当ウェブサイトとしては、27日に行われた安倍総理の国葬儀を巡り、献花台を訪れた一般弔問客数は、やはり3万人超であると判断します。その理由は、自民党本部にも急遽、献花台が設けられていたからです。これについて本稿ではちゃんと検算したうえで、その仮説の現実性を検討します。また、多くの人から称賛の声が上がっていた菅義偉総理の弔事を巡っては、テレビ朝日が盛大に「やらかした」ようです。
目次
弔問客数の再検算
一般献花の政府発表人数が少なすぎる?
最初に、ちょっとした検算です。結論からいえば、やはり安倍総理の国葬儀の一般献花には、「少なくとも3万人以上が訪れた」ことは確実だろうと考えています。
当ウェブサイトでは『列の長さで試算「国葬儀の一般献花は33,333人」』で、27日に営まれた故・安倍晋三総理大臣の国葬儀で、東京都千代田区九段坂公園に設けられた一般献花台を訪れた人数が「単純計算で33,333人」とする試算を提示しました。
著者自身は昨日、安倍総理の一般献花台に続く行列を見るために、午後2時半ごろ、四ツ谷駅まで出かけました。プライバシーなどに配慮して撮影した写真などをもとに推計すると、1時間あたり3,333人、10時間で33,333人、という試算が出てきました。この試算、一部報道ともおおむね整合しています。一方、反対デモについては「主催者発表で」15,000人だったのだそうですが、果たしてその数値の信憑性はいかに。2022/09/28 13:00追記磯崎仁彦内閣官房副長官は28日午前の記者会見で、昨日の故・安倍晋三総理大臣の国葬儀における参列者数が... 列の長さで試算「国葬儀の一般献花は33,333人」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
ところが、この「33,333人」という数値については、政府発表と比べれば過大な見積もりでした。『「安倍国葬に参列の若者たちが我々の相手だ」=韓国紙』でも報告したとおり、磯崎仁彦内閣官房副長官が28日午前の記者会見で、一般の献花が25,889人だったと発表したからです。
韓国メディア『東亜日報』に本日、興味深い記事が掲載されていました。「我々韓国が相手にしているのは、安倍の国葬に賛成する日本の若者たちだ」、という、東京特派員が発信した情報です。記事自体に細かいツッコミどころはあるものの、「社会のネット化により、オールドメディアの報道を盲信しなくなった日本人を相手にしなければならない」という意味では、非常に興味深い指摘です。一般献花に訪れた若年層今朝の『列の長さで試算「国葬儀の一般献花は33,333人」』では、いくつかのデータをもとに、昨日営まれた故・安倍晋三総理大... 「安倍国葬に参列の若者たちが我々の相手だ」=韓国紙 - 新宿会計士の政治経済評論 |
したがって、この発表だけを見れば、当ウェブサイトの予測が大きく外れた格好です。というのも当ウェブサイトの予測値が33,333人、政府発表が25,889人ですので、両者には7,444人の乖離があるからです。
この点については素直に認めたいと思いますし、「何が何でも当ウェブサイトの数値が正しいんだ」、「政府の発表は絶対に間違っているんだ」と拘るつもりはありません。
それに、政府発表の25,889人は当ウェブサイト予測の33,333人と比べてずいぶんと少ないことは事実ですが、だからといって「27日は平日であるにも関わらず、誰にいわれたわけでもなく、若者を含めて大勢の人たちが自発的に集まって来た」という事実の重みが変わるわけではありません。
すなわち、25,889人であっても「かなり多くの人たちがやって来た」という事実は動かせませんので、この時点でも個人的には十分に意味がある数値だと考えている次第です。
(※なお、なかには当ウェブサイトの予測値は「献花台を訪れた人数」、政府発表は「献花した人」だから、「献花台を訪れたけれども献花しなかった人もいたはずだ」、などと当ウェブサイトのことを擁護してくださる方もいました。しかし、擁護していただいて恐縮ですが、さすがにその言い分には少し無理があると思う次第です。)
