記事評:説得力のない「筋論の日本、量の中国」という単純比較
大手オピニオン・サイトの1つである『日経ビジネスオンライン』といえば、優れた記事や優れていない記事が色々と掲載されるウェブサイトでもあります。このウェブサイトに昨日掲載された記事のなかで、少し「議論の仕方」に違和感のあるものを発見しました。
目次
日本と中国の比較論
「スジの日本、量の中国」というシリーズ
昨日の日経ビジネスオンライン(NBO)に、こんな記事が掲載されていました。
「法律違反だが犯罪ではない」が成立する中国(2018年6月19日付 日経ビジネスオンラインより)
記事を執筆しているのは「BHCCパートナー」の田中信彦(たなか・のぶひこ)氏で、NBOのプロフィール欄を読むと、
「90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で働く。リクルート、大手カジュアルウェアチェーンの中国事業などに参画。上海と東京を拠点にコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。」
とあります。記事の全文を、こちらのウェブサイトに引用することはしません。もしご興味があれば、リンク先の記事を直接、お読みください。
また、NBOの場合は読むために日経IDの取得が必要になるようですが、「IDを取得する手間を掛けてまで読む価値がある」とまでは申し上げません。その手間をかけるかどうかも含めて、読者の皆様でご判断ください。
さて、前置きが長くなりましたが、あらかじめ私の主張を申し上げておきたいと思います。それは、リンク先の記事は半ば参考になるものの、日本社会に対する提言という意味では、まったく参考にならない、というものです。
これはいったいどういう意味でしょうか?
「中国では窃盗が犯罪になるかどうかは金額で判断する」
私の文責において、田中氏の主張をあえて1行で要約すると、
「中国では窃盗が犯罪になるかどうかは金額で判断するが、日本は『法律違反、即、犯罪』という堅苦しい社会である」
という主張です。これはいったいどういう意味でしょうか?
田中氏は記事の1ページ目で、一橋大学法学研究科の王雲海教授(法学博士)の『日本の刑罰は重いか軽いか』という著書から、次のようなくだりを引用します。
「(中国では泥棒被害に遭って警察に通報した場合、)多くの場合、警察は、どれくらい盗まれたのかをまず聞くのである。貴重品や高額な金であれば、警察は飛んで来て犯人を逮捕してくれるかもしれないが、大した金額でなければ警察は普通来ないし、来ても犯人を逮捕してくれない。」
はて。非常に不思議な話です。日本だと、刑法では
「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」
と定められています(刑法第235条)。つまり、被害額が多かろうが、少なかろうが、他人の財物を盗めば、同じ刑法第235条という刑事罰が科せられるのです。
ところが、田中氏によると、中国の場合、「他人の物を盗んだだけ」では罪になりません。なぜなら、中国の刑法「第264条(窃盗罪)」の条文は、次のように、3段階に分けて規定されているからです(ただし、翻訳は田中氏によるもの)。
- 金額の比較的大きいもの、あるいは複数回の窃盗、侵入盗、凶器を携帯した窃盗、スリなどは三年以下の懲役、罰金などに処す
- 金額の巨額なもの、あるいは情状の重いものは三年以上十年以下の懲役および罰金
- 金額の特に巨額なもの、あるいは特に情状の重いものは十年以上の懲役もしくは無期懲役および罰金あるいは財産没収
ちなみに「金額が比較的大きい」、「金額が巨額」、「金額が特別に巨額」という基準は、次のとおりだそうです。
- 金額が比較的大きい…500~2000元
- 金額が巨額…5000~2万元
- 金額が特別に巨額…3~10万元
色々と意味が分かりません。
よくそれで「刑法」と名乗れますね?
