「ワクチン接種の重要性を前提にワクチン頼みではないコロナ対策が必要だ」。(普段発言を切り取り批判している人が)「タイトルだけで発言を判断しないで」。「五輪中止を社説で呼びかけたがオフィシャルパートナーの地位は降りない」。「五輪はダメだが夏の高校野球はOK」…。世の中、首尾一貫性のない言動を取る人は多いのですが、ここまで来ると、深刻です。
目次
首尾一貫性のなさ
首尾一貫性とは?
当ウェブサイトでは最近、野党やマスメディアの行動を話題として取り上げることが多いような気がします。
少し批判を覚悟で、あえて厳しいことを申し上げると、日本で2012年12月以降、政権交代が発生していない理由は、野党にしてもマスメディアにしても、態度が首尾一貫していないからではないかと以前から感じています。
ここでいう「首尾一貫した態度」とは、たとえば、自分のことであっても相手のことであっても、常に同じ基準で判断するような姿勢のことであり、野党やマスメディアが「首尾一貫していない」というのは、たとえば、「自分のことは棚に上げて相手をあげつらうような姿勢」を取ることです。
いくつか事例を挙げましょう。
枝野幸男さんの事例
先日の『「何が何でもワクチン頼み」で何が悪いのでしょうか?』では、立憲民主党の枝野幸男代表が26日、菅義偉総理大臣の新型コロナウイルス対策について、「菅義偉首相はワクチン頼み」、「ワクチン頼みでない抑え込みにかじを切らないとだめだ」と批判した、とする話題を取り上げました。
しかし、枝野氏はこれを報じた日経新聞の記事について、ツイッターで「見出しの一部が誤解を与えている」などと反論。この「ワクチン頼み」などの批判は「ワクチン接種の重要性を前提に述べたうえでの発言」だと申し開きをしました。
枝野幸男 立憲民主党
見出しが一部に誤解を与えていますが、本文中にもあるように、ワクチン接種の重要性を前提に述べた上での発言で、番組では「ワクチンどんどんやることはものすごく大切なこと」と言っています。
新型コロナ: 立民・枝野氏「首相はワクチン頼み」 : 日本経済新聞
―――2021年5月26日 16:19付 ツイッターより
日経新聞の報道と枝野氏のツイートの合わせ技で考えると、枝野氏は「ワクチン接種の重要性を前提に、『ワクチン頼みではない抑え込み』が必要だと指摘した」、という意味でしょう。
なるほど。
大変申し訳ないのですが、さっぱり意味がわかりません。日本語でいえば「支離滅裂」、といったところでしょう。そして、枝野氏が支離滅裂なのは、「ワクチン接種は重要」と言ってみたり、「ワクチン頼み」と言ってみたり、と、枝野氏の議論に首尾一貫性がないからです。
謝蓮舫こと齊藤蓮舫こと村田蓮舫さんの事例
しかも、面白いことに、謝蓮舫こと齊藤蓮舫こと村田蓮舫さんも、これについて「見出しだけで判断しないでほしい」とツイッターで呼びかけておられます。
蓮舫@RENHO・立憲民主党
拡散されるマスコミの「見出し」だけで判断しないでいただければ、と思います
枝野代表も私たちも提案し続けているzeroコロナ戦略はワクチン接種に加え、事業者への給付や検査拡大による封じ込めを徹底することです。
菅政権はオリパラありき、高齢者の接種を何が何でもの姿勢。そこが大きく違います
―――2021年5月26日 16:56付 ツイッターより
普段、相手の発言のごく一部分だけを切り取り、それで相手の揚げ足取りをする手法で知られる謝蓮舫こと齊藤蓮舫こと村田蓮舫さんが「マスコミの『見出し』だけで判断しないで」と呼びかけるのも、首尾一貫した態度とはいえません。
いずれにせよ、ここに取り上げた野党議員の皆さんの「首尾一貫性のなさ」は氷山の一角に過ぎず、探せば(というか探さなくても)いくらでも出て来ますので、読者の皆さまも、「野党議員の皆さま方の首尾一貫性のなさ」の事例を集めるだけで、それなりの暇つぶしができるかもしれません。
(※ほかにも、「日本共産党の志位和夫委員長が21年間独裁体制を敷いておられること」なども、事例としてはわかりやすいでしょう。なお、「事例を調べた結果、時間を無駄にした」と言われても責任はとれませんので、もしそれをやるならば自己責任にてご対応いただきますようお願い申し上げます。)
マスメディア
朝日新聞社の事例①リコール運動
さて、「首尾一貫性のなさ」という意味では、二大巨頭の片方が野党議員ならば、もう片方はマスメディア、といったところでしょうか。
先日の『「なぜ偽造に走ったのか動機の解明が必要」=朝日新聞』では、昨年愛知県で行われた大村秀章知事知事に対する解職請求(リコール)を巡り、有権者の署名が偽造されていた疑いがあるとして、運動の事務局長らが逮捕されたという事件を取り上げました。
