かつて、カネボウ粉飾決算事件というものがありました。この事件の異例さは、なんといっても、会計監査を担当していた公認会計士自身が粉飾決算に加担していたとされる点にあります。本来、会計処理を考える責任は被監査会社の側にあるはずなのに、そして監査を担当する公認会計士は独立していなければならないはずなのに、こうした原理が突き崩された事例が、まさにこのカネボウ事件だったのです。そして、このカネボウ事件の教訓を真っ先に当てはめなければならない組織は、外務省です。
目次
監査論と会計士
公認会計士は税理士ではない
自分でもときどき忘れそうになるのですが、じつは当ウェブサイトの執筆者「新宿会計士」は、公認会計士です。
公認会計士法(第1条)によると、公認会計士については次の通り定められています。
「公認会計士は、監査及び会計の専門家として、独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することにより、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護等を図り、もつて国民経済の健全な発展に寄与することを使命とする」。
「もって」ではなく「もつて」と記載されているなど仮名遣いもわかり辛く、文章自体もまどろっこしいのですが、おおざっぱに言えば「公認会計士は監査と会計の専門家だよ」、と述べているものです。
ここで勘違いされるポイントが、2つあります。
ひとつ目は、税理士と会計士の混同です。よく「会計士って確定申告の時期に忙しくなるんだよね」、などと言われることもあるのですが、それはおそらく「税理士」と勘違いしているのではないでしょうか。
じつは、公認会計士は「税理士になるための資格」を持っています。税理士法第3条によれば、税理士になるためには、「税理士試験に合格すること」以外にも、「弁護士であること」、「公認会計士であること」などの条件を満たしていれば、税理士登録することができます(ほかにも細かい条件はありますが)。
会計士は税理士の「上位資格」ではない!
そして、個人として独立開業している公認会計士の多くは税理士登録も行い、「公認会計士」兼「税理士」として仕事をしているようですが、それはその人がたまたまそうやっているだけの話であり、「公認会計士は常に税理士と兼務している」というわけではないのです。
(※現に著者自身は税務を生業としておらず、したがって、税理士としての登録を行っていませんし、行う予定もありません。)
もう少しだけオマケを述べておくと、ときどき「会計士は税理士よりも上位の資格だ」、などと勘違いしている人がいますが、これも大きな間違いです。
たしかに公認会計士資格を持っていれば、税理士試験を受けなくても税理士として登録することが可能ですが(※細かい条件はあります)、税理士としての実務経験がない人が資格だけで実際に税理士として開業し、複雑な税務をこなしていける、というものでもありません。
当たり前ですが、税理士には税理士としての「求められるスキル」が存在するのであり、そうしたスキルは一朝一夕に身につくわけではありません。また、税理士のなかには、法人に特化している人もいれば、個人に特化している人もいると聞きます。税務の世界もなかなか奥が深いのです。
会計士は「監査の専門家」
そして、勘違いされるポイントのふたつ目が、「仕事内容」です。
よく資格名を述べると、「会社の会計の仕事をしている人なんだな」、などと思われることもあるのですが、これも正しくはありません。
もちろん、公認会計士という資格を持ちながら企業の経理部門や財務部門で働いている人もいますが、公認会計士の本業は、あくまでも「会計監査」です。
これについて説明するうえで、ちょうどよい記事があります。なにをかくそう、当ウェブサイトに9月12日付で掲載した、『「監査論」の立場から眺めるBPOと放送業界の問題点』という記事が、それです。
