元朝日新聞記者でもある烏賀陽弘道氏が13日、非常に参考になるツイートを連続で発信しています。すべてのツイートの文字数は5000文字を少し超えるくらいですが、新聞社に対する批判というよりはむしろ、これまで批判にさらされることが少なかった学歴エリートがインターネットの出現により強い批判にさらされているという社会現象そのものを指摘したものと見るのが正確かもしれません。
目次
メディア腐敗の深刻さ
日本の場合、大手新聞、大手民放テレビ局、通信社、さらにはNHKなどを含めたオールドメディア各社は、記者クラブ、電波利権、新聞再販利権、消費税軽減税率などの各種特権・利権を持ち、腐敗しきっているのではないか、というのが、当ウェブサイトの以前からの仮説です。
というのも、『また出た!「国の借金」論からチラ見え「Zの増税論」』などでも触れたとおり、現実に日本のオールドメディアは、2009年8月の衆議院議員総選挙で国民を欺き、民主党への政権交代を成し遂げたという、メディア・クーデターの「前科」があるからです。
ちょっと楽観的すぎる、と批判されるのを覚悟で申し上げるなら、社会のインターネット化は、官僚機構やオールドメディアが垂れ流すウソを、我々一般国民が見抜くことに寄与しているといえます。そう思うきっかけのひとつが、昨日時事通信に掲載された、「国民1人あたりの国の借金が1000万円を超えた」という与太話です。いわば「Zの陰謀」、でしょうか。財務省としては、メディアに「国の借金」論を騙らせることで増税の世論醸成を狙ったつもりなのかもしれませんが、もしそうだとしたら、仕事が雑過ぎます。オールドメディアの犯罪... また出た!「国の借金」論からチラ見え「Zの増税論」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
ただ、こうしたオールドメディアの世論支配にも、いまや「でっかい風穴」があきつつあります。インターネット環境の急速な普及に伴い、ツイッターなどのSNS、ポータルサイト・ニューズサイト等の読者コメント欄、某匿名掲示板など、国民の意見が自由闊達に交換される場が、急速に発展・整備されているからです。
朝日新聞の現状
新聞部数は右肩下がり
こうしたなか、先日の『数字で見る:「既得権にしがみつく新聞業界の行く末」』では、日本新聞協会が公表するデータや株式会社朝日新聞社の有価証券報告書などをもとに、新聞の発行部数が右肩下がり状態となっている、という話題を取り上げました。
このペースだと朝日新聞の部数は12年後にゼロになる朝日新聞の部数の落ち込みに関するデータを眺めていて、ふと思いついたのが、「新聞業界全体と比べたらどうなるか」という論点です。これについて早速実施してみると、朝日新聞の部数の落ち込みは、新聞業界全体と比べても大きいことがわかりました。ただ、「朝日新聞に問題がある」のか、それとも「新聞業界全体に問題がある」のかに関しては、また別の論点です。これはいったいどういうことなのでしょうか。新聞部数の減少朝日新聞朝刊は8年間で約40%減少した『朝日新聞、売上減... 数字で見る:「既得権にしがみつく新聞業界の行く末」 - 新宿会計士の政治経済評論 |
朝日新聞の部数の減り方は新聞業界全体と比べてもやや急速ではあるのですが、それ以上に、やはり新聞業界全体も同様に、とくに朝刊部数の減少傾向が続いているのです。
これには「スマートフォンなどの急速な普及」という、全世界レベルで生じている技術革新のためなのか、それとも「腐敗した日本の新聞産業が急速に人々から見放され始めている」証拠なのか、見極めは難しいところでしょう。
ただ、株式会社朝日新聞社の売上高自体が、部数とほぼ同じ軌道で減少しているという事実からは、「新聞の購読を止めた人はそれっきりになる」、という可能性が強く示唆されます。