冷静に考えたらやっぱりおかしい
ただ、それにしても、この「政府の発表は少し少なすぎるのではないか」という疑問点が出てくるのは、当然と考えます。やはり、列の長さ、待ち時間、列の進む速度、列の間隔などから考えて、当ウェブサイトが提示した「33,333人」という数値自体、むしろ保守的過ぎるくらいでしょう。
それに、当ウェブサイトの当初予測の正しさを示す証拠は、それだけではありません。当日の午後1時時点で献花台を訪れた人数が1万人を超えていたとする報道もあるからです。
献花は午前9時半に始まっていたため、午後1時時点で3時間半が経過しているはずです。よって、当ウェブサイトで示した「1時間3,333人」という数値で単純計算すれば11,666人(=3,333人×3.5時間)が献花台を訪れていたはずであり、これは「午後1時時点で1万人超」という報道と大きく矛盾しません。
あるいは「午後1時でちょうど1万人だった」との仮定を置いたとすれば、献花台を訪れた人数は1時間あたり2,857人に留まりますが、もしそうだったとしても、10時間が経過すればやはり3万人近くに到達するはずです。
これに加え、実際、昨日はコメント欄で、実際に現地を訪れた方から「政府の発表は少なすぎるんじゃないか」、などとする疑念の声が上がっていたことも事実です。
一説によると列は最長5㎞弱にも達したのだそうですが、仮に列が4.8㎞、間隔が60㎝で2列に並んでいたと仮定したら、それだけで列に並んでいるのは16,000人です。この列が2回転するだけで、人数は32,000人に達する計算です。
カギは自民党本部にあり!?
そこで、「どうしてこんなに大きな乖離が生じたのか」と考えていろいろ調べていたところ、行き当たった事実が、これです。
献花台設置のご案内
故安倍晋三元総裁の国葬儀に伴い、献花台を設置いたしますのでご案内申し上げます。
- 期間:9月27日(火)15時~18時
- 場所:自民党本部駐車場
- お願い:正門ではなく、国会側の南門からお入りください。
- 記帳台は設けておりません。また、お花以外の供物はお受けできませんので、予めご了承ください。
―――2022年9月27日付 自由民主党HPより
じつは自民党本部にも当日の午後3時に急遽献花台が設けられ、3時間、献花を受け付けていたのです。
九段坂公園から自民党本部までだと、本来の最短ルートでは距離は2.3㎞、徒歩で30分少々かかりますが、もともと行列が四ツ谷駅まで伸びていたわけですから、四ツ谷駅から九段坂公園に向かっていた人たちが、途中で目的地を自民党本部に変更したとしても、歩く距離はあまり変わりません。
したがって、九段坂公園を目指していた行列から7,444人が離脱して自民党本部に向かった、などとする仮定を置くと、すっきりと辻褄が合います。自民党の献花台が1時間に2,482人受け付けることができれば、3時間で7,444人になるからです。
そして、「1時間に2,482人」という数値の現実性は、先ほどの九段坂公園の「午後1時時点で少なくとも1時間あたり2,857人」という数値に照らし、遜色ありません。というか、むしろ少ないくらいです。
あるいは、自民党の献花台を訪れた人が1時間あたり3,333人だったと仮定したら、3時間でちょうど1万人であり、これに九段坂公園の25,889人とあわせれば、安倍総理に花を手向けた人の人数は35,889人、という計算となり、これも先ほど挙げたコメント主様の肌感覚に合致しているのではないでしょうか。
この点、自民党の献花台を訪れた正確な人数についての報道は見当たりませんが、この予測、おそらくはそうピント外れではないと思います。いずれにせよ、当ウェブサイトとしては先日の「平日にも関わらず33,333人以上の弔問客」という仮説が、やはり「国民の意志」を説明する数値としては実態に近いと考えているのです。
国会前抗議者は本当に15,000人だったのか?
