私見の利用はどこまで許され、どこまで許されないのか――。これについては法学生などが必ず学ぶであろう、「宇奈月温泉事件」をを再認識しておく必要があります。杓子定規に見れば公私混同などは1円も許されない、ということになりそうです。しかし、「宇奈月温泉事件」でもわかるとおり、正直、こうした杓子定規の考え方自体、適切ではないこともあ多々あるのです。
「お客様は神様」論の間違い
「すべては程度の問題」。
これに尽きるのだと思います。
前日の『「お客様は神様」?カレー食べた高速バス運転手に苦情』や『「客に飲食という生理現象を見せるのは無礼」、本当?』などでは、勤務中の高速バスの運転手が高速道路のサービスエリアでカレーを食べていたところ、これに対し一部の乗客(?)から苦情が入った、などとする話題を取り上げました。
著者自身の主管で申し上げるなら、正直、意味がわかりません。
高速バスの運転手は乗務時間が非常に長くなる傾向にありますし、本来、乗務時間中であったとしても、休憩時間内であれば、べつにカレーを食べようが、トイレを使おうが、自由に時間を過ごすことができるはずだからです。
これについてはやや主観的な評価で恐縮ですが、「高速バスの運転手が休憩時間中にサービスエリアでカレーを食っていた」と文句をつける者の側には、「お客様は神様」、といった歪んだ事実認識が存在している可能性は否定できません。
「お客様は神様」。
これは、歌手の三波春夫が1961年に舞台で話した内容が曲解されて伝わり、「カネを払う客の側が偉い」、すなわち「カネを払えばどんな理不尽なことを要求しても許される」という意味合いで用いられている、大変に問題のあるものです。
じつは三波春夫自身がこれを否定していた
もっとも、三波春夫自身、「お客様は神様」という表現を、「客はカネを払う立場にあるのだから、どんな理不尽なことを要求しても問題ない」、という意味で用いたわけではありません。
しかし、現代の日本社会では、「カネさえ払えば店員に横柄な口をきいても構わない」、「カネさえ払えば店員に無茶な要求をしても構わない」、などと勘違いしている者が大変に多いのが実例であり、なかには海外旅行で日本にいるのと同じ感覚で店員に対し横柄な態度で接し、トラブルになるという事例も多いようです。
くどいようですが、当ウェブサイトの読者の皆さまのなかに、万が一、「カネを払う側が絶対的に偉い」、「カネを受け取る側は奴隷のごとく、カネを払う側に尽くさなければならない」、などと思い込んでいるケースがあれば、それは直ちに改めていただきたいと思います。
飲食店・コンビニ・スーパーの店員、鉄道の駅員、バス運転手、ガソリンスタンド店員といった仕事に従事している人たちに対し、まるで「主人と奴隷」のごとくに偉そうに接する者もいますが、そもそも彼らは対等な人間であり、奴隷ではありません。
というよりも、古今東西どんな社会においても、払った対価以上のサービスを要求すべきではありませんし、店員を「奴隷」かなにかと勘違いしている者は、そもそも自身が支払った対価を遥かに凌駕する内容を相手に求めているということを意識しなければならないでしょう。
公私混同をどう見るか
こうしたなか、少し論点を拡張するならば、「公務員は税金で生きている」、「したがって公務員は我々国民に対する公僕として、我々国民に尽くさなければならない」、などと思っている人がいれば、そうした考え方は改めていただきたいと思います。
少し議論になる可能性があるとしたら、特別職(とくに都道府県知事、市区町村長など)が「公私混同」と疑われるようなことをしているケースでしょう。
『市長が公用車で日常的に私的な買い物…本当に問題か?』などでも指摘しましたが、公用車を用いて私的な買い物をしている市長が批判されている、という話題に関していえば、「それをどこまで厳格に解釈すべきか」については議論の幅があり得ます。