もちろん、偽造が事実であれば、これはとんでもない犯罪であり、民主主義に対する挑戦でもあります。なぜなら、それは単に署名を偽造しただけではなく、「民意を偽造した」ようなものだからです。
ただ、これに関連し、朝日新聞に掲載された社説は、なかなか驚きます。
(社説)リコール不正 民主主義への冒涜だ
―――2021年5月21日 5時00分付 朝日新聞デジタル日本語版より
朝日新聞の社説では、末尾において、「直接請求が選挙と並び国民が地方政治に参加するための重要な仕組み」であると指摘。そのうえで、次のように批判しています。
「それを悪用し民意の改ざんを図った今回の犯罪は、民主主義への冒涜(ぼうとく)に他ならない」。
(※どうでも良い余談ですが、「改竄」をわざわざ「改ざん」と書き換えるのは、「改竄」の「竄」が「常用漢字」ではないためだそうですが、非常に見苦しいので、個人的にはやめていただきたいと思う次第です。「冒涜」を「冒とく」と書かずに「改竄」を「改ざん」とは、なんだかよくわかりませんね。)
この「民意の改竄を図る行為が民主主義への冒涜」という表現、なかなか強烈な皮肉にしか見えません。
2009年8月の衆院選は、マスメディアが業界を挙げて、報道を通じて民意の改竄を図った行為ではなかったのでしょうか。朝日新聞基準に従えば、マスメディア業界の行為は、まさに民主主義への冒涜そのものではないでしょうか。
朝日新聞社自身による一連の慰安婦捏造報道も含め、「改竄」や「捏造」といえば、多くの人が「それは新聞やテレビがやっている行為ではないか?」と思うのではないかと感じてしまいます。
朝日新聞社の事例②東京五輪問題
さて、その首尾一貫性のなさという意味では、東京五輪を巡る話題も考えておきたいと思います。
朝日新聞は先週、東京五輪の中止を求める社説を掲載し、ちょっとした話題となりました。
(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める
―――2021年5月26日 5時00分付 朝日新聞デジタル日本語版より
これは、新型コロナウィルスの感染拡大が止まらないなかで、「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断する」ことを菅義偉総理大臣に求めた社説です。
一般に「社説」とは、その社としての見解を世に問うための文章であり、言ってみればその新聞社の「公式見解」のようなものでしょう。
東京五輪を開催すべきか、中止すべきかの議論を巡っては、当然、諸説あるはずですし、朝日新聞社が「社として」その中止が妥当だと考え、自社の責任においてそれを「社説」として世に問うたこと自体は、朝日新聞社の判断として尊重すべきでしょう。
当然、朝日新聞社が「東京五輪中止」を唱えるのは正当な言論の自由の範囲内のことであり、そのことに対して何か文句をつけるべき筋合いはありません。私たち一般国民にできることといえば、読者の立場として、その論拠とともに、朝日新聞の社説の妥当性を吟味すればよい、というわけです。
オフィシャルパートナーは降りない
ただ、株式会社朝日新聞社は同じ5月26日、こんな発表をしています。
東京2020オフィシャルパートナーとして
―――2021年5月26日付 株式会社朝日新聞社ウェブサイトより
非常にわかり辛い文章ですが、そのなかに、こんな一文が含まれています。
「新型コロナウイルス感染の拡大により、大会の開催を懸念する声が広がるなど、さまざまな議論がなされる状況となっています。感染状況などを注視し、オフィシャルパートナーとしての活動を続けてまいります。」
あれれ?
社説で「五輪を中止せよ」と主張しておきながら、社としては「オフィシャルパートナーとしての活動を続ける」…。なんだか、首尾一貫しておらず、読者としてはわけがわかりません。
これについて、株式会社朝日新聞社は、次のようにも述べています。
「2016年1月に大会組織委員会とオフィシャルパートナー契約を結んだことをお伝えした際、『オフィシャルパートナーとしての活動と言論機関としての報道は一線を画します』とお約束しました。朝日新聞が五輪に関わる事象を時々刻々、公正な視点で報じていくことに変わりありません」。
要するに、社説は「言論機関としての朝日新聞の主張」であり、オフィシャルパートナーとしての活動は「株式会社朝日新聞社としての活動」である、とでも言いたいのでしょうか。
もしそうなのだとしたら、本当に首尾一貫しません。
夏の甲子園はOK?