世界的に見れば、紙媒体の新聞の読者を電子媒体で囲い込むというのが、新聞社にとっては「生き残り」を掛けた重要な戦略です。しかし、少なくとも株式会社朝日新聞社の有報からは、新聞部数の減少速度を賄うほどに、電子媒体の読者の獲得に成功している、という状況は見えて来ません。
最大手の一角を占める株式会社朝日新聞社ですらそうなのですから、おそらくは新聞業界全体が似たようなもの、あるいはもっと酷いことになっていると見るべきではないでしょうか。
烏賀陽氏の優れたツイート
さて、こうしたなか、烏賀陽弘道氏という人物の優れたツイートが目に留まりました。
烏賀陽氏といえば、朝日新聞の記者、『アエラ』の編集部などを経て、2003年に退職して以降はフリーの報道記者・写真家として活躍されている人物です。その烏賀陽氏が土曜日、ご自身のツイッターで、少なくとも47個の「連投」を投稿しました。
これが大変に興味深いのです。
「47連投」と聞くと、「長い!」などと思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、現実の投稿をすべてコピー&ペーストすると、5000文字を少し超えるくらいの分量であり、この程度であれば普段から当ウェブサイトで紹介している優れた韓国観察者・鈴置高史氏の普段の諸論考とも、分量的にはさして変わりません。
しかも、烏賀陽氏の投稿内容自体、大変にわかりやすい言葉で綴られているため、「思わず見入ってしまった」という方は多いのではないでしょうか。メディア腐敗に関心を持ち、かつ、ツイッターの操作に慣れている方であれば、ぐいぐい引き込まれるように読んでしまう可能性は高いです。
こうしたなか、烏賀陽氏は47連投目に、「かなり重要なことを書いたので、この連投だれかまとめてくれませんか」、とツイートされています(たしかにこれらはまとめる価値がある、大変に良い投稿内容です)。
ただ、ツイッターの投稿内容であっても、当ウェブサイトにそのまま転載すると、著作権法に抵触しかねません。
そこで、当ウェブサイトでは(烏賀陽氏に無断ではありますが)一連のツイートについて要旨をまとめておきたいと思います(※なお、「社員」を「従業員」の意で使用している箇所があるのですが、本稿に関しては、烏賀陽氏の元ツイートのとおり、「社員」という用語をそのまま使用します)。
烏賀陽氏の問題意識:「記者は意外と読者の反応を知らない」
烏賀陽氏は朝日新聞社の現役の社員らと面談した結果、「記事を社内検閲担当が無難な記述に変更する」という現在の編集幹部が作る「社風」が若手の記者に悪影響を与えている、と指摘します。
というのも、どうも朝日新聞社の編集幹部や経営者らは、ネットでの炎上や抗議を「本気で怖がっている」、というのです。現役社員のころから「賛否両方どちらも起きる記事、議論が起きることで読者に思考を促すような記事こそが本望」だと考えてきた烏賀陽氏にとっては、おそらく理解に苦しむ状況なのでしょう。
ではなぜ、彼らはネットでの炎上や抗議を「本気で怖がっている」のでしょうか。
これについて烏賀陽氏は、意外なことを述べます。
「新聞記者をずっとやっていた編集幹部たちは、読者の反応などキャリアの中でほとんど触れたことがない。取材先の官僚や政治家、会社内の同僚や上司の反応がその受け取る『読者の反応』の大半である」。
つまり、取材先などの例外を除けば、新聞部門で育った記者の多くは「読者の反応」とはほぼ無縁のまま記者生活を送っていた、というのです。深読みすれば、編集・経営幹部は、本当の意味での「読者の反応」を知らないままで過ごしてきた、ということでしょうか。
「そこにネット、特にTwitterはじめSNSは読者のリアルな反応を、読者とは無縁の生活を送っていた新聞記者たちにダイレクトに流し始めた。これはぬるま湯育ちの彼らには劇薬だった」。
そして、こうしたSNSなどの反応が、「ネットに疎い新聞社幹部たち」に大きな衝撃を与えた、というのです。
広範囲な問題意識
これって高学歴エリートへの批判そのものでは…?
