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安倍政権での改憲を許さない?政権は終わりましたよ?

憲法改正はなぜ後回しになるのか。その理由はおそらく、改憲を嫌がる既得権が力を持っているからなのでしょう。実際、改憲を悲願に掲げていた安倍政権も、連続在任日数として史上最長を記録したにも関わらず、結局、憲法審査会もろくに開かれず、改憲は実現しませんでした。ただ、安倍総理が辞任したことで、結果的に「フリーハンド」を得たことは、必ずしも悪いこととは言い切れません。

「憲法改正を後回しに」?

先ほどの『立憲民主党議員、「菅政権はヤジで倒せる」と勘違いか』、自分自身で読み返してみて、少し書きすぎたかな、という部分があったと反省しています。

それは、「憲法改正を後回しにすべきだ」、としたくだりです。

今朝申し上げた内容は、「国民の敵」の勢力を弱めることは、憲法改正と並行して最優先課題に位置付けるべきだ、とするつもりで記載したものですが、実際では、「現時点の憲法改正に反対」と読めてしまうのです。

当ウェブサイトでは以前から、憲法改正は必要だと主張して来ましたので、その主張と比べれば、唐突感があったことは否めません。まだまだ修養が足りません。あたりまえですが、そもそも憲法第9条第2項という条文自体、論理的にかなりの無理がある条項です。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「陸海空軍その他の戦力を保持しなければ戦争が生じない」とは、意味がわかりません。もしこのロジックが通じるのならば、「警察を廃止すれば犯罪発生しない」、「税務署を廃止すれば脱税は生じない」ということになるはずでしょう。

だいいち、もしロシアが北海道に攻め込んだり、中国が沖縄県に攻め込んだり、韓国が対馬に攻め込んだりしても、憲法第9条第2項を字面通りに解釈するなら、「もし外国から軍隊が攻めて来たとしても、国の交戦権、つまり防衛することは認めない」、と読めてしまいます。

(※ちなみに「そんな非現実的なことをいうな」と主張する人もいますが、旧ソ連が千島列島への軍事占領作戦を開始したのは、日本がポツダム宣言を受け入れて停戦した1945年8月15日以降であったという事実を忘れてはなりません。)

その意味では、こんなおかしな条文など、さっさと変えるべきではないかと思う次第です。

「天皇の国事行為」が多すぎる!

ただし、「憲法を改正したらそれで問題はすべて解決する」という単純なものではないこともまた事実です。とくに「憲法問題」といえば、改憲賛成派も反対派も、巷間では憲法第9条の問題ばかりにフォーカスを当てる傾向がありますが、そんなことはありません。

当ウェブサイトでも『憲法記念日に「脱税の放棄」について考えてみた』や『コロナウイルスも憲法で禁止しよう!』などで議論してきたとおり、日本国憲法は制定から70年以上が経過し、さまざまな部分で不具合が生じていることはたしかです。

個人的に最も優先的に改正しなければならないと思っている条文は、憲法第7条と第86条です。

日本国憲法 第7条

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

二 国会を召集すること。

三 衆議院を解散すること。

四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七 栄典を授与すること。

八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

九 外国の大使及び公使を接受すること。

十 儀式を行ふこと。

第7条は天皇の国事行為に関する規定ですが、正直、「天皇の国事業務」が多すぎますし、ただでさえご多忙な天皇陛下にさまざまなご負担を強いています。

たとえば、改憲と法律、条約の公布ならばまだわかりますが、なぜ政令をいちいち陛下が承認されなければならないのでしょうか。霞ヶ関の小役人ども(たとえば金融庁や金融庁、ほかにも金融庁など)が作った悪文を、陛下に上奏すること自体が無礼です。

というよりも、国会を通った法律自体について、細かいものを含めたすべてに目を通される必要が、果たしてあるのかどうかについても議論すべきかもしれません。

さらにいえば、憲法の規定上、「天皇の国事行為」が設けられていると、国会と内閣と皇居の交通を物理的に寸断すれば、日本が国として機能しなくなるかもしれない、ということでもあります。

たとえば日本では国会は「天皇の招集」がなければ開かれませんし、国会議員が自発的に集まっても「国会」は成立しません。これをフランス憲法のように、「選挙が開催された翌週、国会は自動的に開催される」、といった具合に、少なくとも通常国会については「天皇の招集」なしで開かれるようにすべきでしょう。

公会計にも連結決算の強制を!