「三重県伊賀市の市長が公用車で日常的に私的な買い物をしていたことが判明した。公用車の私的利用であり、許されない」――。はたして、本当にそうでしょうか。記事だけだと詳細な事実関係はよくわかりませんが、「高齢独居で激務」の市長にとって、通勤経路でスーパーに立ち寄って総菜を買うことがそんなに問題なのでしょうか?NHKという異常な組織「公金は、どこまで厳密に使用させるべきか」――。非常に当たり前の話ですが、私たち国民、住民からの税金を中心とする公金については、適正な使用がなされることが必要です。公私混同... 市長が公用車で日常的に私的な買い物…本当に問題か? - 新宿会計士の政治経済評論 |
この事例は、「恒例独居老人」でもある三重県伊賀市の岡本栄市長(71)が、公務を終えて市役所からの帰宅途中、公用車で経路にないスーパーに立ち寄り、夕食用のおかずを購入するなどしていたことが、市民からの指摘で発覚した、というものです。
公用車で自宅と逆方向にあるスーパーに立ち寄り、総菜などを購入しているという事例は、厳密に言えば、公私混同と言えなくはありません。なかには「1日当たりほんの数十円、数百円というレベルであっても、公金の私的流用は問題だ」、などと言い夏人もいます。
ただ、これに対し目くじらを立てることは、いかがなものでしょうか。
「公金は1円たりとも無駄にすべきではない」とする立場から厳密に解釈すれば、市長がおかずを購入するためにスーパーに立ち寄ることは、それこそ「大問題」なのかもしれません。
「宇奈月温泉事件」とは?
しかし、そのように主張する人は、「権利の濫用(らんよう)」という論点を学ぶべきです。
「権利の濫用」とは、わかりやすくいえば、法律を杓子定規に解釈することで、社会通念上、不当な結果をもたらすような行動を言います。その典型例が、「宇奈月温泉事件」でしょう。法学を学ぶ人ならば「知らない」という人はいないというくらいに有名な判例です。
これは、富山県にある「宇奈月温泉」で、約7.5㎞先にある源泉からお湯を管で引き込んでいたところ、その管がほんの2坪分、「A氏」の土地を通っていたことで発生した事件です。
A氏は宇奈月温泉の運営者に対し、この土地を非常に高い価格で買い取るか、引湯管を撤去するかのいずれかを要求。宇奈月温泉の運営者がこれに応じなかったため、A氏がその運営者を相手取り、引湯管の撤去を求めて提訴したところ、裁判所はこの請求を「権利濫用に当たる」として棄却したのです。
ちなみにこの判例は昭和10年10月5日、つまり戦前に出てきたものですが、現在でも「権利濫用は認められない」という判例として引き継がれています。
おそらく伊賀市の岡本市長の事例も、基本的には「杓子定規に解釈すれば公私混同だが、実質的に見れば何にも問題がない事例」の典型例でしょう。
厳密な立場に立てば、市長がスーパーで夕食を購入するのは純粋な「私用」ですから、税金で運営されている公用車を、そんな私用のために流用するのは公私混同です。
しかし、岡本市長は通常の公務員とは異なる特別職公務員という立場にありますし、報じられた記事などから判断する限り、岡本市長は私的な飲み食いのために公用車を長時間拘束しているわけではなく、あくまでも退勤時などの短時間で用事を済ませており、公私混同により市に与えている損害は1日当たり数百円です。
これを、「公私混同は公私混同」、「問題は問題だ」、などと言い放つ人は、法律の基本を、もう少し勉強すべきでしょう。
もっといえば、「市長の公用車の私的利用は1秒たりとも認めるべきではない」、などと主張する人は、ご自身が勤務先から支給されている通勤定期を絶対に私的利用してはならないはずですし、会社帰りに私的な用事でどこかに立ち寄る、といったことは許されないことになります。
これを突き詰めれば、「警察官が制服を着たままコンビニに立ち寄る」ということも許されませんし、「消防隊員・救急隊員が出動したあとで消防車・救急車などでコンビに立ち寄る」ということも同様に許されないことになります。そんなアホな話はあり得ません。
