仕事をする人にとって必要なことは、その仕事とは何か、その仕事の「本分」を踏まえて行動することです。そして、これは国会議員に関してもまったく同じことが当てはまります。国会議員に必要なことは、単なる「数合わせ」ではなく、有権者に対して魅力的な理念を訴え、約束した法案を成立させることです。そして、私たち有権者がしなければならないことは、こうした政策実現力のない国会議員を見抜き、次回選挙でキッチリとご退場いただくことです。
目次
仕事とは何ですか?
あなたは何のために働いているのですか?
突然ですが、社会人の方は、なぜ働いているのでしょうか。
多くの人は、「カネのため」と答えるでしょう。実際、現代の文明社会に生きていると、カネがなければ暮らしていくことはできないからです。だからこそ、人間が合理的に行動するならば、「自分自身の能力の範囲内、かつ、自分が働ける時間内で、最も稼げる仕事」を選ぶはずです。
ただ、世の中を見渡してみると、意外と「カネを稼ぐためにその仕事を選んでいる」と答える人は、少ないという気がしてなりません。
たとえば、「あなたくらいの能力があれば、今すぐ会社を辞めて起業すれば、もっと儲かるのに…」と思えるような人物に出会うことがあります。その人を、便宜上、「Aさん」としておきましょう。
このAさん、現在勤めているB社に対し、「給料が安い」、「仕事がつまらない」、「上司が気に食わない」など、さまざまな不満もあるようですが、それでもなぜかいまだにB社に在籍していたりします。
これは、B社にとってはハッピーな話です。なぜなら、Aさんという優秀な人間が、Aさんの能力に比べて非常に安い給料で働いてくれているからです。
では、B社はどうやってAさんをつなぎとめているのでしょうか?
これについては、個人的にも長年の謎です。ただ、経験上存じ上げている事例を紹介するならば、先ほどのAさんのケースでは、折に触れてAさんの上司がAさんに対し、
「Aさん、あなたはこのB社で高く評価されていますよ」
などと吹き込んでいたり、Aさんの周辺の人がAさんを頼りにしたりすることで、Aさん自身にとってB社の居心地が良くなり、それで辞められなくなってしまっている、というパターンなどがあると思います。
人間の欲求は5段階
この点、米国の心理学者であるアブラハム・マズローは、人間には5つの欲求があると説きます。それは、
- ①生理的欲求
- ②安全の欲求
- ③社会的欲求
- ④承認の欲求
- ⑤自己実現欲求
です。
このうち①は「おなかがすいた」、「眠たい」、「トイレに行きたい」など、私たち人間の「生物」としての欲求であり、②は生存本能に加え、豊かな暮らしを送りたい、事故に遭いたくない、病気に罹りたくない、などの欲求のことだそうです。
ただ、人間にはさらに③~⑤の次元の欲求があります。
①と②の欲求が満たされたという前提で、まず出てくるのが③、すなわち「この社会に自分自身の居場所がある」という欲求であり、その次に④、すなわち「自分がこの社会の中で必要とされている」、「自分が高く評価される」という欲求だそうです。
そのうえで、⑤が、「自分自身の潜在能力を最大限に生かし、自分を実現する」という欲求なのだとか。
個人的には③~⑤の詳しい違いについてはあまりきちんと理解できているという自信はないのですが(というよりもこのマズローの分類に全面的に賛同するものではありませんが)、「人はパンのみに生きるにあらず」ということだけは間違いないのだ、という気がしてなりません。
「仕事を通じた自己実現」は少数派
さて、上記の議論、さらに「天職を探すにはどうすればよいか」、「知らない世界に果敢に飛び込む勇気をどう持てばよいか」、といった論点に発展していくと、それだけで「自分探し」をする若者の皆さんには受けそうな内容の考察ができるのですが、本稿ではこの「天職論」に深入りすることは避けます。
この点、もしも読者の皆さまのなかに、「現在、転職などを考えている」という方がいらっしゃるならば、読者コメント欄などでリクエストしていただければ、著者自身の拙い経験などに基づく「天職論」を展開してもよいと思っていますが、それはまたの機会にしましょう。
それよりも、ここで重要なことは、私たち人間が働く動機は、おそらく「カネのため」だけではない、という仮説です。