次に問題視したいのは、予算単年度主義です。

日本国憲法 第86条

内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

憲法の規定上、毎年予算を作って国会の議決を経なければならないとされているのですが、これは単年度の収支(フロー)のみを承認させるという方式であり、おおきな問題があります。なぜなら、年をまたいだ中・長期的なプロジェクトを巡っては、不透明になりがちだからです。

この70余年、企業会計は大きく進歩しました。

金融商品会計や退職給付会計に代表されるとおり、現在の企業会計では、時価評価や年金数理計算などの複雑な計算が多用されていますし、そのことによって企業の財務内容の透明性は飛躍的に向上しました。政府部門の会計にも、こうした考え方は適用可能でしょう。

また、連結会計は企業がグループ会社を作って損失を飛ばす、利益を隠すなどの行為を無効化しています。別会計を作って会計の不透明性を高めるのを封殺するという意味では、公会計部門にも連結決算の考え方を導入する必要があります。

おそらく、連結会計の導入を最も嫌がるのは、財務省でしょう。国の連結バランスシートを作成すると、日本が財政危機ではないということがバレてしまうからです。

また、ほかにも官僚の天下りのために特殊法人を多数設けている官庁は、連結、金融商品会計、退職給付会計などの企業会計の技法を公会計に導入することに強く抵抗するかもしれません。

しかし、公的部門の財務内容の透明性確保は、私たち有権者の「知る権利」に応えるものでもありますし、公的部門には、私たち納税者に対して説明責任をしっかり果たす義務があります。

その意味で、憲法議論をどんどんと前に進めていくべきでしょう。

安倍政権下でも成し遂げられなかった憲法改正

安倍晋三総理大臣といえば、内閣総理大臣としての連続在任日数が2822日、第1次政権を含めた通算在任日数は3188日で、どちらも「歴代最長」を達成しました。ただ、それだけ長く在任しながらも、結局は成し遂げられなかった「悲願」のひとつが、憲法改正です。

もちろん、拙速な憲法改正に対し、巷間ではさまざまな批判があることは事実でしょう。

しかし、「安倍改憲」に反対する勢力(とくに左派的な主張を好む特定メディア、立憲民主党や日本共産党などの野党)は、改憲の議論すら封殺しようと躍起になりました。国会で憲法審査会が事実上開催されなかったことなどは、その典型例でしょう。

さすがにいつまでも改憲議論を封じ込め続けることに対しては無理があると思ったのでしょうか、しまいには、特定野党側は「安倍政権下の改憲を許さない」などと述べ、特定メディアは世論調査にも「安倍政権下の改憲を容認するか」などの質問項目を入れるなどして援護射撃した格好です。

とくに、「護憲派」と称する人たちは、「安倍のもとの改憲では戦争になる」、「安倍の第9条改憲はここが危険だ」、などと称して、「安倍政権下の改憲は絶対に許さない」とする論陣を張っています。

「安倍9条改憲」はここが危険だ(前編)

―――2017年07月21日付 Web論座より

こういうのを「思考停止」というのでしょう。正直、呆れて物も言えません。

安倍政権は終わりましたよ?

ただ、冷静に考えてみると、「安倍政権下での改憲は議論すら許さない」と頑張っていた人たちも、そろそろその言い訳が通じなくなっています。なぜなら、安倍政権は9月に終わったからです。

これについて、昨日、なかなか興味深い報道がありました。

安倍前首相、墓前に退陣報告 改憲「野党の言い訳通じぬ」

―――2020年11月01日18時15分

時事通信によると、安倍総理は昭恵夫人とともに地元・山口県長門市を訪れ、父親である故・安倍晋太郎元外相の墓参をするとともに、在任中に実現できなかった改憲を巡って、次のように発言したのだそうです。