しかも、さらに驚くのは、「記者上がりの編集幹部たち」の「メンタルが弱い」、という指摘でしょう。烏賀陽氏は「偏差値上位校」出身の彼らは「褒められてばかりの人生」を送って来たとしつつ、「自分を褒めてくれない、それどころか罵倒する他者の群れを、どうして良いのかわからない」、と評します。
つまり、こうした「受験勉強の勝者」は、批判されれば理性的な思考が停止し、ただただ狼狽し、どうして良いかわからずに「フリーズする」、というのです。
(※余談ですが、このあたり、べつに新聞記者以外にも当てはまりそうな気がします。とくに「ウソツキ官庁」こと財務省や外務省などの官僚らにも、まったく同じ精神構造が当てはまるのかもしれません。古今東西、ウソツキは議論を嫌うと言いますし…。)
だから、まともに批判にさらされたこともなく、「褒め言葉」ばかり聞いていた「ガリ勉上がり」たちは、ネットに流れる異論、抗議、炎上、罵声に「対応できない」、というのです。これが烏賀陽氏の言う「言論コンフリクト」、というわけです。
川柳事件もバッサバサ
ただ、烏賀陽氏の指摘でさらに興味深いのは、例の安倍晋三総理の国葬などに関する「朝日川柳事件」(『安倍「川柳騒動」受けネットで「珊瑚を大切に」が流行』等参照)に関する分析でしょう。
これを「川柳」と呼んでよいものか――。昨日はネット空間が騒然となりました。朝日新聞の紙面に掲載された「川柳」っぽいものが、故・安倍晋三総理の国葬、あるいは暗殺事件そのものを揶揄するようなものばかりで、なかには五七五調が崩れ、川柳としての体をなしていないものもあるようだからです。ただ、こうした騒動を見るにつけ、「第四の権力」は終焉を迎えつつあると痛感せざるを得ません。安倍総理「珊瑚を大切に」「珊瑚を大切に」――。これは、産経新聞社の阿比留瑠比氏が先月、吉田調書について発したツイートに対し、安倍晋三... 安倍「川柳騒動」受けネットで「珊瑚を大切に」が流行 - 新宿会計士の政治経済評論 |
この「朝日川柳事件」とは、7月16日付で朝日新聞に掲載された「朝日川柳」の内容が、故・安倍晋三総理の国葬、あるいは暗殺事件そのものを揶揄するようなものばかりで、なかには五七五調が崩れ、川柳としての体をなしていないものもあったという騒動のことです。
烏賀陽氏はこれについて、本来、「川柳はユーモア詩」なのだから、誰がなんと言おうが、「あれはユーモアですから」と放っておけば良かったにも関わらず、朝日新聞幹部はこうした思考ができず、パニック的に軽率な行動を取ったため、「却ってクライシスレベルが上がった」と指摘します。
しかも、烏賀陽氏は容赦なく、こんな追撃も加えます。
「『こんな愚鈍な幹部の下で働く若い記者は可哀想だね』などとは私は微塵も同情しない。いまの幹部たちは、かつて若手記者だった沖縄サンゴ事件の時にはそう言って幹部の対応を批判したくせに、30年余りを経て同じ醜態を晒している。今の若手もいつかそうなるだろう」。
歯に衣着せぬ発言とは、まさにこういうものを言うのでしょう(ネットでの議論に慣れている者からすれば小気味よい発言ですが…)。
新聞社は自由競争を妨害してきた
そのうえ、烏賀陽氏のツイートでは、さらに革新的な部分にも斬りこまれていきます。
日本の新聞は記者クラブ制度などを通じ「ニュースという商品の原料供給の優先または独占」、「競争への新規参入の妨害」という行為を行ってきた、というのです。自由競争の妨害は、「本来なら独占禁止法違反のカルテル」(烏賀陽氏)です。
これに加えて新聞は再販制度により小売店の価格決定権すら奪っており、これも「自由競争妨害のお目こぼしの上に立脚している」などと指摘。さらにはテレビは「電波法免許という政府の保護下で延命している『保護産業』に過ぎない」、と喝破するのです。
そのうえで烏賀陽氏は1989年の「沖縄珊瑚事件」に言及し、これを「新聞の書いた記事が、出版後に読者に検証され、捏造や誤謬を証明された」という「最初の事件」だと指摘しつつ、こうも述べます。
「遅くともWindows95が出た1995年にはネットが新聞を検証する時代が来たことは自明だった。25年以上、新聞社は何もせず時計が止まっている」。
このあたり、当ウェブサイトでこれまで述べてきた、「利権はそれを持っている者の怠惰や強欲などにより自壊することが多い」という法則と似ている気がします。
新聞社は自分たちのことを「社会の木鐸」「政治を検証する立場」などと自認しているフシがありますが、現実にはネット側が新聞記事を検証する時代はすでに到来しているのであり、自分たちこそが検証されるべき立場にある、ということに、目が向いていないのでしょう。
「利権構造」の崩壊
