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科学的思考プロセスとネット空間

本稿は、単なる雑感です。先日「伊江太」様と名乗るコメント主様からいただいた「某国のダンピング経済」に関する論考や、それに対する読者コメントを読み返していて、ふと気づいたのですが、科学的思考態度とは「現実を説明するための理論を考え、その理論で説明できない部分を、さまざまな仮説によって検証し、補強していくプロセス」そのものではないかと思うのです。

経済学に関する優れた論考

先日、「伊江太」様と名乗るコメント主様から、「自身の専門外のテーマだ」、などと称しつつも、「ダンピング経済」に関する大変な力作を投稿していただきました。

その内容は『【読者投稿】将来を食い潰す「某国のダンピング経済」』でお読みいただくことが可能ですが、大雑把に言えば、「輸出主導で経済成長したら、どこかで内需中心の経済に転換しなければならないのに、それができていなかった場合にどのような不都合が生じるか」、といった議論です。

久しぶりに、大変な力作です。武漢肺炎シリーズでこれまで多くの玉稿を執筆して下さった読者の方が、今回は何と「専門外」であるはずの国際金融に関する興味深い「思考実験」を寄稿してくださいました。題して「自国の将来を食いつぶすダンピング経済」です。経済学者の方が書いた文章とは異なりますが、非常に本質的なところを突いていることは間違いありません。惜しむらくはこの論考、現実に存在する国の考察ではないようなのですが…。読者投稿当ウェブサイトでは読者の皆さまからの投稿を募っており、その要領については『読者投稿...
【読者投稿】将来を食い潰す「某国のダンピング経済」 - 新宿会計士の政治経済評論

ご本人は「経済学の素人だ」、などとおっしゃるのですが、この「現実を説明するための理論を考え、その理論で説明できない部分を、さまざまな仮説によって検証し、補強していく」という考え方自体、科学的思考そのものであり、経済学もれっきとした科学であるという事実を改めて認識することができるものです。

(※おっと、失礼しました。伊江太様によると、これは「現実に存在する国」ではなく、「仮にそんなおかしな国が存在していたら」、という「仮定の議論」でしたね。)

そして、この読者投稿に関しては、読者コメント欄も盛況でした。本題である経済学そのもの、あるいは「仮定の国」の行動のおかしさに関するツッコミなどもさることながら、やはり伊江太様の考察の絶妙さに対し、多くの読者がぐいぐい引き込まれたことが、読者コメントを見ていても明らかなのです。

タテヨコ検証に適したネット空間

やはり、人々はちゃんとした議論に飢えているのかもしれません。そして、こうした「議論する欲求」、あるいは当ウェブサイトでいうところの「知的好奇心を刺激する材料」の価値は、非常に高いのです。その空間こそが、インターネットの特徴なのでしょう。

昨日の『ネット「タテヨコの広がり」議論を深める読者コメント』でも紹介したとおり、インターネット空間というものは、情報を「タテヨコ」で入手したうえで、それらを深く展開することができる、という特徴があります。

ネット時代における「タテヨコの広がり」という論点があります。これは、インターネットの普及で人々が多くのより情報源から情報を得ることができるようになったこと、同一メディアの過去の情報発信を追いかけることができるようになったこと、という2つの特徴を意味する当ウェブサイトの造語です。これを巡って本稿ではとある読者コメントを2つほど取り上げたうえで、その議論の広がりを確認してみたいと思います。ネット時代における「タテヨコの広がり」当ウェブサイトでこれまで取り上げてきた話題のなかには、「インターネット...
ネット「タテヨコの広がり」議論を深める読者コメント - 新宿会計士の政治経済評論

この「タテヨコ」というのは、情報を広くて深いインターネットの森から集めてくることができる、という意味であり、また、私たち人間が物事を考えるうえで必要な材料を手に入れるには、インターネットが最適な空間である、という意味でもあります。

こうした議論を踏まえて、ふと感じたのは、世の中には「結論だけを知りたい」という人と、「結論に至るまでの考え方を知りたい」という探求心を持った人がいるのではないか、という疑問です。

これはどっちが良い、悪い、という話ではありません。単純に、「考えること」を楽しいと考えてそこに時間を費やそうとするか、それとも「結論」だけを効率的に入手しようとするか、という違いです。

結論を決めつける態度が正しいのか

どうしてそんな疑問を感じたのかといえば、とある人物がメールでこんな感想を教えてくれたからです。

新聞業界やテレビ業界では、結論に至るプロセスを含め、読者や視聴者に対し、手取り足取り、わかりやすく教えるのが自分たちの使命だと思っているらしい」。

じつは、これこそが、ウェブ評論とメディアに掲載される記事の大きな違いなのではないでしょうか。

「読者や視聴者にわかりやすく教える」といえば聞こえは良いのですが、違う言い方をすれば、「結論を決めつけて、読者や視聴者に押し付けている」ようなものではないでしょうか。

そして、新聞、テレビなどのオールドメディアの報道を信頼している人たちというのは、得てして結論を決めつけてしまうという傾向があるのかもしれません。

じつは、こうした態度は科学的とは言い難いものです。

当たり前の話ですが、誰かが何らかの「結論」を出すには、その前提としてさまざまな材料があり、それらの現実の材料を、できるだけ正しい考察過程を経て統合する作業が必要だからです。

ゼロか100かで判断する人たち

こうしたなかでわかりやすいのが、選挙や政治の話題ではないかと思います。科学的思考態度がない人ほど、得てして「ゼロ」か「100」かで判断してしまう傾向があるように思えてならないからです。

当ウェブサイトをご覧いただいている方からすれば、当ウェブサイトが自民党に批判的であるということに、何となくお気づきの方も多いでしょう。

麻生太郎総理や故・安倍晋三総理、菅義偉総理らにはそれぞれ良い業績と悪い業績があります。

とくに麻生、安倍両総理は、財務省が強行した2度に及ぶ無茶な消費税等の増税を止めることができなかったという意味では、個人的には大変な不満を抱いているのですが、それと同時に「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)を掲げ、日本の外交を大きく転換したことは、大変大きな功績だと考えています。

ただ、これを「ゼロ」か「100」かで判断してしまうと、安倍総理や菅総理を「まったく評価しない」という人が出て来てしまいます。

こうしたなか、著者自身は勉強も兼ねて、世の中の大手メディアだけでなく、最近だと個人ブログなども積極的に訪れて、記事を読ませていただいているのですが、そのなかで非常に気になる傾向を発見しました。

安倍総理を「(旧)統一教会と癒着していた」、などと批判している人は、いわゆる「左派」あるいは「サヨク」と名乗る勢力だけでなく、「保守」と自称する勢力にも存在しているのです。