野党は安倍政権の間は(協力)しないと言っていたが、菅政権では言い訳はもう通用しない」。

まったくそのとおりでしょう。

いや、もう少し厳密にいえば、「言い訳が通用しない」のは、野党だけではありません。「言い訳が通用しない」のは、「安倍政権下の改憲を許さない」、などと公言していた特定メディアについてもまったく同様に成り立ちます。

その意味では、安倍総理は自身の退任すら、うまく活用したという言い方をして良いかもしれません。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ちなみに当ウェブサイトでは安倍晋三氏を「安倍前首相」ではなく「安倍総理」と一貫して呼称しているつもりですが、菅義偉政権発足後、安倍総理は閣僚、政務官、党三役などの役職にいっさい就いておらず、あくまでも「一介のヒラ議員」です。

ところが、ただの「ヒラ議員」ではありません。史上最長の政権を率いた人物として、政界にも大きな影響力を持っていますし、さらに合計81回、延べ176ヵ国・地域に及ぶ外国訪問を通じて全世界に知り合いを持つという、日本にとって最強クラスの外交官でもあります。

その安倍総理は、退任後に2回も靖国参拝を敢行しましたし、10月下旬には東京都新宿区若松町19番1号(総務省第二庁舎別館)に設けられた「産業遺産情報センター」を訪れ、長崎県端島(通称「軍艦島」)の元島民の方々と懇談するなどしています。

安倍晋三

昨日にて長崎県の端島(通称軍艦島)の元島民の皆様とお話しする機会を得ました。世界最大の人口密集率といわれた当時の端島での生活をものがたる様々な資料が展示されておりましたが、その中に台湾出身の徴用工である鄭新発さんが大切に残していた給料袋(給与+ボーナス)がありました。鄭新発さんに感謝したいとおもいます。当時の彼らの労働に対する待遇が本当はどうであったかを物語る貴重な資料です。いわれなき中傷への反撃はファクトを示す事が一番でしょう。コロナ禍の中、入場者数が制限されていますが、是非多くの方に来館していただきたいと思います。
―――2020年10月23日·13:32付 ツイッターより

つまり、「一介のヒラ議員」という立場は、まさに安倍総理が手に入れた「フリーハンド」です。

もしも安倍総理の発言が菅義偉総理の発言と多少矛盾していたとしても問題はありません。なぜなら安倍総理は菅政権下の閣僚ではないからですし、党三役なども務めていないからです。

その意味で、安倍総理を辞任させてしまったのは、特定野党、特定メディアにとっては手痛い打撃だったといえるのかもしれませんね。

新宿会計士:

View Comments (17)

  • 韓国の軍事メーカー、通信事業者と提携し5Gを活用した無人・自律型兵
    https://news.yahoo.co.jp/byline/satohitoshi/20201102-00206028/

    韓国はこういった取組、着々と進めています。

    片や我が国、未だにモリ・カケ・サクラがくすぶり、ガクジュツは相変わらず。
    左翼や親中・親韓等々の勢力による自虐史観育成・9条絶対主義のプロパガンダを封じ込める戦略的対応、真剣に考えられ実施されなければ手遅れになりそうな気がしております。

  • 財務省は一応、国のバランスシートを作っているようです。
    令和2年3月31日づけで「報道発表 平成30年度「連結財務書類」を作成しました」という時間差が謎なのですが…
    https://www.mof.go.jp/budget/report/public_finance_fact_sheet/index.htm

    国の財務書類(平成30年度)
    https://www.mof.go.jp/budget/report/public_finance_fact_sheet/fy2018/kuninozaimu2018.html

    ざっと見た限り項目が大雑把で、これらの書類が新宿会計士様の期待する水準のものかどうかわかりません。

  • 安倍総理におかれましては、是非とも尖閣の魚釣島に上陸していただきたいです。

    •  けん様へ
       
       近藤大介氏が、「安倍前総理が、台湾を訪問するのではないか」という記事を書いてました。
      >https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62661

       駄文にて失礼しました。

  • 「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)についての「政府広報オンライン」による説明
    https://www.gov-online.go.jp/useful/article/200802/3.html