ただ、献花した人数が25,889人だろうが35,889人だろうが、決定的に重要な事実があるとしたら、正直、当日、国会前で抗議活動をしていた勢力の主催者発表「15,000人」(※あくまでも「主催者発表」ですよ!)を上回っていた、という点でしょう。
この「主催者発表15,000人」の値自体も非常に怪しいものです。なぜなら、現場の写真については「引き」で全体を写したものがほとんどないからです。また、空中から写した写真を掲載している数少ない記事のひとつであるFNNプライムオンラインの次の報道では、「数千人規模」と報じています。
【速報】安倍氏「国葬」 都内各所で反対デモ 国会前では数千人規模に
―――2022年9月27日 14:43付 FNNプライムオンラインより
もっとも、一部のツイッター・ユーザーの間では、空中から見てスッカスカの写真をもとに、「公式発表15,000人、警察発表300人」などとするツイートも発信されているのですが、さすがにこれは誤りでしょう。そもそも「警察発表で国会前のデモは300人だった」とする情報自体、出所が不明です。
これについて著者自身が調べたところ、国会前では主催者発表で15,000人(FNNプライムオンラインは「数千人」)でしたが、それ以外に日比谷公園では主催者発表で2,500人、武道館近くの公園で約300人(主催者発表なのか警察発表なのかは不明)、といったものがありました。
ただ、これらを単純に足し上げたとしても、都内でデモをした人数は2万人に届きませんし、「国会前の15,000人」、「日比谷公園の2,500人」がウソだったとしたら、下手をすると1万人にも達していないという可能性はあります(というよりも、おそらく1万人には達していなかったのだと思います)。
しかも、この「1万人弱」は(写真等で見る限りは)お年寄りが多いようです。日本共産党などから「動員」がかかったからでしょうか?
テレビ局と市民団体と特定野党のメッキが剥がれた
正体は「ノイジー・マイノリティ」
くどいようですが、九段坂公園を訪れた25,889人の人々、そして自民党本部を訪れたと思われる数千人の人々は、平日であるにも関わらず、自発的に集まって来た人々です。これに対し、国会前などで集まった、全体で1万人にも満たないと思われる人々の多くは、自発的に集まって来たとも思えません。
以上より、今回の安倍総理の国葬儀は、長年の当ウェブサイトにおける仮説――「サイレント・マジョリティ」vs「ノイジー・マイノリティ」――を裏付ける、ちょうど良い機会となったと考えています。
つまり、特定野党(日本共産党や立憲民主党)、オールドメディア(とくに新聞、テレビ)などが作り上げてきた「世論」が単なる「虚像」に過ぎないという事実が、どこからともなく自発的に集まって来た圧倒的多数の人々の存在によって、証明されてしまったからです。
多くの人が賞賛した菅義偉総理の弔事
話はそれだけではありません。
安倍総理の国葬儀はインターネットでも中継され、テレビではなくネットで視聴したという人も多かったようですが、そのなかで、安倍総理の友人代表として弔辞を読んだ菅義偉総理に対する賛辞が、自然発生的に現れているのです(※菅総理の演説の全文は、たとえば次の記事などで読むことができます)。
【全文】「あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした」菅前首相 安倍氏「国葬」友人代表弔辞
―――2022年9月27日 15:02付 FNNプライムオンラインより
なお、岸田文雄・現首相の弔事(※全文については、たとえば次の記事をご参照ください)についても、個人的にはさほど悪いものではなかったとは思いますが、やはり「重み」で見るならば、それこそ7年8カ月にわたって安倍総理と苦楽を共にしてきた菅総理の発言は、聴く人の心にずっしりと響いたのではないでしょうか。
【全文】岸田首相 弔辞 安倍元首相「国葬」
―――2022/09/27 14:42付 Yahoo!ニュースより【日テレNEWS配信】
テレビ朝日「電通が入っている」「政治的意図」
