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佐藤優氏「紙は3次元、必要な場所がすぐにわかる」

「新聞の将来」については、個人的には以前から非常に強い関心を抱いている論点ですし、当ウェブサイトでもしばしばこの話題を掲載しています(『「新聞業界の部数水増し」を最新データで検証してみた』等参照)。こうしたなか、「読売のドン・ナベツネ」こと渡邉恒雄氏が元外交官の佐藤優氏とのインタビュー記事が『デイリー新潮』に掲載されていました。いったいどんなことが書かれているのでしょうか。

渡邉恒雄氏のインタビュー記事

ウェブ評論サイト『デイリー新潮』に先日、こんな記事を発見しました。

渡邉恒雄(読売新聞主筆)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

あまりに名高い「読売のドン」である。朝日、毎日の後塵を拝していた同紙をトップに導く原動力となり、社長としては部数を1千万部に乗せた。一方、政治記者としては、政治家たちと深く交わり、政策にも政局にも絡んで政治の方向性を決めてきた。御年93歳、ナベツネの回想。

―――『週刊新潮』2020年1月2・9日号より

…。

いったいどんなことが書かれているのでしょうか。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

記事タイトルに「佐藤優」とありますが、これは元外交官の佐藤優氏のことであり、その佐藤氏が読売新聞グループ本社代表取締役主筆である渡邉恒雄氏(本文中の「ナベツネ」)に対し、インタビューを行う、というものです。

インタビューでは、先日亡くなった中曽根康弘元首相に関する思い出話や日韓基本条約(1965年)の「お膳立て」をした話、さらには日本共産党に入党した思い出など、さまざまな話題に触れられていますが、それらについて「面白い」と感じたかどうかについては、ここではあえて申し上げません。

(※もっとも、他人の話を読んで「面白い」と思えるかどうかは主観に依存しますので、気になる方は直接、リンク先の記事を読んでみてください。)

「紙は3次元だから、必要な場所がすぐわかる」

それよりも、当ウェブサイトとしてぜひとも紹介したいのは、渡邉氏と佐藤氏の、(紙媒体による)新聞に関する見解です。

佐藤 読売新聞はどうですか?

渡邉 一時、1030万部までいって、やっぱり人口減と電子メディアの発達によって減りましたな。それでも今、およそ800万部あります。

佐藤 デジタルメディアは気になりますか。

渡邉 テレビが出てきた時も、これで新聞は抹殺されるだろうと言われたものだよ。確かに部数は減ったが、下げ止まると思っている。いかに電子化したって、学問する、論文を書くにはペンと紙が必要だし、本のほうが重要な個所を探しやすい。

佐藤 その通りだと思います。紙は3次元だから、必要な場所がすぐにわかる。2次元だと検索してデータを探しに行かなきゃいけない。

なるほど。正直、渡邉氏がそう思いたいならそう思えば良いと思います。

ただ、「紙とペンと本はなくならない」というのはそうだと思いますが、問題は渡邉氏が経営者として読売新聞社を引っ張ってきた時代と比べて、「紙とペンと本」の社会的な重要性が今よりも高まるとは限らない、という点ではないでしょうか。

それに、佐藤氏のおっしゃる「紙は3次元」、初めて知りました(笑)

あくまでも私自身の主観ですが、新聞は「平面」であって「2次元」ではないかと思うのですが、佐藤さんにとってはあれが「3次元」に見えるらしいです。なかなか斬新な発想だと思います。

…というのは冗談として、確かにスマートフォンだと「文字検索」機能が弱いのですが、PCの場合は記事内で「Ctrl+F」(Windows)または「Command+F」(Macintosh)などで文字を簡単に検索することが可能です(個人的にはこのテクニックでずいぶんと仕事では助けられています)。

また、紙媒体だと必要な情報を物理的に紙のページをめくらなければ見つけることができませんが、電子媒体だと、検索エンジンなどを使ってさまざまな情報を簡単に見つけることができます(といっても都合が悪い情報を「noindexタグ」で情報を隠した某新聞社のようなケースもありますが…)。

新聞・テレビとネットの大きな違い

この点、渡邉氏は「テレビが出て来たときも新聞は生き残ったじゃないか」と反論しているのですが、このあたりについては少し注意が必要です。そもそも論として、たとえば「テレビで速報を知り、新聞でじっくりそれを読む」といった棲み分けが出来ていたのではないでしょうか。