三重県伊賀市長による「公私混同(?)」事例を舌鋒鋭く追及する暇があれば、(おそらくは日常的に行われているであろう)NHK職員による「タクシー・チケットを使って私的な食事に出かける」などの明らかにおかしな事例を追及しない理由は、かなり理解に苦しみます。
カレー問題とカスハラ
さて、「勤務中の人が私的な用事をこなすこと」に対し、難癖ともいえるような苦情を申し立てる人は多いのですが、こうしたなか、例の「SAカレー事件」に関連し、土曜日、『オトナンサー』というウェブサイトが興味深い記事を配信しました。
「SAでカレー食べている」「買い物してる」 バス運転士、警察官への“理不尽クレーム”に共通点 特定社労士が分析
―――2023/06/17 14:10付 Yahoo!ニュースより【オトナンサー配信】
この記事は、例の「高速バス運転手カレー事件」に加え、「制服を着た警察官や救急隊員がコンビニに立ち寄った際のクレーム」などを、一種の「カスタマー・ハラスメント」(いわゆる「カスハラ」)だと位置付け、その背景を分析する、という趣向のモノです。
記事では「ハラスメント問題に詳しい、特定社会保険労務士の鈴木教大さん」の分析として、こんな趣旨の内容が指摘されているのです。
「カスハラは、売る側と買う側の上下関係から、客が『お客さまは神さま』という理論を振りかざして店員に理不尽なクレームを入れたり、理不尽な要求をしたりして、相手を困らせる行為。電話など顔が見えない場合は、行為がさらにエスカレートする傾向にある」。
「お客様は神様」などとあるとおり、これは、当ウェブサイトでこれまでに指摘してきた内容ともほぼ一致しています。
いや、「カスハラ」というよりも「理不尽な難癖」ではないか、という気もするのですが、要するに「お客様は神様」というパワー・ワードが社会問題化している、ということでもあります。
これについて特定社労士・鈴木氏は、最近の潮流として、「ハラスメント問題」の潮流がパワハラからカスハラに移っているという印象があると指摘しています。
これについて記事ではその原因は特定されていませんが、もしかして、いわゆる「団塊の世代」が大挙して引退するなかで、彼らの多くが理不尽なクレームをつけることを至上の喜びとしている、といった事情でもあるのかもしれません。
ちなみに鈴木社労士の指摘は、なかなかに容赦ありません。
「バスの運転士に対するクレームのほか、過去に発生した警察官や救急隊員へのクレームは、カスハラの延長線上の行為だと思います」。
「特定の職業の人の行動にクレームを入れる人の心理として、社会や仕事、交友関係に対する不満など、自分自身では変えることができない不満に対して鬱憤がたまっていると考えられます。そのはけ口として、たまたま見掛けた運転士や警察官などにクレームを入れているのではないでしょうか」。
なかなかに鋭い分析です。
「景観や消防隊員はコンビニに寄るべきでない。使用の買い物をする際に、いったん制服を脱ぎ、自腹でタクシーなどを使うべきだ」。
こんな主張を繰り広げる者の心理を、見事に言い表しているとも思えます。
いずれにせよ、公務員など「絶対に殴り返してこない相手」に理不尽な難癖をつけるのは、あまり良い行動とは思えません。
もしも公務員を批判するなら、「公用車で買い物をしている市長」に対してではなく、「税収弾性値を1.1という水準に置き、本来ならば絶対に必要がない『財政再建』を錦の御旗に、増税を実現してきた」というトンデモ官庁である財務省こそ、舌鋒鋭く批判すべきでしょう。
あるいは、最近だと「日韓諸懸案を何ひとつ満足できる水準で解決できていないのに、火器管制レーダー照射事件を不問にし、韓国に(旧)ホワイト国待遇を復活させ、あまつさえ日韓通貨スワップを提供しようとしている」とする、岸田宏池会政権のとんでもない方針のように、批判すべきことがらはほかにいくつもあります。