    以下、抜粋

    憲法改正のための国民投票の流れ

    (1)憲法改正原案の発議
    衆議院100人以上、参議院50人以上の国会議員の賛成により、憲法改正案の原案が発議される

    (2)憲法改正の発議
    衆議院憲法審査会及び衆議院憲法審査会で審議され、衆議院本会議及び参議院本会議にて3分の2以上の賛成で可決

    (3)国民投票の期日
    (4)広報・周知
    (5)国民投票運動
    (6)投票

    現在の自民党の議席数(衆283/参112)なら、公明党を含まずに憲法改正原案の発議までは可能なはずです。

    自民党の「重点政策」のページには

    衆参の憲法審査会において、国民のための憲法論議を丁寧に深めつつ、
    憲法改正原案の国会提案・発議を行い、国民投票を実施し、早期の憲法改正を目指します。
    https://www.jimin.jp/policy/promise6/

    と書いてあります。法律では原案の発議の後に衆参の憲法審査会で原案の審議と定められているのに、なぜ憲法審査会での議論が先に来るのでしょうか?

    これでは一向に原案作成にたどり着けないように見えます。どういう事情があるのでしょう?

  •  独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
    (詳しい人が、いれば教えてください)
     井沢元彦(著)の「逆説の日本史」の世界ですが、「日本で律令が正式に廃止されたのは明治維新なので、今後、日本の憲法も、有名無実化して、誰も憲法があること自体を、忘れる」のではないでしょうか。(日本人は、祟りを恐れて、自分で、これまでの憲法を捨てることは出来ないのかもしれません)
     駄文にて失礼しました。

  • 更新ありがとうございます♪

    「論座」の石川健治東京大学教授って、どストライクの左派学者ですね。どんな方か、知ってましたけど、読んだら余計酷い。憲法学の先生って、大概ロクな奴いない(偏見です)ですわ。社会党の土井たか子とか。憲法学=反日左傾学。

    安倍政権下でも成し遂げられなかった憲法改正ですが、なんとな〜く今の方が野党退潮で、狙い目な感じですネ。「アベマサハル(政治)を許さない」(嘲笑)。

    安倍総理はフリーハンドで(と言っても菅総理とは阿吽の呼吸でしょうが)、動かれている。むしろ今の方が動き易いでしょう。

    安倍総理が軍艦島の元住民と話し合いをされてます。私の学校の先輩も長崎県の軍艦島出身でした。当時、まだ住まれてました。何も後ろめたい話、朝鮮人労働者への虐待、日本人も悲惨な生活をしたなど、聞いた事ありません。いつも楽しく語ってくれました。

    • 憲法改正に対する最大の障害が、その改正の受益者である国民自身であるのが皮肉なところです。

      「敵が攻めてきたら即刻降伏すればよい」「敵尾を殺すより殺された方がいい」「人と人は話し合えば必ず分かり合える」というバリバリの平和主義者より、「いままで攻撃されることもなく平和だったんだから憲法もそのままでいいじゃないか」「米国の傘にただ乗りしているのが楽だし得」「外国との間には海があるから大丈夫」という、物事を深く考えることのないノンポリ多数の方が厄介です。思わず「この愚民めがッ」とか「見ろ!人がゴミのようだ」なんて言いたくなってしまいますが、そこは我慢。

      やはりC国なりK国なりの先制攻撃を食らって、航空機か護衛艦が撃墜ないし撃沈されるまで、その平和ボケは醒めないのかもしれません。しかしそれでは自衛官があまりにも哀れです。

      密かにダミーの被害担当艦を作り、マネキンを載せて無線誘導で尖閣か竹島に派遣、撃沈されて輿論沸騰、なんてならないかなぁ。
      かわぐちかいじ先生、「空母いぶき」の次作に「護衛艦うねび轟沈」なんてどうです。