先日から「放送倫理・番組向上機構(BPO)」なる組織の問題点について議論しているのですが、これについて、本稿ではもう少し深いところから議論してみたいと思います。これには少しまどろっこしいのですが、敢えて公認会計士業界の内情から「独立第三者による強制力を伴った業務適正化の仕組み」について議論したうえで、こうした仕組みが放送業界や新聞業界、さらには官僚業界などに存在していないことによる問題点を探ってみたいと思います。会計と監査の不思議な関係公認会計士の本業は「XX」である「突然だが、ここで『クイ... 「監査論」の立場から眺めるBPOと放送業界の問題点 - 新宿会計士の政治経済評論 |
当該記事でも指摘しましたが、公認会計士の本業は「会計監査」であり、公認会計士は「監査の専門家」です。
英語で会計は “accounting” 、監査は “audit” と呼ぶのが一般的ですが、 “account” には「説明する」という意味が、 “audit” には「(その説明を)聴く」という意味が、それぞれ含まれています。
つまり、 “account” は「企業経営者が利害関係者(株主など)に対し、経営実態に関して説明すること」、 “audit” には「(企業経営者とは全く別人の)監査人がその説明を聴いてその妥当性を判断する」、という意味を含んでいるのです。
最近よく耳にする「アカウンタビリティ(説明責任)」という外来語も、じつはこの “account” の派生形ですし、 “audit” に “-or” を付した “auditor” も「聞き役」が転じて「監査人」になった、というわけです。
ちなみに “audit” は「音響機器(オーディオ)」を意味する “audio” や「聴衆・観客」を意味する “audience” と同一語源を持っています。
監査は「独立性」+「法的強制力」
さて、なんでこんな小難しい話を展開したのかといえば、ここで監査と会計の非常に重要な関係について説明する必要があるからです。
先ほどは “accounting” と “audit” が対の概念である、という話題を取り上げたのですが、ここで会計監査の実効性を担保するうえでとても重要な点が2つあります。
ポイントのひとつ目は、 “accounting” 、つまり会社の会計を行う人と、 “audit” 、つまり会計の監査を行う人が、同一人物であってはならない、という点です。
先ほど紹介した当ウェブサイトの過去記事では、放送業界を「監査(?)」しているはずの「放送倫理・番組向上機構(BPO)」という組織については、放送業界と密接な関係があり、独立性と強制力という面において大きな問題を抱えている、という点を指摘しました。
監査の実効性という意味ではまったくの落第点です。監査は基本的に、独立の立場にある他者が行わなければならず、自分で自分の監査をするというのは明らかにアウトですが、監査論的にいえば、BPOという組織自体、「自己監査」の典型的な事例にほかなりません。
ポイントのふたつ目は、その監査には「強制力」が必要だ、という点です。
公認会計士監査(または監査法人監査)の場合だと、とくに「法定監査」については、監査をしている者(個人の公認会計士、あるいは監査法人)がクビを縦に振らなければ、「適正意見」の監査報告書をもらうことができません。
もし企業経営者が、実際には儲かってもいないくせに、あたかも「儲かっている」かのごとく装うような決算書(いわゆる粉飾された財務諸表)を作ろうとしても、それに対して監査人が「ノー」といえば、その決算書に「適正意見」をつけて公表するということができないのです。
つまり、会計監査には「第三者が法的強制力を持って行っている」という特徴があるのであり、もしも企業経営者が公認会計士・監査法人の勧告を無視して無茶な決算書を強引に作ったとしても、そのような決算書には公認会計士・監査法人のお墨付きは得られない、というわけです。
ちょっとだけ余談:会計士業界に苦言
もちろん、こうした監査のあり方については、いまや監査業界から離れてしまった身としては、外部から見ていて「あれ?おかしいな?」と思う点も多々あります(たとえば監査チームが会計基準をちゃんと正しく読み込んでいない、と思しき事例など)。
この点、「新宿会計士」自身はすでに監査業界を離れてしまっていますが、監査上、どう考えても監査法人側の勉強不足ではないか、と思しき事例にぶち当たることも多く、また、監査業界が欠陥だらけの会計基準であるIFRS(いふぁーす?)を強引に導入しようとしてきた点についても、罪深い行動だったとは考えています。