もっと言えば、「自分自身が働くことを通じて、この社会をより良くしていくことに貢献したい」、「自分自身がこの仕事をすることで、知的好奇心を満たしたい」、といった欲求があるのではないでしょうか。
たとえば、トヨタ自動車で働く人々は、どなたも大なり小なり、「素晴らしい乗り物を世の中に送り出すことに貢献したい」という気持ちをお持ちなのではないかと思います(※といっても、個人的にはトヨタ自動車で働いた経験がないので、このあたりは想像の域を出ませんが…)。
また、銀行で働く人は、「金融機能を通じて社会にカネを回すのに貢献したい」と思っているのかもしれませんし、大学で研究者として働く人は、「研究を通じて社会全体の知的水準を引き上げるのに貢献したい」と思っているのかもしれません。
ちなみに知り合いの飲食店の店員のケースでいえば、「食べることを通じてみんなに喜んでもらいたい、ハッピーになってもらいたい」という気持ちで仕事をしているのだそうです。実際、その店は居心地が良く、何度でも足を運びたくなりますし、この武漢コロナ禍にも関わらず大繁盛しています。
もっとも、世の中のすべての人が、そのように高尚な欲求を持っているとは限りません。
なかには、「この会社にいたとしても、もうこれ以上給料が上がることはないから、同じ給料をもらうならば、できるだけ楽をして過ごしたい」などと考える人もいるでしょうし、そうした気持ちも、それはそれで一理あるとは思います(※尊敬はしませんが)。
また、仕事を通じて自己実現できているという幸運な人は、残念ながら世の中のほんのひと握りでしょう。とくに雇われ人であれば、おそらく多くの人が、大なり小なり不本意な仕事をさせられているという側面はあるはずです。
やめられない国会議員
「その仕事の本分」を意識する
しかしながら、一般論で申し上げるならば、「自分自身の仕事がどういうかたちで世の中のためになっているのか」という点を意識するだけでも、仕事には張りが出るのではないでしょうか。
ましてや、その仕事が高度な社会的使命を伴っているのであれば、そのような仕事に就いている人たちは、緊張感をもってその職務に邁進すべきでしょう。
さて、前置きが長くなりましたが、こんな仕事があったとしましょう。
- 給料は非常に高い(基本給だけで毎月100万円以上もらえ、非課税の手当も100万円支給されるし、鉄道にもタダで乗れる)
- 社会的な地位は非常に高く、自分がその仕事に就いているといえば、多くの人から尊敬される
- 「上司から割り振られたノルマ」などがあるわけではなく、基本的に仕事は何をやっても良い(極端な話、仕事をしなくても良い)
…。
まさに王侯貴族のような立場ですね。
何のことを言っているのかといえば、国会議員のことです。
わが国の最高法規である日本国憲法第41条によれば、「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と規定されていて、同第43条第1項によれば、衆参両院は「全国民を代表する選挙された議員で」組織することとされています。
つまり、国会議員とは、私たち日本国民の代表者であり、国権の最高機関・国の唯一の立法機関として、法律を作ったり、政府を組織したり、国政調査を行ったりする立場にあります。その意味では、国会議員の一人ひとりが、まさに国権の最高機関の構成員としてふるまわねばならないのです。
ただし、先ほども例に挙げたとおり、極端な話、国会議員は任期中、何ひとつとして仕事をしなくても、「上司」に怒られたりしません。だからこそ、1期限りで引退し、昨年の参議院議員通常選挙に出馬しなかったという、某企業経営者でもある前参議院議員のような事例が出てくるのでしょう。
いや、ワ〇タミの経営者の事例はまだマシです。というのも、彼は「余計なこと」をしなかったからです。
なかには、有権者に対するパフォーマンスのためでしょうか、やたらと「仕事をしてます」アピールをする者もいますし、酷いケースになると、「野党合同ヒアリング」と称した単なるパフォーマンスの場に、多忙な霞が関の担当官らを呼びつけて怒鳴りつけ、ドヤ顔をする者たちもいます。
正直、こんな議員を雇っていること自体、税金の無駄遣いにしか見えません。
「楽しくて仕方がない」?