こうした点において、相手が公務員だからといって、何でもかんでも舌鋒鋭く批判すれば良い、ということではないことだけは間違いないでしょう。
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>いずれにせよ、公務員など「絶対に殴り返してこない相手」に理不尽な難癖をつけるのは、あまり良い行動とは思えません。
というか、中国と違って殴り返してこない日本相手に好き放題してる韓国と一緒ですよね。
会計士様
今日の記事を書いて頂き、本当にありがとうございます。今まで、思っていた事を書いて頂いたので、胸のつかえが取れました。
いつ頃の昔か分かりませんが、昔は、このような制服を着た仕事をしておられる方々が休んでおられる時は、「お疲れ様、ありがとうございます」という気持ちの方が出て来たものです。親からもそのような事を教えられたような気もします。実際、警察官、消防士、救急隊員、運転手、等の仕事は大変に神経を使い緊張感が必要な仕事であり、又、危険を伴うこともあります。その緊張感から暫し開放されて束の間の休息を取り、次の業務に向けて英気を養っておられる、その姿を見て、咎める気持ちが湧いて来るというのは、どのような心理によるものなのか?と暗澹たる気持ちになります。
このような事も思い遣る事が出来ない、不寛容な世の中に、いつの頃からなってしまったのでしょうか?
本当に他人には不寛容、自分には寛容、という風潮は昔は無かったように思います。
市長さんが、スーパーで買い物をしていて、それが公用車でちょっと寄り道していたとして、それを問題だと思う、せせこましい気持ちを抱くような了見の狭い国民に、いつから日本人はなってしまったのでしょうか?
この了見の狭さ、こちらの方が心配です。
市長さんが、自ら買い物をする姿は親近感が湧き微笑ましく感じると思います。
>市長さんが、スーパーで買い物をしていて、
直接陳情する良い機会だと捉えないのが不思議なんですよね。
市長の顔を見たら、陳情とは。
本来、市民が陳情する必要の無いのが、良い市政。市長の顔を見たら陳情したくなるような市であれば、市長は、仕事帰りに気楽にスーパー買い物に寄れないような気がします。
おはようございます。
理不尽な要求をすることで、最初に思い付いたのは銀行です。
住宅ローンを利用すると、融資物件に抵当権を設定しますけど、登録免許税が融資額の0.4%、一千万円で四万円。(軽減税率が適用される場合もあります。)
融資契約での融資条件なら仕方ない出費です。
長年コツコツ返済して無事に完済しました。
抵当権は抹消の登記申請をしない限りは登記記録に残りますが、抵当権を利用したのは銀行で利息まで貰っているので、抵当権抹消手続きは銀行がすべきと思うのですが、銀行は融資返済証書を発行して知らんぷりです。
抵当権設定の権利書は設定者(借主)が所持しているから、からなのでしょうが。
当方、銀行の理不尽な要求は熟知してますので、自己資金で自宅を建てました。
業務上は仕方ないですが、プライベートで銀行とはお付き合いしたくないです。
土地家屋調査士様
空気を読まない投稿です。
私は20年ローンで融資を受けました。
15年程で完済しました。
長女にやっと借金が無くなったわと、云って後は担保を消したら終わりやなぁ。
と伝えたら、長女は担保はそのままの方がええんとちゃう。
だって、登記簿に担保がついていたら、それを見た人は『タナカ珈琲家』が貧乏と思うやんと、アドバイスしてくれました。ワタシは長女のアドバイスに従いました。
後日、三和銀行からの電話で担保抹消依頼の電話が有りました。
まだ、担保は抹消していません。長男の仕事に残しています。
タナカ珈琲 様
返信ありがとうございます。
抵当権登記が残っていても、仮差押え、差押えの登記がない限りは貧乏とは思わないです。順調に返済中か抹消登記をしていない、と思います。
それと、抵当権抹消の登記をしても、元の抵当権設定登記に下線が入るだけですので抵当権の経歴は判りますし。