(※ちなみに監査業界が「IFRS」を「いふぁーす」と呼ぶ理由は、「I」を「あい」と読むと英語で下品な語感になるからだ、とする説明が一般的ですが、残念ながら英語圏で「IFRS」を「いふぁーす」と呼んでいる事例は確認できません。「IFRS」は通常、「アイエフアールエス」です。)
カネボウの粉飾事例に学ぶ監査論
監査の仕組みは社会の各所に応用可能
さて、余談は以上とし、こうした個別の事例は脇に置くとして、この「会計」「監査」という枠組みを持っておくと、社会のさまざまなところに応用が利きます。
たとえば、大企業であればあるほど「業務監査」、「内部監査」の必要性が高まることが知られていますが、これは組織が大きくなればなるほど業務が複雑化し、業務の効率性や法令の遵守状況などについて、その業務を担当している人以外の第三者がチェックする必要性が高まるからです。
そして、著者自身はこの「監査」という仕組みについては、社会的に大きな権力を握っている業界、とりわけ新聞・テレビといったオールドメディア、あるいは官公庁(とくに財務省や外務省などの中央省庁)にも義務付けるべきだと考えています。
たとえばテレビ業界の場合、BPOという「身内のお手盛り組織」が形ばかりの審査っぽいことを行っているのですが、実効性はまったくありません。BPO自身が業界から独立しておらず、また、BPO勧告にも法的強制力が伴っていないからです。
新聞業界に至っては、誤報、捏造報道を行ったとしても、それに対する罰則は存在しません。その結果、新聞もテレビも、誤報や捏造報道、偏向報道をさんざん行ったとしても、誰一人として罰せられることはないのです(なにせ「謹慎10日」が「重い処分」とされる業界ですから)。
これについては少なくとも放送局に対し、一定の誤報、捏造、偏向報道に対しては、法的に強制力を伴った電波停止処分を認定するような独立第三者機関が設けられるべきでしょうし、新聞に対しても、誤報、捏造報道については、元記事以上の紙面を割いて訂正させるという強制力が必要かもしれません。
(※もっとも、もしも今後、新聞・テレビなどの社会的影響力が小さくなれば、結果としてそのような監査機関が存在しなかったとしても問題ない、という状態になるかもしれませんが、それはそれで悪いことではありません。)
官僚にこそ業務監査が必要
また、国民が選挙で選んだわけでもないくせに、非常に大きな権力を持っている組織としては、官公庁がその典型例でしょう。
官公庁は政府提出法案を起草しているほか、政省令や告示、通達などを実質的に定めているのですが、法律については国会でチェックされるので良いとして、政省令、告示、通達のたぐいについては、官公庁が勝手に決めてしまっているという側面があると思います。
また、文部科学省の事務次官が新宿のいかがわしい店で少女買春を行っていた、といった疑惑が持ち上がったこともありますが、官僚という人たちの不祥事についても、本来ならば専門の査察官が存在しているのが筋ではないでしょうか。
このあたりも結局のところ、企業社会では一般的な「監査」という仕組みを、社会的な影響力が大きい分野にも拡大すべきではないか、という、著者なりの問題意識、というわけですが、これについては本稿の末尾にてもう一度触れたいと思います。
カネボウ事件のインパクト
さて、監査論に話を戻しましょう。
じつは、多くの人がご存じの有名な粉飾決算事件のなかに、「カネボウ事件」があります。
これは2005年に発覚したもので、カネボウが過去5年間で総額2000億円の粉飾決算を行っていたとして、監査を担当していた中央青山監査法人には金融庁から業務停止2ヵ月が下され、同監査法人所属の公認会計士4人も逮捕されたというものです。
監査法人及び公認会計士の懲戒処分について【※PDF】
―――2006/05/10付 金融庁HPより
この粉飾決算事件によって、当時「大手監査法人」の一角を占めていた中央青山監査法人自体が分裂し、そのうちの「みすず監査法人」は株式会社日興コーディアルグループ(日興コーディアル)の粉飾決算事件が追い打ちをかける形となり、事業継続を断念したという意味でも、大変に衝撃的でした。
こうしたなか、この事件について調べていくと、やはり奇妙な関係が浮かび上がるのです。