      • 要はお花畑の住人の意識を変動せしめて、多少の左巻きの方々の扇動が効かないところまで国民全体の意識が憲法改正に向かえば良い訳です。
        そのためには、現状はまだインターネットメディアよりは、マスメディアの方が全体を変えていくのには向いているかと思います。
        インターネットだと見たくない情報は見なくても済みます。
        極端な話、空母の四隻沈められても政府とマスメディアが組めば差し当たって無かった事に出来ます。
        現状でも、尖閣諸島に来る中国船の映像や、親日派を糾弾する韓国の様子を各局朝昼のワイドショーでおどろおどろしいBGMと併せて連日放送すると大分様子が変わるのではないかと思われます。
        ちとテレビの過大評価かもしれませんが。

  • 日本国憲法の施行以来70有余年、改正の要不要はともかくとしても、内容や奇術の総点検が必要であるという点については論を俟ちません。それすら行わないというのは、明らかに国会の怠慢であり、そしてそれを放置している国民の怠慢でもあります。広く輿論を興さねばなりません。

    さて、議論が発散しかねないので、以下ではとりあえず第9条の問題に絞ります。本サイトを含め、左巻きではないところでは、第9条の改正は必要であり、必然であるという結論かと思いますが、そうではないという人々、中には議論することすら穢らわしいとする人々が少なからず存在していることは、皆様ご存知のことと思います。いったい、彼らはどんな人たちなのだろうと、ちょっと考えてみました。「お花畑」の一言で片づけるのは簡単ですが、もう少し内訳があるだろうと思うのです。
    まず、「戦争は軍隊がするものなのだから、軍隊がなければ戦争は絶対に起きない」と信じて疑わない人たちですが、歴史的経験に鑑みない、まさに浅はかな「お花畑思考」と言えるでしょう。歴史上、しばしば「戦争」とは関係のないところで大虐殺が発生していることを知らないのか、知らないふりをしているのかわかりませんが、無知蒙昧と評するよりありません。

    そしてもう一つのタイプとして、軍事という徹底的にリアルな世界に向き合うことができない、向き合うのが怖くて仕方ない、そんなものに向き合わずに無かったことにしたい、目を瞑りたいという人たちも結構いるような気がしてなりません(特別な根拠はありません)。
    第9条を改正し、「国軍」を保有するに至った場合、否応なしに軍事的安全保障の問題に正面からぶつかる必要があります。軍事の問題は、徹底的にリアリズムの世界ですから、薄っぺらく甘っちょろい感傷が介在する余地はありません。生温い綺麗事などを並べることに意味はないのです。徹底的リアリズムの下、冷静な、場合によっては冷酷とも受け取れるような議論だけが許されます。
    おそらく、その一部の人たちは、そんな徹底的リアリズムのみで構成される世界に向き合うことが怖くて仕方がないのでしょう。それは自分たちの底の浅さや脳天気なまでの偽善ぶりと、真っ向から向き合わざるを得なくなることを意味します。彼らの脆弱な神経、空疎な自負心では、そのような圧倒的なリアルに耐えられません。だからこそ、彼らは軍事というリアルから目を背けるために、第9条に触れたがらないのです。

    先に書いたように、以上の想像に根拠はありません。推測というよりは、憶測の領域の代物です。でも、なんとなくではありますが、当てはまる人物もそこそこ居るであろうと思っています。

    • リアルに向き合えないというのは説得力がありますね。

      私の知人に一人、素朴な九条信者がいます。結構高学歴な人なのですが、本気で「憲法九条のおかげで日本は平和を保ってきた」と言います。その根拠を聞いても論理的なものは出てきません。TVが対好きな人なので、TVに洗脳されたのだろうと思い、議論を諦めました。リアルに向き合うことを恐れると言うより、宗教に近い、あるいは脊髄反射に近い九条信仰だと思いました。

      以下は、龍様とは意見が合わないところであることは承知で、幾つかの類型を追加提案します。

      ○中共・北朝鮮・韓国の工作員
      いわゆる特定アジア三国は、日本が通常の軍事力を持つことを許しません。中共は、日本侵略が困難になるが故に、北朝鮮は日本の軍事侵攻によって金王朝が崩壊することを恐れて、韓国は、日本を格下の国に据え置きたいため、あるいはいつか日本に軍事侵攻したいから、ではないかと思います。
      特に中共は膨大な大概工作予算の一部を日本のメディアや市民団体に振りまいて、かまびすしく「九条を守れ」と叫ばせているのではないかと憶測します。