(※というよりも、わが国の場合は全国紙5紙と民放全国ネット5局は同一資本の支配下にあるなど、業界全部がこれまでうまく共存してきたため、そもそも新聞とテレビが「食い合う」ような状況になるとは考え辛いのですが…。)

これに対し、ネットの世界だと、情報はほぼ無制限に存在しています。

ひと昔前だと動画をネットで視聴するのは非常に重たかったのですが、PCやスマートフォンなどの端末、ネット回線そのものの性能も上がってきましたし、動画サイト『YouTube』などにアクセスすれば、『虎ノ門ニュース』などの優れたコンテンツに出会うこともできるのです。

また、新聞の場合だと、

  • ①客観的な事実・情報を、取材、ネット検索などの方法によって集めて来る
  • ②集めて来た情報について重要性を判断する
  • ③それらの情報に基づいて分析・考察し、記事化する
  • ④作成した記事を全国に向けて配信する

という流れにおいて、①以外の部分については、ほぼ個人でもできる時代になりつつありますし、①の部分についても政府や企業などがインターネット上で公表する情報が増えて来たこともあり、新聞、テレビなどの記者でなければ集められないという情報は、徐々に減って来ています。

新聞部数が800万部、本当?

ところで、渡邉氏は「読売新聞の部数は800万部」とおっしゃいましたが、それは事実でしょうか。

これについては『「新聞業界の部数水増し」を最新データで検証してみた』で報告したとおり、「一般社団法人日本新聞協会」が公表した新聞部数データには不自然な点がいくつかあり、また、「新聞の3割前後は押し紙だ」とする告発も存在するからです。

また、体感的にも、とくに東京や大阪などの大都会に暮らす人たちであれば、通勤電車内で新聞を読む人が激減したと感じている人は多いでしょう(個人的にも、電車に乗ったら新聞ではなくスマートフォンとにらめっこしている人が激増したと思います)。

それなのに、渡邉氏は新聞について、次のように述べます。

渡邉 まあ、新聞は販売にお金をかけ過ぎなければ、十分にやっていけるんですよ。現状、お金の心配はない。少なくとも賃下げはしない。僕が社長になった時、借金が1600億円くらいありましたよ。それを20年でゼロにした。今、内部留保している現預金がそのくらいある。社長になってから今日までが30年近く、その間に投資した額が7千億円を超えるので、返した金と貯蓄と投資額を合わせると1兆円稼いだよ。

今まではそうだったのかもしれません。

しかし、デジタル化から背を向けて、これからもまったく同じモデルでやっていけるという話にはならないと思います。

新聞社が「死に絶える」とは言いませんが…

といっても、「今後、新聞社がことごとく死に絶える」、などと申し上げるつもりはありません。

とくに、読売新聞社といえば、いちおうは業界のトップでしょうし、経営には比較的余裕があるはずです。

新聞社であれば、過去のさまざまなマーケットデータ、自社・他社記事のデータなどもアーカイブしているでしょうし、個人や新興企業などと比べれば、こうしたアーカイブは新聞社の強みでもあります。

また、新聞社の場合、(現在のところは)「記者クラブ」という「利権組織」を通じて独占的にさまざまな情報を得ることができますので、この点についても新聞社としての強みでしょう。

あとは、「①減り続ける紙媒体を電子媒体に誘導していけるかどうか、②電子媒体で課金することができるか」という問題さえクリアできれば、米WSJなどのようにインターネット時代でも活路を見出すことができるのではないでしょうか。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ところで、渡邉氏は佐藤氏から「ビジネスの才能」を聞かれて、ご自身が会計に強い、などとおっしゃっています。

佐藤 そのビジネスの才能はどこからきたんですか?

渡邉 僕は「販売の神様」と呼ばれた務台さんに取り立てられて、徹底的に仕込まれたからね。金勘定は務台さんの次に詳しいくらいだ。貸借対照表も、どこがツボか一目でわかるよ。

佐藤 会計士でもやっていけますね。

渡邉 これから公認会計士の試験を受けてみようかと思っている(笑)。

ちなみに残念ながら公認会計士は「経営の専門家」ではありません(笑)し、私自身がそうですが、得てして多くの会計士には経営のセンスはありませんよ…(笑)

新宿会計士:

View Comments (41)