個人的には、本当に残念だと言わざるを得ません。

とても当たり前の話ですが、日本のように古くから存在する国の場合、政治家の仕事は利害調整が中心とならざるを得ず、古い既得権を少しずつ整理し、できるだけ多くの人が納得できるような仕組みを作り出していくしかありません。民主主義とはじつに迂遠(うえん)な仕組みなのです。

ただ、「左派」の人たちや、例の「140文字の文章しか理解できない人物」などを含めた「(自称)保守派」の人たちに共通しているのは、基本的には「ゼロ」か「100」かで物事をすべて決めつける、という傾向ではないかと思うのです。

このように考えていくならば、とにかく徹底的に「なぜ」を突き詰めるようなウェブサイトが、世の中にひとつやふたつは存在しても良いのかもしれません。

当ウェブサイトごときがそのようなプラットフォームとして機能しているかどうかは自信がありませんが、少なくとも現実社会の現象と、それに対する理論的な裏付、そして仮説と検証のプロセスが大切であることだけは間違いないと思う次第です。

新宿会計士:

View Comments (50)

  • 科学的思考の定義が記載されておりますが、
    従来の科学的思考=共産党の指導によるものと
    既定されていた気がします。
    年月が異なると同じ表現でも、異なる意味に
    なるようですね。

    でも、歴史・経済学(いや、他の学問も)においては、
    会計士様の定義は未だ存在していないようです。
    日本の経済が米国に次ぐと言われて何年、中共にGDPが
    追い越されて何年経ちますが、ノーベル経済学賞とまでは
    言わなくとも、マトモな論評が出ない事が証だと思います。
    アホなMMT理論さえ、日本から出てこない!!

    • ちょろんぼ様

      科学的思考について。
      そう言えば、と思い出しました。彼らが勝手にそう言っていたようです。言葉を使うのは自由ですから。ただ、彼らの使う「科学的思考」は、修辞的で自己満足的で、自分達の理屈の浅さを隠す為に、仲間内で使っている印象でした。

      本稿は、何気なく普通に読み進んでいましたが、その分、「科学的思考」という言葉は、今の時代に普通に馴染んでいるようです。
      それで、わたしのこの「科学的思考」という言葉から感じる定義ですが、科学的知識に基づいて考える、科学的思考方法によって考える、と二つほどの意味合いがあるように感じます。

    • >従来の科学的思考=共産党の指導によるものと
      既定されていた気がします。

      多々の用語の定義を如何にするかは人それぞれですが、左派の人達の「科学的思考」は「伝統的な宗教を根本的に否定し、かつマルクス主義の教義を無謬とし疑う事を許さない」というのが出発点です。

      私は理系のオッサンですが、私にとっての「科学的思考」は「客観的観測を出発点とし、経験的な前提と仮説から論理的に結論を導き出し、事象を説明することを目的とし、その結論が客観的観測(現状認識)と会わない場合は仮説、前提共々見直す」方法論だと考えています。

      日本のさる隣国では「テンプレート思考」が蔓延していて「日本が悪い」と言う「動かすことが許されない前提と結論」を正当化する為に仮説と観測(現状認識)を任意に歪曲・捏造してしまうのだと思います。

      例のレーダー照射事件での韓国の行動をみれば、そのカラクリは一目瞭然です。

      • 道草様

        多分、科学的思考に関して、妥当なご説明だと思います。
        が、もう少し、「理論的に間違わず」易しく分かりやすく書いていただけましたら、もっと嬉しかったな、と思いました。
        実は、それぞれの単語に関する概念が追いつかないので、理解したつもりのようで理解できているか自信がもてません。

        そこで、「分かりづらい文章」というものを、「理系的」に分析してみようかな、と思いつきました。
        あくまで、これは、わたしの拙い見識に依るものですので、ご笑読頂けましたら幸いです。

        一般的に、物質は構成要素が多くなれば、誤差の集積も多くなります。
        機械も構成部品が多くなれば、機械全体の誤作動の頻度や故障の確率が高くなります。
        そこで、対処法は、2つあります。
        構成部品の数を少なくする、又は、一つ一つの構成部品の精度を上げること、です。

        分かりやすい文章を書けとは、先ず使う単語の数を減らしなさい、という事のようです。
        そしてもし、どうしても、単語を多く使わなければならない場合は、一つ一つの単語をなるべく易しく分かりやすく、読む人の解釈に幅が出にくいものを使うこと。
        一つの単語の意味が理解の誤差を含んだものであれば、単語の数が多ければ多いほど、文章全体の誤差も蓄積され、結局、「何を言わんとしているのか解らない」という文章になってしまう可能性が大きくなります。

        これが、「分からない」と言われる文章の理系的な分析のつもりですが、ただし、わたしの個人的な、自分で何となく納得する為の私的な解釈です

        尤も、この文章そのものがややこしすぎるかもしれませんが。そのときは、易しく書く能力が今百のレベルということになります、残念ながら。

        • 上の返信のコメ主です。追記させて頂きます。

          機械の誤作動の頻度と故障の確率を減らすために必要なことは、もう一つありました。
          機械の構成(構造)をシンプルとすることです。

          これと同様に、文章を分かり易くするためには、全体構成と文章の構造をシンプルにすることによって、文脈を分かり易くして、読むときのリズムを良くすることが必要であるように思います。

          以上の文を追加させて頂きます。

          ※機械的なものは、構造物が大きくなるほど、当然ですが、一つ一つの構成部品の要求精度は高くなります。
          例えば、瀬戸内に懸かる巨大な大橋の支柱の鉄板の仕上げ精度は、千分の1ミリが要求されます。通常、機械の部品は、百分の1ミリの精度で加工されています。

          巨大な大橋は、見ていると雄大で解放された気持ちになりますが、実は、繊細な精密さの構成物で成り立っているのです。
          何かこれは、大きな仕事ほど、繊細で緻密な企画計画と実行実施計画と用心深い実行行動が要求されるのと同じ様な気がするのは、わたしだけでしょうか?