      ○反社会分子
      社会が不安定になるのが嬉しいサイコパス。中国に侵略されて日本が滅茶苦茶になるのを見たくて仕方がない。そのために日本は無防備であって欲しい。

      そんなヤツがいるのかと疑問でしょうが、私は左翼思想を隠し持っている教師によって子供の通う学校が滅茶苦茶になったのを目の当たりにしました。口ではきれい事を言いながら、生徒をだめな方へと導いたのです。

      • まず、元コメントに変換ミスがありましたので訂正します。「奇術」→「記述」
        でも、そのままでも妙に文意が通るような気がしなくもない...かもしれない(^.^;

        さて、挙げて頂いた2例について、特に異存はありません。先の私のコメントでは挙げませんでしたけど、中韓の走狗と化している連中が各所に巣食っていることは明らかです。金か女か、はたまた他の理由で弱みを握られたのか分かりませんし、知りたくもありませんが、不本意ながら走狗と化している連中もいるでしょうし、根っからの確信犯もいることでしょう。残念ながら、法治国家である日本では、そういった連中が外患罪なり内乱罪なりに問えるほどのことをしでかしてくれない限り、取り締まる術はありません。その意味では、既に相当浸透されてしまっていると見るべきでしょう。

        そこで、折角なので、先のコメントでは触れなかったもう一つの類型についての仮説を示してみようと思います。
        古く日本には軍事に関することを「穢れ」と見做す観念が存在しました。それが一番猛威を振るったのは平安時代で、中央政府の常備軍を事実上廃止してしまったり、犯罪捜査なども同様に「穢れ」と見做されたので、わざわざ検非違使などという令外官を作ってみたり、要はできるだけ「穢れ」から遠ざかろうとしていたわけです。神道において、「穢れ」は最も忌むべきものであり、祓ったり遠ざけたりしなければなりませんが、平安貴族は軍事や刑罰などを「穢れ」と見做し、遠ざけたわけです。一般に平安時代は仏教が優位な時代であったと理解されていると思いますが、平安貴族の心の奥底には神道的価値観が息づいていたのだとも言えるでしょう。
        その後、鎌倉、室町、戦国と進み、戦乱の世の中、「軍事は『穢れ』だから遠ざける」などという悠長なことを言っていられなくなりましたが、それでも人々の心の奥底にはどこか「軍事=穢れ」という観念が生き続けていたのではないかと思うのです。すっかり平和になった江戸時代、八丁堀の同心を「不浄役人」呼ばわりしたのは、その一つの表れではないかと思います。
        そのような神道的価値観に基づく「軍事=穢れ」という観念が、今なおどこかに生きているとしたら、「穢れ」を遠ざける、あるいは目を背けるために、9条の問題に触れようとはしないとなってしまっているのではないかと思います。

        日頃、ほとんどの人は意識に上らせることはありませんが、実は現代でも神道的価値観は多くの人に共有されています。普段は無意識の底に沈んでいるので、それと意識することはまずありませんが、「清浄 vs 穢れ」という観念は日本文化と分かちがたく結びついています。9条に触れたがらない人たちの何割かは、無意識のうちにそのような観念に影響されているのではないかと思ったりします。

        ところで、先のコメントを書いた時、私の頭の中では以下の曲がグルグルと回っておりました。

        石川智晶: アンインストール
        https://www.youtube.com/watch?v=ps0_QRzlp9k

        最初に聴いた時は実に衝撃的でした。私が腰を据えてアニソンを聴くようになったきっかけの曲です。

  • 紹介あった石川健治東大教授の講釈、『「安倍改憲」はここが危険だ(前編)』を読んでみました。

    素人の私から見ても、一言で言って「噴飯もの」ですね。特に、第9条に関して、「自衛隊に正統性を与えないことが結果的に自衛隊の膨張と暴走を防いでいる」みたいなことを言っているのですが、これは自衛隊(戦力)の存在を前提とした議論ですよね。つまり「現在の日本には、(現実の必要止みがたく)、憲法で認めない戦力が存在している。だが、憲法がそれを認めていないためにその膨張・暴走が抑えられている。」ということのようです。何故、そんな憲法で認められてもいない戦力が存在しているのかについてはスルーです。いやしくも法学者なら「憲法で認められない戦力、自衛隊は即刻解散すべきだ!」と主張する方がよっぽどマトモだと思います。

