先週金曜日、岸田文雄首相がシンガポールを訪問し、シャングリラ・ダイアローグで5つの「岸田ビジョン」を提示しました。「岸田ビジョン」と言いながらも内容は安倍総理、菅総理が提唱したものをそのまま丸パクリしているだけであるというのは苦笑せざるを得ませんが、内容自体は至極真っ当です。さらに、岸田首相の講演では、「完全に無視された国」が約1ヵ国存在したようです。
岸田首相の冗長な講演
岸田文雄首相が金曜日、訪問先のシンガポールでの「シャングリラ・ダイアローグ」で基調講演を行いましたが、その内容が首相官邸ウェブサイトに公表されています。
シャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)における岸田総理基調講演
―――2022/06/10付 首相官邸HPより
文字起こしすると全部で9000字近い長文ですが、少々間延びした感じがするのに加え、「宏池会」出身の元首相・宮澤喜一の発言を引用しているなどの「岸田カラー」が若干鼻につくものの、内容自体は極めて真っ当なものであり、とくに中盤以降は安倍晋三総理や菅義偉総理らの発言だといわれても違和感はありません。
というのも、岸田首相が南シナ海や東シナ海における「ルール無視」の現状、北朝鮮による拉致問題やミサイル発射実験などに言及したうえで、「『ルール』が無視され、破られ、力による一方的な現状変更が堂々とまかり通る世界に戻って良いのか」、などと訴えかけているからです。
自分の名前を付けるとは…
ここでカギとなるのが、岸田首相がこの講演で提示した、次の「平和のための岸田ビジョン(Kishida Vision for Peace)」でしょう。
平和のための岸田ビジョン
- ルールに基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化、とくに「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の新たな展開
- 安全保障の強化、とくに日本の防衛力の抜本的強化と日米同盟・有志国との安全保障協力の強化を車の両輪として進めること
- 「核兵器のない世界」に向けた現実的な取組の推進
- 国連安保理改革を始めとした国連の機能強化
- 経済安全保障など新しい分野での国際的な連携の強化
…。
この「岸田ビジョン」、とくに1番目と2番目については、明らかに安倍、菅両総理が進めたものを踏襲しただけであり、これに自分の名前を付けてしまう岸田首相の政治的センスについては、ここでは敢えて触れません。
内容自体については、「安倍総理が提唱し、菅総理が育て上げたFOIPの考え方が、日本の外交の基本に据えられた格好だ」という意味で、いちおうは肯定的に評価しておくのが無難でしょう。
岸田首相は中韓両国に言及せず
それよりも注目に値するのは、「講演で挙げられた国の名前」、「講演で挙げられなかった国の名前」です。
岸田首相は「インド太平洋に関するASEANアウトルック」(AOIP)を「一貫して強く支持している」となどとしたうえで、ASEAN、英国、豪州、インド、英国、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、欧州連合(EU)などの実名を挙げています。
いわば、安倍総理が提唱し、菅総理の時代から本格化した、「基本的価値を共有するかどうか」で外交上の重要性を判断するという考え方を、岸田首相自身も完全に踏襲した格好です。その意味では、安倍・菅両総理の功績は大変に大きなものだと言わざるを得ないでしょう。
ただ、個人的にはこの講演のなかで「取り上げられた国」ではなく、「取り上げられなかった国」にも注目したいと思います。
シャングリラ会合が開かれたシンガポールやASEAN諸国を除くと、岸田首相の講演で出てきた国、出てきていない国は、次のとおりでしょう。
図表 岸田首相が言及した国とその文脈
具体的な国 | 文脈 |
---|---|
ロシア、ウクライナ | 「ロシアによるウクライナ侵攻」 |
カンボジア | PKO協力法に基づく日本の1990年代の支援 |
台湾 | 台湾海峡の平和と安定 |
北朝鮮 | ミサイル、拉致 |
ASEAN | AOIP |
米国、豪州、インド | FOIP、クアッドなど |
英国、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、欧州連合(EU) | FOIP |
インドネシア、ベトナム、タイ、シンガポール | 岸田首相の訪問国 |
太平洋島嶼国 | FOIP実現のための大切なパートナー |
フィンランド、スウェーデン | NATO加盟 |
ドイツ | 防衛費GDP2% |
ロシア | 国連改革の必要性 |
(【出所】著者調べ)
いかがでしょうか。
このなかで日本の近隣国でありながら登場しない国が2ヵ国あります。中国と韓国です。
あれ?韓国は「連携すべき相手国」なんじゃなかったっけ?
中国に関しては、多くの国が集まるシャングリラ会合という場を踏まえ、敢えて国名を挙げなかったのかもしれません。しかし、岸田首相の講演内容の端々に中国に対する警戒感が滲んでおり、岸田首相の講演の念頭には中国が存在していることは間違いありません。
ただ、韓国に関しては、たった1行も触れられていません。北朝鮮問題で日本政府は「日韓・日米韓連携を重視する」、などと公言しているわりには、北朝鮮のくだりでも韓国の存在はまったく出てきませんでした。はたして、これは日本の外交戦略として、適切なものなのでしょうか?