ただ、当ウェブサイト的にこの烏賀陽氏のツイートに注目した理由は、ほかでもありません。この「学歴エリート」が「自由経済競争」や「民主主義政治」などのプロセスと無関係に存在するという構図自体が、インターネットの出現によって、大きく破壊され始めているからです。
新聞社やテレビ局の利権の自壊は、結局のところ、彼らが握っていた既得権があまりにも大きかったことでもたらされつつあるものですが、それだけではありません。官僚・公務員機構、特定野党などの「利権」についても同様に、崩壊の危機に瀕している、というわけです。
このあたり、官僚、メディア、野党議員が自民党を目の敵にする最大の理由は、おそらく、自民党が少なくとも2012年12月の衆院選以降、都合8回も大型国政選挙を連続で制し続けているからでしょう。
とくにメディアはこの間、「もりかけ問題」だの、「桜を見る会」だの、「コロナ失策」だのといったテーマを掲げて政権与党を舌鋒鋭く批判してきましたが、インターネット時代において、有権者はこうしたメディア報道に冷淡であり、むしろSNS上でメディアが批判されるという時代に変わったのです。
現在話題となっている「統一教会問題」にしても、結局は「もりかけさくら(MKS)」と同じく、短期的に自民党や現行政権などの支持率を下げることには成功したとしても、長い目で見れば、メディア自体の信頼性をさらに深く傷つけることにつながることは間違いありません。
このように考えたら、烏賀陽氏のツイート自体、単なる特定の新聞社に対する批判というよりも、官僚組織やメディア業界など、これまで一般人の批判にさらされてこなかった「特権階級」全体が曲がり角を迎えている現状を示したものだ、と捉えると、より一層奥深いのではないかと思う次第です。
View Comments (27)
>現役社員のころから「賛否両方どちらも起きる記事、議論が起きることで読者に思考を促すような記事こそが本望」だと考えてきた烏賀陽氏にとっては、おそらく理解に苦しむ状況なのでしょう。
つまり、「炎上商法」がメディアの本質とか原点なんですね。
>現在話題となっている「統一教会問題」にしても、結局は「もりかけさくら(MKS)」と同じく、短期的に自民党や現行政権などの支持率を下げることには成功したとしても、長い目で見れば、メディア自体の信頼性をさらに深く傷つけることにつながることは間違いありません。
同意です。
自民党やキシダ政権の支持率を一時的に下げる事は出来ても、特定野党が被害者たる日本国民の救済よりも政局、自民党や政権支持率の低下を優先している以上、国民の支持が特定野党に向かう事は先ず無いと考えます。
今後は、オウム真理教同様旧統一教会も反社会的組織とし、反セクト法の制定や宗教法人法に基づく解散命令を実現する、ですかね。
「Togetter」で「烏賀陽弘道」を検索すると出て来る「朝日新聞社の編集幹部ならびに記者が、現在読者をどのように認識しているか」でまとめられてました。
5000文字のツイートより
不偏不党、客観的の公正に事実を分かりやすく伝えてくれるだけで良いのですけどね。
角度なんかつけなくてもよい。
当然エビデンスは重要です。
自分達のイデオロギーの発露の場と誤解しているから真逆の行いをしているのでしょう。
以前こちらのウェブで「国境なき記者団」による報道の自由についての世界ランキングの紹介があり、日本は確か70位以下の「不自由な国」との評価でした。日本のメディアは日頃やたら政府批判や政治家の揚げ足取りをしていて、もしそれを制限や批判しようものなら「言論の弾圧だ」と過敏に反応するのに、なぜ評価が低いのか疑問でした。
ツィッターを見て、その理由の一端が分かったような気がします。つまりは、記者は社会統制によって制限されているのではなく、社内統制によって言論が制限されているということですね。
同感です。
私も順位が不当と感じていましたが、最近の報道を見ていて、妥当かもしれないと思うようになりました。
社内統制で書きたいことが書けないというのは国の報道の自由とはまるで違う話ですからね。
あのランキングは記者の申告が参考にされ、おそらくその比重が極めて高いのでしょう。
民主党政権時代に11位で安倍政権が72位とか逆じゃないかとしか思えません。
日本にとってあのランキングは報道の自由度でなく記者による政権支持率でしかないと私は認識しています。
ただ残念なことにそんなものが世界に記録として残ってしまうんですよね。
日本の記者ってジャーナリストでなくアジテーターであると思います。
アジテーターといえば界隈で映画まで作って持ち上げてた東京新聞の望月某氏、内輪揉めなのが色々バラされてからサッパリ見掛けませんが自身のアレコレに対する"説明責任"はドーナットンでショーなぁ?