早稲田大学・産業経営研究所『産業経営』第48号(2011年8月)に掲載された『カネボウ粉飾決算の構図と連結会計基準の変更』によると、「公認会計士が精神的独立性を失い、カネボウの粉飾決算に関与していた実態が明らかになった」というのです。
監査する側とされる側が癒着し共犯者に
どうしてこんなことになってしまうのか――。
ここから先は憶測ですが、やはり最も大きな要因は、中央青山監査法人に所属していた関与社員らが、自分たちが被監査会社であるカネボウとは独立した存在であるという事実を忘却したからではないかと思います(このあたりは犯罪心理学とも結びつくのかもしれません)。
じつは、「会社側がある会計処理をしようと思っているものの、監査法人側がクビを縦に振らない」、というのは、監査現場ではよくあることです。
どう考えても被監査会社の会計処理は会計基準から逸脱したものであると判断せざるを得ず、それについては「そのような会計処理を行った場合、適正意見を出すことはできない」と突っぱねた経験が、著者自身にもあります。
ところが、被監査会社としては、監査チーム内でもあまりきついことを言わない会計士(仮に「Aさん」とします)にその会計処理の妥当性を聞きに行き、言質を取ろうとするのです。そして、うまくAさんが「それで良いんじゃない?」といえば、被監査会社側は「Aさんはこの会計処理で良いと言った!」と勝ち誇る、というわけです。
もちろん、現在の監査はチームで対応しているため、チーム内の誰かが独断で「良い」と言ったところで、それで「お墨付き」が得られるというものでもありませんし、また、度重なる粉飾決算事件のためか、最近だと監査法人内でも監査意見を出すための審査体制が厳しくなっているとは聞きます。
ただ、むかしは審査体制も形式的なものだったという事情もあってか、監査チームに対して、被監査会社側が「では、どうやったら会計処理を認めてくれるんですか?」「どういう会計処理だったらOKなんですか?」と詰め寄る、という場面は、よく見られたものです。
(※ちなみに著者の場合、会計処理の原理原則論しか述べなかったため、被監査会社から嫌われるということもよくありましたが、この点についてはまったく後悔していません。職業的専門家として正しい判断だったと今でも思っています。)
「どうすれば良いのか」に答えてはならない!
こうしたなかで、監査法人側が「グレーな会計処理」をうっかりと認めてしまった場合、いったいどうなるのでしょうか。
その後は意外と転落するのは早いのではないでしょうか。監査法人と被監査会社が馴れ合い、癒着して「共犯関係」となり、「どこまでやれば粉飾にならないか」、「どこまでやるとアウトか」という線引きを自分たちで決めるようにってしまうのです。
そして、監査法人の側も、過去にうっかり「グレーな処理」を認めてしまったという負い目がありますので、被監査会社とグルになり、会計基準をかいくぐるような粉飾決算の手法をどんどんと編み出していく、というわけです。
カネボウのケースも、関与社員らが粉飾決算に加担していたとされているのですが、同一の関与社員が何年も同じ会社に関与し続けるという弊害があることは間違いなく、現在では指定社員や監査補助者などのローテーション制度が設けられていることが一般的です。
この点、カネボウ事件以降も深刻な粉飾決算事件が発生していることを思い出すと、やはり粉飾決算事件をどうやって防ぐかは頭が痛い問題であることは間違いありません。
ただ、カネボウ事件を含めた粉飾決算事例を探っていくと、やはり「被監査会社と監査人が癒着してしまう」ことをどう防止するか、という問題であるようにも思えます。
つまり、「どうやったら認めてくれるんですか?」と被監査会社に問われても、監査人としてはその問いかけには絶対に答えてはなりません。グレーな会計処理において、「適正な会計処理」を出す責任は、この場合、被監査会社にあるからです。
この場合、監査人側は、被監査会社が出してきた会計処理を「適正かどうか」判断する立場であり、自分たちがその会計処理自体を考える立場になってはならないのです(※厳密には「監査の指導機能」というものもありますので、監査法人側が「絶対に会計処理を示してはならない」というわけではありませんが…)。
外務省の事例:相手国と一緒に考えていませんか?