ただ、ここで発想を逆転すると、また異なった姿も見えてくるのではないでしょうか。
それは、もし自分自身が「野党合同ヒアリング」で役人らを追及する野党議員の立場にあれば、さぞや楽しいだろうな、という想像です。
基本的に、この手のヒアリング大会では、自分で資料を整える必要はありません。資料はすべて先方が準備してくれるからです。また、自力で法令の勉強をする必要はありません。難しい法令用語も噛み砕いて懇切丁寧に教えてくれるからです。
また、このような場で手に入れた資料を使い、テレビカメラが入っている国会の場で政府・与党を追及するのも楽しそうですし、また、週刊誌片手に閣僚のスキャンダルを追及するというのも面白いでしょう。
そして、政府側の答弁が自分の期待するものでなかったとしたら、ひたすら、「政府は説明を尽くしていない」と逆ギレしてみせればよいからです。その質疑を取り上げてくれるテレビ番組も、たいていの場合、製作者の頭のレベルが野党議員と大差ないからです。
つまり、特定野党の議員らにとっては、「国権の最高機関かつ国の唯一の立法機関である国会の構成員として法律を作る」という本分を果たしていなくても、ドヤ顔で閣僚や担当官らを追及し、高給を支給されるという点で、まさに国会議員は「1日でもやったら辞められない」のでしょう。
マスメディアと野党議員は同罪
ただ、特定野党議員の肩を持つわけではありませんが、こうした「国会議員としての本分を忘れた働き方」をすることを許している責任は、マスメディア(ことに新聞とテレビ)にもあります。
すべての新聞、すべてのテレビ番組に問題があるという言い方はしません。なかには野党議員らの国会妨害戦術などの狼藉ぶりを、きちんと丁寧に取り上げて報じてくれている人もいるからです。
しかし、非常に残念なことに、当ウェブサイトが見たところ、圧倒的多数の新聞記事、テレビ番組は、特定野党の議員に対してやたらと好意的ですし、とくに2017年以降の「もりかけ問題」の追及に関しては、正直、印象操作だけで政権を倒そうとした事件だといわざるを得ません。
もちろん、現在の与党の側にも、昨年の消費税・地方消費税の増税を筆頭に、さまざまな政策ミスはありますし、昨今の武漢コロナ禍に対する「GoToトラベル」キャンペーンのように、正直、首をかしげざるを得ないおかしなものもあります。
しかし、残念なことに、マスメディアと野党議員の政府批判はレベルの低さという点ではまったく同じであり、その意味で、マスメディアと野党議員は同罪と言わざるを得ないのだと思います。
野党合流は誰のため?
どうして唐突にこんなことを申し上げたのかといえば、最大野党である立憲民主党と、野党第2党である国民民主党が、合流するからです。
これについては以前から当ウェブサイトでは「政党大喜利」などの形で紹介してきましたし(『立憲・国民両民主党の合流と安倍総理健康不安説の関係』等参照)、また、『合流新党は「どうせすぐもめる」』という、政界内のしごく当然の見方についても報告してきました。
こうしたなか、私たち有権者にとっては、今回の野党再編劇がいったい誰のためのものなのか、冷静に見極めるべき時期が到来している、ということでもあります。というのも、国会議員の「本職」に照らせば、これ以上、「野党合同ヒアリング」と称して国政を停滞させることは許されないからです。
そして、ある意味では、「人罪」が一ヵ所に集まってくれた方が、私たち国民としては判断が下しやすい、という側面があることもまた事実でしょう。衆院の解散・総選挙がいつなされるのかはわかりませんが、私たちは有権者として、選挙権を賢く使いたいものだ、とだけ申し上げておきたいと思います。
補足:政党名大喜利追加
本稿は上記で締める予定だったのですが、今後成立する「新たな民主党」を巡って、読者コメント欄でいただいたアイデアのなかで気になったものを1つだけ紹介しておきます。
- 帰ってきた民主党
- 帰ってくれ民主党
- 帰ってくるな民主党
…。
「ひとつだけ」と言いながら3つ書いてしまいました。大変失礼しました。
また、ほかにも秀逸な政党名候補がいくつもあったので、それらについていちど、当ウェブサイトで特集を組んでみても良いかもしれませんね。
View Comments (54)
新党にとっての起死回生の党名、それは「与党」ではないでしょうか。
やったね!これでもう万年野党なんて呼ばれずに済むよ!