かつて、故山本七平氏はイザヤ・ベンダサンの名を借りて、「日本人は水と安全は只だと思っている」と喝破しましたが、本稿を読んでそれに「情報」も加えたほうがよいのかもしれない、と思いました。考えてみれば、「情報」は「安全」に近いものです。
無料で手に入るものに金を払う人はいない。
新聞購読の第一の目的は「テレビ欄」だった家が多かったのではないか。
その証拠にたいていの新聞でテレビ欄は見やすい場所にある。
テレビに番組表が内蔵されるようになってこの目的で新聞を購読する人は減った。
スポーツ欄、社会面はインターネットの方がいい情報が得られる。ワールドカップアジア予選の結果はその日のうちにYouTubeで見て楽しめる。しかも無料で。世の中を騒がす事件、ネットの方が詳しい。
つまり「新聞の時代は終わった」と考えた方が正解なのかもしれない。
電卓が出回り始めてもソロバンを使う人はいた。今、会社の中でソロバンを使う人はいないだろう。いずれ紙の新聞を読む人は激減し、紙の新聞はなくなる。
大変面白かったです。しかし学歴エリート崩壊(?)後に何が来るのかまで考察無いとただの愚痴でおわってるなと感じました。
誰か考察して下さい!(他人任せ)。
5000字程度でもTwitter住人の感想が「長い!」なのは日本の国語力の現状を表してますね。
暇なので山本七平の「日本はなぜやぶれるのか」を読んだのですが、日本のエリート育成と組織が西洋からの借り物であり実は機能していないのが問題の根源な気がしています
最近の朝日社内で何が起こっているのか、興味深いツイートですね。
さもありなん、です。
吉田調書と慰安婦がきっかけとのことですが、ネットの批判(ばかりじゃないけど)によって社長のクビが飛んだ事実は、サラリーマン的には重いと思います。
それまでは多分「ネットは雑音」くらいにしか思ってなかったでしょう。
アレと同じようなことは二度とご免、じゃないでしょうか。その結果ジリ貧戦略を選んでしまった。
まったく同情しませんけど。
>長い目で見れば、メディア自体の信頼性をさらに深く傷つけることにつながることは間違いない
すでに同意表明も出ているところですが、この指摘を改めて重要と当方は感じます。
「新聞記者という精神病理」は、大量印刷迅速通通という社会影響力の強い特別な装置=しかけを独占していることから生まれ裏付けられていた。しかし現代はそうでない。新聞産業が「花形産業」でないのはだれに目にも明らかであり、花形職業の実体は実際少なからず虚像であった。それは小学生中学生にも分かる簡単な理屈で、それが認識できていないのは、当人たちだけということなのでしょう。
wikipediaより
烏賀陽 弘道(うがや ひろみち、1963年1月8日 - )は、日本のフリー記者、写真家、著作家[1]。
元朝日新聞記者。
婉曲した侮辱、ツイッターで晒しながらの誹謗中傷が得意である。
…これは荒らされているのだろうか?(笑)エピソードのまとめを見るに、人間性はさておき能力の高い方ではありそうですが。
さて、意外と読者の反応を知らない…以下のくだりは確認しようがないものの「だろうな」という感触で読み進めましたが。そういえば、記者ではありませんが、ネットを含めたアンケートで意図と逆の結果になると「あんなのいたずらの組織票」、批判が殺到すると「一人が何百回もクレームいれてるだけ」、だのと言っていた方が居ました。開き直りの強弁ではなく、本気でそう思っている可能性がありそうですね。
>つまり、こうした「受験勉強の勝者」は、批判されれば理性的な思考が停止し、ただただ狼狽し、どうして良いかわからずに「フリーズする」、というのです。
論旨に影響するわけじゃないけど、ここんとこって高学歴エリートだけじゃなくて、結構広く見られる反応のような気がするのです♪
で、冷静な議論の仕方とか、煽り耐性とかスルー力、間違ってたときの誤り方って、今は基礎スキルみたいなみんなが身につけなきゃいけないものなのかなって思うのです♪
あたし自身、このあたりはあんまし自信がない分野だから、誰かに教えて欲しいのです♪
>批判されれば
フリーズする前に「殴ってやる」という選択肢があったんですよ。昔は。
冷静な議論の仕方とか、煽り耐性とか、関係なかったんですよ。昔は。
それで大抵片付くんですけどね。