ただ、この菅総理の弔事を巡って、またしてもテレビ朝日が「やらかした」ようです。
テレ朝・玉川徹氏 安倍氏国葬で菅義偉氏の弔辞に広告代理店の演出指摘「政治的意図」
―――2022/09/28 15:08付 Yahoo!ニュースより【デイリースポーツ配信】
デイリースポーツの記事によれば、テレビ朝日の職員でもある玉川徹氏が28日、テレビ朝日系の『羽鳥慎一モーニングショー』に出演し、この菅総理の弔事を巡って「電通が入ってます」と述べたのだそうです。
「国葬についての賛否が分かれる中、菅氏の弔辞については心がこもっていたと評価する声も多かった。(中略)玉川氏は『これこそが国葬の政治的意図』と指摘。(中略)友人らが思い出を語れば『それは胸に響く部分はあるんですよ。そういう形として国民の心に残るんですよね。既成事実として残るんです』と祭り上げられる部分があることを力説した」。
正直、この玉川徹氏が個人として何を感じるかは自由ですが、公共の電波を使って放送する内容として、これが適切なのかどうかについては、大いに疑問です。というのも、この「電通が入っている」発言の意味するところは、菅総理の弔事を「たんなる演出」と貶めているようにも受け取られかねないからです。
そして、このデイリースポーツの記事でさらに驚くのは、こんな記述です。
「玉川氏は『演出側の人間としてテレビのディレクターをやってきましたから、それはそういう風に作りますよ』と感動的に見えるように作るのは当然と指摘した。『政治的意図がにおわないように、制作者としては考えますよ。当然これ、電通が入ってますからね』と具体的な広告代理店名を出して演出を強調した」。
…。
テレビ局は「演出側」として一定の印象を与えるよう操作してきた
この文章、初めて読んだときには、なかなかの衝撃を受けました。というのも、ここで個人的に大変気になるポイントが2つあるからです。
1つ目は、自分たちが「演出側の人間としてやってきた」などと発言すること自体、テレビ業界にいわゆる「演出を使って国民に一定の印象を与えるように操作する行為」が蔓延していることを、みずからバラしてしまったのではないか、という点。
このあたり、私たち一般人から見て、菅総理の弔事を電通がアドバイスしたのかどうかはわかりません(個人的主観に基づけば、あの立派な弔事は菅総理が秘書らと相談しながら自身で書き上げた個人の言葉ではないかとは思いますが…)。
2つ目は、電通というテレビ朝日を含めたテレビ業界が大変お世話になっているはずの広告代理店を名指しで批判した、という点。
テレビ朝日は在京民放各局のなかでも不動産事業などの「副業」の収入が少なく、電通などが取り仕切る広告の収入の重要性は非常に高いはずなのですが、その「収入源」をもたらしてくれる会社のひとつである電通を堂々と批判したという時点で、テレビ朝日というテレビ局の経営センスを疑わざるを得ません。
ちなみに玉川氏は羽鳥慎一アナのフォローにも関わらず、それでも次のように強調したのだそうです。
「菅さん自身は自然にしゃべってるんですよ。そういう風な、(心に)届くような人を人選として考えてる」。
つまり、弔事を読む人として菅総理を選んだこと自体も「演出のひとつ」、というわけです。
大変有意義だった国葬儀
このあたり、菅総理の演説の全文を読み、友人として心から安倍総理の死を悼んでいることに心を動かされた人たちが、この玉川徹氏の発言を耳にしたとして、「あ、菅さんはしょせん演出なんだな」、と玉川氏に同意する人はいったいどれくらいいるのでしょうか。
なにより、「テレビのディレクターを務め、演出側の人間として」云々の発言自体、テレビ業界がいかに腐敗しているかという事実を、もはや隠し立てもしなくなった証拠そのものではないでしょうか。
そういえば、昨日の『国葬儀はもう終わったのに「国葬反対」叫ぶ謎の人たち』では、ツイッター上で「#国葬が終わっても国葬に反対します」というハッシュタグが生成されていた、とする話題を取り上げました。
終わってしまったものに反対して、いったい何になるというのでしょうか?そこまでして「敵」を作り続けなければならない理由は、いったい何なのでしょうか?