        • 匿名様、

          分かり難い文章をステップを省略しつつ、書きなぐりした事をお許し下さい。
          自分的には中学や高校で学ぶ程度の用語と数学で習う論理しか用いていなかった心算でしたが、やはり説明のステップを省略して凝縮してしまうと分かり難くなりますね。

          「科学的思考プロセス」では「何度やっても、誰がやっても繰り返して同じ結果が出る客観的な観察」を重要視します。 
          例えば、普通の室内でティッシュペーパー一枚(約0.5グラム)と文鎮(約250グラム)を同じ高さから同時に落とすと、「文鎮が先に床に届く」でしょう。

          誰が何度繰り返しても同じように「文鎮が先に床に届く」と言う結果が出ます。

          で、私はこの事象を説明する仮説として「重い物は軽い物よりも落下速度が大きい」を採る事にします。

          この仮説を検証する為に色々な物体を用いて実験を繰り返しますが、米粒一粒(約0.025グラム)とティッシュペーパー一枚(約0.5グラム)の場合軽い米粒一粒の方が比較して重量の大きいティッシュペーパー一枚よりも落下速度が大きいと言う結果が出ました。

          結論としてはこの「重い物は軽い物よりも落下速度が大きい」と言う仮説は実際の実験結果の観察によって否定されました。

          この例を用いると、我々の隣国では「いやいや、米粒一粒は本当はティッシュペーパー一枚より重いのだ」とか「いやいや、俺はティッシュペーパー一枚の方が先に床に届いたの見た。俺を疑うのか?」とか主張するので、思い込みのみで出来た仮説を至上の真理として絶対に曲げないと言う事です。

          話が飛んでしまいますが、私には物理学で言うところの一見簡単そうな「多体問題」とその解を一般人に分かり易くかつ正確に説明することは難しくて出来ません。

          • 道草様

            >>>話が飛んでしまいますが、私には物理学で言うところの一見簡単そうな「多体問題」とその解を一般人に分かり易くかつ正確に説明することは難しくて出来ません。

            昔、相対性理論を理解できる人は、一万人に3人と言われていました。

            理解できる人よりも、「凡人に説明できる能力」を持った人が少なかったのでしょう。
            それ程、理解させることは難しいですし、理解できることは、ある点で、先天的な才能が必要であると思います。例えば、音楽の才能なんて教えて出来上がるものでしょうか?

            また、例えば、ここに書きました、
            「相対性理論を理解できる人は、一万人に3人」という言い草(敢えて言い草と書きます)は、どうやってデータを集めた上での言葉なのでしょうか?

            誰もこんな調査なんてしてませんし、やろうと思う人もいないと思います。

            しかし、この「言い草」は、相対性理論は難解であるということ、と、理解できない人への慰めと、理解できなくても、理解できる人が理解して、世のために活用すればいいのだ、のようなニュアンスがありませんでしょうか?

            こういうのを、暗喩とか隠喩とか例え、などと言うのではないでしょうか?

            理詰めで説明できないことは、こういう表現法を使う、これを修辞学とか何とかと言うのでしょうか?
            間違っていたら、済みませんですが、世の中は、理詰めで説明できないことは沢山あります。

            諺なんかもその部類ではないでしょうか?
            諺の意味する所を、統計学的に証明し説明できますでしょうか?そんなことを証明するために、統計的な調査をしようと思う人や大学はないでしょう。

            という訳で、理詰めで説明できないときは、隠喩・暗喩・デフォルメ・エピソード・諺、等々、人類はいろんな方法を考案してきました。

            ですから、科学的な思考や方法論だけが真実を説明する方法ではないということを、先ず、科学的な思考ができると思っている人は知る必要があるように思います。そうしないと、世の中息苦しくなるような気がします。

            それから、私の機械に例えた、「分かり易い文章とはどういうものか」の解釈と説明も、納得した方がいるかどうかは、分かりませんが、これも、説明の仕方の一つだと思います。

            機械の成り立ちと、文章の成り立ちが、同じなんて理詰めで精確に説明できるでしょうか?
            これは、例えを使うという説明方法ですね。
            ですから、何となく分かった気になって、自分の仕事なり人生に活かせばいいのではないでしょうか?
            実際、それで実際の効果が出ていることは多いと思います。

            勿論、理論的に厳密に証明することが科学の基本です。
            然しながら、ここに書いたようなことで、成り立っている世界もあり、これが、科学と同じように、かなりの確率で世の中を運営させているようだ、ということです。

            そもそも、どんなに理詰めで完璧な理論やその解釈でも、現実の世の中に役に立たなければ、意味も価値も生み出しません。

            この文章の言っていることを又理詰めで説明しようという面倒くさいことをしようとする人はいないと思いますが、この「現実の世の中に役に立たなければ、意味も価値も生み出しません。」には、一言聞いて誰もが納得する諺があります。
            「絵に描いた餅」と言う言葉ですね。

            それから、
            「これが、科学と同じように、かなりの確率で世の中を運営させているようだ、ということです。」
            と書きましたが、実は、この世界は、確率で出来ているということです。一般的に、物理学の法則は絶対だと思われているかもしれませんが、これは、確率的に再現性が限りなく100%に近いと言うだけのことで、100%ではありません。

            だから、コロナウィルスも変異するのですし、癌も細胞の再現の失敗の結果です。
            えっ、そうなのと驚く人は現代では少ないと思いますが、生物の細胞は、どれくらいの分裂再生を繰り返しているでしょうか?本当に人間の感覚からすれば、無限の無限の・・・、というくらいの回数です。
            無限回数に近いことを繰り返せば、そこには必ず失敗があるということを、細胞の変異は示している訳ですね。
            逆に言えば、だから、時々、人類には、天才も出現する訳です。モーツァルトなんて教育して天才的な音楽が作曲できるものでしょうか?
            ちょっとやっかみを言えば、天才は、凡人に感謝して欲しいものです。無数の凡人の出現のお陰で天才が生まれる確率が保障(保証?)されているのですから。

            ですから、再現性の失敗は、この物理的な世界には、所与の条件として組み込まれているということです。

            これが分かるのは、エントロピーがあることです。
            エントロピーとは、再現性の確率的な失敗のことであるということは数学的に証明されているようです。
            そして、このエントロピーが無ければ、この世界は、がちがちに変化も進化もしないということです。勿論、ここまでの世界が出来ることも無かったし、宇宙が出来ることも無かったようです。

            しかも、エントロピーの法則は、物理・物質の世界にだけ作用するのではなく、人間の心の世界にも作用する法則のようです。
            「変化を求める心」「より良き未来を求める心」は、この世がエントロピーの法則で支配されているということを示しているような気がします。

            エントロピーとは、この世の変化を保証する仕組みのことだと考えています。
            エントロピー=変異、です。

            尚、再現に於ける失敗の事を突然変異といいますが、良い方に出れば(確率だから博打みたいなものです)、天才の出現や進化と呼ばれ、悪い方にでれば、癌とか、コロナウィルスが人類にとって強毒化するというふうになります。しかし、それは、コロナウィルスにとっては生き残りのための良い方への変異ですが。

            以上、
            この場をお借りして、日頃考えていたことを書かせて頂きました。
            道草様は科学者でいらっしゃるようですので、胸をお借りするつもりで書かせて頂きました。
            内容が学問的に内容が正当なものであるかも分かりません。小説の様なものとお考えいただければ幸いです。
            そして、駄文をお許しください。

          • >という訳で、理詰めで説明できないときは、隠喩・暗喩・デフォルメ・エピソード・諺、等々、人類はいろんな方法を考案してきました。

            匿名様のこの「理詰めで説明できない」事例って、「誰にも理解されていない事」や「説明者には理解されているが、その説明の仕方が悪くて聴衆には理解されない場合」、それから「説明者には理解されているが、聴衆にはその説明を理解するだけの知識・思考力がない場合」等々の異なる状況がごちゃ混ぜになっていませんか?