自転車の修理ばかりしている様
>新党にとっての起死回生の党名、それは「与党」ではないでしょうか。
悲しい。悲しすぎる。(泣き→大爆笑)
もう!パックが外れちゃったじゃないですか。
何だか「ホリエモン新党」みたいなネーミングですね(^^;
独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
(なにしろ、日本マスゴミ村と違って、自分が間違う存在であると自覚しているので)
日本マスゴミ村にとって、自民党は必ず、ダメな存在でなければなりません。そのため、例え成功した部類の政策でも、「もっと上手くできたはずだ」と言い出します。
そのため、新党が出来れば、この党は過去の発言と矛盾しないため、自民党と違って、いくらでも褒めることが出来るのです。
つまり、新党は日本マスゴミ村が過去の発言と矛盾しないで褒めることが出来るために必要なのです。(そういえば、マスゴミ村は新党が出来るたびに、やたらと持ち上げます)
駄文にて失礼しました。
上場企業を辞め、中小を転々とし、今は細々と自営をしている身としては、記事の前半は突き刺さります。
私は、起業して人を雇って会社を発展させるほどの意気地がなく、かといって組織の狗として生きる忍耐力もなく、生業よりも道楽にうつつを抜かす怠け者です。
ならば、選挙に人生をかける度胸があるだけ、元民主党系議員の皆様の方が立派です。町内清掃奉仕程度しか世の中の役に立てていない我が身を改めて恥じました。
阿野煮鱒様、どうなさったの?
>ならば、選挙に人生をかける度胸があるだけ、元民主党系議員の皆様の方が立派です。
彼らは、選挙の丁半に人生をかけているだけで、政治(仕事)にではございませんのよ。
何があったかは存じませんが、気をしっかり持ってシャンとして下さいませ。
阿野煮鱒様
いつもピリ辛のコメント、楽しんで拝見しています。
世の中には、スポーツ、音楽、絵画、お笑い等々、あるかどうか判らない才能を信じて人生を賭けている人達が、沢山います。
そんな生き方も素晴らしいとは思いますが、波乱の無い地道な人生がそれより見劣りするとは思いません。
趣味に生きる!
それも、素晴らしい人生だと思うのですが。
自分もですが (汗)
すみませんHN間違えました。
type gではなくtype dです。
type g様、すみませんでした。
阿野煮鱒 さま
> 町内清掃奉仕程度しか世の中の役に立てていない我が身を改めて恥じました。
「町内清掃奉仕」は、立派な社会貢献です。ここへの投稿でも、社会貢献をなされていますよ。
野盗みたいに社会のマイナスになるより、はるかに立派です。
>選挙に人生をかける度胸があるだけ、元民主党系議員の皆様の方が立派です。
いやいや、やってることが社会に対して有害としかいいようのないことやってる時点で「立派」とは言えませんよ。その理屈だと命がけでテロリストやってる人は立派ということに...