  • あまりにつまらないよいしょ記事。そもそも新聞に書いてあることが事実であると言う証拠はない。日本人の新聞離れは起こるべくして起こったもの。

  •  独断と偏見かもしれないと、お断りしてコメントさせていただきます。
     
     紙の問題は、場所をとるために、残しておける紙の数に上限があり、ま
    た、その中から必要な情報を探すことが面倒、そして、その情報を不特定
    多数に示すことが困難ということではないでしょうか。

     駄文にて失礼しました。

  • 私も紙メディアになじんでいる人間です。一時期には、就業開始前の30分間程度で新聞5紙(一般紙2紙+業界紙3紙)を読む、というよりチェックすることを習慣にしていました。その時の経験から言えば、紙の新聞はいわば大画面高精細のディスプレイです。そして、人間の目はなかなか優れていて、関心事項であれば目の端にあっても、また小さな記事でもそのキーワードには気づきます。そのため紙の新聞では高速斜め読みが可能です。ですから、ペラペラ頁をめくりながら、1紙当たり10分もかからずチェックし終えることが可能です。詳しく読みたい記事のみ、目印をつけておいて、後で時間かけ読むようにしていました。同じことを、PCやスマホでやろうとすれば、時間的に倍以上かかってしまうでしょう。ですから、紙の新聞は、その日のニュースの全貌を、関心分野に絞って、短時間に把握するのには適していると感じています。

    今後、新聞が電子メディアに切り換わる趨勢は止められないと思いますが、紙メディアにも良い点はあるのですから、その良い点を電子メディアにおいてもできるだけ実現できるように考えてもらえると有難いですね。

  • 紙が三次元って、文献データベースのなかった時代の論文執筆の実際を知らない人の妄言です。
    まあ、文系で、歴史的な紙資料を参照する分野ではいざしらず、医学系では、図書館に行って電話帳数冊分のMeSHの冊子体で必要な文献を探さなければなりませんでした。
    そしてそれを見つけても膨大な空間を占める閉架式の書庫から一冊の文献を探すのに何分も、下手すら小一時間かかるという有様でした。
    まあその意味では「三次元的」ではありましたがw

    • 文系の分野でも、膨大な仏教経典研究では、経典テキストの電子データ化がなされ、それを基に、特定語彙・句・文体の使用頻度などをコンピュータ処理することで、経典の成立年代や地域、著作者を特定する研究ができるようになってきたようです。一例として、従来、中国で書かれた注釈書のパクリ説が有力であった「三経義疏」(聖徳太子の著作とされる)が、やはり日本(当時は倭)で書かれたものであるとして、証明されつつあるとのことです。
      https://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/6d4c13d0c821f10953cfbeab27eea03a

      ですから今後、歴史分野の史料批判などでも同様のことが進んでいくでしょう。

      で、電子メディアが、このような、従来の紙メディアでは難しかったサービスを考え出せれば、電子メディア化はさらに加速するのかも知れませんね。

  • 佐藤氏の発言には強く賛同してます。
    知らない場所に行くのに、ナビは便利ですが、地図に慣れてしまえば、地図の方が周りの地形や行くまでの道筋が感覚として捉えやすいのです。
    デジタル化は、自分に都合の良い何かを探すのには適してますが、違う何かを知らないので、多様性はありません。
    科学の論理(物理学のアマチュアと専門家の解釈の違い)などではよく起こる事ですが、間違った意見を参考にして、なぜ間違ったのかを分析すると、正しい論理を理解しやすくなります。
    デジタル化一編等は、韓国の様な国民の扇動に利用しやすくなります。
    僕は、バランスだと思います。

    • バイクおやじ 様

      >デジタル化は、自分に都合の良い何かを探すのには適してますが、違う何かを知らないので、多様性はありません。

      上記認識は直観的に正しいように思えますが、大半の人はそのような行動をとらないという調査結果もあります。多様性がないというのは偏見かもしれません。

      「ネットが社会を分断」は不正解、10万人の調査結果が明かす真相
      https://this.kiji.is/569324699006485601

      >デジタル化一編等は、韓国の様な国民の扇動に利用しやすくなります。

      私が住む地域では、マスコミが一丸となって視聴者を扇動し集会を行うことが度々繰り返されています。しかし近年ではマスコミの影響力低下のためか、扇動に乗る人の数は大幅に減少しています。このため、マスコミの影響力を削ぐことにつながるデジタル化は、扇動のリスクを低減させる方向に作用していると思います。