            この一見同様ですが、本質的に全く異なる状況を一括して総論を出そうとしても無意味では?

          • 道草様

             この返信は、道草様の最後のご返信に対する、「返信」です。ボタンが無いので、順序がおかしくなりますが、こちらに書かせて頂きます。

             ご指摘の通りです。思うがままに書いてしましましたので、ご指摘の様な形になってしまいました。

            自分で、
            >>>文章を分かり易くするためには、全体構成と文章の構造をシンプルにすることによって、文脈を分かり易くして、読むときのリズムを良くすることが必要であるように思います。

            と大仰なことを書いておきながら、全体構成と文章構造をシンプルにせず、文脈を分かり難くしておりました。推敲をしておりませんでした。

            分かり易くシンプルな文章を書くには、文字を多用する文章よりも、時間が掛かると言うことですね。

            然し乍ら、流石に、分類力が素晴らしいです。整理して頂き有り難く存じます。大変に勉強になりました。

            道草様との対話は楽しいので続けさせていただきたい気持ちはありますが、推敲に時間が掛かりそうですので、今回は、これで終了とさせて頂きます。

            又、機会がありましたら、どこかで対話できることを楽しみにさせて頂きます。

            ありがとうございました。

    • >従来の科学的思考=共産党の指導によるものと
      >既定されていた気がします。

      それは共産党による独善的な科学的思考の定義に過ぎず,共産主義者以外には全く受け入れられていない定義ですよ.

      共産党の指導による科学的思考がどれほど酷く非科学的なエセ科学理論を生み出し,その科学理論の適用が人々をそして社会を不幸にし苦しめるかの一つの典型は,ルイセンコ遺伝学です.ソ連共産党が絶賛したこのエセ遺伝学のお蔭でどれだけ多くの人々が飢え死にしたことか.

  •  "ゼロか100か"に行き着きやすい思考、という問題はかなり重要に感じます。ここ数年特に思い当たる所があります。

     まず浮かぶのは、完璧などありえない医療防疫で"ゼロか100か"で考えるため、かなりベターを選択し続けてこられた日本のコロナ対策を、僅かな感染拡大期や身近な体験をもって0点と断じてしまう人々。これは単に思考が浅い人と政治利用で敢えてやっている輩とがありますが。
     直近ではウクライナロシア紛争で、1人でも死ぬくらいなら降伏すべきだなどと語る人々。これも単に思考が浅い人と政治利用で敢えてやっている輩とがありますが。
     大きな問題であるエネルギー問題でもそうでしょうか。ほんの僅かのリスクでも許せないと原発を止め続ける。これも単に思考が浅い人と政治利用で敢えてやっている輩とが……
     悪い円安だの旧統一教会だのを出して「日本は終わり」などという論評を出すコメンテーターの極論も目に付きます。これも単に(略

     …なんだろ、陰謀論は良くないですが、「分断・煽動工作するならココ!」て感じの問題ばかりですね。どれをとっても左派とメディアがロクでもない選択の方に立っている気がするのはきっと気の所為でしょう。左右に優劣は無いはずです。はず。

     ただ、どの問題も、多くの人が正確な情報を得て熟慮すれば、間違えなくても済むように思えます。

     結論よりも議論と検証を重視するこちらのウェブサイトは好ましく思いますが、たまたま思想が近い味方だから好む、というような思考には陥りたくないものです。前述の方々や140文字氏はどうも敵味方二元論で"ゼロか100か"にしてしまう状態に陥っているように感じます。

    • 全く同感です。
      ただ、ここで終わると「同感」だ、「0か100」かで考える奴はおかしい、のまた白か黒か思考で終わるように思い、少し考えてみました。
      それで気が付いたのですが、結論を出すまでの思考プロセスは、凄く苦しいものです。仮説検証や比較検証やタテヨコの情報収集や‥‥と、また、基本的な知識や見識のバックグラウンドも持っている必要があります。
      普通に、これだけの思考ができる人は、そんなにいませんから、早々に0か100に着いた方が楽な訳ですね。
      更に短気な人は、早く結論を出せ、結論を直ぐ出さないお前は馬鹿なのか?、という、これまた、0か100思考で責めて来ます。
      これが、国民や一般大衆、自称評論家の
      政府への態度です。
      勉強も思考も情報収集もしなくていいのですから、楽なものです。

      • もう一つ、付け加えるのを忘れていました。

        >>>どれをとっても左派とメディアがロクでもない選択の方に立っている気がするのはきっと気の所為でしょう。左右に優劣は無いはずです。はず。

         この理由は、大体、多数派は右派=主導権を握っている方なので、多数派の人と同じことをする、つまり多数派にいると自分が目立たないと感じる、今流行の言葉で言えば自己肯定感の薄い人が、空虚な自己存在感を補填するために、左派=何でも反対の立場に立てば、多数派に埋没しなくて済むと、無意識的に感じるからでしょう。更に言えば、反対している自分はちゃんとマトモなことを考えている、正しいことを考えているという錯覚と自己満足が得られるからではないか?更に、多数派と同じことを言わないで批評する人間、つまり、自分は知的で頭がいいと錯覚できるようです。

        しかも、これは逆説ですが、自分が多数派と同じことを言わなければ、自分は自分で考えていると本当に信じられるようなのです。実際は、誰かが、所謂「為にするため」に作りだした「スローガンにしか過ぎないもの」を、社会を正常な方向へ持って行く立派な考えだと信じ込んでいる、或いは、信じ込みたいのです。何故なら、そう信じ込まないと、空虚な自分と対決しなければならないからです。