>町内清掃奉仕程度しか世の中の役に立てていない我が身を改めて恥じました。
こっちのほうが遥かに立派です。個人でできる社会に役立つことを着実にやっていくのは大変立派なことです。
> 命がけでテロリストやってる人は立派
ヤン・ウェンリー元帥はこう仰いました。
「信念のために人を殺すのは、金のために人を殺すよりもずっと下等なことだ。なぜならば、金は全ての人にとって価値があるが、信念はその人にとってだけ価値あるものだからだ」
これを読んだ時、私は反駁の言葉を見つけられませんでした。実は今でも見つけられません。
私は一度たりとも「仕事を通じた自己実現」などという大それたことを考えたことはありません。また、「世のため人のために働こう」だなんて崇高な信念を抱いたこともありません。
ただ、お給料を頂戴するというのは大変なことなのだとは思っていたので、私にできる限りで真摯に仕事をしてきたとは思っています。とにもかくにも食うことができ、少々無駄遣いもできていたという点では勤務先に感謝するにやぶさかではありませんが、それ以上の思い入れはないですね。
まあ、技術系でメシを食ってきましたが、元々の専攻が近代哲学という立派なゴクツブシ養成学科だったので、元からのスネ者に磨きをかけて社会に出たということなのかもしれませんが。
基本の行動目標は重要だと思います。
よく「お前は何がしたいねん?」「お前に何ができんねん?」と問われたり問うたりするものです。
新人さんなら今は明確に言えなくても働きながらこれから考え続けたらいいでしょう。
ただ公務員の上級職である検事とか裁判官や議員が言えないのはダメだと思います。マズローの生理的欲求と安全の欲求しかないのは獣レベルですね。
> よく「お前は何がしたいねん?」「お前に何ができんねん?」と問われたり
> 問うたりするものです。
> 新人さんなら今は明確に言えなくても働きながらこれから考え続けたらいい
> でしょう。
リストラ対象部門に人材会社の者が乗り込んで行って、似た様な質問をすると、部長さん辺りが、
「部長ならできる。」
と回答するそうです。(伝聞情報に付き、真偽の程はよく知りません。)
ワ○タミ…
ワタミみたいな会社が他にもあるんですね。
マスメディアと野党議員は同罪。
「マスメディアと反日野党議員は、同じ穴のムジナです」。
野党合流は誰のため?
野合は、自分が国会議員の地位を保全する為。
早速電力総連が、不支持を表明しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/962a97e6381436f96f496536a3cf3364231a6967
野合の世論調査が、毎日新聞に有りました。
「合流新党に期待」17% 国民支持層の半数以上「期待持てぬ」 毎日新聞世論調査
https://mainichi.jp/articles/20200822/k00/00m/010/114000c
有料記事ですので、引用は無し。
期待をしているのは、立憲民主党支持層メインの様です。
支持率上昇を楽しみにしている、議員もいるようです(お薬が足らないんだと思います)。
また選挙の時に、自分が大喜利で考えた党名を、投票用紙に書いては、いけません。
節操なく無効票を、うちの党の票だと、言い出すかも知れませんから、良い子は、絶対にやらないで下さいね。
だんな様
>また選挙の時に、自分が大喜利で考えた党名を、投票用紙に書いては、いけません。
>節操なく無効票を、うちの党の票だと、言い出すかも知れませんから、良い子は、絶対にやらないで下さいね。
もう!面白がってやってしまう人が出たらどうするんです!
特に、共産党候補と2択であったら、やってしまいそうなのですよ!
心配性のおばさんさま
党名を書くのは、国政選挙だけでしょう(笑)
だんな様、おや、そうでした(笑)。
だんな様
>野党合流は誰のため?