      • 沖縄の三十路さま
        「沖縄のマスコミの扇動」
        沖縄の新聞は、正に機関紙しか無いですからね。
        リンク先の記事は、面白かったです。
        このサイトのコメントは、勉強になる事が多いですし。
        ネット検索で、飛躍的に情報収集が早くなったのは、事実ですよね。
        自分の論調が、過激になってないかどうかは、わかりませんが(笑)

    • お二人様、意見をありがとうございます。
      メディアを恣意的に使った時に、多数を扇動や洗脳する事が出来るので、メディアの多様化が必要だと考えてます。
      今現在の日本は、ひと昔前と違い、良い部分でネットを使われていますが、何かの配信が恣意的に使われた場合に対抗処置が無くなるのが心配は分けです。

  • 佐藤優さんと池上彰さんは度々、新聞の有用性を語っており読むか読まないかが今後の経済格差が広がる中で家庭が下層に落ちないための防衛の手段と仰っておられたのが印象的でした。

    また佐藤さんはアメリカと北朝鮮が国交を結んだ後に日本も北と国交を正常化しなければならず、それに伴い唯一の半島の正当国家と認めている韓国とも日韓基本条約の改定を行わらければならず、北と共に南にも賠償金を支払わなければならない状況に日本はなるだろうと述べられていることが気になります。

  • 痛い記事ですね。
    kindleか本かという意味合いなら分かります。
    kindle(電子書籍リーダー)は、線も引けないし折り込みも付箋付けもできないので、
    (機能ではできるんだろうが、所詮は機能に過ぎない)
    現時点で私は買う気があまりしないです
    どうでもいい走り読みの小説専用とかならありかも知れないですが。

    kindleは買うべきかっていう問題と、読売なり朝日なり、現実の新聞が、
    購読に値する記事の水準であるかどうかってのは、何の関係も無い問題ですね
    痛すぎる佐藤優。そんなに目先の金が欲しかったのか。仕事選べ

  • 人間、長年慣れ親しんだメディアからはなかなか離れられないようです。

    身の回りにも紙媒体から離れられないタイプの人はいます。その人に言わせると、重要な情報は紙で印刷してすぐに参照可能にするべきだそうで。たまに、保管用にと紙で渡されて迷惑してます。また、仕様書なども基本は紙で、簡単に手書きで追記や訂正が可能だからだそうで。

    紙に限らず、スマホしか触らない人はなんでもスマホでやりたがるそうですね。キーボードに触ったことがない人が増えているとか。これも一種の慣れたものから離れたがらない現象ですね。

    経験上、人は自分の好みに関して割と頑固で、カレーの食べ方ひとつとってもなかなか変えません。きっと、渡邉氏は紙の新聞を愛しているんでしょうね。だからと言って、個人の好みで経営判断するのが正しいとは思わないですが。

    >紙は3次元

    まあ、紙は積み上げれば崩れるので3次元なんでしょうけど、だから必要な場所がすぐわかるっていうのが理解できないですね。たぶん、書かれてる面は2次元だけど取り扱いは3次元、というだけの話なので、頑張ってスルーするのが吉ですね。

  • 更新ありがとうございます。

    ナベツネさん、さすが認識古ッるいな〜。「紙とペン」の時代など、読売でもとっくに過ぎています。官邸の菅官房長官の記者会見でも、始まる直前から液晶パネルやキーボードを叩くカシャカシャ音が絶えないじゃないですか。

    アレは遊んでいるんじゃないですよ、ナベツネさん。ま、半分はしょうもない質問ですがね。カネコとかね(笑)。紙とペンなんか使いませんって。

    調べもんするのに印刷物が便利だーーいや、まず時間かかるし、いちいち時系列に分析しようにも、自分で探さなければいけない。時間が無限にあり、人件費が安かった時代(S30年代迄)ならともかく、今やそんなヒマはありませんヨ。

    佐藤氏の3次元モデル、いや新聞が3次元という発想、私は理解出来ないです。ではSNSは何次元?ナベツネさんは「テレビが出た時は耐えれた。打ち勝った」との事ですが、アナタ、一家に1台あるか無いかのテレビジョンと、スマホ、携帯、パソコン、モバイル、、発信元の多さの現在とは、丸っきり異なります。

    確かに新聞も無くならないかも知れないが、帯封で巻いた「第3種郵便物」として、配達の時代になるかも。

    だって購読者更に減ってみ。販売店不要、配達員不要、駅コンビニ配布不要、つまり情報を2日遅れにして、郵便物として好き者達に配達すれば、中身の濃い記事は書けるかも知れません。

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