抵当権設定登記の数が多い、高額な根抵当権設定登記を見ると警戒はします。
仮差押え、差押え登記があるとヤバい物件か?、と思います。
三波春夫はソ連の抑留を受ける中でも、仲間に歌や芸を披露し互いに乗り切ったそうです。神に芸を奉納するような心が重要と説いたのも、実際に救いを感じた体験からかもしれません。そもそも「お客様は神様です」の"お客様"は、金銭支払者ではなく観劇者のことですし。クレーマーは逆の存在ですらありますね。
さて件の市長用車の使用が、勤務中の業務に関わる移動のみに使われ社で保管管理される、一般的な企業の社用車のような扱いであれば、買い物利用がけしからんどころか、通勤利用がそもそもマズイはずです。しかし本件のそれはそもそも通勤にも利用する前提の公用車のようです。常識的に考えて、通勤ついでの用事に利用する程度は織り込み済みのものに思えます。それを温泉旅行で使ってましたとかならまだ私的流用かもしれませんが、それですら利用規定によるでしょう。許可されていることがおかしいというのであれば、正式に問題提起すれば良いだけ。
クレーマーが不満のはけ口にしただけであろうという指摘も頷けるものですが、その人物が知る範囲の"社用車の常識"でしか考えられない人間だったということかもしれません。もし三波春夫の言葉を意識していたとしても、やはりその人物がその程度の理解しかなかったと。
>その人物が知る範囲の”社用車の常識”でしか考えられない人間だった
これに尽きるようですね。流石です。
人間は、誤解=自分の認識だけが正しいと思う生き物なのかもしれません。今の宇露戦争の露の言い分は、露以外から見ればとても自分善がりなのですが、それを正しいと信じている国民もいるようです。
結局のところ、市長を批判する人にとっては、「市長が何をしたか」ではなく、「誰が市長なのか」、さらには「自分の感情を誰かにぶつけたい」ではないでしょうか。
蛇足ですが、「台風がくるのも、自民党政権の責任だ」と言った人がいましたが、それなら「台風で伊賀市に被害が出るのも、伊賀市市長の責任だ」になるのではないでしょうか。
おっしゃるとおりだと思います。
まあ、
平和だった江戸時代にも
山賊追い剥ぎさんはいたわけで
その割合は今の赤いお旗と元号のとこの支持者を
ちょうど足したぐらいと聞いたことがあります。
そして、
そんな江戸時代なら
火付け盗賊改め方を差し向けるところを
普通に真面目に働く国民と同じ一票と
社会保障まで与えて上げている
今の日本の民主主義は偉大だと
あらためて感心します。
それだけに、頭に乗って
正義と多数を騙る少数の人達の
言ってることと暴れようには
そんなこんなの人たちさんなんだ
と正しく位置づけて扱って上げる
必要も感じます。
この話で思い出すのは50年くらい前にあった話。東京都の清掃車がゴミと一緒に捨てられている段ボールを集めて売り、その代金を清掃員の休憩時のお茶うけなどの購入に充てていたことがあった。世田谷区の住民(市民団体か?)がこれにかみつき、その後世田谷区の段ボールは集めないことになった。困ったのは世田谷区の住民。結局まあまあ大人げないこと言わないでという感じで手打ちになった。
共通しているのは「その程度のこといいじゃないか」という寛容が欠けていることか。
うーん、私は、世田谷のケースは段ボール代を一旦公金にした後、屋外で働く作業者達への福利厚生費として支出するのが筋だと考えるんですけどね。
金額によりますね。
ただ、そういう金を「公金」にするという手続きあったのかな?
現在では清掃事業は外部業者に委託しているようだからこういう問題はでてこないだろうけど。
つまり、公務員を全員外部委託にしたら無問題だと?
警察と消防と自衛隊の外部委託待った無しだな
オムニコンシューマープロダクツが受託したのはデトロイト市警でしたっけ?
「全部まとめて1ドルだー!」もなんかのパロだったかな()
sqsq 様
>そういう金を「公金」にするという手続きあったのかな?