>野合は、自分が国会議員の地位を保全する為。
「1日でもやったら辞められない」という国会議員でいるためには、野合もひとつの選択肢なんだと思うのです♪
特に、自分で当選に必要な票を集められない人からすれば、野合先の支援団体からの組織票は、眩く煌めいて見えるんだと思うのです♪
もっとも、ご紹介の記事みたいに、野合に寄って支持を失ってたら元も子もない無い訳だけど、もともと自分自身を支援してくれる団体が無いのであれば、増え幅が多少目減りしたくらいにしか感じないでしょう♪
結果として所属政党が衰退しても、取りあえず次の選挙さえ乗り越えれば、その次はその時にまた考えればいい事なんだと思ってるんだろうと思うのです♪
こんな事を考えてると、新宿会計士さんが言う「こんな議員を雇っていること自体、税金の無駄遣いにしか見えません。」に、同意しつつも、国会だって所詮は人間の集まりだから、碌でもないのが紛れるのは仕方なくて、そんな人達が国政の大切なところに関わらないで居てくれてるだけで満足すべきかなってって思っちゃうのです♪
野合ヒアリングに出る官僚の人達は、まあ、それも給料のうちと思ってもらえば良いんじゃないかな?お仕事してたらクレーマー対応だってある訳ですしね♪
とりとめの無いことを書いたけど、次の選挙では野合が目論見通り議席の増加に繋がるのか、それとも有権者から呆れられて議席を減らすのか、ちょっと楽しみなのです♪
七味さま
野党の方が、国会で質問時間が長いです。
議員数も少ないので、普通の与党議員と比べれば、野党議員の方が、国会で発言する機会は、多いと思います。
そこで野党議員さん得意の、パフォーマンスをされると、国会の審議時間の浪費になると思います。
国会は、警察、検察、裁判所では、有りません。
勝手に休んで良い所でも有りません。
貴重な国会の審議時間は、国益に叶う法整備に、使って欲しいと思います。
これが、七味さんの過去の主張だと思いますよ。
だんな様
>これが、七味さんの過去の主張だと思いますよ。
おっしゃるとおりなのです♪
貴重な国会審議の時間を裁判ごっこに費やすのは駄目なんだと思うのは変わってないのです♪
なんで、あんな人達が国会議員として選ばれるんだろうと思うと、やり切れないのです♪
比例復活とか選挙制度自体にもおかしなとこもあると思うけど、それでも一応正当な選挙で選ばれてると思うと、もう仕方ないのかなって、弱気になっちゃったのです♪
儒教の神様?孔子は、その両親が「野合」して生まれたと中国の有名歴史書・史記に書いてあるそうです。これからいっても、野合が悪いとばかりは言えないでしょう。生まれた子が孔子のような、良い結果であれば、野合でも正式な婚姻でも良いと思います。とはいえ、件の野党合流は何が何だかサッパリ分かりません。両者が合流し、また元の木阿弥(民主党)になるだけなら、良い結果は望めません。唯一意義を探せば、「ゴミはまとめて一つのゴミ箱に!」ということですかね?
転職を考えたことはあんましないけど、新宿会計士様の「天職論」には興味があるのです♪
なので、リクエストするのです♪
(*´▽`)ノ ハーイ♪
いつもお世話になっております
皆さま、野党の方々の大事な仕事をお忘れでないでしょうか?