        これは、アイドルの推しの心理に近いところがあるかもしれません。毎日の詰まらない生活、自分の才能と能力を見出せない、虚ろな心から、自分の眼を逸らすために。更に、「押し」を「推し」として評価できる自分は偉い、みたいな。更には、自分が何とかして「押し」を応援して「押し出さなきゃ」みたいな、お節介と親切心がごっちゃになったような、親切心理が少しは満たされて、自己存在感を、その場では感じることが出来る。いずれも、自分自身と対峙することからの逃避なのですが・・・。

        左派の説明に、アイドルの「推し」の話をするのはちょっと違うと思いそうですが、心理は通底しているように思います。
        つまり、埋められない「自己空虚感」です。

        少なくとも、わたしは、彼らを見ていて、そう感じます。
        まあ、兎に角、自分の頭で考えていないな、自己から逃げているな、と。

        ちょっと話が逸れますが、立派な考えを自分が持っている、或いは、自分がその考えの「言葉」を覚えていると、それだけで、自分が立派だと錯覚できるのが、人間の心理の不思議な所だと言うことです。

        例えば、親戚に社会的地位の高い人がいる、ご先祖様が偉い人だった、ということで、自分も偉い、と勘違いできる人。

        立派な正論を言うから、自分達は正しいのだ、という政党。
        政権与党は民主主義を蔑ろにしている、怪しからん、と与党を毎度毎度責めている政党は、この40年間、党首選挙も行われず、党首はずっと同じ人。

        人間は、思考停止と錯覚に陥り易い、ということを知っていれば、少なくとも、自己内省によって、思考停止と錯覚に陥ることを少しは防げると思います。

        これは、左派の人、マスコミ、自称評論家、一般大衆の方々に、「考えて」欲しいことです。
        まあしかし、「考える」ということを知らないから、永遠にその場に居続けるでしょうね。そして、この世の真実の一端も知ることなく、去って行く・・・・。

        更に、かなり、話は飛躍することかもしれませんが、農民様のご指摘に通じる所があると思われることを書かせて頂きます。

        人間は、自由を持て余す存在です。それは、実は、人間には選択肢が多過ぎるからなのです。つまり、人間は、本来自由過ぎる存在なのです。このことを、自己啓発業者は、「皆さんの可能性は無限です」という言葉から商売を始める訳なのです。しかもこれが、本質的には間違っていないから、「そう言われれば、そうかなあ。自分もやれば出来るか」」と高価な自己啓発DVDなんかを買わされる羽目になるのですが。
        ここで、ミソは、「やれば」です。「やればできる、やらなければできない」というロジックがあるので、自己啓発業者は、効果が無くても訴えられることがないのです。手を変え品を変えて、新しい方法と方法論を考え出して来るので、今や、自己啓発産業は、一大産業です。

        旧ソ連時代に、東側の統制の強さの中で自由が無いと感じて、西側に逃げた人達の中に、また、東側に戻りたいという人達が一定数をいたということです。

        それは、「西側は自由過ぎる」ということが理由のようです。

        卵一つ食べるにしても、目玉焼き、卵焼き、スクランブルエッグ・・・、毎朝、食事する度に、これを選択しろ、と言われたら、人によってはノイローゼになるかもしれません。
        服にしても、デザイン、色柄、これは自分に似合う似合わない、等々、服なんか暑さ寒さを凌げればいいじゃないかという人は、又ノイローゼになるかも知れません。

        しかも、今度は、選挙で自分達の政治家を選べって?そんなの誰がいいか分からないから、誰でも自分達に良いことをしてくれる人がなればいいじゃないか、と面倒臭さここに極まれり、です。
        ここまで来ると、殿様の「善きに計らえ」という気分になりますね。

        そんな面倒臭いことが嫌いな人達が、東側へ戻ったらしいのです。

        「民主主義は面倒臭い」。
        ですから、今、隣国では左派が優勢になっているのではないでしょうか?
        誰でもいいから、強権的でもいいから、自分達が自分で考えなくてもいいようにしてくれ~~、と。
        「善きでなくてもいいから、適当に計らえ~」かな?
        隣国を見ていると、そんな印象が浮かんできます。

        こういう心理を、エーリッヒ・フロムは、「自由からの逃走」と言ったのかもしれません。

        • >反対している自分はちゃんとマトモなことを考えている、正しいことを考えているという錯覚と自己満足が得られる
           自分で主語をデカくするなといっておいてなんなのですが、私の住む長野の県民性ステレオタイプというのがまさにこれで……大臣の名前も知らんけどとりあえず政治家はケシカラン!という感じ。でも偉くなって目指すのは政治家。
           これが本当に悪い作用で、とにかく政権批判が楽しくなっちゃうようです。結果が羽田Jr・杉尾の相次ぐ当選です。
           自分で関心を持って理屈を立てて精度を上げて、その上でおかしなものは批判し、おかしくないものはきちんと賛同する、という風にしたいものです。
           前者はデタラメでもいけてしまい責任も不要なので簡単に気持ちよくなれますが、後者はきっちり立証せねばならないし反発が面倒なので、割りと一般的ではないようです。そして後者のほうが重要に思います。

          >民主主義は面倒臭い
           奴隷が読み書きもわからぬまま突然正義感で解放されてもかえって困る、なんて話がありますね。苛烈な労働を強いて痛めつけてまでくる主では当然嫌ですが、寛容な主に仕える奴隷は、何も自分で考えずとも最低限の生命が保証されて割りと幸福とも言えます。
           「総理なんて誰がやっても同じ」なんて言っていられた頃の日本人は幸福な奴隷だったのでしょうか。

    • > 陰謀論は良くないですが、

      > どの問題も、多くの人が正確な情報を得て熟慮すれば、間違えなくても済む

      筋論としては同意なのですが、、、

      例えば「ロシアゲート」。
      私の記憶では、クリントン財団が米国の機密情報をロシアに売って大儲けしていた話なのですが、ワシントンポストやニューヨークタイムズ等の左派メディアが、トランプの話にすり替えた。ワシントンDC在住の同級生がたまたま帰国した際に酒席で尋ねたところ、「良く知ってるネ」という回答だった。しかし、今では「ロシアゲート」といえば「トランプの話」というのが定番になっている。

      何が「正しい情報」なんでしょうね。ワシントンポストやニューヨークタイムズ等の左派メディアの言う事が正しい情報とも思えないし。

      •  そこで出てくるのがタテヨコ議論なのでしょうね。タテヨコを照らせばこそ仰るようなすり替えに気付けるわけですし。
         ただ、"各自の真実"が異なるというのは厄介で、最近コメ欄を賑わせていた方も「西側メディアは全部ウソ」といった"真実"からタテヨコ比較してしまったので、この世の全てがおかしい自分だけは正しい、となってしまったのではと思いますが。(余談ですが、もはや自分で見てきたのだとばかりの断言と反論の無視ぶり、会話の通じなさだったので、彼はきっとウクライナ東部ロシア系民だったのでしょう。)
         「正しい情報」は極論、神にしかわかりませんので、なるべく正しいであろうところまで思考する、法や裁定があればそれを重視する、覆したいのであれば立証等を正式にする、といったところでしょうか。
         それを代行しますよと言って(実際にはおそらくそうは言っていない、そう思わせて)きたオールドメディアの視聴読者に対する裏切りはまさにそこだと思います。