あるいは正直、彼らは自分たちで何をやっているのか、もうわけがわからなくなっているのかもしれません。滞りなくすでに実施されてしまった国葬儀にそれでも「反対する」という行動自体、なにか意味があるものではないからです。
いずれにせよ、27日の国葬儀は、新聞、テレビを中心とするオールドメディアなどの「世論を操作して来た側」のメッキがベリベリと剥がれ落ち、特定野党・市民団体などの「声が大きい人たち」が「ノイジー・マイノリティである」という事実が露呈するという意味で、大変有意義なものだったといえるのかもしれません。
View Comments (46)
素朴な疑問ですけど、もし菅義偉(前)総理の弔事が演出だとしたら、どうしてテレ朝は、その演出家の存在を他局に隠して、専属契約を結ばないのでしょうか。なにしろ、ひと目で、その演出家が才能があるのが分かりますから。
蛇足ですが、テレ朝は電通への釈明に追われるでしょう。
献花の列は、並んだけど時間の都合で途中で諦めた人も多かったんじゃないでしょうか。こちらのコメント欄でもそういった方がいらっしゃったようですし。
意外な人の意外なツイートで一例を示しますと、
へえ、と思いました。
元ジェネラリスト様
列から概算人数を数えると約3万人以上いるでしょうが
本人の時間制限・体調問題及び献花受付に終了時間が
ありましたので減少したのではと思います。
列の長さを見て諦める人も多いですしね。
これで、献花受付終了時間の延長・献花受付場所の
分散化ができていたら、献花者はもっと多くなっていたと
思います。(警備上の問題がある事は十分認識しています)
こういう理論値と実測値がズレる話は好きですね。自分で算出しているときはたまに地獄を見ますが。
私もその中に含まれますね。まあ、私の場合は間に合わないことを薄々わかっててでもその場に行きたかっただけですから。
そんな私の現場に行った個人的な意見ですけど、もはや数字はどうでもいいな、と。実際献花場にはまだ人がいっぱいいて、ご遺影が見えるところではみんな手を合わせていて、うるさいデモの奴らなんかには一切出会わず。行きの電車の中でもお花を持った若い女性が乗ってたり(私と同じく献花には間に合わなかったと想像)。
ネットで見れたり、報道機関が語る内容は全然真実とはかけ離れているなぁと。それを肌で感じられたので十分です。
なお、実際行くことが出来ない人には数字の裏付けでもって正しい感覚を持つことが重要なので、新宿会計士さまの記事の書き方には全面的に賛同です。
ふと思うのですが、オールドメディアの記者の方々はデモも取材して、献花の列も取材した上で、本当に「二分した」と正直に感じたのでしょうか?中立的に体験しても、絶対両者が拮抗してる印象など受けないと思うんですよ。多分自分の感覚を捻じ曲げないで記事を書かないと記事が没になっちゃうんですよ。社論に追随せざるを得ない。現場の感覚を正直に記事に出来ない。それで満足なんですかね。 まあ、それを我慢出来るだけの高給なのかもしれないですが。
>『これこそが国葬の政治的意図』
何が気に入らないのか良くわかんないのです♪
安倍元総理を心を込めて送りたい、それを国民に伝えたいってのは、国葬儀をする側からすれば自然なことだと思うのです♪
そのために相応しい人に弔辞をお願いするって当たり前のことじゃないのかな?
安倍元総理のやったことを個別に見れば賛否はあるだろうし、それはそれとして評価すれば良いだけのことじゃないかと思うのです♪
自分の考えを伝えたいなら、相手を貶めることばかり考えるんじゃなくて、問題設定をちゃんとして、それが伝わるように言葉を選ばなきゃと思うのです♪
それこそ、ちゃんとした「演出」をしないといけないと思うのです♪
なんてことは「演出」のプロならわかってると思うんだけど・・・・・(´Д`)ハァ…
>自分の考えを伝えたいなら、相手を貶めることばかり考えるんじゃなくて、・・
正に正論ですね。
玉川徹氏が言っている論理的な部分は”演出”と言う部分を除いて、
世の一般の”大人”からすれば”当たり前のこと”。
>結婚式や葬儀で本人を称賛してくれる人を選び、貶めることを話すスピーカーは選択しない。
>公式の場でのスピーチをするような人は、自分一人のみで考え、そのまま実行する人はいない。
これ等を”演出”という表現で”貶める”のが、テレビ朝日であり玉川徹氏の性なのでしょう。
菅さんの弔辞は、優秀なスピーチライターと素晴らしい奥様やスタッフのアドバイスが有ったのではないかと言う気がします。それがあのお弔辞の内容を高めた。
あんな素晴らしい 最後のラブレターは、並の人には書けません。
正に”チーム菅の作品”と思います。
”お弔辞”とは、なんじゃい。
タイポです。
七味様
あっち系(半島系)の演出のプロですよ?