祖国又はココロの祖国(はて~どこの国かな~)の為に
日本の世論等を一つにさせないとか、祖国又はココロの
祖国人の為に、いらない法律を作る事があるでしょう。
マスコミ等に働きかけ祖国又はココロの祖国を宣伝する仕事も
ございます。(某プレジデント誌にそういう記事もありましたね)
他にも差別の種を見つけ大きく育て、世界に日本は
悪い国だと宣伝する仕事もございます。
50年前の私には、若さ・夢・希望だけはありました。50年後の現在、その若さ・夢・希望を全て失っています。この間とりたてて、実現・達成したといえることも、勝ち得たものもありません。多少人生・職業上の経験を積んだとは言えるでしょうが、その経験も今は大して価値はありません。つまり、私の人生(まだ終わってはいませんが)とは、夢のない言い方をすれば、ひたすら、若さ・夢・希望を費消する過程だったということです。
以下は、その夢に関する年代別の感慨です。
十代 :「夢夢」夢を夢見て、
二十代:「恋夢」夢に恋をした。
三十代:「逐夢」夢中で夢を逐った。
四十代:「尋夢」夢を尋ね、立ち止まり、
五十代:「悟夢」やがて夢であることを悟る。
六十代:「悔夢」少しく、夢みたことに悔いが有り、
七十代:「懐夢」でも、夢をみたことを懐かしくもあり、 ←今ここ
八十代:「忘夢」もはや、夢も儚く、記憶は朦朧のなかに沈みゆく。
九十代:「夢於夢」今はただ、かつて幼き頃、夢見たことを夢に見るのみ。
百代 :「生于夢」そして、今、私は夢の世界に生きる
はぐれ鳥 さま
なんだかんだで、バブル時代は、良かったと思います。
あれを経験していない、今の若者は可哀想だなぁと思います。
生きてるうちには、もうあの時代は来ないでしょうね。
だんな様
そう言われれば、我々世代は「食い逃げ世代」です。戦争の惨禍を知らず、戦後の食糧難を少し経験した程度で、あとはイケイケの高度成長・バブルの時代を過ごしました。バブルがはじけ吹くようになった冷たい風にも、定年であまり曝されないですみました。これといった才能なく、大した努力もせず、なのに無難に生きてこれたのは少々運が良かっただけでしょう。ですから、無能・無意欲の国会議員のことをとやかく言うのが少し心苦しいのです。(笑)
だんなさま
私は就職氷河期世代なのでバブルには悪い印象を通り越して、憎しみに近い感情を持っていました。成績は良かったので就職にはそれほど苦労しないで済みましたが、選択肢はほとんどなくワンチャンスを確実にゲットするしかないといった感じですし、同級生たちもそんな感じでした。なんとかなった人は、まあいいんですが、定職に就けずに、逆転できるほど能力に秀でてもいない人は悲惨ですよ。これから数十年、そういう層の人達は社会不安の潜在的元凶です。多くの人は特に怠慢だったわけでも無能だったわけでもない、普通・中庸・平凡だっただけです。
原因は富を先取りしてしまったバブルです。ネットならまあいいんですが、絶対にリアルで「バブルの頃は良かった」とか「今の若い人はかわいそう」などとは言わないようにしたほうがよいです。どこに耳があるかわかりません。たいへん危険です。
私はもうバブル経験世代を「加害者」とは認識していません(とても運のいい世代としか思ってません)が、「被害者」になってしまった人たちそうではないでしょうし、そういう人は大変多いです。彼らは普通の能力しか持たず、中程度の運しか持たなかっただけです。
数が多すぎるのでおそらく年金や生活保護を主体としたセーフティネットでは救済しきれません。政治や行政では対応しきれる規模ではないですし、すでに対応するだけ無駄です。多くの人は、この極めて危険な失うもののない人たちを、意識していません。その事自体が危険です。私は身なりがあまり良くない同年代の人たちが怖いです。非先進国の外国人と人通りのない道で不意に出会ってしまったのと同程度に怖いです。彼らからしたら私のように「なんとかなった同世代の人」も有限のパイを奪った「加害者」ですから。
すべての世代の人達は、この潜在的危険性を真剣に認識しなくてはいけません。
いつものようにおふざけを書く余裕のない問題です。
ケロおさま
かなり難しいお題の回答になりました。
就職氷河期世代の方から見た、ケロおさんの考えはよく理解できますが、ケロおさんは、別に加害者ではないと思います。日本のシステムが、そうだったんです。
ケロおさんは、努力をしてポジションを得て、それを被害者、加害者に区別して考えることは、ちょっと朝鮮的かなと思います。
景気の良し悪しは時の運。人生で重要な就職時期の景気は、就職する人の責任では、有りませんよね。
バブル世代も、当時景気の良かった職種に入社して、会社が倒産した人もいます(結婚してからね)。
私が良かったといっているのは、消費が美徳で、金は天下の回り物の時代に、今では出来ない経験が結構あり、その後の価値観に大きく影響しました。
大体のことは無駄(社会全体に無駄が多かった)なんですが、そういう経験が出来たことは、良かったと思っています。
今も、新型コロナウイルスで、同じようなことが起ころうとしていると思います。
あと、10年20年先に、その頃を振り返ってどうなるのかは、想像できません。
就職氷河期世代には、バブルの良さを語るのは、止めることにします。
昔は良かったは、じじいの口癖と思ってください。
はぐれ鳥 様
この詩、素晴らしいですね!ぜひ広告で採用されてるところを見たいです。
もしかしてはぐれ鳥様は広告関連のお仕事をなさっておられたのでしょうか?