      • 墺を見倣え 様

        これは、論点のすり替えですね。

        問題の本質は、
        「米国の機密情報をロシアに売って」
        です。
        「機密情報が敵国に流れた」が重大なことです。

        これで、「大儲けした」も、「クリントンかトランプか」も問題の本質ではありません。

         こういう論点のずらしは、本当に多いです。ディベートの方法の一つですね。

        所で、そんな重大な機密情報がロシアに流れたのに、米国はダメージを受けた印象はないのですが・・・。

        すると、ここにもう一つ二つ、重大な論点が潜んでいそうです。
        その情報は、「本当に機密情報だったの?」
        と、
        「そもそも、本当に情報は売られたの?」ということです。

        ここまで来ると、「この話は本当に存在した事なの?」

        という所まで来ます。

        この世の話は、
        「どれがどこまで本当かは」、分かりませんし、そもそも
        「本当って何?」
        更に、「本当の定義」って何?
        になりますね。

        ワシントンポストやニューヨークタイムズに限らず、日本のマスコミも含めて、こういう職業の人達は、この辺の機微をよく分かって記事を書いているのではないでしょうか?
        寧ろ、そこにこそ、彼らの仕事が成り立ってお金を稼げるロジックがあるような気がします。

        墺を見倣え様の、コメントで、こんなことを考えてみました。
        これも、考え遊びの一つですね。

        • > 所で、そんな重大な機密情報がロシアに流れたのに、米国はダメージを受けた印象はないのですが・・・。

          それは貴男の個人的感想でしょう。
          リアル投票の開票が或程度進んで、何票郵便投票の不正票を用意すればギリギリで逆転できるか高確率で読める様になってから、行動を起こして間に合うという一風変わった選挙方式なんですから、ダメージがあった可能性はあると思ってます。

          更に、もし本当にそういう不正をするなら、ロシアの支援を受ける、そして支援を受けるのに必要な機密情報は提供する。成功すれば後年見返りを出すが、成功しなかった時の為に、とりあえず機密情報分の金は先に寄越せ、というストーリーも考えられない訳ではありません。

          この選挙方式と、ロシアの裏支援が続けば、共和党は次回も勝てない(僅差で負ける)カモ知れない。

          米国の軍需産業が、材料を結構ロシアから買っているらしい、というのも怪しい。

          > その情報は、「本当に機密情報だったの?」

          本物らしく見せかけた偽情報、カモ知れませんし、提供した時点では本物でも、提供後すぐに全面改訂予定だったのカモ知れないし、そこは判らない。

          > こういう職業の人達は、この辺の機微をよく分かって記事を書いているのではないでしょうか?

          そうカモ知れないし、上からの圧力とかで書かされているだけカモ。
          「こういう記事にしたいので、それに合う様に取材して来い。」といった命令が飛び交っていそうな気がしないでもない。

          • 結局、どれがどこまで本当か分からない、ということですね。
            意見が一致したようですね。

    • ゼロ100な価値観はバクチで負けるパターンですね。
      最悪ゼロで済むという発想。

      日本政府のコロナ対策だったり、いろいろありますが、0が最低値ではない。
      完璧を100としたら-100も数値として取り得る。
      成果が0なら真逆最悪の-100もあったかもしれないって視点も必要なはず。

      そこをつづめて0か1かといった二値に収束するのは効率的ではあります。
      しかし、二項対立ならまだしも、二値のいずれかしか取りえないというのは、
      その集団文化における宗教科学かもしれませんが、人類が共有できる自然科学として成り立たちません。
      そういう人たちは分数や乗数やn根が大嫌いだと想像します。
      わかりやすく説明することは重要ですが、わかりたくない人を説得するのは不可能です。
      説明を聞きたくないのですから。

      自然科学的態度として、絶対的な正解はないし「絶対と言うな、絶対に」、
      というのが基本だと思うのですね。
      政治も宗教も絶対というものはない。ゼロイチ絶対と言ってしまったら終わりです。

  • 「分かりやすく説明します」なんて、それが価値だ、能力だと、破廉恥にも自称している NHK や新聞社は、本当に害毒ですね。衆愚社会の汚染源だからです。

  •  科学的となると仮説を立てたあと仮説を立証する
    ための実験と実験結果に対する考察→新たな仮説
    を立てる、を繰り返すのが科学の考え方ですかね。

  • いろいろ書こうと思いましたがまとまりませんでした。それはおいといて。

    考えるのが好きな人のコメントは、主張の賛否や知ってる知ってないは別にして、読んでると楽しいですね。

    こちらのサイトは、考えるのが好きな人に、よりよく考える方法の一つを提示していると思います。
    世の中、それが確立した人ばかりでは無いと思います。そういう人への道標ですかね。
    私も随分勉強させてもらっています。

    • この意見には、全く同感です。
      いろんな考え方見方視点があるなあ、と自分の頭の固さがほぐれていく感じがして、呼吸がし易くなっている自分に気づきます。

  • 昔、若い頃は詰将棋が好きで、解けない問題はそれこそ10時間くらいでも睨めっこしてました。
    歳を取ると集中力がなくなり、やらなくなってしまいましたが、解かなくなると指す方では、めっきり終盤力が衰えます。
    考える必要がないことは考えない、というのは合理的なようで実は様々な弊害をもたらすと思うんですよね。
    実社会では、様々難しい問題が生じます。そのときに真剣に向き合うためには普段の努力が大切な気がします。

    • 別の匿名です。

      仰る通りです。素晴らしい視点です。
      そのようにありたいものだ、と気持ちを新たにしました。

  • すべての人をイチゼロで考える人とそうでない人に分けると言うのは馬鹿げています。関心ごとは人それぞれです。

    すべての事柄に関心を持つのは有限の人生では不可能です。関心が少ない事は結論を先に求めるのは理にかなっています。

    政治的な事でマスコミに流される人が多いのは、政治に関心を持つ人が少ないと言う現実の裏返しに過ぎません。

    オールドメディアを責めた所で何も変わりません。その様な需要がある限り、サービスを提供するのがビジネスだからです。

    オールドメディアは悪、インターネットは善と言うのも、思い込みそのものです。自分が否定したいと思っている対象ほど、その利点について考えてみる事が必要でしょう。

    •  かなり賛同しづらかたので、それぞれ。

      >すべての人をイチゼロで
       人間を二種類にわけられるものかというのはその通りですが、そんな哲学的なことは大前提であって、特にメディア情報に対する傾向の話だと思います。テーマとパラメータを絞ればある程度二分できるのは確かです。