相手を徹底的に貶めないといけないんです。
あっち系の政治家を見れば、解るでしょ?
(自民党の一部議員を除いた人達の事です)
演出のプロがいない(自称プロはいる)から
政治は意味が無い事(統一教会問題が一例)しかしないし、
TV番組も見たいものが全く無くなってしまいました。
メディアは自分たちの道具だと自認している勢力がいるのです。そう発言したのはズビグネフ・ブレジンスキーの娘だそうです。古い話ですが。
国葬反対デモが都内各所(あるいは全国各地)で行われていて総計したら20000人?になる
という報道ですが私はあまり信用できません。
元来こういうデモは一か所に参加者全員を集めてこれほどの人間が意思を一つに団結していると
示すデモンストレーションです。
あちらこちらでゲリラ的にやったら、その本来の意義は失われてしまいます。
あえて愚策をやったのは「ここのデモはこの人数しかいないが、他の場所でもデモをやってるし参加者全員を合算すれば大人数だ」と韜晦して参加者実数を把握させないための方便でしょう。
毎度、ばかばかしいお話しを。
「各自が自宅で一人で国葬反対の抗議を行った人を合計すれば、その数は一般献花の人の数を上回る」
おあとが、よろしいようで。
私も反対派20000人は全く信じられません。あんなに長い献花の行列ができてても一般献花は約25000人なわけです。私は当日、会場近くから国会議事堂正門前や日比谷公園前を自転車で通りましたが、反対派は国会正門周辺、墓苑交差点付近、日比谷公園に少しいただけですから、反対派が20000人など絶対にあり得ない数字。主催者発表というのは主催者が言ったというだけで、数字はどうとでも言えるものです。それを実態を考慮せずに垂れ流すとは。これがマスコミの手口なのでしょう。
それにしても官房副長官の発表した献花者数は少なすぎるように思います。
全国各地での国葬反対デモを合計したら、20000人になる、と言われても、(それを報道したマスゴミも含めて)その全国の現場を一瞬で行ってみなければ、その真偽が分からないのではないでしょうか。
国葬が終わっても国葬に反対したいなら
どえらい人物がいますよ
山本五十六元帥って言うんですけど
国葬反対派からしたらもう発狂モノでしょうよ。
国葬終わったのに安倍さんだけが叩かれるのはよくわからない。そういう意味でもダブスタなのでは。
スポンサーから「あいつの言ってることは本当か?」という問い合わせが電通に入るかもしれない。
テレビ局は電通にはまったく頭上がらないんだけどね。
「俺がやっているのだから、お前もやってるに違いない」って自己投影ではないですか?
なんか韓国と同じでは?
もし、私が国葬担当の政府関係者で「そういった演出が可能であるなら」、内閣支持率を回復させるために、国葬を決断して猛批判を浴びている岸田さんに花を持たせる演出にするなぁ。菅さんに花を持たせても岸田さんの影が薄くなるので、寧ろ逆効果。実際にそんな感じになってますよね。昨今のテレビ解説者って、そんなことも想像できない程のレベルなんでしょうね。
玉川氏はちょっと逆張りするあまり逆に想像力が欠落しちゃっているようですが。
普通の極一般のありふれた「お葬式」がありますが、そこに"演出"は一切無いでしょうか?しめやかさを演出したり、逆に明るかった故人の人柄を反映させて賑やかさを演出したり。演出しないなんてことあります?演出一切しないなら業者無能で不誠実すぎない?
演出どころか虚構(自覚アリ)の業界で生きてきたせいで、一般の「必要な演出」まで悪いものと思っているのでしょうか。
さらに言えば、私は"演出"に感動したのではなく、主観に過ぎないとはいえ
"演出の中から垣間見えた菅氏の感情"
に感動したのです。演出ガーとかなんと薄っぺらい見識なのか。