結論から言えば、「止むを得ない」でしょう。
日本の自衛艦旗を「戦犯旗」などと称したうえで、「国際観艦式で掲揚するな」、などと非常識な要求をする。
日本の排他的経済水域(EEZ)内で海自哨戒機に火器管制レーダーを照射する。
レーダー照射事件を巡り、さんざんデタラメを述べたあげく、「日本の低空威嚇飛行事件」とウソをつく。
輸出管理を巡って「著しく不適切な事例」を発生させる。
そして、対韓輸出管理適正化措置への対抗策として日韓GSOMIAを破棄しようとする…。
正直、そんな相手国のことを、日本が「ホンネ」では信頼していなかったとしても、無理はありません。だいいち、日本が考える「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」には韓国が含まれていないというのは、当ウェブサイトではしばしば指摘してきた論点のひとつでもあります(図表)。
図表 FOIP
(【出所】防衛白書)
このように考えると、岸田首相の基調講演は、ある意味では日本の外交・防衛環境が置かれた本質を示しているものだといえるのかもしれません。
岸田首相「日韓首脳会談は決まっていない」
ちなみに岸田首相は日韓関係について、講演後に行った会見で、次のように述べています。
シャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)での基調講演等についての会見
まず、私も1965年の国交正常化以来築いてきた日韓関係、これを発展させていく必要があると思っています。そのためには、労働者問題を始めとする日韓間の懸案の解決、これが急務だと思います。日韓関係を健全な関係に戻すべく、日本としては、これまでの一貫した立場に基づいて新政権と意思疎通を図っていく、こうしたことだと思っています。今後、具体的な会談の予定は決まっておりませんが、是非、韓国側が、今までの政権においてあったいろいろな事柄、こうしたことを踏まえて、どのような考え方を持っているのか、こういったことについて、よく確認をしたいと思っています。
―――2022/06/10付 首相官邸HPより
つまり、従来の見解からはまったく逸脱していません。
韓国メディアからは「今月末のNATO首脳会合で韓日首脳会談が実施される」、「今月、朴振(ぼく・しん)外交部長官が訪日して林芳正外相と会談する」、などといった報道が相次いでいるのですが、少なくとも先週金曜日時点においては、日本側は「何も決まっていない」と述べているのみです。
やはり、外交・安全保障という観点からすれば、火器管制レーダー照射事件の事実すら認めておらず、いまだに日本に謝罪すらしていない相手国を「完全に無視した」のも、仕方がない話なのかもしれません。
View Comments (7)
”政策協議団”なるものに面会したときは、随分危ぶみましたが、岸田首相の対韓外交については、一貫しておられるようにお見受けます。即ち①国と国との約束は守らないとこの先どんな議論をしても意味がない②一方的に問題を起こした韓国側が解決策を用意すべき③首脳会談は具体的に何を話し合うのか先に決まらないといけない、です。その意味で、韓国マスコミで囁かれるNATO拡大会議での首脳会談はありえませんし、参院選挙が終わり自民党が勝利したとしても、何の変化もないでしょう。ユンソンニョル政権にとっては重荷だとは思いますが、徴用工問題についての国内議論を始めざるを得ない、と思われます。2+1の基金案にせよ、代位弁済案にせよ、まとめきれますかね。「百家争鳴で空中分解」に1票です。別件(ともいえない)ですが、岸防衛大臣は、体調面の課題から参院選挙後の更迭がうわさされていますが、シャングリア会議では、韓国の国防大臣とは目も合わせなかった、とのこと。「レーダー照射事件を無かったことにはできない」とのことで、気骨あるなあ。留任して貰えませんかね。
岸田さんの外交については、対韓国・中国を含めて今のところは”もう少しで良の可”レベル。
ただここから先、”中共の尖閣侵略、台湾侵略、冠の紐の切れた後の韓国の扱い”をいまから米・欧・ASEANNと準備できるかが課題と思います。
中共が尖閣・台湾侵略時、北朝鮮を鉄砲玉として使うのは目に見えており、韓国も側面支援させようとするので、”侵略の基盤となる中朝韓の経済力を如何に削ぐか”を今から着々と検討・実施する必要があると思います。その一歩としてTPPとIPEFを上手く結合させ、TPPからは中韓除外、及び各国の北朝鮮との断交による出稼ぎ収入の遮断を推進して欲しいと思います。
>自分の名前を付けてしまう岸田首相の政治的センスについては、ここでは敢えて触れません。
小物臭が堪りません。w
致命的でもないし、大した話ではないですが、マイナス貯金は積み立てられました。
うちの嫁さんとのケンカなら、まず間違いなくほじくり返される過去になります。
凡人の私は、自分をキッシーに重ね合わせて見てしまうところが多く、彼の行動がヤになるんです。(笑)
独り言、戯言と聞き流してください。
安倍元首相には確かな覚悟がありました。
菅前首相には強い意志がありました。
岸田ビジョンと言うだけの覚悟や意志があるか?という問題のように思います。
「聞く」姿勢=付和雷同とならないように願うばかりです。
とりあえず「言っていること」だけ見れば、まあ赤点は免れていますね。
でも肝心なのは「言ったこと」を実現する為に「やったこと」「やること」です。「やったこと」は思い当たる節が無く、「やること」についてはまだ何も見えていません。
なので、今回の演説で岸田首相を見直す所までは行ってません。
個人の感想ですが。
中韓の名前を出さなかったのは、先の韓国検討団への前のめりの姿勢が自民党内から相当な反発を喰らったためだけと違いますか。思想そのものはあまり変わっていないように見えます。