      >すべての事柄に関心を持つのは有限の人生では不可能です
       これもその通りですが、民主主義国家の国民で有権者である以上、本来は政治も衣食住と同等に比重を置くべき…というかそれらの根幹をなす"自らのもの"です。実際にはそんなことは不可能である上に日本ではほっておいてもかなり上質な生活を享受できてしまいますが。だからこそゼロか100かの判断で大衆が安易に民主党政権を打ち立ててしまった損害は、自分で考えて民主党に入れなかった身からは納得できません。多くの人が真剣に情報を集めて票を入れて、与党が真剣に行使しての失敗であったのなら受け入れざるをえませんが。

      >オールドメディアを責めた所で何も変わりません
       いえ、変わると思います。ここは一定の閲覧数がありSNS発信もしていますし。
       別にオールドメディア需要をゼロにしなければ敗北とかそういう話ではありませんから。それはまさにゼロ100理論じゃないですか。

      >オールドメディアは悪、インターネットは善
       …これはどこから??思い込みでは?
       個人的にはオールドメディアには現在では弊害が増えすぎたと思っています。従事者の仕事ぶりも印象が悪い。でもこちらでは利点ですら指摘されているでしょう。普及率が既に高くまだまだ影響力が十分だとか、操作が容易だとか。悪用されていますが。
       またインターネットの方が、善どころかデマだの詐欺だの「悪の総量」は多いと思いますが、現状ではそれでも利点はまさっていると思いますよ。

      • 私はオールドメディアにも利用価値はあると思ってますが、ネットを称賛する人はそう言う話をあまりしないんですね。多分都合が悪いからではないでしょうか?

        少なくとも組織的に情報収集する仕組みを持っているメディアに取材力で一般人は太刀打ちできません。メディアがネタを提供してくれから、ブロガーは記事を書く事ができていると言うのが現実かと思います。

        ネットが普及して良かったと思えるのは、情報流通のチャネルが増えた事です。オールドメディアもネットもメリット・デメリットの両方があり、補い合う事でより良い情報流通がなされると思っています。どちらが勝ってる負けてると言う話ではないかと思います。

        • 私も同意見です。
          ウクライナについて国際政治学者などを数人呼び解説、討論するテレビ番組。ウクライナで取材を続ける新聞社員。私はそういう方をオールドメディアでも追っています。科学番組も見ますし。
          情報は誰が何を書いたかが重要でありどこに書いたかは優先度は低いのですよね。
          ネットもフィルターバブル、エコーチェンバーと言ったような確証バイアスを増幅してしまう現象もあるので注意が必要ですし。
          今日はBBCをネットでエリザベス女王の葬儀を見ていましたが。これってオールドメディアの部類に入るんですよね。

        • まんさく様

           最近、同じようなことを考えていました。確かに、伝達手段の一つであるネットの出現は、誰でも発信者になる機会を創出してくれました。
          と、そこで、発信のコンテンツは、誰が取って来るの?という疑問が出てきます。

           オールドメディアの問題は、取材は良いのですが、それを自分達の恣意的な意図で、伝えることだと思います。

           それで、考えたことは、今の取材力・情報収集力のあるオールドメディアは、共同通信のような取材専門の機関になって行くのではないか、ということです。
           もう少し言えば、今、オールドメディアは、フリーの記者やフリーのカメラマンから、記事や写真を買うこともあるようですが、次は、自分達が、その立場になるのではないでしょうか?

           実際、ネットニュースは、オールドメディアが集めて来た情報を多分買って流してるのではないでしょうか?
           オールドメディアが集めた情報を、ネットニュース各社が、その存在主旨に基づいて、流す、という形になっていくのか?

          実際、そのような傾向がありますね。

          そうすると、今、ネットライターが増えているらしいですが、ネット用のフリーの取材記者という職種も出て来るのでしょうか?

          そうしますと、今のオールドメディアも、取材分野に関して専門特化して行かなければならなくなるのでしょうか?

          いずれにせよ、今の免許制の上に胡坐をかいた立場ではいられなくなるのでしょう?

           

          • 匿名さま。いくつかわかる範囲内で。
            ニュースポータルサイトはメディアから記事を買っています。著作権の問題がありますから記事を変更することはできません。
            オールドメディア出身の記者がネット専門の新聞を作ったり、紙での発信をやめてしまった新聞社もあります。ネットだけでは物足りないでしょうね。
            テレビは、縮小しケーブルTV化していくこともあるとは思いますがアメリカのようにメディアコングロマリット化して行くのかと考えています。

  • 初めてコメントします。本校を読んでいて「知的好奇心を刺激された」ので以下3点ほど
    ①科学的思考態度「現実を説明するための理論を考え、・・・補強していくプロセス」について、本校を含め他の記事を読み今の今までは大いに賛同していましたが、ふと思い至ってしまいました。このプロセスはもっと根本的なもので、人が物事を「理解」する(理解させる)行為そのものではないかいと。いわゆる「常識的」なものですら一旦はこのプロセスを経て納得するもので、過去の事象のプロセスを経験しているからこそ、新しい事象に対して過去プロセスを適用/不可なら新規プロセスの導入を行い「理解」し、知識を拡充していくのではないのかと。
    ある事象について「ゼロ/100」の「結果」しか得ない場合は「理解」していることにはならず、したがって新しい事象についても理解することができずに、また「ゼロ/100」の「結果」を求めてしまうというループになってしまうのではないのでしょうか。
    ②政治というものは「ゼロ/100」ではないどこかに落としどころをつけるものだと思っています。これを「ゼロ/100」で判断し、さらに他へ強要することに強い反発を覚えます。
    ③「140文字の文章しか理解できない人物」は所詮140文字分までしか考えることができないということなのでしょう。「駄文は長い」というのは真理ですが、「文章は短いものほど良い」というのは場合によりけりです。要は必要十分かです。それに、ツイッターは所詮「つぶやき」でしかなく、議論の場にはなりえません。「ここでは話にならん表に出ろ!」と言ったらとたんに尻込みし始めたように見えます。