こうしたなか、朝日新聞といえば、五輪のオフィシャルパートナーである以外にも、夏の甲子園・高校野球を主催している立場でもあります。こうしたなか、株式会社小学館が運営する『NEWSポストセブン』というウェブサイトに今朝、『週刊ポスト』が配信した、こんな記事が掲載されていました。
朝日新聞が“五輪中止社説”「では夏の甲子園どうする?」を質問してみた
―――2021.05.31 07:00付 週刊ポストより
これは、朝日新聞の26日付の社説について、「高校野球関係者が困惑している」、とするものです。週刊ポストは高野連関係者の次のコメントを紹介しています。
「五輪は7月23日に開会し、パラリンピックの閉会式は9月5日。ちょうどその期間に重なる8月9日に開幕するのが、朝日新聞が主催する『夏の甲子園』です。社説であそこまではっきり大規模イベントの中止を求めた以上、本当に開催できるのか」。
このあたり、指摘されてみれば、たしかにそのとおりでしょう。
朝日新聞社が「社説」で、「社の責任」として東京五輪の中止を求めた以上、やはり同様に、大規模スポーツ大会の開催を主催して良いというのは、何だか首尾一貫性がありません。
この点、週刊ポスト編集部が朝日新聞社に見解を問うたところ、文書でこう回答したのだそうです。
「東京オリンピック・パラリンピックと全国高等学校野球選手権大会では、外国からの選手や関係者、報道陣の流入の有無や、開催に伴う国内の医療機関、医療関係者への負担の大きさといった点で、事情が異なっていると考えています。そうした点も踏まえ、今年の選手権大会の開催については現在、日本高等学校野球連盟とともに準備しながら新型コロナウイルス感染症の国内における状況を慎重に見極めています」。
要するに、「外国から人が入って来るか、来ないか」、という違いだ、というわけです。
ただ、こうした説明に納得する人が多数を占めるとも思えません。
たしかに夏の高校野球では外国から大勢の人々が入国して来るわけではありませんが、「コロナ禍のなか、不特定多数の人が集まるスポーツ大会」という意味では、どちらもまったく同じでしょう。
いや、全国各地で行われる予選を含めれば、東京五輪よりも高校野球の方が、規模的にははるかに大きい、という言い方もできます。「感染リスクを高める大規模スポーツ大会」という意味では、どちらの方が高リスクなのかは微妙でしょう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いずれにせよ、こうした「首尾一貫性のなさ」の事例を集めていくと、本当に世の中にインターネットがあって良かったと痛感する次第です。
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今日の参議院の決算委員会で有村議員の質問に対する加藤官房長官の答弁「朝日新聞が報じていた吉田氏の証言により、あたかも強制連行があったような事実に反する認識が、韓国をはじめ、国際社会において広まったことは極めて問題であったと考えている」。
終わりの始まりです。
>試合で負けたプロレスラーが場外乱闘を始めたようなものです。
タイガー・ジェット・シンで再生されたw なんでこんな例えを思いつくのかw
色んなことがありすぎて、もう、どうしていいのか、わからなくなってるんですかね?
左翼のいう「公正・中立」とは、「味方しない・敵方に立つ」ですからね。
おそらく本気の善意(独善)で「身内ナァナァで言いにくい事を、賢人たる我らが糾して進ぜよう」という発想からかと思いますが。特に効果も根拠も検討せずに、ただただ"糾す"しか能が無いので、敵にしかならんのですよね。
あ、糾すことに関して能があるかのような表現は不適切でしたね。"噛み付く"くらいか。
しかしダイバーシティとかなんとか言ったそばから外国人差別ですか……そこに目を瞑ったとしても、ではなぜ諸外国からの入国の制限に賛同しないのか。私も法的根拠が無ければ(立法すれば良いが)人権・私権制限はマズイとは思いますが……でも今度は「違法でも公正なら擁護すべし」という元朝日記者や、野党議員の不法入国・滞在に対する「だから何?」発言と矛盾します。
論理ではなく都合で喋るから次から次へと矛盾の連鎖。スネ夫の「嘘をついたのを誤魔化すためにまた嘘をついて止まらなくなる」は大人びた発言ですねぇ。
毎度、馬鹿馬鹿しいお話を。
「私は朝日新聞である。私に首尾一貫を求めること自体、間違いである」
おあとがよろしいようで。
蛇足ですが、5月28日の朝日新聞の客員論説委員が書いたNHK土曜ドラマの記事に、「このドラマの登場人物は全て、何らかの意味で無責任である。それでも彼らに親近感を覚えるのは、(自分自身も含めて)日常的にかかわる人物に似ているからだ」とありました。ということは、日常的にかかわる朝日新聞の人間も、無責任ということでしょう。
駄文にて失礼しました。
なにしろ、「日本一の無責任新聞」ですから。
♪おれはこの世で一番 無責任と言われた新聞
安保の頃から 調子よく
楽して儲ける スタイル
龍様へ
(個人的見解ですが)『日本一の無責任新聞」を始めとする日本マスゴミ村にとって、「オモシロクナイ(?)事実より、オモシロイ(?)嘘の方が重要」と思っているのでしょう。後で問題になれば、(内々で)「まさか、自分たちの記事を事実と思う人がいるとは思わなかった」と、それこそ無責任に話しているのでしょう。(なにしろ、オモシロクナイ事実では、数字がとれませんから)
駄文にて失礼しました。
引きこもり中年 様
>オモシロクナイ(?)事実より、オモシロイ(?)嘘の方が重要
これはマスコミの本質を突いてますねえ。
一貫性がどうのというよりは、事態がどう転んでも記事が書けるようにするためのせこい作戦じゃないでしょうか?