放射性化合物を購入してる施設では製品の容器を遮蔽する円筒状の鉛が溜まってくる。一度、鉛の市場価格が暴騰しているというニュースを見て、これ業者に持っていけば良い値段になりそうだから、やってみようかと事務室に申し入れたら、そんなカネ、受入れ手続きのしようがないから、止めてくれと言われる。仕方がないので、いくつもの袋にまとめて不燃ゴミ置き場に出しておいたら、翌朝にはそれだけがきれいさっぱり姿を消していた。
こんなことなら、役得で自分のポケットの入れても、罰は当たらなかったかも(笑)。
そうすると、窃盗になるから、面倒なんですね。こういう事は、なかなか合理性が働かないから厄介です。
日常生活を営む上で必要な行為であり、やむを得ない理由で最小限度の範囲で行われた逸脱・中断であった場合、その後合理的な通勤経路に戻ってからのことについては、労災保険の対象となる「通勤」と認められる
↑通勤労災の例外規定にも該当しそうですね。
自宅とは逆方向の店舗での買い物ではあっても最小限度(良識の範囲)であれば許容されて然るべきだと思います。
こうして井戸端会議レベルの話をメディアが嬉々として報道することで、結果的にメディア自身の劣化がクローズアップされ、更に読者が減ると言うスパイラルに入るでしょう。
「市長の公用車」といえば市川市長のテスラでしたが、話題になって批判された挙げ句に次の選挙では落選でしたね。具体的な事情は知りませんが。
偉い人イジメをする人たちには「ご褒美感」だったんじゃないでしょうか。「市長の公用車」を軸に全国で粗探しが始まってる気がします。
「公職者が贅沢するなんて許せん」に対して、バスの運転手の食事のクレームは贅沢どころか食事という生存に関わる権利すら認めんというレベルものですが、サービス業の労働者を奴隷と勘違いしてる人が結構いるんじゃないのと思いました。
互いに社会を支える仲間ではなく、使役する奴隷。金銭を払うという一点で奴隷と呼ばないだけで。
ダラダラ書きました。
市川市の例は、テスラの前に、市長室にシャワー室を作った事が批判されていますから、市長としての資質が問題にされたようです。
コメント失礼します。
法は制定するものではなく発見するものである
必要は法に勝る
政治家は投票者の代表
主様も例に挙げてますが、仕事の定期の私的流用や、廃材を処分せずに再利用なんかは民間でもやってますね。浮浪者が捨ててある空き缶等の金属集めて換金する行為は占有離脱物横領に該当するのでしょうが、ゴミ置き場を荒らす等の迷惑行為をしない限り、訴えられる事は稀でしょう。浮浪者の稼ぎ口奪って、もっと迷惑な稼ぎに手を出されても困りますし。
三重県伊賀市の住民の殆どが「公私の分別をきっちり付けている」なら、市長への僅かな私的流用の批判も正しいのでしょう。
政治家が悪い!と責める人は私含めて大勢いますが
投票者の程度が低いと、代表の程度も低くなる
という当たり前の事実は決して忘れてはいけません。
ラーメンハゲの名言である「クレームを付ける奴は~」「お客様は人間です」を思い浮かべましたが、本来は取引は対等な関係、持ちつ持たれつ。
商品とは労働力の結晶
お金とは評価の具現化
なのでどっちかが偉いのではなく、何方も便利で大事。
でも日本国は長年のデフレ(商品が多くお金が少ない)でお金を払う方が偉い!と錯覚し続けている。それも露の宇への侵掠(侵略=挑発もされないのに先制攻撃した上に虐殺凌辱強奪迄した)と円安で値上げが当たり前になり、通じなくなりつつある。
お客様は神様(金を払う方が偉い)の信仰を維持したい人は、財務省の増税緊縮デフレ維持を応援するべきです。
1円迄キッチリやりたがるのも財務省の伝統ですが、なら何故国家予算を複式簿記でキチンと纏めて表記しないのか?それを責めないのか?私には不思議でなりません。