    • 今回は匿名様。
      今更コメントですみません。読んでくれていたら幸いです。

      1について。
      いわゆる科学、古来の宗教的価値観に基づく理論体系。
      これと近代のデカルト的な検証に基づく自然科学。
      私はこれを全くの別物と思っています。
      自分たちの内輪で独自の科学を語るときは好きにすればいい。
      しかし、自然科学を扱うときは共通のプロトコルで対話しなくては会話が成り立ちません。
      仰ることを裏返して言えば、
      前提となるデータを共有せず、自らのデータを提示することもなく、何ら検証もない思い込みで「こうであるべきだ。こうであるのだ」と主張するような人びと。
      このような人たちに、説明するのは不可能です。

      議論のばにおいて自分と違う考えを論破しようと思ったら、その相手が何を言っているか、どのような思考でそう主張しているのかを理解しなくては戦えません。
      せめて部分的にでも理解しようという姿勢すらなく、なぜ反発するのかも理論的に説明できない人々が存在するというのが現実です。

      そういう人たちにとっては、自分の考えが実現されない現実が間違っているのだから、地球ではなく太陽が動くようにしなくてはいけないのです(比喩です。そのような科学者/宗教者が存在し得るとは思っていません。ローマ教会から魂が無いと宣言された民族は存在するようですが)。

      2について。
      ほぼ同感です。
      岸田さんは「国葬」と言ってしまったことで下手を打った。
      しかし、コロナ対策と対ドル円安対応は無難だろうかなと思います。
      ここのウェブ主様が言うとおり、まずい食堂の中でマシな店はどれか、という話ですね。
      与党も野党も、お互いのバランスの上で妥協点を探す作業をしていると思います。
      野党とくに立民は、あの安住さんを国対委員長に立てるぐらい困っているようで。
      自民党の全部が100違ってるって言って戦うしかないのではないでしょうか。
      維新と協力するって発表したり、野党はかなり困っている様子。
      謝/村田/齋藤/レンポーさんは統一教会問題にはダンマリですね。

      3について。
      140文字作家様は、あくまで商業フィクション作家です。
      自分のファンへのサービスならともかく、議論は仕事ではありません。
      議論に耐えられなくて、「オレはエライんだぞ」を維持しつつ「140文字」って
      逃げたのはバレバレでしたが。
      彼にとってネット上で議論に巻き込まれるのは商売的にうまくないし。
      まぁそうかなって感じで人間性はわかったように思います。
      正直に「このテーマで議論する余裕がないのでご容赦ください」
      とか書く度胸すらないらしい。
      戦わずして「勝ったどー」って。そういう国つーか民族つーか、ありますが。

  • 「科学的思考プロセス」の重要性にはまったく同感です。
    その一方で、今のネット空間は、
    記事でご指摘のような自分の目で見て正しく歩けば
    有用な解釈考え方が得られるのですが、
    ただ、それを覆い隠し阻むかのような多くの
    「科学的思考プロセス」とは真逆のものが
    しょしょり出てきてしまってます。

    地方都市の私の街で、
    繁華街に客引き禁止条例が施行されました。
    施行以前は、近隣の町から集まる市民に
    大勢の客引きが群がって飲食店を選ぶにも
    沿道の店のメニューを見る前に
    微笑みながら寄ってくる多くの客引きに
    流行らない店に誘導されたり、
    中には整形韓流スターの写真使った
    怪しげなマッサージ店に誘われたものです。

    今のネットの状況は、
    悪質な客引き禁止条例がないばかりに
    革命失敗以来ずっと以前から流行らないお店や
    誘い文句と本心異なる韓流のお店などが
    大勢の客引き雇って市民をキャッチしようと
    待ち構えているそんな光景と感じます。
    もちろん、
    そんなチンケで流行らないお店でも
    山上・安重根的な危険性や違法性がない範囲
    なら営業は認めて上げるべきですが
    過度の宣伝文句での客引きは市民の大いなる迷惑です。
    風俗街には、「優良店無料紹介所」?とかいう
    ひっかかってしまう看板をご覧になった方は
    多いと思いますが、その実態は(笑)で、それは
    言論界での朝日新聞さんとかのありようを彷彿します(笑)

    そんな、お店流行らないからと、
    感心しない手法での客引きに走る
    どぶサヨや韓流うごめく魑魅魍魎のネットの世界だけに
    「科学的思考プロセス」での正しいアプローチを提供する
    ここのようなブログがもっともっと、
    輝く光を放ってほしいと希望します。

    • 世相マンボウ_ さま

      「優良店無料紹介所」の例えに笑かされてしまいました。慣例に従い座布団1枚です。

      その優良店紹介所とやらにさんざん食わせられてきた、その悲憤(あるいは自嘲)がシニカルさを倍加させてますよね。NHK が開陳する「教養」、政治活動家と化した新聞記者の「良心良識」いやはや目を覆うばかりではありませんか。あるいは発火点は目前でそれは9月27日なのかもしれません。

    • 連投すみません。
      「新聞社=ギャラクター」説
      を思いついてしまい深夜なのにひとりはにわ笑いが止まりません。マジ顔しないでください、笑いごとでなくなりますから。
      ・総裁X=論説主幹
      ・週替わりベルクカッツェ=編集委員
      ギャラクターは福利厚生が手厚く、入隊後戦闘員=新聞記者になるためまでの指導もばっちり、聞くところによるとショッカー並みだそうです。近頃は転職再就職支援にも力を入れているそうです。

      • はにわファクトリーさま 
        コメントありがとうございます。

        朝日さんが、我楽多ーな組織の者を
        転職支援で撒き散らしてるとは、
        世界平和のためにいけませんなあ(笑)

      • ギャラクター戦闘員を報道・出版産業界に撒き散らしているらしい兆候は確かにあります。一番ありそうなのは、人民網や環球時報の日本語工作組織に再雇用されて売国奴を地でやっている可能性です。もっとも編集経験者採用実施中とおおっぴらに嫌味を実践している読売新聞社なんてももありますが、実はそれは冗談ではないのでしょう。

  • どんな社会でも、組織でも、集団でもですが、居場所を作るには集団に貢献している事を周りに認めて貰う事が必要だと考えます。

    ただ、とある反社会的団体が権力者や有力者に取り入る事で居場所を掴む事は多々ある訳です。

    反共産主義を掲げたとある反社会的団体とねんごろになった政治家一族の一員がしがらみから自由になれなかったとしても、かつて政権を握っている時にその反社会的団体への対処の方策をロクに定めなかった無能集団に責める資格があるとは思えないんですけどね。

    しかも、反社会的団体以上に反社会的で反民主主義的な団体と選挙で協力し合ってる連中な訳ですし。

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