中止になった場合
「我が社は正しかった」と手柄独り占め。または「これしきの感染者数で中止はやり過ぎだ」「中止は選手の努力を踏みにじる愚行、政府は全世界の選手の5年間を償え」と政府を批判して倒閣を狙う。
開催されて感染が拡大した場合
「開催は世紀の愚行、世界への犯罪」「これは東京大虐殺だ」と煽るだけ煽って倒閣を狙う。
開催されても感染がさほど広がらなかった場合
何もなかったかのように、スポンサーの立場を利用してしれっと報道。または、会場運営のささいなミスを大失態かの如く煽り立ててお茶を濁す。
どう転んだって記事が書けますからね。記事を書く側に取っては損のない賭けですよ。
ただ、その書いた記事や新聞が売れるかどうかは別です。こういう態度は信用を失いますから。
> 夏の甲子園はOK?
インターハイと熱中症の問題が騒がれた2、3年前も書いてましたね。
「高校生を危険にさらす真夏の大会はやめるべきだ(夏の甲子園以外)」
ご都合主義の朝日新聞らしい主張です。
ダブスタってとこで、首尾一貫・・・
そもそもオフィシャルパートナーは一業種につき一社が原則なんです。
でも東京五輪は違う。どうしてでしょう?
すでにこの当たりからが始まりです。
ひろた 様
知りませんでした。
オリンピックはかなり用語の使用等にセンシティブなほうだと思っていましたが、今回からオフィシャルスポンサーの業種被り特例でOKなんですね。
複数社で被った場合のスポンサー料の折半は未回答から邪推すれば、もしや苦しい台所事情の日本企業からカネを掻き集めるためなのでしょうか。
CYCLE:多すぎる五輪スポンサーの「特例共存」
https://cyclestyle.net/article/2016/06/14/37057.html
朝日に関しては東京五輪中止になればスポンサー料の返金も目当てだったら笑えますね。
誰か無知な私に教えて下さい。
左翼の方々はなぜ、五輪開催に必死で反対してるのですか? その本当の理由はなんでしょう?
五輪が中止になれば政権への打撃になると踏んでるからですか?
以下、私見ですが。
1.日本国民に開催できなかった失望感を植え付けるため
2.「コロナに負けた」と言う汚点を、未来に残したいため
3.多額の違約金を払わせて、国力を削ぎたいため
4.開催できなかった政府の無能さをアピールするため
5.来年の中国オリンピックと対比して、日本はダメだったが、中国は出来た!ってやりたいため
他にもあるかもしれませんが、こんな感じでないかと思います。
マスオさん、
ありがとうございます。なるほど、とにかく日本を貶めることが目的ですか。
それは大いに有り得そうですね。
朝日新聞社と立憲民主党の一貫性の無さや屁理屈コネには毎度開いた口が塞がりません。自分達がやる分には何でもOKなんです。
ところが体制派や保守系、国のやる事は、皆ハンターイ!(笑)。五輪はコロナ禍だから止めろ、と言う人は、とにかく日本国の脚を引っ張りたいだけです。
東京五輪はたとえ無観客であっても、やらなければなりません。ここまで努力したんだ、絶対やるべきです。もう外国選手団が日本に到着しましたね。
半面、甲子園の高校野球は開催時期が良くないですね。毎日新聞社が続けれるとは思わないが(笑)、春のセンバツは4〜5月のゴールデンウィークに移動させる。そしたら1〜3年生までが出場出来る。出場校決定(推薦)は、3月で良いと思います。
夏の選手権はクソ熱い盆を避け、8月25日から開催でどうですか。おそらく準々決勝以後は9月に入りますが、少し体感気温はマシですよ。
あ、会計士さんクラブケーキの意味、よく分かりました。鈴置氏の本編読んで失笑しました。