私は世代としてはゆとり世代に当たります。
しかし、ゆとりの「ゆ」の字もない、勉強ばかりの中高時代でしたので、「ゆとり世代」と言われるのは非常に嫌です。「さとり世代」「ミニマムライフ世代」の方がまだしっくり来ます。
残念ながら二十代の終わりで挫折し、三十過ぎた今はかつての夢が「夢であることを知」ってしまい、「夢をみたことを懐かし」むようになってしまいました。
今は早く引退して静かに過ごす事を願いつつ、ろくに休まずに働き、毎年多額の税金を払い、残りを貯めて資産を増やすだけが生きがいのしみったれた毎日を送ってます。
若くして引退できたらまた夢を見たいと思います。その時に夢を形にできる元気があるかどうかはわかりませんけれども。
とある福岡市民さま
拙いものをお褒めいただき気恥ずかしいです。
私は広告関係の仕事とは全く関係ありません。
30年を工場現場の技術者として過ごし、残り10年は本社管理部門の技術系スタッフでした。技術的な仕事というより、説明資料や言い訳資料のような書類作りばかりやっていた記憶しかありません。自分で自分を「書類技術者」と自嘲していたものです。まあ、いわゆる社内官僚みたいな存在だった訳です。今思えば、ムダな仕事を随分、自分もやったし他人にもやらせました。私もこんな仕事に飽き足らず、別な夢を夢見ていた時もあったのですが、それもすぐに現実生活に押し流されここまで来てしまいました。とはいえ今は、毎日、何にも拘束されず自由であることだけで十分だという思いです。
で、貴方はまだ三十過ぎ(ホント?)とのことですが、人生はこの先まだまだ長いです。何回でも再挑戦可能なはずです。「夢が夢であることを悟る」にはチト早すぎると思いますよ。(笑)
更新ありがとうございます。
自分はサラリーマン生活を終えましたが、2社とも業務に興味があったからです。今は全く畑違いの医療職非常勤です。「興味」が無いと、続いて無かったと思います。世の中を良くしたい、社会に貢献したいなんて大それた事はほんの僅か。頭の隅っこだけにありませんでした。
自分は何の特技も資格も無い、向上心乏しい小さな人間です。「自分自身が仕事をすることで、知的好奇心を満たしたい」とか、「自分自身が働くことで、社会をより良くして貢献したい」という事、考えてません。
そんな事は将来市会議員や県会議員、国会議員を目指す人か、一部上場企業(私が新人の頃は変な一部上場企業はありませんでした)社員か、公務員で余暇活動の取りやすい方が目指すもんだと思っていたからです。
でも食べて行くのに精一杯とか、そんな切羽詰まった事もありませんでしたよ。世の中好況でしたから給与は毎年2〜3万円上がってた。「30歳迄は社会勉強」みたいな学生のノリの続きの人も居ました(笑)。
「カネのためだけに働くのではない」同意します。日本人でそんな考えの人居ますかね(ア〜いるわ笑)。それと下朝鮮国などは見栄っ張りで、社会貢献に名を借りて他人を踏み台にしてでも上昇志向の強い人が多いでしょう。
さて、野党の合同ですが、統一してもスグ揉め出すのは間違いない。ミソとクソの「人罪」が一ヵ所に集まってくれた方が、私たちとしては判断が下しやすいです。
残るは改憲反対の公明と共産党か。衆議院選挙では比例区で「議員で居たいだけの人罪」を片っ端から落としましょう!