さて、こうした話題を考察していくと、この手の「本来は独立していなければならない立場の者が相手と癒着し、おかしな行動を取ってしまう」という事例、監査業界以外にも意外と多いような気がします。
制度的に監査人の独立性が規定されているはずの会計監査においてもこうなのですから、先ほど挙げたBPOのように、「BPO自体に最初から放送業界からの独立性が存在しない」という事例において、チェック機能がまったく働かないのは当然過ぎる話と言えるでしょう。
ただ、官公庁のなかで真っ先に思いつくのは、相手国と癒着し、日本の国益に反した行動を取る外務省でしょう。とくに、佐渡金山の世界遺産登録を巡り、「米国が怒る」などとするウソを岸田文雄首相に吹き込んでいたという事例は悪質です(『ウソつき外務省:「佐渡金山登録で米韓との関係悪化」』等参照)。
「佐渡金山の世界遺産登録に動けば韓国や米国との関係が悪化する」。こういうウソを岸田首相に吹き込んでいたのは、やっぱり外務省だったようです。これは韓国観察者の鈴置高史氏が以前から指摘してきた問題点ですが、時事通信に今朝掲載された記事にも同じ趣旨の記載が含まれているのです。2022/07/29 17:46追記記事ジャンルが誤っていましたので修正しています。ウソつき外務省日本政府が佐渡金山の2023年におけるユネスコ世界文化遺産登録を断念したとする話題については、『佐渡金山世界遺産登録断念に「落胆」すべきでない理由』... ウソつき外務省:「佐渡金山登録で米韓との関係悪化」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
ただ、本稿で取り上げた「カネボウと中央青山監査法人」の事例を、「外国政府と外務省」の関係に置き換えても、なんだか非常にうまく説明がつくように思えてなりません。
どこかの国が日本を貶めるためにウソをつき、国際法に反した判決を下したにも関わらず、外務省がその相手国政府と「グル」になって、「どうすれば自称元被害者らの顔を立てつつ、諸懸案を解決することができるか」を一生懸命に考える姿は、まさにカネボウのために粉飾決算のテクニックを考える会計士の姿と重なるのです。
外国との諸懸案において、外国が作り出した諸懸案に対する解決策を考える責任があるのは、あくまでもその外国政府であり、日本政府ではありません。それなのに、外務省がそれを考えてしまうのだとすれば、まさに国益に反する反社会的行為そのものといえるでしょう。
このように考えていくと、やはり外務省を含めた中央官庁にこそ、ちゃんとした業務監査(あるいは業務査察)を義務付けることが必要ではないかと思えてなりません。
カネボウ事件が今日にもたらす「本当の教訓」とは、公務員が国益に反した行動を取っていないかどうかを監視し、実際に国益に反した公務員を免職し、処罰する仕組み作りではないでしょうか。
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ODA / JICA の活動は相手国からの要請に応えるという形式になっているそうです。それが実質「御用聞き」に堕ちてしまっている。果ては相手国(の一部勢力)とグルとなる馴れ合いの構図を形作って、相手国の代弁者を進んで買って出るばかりか、日本を棄損する行為にも加担する。「神聖なる外交」に下々の民は口を出すなとそうは言わせない姿勢で彼らのやってきたことやっていることを監視分析すべきと当方は考えます。
インドの各州は競争でメトロ(鉄道=高架の場合も地下の場合も)を建設していますが、車両製造はロテムに持って行かれてます。電機部品は日本が強いから売り上げは上がっているのですが、それで韓国ロテムのメトロ車両には「JICA 日の丸ププレート」が貼ってある(実物見ました)。国内鉄道車両メーカー各社が JR と結託してしまい、ドメ企業(=ドメスティック)に矮化してしまっているとは言え、金だけ持って行かれて感謝はプレートだけという構図は、国富国力の棄損以外の何物でもありません。
監査法人の場合はともかく,公認会計士個人事務所に監査を依頼している小規模企業等の場合は,企業側が公認会計士を選べるので,報酬の支払者である企業側にできるだけ不利にならないような監査報告書を作成する努力をしてけれたり,会計処理の方法をアドバスしてくれる場合が多いように感じます。特に,大学時代に仲のの良かった知人だったりすると...