もしこの中国の刑法自体が、本当に田中氏が主張するような体形になっているのだとしたら、実にいい加減な法体系だと言わざるを得ません。
先進国では「罪刑法定主義」という考え方が取られており、事前に「こういうことをやったら犯罪になるよ」という条件を決めておき、その「事前に決められた条件」を満たした場合に、初めて犯罪が成立します。当然、「これをやったらダメ」という基準は、事細かに決めておかなければなりません。
こういった具体的な金額基準を法律に定めずに、「金額が大きい」だの「金額が小さい」だの、そういう抽象的な基準で有罪になったりならなかったりするのだとすれば、近代国家だとはいえません。
ただ、敢えて私なりに忖度(そんたく)して申し上げるならば、田中氏の主張の要諦は、
「日本と中国は犯罪の構成要件が異なる」
ということなのだと思います。
そういう議論であれば、「あぁ、そうですか」と聞き流せば良いだけの話です。つまり、この「どのような刑事罰が科せられるか」という点についても、
- 「日本は先進国だから刑法にも厳格な構成要件が定められている」
- 「中国は先進国ではないから刑法の規定もいい加減である」
というだけの話で終わるような気がするのです。
あるいは、日本の刑事罰、民事罰は、欧米社会と比べて何かと緩いところがあると指摘されることがあります。そこで、敢えて社会に提言するのであれば、
「中国では窃盗罪を金額基準で細かく定めているという点については参考になるので、日本は中国に見習って、窃盗罪の規定をもう少し詳細に変更すれば良い」
と主張すれば済む話です。
日本社会への批判は明らかな蛇足
ところが、田中氏の記事がおかしくなる理由は、最後に奇妙な日本社会への批判が入ってくるからです。
記事の結論部分で田中氏は、中国では「『大きさ』を軸に犯罪を考える」のに対し、日本は「どんなに小さくても犯罪は犯罪」「一事が万事」「ゼロか100か」的な完璧性追求の性格が強い、と決めつけていますが、この点についても大きな違和感があります。
ちなみに、いちおう冷静にツッコミを入れておくと、たしかに日本の刑法第235条は「金額で刑罰が変わる」という規定ではありませんが、犯罪の「社会的な影響力の大きさで刑罰が変わる」という観点からは、さまざまな規定が設けられています。
たとえば、金融商品取引法では相場を歪める行為などに対し、厳罰が設けられていますし、また、企業経営者に対しては虚偽の決算を公表した場合にも、極めて重い罰が適用されることがあります。その意味で、単純に日本社会では刑事罰を決める際に「量」を無視している、というものではありません。
また、それとは逆に、日本の場合でも、被害者が示談に応じて起訴猶予になる場合や、金額的に僅少であるために起訴猶予となる場合、初犯で執行猶予が付く場合、情状酌量される場合などもあります。
田中氏がやや誤解している節があるのですが、もともと刑事罰とは「この犯罪をやればこういう罰が課される」、というものではありません。「国家は犯罪者に対し、いくらでも罰を課すことができるわけではなく、この犯罪に対して課せられる罰はこれが限度ですよ」、というのが刑事罰の基本思想です。
何より、次の下りは壮絶です。
「日本社会では「法律違反、即、犯罪」であるので、例えば「他人に迷惑をかけてはいけません」という法律や条例があったとすると、「迷惑をかけた」と判断された時点で即、犯罪者になってしまう」
なりません!
日本では「法律違反」があったとしても、その法律違反に「刑事罰」が設けられていて、初めて犯罪になる「可能性」が出て来ます。そして、刑事訴訟という手続を経て、本人に対して「有罪判決」が下って初めて、「犯罪者」と認定されるのです。
少々厳しい言い方で恐縮ですが、田中氏は記事を執筆する前に、「刑事訴訟」というものを勉強されてはいかがでしょうか?
批判のための批判は説得力がない
もちろん、私自身も、日本社会はさまざまな問題を抱えていると思います。
たとえば、日本の司法システムは腐敗していて、裁判官は判決文を書きたがらないことで有名ですし、私自身、民事訴訟の原告として、明らかにこちらに理があるのに、和解勧告を出された時には、心の底から腹が立った経験もあります。
また、中国は中国共産党一党独裁国家であり、いろいろと社会制度にも稚拙な点は多々ありますが、それと同時に、日本が中国に対して見習うところは皆無である、と断言することも適切ではありません。どんな国、どんな社会であっても、少しくらいは見習うところがある(かもしれない)からです。
何より、どんな議論であっても社会をより良くするためには必要なものですし、日本社会と中国社会の「根本的な思想の違い」については、知的好奇心を刺激する材料としては好適でもあるため、田中氏の主張を全否定するつもりはありません。
ただ、今回紹介したNBOの記事の論点に限定していえば、日本社会が中国社会に学ぶべき点は皆無だと思います。なぜなら、中国では「これをやれば犯罪になる」という基準があいまいで、国家権力によって恣意的に刑事罰が決められてしまうおそれがあるからです。
何より田中氏は、日本社会について、「犯罪、法律みたいな話になると、時代の空気が潔癖性を求めすぎ、狭量かつ窮屈な社会になってしまう恐れがある」と批判しているのですが、この批判はあまりにも見当外れであり、説得力はありません。いわば、最後の下りは、「批判のための批判」にしか見えないのです。
要するに、「どんな記事を読むときにも、その記事の主張を鵜呑みにするのではなく、自分なりの視点を持ちながら読むことが大事だ」、という実例だと考えれば良いのではないでしょうか。
本文は以上です。
日韓関係が特殊なのではなく、韓国が特殊なのだ―――。
— 新宿会計士 (@shinjukuacc) September 22, 2024
そんな日韓関係論を巡って、素晴らしい書籍が出てきた。鈴置高史氏著『韓国消滅』(https://t.co/PKOiMb9a7T)。
日韓関係問題に関心がある人だけでなく、日本人全てに読んでほしい良著。
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一応、日本も可罰的違法性という考えはあるので、微罪は犯罪にならないことがある。ま、レアケースだけど。また、検察官もコストパーフォーマンスを考えるから被害が小さいと起訴しない。また、起訴されても軽い犯罪で初犯だと執行猶予がつく。このように段階的に刑罰が重くなっていくのは変わらないな。