴えるには、反社会の要素との天秤を考えなきゃならない繊細な面があると思います。
安保改定・護憲とかが公共性を帯びたテーマの頃もあったでしょうが、他にも様々な問題がある今では、それではピンときません。またデモは、マスコミが報道してくれて主張を広められ、有効だった時代もあったでしょう。
今時は世直しのために主張したいことがあれば、ネットで切々と訴えた方がよほど有効だと思います。(つうか、デモ以外にもやれることあるでしょう)
新たな世代が運動に加わって来ないのはまあ、わかります。
まあ、余った時間を潰すためだけに惰性・お気楽でデモやってるだけの「養分」の人たちはたくさんいるんだろうなと疑っていますが、自分の幸せのためにデモやるんなら、単なる社会のお騒がせ野郎の道徳にもとる行為、となっちゃうんですけどね。
「デモをやらない最近の若者は何も考えとらん」なんて言葉が聞こえてきそうですが、昨年の献花の列は、人々が別に何も考えていないわけではないことを目に見える形で顕した現象に見えました。献花は主張するための行為じゃないですけどね。
その世代の人々が全てそうではない、というのは言うまでもない自明の前提だと、一応付け加えておきます。
2022年参院選のNNN出口調査の年代別比例代表支持先で日本共産党の数値は、
10代 5%
20代 5%
30代 4%
40代 4%
50代 4%
60代 6%
70代以上 8%
70代以上と比較して50代以下は半減しているがこれを失敗と評するかどうか。ちなみに自民党は10代から60代までは35~36%なのに対し、70代以上は38%と一番高い。
そのデータがホントにNNN調査だというのならば、共産党若返り失敗仮説の妥当性を裏付けてますね。50代以下は明らかに誤差の範囲ですし。ていうか1つ2つのマスこミ世論調査(しかも実施時期不明)を引用しただけだと反論になってませんけどね。検定誤差、標本数もわからないしʅ(◞‿◟)ʃ
2022参院選の出口調査なんだから調査日は投票日(2022年7月10日)に決まってるじゃないですか(笑)
https://www.ntv.co.jp/election2022/exitpoll/index.html
NNN系列30局が47都道府県の投票所で約15万人に対して行った調査とのこと(リンク先日テレ公式サイトの説明)
共産への投票が、未だこれだけある事が驚きです。
70代で10%近くとは更に驚きです。
これを、どう捉えたら良いものか分かりません。
もっぱらリタイア層のみ支持のイメージがある共産党が50代以下各層で安定した支持を得ていること、自民党は年代階層が下がっても支持率が上がっていないことが興味深いですね。
うわぁ、こりゃ分かりやすい!見事に高齢者政党だね、共産党は。
お久しぶりです。
もう三十年も前の話になりますが、学生時代左巻きでした…。
なので彼らの考えていることが分かるだけに胸が複雑に痛みます。
偶然ですが先日当時を久しぶりに振り返ってまとめてみました。
興味がある方は読んでみて下さい、長いけど…。
https://tilleternity.hatenablog.jp/entry/2023/06/06
島田雅彦は、芥川賞が欲しくて仕方が無かったらしいが、左翼とは、芥川賞から最も遠い。
何しろ、左翼とは、尤もらしく聞こえる左翼的美辞麗句を尤もらしく羅列する人達だから。然も、彼らは、それに気が付かない。つまり、内省が出来ない。芥川賞とは、内省文学の別名とも言えるものだから、芥川賞とは全くの別次元に棲息している、島田雅彦にはどうあがいても辿り着けない所。本人は、このような考察も出来ない内面世界の無い人。
ここで新たな見方をすれば、左翼とは、自己の内面世界を持っていない人。
吉本隆明。共同幻想論を唱え教祖的な存在になったようだが、単なる思い付きレベルまでしか考察出来ない浅さを感じたものだ。これなど、「サピエンス全史」と比べてみれば子供のレベル。
長くなるのでここ迄に。
匿名さま、返信ありがとうございます。
ご指摘の左翼の浅さとは、即ち歴史のなさに起因するかと。
コロナ直前、中国の改革・開放四十周年がマルクス生誕200年と合わせ、盛大に祝われたと記憶しています。ドイツのマルクスの故郷には、中国人観光客が押し寄せ、聖地のように参拝されているのだとか。
つまりはマルクスが生まれてからまだ200年あまりということ。その100年前には既に先物取引が始まっています。もちろん世界に先駆けて我が日本、大坂の堂島でそれは起こりました。
資本主義が万能とは申しませんが、少なくともわれわれ日本人の肌には染み込んでいます。
左翼思想とは幻の上に立脚するものであり、護憲や九条死守は宗教でしかなく、百歩譲って誉めて差し上げるのなら芸術、まぁポエムのようなものです。
少しでも現実と向き合い、明日に託せる希望を持っているのなら、そこにかまける暇はないはず。つまり無駄なのです。
妙府白道様
ありがとうございます。
妙府白道様のコメントに返信をしてみようと思ったのは、リンクをクリックして、島田正彦が出ていたからだろうと思います。
彼が、長年芥川賞の審査員をしていたという記事の中で、彼自身が芥川賞に選ばれなかったことに不満だと述べていたので、記憶に残っていたからです。
近年、芥川賞作品が少ないことは事実です。その理由は自己相克(葛藤)をする必要のない世の中になったからです。つまり、社会の制約が少なくなったということです。島田正彦は、人間と社会(制約)との葛藤が分かっていないな、とその時に感じました。
これは、太宰治が芥川賞を熱望したけれども、受賞することが出来なかったこととも通じます。太宰の文学は、葛藤ではなく、嘆きだからです。
これは、村上春樹が芥川賞もノーベル文学賞も受賞できないことと同じです。彼は、小説を書く職人ではあっても、文学者ではありません。
島田正彦が左翼に転じることはやはりな、と思いました。
自己葛藤が無い人間が、葛藤を装うには、左翼的なものが合っているからでしょう。つまり、葛藤の雰囲気が味わえる訳です。
吉本隆明も同様です。
それ以上書くと、又、長く書かなければなりませんので、ここで終わります。
>左翼思想とは幻の上
この「幻の上」ということについては、人間は、「サピエンス」として存在するためには、「幻想=宗教=何か信じる概念=イワシの頭でも可=夢など」が必要だろうと喝破したのが、「サピエンス全史」です。つまり、人間の頭の中には、何かが入っていなければ、生きていけないね、ということです。
未だお読みになっていなければ、一読をお勧めします。左翼の人が読んで、その意味が分かれば、浅薄な左翼思想から抜け出せるかもしれません。
ただし、左翼思想が、思想という立派な体系を持ったものだとは思いませんが。
匿名さま
>芥川賞作品が少ないことは事実です。その理由は自己相克(葛藤)をする必要のない世の中になったから
見事な喝破と平服いたします。
深刻ぶったり教養人ぶったりすることに意味がなくなった社会と言い換えてもよろしいかと思います。
こちらも見事な喝破です!
その代わり、安直な左翼が出て来た?
安直な左翼=似非教養人風。
つまりは、教養人気取り、といことです。