    或いは、「戦力は、現在の国際情勢に鑑み、必要悪として認めざるを得ない」というのであれば、それをいかに憲法に位置づけ、膨張・暴走しないように管理するか提案するのが正道でしょう。それなのに、「結果的として70年間機能してきたのだから、現状で良いんだ!」では、東大の、しかも憲法学教授の肩書が泣きます。安倍改憲に反対なのは各人の自由ですから尊重されるべきですが、それなら反対の立場からの対案(国民を納得させ得るような)をキチンと示すべきです。現状の憲法には、第9条だけではなく、明らかに現実に合わないかまたは時代遅れのおかしな規定が多々あるのですから。

    そもそも憲法とは、製品設計に喩えれば、概念設計みたいなものではないでしょうか?だとすれば、それがいい加減では、いかに詳細設計が優れていたとしても、製品はまともに動作しません。同様に、いい加減な憲法では、いい加減な国家にしかならないのです。現在の日本は、概念設計書にない主要部品が後付けされた製品みたいなものです。概念設計の最初に立ち返り設計し直すか、少なくとも後付け部品を設計書に反映させることが必要なハズです。そうでないとこの国は、継ぎはぎだらけで何とか動作はするが、何故動作するかさえ説明できず、操作・制御が不能の国になってしまう恐れがあると思います。

    そのような観点でも、このインタビュー記事は、長広舌の割には前向きの話が何も無く、安倍批判以外には実がないとの感想しか持ちえませんでした。多分、この石川教授のような人を称し「法匪」と呼ぶのでしょう。ヤレヤレ。

    • はぐれ鳥さま

      憲法=概念設計

      納得です。なるほど…!

      後述された概念設計がしっかりしていないとどうなるか、の部分も 非常に共感させて頂きました。

    •  憲法学者とは、憲法の解釈を騙って自らの政治的主張を繰り広げる活動家ですよ。安全保障法制の国会審議の際に繰り広げられた「従来の政府の解釈を変更するのは憲法違反」という主張にみられるように彼らは憲法の解釈などしていない(この「解釈」の根幹をなす、憲法解釈の変更を憲法が禁じているというエビデンスは何ら示されていない)。ただ結論(=彼らの政治的主張)があるだけ。

       シンパを大学に研究者として残し教官のポストを占めさせ、その主張に正当性・正統性を与える(かのように自ら振る舞う)「憲法学者」の肩書きを用いて特定の政治的主張を繰り広げることで彼らは政府の憲法解釈に影響力を行使し続けている訳です。彼らの、「(日本人が陥りやすい)専門家である学者の言うことは正しい」という盲信・世論誘導を図るための長年にわたる計画的な活動の成果です。

       そんな彼らに真っ向から論戦を挑んでいるのが、東京外語大学教授の篠田英朗教授です。ツイッターアカウントもあります各種媒体への寄稿も多いので関心があればどうぞ。本来の専門は国際政治学ですが、新コロナ禍をめぐりケンサーズを完膚なきまでに叩きのめしたり最近では学術会議問題を一刀両断したり活躍の分野は広い方です。

  • 政令の公布は天皇の国事行為でもいいのではないでしょうか。
    府令や省令と違って,政令は内閣が作る(閣議決定が必要)のですから。
    制定の経緯を推測しますと,政令は旧憲法下の勅令に相当しますから,憲法改正時には,天皇による公布が当然視されていたのでしょう。天皇による政令公布はそういう歴史的経緯によるものであって現在は不要,という意見も理解できなくはありませんが,私は天皇による公布でもよいと思います。