なお,会計監査と業務監査は別物で,後者は公認会計士さんと関係ないのでは。業務監査をしている人は,プロでも何でもない人が多いですね。
>大学時代に仲の良かった知人
これを外務省に当てはめると、対中政策を考える際の中国大使館勤務経験者の職員だとか、ロシア制裁を検討する際のロシア留学出身者だとか、でしょうか。この場合はその国に触れた者の知見を活かす事は重要なのでしょうが、やはり手心を加えたり"過剰な"関係が無いかとかを懸念しますね。
といって、ジャパンスクールをすっかり滅ぼした文政権以後の韓→日外交の酷さを考えるとなんとも。日→韓では昔と比べ随分対応が徹底しましたが。
この問題は実は根深く、戦前から外交官だけでなく軍人たちもドイツ、ロシア、チャイナ…etcに肩入れして色々やらかしてるんですね。色々原因は考えられるんですが、どうも高官が旧武士から試験出の秀才になってから起きているっぽい。外交官や駐在武官になって赴任すると学校のテストの代わりに現地の人の仲良くすることが、まあそういういい子ちゃんな出木杉君には得意な任務になる、なるほど現地の人と仲良くなるのはいいけども、その一方で肝心の国益はどーなっちゃうのでしょうか、という話です。
あくまで日本の国益あっての外交だということがどうも忘れ去られてる局面がしばしばありますね。
仰るところは道理なのですが、政治特に外交はいわば「統一された会計監査基準が無い」状態と言えるでしょうし、日本が原理原則をある程度歪めるケースは仕方ないかと。
ただ、破ってはいけないルールがあるのも確かなので、其れを破ったかどうかを審査する部署はあった方が良いとは思います。
大変勉強になりました。ありがとうございます。
自身も経営者の端くれとなり、毎年会計監査会社のお世話になっております。
>「会社側がある会計処理をしようと思っているものの、監査法人側がクビを縦に振らない」、と>いうのは、監査現場ではよくあることです。
確かに、毎年丁々発止のやり取りをしています。
これまでは担当者を忌々しく思ってましたが、これからは違った思いで、対応できそうです。
ありがとうございました。
岸田総理の答弁の切り抜きを眺めていると、この方は財務省と外務省の官僚の言うことしか聞いていないのかな、という印象を持ちます。
誰にでもいい顔をするのは悪いことばかりではありませんが、最低限相手を選ぶことを考えて欲しいです。
かつては時価総額日本一だったカネボウの衰退を反面教師にしないとですね。
>「どうすれば良いのか」に答えてはならない!
少しでも相手方の意に沿えば「追認の言を得た」とされてしまうんでしょうね。
曲げてはいけないものを曲げようとする曲者(クセモノ)の囁きには、
「原理原則を順守しろ!」としか答えてはいけないですよね・・。
財界総理を輩出した名門総合電気メーカーの故事もありますし。あわや上場廃止の恥さらし。今では稼ぎ頭事業のひとつをもぎ取られて、関係者はよう記憶せいや、らしいです。
「国益」を基準にするのは難しいんじゃないでしょうか。
相反するA方針とB方針があり、A方針の方が国益に適うと考えるものが多数派で一見してもそうだったが、実はB方針の方が国益に適っておりA方針は愚策だったということも往々にあるので。
どちらかというと、省庁ごとの独立性が強すぎて、各省庁が省庁の利益(国全体で見た時は明らかなマイナスである場合含む)>国全体の利益で動いてしまってる部分が大きい気がします。
私腹を肥やそうとして粉飾したのか、会社を思って粉飾したのか分かりませんが、不正を行っても結局はバレて、相応の制裁を受けるのであれば、それはそれで健全な社会かと思います。
不祥事の度に規制が強まるのは、余計な手間を企業に強いる事になり却って悪手だと思いますが、ザル法であれば変えないといけない。そこは政治判断。政治家はやる事が多い。モリカケサクラ、国葬儀、統一協会ばかりやってる場合では無い。さっさと区切りを付けて、次のステージに進んで頂きたいものです。
>自分たちがその会計処理自体を考える立場になってはならないのです
数多の不法行為によって毀損した日韓関係修復のために、韓国が何をすべきかを日本側から言わないことと同じかと思いました。
例えば「日韓首脳会談できそう」などの韓国側のキムチ汁を飲む姿勢を見るにつけ、外務省職員なのか用日議員なのかわかりませんが、余計なアドバイスをしている日本側の人間がいるような気がしています。